米国の若者たちはどうしているだろうか  (37 宍倉勝)

菅井さんの ”近頃の若者” を拝読。そのフォローとしてご参考まで。

アメリカの新たに社会人となる大学生の憂鬱は、卒業と同時に学生ローンの返済が始まる事です。日本以上に学歴社会といわれ、アイビーリーグを筆頭に名門大学卒、大学院卒などの学歴により同じ会社、同じ職種に就職しても給与等待遇が大きく変わります。

よく言われていた事ですが、“日本の大学は入りにくく、出やすい”。“アメリカの大学は入りやすいが、出にくい”が一般的な認識でした。しかし“アメリカの大学は入りにくく、そして出にくい”が実情です。アメリカの学生はより良い就職先をめざし在学中の成績アップに努力をしています。ひきんな例ですが、スポーツで活躍していても、一定水準の成績を取らねば強制的退部も余儀なくされます。

古い資料になりますが、2011年のアメリカの私立53大学の平均学費は約4万ドル、有名私立大学では約5~6万ドルを超えています。多くの若者は高い学費の負担は将来への投資と考え、多額な学生がローンを組みます。アメリカの大学生一人当たりローン総額は平均で2万ドルを超えているとの調査報告もあります。

卒業後でも家賃、生活費を負担しながらのローン返済は頭痛の種です。その結果新たにクレジットカードローンを抱え込む新社会人も多くいます。子供は18歳になったら大人とみなし、親から独立するのが当たり前という考え方が伝統的だったアメリカ社会に大きな変化が起こっています。

卒業後ローン返済が負担となり、又新たにカードローンを抱えたりして、親元に戻る若者が急増しています。親と同居する若者がここ数年30%の割合で増え続けています。子供が独立して、ゆったりした老後を考えていた矢先に思わぬ同居となり、親の負担は増え続けています。一方大学卒の若者を採用する企業にとっても優秀な人材確保の為在学中の学生に学士援助をおこなう、いわゆる青田買いも盛んになってきています。

(編集子)コロナの打撃が大きかった米国での若者たち、その現状はどうなんだろうか。日本の学生たちが直面するこれからの問題とどう違ってくるんだろうか。

エーガ愛好会 (92) 黄色いリボン  (34 小泉幾多郎)

先日ちょっとした整理をしていたら昔観た映画のプログラム(写真下左)が見付かり、裏に昭和25年11月3日と記録あり、1950年なら中学3年生だった。 横浜に住んでいながら、ロードショウ劇場である東劇まで行っている。 それだけ前評判も良く期待した筈。 表紙がジョン・ウエインでも騎兵隊でもなく、女優ジョーン・ドルーとは、と不満だったことも思い出した。 騎兵隊3部作のうち、「アパッチ砦1948」も「リオグランデの砦1950」も末封切。 先に作られた「アパッチ砦」はアメリカ占領軍が、偏執狂の騎兵隊指揮官とマッカーサーの連想を危惧したか? 公開を躊躇したともいわれている(1952公開)。

物語りは、カスター将軍の部隊が全滅した直後のスターク砦、ジョンウエインの老大尉は、あと6日で退職になるが、部隊長ジョージ・オブライエン少佐の妻ミルドレッド・ナトウイックと姪ジョーン・ドルーを東部行きの駅馬車の終点へ護送することを命じられる。 ドルーは中尉ジョン・エイガーと少尉ハリー・ケリーJrと恋仲。 斥候の軍曹ベン・ジョンスンの活躍のうちに前進するも、一行はインディアンに行手を阻まれ、砦に引き返す。 その後退役の記念に銀時計をもらった大尉が、在任期間の残りを利用して部下の許へ駆けつける。 その間大尉と大尉を慕う老軍曹ヴィクター・マクラグレンとのやり取りは一種のコメディリリーフとなって面白い。 老大尉は部下と共に、戦闘準備中のインディアン宿営地を襲い、馬の大群を追っ払い戦闘能力を奪うのだった。 最後カリフォルニアに向かう老大尉に、軍曹ベン・ジョンスンが追って来て、中佐待遇で斥候隊長に任命する政府の命令を伝達する。 フォート・スタークでは一同歓迎会を・・・が骨子の筋書きだが、この映画の本質は物語ではなく場面と雰囲気の映画なのだ。
先ずは音楽、「彼女は黄色いリボンをつけていた」はタイトルをはじめとし全編に亘り。 ある時は速く、ある時は遅いテンポで流れ、ドラマティックな効果をあげた。 又センティメンタルソング「忘れえぬ乙女」が、老大尉が銀時計を貰うシーンに聴こえてくる。 音楽の効果は絶大で、全員が、黄色いリボンの歌と共に営門を出たり入ったり伴奏が非常な効果を発揮している。 当時まだSPの時代だが、小遣いで買った初めてのレコードだった。 表、黄色いリボン、裏、淋しい草原に埋めないで。 日本人の合唱団が歌っていたが名称は忘れてしまった。 サウンドトラックというレコードなんかも、LPが出るまでない時代で、映画そのものの音楽を聴くということは出来ない時代だった。
広漠たる荒野の行軍、色彩を得たことでのモニュメントバレーの景観は初めてだったか。 部隊の出発に当たり、ドルーは黄色いリボンをつけて現れる。 これは愛情の印であり、カラーでこそ目立ち恋敵の二人とも自分のためだと思っている。 この雄大な風景の中に、色彩の華やかなインディアンの移動やバッファローの大群がとらえられた。 斥候に走るベン・ジョンスンの見事な手綱捌きや跳躍等々。 雷鳴下の行軍はは実写とのとだが、当時の技術でよくぞあの稲光ㇼが撮れたと思う。 赤く夕陽が画面を染める場面、ウエインが長い軍隊生活のうちに失った妻と子の墓に詣でる哀愁と最後赤く太陽の没する方向に、老い行く者の旅路の果てに吸い込まれて行く方向へベン・ジョンスンが追って行く。 撮影監督ウイントン・ホックはアカデミー色彩撮影賞を受理しているが、この映画こそが、「アパッチ砦」ででも述べたが、ジョン・フォードが愛した西部を描いた先輩画家フレデリック・レミントンの絵のような映画にしたいそのものだったのだろう。
ジョン・フォードは、この後何本もの西部劇を作ったが、この映画でこそ老成したゆとりのままを表しているのではないか。 雄大な風景、鮮やかな色彩の中に枯淡の域に達した名人芸を観ているのだ。 雄大なる風物詩であり、騎兵隊の行動も大きな山もなく、インディアンに追われた他部隊や開拓一家や悪徳武器商人といった殺される場面もあるが、主要人物は一人も戦死したり傷ついたりしない。 当面の敵インディアンも殺すことがない、飽く迄奇襲戦法で、最後の強襲では馬を追い払うだけで、銃を空に向けて発砲している。 雄大な風景を主人公にすることで西部に対する愛着を純粋に示したのではなかろうか。
老大尉を演じたウエイン、「アパッチ砦」の1年後、あの若々しさとは打って変わった髪もヒゲも既に白い、インディアンとの戦闘に愛する妻子の墓標にも僚友に別れ、ただ一人この住み慣れた砦を去 らねばならない孤独と悲愴をしみじみとその演技で表現していたのではなかろうか。 この老け役を堂々とやりこなしたウエインの演技は老人となった今、見直してやりたい。 「捜索者1956」「勇気ある追跡1969」の演技より上?

(保屋野)掲題、初めて観ました。ジョン・ウエインが中々登場しないのでヤキモキして観ていたら、何と、最初から出ていたあの「ヒゲ太尉」がそうだったのですね。・・・もう観る気がしなくなりました。ウエインは「あの顔」でなくては価値無し。そうそう、以前観た、ヒゲ面のグレゴリー・ペックも(何という映画でしたか~拳銃王?)最悪でしたが。

そして、駅馬車、アパッチ砦に続いてまたまた「モニュメントバレー」少ししつこかったけど、あの風景は大好きなので、ま・いいか。 ストーリーは、「つまらなくはなかったけど、傑作というほどではない」・・・西部劇ファンの皆さん、如何でしょう。

「あの娘の黄色いリボン 誰に見しょかの髪飾り」大昔、よく歌いましたね。

(小田)古い映画ですが、カラー画面がとてもクリアで綺麗だと思いました。モニュメント バレーや、妻のお墓での真っ赤な夕焼けの風景は素晴らしいですね。

ただ、所々理解できない箇所が有ります。この騎兵隊駐屯地の全体、建物、人々が分からないので、何故第7隊の200人以上の全滅が伝えられている時に、駐屯地でピクニックに行こうとする二人がいるのか? 妻はよいとしても、姪もこの場所にいて、危険な時に馬に不安定な横乗りをしながら、帰らないとならないのでしょうか?    どうして退役するもう1人の兵と他の兵隊達は喧嘩を始めたのでしょうか等です。又よく見直してみようと思います。
追いやられた原住民に対して、楽しそうな騎兵隊駐屯地の華やかなお祝いのパーティー風景も気になりました。退役近くであっても勇敢な大尉と、その周りのあたたかな思いやりは感じました。
(編集子)小田さん、酒場での喧嘩は訳があったわけではなく、退役直前の旧友軍曹(マクラグレン)が飲み介なのであと2日の間に酒の上での喧嘩でもすれば年金がもらえなくなる。自分はいなくなるのでそれをやめさせられない。それなら今から当日まで、営倉(軍隊での規律違反に対する収容所)にほうりこんでおけば大丈夫だと思った措置だ、ということを、最後の出発前に砦の指揮官(オブライエン)に打ち明けています。ただこの三部作もそうですが、フォードの西部劇にはアイルランド人気質をコミカルに描く場面がちょくちょく出てきます。この作品では、マクラグレンがその対象で、このほかにも、閲兵のシーンで、どこからか野良犬が出てくる場面があります。これは全く脚本になく、実際に犬が紛れ込んでマクラグレンが即興的に対処したということです。おっしゃるように理屈の合わない展開もありますが、小泉さんが喝破されたようにこの作品は物語ではなく場面と雰囲気の映画なのだ、という結論に100%賛成します(その意味でも、またまたいいますが、荒野の決闘、はその最高峰だと思っています)。

 

 

神無月徒然-向島墨堤をそぞろ歩く  (普通部OB 船津於菟彦)


10月6日陽気に誘われ、墨堤を歩いてみました。しかし、
10月というのに真夏日の陽気です。矢張り地球温暖化が進んでいるんでしょうね。でも大川-隅田川-の川風が魂べきの空ととも清々しい散歩でした。

暑い中、墨田区役所からスタートしました。正月には七福神巡りで回るコーズですが、素晴らしい天候に誘われ先ずは枕橋。橋のたもとに小さな祠。
浅草側から見て、隅田川の向こう側にある島が「向島」で、四季折々の風物が美しい行楽地、江戸・明治期を通じて人々に愛されます。向島では、料理屋で浅酌低唱、日が暮れるのを待って、竹屋の渡しから大川(隅田川)を渡り、山谷掘で降りて、土手八丁を進んで吉原へ繰り出したとか。絵葉書にある「向島枕橋」とは、源森川が隅田川に注ぐ河口に架かる源森橋ですが、水戸藩邸の掘割に架かる橋「新小橋」と男女の枕を並べた様に見えたことから、江戸っ子は、「源さん」と「新さん」が枕を並べて枕橋、と粋に小唄に謡ったそうです。
隅田公園は1923年の関東大震災により、壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として、後藤新平の主導により浜町公園(中央区)、錦糸公園(墨田区)と並んで計画・整備されたものです。そこを通り抜けると牛嶋神社で貞観年間(859年 – 879年)の創建。慈覚大師円仁が当地に来た際に、須佐之男命の化身の老翁から託宣を受けて創建した。明治以前は「牛御前社」と呼ばれて本所の総鎮守、鳥居は三ツ鳥居と呼ばれる比較的珍しい形態の鳥居です。
鎌倉に進軍する源頼朝の軍勢が隅田川を渡河する際に、千葉常胤が当社で祈願したため、無事に渡ることができたという。以降、千葉氏の崇敬を集めるようになった。
境内には「撫牛」と呼ばれる牛の像がある。自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられている。
なお、神社には1845年(弘化2年)に奉納された葛飾北斎の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」があったが、関東大震災で現物は焼失し、現在は原寸大の白黒写真が本殿内に掲げられている。なお、同作は2016年(平成28年)に色彩の推定復元が行われ、すみだ北斎美術館にて展示しています。
07.画像1
境内を出ると見番通りと言う如何にも粋な通りがあり、華やかなりしころは向島芸者が沢山歩いていたのでしょう。松阪の豪商・三井氏が江戸に進出すると、守護神として崇め、今では三井家と三越の守り神社があります。
 倉稲魂命(宇迦之御魂神)を祀る旧村三囲神社社は創立年代は不詳。伝によれば、近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを三回回って死んだ。三囲-めぐり-の名称はここに由来するという。神社の屋根の上に小さな白ギツネの瓦が鎮座している。三越池袋店にあったライオンも鎮座している!八重の芙蓉が満開。
三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。
本来は牛嶋神社の隣にあったが、洪水で一度流され、河岸に堤が築かれることになった際に南へ少し移動した。その堤のために、対岸から見ると、鳥居が堤から奇妙に頭だけ出しているように見え、浮世絵などに好んで描かれた。
三囲神社の三つ穴灯籠
神社の境内には、隅田川七福神のうち「恵比寿」・「大国神」が祀られている。
この石灯籠は宝永3年-1707-の銘がありかなり古い。伊賀上野の藤堂高睦が寄進れたと書かれている。見番通りを更に進むと一番大きい伽藍がある、弘福寺(こうふくじ)は、黄檗宗の寺院。山号は牛頭山。本尊は釈迦如来。隅田川七福神のうち布袋像を祀る。
江戸時代前期の1673年(延宝元年)、黄檗宗の僧鉄牛道機の開山、稲葉正則の開基により香積山弘福寺を現在地に移して建てられた寺院である。江戸時代には鳥取藩池田氏の菩提寺であった。関東大震災で罹災したが、1933年(昭和8年)に再建された。
そしてお目当て長命寺(ちょうめいじ)は、東京都墨田区にある天台宗の寺院。山号は宝寿山。院号は遍照院。本尊は阿弥陀如来。隅田川七福神のうち弁財天を安置している。「長命寺桜もち」で知られるが、今や幼稚園の方が大きくなり開園中は正門からは入れない。
平安時代円仁の開山により創建されたとも、慶長年間(1596年 – 1615年)に創建されたともいう。もとは宝樹山常泉寺と号していたが、江戸幕府3代将軍徳川家光の命により現名に改められたという。それは、家光の放鷹の途中で、軽い病気(微恙)になってここで休憩したので、僧孝海が加持のうえ境内の般若水で薬をすすめると、効験あって治癒した。家光は喜んでその井戸水を長命水と名付けて家康の画像を付して毎年供養料を給したという。

1888年(明治21年)の夏、境内にあった桜もち屋月香楼の二階に、正岡子規が仮寓していたことがある。子規は三か月あまり滞在して、『七草集』を書いたが、その「蕣(あさがお)の巻」に含まれる子規唯一の能作品に登場するシテの女のモデルが、月香楼の一人娘山本陸(やまもとろく)である。陸は当時15,6歳で、子規の思慕の対象として噂の種となったとさ。
関東風桜餅は、塩漬けの桜の葉を用いた、江戸に発祥した桜餅。伝統で典型的なものの一つ。東京隅田川の向島にある長命寺という寺院の門前にこの桜餅を作り始めた店舗がある。したがって、関東以外の地域では、関東風桜餅のことを長命寺と呼ぶこともある。
「長命寺の桜もち」は享保二年(1717年)に、元々は寺の門番であった山本新六が門前で山本屋を創業して売り出したのが始まりとされる。隅田川の桜の落ち葉を醤油樽で塩漬けにし、餅に巻いたとされる。もとは墓参の人をもてなした手製の菓子であったといわれ、桜餅の葉は落ち葉掃除で出た桜の葉を用いることを思い至ったからだという。はじめは桜の葉のしょうゆ漬けだったともいわれる。山本新六は下総国銚子の人で元禄四年(1691年)から長命寺の門番をしていた。将軍吉宗の台命により享保二年(1717年)同じ年に側傍の隅田川沿いに北から南へ桜木の植栽が行われ、これを機に花見時に賑わい発展した。記録に、文政のころ(1818-1830年)の桜餅屋のことが上がっている。曲亭馬琴他編の『兎園小説』の中で屋代弘賢が書いている内容から、盛況ぶりがうかがえる。
桜餅一つの売値四文は現在の価値に直すと、推定で米の価格から換算した場合は約63円、大工の賃金から換算した場合は約322円。只今はお茶付きで350円 お土産は260円になりました。
スーパードライホールは、東京都墨田区吾妻橋一丁目にあるリバーピア吾妻橋敷地内のアサヒビールの吾妻橋本部ビル(アサヒビールタワー)に隣接するホールである。1989年竣工。隅田川の吾妻橋のたもとにあった旧吾妻橋工場跡地の再開発で建造されました。
ビルとオブジェは、フランスのデザイナー、フィリップ・スタルクによる設計でホールの1階から3階にはレストランが入っており、4階にはイベントホール「アサヒ・アートスクエア」があります。屋上には特徴的な巨大モニュメント、燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d’or、金の炎)」と呼ばれるもので、アサヒビールの燃える心を象徴するとされる。オブジェが炎を表すのに対して、その下のスーパードライホールそのものは聖火台をイメージしたものだということですが、巷ではウ○コビルとか呼ばれている!何とも奇妙なオブジェですね。

新型コロナは日本人の生活を刷新する神の使者? (42 河瀬斌)

新型コロナの世界的流行は経済を麻痺させ、オリンピックをはじめ、色々な集会に甚大な影響を与え,世界では大戦並みの死者を出しています。日本の経済は立ち直る事が困難かもしれません。しかし日本人にとって、これは悪い影響だけではありません。コロナが今までなかなか改革できなかった日本人の生活習慣を見事に改善してくれているのです。その例を挙げてみましょう。

  • 自宅の地位向上とテレワーク

日本では一世代前の働き蜂より家庭が重んじられるようになりましたが、共稼ぎが多く、夫婦とも不在はよい家庭とは言えません。しかしコロナ禍では残業の帰りにちょっと一杯、という生活は不可能になり、また東京では62.3%の企業がテレ(リモート)ワークを実施したため通勤が減り(注1)、その分家庭にいる時間が増えました。それに伴い自宅で飲みながら家族と話し、家庭の大切さを実感するようになった人が多いことでしょう。これはアメリカ、ドイツでは実現しているテレワークを日本人がやっと手に入れ始めた事にほかなりません。共稼ぎ家庭では親と話す時間が少なかった子供へのスキンシップも改善される事でしょう。現在テレワークが可能な職種は限られていますが、今後はどんどん増加する事でしょう。今後の課題はどう会社が環境整備をするか、テレワーク下でどう連帯感をつくるか、どう仕事の適正な評価をするか、にかかっています(表1)。

  • インドアよりアウトドア志向へ、都内より郊外へ

日本人の好む室内での遊びやインドアスポーツは換気の点で敬遠され、自然の中でのキャンプ,釣りやゴルフなどのアウトドア派が今増加しています。最近の都会の戸建住宅は敷地が狭いため一本の木も植えていません。共稼ぎでは植木の世話も重荷なのでしょう。しかし緑の無い環境から時に脱出したくなるのが人間の生理です。私も都心のマンションに住んでいた時は緑を求めて毎週末ドライブに行きましたが、帰路いつも車の渋滞に悩まされた覚えがあります。そのため自宅を身動きのとれない都会から郊外に買い替えようとする人も増えているようです。これはテレワーク可能な人が通勤という都会囚人の足かせから開放され、ワーケーション(働きながらバケーション)の世界に魅力を感じているからでしょう。自然が近い環境では週末に郊外へ行く必要がないので,テレワークが進めば必然的に郊外へ移住する人が増えるでしょう。都心の企業もオフィスをより賃料の安い郊外へ移すことも増えているようです。

  • 衛生習慣の飛躍的向上

日本人は握手、ハグなどの習慣が無く、マスクも抵抗ありませんでしたので、それで西洋人より圧倒的に少ない感染数で済んでいました。コロナ以前は車内やデイスコでの三蜜や手を洗う事には無関心でしたが、最近はレストランも席の間隔を空けてパリのように屋外に席を出しはじめ,アルコール消毒も完備して欧州並みになりました。今後は過密で不衛生なレストランやパブがなくなるのは目に見えています。コロナ下二年に及ぶ現在の衛生習慣はきっと日本人に根をおろすことでしょう。そのためか、インフルエンザなどの他の感染症の流行が今全く陰を潜めているのです。

  • AIの普及によるお役所参りの減少

お役所でのAIの普及は菅総理の政約です。世界に遅れていたお役所仕事、「印鑑は?」「あそこの部署、役所に行って下さい」も次第に少なくなり、簡単なことは自宅からオンラインで済むようになるでしょう。それに合わせて役所の台帳をAIに変えるまで3年位かかるかもしれませんが、色々な契約書もオンラインでハンコ無しとなれば、テレワークもやり易くなるでしょう。今後病院も再診、投薬など単純な業務はオンラインで出来るようになるでしょう。それにしてもマイカードをAIT改革やワクチンパスポートにもっと役立つようにしてもらいたいものです。

  • 無駄な外交支出の節約と日本文化の危機

日本ではおつきあいの為の無駄な会合や冠婚葬祭が多く、その為の支出や贈答品がばかになりませんでした。家計を削ってまでそちらに回す必要もあったでしょう。コロナはそれらの無駄な会合を削減する良い機会になりました。その分を家庭や子供の教育の支出に回せば、豊かな家庭生活が送れる事でしょう。一方中止を余儀なくされた日本の世界に誇るべき文化、地方の祭りや日本画,日本舞踊などの芸術を保存することは最も重要です。日本各地の祭り、花火などは外国にない素晴らしい文化です。今、これらの文化が存亡の危機に直面しています。文化芸術は廃れた場合は回復するのに30年はかかるのです。ワクチンが行き渡りましたら、その分をこちらの方にまわして楽しむと同時に、日本の大切な文化芸術を保存しましょう。

 

(提言)コロナウイルスは変異を繰り返していますが、幸い今のmRNAワクチンは多少の変異にも効果があるようです。しかしいずれはワクチンも効果が薄れ、変更する必要が来るでしょう。それに応じて新しいワクチンを繰り返し接種する必要があるので、ウイルスと人間は5年間は共存(競存)することになるでしょう。その長期戦の中でウイルスを悪者と見る事に終始せず、「自己の生活を刷新するため神が送った使者」と考え、自らを前向きに変えてゆく事が、コロナ禍を乗り切る秘訣ではないでしょうか。いじめや引きこもりなどの子供の問題,親の運動不足による肥満、そして離婚の増加や子供の虐待などはそのほとんどが都会病です。日本は世界一緑豊かな国ですので、この機会に今の生活を見直し健全な家庭を築きましょう。社会も変革するであろう、その5年後はあっという間に来るものです。

 

注1:2020年度ニッセイ景況アンケート調査結果による

 

表1:テレワーク体験者の評価(GPTW ジャパン報道発表から)

リモートワークを肯定的に感じた人の理由(上位5項目)

会社が働き易い環境整備をしている                    57.0%                                 コミュニケ ーションが活発で人間関係が良好   29.7%                               テレワーク下でも連帯感を感じる        24.1%                                会社の将来性を感じる             22.8%                                  必要以上の監視,管理がない          18.4%

テレワークを否定的に感じた人の理由(上位5項目)

組織の連帯感が感じられない          41.9%                                   会社の将来性を感じられなくなった       25.8%                                    公正に扱われていない             17.2%                                      適切に評価されていない            17.2%                                     仕事で自分の成長を感じられない        15.1%

 

横尾忠則展へ行ってきました  (44 安田耕太郎)

芸術の秋!錦繍の秋、味覚の秋 の中から今日は「横尾忠則展」@東京現代美術館に行ってきました。都心を東西に横切り地下鉄で1時間乗り継いで、江東区の清澄白河まで。船津さんのお宅から近いのでしょうか?帰りには清澄庭園に立ち寄り、散策。江戸時代の豪商・紀伊国屋門左衛門の屋敷だと伝えられ、明治初めの岩崎家(土佐出身の三菱創業者)が買い取り、現在に続く庭園にしたとのこと。松尾芭蕉の住居からも近く、「古池や蛙飛びこむ水の音」の石碑が庭園内にありました。

写真撮影はNG。600点を超える膨大な作品群に

最も感嘆した5歳の時に描いた絵

度肝を抜かれ圧倒されました。S11年生まれの今年85歳。いまだ現役で制作中。数年前、六本木の国立新美術館で開催された草間彌生(当時87歳)の展覧会2017年にも魂消ました。横尾忠則は40年前にNY近代美術館(MOMA)でピカソ展に触発され画家への転身を決意。今月3日にNHK日曜美術館で彼の特集番組を見て、こりゃあ、展覧会に行かねば~と、思った次第。アンリ・ルソー、ダリ、アンディ・ウォーホル荒木経惟、ジャクソン・ポロック、ピカソなどからの影響があるように感じられました。三島由紀夫と親しくなり、彼を題材として描いた絵画が幾枚かありました。

 

花と虫    (大学クラスメート 廣明幹雄)

ヒマに飽かせて、季節の花とか、花に立ち寄る虫たちを撮っています。
今回は、初秋の花に立ち寄る虫たちのスナップです。

1.キバナコスモスとシマアブ

キバナコスモスは夏から秋まで多くの花を付けてくれます。
キバナコスモスは普通のコスモスが盛んに咲くやや少し前に、種を沢山つけて、花期を終えます。シマアブは9月~10月ごろキバナコスモスを訪れます。

2.キバナコスモスとキアゲハ

キバナコスモスは前述したとおり、夏から秋まで咲いています。
キアゲハはシマアブとほとんど同じ時期にキバナコスモスに寄ってきます。丁度ヒガンバナが咲く時期と一致します。
キアゲハはキバナコスモスがとまると重量で花が下を向いてしまうので、羽根をばたつかせながら(花びらが上を向いている状態で)蜜を吸います。羽根の羽ばたくサイクルが少ないのでホバリングとは云えませんが、花が大きく揺れるので撮りにくい場面が続きます。

3.センニチコウ(千日紅)とウラナミシジミ

センニチコウは花期が長い花ですが、花の取材に行ってたまたまウラナミシジミの写真が撮れました。自宅には無い花なので観察不足ですが、ご近所さんの庭を覗いて見ると、かなり長い間しおれずに咲いているようです。

4。ハギ(萩)とウラナミシジミ

ハギは近くの禅寺の参道にあるハギで、例年花の写真を撮るのが年中行事です。
ウラナミシジミも多分他の花から花へと移ってきてハギにたどり着いたに違いありません。アクロバチックな形で風に揺れるハギにしがみついています。
小さな虫たちが懸命に生きているのに勇気づけられます。

5.ユリオプスデージーとヒメヒラタアブ

ユリオプスデージーは花期の長い木で、真冬と真夏以外は花を付けています。重宝な菊の灌木ですが、小さく仕立てることは可能です。
一方、ヒメヒラタアブは1センチに満たないアブで、ホバリングしながら蜜のある花を探します。

6.ホトトギスとホウジャク(蜂雀)

ホトトギスは関東地方では9月~10月に咲く花です。
けばけばしい花で、蜜は花の奥の場所にあるので、口先が長い虫しか蜜を吸いにやって来ません。
ホウジャクは涼しい時期になると飛来します。、気温が20℃を下回らないと活発に活動しません。我が家に廻ってくるホウジャクは、朝もしくは夕方の薄暗い時間帯に飛来します。ホウジャクは花に止まると花が重く垂れ下がるので、ホバリングしながら蜜を吸います。ブーンという音がします。
朝だと日の出寸前とか、夕刻だと薄暗くなってからです。

(編集子)61年度卒業の小生のクラスは、博士級大秀才から尺八の名人に俳人にレスラーにピアニストにと枚挙にいとまがない才人秀才の集まりだった。毎日、部室には必ず行くが教室には必要最低限しか顔を出さなかった小生には多少居心地のよくないところもあったが、その中で名をはせた硬骨漢(論客であった飯田武昭ともいい勝負だった)が、当時の印象とはかけ離れて花鳥風月の日々を送っているらしい。かれの主宰するブログもご覧いただければうれしい。以下、関連情報。

 私は自分のホームページとブログは共にハンドルネーム(ペンネーム)を使っ
 ています。ホームページは「ひろさん」、ブログは「善人閑居」という名前
 です。

 ブログの URL は https://blog.goo.ne.jp/micky333

 ひろさんの旅枕 の URL は
 http://www5.airnet.ne.jp/hiromi/index.html
  です。

 

 

 

近頃の若者は・・・・(HPOB 菅井康二)

一部の筋でちょっと話題になった同窓の後輩にあたるある若者のことお伝したいと思います。史上最年少で司法試験に合格した大槻凛くんという青年(むしろ少年?)のことです。

皆さまご存知かとは思いますが、かつては法曹三者(裁判官、検察官、辯護士)になるためには旧司法試験制度(一次・二次・短答式・論文式・口述)という超難関をクリアする必要があったのですが2004年に創設された法科大学院制度によって、法科大学院修了後5年以内に司法試験(短答式・論文式・口述)受験するという制度に変更されました。諸事情で法科大学院に通うことができない法曹三者志望者のために司法試験予備試験という制度が設けられこの予備試験の合格者も司法試験を受験することができます。合格率からみると難易度は旧司法試験≒司法試験予備試験のようです。この司法試験予備試験の合格率は約4%と非常に狭き門となっています。記事中にもありますが法科大学院修了者の司法試験合格率は約35%(東大、京大、慶應、早稲田の法科大学院はもっと合格率は高い)であるのたいして司法試験予備試験合格者の合格率は93.5%となっています。大槻凛くんは塾高3年生でこの司法試験予備試験に合格し、今年塾法学部に進学して受験した司法試験に合格したそうです。法曹を目指した動機や高校生としての勉強方法などに関してはリンクした記事を読んで頂くとして、その頭の良さや勉学に対して努力を惜しまない姿勢もさることながら以下発言のようなとても19歳の青年とは思えないしっかりとしたモノの考え方には吃驚しました。

>>はい。やっぱり教養って大事だと思います。極端な話、いま大学を中退して、司法修習を受けて、弁護士になりました、ということも理論上は可能です。けれど「こんな若いやつに相談や依頼をしたいですか?」と聞かれたら、頼みたくないと思うんですよ。

法律家は、法律の知識だけで仕事をしているわけじゃないと思うので。教養という面で考えても、やっぱり大学に通う意味はある。よりよい法律家になれるんだろうなと考えています。

そして、これから勉強に限らず、幅広く社会経験も積みたいです。今まであまりしてこなかったので、いろんなことに手を出したいです。その一つとして、留学があると思いますし、英語もそうですし。法律と全然関係のないアルバイトもしたいです。<<

いい大人でも舞い上がりそうな状況なのに19歳にしてこの自覚が凄いというか素晴らしいです。若くして自分の才能を認めてくれる証左を手に入れた場合はある種の全能感に浸って傲慢になりがちですがそんなところが全くなく謙虚です。

大槻凛くんは幼稚舎から慶應なので、中学〜大学受験の勉強をする必要がなく興味を抱いた分野に没頭することができる時間を持っていたことが年若くしてこの資格試験に合格できた由縁だといえます。そして彼をそういう環境で育てるためには親の意志や経済力(幼稚舎6年間の学費は約750万円、新設された横浜初等部は約950万!)が必須であり社会の格差は人格形成を含め人材育成にも大きな影響を及ぼしていると感じた次第です。

(安田)最近よく話題としてマスコミ・テレビでも取り挙げられているのが、経済格差による教育格差の問題の深刻化です。日本よりアメリカの状況が酷い。例えば、東部の名門アイビー・リーグ私立大学の授業料は年間$5~6万(約600万円)する。日本の私立大学の5倍ほどか。教育格差が社会に出てからの成功の格差を産み、結果として階層を硬直化、固定化させ益々格差社会と経済格差を助長させています。そして、この問題をより深刻にしているのは格差が世代を超えて引き継がれる傾向が高いこと。住むコミュニティーなども日本などより貧富の差が峻烈で、地域格差も顕著で犯罪の温床ともなっていて、弱肉強食のアメリカ社会の恥部の一つになっている。日本と違い国民皆保険制度のないアメリカでは、貧困層は病気になっても高額な医療もまともに受けることも出来ず、富裕層との寿命格差をも産んでいる。

エーガ愛好会(91)  アパッチ砦 (34 小泉幾多郎)

ジョン・フォード騎兵隊三部作の第一作。軍人の精神の鑑として扱われていた第七騎兵隊全滅の事件を、カスター将軍の方に非があったとおそらくは初めて批判的な眼で扱った作品。これ迄は、ラオール・ウオルシュ監督「壮烈第七騎兵隊1942」のようにもっぱら軍人精神のような角度から扱われていた史実だが、何か問題を起こし、責任をとらされたか、 アパッチ族との抗争が絶えない辺境の地に左遷させられたサーズディ中佐(扮ヘンリー・フォンダ)が、アパッチ族を掃討することで呼び戻されることを望み焦りの気持ちに陥っていて引き起こした悲劇、という話になっている。                                            例によってモニュメントバレーの中を向うかう駅馬車の疾走シーンから始まる。赴任する中佐とその娘フィラデルフィア(シャーリー・テンプル)とが乗っている。其処に。その娘と懇意になった士官学校卒のオローク少尉(ジョン・エイガー)も赴任のため馬で一緒する。好きになったフィラデルフィア俗称フィルが父の眼を盗んでコンパクト鏡で馬上のオロークを眺めるのが可愛い。途中の中継所で軍曹たちが出迎え、当然中佐のためと思いきや、電信不通で連絡がなく、自分でなく大尉の出迎えと知り愕然とする。それでも軍曹たちの執り成しで、砦に到着、懇意だったコリンウッド大尉(ジョン・オブライエン)やヨーク大尉(ジョン・ウエイン)と対面、引継ぎは問題なく終わる。オローク大尉の父は軍曹(ワード・ボンド)、母はフィルの亡くなった母と懇意だったこともあり、フィルはその一家と直ぐ打ち解け、オロークとの仲も深まる。名刺交換は日本の慣習とばかり思っていたら、当時の軍隊で初対面で名刺を渡すことが義務ずけられていたとは驚き。父より息子オロークの方が位が上、仲間のマルカーヒー軍曹(ヴィクター・マクラグレン)たちに、息子の上官としての訓練ぶりを聞くところ等微笑ましい。その後、騎兵隊の輸送馬車が襲われたりした頃、フィルとオロークが遠乗りに出掛け、父の中佐に大目玉を食う。中佐は家柄の違い等を理由にして二人の交際を禁止する。

騎兵隊とインディアンの抗争の一番の理由が、インディアンに連発銃や酒を売りつけていたミーチャム(グラント・ウエザース)という男。そもそも政府の官僚でありながら、インディアンを堕落させ追い詰める裏工作を行っていた。ミーチャムを捕えた中佐は、ヨーク大尉からインディアンの有力者コチーズと話し合うことを提案され、ヨーク大尉は通訳の部下ビューフォート軍曹(ペトロ・アルメンダリス)を連れて、白旗を掲げコチーズの許へ。コチーズはスペイン語を操ることの出来る知的で高邁なる人物で、コチーズとは和平が成立したものの、その約束にも拘らず、中佐は連隊全員を招集し強襲すると言い出す。アパッチ族の罠に気づかない中佐は出動を命ずるが、ヨーク大尉は反対し、抗命の理由で、任を外される。中佐は全軍を率いて突撃するが、重囲に落ちて全滅してしまう。誤った一人の上官の命令に従わざるを得ずあたら命を失ったかっての日本軍にも思いを馳せざるを得ない。アパッチの攻撃に備え十数人の兵士たちが銃を構え、めいめいがポーズをとり、滅びゆく一隊の悲愴美を漂わせる様。冒頭からのモニュメントバレーを疾走する駅馬車、馬上で駆け抜ける二人の男女の姿、騎兵隊の出発、砦でそれを見送る妻たちの顔等々、人間たちと巨大な西部の自然との溶け合いよって造形された風景。これらはキャンバスに描かれた絵のように美しい。西部に住みこの地を愛しその風物を描き続けたフレデリック・レミントン(1861~1909)という画家がいたそうで、ジョン・フォードはこのレミントンの絵を愛していたという。映画制作にあたり、レミントンの絵のような映画にしたかったと語ったと言われている。モニュメントバレーを愛していたが、その中の人間のいる西部の風景を愛していたと言えるようだ。

後日、新任の隊長として、記者会見に臨んだヨーク大尉が言う「我が隊の士気は以前より高い。これはサーズデイ中佐の功績だ。」この言葉で、中佐の偏屈さは、軍人精神の正義の守護神として入れ替わってくれたのだった。ヨーク大尉の機転で、後方部隊で生き延びたオローク大尉はフィルと結婚し子息にも恵まれる。蛇足になるが、現実に、映画の3年前に、ジョン・エイガーは妹の同級生であったシャーリー・テンプルと結婚していたが、有名人テンプルの夫という重圧から、酒に溺れ、結婚後5年で破局している。「黄色いリボン」以降、それでも低予算作品、TVドラマ等へ出演し、81歳まで生きた。テンプルは、ご承知のように、子役時代からの映画界キャリアも凄いが、後半生30年に亘り外交等の公職を歴任した。

(編集子)ダコタ州ブラックヒルズで金鉱が発見されたのは1874年であるが、このあたりは先住民族との間の協定で彼らの居住区となっていた。貪欲な資本家に押された政府は協定を無視したため、この地域に白

ブラックヒルズ山地

人の山師たちが集中して、金鉱発掘ブームとなる。これに激怒した先住民側は部族を超えて団結,強力な抵抗運動を始める。1876年、カスター将軍は周囲の反対にもかかわらず自分の率いる第七騎兵隊のみで地域に進攻し、圧倒的な兵力差の下で全滅した。これを映画化したのが小泉解説にある 壮烈第七騎兵隊でカスターを当時人気の高かった

壮烈第七騎兵隊の江ロール・フリン

エロール・フリンが演じた。添え物の女優役はやはり絶頂期にあったオリヴィア・デ・ハヴィランド。この戦闘がきっかけとなって、小康状態にあった西部地域が先住民族との激闘に巻き込まれる。名高い酋長にジェロニモという男がいて白人たちの恐怖の的になった。”駅馬車” のトップシーンは電信線を破壊されて重要な情報が届かなくなる場面から始まるが、電信手が最後に受信した単語が ジェロニモ! だということでその場に恐怖が走ったのをお気づきだったろうか。ただ、こういう史実を知ってみると、こういう国に、ウイグル人問題などで正義を振りかざす資格なんてあるんだろうか(だから習近平が正しいというのではもちろんないが)と思ってしまう。所詮、歴史は勝者だけのものなだろうが。

さて、いよいよジョン・フォード騎兵隊三部作、の登場である。アパッチ砦で若き大尉だったウエインは リオグランデの砦 では妻(モーリーン・オハラ)と別居を余儀なくされた中年の役を演じる。結局元の鞘に収まるきっかけは一兵士となってウエイン部隊に配属された息子(クロード・ジャーマン・ジュニア)の

リオグランデの砦

活躍になるのだが、この息子の後ろ盾となるのが同じ兵士仲間の ベン・ジョンソン、ハリー・ケリー・ジュニア。彼らの指導役の軍曹になったヴィクター・マクラグレン、グラント・ウイザース、チル・ウイルス、キャロル・ナイシュ、ワード・ボンド、ペドロ・アルメンダリス、などを加えた面々がいわゆる フォード一家、と呼ばれた人々である。ハリー・ケリーの父親はフォードと同時代に名プロデューサー兼俳優として尊敬されていた人で(赤い河 では締めくくりに登場してクリフトから牛を買い付ける紳士を演じている)、フォードは彼に対する敬意もあってジュニアをよく登場させた。三部作最後の 黄色いリボン はすでに老齢に達したウエインが引退を前にして若い士官たちを助けて、夕陽の中を去る。ただ、最後の最後に大統領令で彼はもう一度、”スカウト” として隊へ呼び返される。

ベン・ジョンスン

この通知を持ってカリフォルニアへと落ちていくウエインを呼び戻すのが、小生のお気に入り、ベン・ジョンソンである。三部作のうちで最も好ましいこの作品、機会があればお見過ごしなきよう、おススメしておく次第。なお面白いことにウエインの演ずる大尉が前2作ではヨーク、なのに黄色いリボンではブリトルズと名前が変わっている。なぜだか、わからないが。

 

三部作、のほかにフォード一家の登場する映画は数々あるが、三人の名付け親 という名画は、話の筋から言ってあまり多くの人物が登場せず、ウエイン、アルメンダリス、ケリージュニアにワード・ボンド、この4人だけのつまりフォード一家の映画といってもいいものだ。この連中のほか、女優でよく出てきたのがミルドレッド・ナトウイック。大物ではジェイムズ・スチュアートとリー・マーヴィンもフォードのお気に入りだったらしいが(この二人が主演したのが リバティバランスを射った男 である)、一説によるとウエインとマーヴィンは犬猿の仲だった、という裏話もある。

時々話題になる、作家というか、くせものリポータ広瀬隆に ジョン・ウエインはなぜ死んだか という一冊があり、彼の言うところによればウエインの死因となった癌に感染したのは、彼が数多くの西部劇映画撮影の場所としたネヴァダ州の砂漠地域が、実は同州で数多く行われた原爆実験の場所だったからだ、という。この本によれば 三人の名付け親 で共演したペドロ・アルメンダリスも癌の宣告に絶望して自殺したのだというのだ。この作品で、砂漠の放浪の果て、アルメンダリスはこれ以上歩けなくなった、と知り、コヨーテに食われるよりは、と言って、ウエインが背を向けたときに自殺してしまう。なんだか不気味な話ではないか。

も一つ、関係ない話だと思うが、僕らの高校時代に華やかだった歌手、ドリス・デイに、日本語の題名はわすれたが Take me back to the Black HIlls という曲があった。歌詞に ……Black HIlls of Dakota という一節があるので、同じ場所のことだと思うのだが、映画でも活躍した金髪の、誠にこれぞアメリカンガール、と感じさせた風貌はまだ瞼に鮮やかである。もっと無関係なことでいえば、Secret Love なんてのもあったなあ。も一つ余談だが、昨晩の夕刊にニューミュージック170曲、というCDの広告があった。数えてみたがちょうど1割17曲しか知らなかった。歌は世につれ、だろうな。

 

 

 

 

(承前) 国領駅  21時

(中司)ワイフが大河ドラマを見ている間に散歩してきた。

地下化した駅の上が広場になってバスタクシー乗り場を兼ねている。調布市の触れ込みでは跡地は緑の森になる……..はずだがまだなっていない。蒼海変じて桑田となり、山芋海に入りててウナギとなる、の類であろうか。
(菅原)ウソだろう。これがあの国領とは俄かには信じられない。あの頃から較べると、まるで未来都市って感じだな。50年ほどでこうも変わってしまうのか。いまだに信じられない、本当なのかね。駅以外何もなかったよ。それだけ馬齢を重ねたってことか。まさかなんかの映画のセットじゃないのかね。とにかく、吃驚仰天!!わざわざのご連絡、誠にかたじけない。

(中司)有為転変 往事茫々 驚天動地  階前の梧葉既に秋声 嗚呼古城何をか語り 岸の波何をか語らん 受験英語なら time really flies,  というやつよ。

 

乱読報告ファイル(10)    ランシマン  民主主義の壊れ方

香港、ミャンマー、アフガニスタンとここのところ政変が相次いでいる。表面的には安定しているように見えるトルコだとか、ウクライナなどでも国内事情はいろいろと波乱含みのように見える。そして共通に語られるのが民主主義の危機、というテーマである。だいぶ前にフランシス・フクヤマという政治学者が書いた 歴史の終わり という本が有名になった。この本は今や世界の国々は民主主義を基盤にする段階に到達し、イデオロギー論争は問題でなくなった、と主張し、民主主義は変わらずに存続しつづけるだろうと断じた。しかし現時点において、彼の主張はどうやら誤りか、もしくは時期尚早な結論であったのではないか、と思い始めていたので、散歩帰りによったいつもの本屋で、(例によって)衝動買いしてしまったのが本書である。

本書はトランプ政権が誕生した米国の社会事情についての考察から始まっている。一部の人々はトランプによってアメリカの民主主義が破壊された、と主張するが、著者は米国の民主主義そのものはトランプ一人によって破壊されるほど脆弱ではない、と断じたうえで、一方、トランプのいかんにかかわらず、民主主義そのものは壊れかけているのだ、と主張する。それはどうしてか、なぜか、という考察がこの本の主張である。著者は民主主義、という考え方を定義して、個人の尊厳と社会の長期的利益を両立させる政治思想であるとする。その意味で言えば、中国は長期的利益は上げているものの個人の尊厳を重視しない社会であるから(当然だが)民主主義とは言えないことになる。西欧諸国をはじめとする民主主義国はこの二つの原理の追求をしてきているわけだが、その思想そのものが次の三つの事象、すなわち、

(1)クーデター  (2)災害などの大惨事   (3)テクノロジー

によって、崩壊の危機に瀕しているのだ、というのが本著の文脈である。

1のクーデターの最もわかりやすい例は最近起きたミャンマーの件などがあるが、著者は街に戦車が侵入してくるような事件だけがクーデターではなく、現実問題として起きているのは、政治の世界で表面に暴力行為は現れないものの、勢力の交代のような形で、現実の政府の意向がすり替えられてしまうことも含まれている。我々には事情が複雑すぎてよくわからないのだが、たとえばトルコで起きていることはそういう意味ではクーデターが起きたのと同じことなのではないか、といったことである。

2では大規模の自然災害や環境破壊などの結果、社会の安定性が復活せず、当面の対策の連鎖の中で、本来の民主主義とはあいいれない結果が生まれてしまうことを指している。有名な ”沈黙の春“ という環境問題をとりあげたカーソンはこの本によって破壊されつつある自然に対する社会的反応を呼び起こし、政府に必要な規制強化を促したが、これは実は民主主義の世界だったからこそ可能になった。しかし昨今では化石燃料によって大規模な経済成長を可能にした国々の抵抗や、先進国のビッグビジネスの利益を確保するためのロビー活動などの結果、現実に起きていることは民主主義の基本倫理には合致していない。

3についての著者の見解は、インタネットを基盤として爆発したテクノロジーが与える影響である。トランプ大統領はツイッターを利用して、直接国民に訴えることで個人の意見が政治に直結する、これが民主主義だという誤った印象を与え、個人の意向にそぐわない政治が行われるのは目に見えない何者かが政治を動かしている、といういわゆる陰謀論を惹起し、米国の分断に拍車をかけた。著者は特にフェイスブックのいわば跳梁に極めて厳しい見方をしている。

本書の主張する3ポイントの中で特に興味を持ったのが テクノロジーの影響という項目である。僕は高校3年の時に授業で読んだエリッヒ・フロムの 自由からの逃走 という本に影響を受けて、大学では経済学部ながら社会思想史のゼミに加わり、卒業論文にこのフロムを選び、彼が主要な論客のひとりとされていた 大衆社会論 という考え方に共鳴した。自由からの逃走 は巧妙に作られたナチの世論操作によってドイツ人がヒトラーの狂信思想のわなに陥ってしまった事実を取り上げ、そこから導かれた 匿名の権威(anonymous authority) という考え方を提示した。具体的に言えば、マスコミュニケーション(当時は新聞が主力であり、テレビはまだ始まったばかりであった)が読者に対して与える影響である。マスコミが結果的に伝播させてしまう考え方や思想、それが決して権力者や主導者といった明確な意識を読者に持たせずに社会の意識や行動を左右してしまう。その結果社会の動きがいつ、だれが主導したかも気がつかないうちに作られてしまう、という現実をフロムは主著 Sane Society (正気の社会) のなかで鋭く指摘したのだ。僕自身、昨今のネット社会の現実を見て、彼が主張した大衆社会、という現実がすでに起きてしまった、と考えているので、たまたまフェイスブックだけがランシマンの指弾を受けているが、大きな意味でかれが民主主義を破滅させるだろう要因としてテクノロジー、という項目を取り上げたのに全面的に同意するのである。

ほかに本書の中で面白いと思ったのは、著者が日本を彼があげた民主主義のもたらすべき長期の成果・安定という意味ではほかの西欧諸国からみて一時の成果を上げたけれども結果的には失敗した国だ、と明言していながら(確かに数字だけ見ればそうなるかもしれない)、別の個所では後世、21世紀の日本という国は素晴らしい国だったとされるだろう、といわば矛盾した観察をしていることである。これは彼の言う第一の視点、個人の尊厳、ということを指しているともとれるが、なぜ日本が一転して成功例となるのか、説明はない。長期的利益、が単なる数字だけでは測れない、ということなのだろうか。もしそうなら、彼の前提となる民主主義の定義そのものも変わってしまうのだが。

(船津)「民主主義」とは?戦後、米国は日本の占領政策で「菊と刀」を深読みし過ぎ、でつ徹底的に「米国民主主義」を教え込んだ。そして、財閥解体の為も含め、共産党の台頭まで許した。矢張り行き過ぎたと思い急展開で民主主義を修正した。そんな生焼けの「日本民主主義」は朝鮮戦争で瓦解!

今は「日本人の愛の有る主義」か。求められて復古調に戻る懸念もある。世界はトランプが投げた「自国主義」に向かっている様だ。
中司さんが投げかけた、「乱読」のカケラは世界に問われるべき問題だと思う。どうすれば、みんなが普通の幸せを得て生活できるか?昔の「民主主義」は変容しよと踠いている。「乱読」有難う御座いました。いまや「マスゴミ」とメディアも軽んじられている。さてさて!

(小川) ブログの「民主主義の壊れ方」面白く読みました。乱読とはいうもののこのトシになって凄い読書家ですな、畏れ入ります。最近では新聞読むのも苦痛になってきてYouTubeやテレビで何とか世の中に付いて行っている小生とは大違いです。最もマスコミに支配される種族に自分がなってしまっております。

 なるほど「テクノロジー」で民主主義が壊されるという見方は面白かったです。最後の21世紀の日本に対する見方についてはいささか皮肉が混じっているかも。新しい資本主義を唱えているわが国の首相(安部傀儡)政権の評価を聞かせて下さい。

(菅原)共産主義、社会主義、民主主義、共和主義、現実主義、などなど、Feminismも含む、全てイデオロギーです(要するに、何とかism)。唯一の例外は、現実主義。従って、イデオロギーは、それにそぐわないことを無視、黙殺、敵視します。民主主義もその例外ではありません。だから、壊れるんでしょう。一度、現実主義に立ち戻るべきではないでしょうか。これは、我が尊敬する、司馬遼太郎の思考の受け売りです。