学術会議騒動について  (44 安田耕太郎)

学術会議の設立は昭和24年。行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別な機関」として設立された。職務は以下の2つ。1.科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
2.科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。

非常にあいまい且つ抽象的であり、実践的・具体的な職務は一般人には理解しがたい。日本学術会議の役割は、主に以下の4つであると規定されているる。

1.政府に対する政策提言

2.国際的な活動
3.科学者間ネットワークの構築
4.科学の役割についての世論啓発第二次世界大戦後すぐに設立された理由と目的は、明らかに敗戦後の日本を立て直し、将来の発展と成長を目指し、国内の知能を総動員していわばオールキャストで目的を果たす役割を担ったのである。1990年頃バブル経済の破綻で戦後、成長拡大し続けた経済も天辺を打ち、その後は今日に至るまで30年間、沈滞と低迷の時期の真っただ中をうろついている。その責任の一端は日本学術会議にもあると認める謙虚さを望みたい。

日本学術会議が担った役割は設立から40年を経たバブル経済崩壊の頃までにほぼ終焉しているにではと推察している。いわば「大きな政府」時代の大きな組織が遺物化したのが現在の日本学術会議の姿ではないだろうか。延命と権力維持を二つの柱として存立している官僚組織の姿を見る思いがする。構成メンバーにとっての経済的利益は引退後の年金収入を含めて抗し難い面もあろう。70年経た組織が硬直化し、官僚化するのは避けられない。

国民の税金を財源として運営され、その役割・効果・責任・権限・成果の詳細は知る由もないが、それらが曖昧だとすれば、その存在はもはや許容すべきではないと考えている。優秀かつ目的意識も高い各構成メンバーなりメンバーから構成されるグループ(と、信じたいが)は、彼ら独自に(日本学術会議の枠外で)自由に意見なりを発表する機会も手段も場も与えられているはずである。自ら能動的に行動すれば可能であろう。自由の侵害などと主張するのはお門違いである。政治イデオロギーの信念を盾に研究分野を勝手に選別したり、拒否するのは税金で運営されている機関としてはもってのほかである。

矮小な問題としては菅首相は6人の任命を見合わせた理由をもっと論理的に返答をすべきであったろう。しかし、もっと重要な根本的問題は、日本学術会議の存在意義についての抜本的な検討であろう。首相はもはや積極的な存続理由は見いだせていないのではと推察します。但し、その大きな問題を論議することの政治的深刻さを考えれば、のらりくらりと昼行燈に徹するのが賢明だと政治的に判断していると推測している。

日本学術会議に設立当時期待された役割と効能は、日進月歩で変化する科学分野と複雑で流動的な世界情勢に対応する為、複数の専門的シンクタンクを利用して流動的にフットワーク軽く柔軟に対処する必要があるだろう

日本の健全な生存と発展には、今や国内の内輪同士のもめごとにかまけている余裕などなく、世界に伍していけるシステムと能力を備える必要がある。コロナ禍によって露呈したデジタル分野の後進性と脆弱性だけは科学分野では御免被りたい。真に国の総力を挙げて効率的に運用できる仕組みが早急に構築されることを強く望む。政府の正しく強いリーダーシップと、果断にして迅速な意思決定と運用がカギを握っている。優柔不断で適正能力不足の政府では国民が不幸にされるだけである。