「愚者の街」上・下(著者:ロス・トーマス。翻訳:松本剛史。発行:新潮文庫/2023年)。
原題は、「The Fools in the Town are on Our Side」(発行:1970年)と言う誠に長ったらしいもので、米国の作家、マーク・トウェインの小説「ハックルベリー・フィンの冒険」から引用されており、この本では、「町じゅうの馬鹿どもをみんな見方につけりゃどうだ?」と訳されている。
主人公は、1937年、4歳の時、蒋介石軍の上海爆撃で父親を喪うものの、娼館のロシア人女性に拾われ生き延びて行く米国人の男性、ルシファー・C.ダイで、その数奇な生き様を描いたものだ。ルシファーなんて名前を聞くと、小生、女性の名前ではないかと疑ったのだが、キリスト教では、堕天使の名前で、「光を掲げる者」と言う意味があるそうだ。蛇足だが、堕天使とは、神の怒りを買い、天上界から下界に堕落させられた天使のことを指すらしいが、そんな堕天使が何故、「光を掲げる者」になるのか。この辺の話しは、キリスト教に疎い小生には、まるっきり理解できない。
上巻では、ルシファーの生い立ちと、彼が巻き込まれて行く、無謀な計画に身を投じるまでのことを交互に物語って行くのだが、その生い立ちの部分がなかなか魅力的で、ここが、大変、面白かった。特に、多言語話者(マルチリンガル)の才能を発揮し、大人との奇妙な友情を育みながら数奇な運命に立ち向かって行く健気な姿には思わず引き込まれた。
下巻で、不正と暴力で腐敗した街、スワンカートン(米国はメキシコ湾沿いにある人口20万ほどの小都市)の再生計画を実行に移すわけだが、これを実施するのが、元秘密諜報員のルシファー、元娼婦、それに、元悪徳警官と一癖も二癖もある連中だ。その相手も、賭博や売春を黙認し賄賂を受け取る警察や風紀犯罪取締班なのだから、両者入り乱れての騙し合いが展開される。一言で言えば、詐欺や騙し合いを中心にしたサスペンスで、つまるところは、コンゲームと言ったところだ。ただし、上下巻を通じ、その会話の部分が、全体に面白くもない減らず口とか無駄口で埋め尽くされ、小生にとっては、興を削がれること夥しかった。
最終的には、ルシファーを中心に行われた街の再生計画は実現されるのだが、その結末がどうも釈然としない。何故なら、その後、ルシファーなどは、メキシコで優雅な生活を送っているのだが、一方、その街の悪が一掃された後、一体、どのよう形で新たに生まれ変わったのかについての言及が、一切、ないからだ。はっきり言ってしまえば、やりっぱなしであり、つまるところ、この街は元の黙阿弥となるのではないだろうか。つまり、カッコよく言えば、スクラップはあったものの、ビルドが全くないのだ。
この本のミソは、巻末で、作家の原寮が「ロス・トーマスの魅力」と言う題名で、ロス・トーマスの事を語っていることだ。初出は「ミステリマガジン」1996年12月号に掲載された。
原は、”私は小説というものをつねにレイモンド・チャンドラーの影響下で考えてきた。・・・だが、ハメットとチャンドラーではまるでものごとの表と裏のように違うし、チャンドラーとマクドナルドとはまるで陽と陰のように違うし、チャンドラーとネオ・ハードボイルド派の作家たち(この中に、ロス・トーマスが含まれるらしい)ではまるで天と地ほどにも違う” と述べ、しかし、”ここには、所謂、ハードボイルド・スクールというジャンルが成立する” と述べているが、小生、例えば、チャンドラーとトーマスの間には月とスッポンほどの違いがあるのではないかと思っている。
そして、「小説家とはどういうものかと訊かれて、詐欺師のようなものだと応えることが多い。詐欺の至芸はやはりその語り(騙り)にあると思われる」と小説家を詐欺師と同一視している。原は、最後に、「ロス・トーマスはそういう第一級の詐欺師の風格をもつ作家で、この称号には私の最大級の讃辞と憧憬の念がこめられている」と述べているが、小生、この本を読んだ限りでは、それには全く承服しかねると言わざるを得ない。
ロス·トーマス(Ross Thomas、1926年2月19日 – 1995年12月18日)は、アメリカ合衆国の作家、脚本家。 別筆名にオリバー・ブリーク。オクラホマシティ出身。オクラホマ大学卒業後、兵役をへてジャーナリスト、編集者、政府の新聞担当広報マン等となり、ヨーロッパやアフリカに滞在する。1966年のデビュー作『冷戦交換ゲーム』でアメリカ探偵作家クラブの最優秀処女長編賞を受賞。1984年の『女刑事の死』で同クラブの最優秀長編賞を受賞。サスペンス、スパイ小説の巨匠とされる。
(編集子)ロス・トーマスはあまり読んでいないのでスガチューの論説にコメントすることはできない。原は小生の好みの作家なので、ここで引用されている文章はどこかで読んだ記憶があるけれど。






















