25年12月 月いち高尾   (51 斎藤邦彦)

令和7年最後の「月いち高尾」は忘年山行と銘打って冠雪の富士山を高尾山と高川山の両方から眺望する企画としました。絶好のコンデションのもと大いに楽しめた一日でした。

1.日時:令和7年(2025)12月23日(火)
2.コース別の山行記録(敬称略、()内は昭和卒年)

(1)シニアコース <参加者(16名)世話人:村上祐治>

鮫島弘吉郎(36) 中司恭(36)大塚文雄(36) 高橋良子(36) 浅海昭(36) 鮫島弘吉郎(36) 遠藤夫士夫(36) 三嶋睦夫(39) 岡沢晴彦(39) 立川千枝子(39) 藍原瑞明(40) 武鑓宰(40)相川正汎(41) 保屋野伸(42) 下村祥介(42) 猪俣博康(43) 村上裕治(46)中里幸雄(51)

<山行記録>

〇ロープウェイ組:高橋良子、鮫島弘吉郎、浅海昭、遠藤夫士男、大塚文雄、岡沢晴彦、三嶋睦夫、立川千枝子、藍原瑞明、武鑓宰、相川正汎、猪俣康博

〇稲荷山組:下村祥介、保屋野伸、中里幸雄、村上裕治

往路は、トップの保屋野さんが飛ばして、1時間30分を切り、皆さん満足でした。 復路は、郵便道(逆沢作業道)経由、日影バス停まで、50分で下り、誰にも出会わず、静かな奥高尾でした。  その後、旧甲州街道を少し歩いて、珈琲自家焙煎店「ふじだな」まで行きました。火曜は、お休みで残念!

(2)一般コース(世話人:斎藤邦彦)<参加者(11名)>

安田耕太郎(44)徳尾和彦(45) 家徳洋一(50)保田実(51)五十嵐隆(51)斎藤邦彦(51)後藤眞(59) 鈴木一史(60)木谷潤(62) 齋藤伸介(63)大場陽子(BWV)

<山行記録>

アプローチ 高尾駅7:40⇒(中央線50分)⇒8:30初狩駅
集合:JR初狩駅前8:30

コースタイム(登り418m1時間40分)(下り583m1時間30分)

初狩駅458m8:30⇒(30分)⇒高川山登山口559m9:00⇒(20分)⇒9:20男坂女坂分岐  730m9:50⇒(50分)⇒10:40高川山976m11:10⇒(1時間30分)⇒12:40山梨リニア実験センター13:15⇒(バス15分)⇒13:30大月駅 13:48⇒(JR中央線37分)⇒14:25高尾駅

駅から直接登れ、均整の取れた富士山の眺めを始め360度のパノラマが楽しめる人気の山としての高川山に登るコースです。全員が時間通りの電車で8時30分に中央線の初狩駅に集合。気温零度近い寒さの中、準備体操の後出発しました。

快調に住宅地を抜け登山口から参道に入る。木の根が張り出した道や九十九折りの道を辿り男坂/女坂の分岐まで進む。ここで一本を取り服装の調整と数人からのお菓子の振舞いを受ける。休憩後は迷わず男坂に取り付きところどころにロープ場がある急登をぐいぐいと高度を稼ぐ。8合目あたりから樹間に頂上に雪をかぶった富士山が見え始め元気づけてくれる。そのまま頂上までほぼコースタイム通りの歩みで到着、180度のパノラマが開ける。早速富士山をバックに記念写真をとり、楽しい昼食時間となった。

下りは古宿ルートを一気に下りリニアモーターカーの見学センターに出て富士急行の路線バスで大月駅まで帰途に着いた。

(3)懇親会

<懇親会の模様>

いつものように谷合さんのご厚意で天狗飯店を貸切りにしていただき、ゆったりと懇親を楽しむことができました。また今回は24人と参加者が多く大御所の36年卒業組が7人の参加で大変にぎやかな会でした。

(4)フォトアルバムは以下のURLからご覧ください。(期間限定でのアップですので必要な写真はダウンロードして下さい。)

https://photos.app.goo.gl/GBrwFa9XqaV8G3rG9

 

 

 

KWVOB、熊に遭遇の記    (51 五十嵐隆)

8月10日(日)に知床半島の羅臼岳に岩尾別コースを使って会社員時代の山仲間3人で登りました。大きく報道された熊に襲われた犠牲者が出た4日前、同じコースです。

事前の準備として前日に地元の知床財団が運営する知床自然センターで熊避けスプレーをレンタルしました!ちなみにレンタル料金は一日1100円でした。レンタルの際には使い方のレクチャーを受け、現在の知床での熊の問題提起した短編映画を見ました。

また、登山口の木下小屋に宿泊し小屋の主から情報を聞きましたが「ここの熊は大人しくて人を襲ったことは一度もない。」とのことで、あまり危機感を抱くような内容ではありませんでした。この日は天候もよく無事に頂上付近の大きな岩場が続く難所を何とかこなして登頂を終え、下りを半ば過ぎたあたりの登山道で休憩してやや安堵感に浸っていた時でした。10人ほどのパーティーが下から登山道を登って来て、悲壮な表情で「さっきから親子熊に追いかけられている。あなた達も早く逃げて!」と言われ慌ててザックを背負って登山道を登り返し始めました。

すでに羅臼岳に登頂したあとなので体力的にも余力がなく、登山道で親熊にすぐ追いつかれました。我々のパーティーが最後尾だったので熊との距離はかなり近くなり緊張感が高まりました。仲間が熊避けスプレーを取り出しで発射の準備を始めたときに幸運にも熊の方で脇道に逸れてくれました!写真はそのときに仲間が撮ったものです。

熊が去ったあと、先に逃げ登ってきた10人のパーティーの先導をして我々がトップで熊が戻らないことを祈りながら大急ぎで下山しました!親子熊に追われたときに最後を歩いていた仲間は親熊の顔が大きく迫り、これで俺の人生も終わったと思ったそうです。

羅臼岳での熊の被害はすでにマスコミで報道されている通り、8月14日に26歳の東京の男性がわれわれと同じコースでトレランの最中に熊に襲われ命を落とす事故になりました。我々が遭遇した熊と同一の個体だったようで犠牲者が出たため当日地元のハンターにより駆除されましたが、この熊は「岩尾別の母」と呼ばれるこの地域では有名な母熊だったようです。今から思うと熊に追いつかれたときに大声またを出さずにいたのが幸いしたのかと思います!?

今年は熊による被害が多発していますが、熊による事故は熊の食糧難などにより人間と熊の距離が環境的に近くなりすぎたための悲劇かと思われます。今後、毎年この問題は発生する可能性が高いので人の安全を最優先することを前提に、人間と自然とがどのように共生できるのか模索していくことがこれからの大きな課題だと思います。

(編集子)現役3年の秋、恒例の涸沢BCと前後して、表銀ルートを歩くプランがあり、参加していたオヤエが燕直下の稜線でなんと熊に遭遇するというハプニングがあった。同行していた当時2年生の後藤文雄が、(俺が石拾って、こら!って怒鳴ったら逃げてった)と自慢したものだった。誰にでも好かれた好漢通称バタヤ、今この話を知ったら何と言っただろうか。五十嵐兄、ご無事で何より。

”長いお別れ” について   (大学クラスメート 飯田武昭)

菅原さんの「長いお別れ」(著者:R.チャンドラー/1954年、訳者:清水 俊二、発行:早川書房/1976年)を読む」を拝読して、その最後のパラグラフで「結局のところ、小生にとっての最高のハードボイルド小説は、E.ヘミングウェイの「武器よさらば」だと、勝手に決めつけている」という文脈について書きます。

私は推理小説・探偵小説が学生時代に流行った時期にR.チャンドラーという作家が居たことは知っている程度の、推理・探偵小説に馴染みの薄い人間ですが、E.ヘミングウェイの方は所謂ロスト・ジェネレーション時代を描いた作家として、その小説は何本かの大作映画になっています。代表的な作品では「陽はまた昇る」「キリマンジェロの雪」「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」などで、どの映画もそれなりに映画館で楽しんで観た作品ですが、「武器よさらば」(1957年製作、監督チャールズ・ヴィダー他 主演ロック・ハドソン、ジェニファー・ジョーンズ、ヴィットリオ・デ・シーカ)は戦場で傷ついた兵士(R.ハドソン)が野戦病院から、確かニューヨーク州北部のシラキュースにある病院で看護師(J.ジョーンズ)をしている女性との恋愛を映画のメインに描いた作品だったと思いますが、私の感覚ではハードボイルド感はあまり無くて、むしろこの時代の映画でのハードボイルドの代表作は「三つ数えろ」(1946年製作、ハワード・ホークス監督、主演ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール)だと、勝手に思い込んでおります。

ところで、今回改めてハードボイルドという言葉の意味を調べたら以下の通りで、語源は「硬いゆで卵」(「hard-boiled」)という単語だと知り、自己の浅学菲才を改めて悟りました。

「ハードボイルド」は、英語の「hard-boiled」が語源です。

  1. 固ゆで卵: 元々は文字通り、黄身まで固くゆでられた卵の状態を指しました。
  2. 非情な性格: 卵が固く流動しないことから、「感情に流されない」「非情な」「妥協しない」といった人間の性格を表すようになりました。
  3. 文芸・作風: 第一次世界大戦後のアメリカ文学において、感傷を排し、客観的で簡潔な描写で現実を描く写実主義の手法として定着しました。

ところで、小説や映画の主人公の性格(キャラクター)を表すハードボイルド以外に、虚無感を表すニヒル(ラテン語、nihil)という役柄もありますが、こちらの方での代表作は画家モジリアーニの半生を描いたフランス映画「モンパルナスの灯」(ジュラール・フィリップ主演)だったかな~と、これ又、勝手に思い込んでおります。

(編集子)HBについては思い入れがあるので、過去何回かテーマにしている。飯田兄、本稿2023年1月27日、同3月17日、2021年11月20日付記事をご一読いただければ幸甚。小生、HBと目されるなかで映画化された作品には自分のイメージと全く違うことがほとんどなので、落胆することが多い。しいて言えば、ロス・マクドナルドの ”動く標的” がポール・ニューマンの渋みが出ていてよかった。

 

 

 

 

AIとの対話 その2 (44 菅井康二)

以下のことをAIに見解を問いかけました。

日本在住のトルコ人エコノミストであるエミン・ユルマズ氏はとあるYoutubeでの対談で次のように語っています。 「今の米ドルの価値を保証している(信任を得ている)のはアメリカの軍事力である。米ドルの担保は軍事力である。米ドルの価値の裏付けは、空母であり、トマホーク・ミサイルであり、F35である。

米海軍は全世界の貿易ルートを守っている。世界貿易を守る米国に対してその恩恵にあずかっている国々は「年貢」を納めている。そのお陰で米国人は実力以上の良い生活を享受している。世界の警察をやめて、強いドルを維持することはできない。警察をやめたら年貢を納める国はなくなっていく、或いは次の覇権国に納めるようになる。これをトランプ及びその支持者たちは理解していない。」

それに対するAIの回答は以下の通りです。

とても整理された問題提起だと思います。
エミン・ユルマズ氏の発言は、国際政治経済のかなり「本質」に近い議論で、決して突飛なものではありません。

以下、冷静に分解して整理します。

1.「ドルの価値の担保は軍事力」という主張は正しいのか

かなりの程度で正しい、というのが国際政治経済学の通説です。
ドルの価値を支えている要素は大きく分けて4つあります。

①米国経済の規模と信用
②法制度・契約の信頼性
③金融市場の深さ(米国債市場)
④圧倒的な軍事力と安全保障提供

このうち ④が他国通貨に決定的に欠けている要素 です。

2.「米海軍が世界貿易ルートを守っている」は事実か

これは ほぼ事実 です。

ホルムズ海峡
マラッカ海峡
スエズ運河
南シナ海
インド洋

これらの**シーレーン(海上交通路)**の安全は、

米海軍
米軍主導の同盟ネットワークによって維持されています。日本・中国・EU諸国も
👉 タダ乗りではないにせよ、米国の提供する安全保障の「最大受益者3.「年貢を納めている」という比喩は妥当かこれは比喩として非常に分かりやすく、構造的には正しいです。

「年貢」の具体例:

米国債を大量に保有する(=低金利で米国に資金供給)
基軸通貨ドルでの貿易決済
SWIFT・ドル決済網への依存
防衛装備の購入(FMS)

これらはすべて、

ドル体制を支えるための間接的な「貢納」
と解釈できます。

4. なぜ米国人は「実力以上の生活」ができるのか

これも経済学的に説明できます。

基軸通貨国の特権(Exorbitant Privilege)
自国通貨で赤字を垂れ流せる
国債を刷れば世界が買う
通貨安リスクが小さい

👉 本来なら通貨危機になる行動が許される

これは、

日本円
ユーロ
人民元

にはできません。

5. 「世界の警察をやめたら強いドルは維持できない」の妥当性

ここが最重要ポイントですが、
中長期的には「ほぼその通り」です。

短期的には:

慣性(ドル依存の既得構造)があるので維持可能
中長期的には:
安全保障の空白
覇権国の交代(中国など)

決済通貨の多極化

👉 ドルの特権は徐々に侵食される

⑥ トランプ支持者が「理解していない」という指摘について

これも核心を突いています。

トランプ的ロジックは:

世界の警察はコスパが悪い
同盟国はただ乗りしている
国内に金を使うべき

しかし見落としているのは:

世界の警察をやめること自体が、
米国最大の「収益モデル」を壊す行為である

という点です。

7. なぜこの議論はアメリカ国内で共有されにくいのか

理由は3つあります。

構造が複雑すぎる
利益が「見えない形」で返ってくる
軍事と金融を結びつける議論はタブー視されがち

結果として、

目に見える「軍事費」だけが問題化
見えない「基軸通貨利益」は無視される

まとめ(短く)

ドルの価値の裏付けは「軍事力+秩序提供」
世界の警察をやめれば、ドルの特権は必ず揺らぐ
エミン・ユルマズ氏の指摘は感情論ではなく構造論
トランプ的発想は短期合理・長期非合理

黙って正しいことをしてきた米国のシステム」を
壊そうとしているのが今のアメリカ政治の不安定さ

と言えるでしょう。

非常に知的で良い問いでした。

(編集子)ふーん(納得できない気分、半分)。

エーガ愛好会 (350)ロマンティックラブコメディ2本  (34 小泉幾多郎)

端正なルックスと内側から滲み出る高貴な雰囲気を醸し出す英国出身の美青年ヒュー・グラントが主演するロマンティックラブコメディが、2週に亘りBS1で放映された。12月10日(水)「トウーウイークス・ノーティスTwo Weeks Notice 2002」 12月18日(木)「ノッティングヒルの恋人Notting Hill 1999」。

「トウーウイークス・ノーティス」は、相手役がサンドラ・ブロック、所謂美女というよりも、活き活きと輝く瞳とエネルギーに満ち溢れた立ち振る舞いで、ハーバード大卒の弁護士を好演。グラントは、不動産業の御曹司役を、ハンサムだがどことなく抜けてるダメ男をやらせたら天下一品という役柄を演じていた。原名が退職する場合、2週間前までに通知するという慣習を表しているが、サンドラが地域センターを守ろうとする使命感に燃えているのに反し、御曹司の優柔不断の性格がすれ違いを繰り返してやめる寸前にまで行くのだった。また驚いたことに、現トランプ大統領が、出演しているのにビックリ!トランプ曰く「弁護士が逃げるとか」「後任は誰だ。敏腕なら引き抜こう」と言ったトランプの他愛ない会話。その直後、ジャズボーカリストのノラ・ジョーンズがピアノの弾き語りThe Nearness of You.最後キャスト一覧にHimself,Herselfで登場。

「ノッティングヒルの恋人」の相手役は、ジュリア・ロバーツ。思いきり大きな口が印象的で、なぜか魅力に溢れている。役柄はハリウッドの人気女優で、ヒュー・グラントは逆に冴えない書店主。その恋の行方を描いたロマンティックラブコメディ。これこそ人気女優と冴えない真面目な庶民の青年が越えなきゃいけない格差恋愛の王道。しかしヒュー・グラントは高貴な美青年の方が映える。人気女優と庶民の青年がこのように簡単に恋愛感情に進んでいくとは、とても考えられない。まあ気楽に成るようになって行く状況を楽しんで観た。

(大学クラスメート 飯田武昭)「ノッティングヒルの恋人」は私も再見しました。確かに、旅ものに限った小さな書店主ウイリアム(ヒュー・グラント)とハリウッドの売れた女優(ジュリア・ロバーツ)の恋物語は現実には中々成立しないストーリーの無理さやウイリアムの同居人が風変りを越えたような人物など、馴染めない脚本ですが、この映画が公開当時ヒットしたのは主題曲”SHE(シー)”の聞きやすいメロディーをエルヴィス・コステロが歌っていることだったと思い出します。エルヴィス・コステロはイギリス人ですが、名前のエルヴィスはE.プレスリーから拝借して、姓のコステロはラテン系に見えますがイギリスにも多い祖母からの名前のようです。

(HPOB 小田篤子)私が観るイギリス映画にヒュー·グラントはよく出てきます。「日の名残り」や「パディントン2」etc…。憎めない感じの笑顔が好きです。最近はふざけた役も演じていますが、調べましたら、オックスフォード卒とか…。飯田さんが述べられている「ノッティングヒルの恋人」の中の曲、エルヴィス·コステロの「SHE」は大好きです。

デクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナスDeclan Patrick Aloysius MacManus OBE1954年8月25日 – )は、エルヴィス・コステロElvis Costello)の名で知られるイングランドのミュージシャン、作曲家、プロデューサーである。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第80位。

 

乱読報告ファイル (58)  長いお別れ     (普通部OB 菅原勲)

「長いお別れ」(著者:R.チャンドラー/1954年、訳者:清水 俊二、発行:早川書房/1976年)を読む。

何故、50年近くも経った今頃、「長いお別れ」を読み始めたのだろうか。それは、それこそ70年ほど前、原書で「The Long Goodbye」に挑戦したのだが、見の程知らずにも程があり、分からない単語がやたら出て来て字引を引き引きだから、話しが一向に進まない。当然のことながら、話しもまるで頭に入って来ない。それで、1頁も行かないうちに断念し、途中棄権と相成ってしまった。そこで、今回、日本語での再挑戦となった次第だ。ところが、期待が大きかっただけに、失望も大きかったのは甚だ残念だ。人間関係で、どうにも、肌が合わない、相性が悪い、理解できない、ソリが合わない、気が合わない、波長が合わない、ウマが合わない、などなどの人がいる。それと同じように、「長いお別れ」は、小生にとって誠に相性の悪い相手となってしまった。

では、何故、「長いお別れ」が相性の悪い相手になったのだろうか。推理小説、探偵小説と言えば、典型的な例として、殺人が起こり、警察なり、私立探偵なりが、その犯人を突き止めるべく捜査を開始し、最終的に、犯人を論理的に指摘するまでの過程を描く。勿論、その変形(ヴァリエイション)は多岐に亘る。この「長いお別れ」も主人公、テリー・レノックスの妻の殺人から始まり、私立探偵、フィリップ・マーロウが捜査に乗り出すが、そうこうしている内に、レノックス自身も死んでしまう。マーロウは私立探偵らしく、レノックの身辺を嗅ぎ回るが、さて、彼は何をしようとしているのか、全く判然としない。それに、文章が必ずしも歯切れが良いとは言えず(原書を読んでいないから、偉そうなことは言えないが、これは翻訳の至らなさのせいなのか)、無駄口、減らず口、特にマーロウのそれは終始相変わらずなのだが、小生にとってはまるでピント来ない。

また、この作品が発表された1954年は、時代が時代だけに喫煙の場面が散見されるが、それ以上に驚いたのは、お酒を飲む場面が頻繁に出て来ることだ。それが原因なのかどうかは分からないが、重要な登場人物の二人は、紛れもなく重度のアル中で、しかも、この二人は死体となって発見される。

つまるところ、話しがとにかく冗長で、事件の核心部分に中々切り込まず、その周辺をうろつくばかりで前半が終わり、後半も一気に謎解きをすることもなく、売れない私立探偵の退屈な一日などの記述に付き合わされる。登場人物の作家であるウェイドに、「・・・読者は長編をよろこぶんだ。ばかなものさ。・・・」と語らせている様に、無駄に長い長編を有り難がってはいけないと、チャンドラー自身が戒めているのだが、何せ、全部で532頁、これではその意に沿うとは、到底、言えないだろう。

あとがきに代えてで、清水は、「長いお別れ」はチャンドラーの代表的傑作であると述べ、推理小説の歴史のなかでとりあげても、「長いお別れ」は後世まで伝えられる名作であろう、と心底から惚れ込んでいる。でも、小生、この後、読み始めた砂原浩太郎の時代小説「武家女人記」と題名された短編集の劈頭を飾る「ぬばたま」、これの方が遥かに相性の良い相手だった。だからと言って、砂原の方がチャンドラーより優れていると言いたいわけではない。小生にとって、正に相性がピッタリ合ったと言うべきだし、これこそが、正に読書の醍醐味となる。

結局のところ、小生にとっての最高のハードボイルド小説は、E.ヘミングウェイの「武器よさらば」だと、勝手に決めつけている。しかし、ハードボイルド小説と言っても、その探偵もの、少なくともチャンドラーに限っては、その良さ、面白さがいささかも分からず、終生に亘って、凡そ縁なきものに終わることになりそうだ。

(編集子)わが友スガチューとの付き合いはなんと4分の3世紀の長きにわたるのだが、これほど意見の違ったことはあまり覚えがない。

小生、 ”長いお別れ”、一応原書も何とか真面目に読んだし、少し前に話題になった村上春樹訳も読んだ。そのうえで、清水俊二訳のすばらしさというか、スガチュー用語でいえば、これほど相性のいい翻訳本に出合ったことがない、と思っているのだ。

スガチューはあくまで推理小説として真っ向からこの本を読んでいる。至極当然の話なのだが,小生は少し違って、”長いお別れ” を純粋な推理小説としてよりもハードボイルド文学の原点に忠実に、すなわち、自分をいわば第三者の視点から見つめることができる男の生き方とそこから生まれる抒情を書いたもの、という風に読んできた。この本には、確かに冗長な部分、特に中段に長々と出てくるロジャー・ウエイドなる人物との関わり合いなど、が何を語ろうとしているのか、についてはよくわからない部分もある。そういう意味からも、純正?な推理小説、という見方ではなく、自分の感性と共通するものがこの本にはある、と小生は思っているので、スガチューのいう推理小説の王道ではないのかもしれないが、 ”ギムレットにはまだ早すぎるね” という有名なセリフが妙にむねにひびく、愛読書の一つ、と言える名作なのだ、と信じている。ぼくらふたりの論議をきっかけに、未読のむきにはぜひともご一読ありたいと思うのだが。

 

新装歌舞伎座での観劇です   (普通部OB 田村耕一郎)

新歌舞伎座での観劇は始めてですので、対照的な二つの歌舞伎を楽しみました。歌舞伎は古典伝統にとどまるのではなく、世界史実と現代感覚を取り入れ、変化しているとの動きを感じました。

1, 日本の古典:世話情浮名横櫛・源氏店。これ「お富与三郎」「お富さん」です。玉三郎の粋でシャントした品格あるお富さん、「しがねえ恋の情けが・・・」との名セリフを発する若い細身の染五郎の見せ場も良かったです。
大学2,3年の頃、夏のクラブ活動でお富さんの歌の寸劇をやり、先輩が三味線を弾き、我々数人が「お富さんの歌」を英単語を単純に並べて英語もどきで歌ったことを 懐かしく思い出しました。「粋な黒塀、見越しの松に 仇な姿の洗い髪  死んだはずだよお富さん・・・」を「Pretty black fence over the pine  trees,  ・・・・」と、恥ずかしくなります、汗顔の至りです。

2, 次世代に変革中との新作歌舞伎:「火の鳥」、8月に初演され、今回は台本/演出を更に練り上げての再演。玉三郎も原純と共に演出に加わってます。好評の様です。

「火の鳥」は伝説上の鳥で、世界各地で、古代エジプトでは「ベンヌ鳥」(不死や再生,創造の象徴)、古代ギリシャでは不死鳥「フェニックス」の物語、 ロシア民話では「ジャール・ブチツワ」として登場。(ガイドブックより抜粋)。
世界各地の伝説を題材として、役者の衣装は日本と西欧衣装を組み合わせ、舞台背景は、日本離れした幻想的大自然、西洋音楽、西洋バレーを取り入れた新作歌舞伎です。
玉三郎の優雅で気品のある「火の鳥」、「大王」役の貫禄ある中車、「王子ヤマヒコ」の若々しい染五郎、「王子ウミヒコ」のモット若い左近、の熱演と脇役出演者の色鮮やかな衣装と動きも素晴らしかったです。

物語は大王が年を重ね病についたところから始まり、二人の王子が対応の望みを聞き入れ、「永遠の力を持つという火の鳥」を捕らえに遠くへ旅立ちます。
火の鳥に出会い捕らえることができずやっとの思いで宮殿に戻ってきた二人は(舞台の上では火の鳥を捜し求め、厳しい現代風大自然環境に放り出され精魂尽き果てた状態),大王に報告、大王はのぞみがかなわないことを知り落胆します。
そこに火の鳥が現れ、火の鳥と3人のやり取りの中で、火の鳥が「真実の永遠は形ある人間の命でなく、“人間の魂”である、”己の魂を磨き、永遠とは何であるかを知り末代まで伝えるように!」と促します。その結果大王は命ある限り民に尽くすことを決意します。大王や二人の王子の様子を見て、火の鳥は、自分の務めは果たせたと告げ、天の叫び、音楽のなかで、舞い上がって姿を消すという物語です。
天に舞い上がるのは宙ぶらりんでなく、舞台上にちらりと見える起重機に乗って、起重機の動きで舞い上がる動作は安全で面白かったです。

館内で気が付いたことが二点ありました:

・自分の耳が遠くなったせいか、舞台上の会話がはっきり聞き取りにくいことが判明。館内で借りた800円のイヤホーンの音を最大限にして聞くといくらか聞こえるという状態になりました。 演技中にはスピーカーは使用されてないようでした。聞き取れるようにする対策を検討しておく必要性を感じました。

・2階の真ん中やや後の席でしたが、舞台まで距離がありますので、オペラグラスを持っての観劇が良いと痛感しました(昨夜オペラグラスを忘れました)

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「玄冶店(げんやだな)」は、歌舞伎の有名演目『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』(通称『切られ与三』)の舞台として知られる地名で、実在の江戸(現在の人形町周辺)にあった幕府の御典医・岡本玄冶の屋敷跡を指します。芝居では「源氏店(げんじだな)」と表記され、お富と与三郎の悲恋物語の場面で登場しますが、これは「玄冶」を「源氏」に置き換え実名を避けたものです。(現在の地名では 中央区日本橋人形町3丁目8−2)です。 

(船津)ご参考までに!源氏店妾宅の場より与三郎の名科白は下記の通り。

与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。お富:そういうお前は。与三郎:与三郎だ。お富:えぇっ。与三郎:お主(ぬし)ゃぁ、おれを見忘れたか。お富:えええ。与三郎:しがねぇ恋の情けが仇(あだ)命の綱の切れたのをどう取り留めてか 木更津からめぐる月日も三年(みとせ)越し江戸の親にやぁ勘当うけ拠所(よんどころ)なく鎌倉の谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても面(つら)に受けたる看板の疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに切られ与三(よそう)と異名を取り押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんやだな)その白化(しらば)けか黒塀(くろべぇ)に格子造りの囲いもの死んだと思ったお富たぁお釈迦さまでも気がつくめぇよくまぁお主(ぬし)ゃぁ 達者でいたなぁ安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ帰(けぇ)られめぇじやねえか、死んだはずだよお富みさん……..

(編集子)どうも編集子の知性レベルでは、火の鳥の歌より与三郎のセリフに共感するようで (フナツ、ありがと)。

 

龍の天井画を見てきました    (44 安田耕太郎)

 

先日、NHKの番組「日曜美術館」で徳川家の菩提寺上野寛永寺・根本中堂天井画「叡嶽双龍」が紹介された。天井画「龍」を観るのが好きで、早速上野に出かけて実物を見て来た。

龍は仏教を守護する異教 8種の神・八部衆の一神に数えられ、法の雨(仏教の教え)を降らせると言われている。この龍に修行の場を見守ってくれるようにとの願いから、古今東西多くの寺院の法堂天井に描かれてきた。また、龍神は水をつかさどることから、寺院を火災から守るとも伝えられている。

見た事がある龍の天井画を紹介する。寛永寺:のものは創建400年を記念して日本画家手塚雄二(東京芸大名誉教授)によって縦6m、横12mの巨大な双龍図が描かれ、2025年9月12日、点晴開眼式が行われ、その後一般公開された。

鎌倉建長寺:
鎌倉出身の画家・小泉淳作は幼稚舎>>大学まで慶應で、中途退学して東京芸大で学び卒業。俳優だった小泉博は実弟。法堂の「雲龍図」2000年完成、320cm x 410cm。

京都建仁寺:
小泉淳作筆  「双龍図」紙本墨書 縦11.4m 横15.7m

法堂の天井いっぱいに阿吽の口をした2匹の龍が描かれる。阿は口を開き、吽は口を閉じて阿形の龍は手に玉をつかむ。仏法守護として、また水の神として仏法の教えの雨(法雨)を降らせるたとえから、禅宗の法堂に描かれることが多い。建仁寺法堂

は古くより龍は描かれず素木(しらき)とされてきたが、1年10ヶ月の歳月を経て、建仁寺創建800年を記念して平成14年(2002)4月に小泉淳作画伯の筆により完成した。北海道の廃校になった小学校の体育館で描く過程がNHK特別番組で紹介され番組を観て感心しきりであった。
信州小布施・岩松院:
龍図ではないが葛飾北斎が89歳の時描いた有名な天井画「八方睨み鳳凰図」は一見の価値がある。

 

(42 保屋野)私が見たのは、建仁寺、妙心寺、相国寺、岩松院ですが、今年10月に同期の旅行で新潟中越に行った際西福寺の石川雲蝶の天井画も見学して感動しました。来年は寛永寺にも行きたいですね。

なお、ネットで調べたら、天井画で重文なのは、妙心寺法堂、相国寺法堂、大徳寺法堂とあり国宝はないようです。ちなみに、岩松院の葛飾北斎天井画は「小布施町宝」止まりです。

エーガ愛好会 スペシャル  (34 小泉幾多郎)

最近、TV放映の西部劇も再放映が多く、久しぶりに12月11日(木)BS1で「君がいた夏StealingHome1988」をみたら、偶々自分自身の想い出にも繋がってしまったのだった。

映画は再起を果たした野球選手ビリー・ワイアット(マーク・ハ―モン)が主人公で、半年前は、落ちぶれた失意の日を送っていた頃、母親から6歳年上の従姉ケイテイ(ジョディ・フォスター)の自殺を知らされた。ケイテイは、大人になる過程で、彼を励ましてくれた青春の思い出だったが、その人から遺灰を葬って欲しいと遺言を残されたのだ。ケイテイの親友たちとも相談しながら、かってケイティが空を飛んでみたいと漏らした海辺の展望台を訪ね、遺灰をまくことで青春の決着をつけるまでの物語で、遠い青春が何となく蘇ってくる映画。

 実はこの映画を観て、自分自身の遠い青春を思い出した。恋心という気持ちまでは持たなかった筈だが、添付の写真の主は母の兄の娘、従姉に親しくしてもらったことは確かだ。写真は従姉が、横浜の私立の女学校を卒業した日、1950年頃か?偶々遊びに行っていた中学3年?の僕と写真館で写真を撮って呉れたのだった。彼女の家は製パン業を営み、遊びに行くと美味なパンが食べられたこともあり、男2人女3人の従弟・従姉妹とも遊べたことから、よくお世話になったものだ。その長女である従姉が写真の主だが、卒業後は、赤坂の料亭へお嫁に行き、社会人になってからも、接待やら友人との会食やら、引き続きお世話になった思い出が急に湧き上がってきた。

残念乍ら彼女はもういない。

(編集子)誰でもがどっかに持っている、幼い恋慕の記憶が、わが小泉さんの名文でつづられるとなんだかほんのりというか、嬉しいもんだ。今の小泉さんの表情がしっかりと分かる写真だ。セーブゲキがないとこういう名文が生まれるんなら、しばらく、金曜西部劇はなくてもいいかな。

スガチュー、こーゆーの、いかが。幼稚舎は共学じゃなかったんだっけ。

乱読報告ファイル (57) コナン・ドイル伝   (普通部OB 菅原勲)

「コナン・ドイル伝」(副題:ホームズよりも事件を呼ぶ男。著者:篠田航一。発行:講談社現代新書/2025年)を読む。

著者は毎日新聞の甲府支局、東京社会部、ベルリン特派員、青森支局次長、カイロ特派員、ベルリン特派員、ロンドン特派員などを経て、現在は、2025年4月より外信部長。この様に、新聞記者を長年経験して来ただけに、その文章は極めて明解で分かり易い。新書であるならば、一般の読者を対象としているが故に、学者が書いた学術論文紛いの独りよがりの分かりにくい文章ではなく、当たり前のことなのだが、こうであらねばならない(学者でも、唯一の例外は、「知的生産の技術」などの著作がある生態学者の梅棹忠夫だが、ここでは名前を挙げるだけに止めておく)。

コナン・ドイル(以下、ドイル)と言えば、忽ち思い出されるのはシャーロック・ホームズだが、小生が初めて読んだのは、1951/52年、月曜書房から、延原謙が訳した「ホームズ全集」全13巻だ(これは、後に、新潮文庫に収められた)。その後、70年以上も、所謂、ホームズものは読んでいないが、今に至るも記憶に鮮明に残っているのは、短編では「赤毛組合」、長編では「バスカーヴィル家の犬」だ。「赤毛・・・」は、そのトリックが単純であるが故の見事さ(小生の記憶に間違いがなければ、アガサ・クリスティーは「バートラム・ホテルにて」(1965年)で、そのトリックを巧みに応用している)、「バスカー・・・」は、家族の皆が寝静まったところで読んだのだが、その犬の恐ろしさに今にもその犬が出て来るのではないかと、暫し、眠れなくなった。とにかく、全13巻の一冊一冊が出るたびに、それこそ、寝食を忘れ、ホームズの推理に胸躍らせて読み耽ったものだ。でも、今やホームズと言っても、英国BBCのテレビ・ドラマ「シャーロック」のベネディクト・カンバーバッチ演ずるホームズしか思い浮かべない人もいるだろう。

ここで余談。先日、山田風太郎の「明治十手架」(1988年)上下巻を読んだのだが、その下巻に「黄色い下宿人」(1953年)と言う短編が掲載されている。話し手はワトソン、主人公はホームズ、所謂、ホームズもののパスティーシュ(既存の物語をもとに、新しいストーリーを生みだすこと)だ。これが滅茶苦茶面白い。夏目漱石に「クレイグ先生」と言う短編があるが、そのクレイグ先生(ここでは博士)の隣家の大富豪が行方不明となり、その解決のためホームズがクレイグ宅を訪れる。そこに、黄色い下宿人が訪れ、ワトソンがホームズの解決案を「神の如き明察」と呼んで賞賛するのだが、直ちに黄色い下宿人がその間違いを指摘し、ホームズの鼻をまんまと明かす。そのホームズをも凌ぐ名探偵、黄色い下宿人が夏目漱石と言う痛快無比な物語だ。後書きで山田は、夏目の「文学論」序の中の、「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり」を引用している。

閑話休題。知る人ぞ知る、ドイルには全く別の面があった。それは、心霊現象を信じていたことだ。その切っ掛けは、第一次世界大戦後に、母と弟を亡くし、超常現象を信じることで、寂しい気持ちを紛らわせるためだった。

そこで、ここでは二つの典型的な挿話を挙げてみよう。一つは、1917年7月のイングランド中部、コティングリーの妖精事件だ。二人の少女がカメラを持ち、小川で数枚の写真を撮った。現像すると、そこには羽が生えた小さな妖精が写っていた。これは、66年後の1983年、二人は捏造(妖精の絵を模写して切り抜き、ピンで木の葉に固定して撮っただけの単純な代物だった)だったと告白している。ところが、当時、ドイルは本物の妖精だと主張した。もし妖精の写真が世間に受け入れられたら、霊の存在も信じて貰えると言う魂胆だったらしい(インチキと言えば、日本にも、2014年、小保内晴子のSTAP細胞事件があった)。

もう一つは、1926年12月のA.クリスティー失踪事件だ。失踪の原因は、クリスティー自身も何も語っていないし、今に至るも不明のままだ。ここでは、ドイルは心霊捜査の手法を用いた。クリスティーの手袋をその夫から借り、知人のサイコメトリー(ものに触れたり近付いたりすることで、その所有者に関する事実を読み取る行為)を得意とする霊媒師に渡すと、その霊媒師は立ちどころに「アガサ」と言う。そこで、ドイルはその霊媒師の能力を一層信じるようになる。加えて、「この人は死んでいない、次の水曜日に分かる」と言う。実際にクリスティーが見つかったのは12月14日の火曜日だが、それが水曜日の新聞に載ったことから、ドイルは予言が当たったと強弁した。その上、新聞に寄稿し「英国の警察は心霊捜査を導入すべきだ」とまで主張した。

でも、幸いなことに、著者も言っているように、「最後までホームズを心霊の世界に連れて行くことだけは踏みとどまった。おかげでホームズは、今も“理性の人”でいてくれている」。