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エーガ愛好会 (125) ウインチェスター銃73

(小泉) 開拓時代の西部、銃が命綱であり、優秀な銃であった73型ウインチェスター銃モデル1873連発銃に対する執着を描いた作品で、この連発銃が、次から次へと持ち主が代わり、そのつなぎの中に西部劇としての面白さが詰め込まれてる。監督はアンソニー・マン、この映画で一躍有名になり、この後もジェームス・スチュアート主演での西部劇を連作演出することになった。「怒りの河1952」「裸の拍車1952」「遠い国1954」「ララミーから来た男1955」。かって典型的な善良なるアメリカ人を演じていた二枚目俳優スチュアートの西部劇出演は、「哀愁1940」の眉目秀麗なるロバート・テ-ラーが「最後の無法者1941」「流血の谷1950」等に出演したように、西部劇に出ない俳優は真の俳優ではないといった風潮があった時代でもあった

主人公リン・マカダム(ジェームス・スチュアート)が心に深傷を負った謎の人物として登場するが、兄ダッチ・ヘンリー(スティーブン・マクナリー)が父を殺して逃げた無頼の徒と言う骨肉相争う家族の悲劇に起因する。しかしそのことは最後の方まで判明しないので曖昧さが残る。この心の深い傷跡による宿敵同士の復讐劇よりも銃のめぐり逢いによるドラスティックな面白さの方に力点が置かれてしまったようだが、仇討ちと銃の行方を同時に描くテンポの良さと見せ場の多さ、復讐に燃える主人公リンをスチュアートは存在感を抑え気味にし、ウインチェスター銃を真の主役とし、登場場面では芯の強い人物をきっちりと演じている。

目まぐるしい展開をなぞってみてもごたごたするだけだが、その場面場面が西部劇の要素の固まりとなっているのだ。射撃大会から始まりから、格闘、決闘、インディアンの襲撃、射ち合い、特に最後の岩山でのライフルによる速射を浴びせる射ち合いが凄い、、疾走する馬車や人馬等々。俳優陣も主役はもとより、いつも寄り添う、友達として信頼性No.1と思わせるミラード・ミッチェル。同時期「陽のあたる場所」で主演女優賞ノミネートののシェリー・ウインタースが巻き込まれ役にもめげない美しさを示したり、悪役の二人スティーブン・マクナリーとダン・デュリエも好演。初出演の頃か?酋長役のロックハドソン、当時インディアン役多かったとは信じられない。銃を探し当てるだけのちょい役乍ら騎兵隊役でのトニー・カーティスが出ていたとは。

(編集子)クレジットタイトルには Anthony  Curtis と出ていたが、名が売れてからもそうだったのだろうか、それとも Tony  だったのか?

(安田)観た西部劇ではトップ5(いやトップ3か?に入る面白い映画でした。先ずオープニングのシーンが素晴らしい。誰とは表示はないが明らかにジェームス・スチュアートと相棒のミラード・ミッチェルが馬に乗り丘の上を通り過ぎる遠景に映画題名WINCHESTER ‘73  が浮き出る。映画の展開に興味を抱かせてくれる。

アメリカ合衆国独立から100年を記念してライフルの射撃大会がカンサス州ダッジシティで開催され、勝者には銃の名機「ウィンチェスター‘73」が賞品として与えられる。ガンマン垂涎のこの銃を巡って、宝物の争奪戦が映画の本筋となり様々な人間模様が繰り広げられるが、最初の射撃大会で甲乙つけがたく決戦射撃に勝ち残った二人は実は兄弟であり、弟のジェームス・スチユアートにとって兄は親を殺した仇敵であるのが映画の最後になるまで分からない筋書きの展開には驚いた。

ライフル銃のマニアでなくとも西部劇に興味を持つ者にとっては「ウィンチェスター銃‘73」は格好の好奇心対象なのは間違いない。美しい銃を何度も大写しにし、レバー操作や連射も度々見せつけて「宝物」が映画の主役と言わんばかり。射撃大会の賞品「ウィンチェスター銃‘73」の宝物の争奪戦とその行方、さらには銃を巡る壮大な兄弟喧嘩を大きな柱とする物語だが、西部劇に欠かせない青空、サボテン、岩山の荒野、インディアン(ス―族)、早撃ち、騎兵隊、銃撃戦、追走、ワイアット・アープとダッジシティなどが散りばめられて観る者を楽しませてくれた。兄弟が最後に撃ち合いになる岩山の場面では1950年制作の映画としては、銃声とその乾いた反響音の音響処理が素晴らしいと感心した。

エンディングシーンと銃に刻まれたエンブレムの写真を貼付します。表記は以下の通り(虫眼鏡で読み取りました)。

First Prize  Centenial Rifle Shootout  Won By

Dodge City Kansas July 4th 1876

(編集子)Won by  の次に本当はリン(スチュアート)の名前を入れるはずなのに入っていない。なぜかは映画本体をご覧あれ。  

(保屋野)掲題、小泉先輩の完璧なコメントに付け加えることはありません。チビ太同様、私も西部劇の傑作だと思います。当時の、最新連発ライフル銃(ウインチェスター銃)にアカデミー(特別)賞をあげたい映画ですね。

オリンピックのライフル射撃で金メダルがとれそうな、準主役?のJ・スチュアートも、ガンマンらしからぬ風貌がかえって新鮮で魅力的でした。また、ワイアット・アープが登場したのもご愛敬でしたが、カスター将軍事件(スー族による騎兵隊全滅)もとりあげられていました。

(金藤)皆さんが仰るように小泉さんの完璧なコメントの通りの映画でした。オープニング と エンディング 映画の中で、こちらも安田さんの画像とコメントの通り ウィンチェスター銃‘73 が美しく映し出されていました。

ワンオブサウザンドの銃だそうで、ワンオブサウザンドという表現の仕方を70過ぎて覚えました。 最後の銃のラベルには何と書いてあるのか気になりましたが
  残念ながらうちの虫眼鏡🔍では見えませんでした。ウィンチェスター銃の持ち主が次々と変わっていくのですが地面に落ちたままの銃はどうなってしまうのかと思っていると次の持ち手が見つける・・・銃と共に登場人物と世界がいつもの西部劇より広い西部劇でした。
酋長はロック・ハドソンだったのですね!立派な体格の酋長だと思って見ていましたが西部劇の戦闘場面はやはり好きになれません。
楽しまれているところに水をさすようですが・・・カリフォルニア サンノゼにあるウィンチェスター・ミステリーハウスを思い出しました。ウィンチェスター家の2代目か3代目?だったと思うのですが、彼の未亡人はウィンチェスター銃で撃たれたて死んだ人々に呪われると、霊媒師に相談して次々と部屋を建て増していったという家です。一体何部屋あったのか覚えていませんが、不気味で私はまた見たいとは思いませんでした。
(編集子)この作品の背景になっている先住民族による不安だが、これはカスター将軍がモンタナ州リトルビッグホーンで先住民族軍に無謀な戦闘を挑み、麾下の第七騎兵隊が全滅した直後と言う時間設定だからだ。この戦闘は1876年6月25日、戦死者は少なくとも600名を超えたとされている。これを題材にしたのが当時の売れっ子エロール・フリンとオリビア・デ・ハビランド主演の 壮烈第七騎兵隊 である。ジョン・ウエインの騎兵隊三部作の第一作 アパッチ砦 では、出世主義へンリー・フォンダ演じる指揮官の部隊が全滅するが、これはこの敗戦を意識したものだろう。上記安田君が苦労して読んでくれたところによると、この映画の背景になっている射撃コンテストはこの年に行われたことになる。
ついでにいうと、映画の始まるカンサス州ダッジシティは当時西部開発の最前線で暴力が横行し、”ダッジの西に法はなくペコスの西に神はない” と言われたところ。ここの保安官になったワイアット・アープが冒頭に出てくるように街へ来る全員の銃を預かる、という市政を敷いて平和を保ったことで知られている。リンが “銃を置いていけ”と言われて気色ばむが、相手がワイアットと知って納得するカットがある。ワイアットの実力をだれもが知っていたからだろう。ワイアットがダッジを離れてツームストーンへ流れて保安官になるがそこで起きたのがOK牧場の決闘で、これは1881年10月26日とされている。
上記騎兵隊三部作の結末になる 黄色いリボン では、ウエインがリトルビッグホーンで仲間の将校が何人も戦死したことを嘆く場面があったし、かの 駅馬車 では電信でこの悲劇が伝わり、不安が高まっていくところから始まる。
この 駅馬車 はウエインが最後まで残しておいた3発の弾丸で3人の仇敵を射殺して終わるのだが、この最後の決闘に臨む敵役がバーでカードをやっているところにウエインがやってきたことが告げられる。それではと意を決して立ち上がる、その時の最後のカードの手が3枚のエースと8のワンペア、”死の手” と呼ばれるものだった。この ウインチェスター銃73 で、スチュアートから銃を強奪したマクナリーがギャンブラーに負けて銃を取り上げられるシーンがあるが、その時の手がやはりこの組み合わせだった。画面に翻訳はされなかったが、マクナリーがはっきり、deadmans hand  と言っていたのを確認した。
余談だが、駅馬車 ではもう一つ、カードに語らせる場面がある。ジョン・キャラダイン演じる没落した南部貴族の男が、身重の将校夫人を案じて、乗る必要もないのにあえて危険を冒して乗車する。そう決心した瞬間に持っていたカードをめくるとスペードのエースが黒々として現れる。
最近の映画でもう一つ、なにか物足りないことを感じることがあるのは、このような、いかにも作り話ではあっても深い情というのかロマンというのか、さらに想像が高まっていく、そういうショットがないからだと思うのだがこれも老人の繰り言であろうか。たとえば モロッコ で砂漠にクーパーを追っていくディートリッヒが残していく靴だとか、俺は待ってるぜ の導入シーン、ぽっつりと消えていくネオンだとか?

日本国紀読了しました     (42 下村祥介)

日本国紀をようやく読み終えました。

真実を知るということの難しさを再認識した次第です。一般市民はとても一次資料などにアクセスできるわけはありませんし、テレビ、ラジオ、新聞などのメディアによる情報しか入手の手立てがないわけですから、マスコミの責任は人間社会にとって最も重いと言っても過言ではないですね。

そして現在はネットでも色々な出来事を知るわけですが、ウクライナでの戦乱のニュースを見ていてもどの情報が本当に正しいのか分からなくなります。アメリカが「この映像はロシアが自作自演した画像だ」とか言われるともう訳が分からなくなります。フェイクニュースが当たり前のように流れる現在、神経質になるぐらい真剣に真偽を見きわめる目が必要であることを痛感した次第です。

ウクライナを憂いて     (普通部OB  篠原幸人)

 

今から2年ほど前、2019年10月末の早朝、私と家内はキエフ空港の到着ロビーにいた。そこには招待してくれた方々に混じって民族衣装をまとった若い男女一組も出迎えてくれていた。古典的な遠来の客を迎える儀式とかで、花束とパンが差し出され、そのパンを客である私がその場でかじって食べるのが礼儀だと説明された。我々の周囲には大きな人だかりができたから、ご当地でももう珍しくなった風習だったのだろう。のんびりした平和な雰囲気だった。

ウクライナ脳卒中学会から「日本の脳卒中治療」を紹介してくれとの講演依頼で訪れたのだが、キエフの街自体も静かで美しかった。学会講演・テレビ局のインタビュー等をこなしたのだが、大したお謝礼は出来ないからと、夜は教会のパイプオルガンの演奏会やオペラ、更には見学が解禁されたばかりのチェルノブイリ原発まで案内してもらい、ウクライナの方々のホスピタリティとやさしさにほのぼのとしたものを感じた。更には市内のアンドレイ坂というパリのモンマルトルの丘を思わせる景勝地のレストランで食べたポルシチ(ボルシチの発祥地はロシアではなくて、このウクライナなのだ)のおいしさも忘れられない。ウクライナの特徴の一つは真っ青な空と鮮やかな黄色のひまわりである。ウクライナの国旗が上半分の空色と下半分の黄色はそれを意味しいている。実に平和な国だった。

80歳過ぎの読者はソフィア ローレン、マルチェロ マストロヤンニ主演の「ひまわり」という映画を覚えておられるかもしれない。誰と観に行ったかは定かではないが、確か日比谷の映画館で観た記憶がある。第2次世界大戦後により離れ離れになった若い男女の悲しい恋の物語で、ヘンリー マンシーニ作の主題歌の何とも切ないメロディがいまでも私の耳にこびりついている。この音楽を知らないとおっしゃる世代には今からでも一度聞いていただきたい。

こんな静かな、しかもほとんど無抵抗のウクライナへのロシアの侵攻である。プーチンにもいろいろ言い訳はあるようだが、私には「殿、御乱心か?」とでも言いたくなる。どこかの国の首相のように「これからいろいろ検討して、また諸外国とも協議して」とのんびり構えている時ではない。同じことは台湾でも起こりうるし、こんな対応では北方四島など帰ってくるわけはない。

お世話になった、ウクライナの方々のご無事を願っている。慌てて出したウクライナの知人たちへのメールに、まだ返事は戻ってこない。

エーガ愛好会 (124) ”戦争と平和” を巡って

(保屋野)ロシアのウクライナ侵攻が始まったタイミングで、この大作を観ました。この長編最大の見所は、ナポレオンとの戦争シーンですが、、これは兵士や馬の数含め迫力満点でした。制作費用はいくらかかったのでしょうか。もう一つは、ヘプバーン演ずるナターシャとヘンリーフォンダ演ずるピエール及びメルファーラー演ずるアンドレイ等との恋愛劇ですね。もちろん、それぞれ名優は魅力的でしたが、ピエールの妻、エレン役のアニタ・エクバーグの色香が際立っていました。ただ、ストーリーは、トルストイの原作を読んではいないので分かりませんが、映画では、正直やや平凡で、イマイチでした。

なお、ネットにもありましたが、私も「ドクトル…ジバゴ」とつい比べてしまいましたが、ストーリーはジバゴの方がはるかに面白く、感動的で何といっても、あのモーリス・ジャールの主題歌「ララのテーマ」の存在感が圧倒的でした。戦争と平和の音楽もあの、ニノ・ロータなのですが、あまり印象に残っていなかったので、ユーチューブで聴き直したのですが、ラ・マルセイエーズを取り入れた主題歌と「ナターシャのワルツ」等さすが、ニナ・ロータだと思いましたが、ララのテーマには及ばないでしょうか。

(安田)ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤン二主演の映画「ひまわり」に出演したロシア女優ルドミュラ・サベリーエワが印象に残り、後年、ヘップバーンが演じたナターシャ役で彼女が主演したソ連版「戦争と平和」を随分昔に観た。2部に分かれ併せて6時間半もあり、ヘップバーン版3時間半どころでない超長編大河映画だった。高校時代に読んだ小説同様、登場人物・時代背景・筋書きなど多岐で複雑過ぎてよく理解したという記憶はない。

色香際立ったと保屋野さん仰るアニタ・エクバーグ(スエーデン人)はフェリーニの映画「甘い生活」で衣服を着たままマストロヤンニとローマのトレビの泉に飛び込むシーンが印象的でした。確かに波瀾万丈の筋書きの面白さといいダイナミックな話の展開といい、素晴らしい音楽「ララのテーマ」のドクトルジバゴに軍配を挙げます。トルストイのみならずドフトエフスキー、ショーロホフなどロシアの巨匠作品は読むのに難儀します。途中で降参が結構あります。

(飯田)映画「戦争と平和」はオードリー・ヘップバーンと当時結婚して話題となったメル・ファーラー、ヘンリー・フォンダと保屋野さんが目を付けたアニタ・エクバーク等の豪華キャストをぼんやり見て満足すれば良い映画で、演出的には主人公の一人か二人が、どうなったか画面から消滅してしまう編集だったと記憶しています。但し、この映画の後半の雪上逃亡シーンは長時間をかけて見応えのある撮影と編集だったと思います。

当時のある映画評論家は、出演俳優で小説「戦争と平和」を読んで自らの役作りをした思われる俳優はヘンリー・フォンダだけだと、この映画で評論していた記憶がありますが、顔つきが真面目そうに見えるのがヘンリー・フォンダだけで、他の俳優は本を読むタイプではないと顔で判断して言ったにすぎぬと私は思いました。「戦争と平和」のソ連版は安田さんが挙げたように、まさに映画としては演出、俳優の演技共に、アメリカ版を遥かに凌ぐ凄い大作です。但し、1965年制作のソ連版は当時の映画評論家が一目を置いていた名匠の監督:セルゲイ・ボンタルチェックで第1部150分、第2部100分、第3部82分、第4部88分とアメリカ版の3時間半が短すぎることを示したような作品でこのような長編が映画と言えるかという議論の対象にもなりそうです。

菅原さんが途中読むのをGIVE-UPされたという「カラマーゾフの兄弟」もソ連版(1968年)で監督イワン・プイリエフ第1部85分、第2部75分、第3部80分でBSプレミアムで放映されました。但し、映画としての出来はソ連版「戦争と平和」より低く、平凡でただ長かったという印象です。

(かく言う私は小説「戦争と平和」「カラマーゾフの兄弟」を読んだのか?と聞かれると当然、読み始めて途中でGIVE-UPした仲間です。)

(小田)ウクライナ問題と同じ時期での放映は偶然なのでしょうか?(新聞の漫画に、プーチンがウクライナの地図の上でブラシで国境を消しながら、カーリングをしている様子が、描かれていました。先日のメールのロス家=ロスチャイルド家ではないことを知りました。)

ヘプバーン版のDVDは以前購入して持っております。ヘプバーンが、初々しく、実際に夫婦になったメル·ファーラーと共演していて興味深く観ました。

ヘンリー・フォンダの役もですが、全体的にやはりロシア版より弱く感じます。ナポレオン率いるフランス軍の撤退場面は印象に残っています。
昔は全集は「戦争と平和」から先ず売り出していたり、名作のNo.1のようになっていましたが、大変な読書家の皆様でもあまり読んでいらっしゃらないのですね。勿論私もですが。

(編集子)高校2年の時あたりまで、いわゆる名作と呼ばれる本にあこがれていましたが、ロシア文学に行きつくまでに息がきれてしまい、トルストイもドストエフスキーもいくつか短編を読んだだけで今まで来てしまいました。戦争と平和はぜひ読みたいと思ったままで映画のほうも名作と聞いていましたが(本を読んでないんならせめてエーガ、となるべきでしょうが、逆に原作も読まずにエーガはねえだろう意識が働いて)見ていません。まだまだ本を読む気力は残っているので、(ドストエフスキーを読んでないなんて!と叱られたやっこの顔が浮かびます)挑戦すべきなんでしょうが。

(金藤)Giさんがドストエフスキーを未読だとお聞きしたのは、エーガ愛好会が始まってからです。Giさんのお友達Sさんが教えてくださったので、私は「えーっ!? 大読書家のGiさんがドストエフスキーを読んでいなかったなんて️」と驚いたのです。iさんの秘密だったのですよね Giさんを叱るなんてーーそんな とんでもない事 いたしておりません。私もカラマーゾフの兄弟 途中でギブアップしました と、その時のメールに書きました。

 

 

ウクライナの現状はこうです    (在パリ:平井愛子)

今日は既にロシア軍はウクライナの15か所を攻撃し、大きな都市はロシアのコントロ-ル下に置いたとニュ-スで言っておりました。昨日からキエフなどから5万人がポーランドやモルダビへ脱出しているようです。でもウクライナに戦時下の宣言がされたので、18歳から60歳の男性は国外には出られないので、今日は女性ばかりです。どんなに心細いでしょうか。キエフに残った人々は地下鉄の駅やビルの地下に避難しています。

プ-チンはウクライナ軍隊に向かって、”ネオナチでテロリストの政府に立ち向かって、権力を君たちが奪い取れ”というスピ-チをしました。この人の脳は一体どうなっているのでしょうか。クーデタ-を起こせと言っているのですよ。ゼレンスキ-はユダヤ人ですからネオナチではありえないですね。彼は首相達と一緒に我々は最後まで戦うと動画を国民に送っていますが、実際軍を指揮しているわけではなく、何の権限も執行できないポジションにおかれていますね。ある所では、ロシアは苦も無くウクライナ軍の兵士を捕虜にして、彼らの扱いは頗る丁寧で携帯で家族に電話もできるという感じで、こうして骨抜きにして行くのでしょうか。

ヨ-ロッパは経済制裁をするべく色んな策を講じていますが、最大送金システムSwiftはこれを停止するとヨーロッパの国々も困ってしまうのでドイツとイタリアの強い反対にあって、Swift以外の経済制裁を最大限に行うと決めましたが、これが施行されるまでにロシアはウクライナを手中にしてしまうだろう、施行されてもロシアは既にお金も十分にため込んで、経済制裁も全部十分に見越して行動している ということです。

21世紀にもなって何ということでしょうか。人間って度し難いですね。

私の親友のフランス人夫婦は3人のロシアの子供たちを養子にしています。彼らは本当に幸せです。このうち2人は私のYoutube“Aikoのヴァカンスその1”に出てきます。この親友の親友がロシア人でモスクワの近くに住んでいるそうなのですが、彼女は今回の事で憤って、戦争反対のTシャツを着てFBに写真を載せたら、すぐ昨夜警察がやってきたそうです。ドアは開けずに用があったら弁護士を通すよう強く言って帰っていったそうです。怖い国になっていますね。

日本は自由な国です。私もフランスにいて良かったです。私の親友は、ロシアの友人が子供をつれてフランスに移住したければ受け入れようと思う と言っていました。戦争は例外なく不幸しか生み出しません。溜息が出ます。

(編集子)平井さんはKWV44年卒組 安田君の旧知の間柄、以下、同君より:

僕の現役時代の秘書の従姉妹で1990年代パリ訪問の際初めて紹介されて以来の付き合い。公私にわたるフランス訪問の度に会って、家内と連れ三人でフランス国内を二度旅行をする程親しくなりました。在フランス30年以上の独身キャリアウーマン、独立自尊の多方面(音楽、美術、歴史、政治など)に造詣の深い人です。

 

大倉山梅林    (34 小泉幾多郎)

紅千鳥
野梅

毎年2月20日近辺には、近所の大倉山公園では、観梅会が土日の2日間開催されていますが、今年も昨年に引き続きコロナ禍により中止になりました。梅林は32種類200本あるそうですが、本日21日立ち寄って見ましたら、未だちょっと早かったか、見栄えのする池の周りに咲く枝垂れ梅が3分咲き程度でした。

まあ早咲き、中咲き、遅咲きと順番に開花して行けば、楽しむ期間も長いとも言えるかも知れません。幹に名札が付いてましたので5種類の梅をご覧ください。

玉牡丹
八重旭
冬至梅

”日本国紀” 私見    (普通部OB 船津於菟彦)

彼独特の思想展開から書かれた本ですよね。

浅間山荘事件から50年。アカイアイ朝日が書くという。新聞は不偏不党か。「時事新報」は——。戯言を書いたら知識人は右も左もやっつけろ的に色々書いて下さいり参考になりました。雷同するつもりも反論する気力もありませんが。

安田耕太郎さんが書かれているように百田尚樹と聞けば、似通った考え方の桜井よしこ・石原慎太郎、ケント・ギルバート、渡部昇一、田原総一郎、江藤淳、花田紀凱(元月刊Will編集長)、安倍晋三などの名前が頭に浮かぶ。最近亡くなった石原慎太郎と何年か前に対談した百田は石原に「今日の対談のタイトルは “新旧暴言サムライ!” で決まりだ」と言われたと述懐。先輩である「暴言サムライ!を失って寂しい・・・」と百田は石原との思い出を振り返り、「新版・日本国紀」を読んでもらいたかった! それが心残りだ、と石原の死を惜しんだ。まぁそう言う一群の方の持論展開でしょうね。

「菊と刀」に思い入れ過ぎた米の國。あの時何故天皇制を残したか。 共産党は政権を取ったから天皇と自衛隊は無くさないと—語った!そうかなぅ。 ドイツ人・伊太利亜人は戦時中、砂漠の中の「強制収容所」は入れられなかった!
黄色ンボーノ日本人は酷い眼にあった。まぁ野口英世・北里柴三郎はノーベル賞物だったそうですが、東洋人という事で授賞出来なかったとかの言う噂もある。今でも米国では黒人より黄色ンボーが差別迫害されていると聞く。

理屈はない。ただアタマに来た!

理屈はない。年齢のせいでもない(と信じる)。

今朝の読売一面の見出し、

米欧日, 露に制裁
真ん中にある解説図の順番が上から 米国 EU 英国 日本
何で日本がいつも最後なのか? 韓国ですら常に 韓日 であっって絶対に日韓ではない。これがあの朝日ならまだわかるが、わが永遠不滅巨人軍の新聞だというのがまた癪に障る。純真単純明快にこのような卑屈さに虫唾が走る。このオレを(やれ日本国紀だのなんだのというし)、ウヨクだというなら言え!
関係ないが,周回おくれで 居眠り磐根全巻読破レースに参加することにして、昨夜はまずは 陽炎の辻。 カバー写真が松坂桃李なのが気に入らない。山本耕史なら2冊買ったのに!

“日本国紀” 追論

(47 関谷)上・下を読了しました。著者は、史実をベースに(噂によればWikipedia等々からの参考情報をもとに)、持・自論を織り込まぜながらの、見事なstorytellerですね。

雷同、又は、批評する積りは全くありませんが、男系万世一系の天皇崇拝、愛国心、国粋主義、白人至上主義への反発、反共、GHQ押し付け憲法改正等々の持・自論を如何なく展開。IF、これが教科書として認定されたら、「歴史認識」を巡り某国々と戦争になりかねないでしょうね!

確かに、人生のホームストレッチかかり、海外生活が長かった私にとり、著者が述べている;〈感謝の念をささげたいと思うのは、我が祖国「日本」と、この国に生き、現代の私たちまでにつないでくれた遠い父祖たちです。古代より、この島に生まれた人々が日本の風土に育まれ、苦労を乗り越え、永らえてきたからこそ、今の私たちがあるのです。そして私もまた未来の日本と日本人へと生をつなげ、国をつなげる環の一つであること、その使命の重さを感じています。〉

(42 下村)[新版]日本国紀、床に入りながら読みはじめ中々進みませんでしたが、ようやく上巻を読み終えました(初版を大幅に加筆修正したとありますが、どの部分をどのように加筆修正したのか興味のあるところですが調べてはいません)。

著者は「物語」と言いながらも、「神話では・・・」とか、「・・・と言われていますが、文献資料はありません」とか、「異論もあります」といったように客観的に冷静に歴史を読み解こうとしていること。また膨大な文献を参考に上げていることなど歴史に取り組む姿勢に慎重さがうかがわれ好感がもてました。

従って各時代で起こった歴史的な出来事についての解釈や説明は、これまで学んできたことやテレビなどで取り上げられている歴史ものとほとんど同じと感じましたが、古事記や日本書紀については日本の草創期のことが神話的な事を含めて書かれている、というぐらいの認識しかありませんでしたので、特に興味深く感じたところです。

歴史書を読んでいつも思うのは、昔の人は海を非常に身近に感じていて、朝鮮半島や中国大陸を遠いところだとあまり感じていなかったのではないかということです。航海術の発達していない時代ですから実際には大変な思いをして海を渡ったのでしょうが、2000年以上も前に中国に遣いを出したり、その後も朝鮮半島に兵を派遣したりと。また日本を統一したばかりの秀吉が朝鮮に大軍を送り込むなど、向こう岸の見える大川を渡るがごとく海を渡っていく。本当に驚嘆します。

下巻は僅か150年前のことから始まるわけですが、明治以降の出来事についてはいろいろな解釈があるようで、楽しみにしつつスタートします。

(普通部OB 菅原)取り敢えず、「日本国紀」の第十三章(敗戦と占領)を読んだ。冒頭、江藤淳に触れていたので、安心して読み進めた。これを読んで、何故か「下山事件」を思い起こしたが、ここではそれには言及しない。

それにしても、日本は、米国のWGIPに見事なまでに洗脳されて今に至っている。その一例が憲法だ。公布されてから75年が過ぎても、洗脳された護憲勢力に遮られて、一字一句も、今に至るもそのままだ。そんなに、この憲法を押し付けた米国が有難いのか。

そこで、小生、非常に気になることがある。WGIPが極めて効果的だったことから、同じようなことを、今、中華人民共和国は日本にやっているのではないかと言う危惧だ。例えば、朝日新聞は、あたかも人民日報の日本版と化してしまったかのようだ。日本は情報戦争の草刈り場になっているのか、誠に情けない。

 

霜柱で思い出したこと

北日本の豪雪ニューズの中、今朝の東京は抜けるような青空であたたかだった。

いつもの散歩ルートで道端の小さな草間地に霜柱を見つけた。かつては都心でも冬になれば当たりまえの風物だったが、最近はあまり見かけない。そんなものに出会うと全く忘れていた記憶が蘇って来るのは誠に不思議なものだ。

昭和22年、満州から引き揚げてきた一家は大田区南千束の伯母の家に同居させてもらっていた。伯母夫婦、従兄弟夫婦と三所帯がどうやってすみ分けていたのか記憶にないが、今では瀟洒な住宅地も当時は一面の焼け跡で、冬は家の残骸にこびりついた、霜柱で固まった泥の塊を投げつけあった記憶がある。そのころの悪童ふたりと中学3年生の時、当時所属していたラグビー部の対外試合で全く予想もしていなかった再会をしたことがあった。その後は二人とも素行不良で放校され、暴力団でいい顔になったとうわさで聞いた。人生の暗転、というのだろうか。

当時の小学校ではよく學校単位で文集が作られたりしていた。その一つに載った1年下の女生徒の俳句が素晴らしいとされたことがあった。その句は未だに覚えているが、

ポケットに 手をいれて踏む 初氷

というものだった。昨夜の夕食が何だったかも覚えていないのに、なぜこんな記憶が残っているのだろうか。人間の記憶というものの不思議さを改めて感じる。

高尾山歩きで地元のガイドさんについてもらって草花の話を聞いたことがある。シモバシラ、という花のことも確かに聞いたことだけは記憶しているのだが。