三国峠と居眠り磐根

たまたまであった山本耕史のテレビ番組がきっかけで、すでにご存じ、あるいは全巻読了という方もおられるようだが、云わば周回遅れで文春文庫にして51巻、居眠り磐根を読み始めた。読んでみろ、と背中を押した(本人はその気はなかったらしいが)のは中学時代からの友人菅原勲である。小生などの及ばぬ大の読書家があっさりとおめえ、51冊なんて掛かり切れば三日三晩で読めらあ、というセリフにかっとなって第一巻を買ったのが3月始めごろ。つつじが丘駅ビル京王電鉄御用達啓文堂で毎回2冊ずつ買ってきて、本日、17巻 紅椿ノ谷 を読了、ちょうど三分の一になる勘定だ。まだまだ先だろうと構えていたおこんとの成り行きが急展開し始めたのが16巻、これからどうなる、と思っている矢先, この巻でなんと二人が法師温泉に出かけるということになった。先般、浅野三郎君からの情報で新三国トンネルのことを書いたが、なんとタイムリーなことかという気持ちである。

その道行きで、三国街道へ入っていくあたり、永井だとか牧だとか懐かしい地名が次々と出てくる。また、”この界隈は月夜野と称し、戦国時代にはうんぬん” とか、猿ヶ京に関所があったというのはうっかりして知らなかったが、(ははあ、この辺かあ)という興味が湧く。 北牧から中山峠を越えるという一節があるが中山峠というのはどのあたりだろうか。塩原太助の話を引いているので、あああのあたりかあ、とは思うのだが、書かれているような難路があったとは(もちろん自動車道と違うのは当たり前だが)思えない。                                             ”三国峠への登り口に差しかかり…・・・・此方法師の湯 という木札を見つけた” などとあるが、今の分岐のどのあたりか、などという詮索もしたくなるし、法師につくと当代の主理左衛門、というのが出迎えるがこの人は我々がご厄介になった、あの温厚な宿主、岡村さんのご先祖だったのだろうか。

風呂の具合は今とあまり変わらないようだが、数日して二人で三国峠へ上がる場面があって、”磐根とおこんが三国峠の頂に到着したのは四つ(午前十時)”とあり、そこで会話の中に ”この峠が、信濃と越後と上野の国境なの”とおこんが問いかけると ”白砂山という六千五百尺余りの西方の山じゃそうな。だが、古から三国の境はこの峠を指したという” と磐根クンは答えている。白砂山、なんて出てきたことに感激するかたわら、この会話、少しおかしくないか?など、突っついてみたり、ほかの巻ではなかった興味が湧いた。

このシリーズ、著者の博識というか下調べの凄さというか、当時の江戸の町並みの、とくに地理感覚に感嘆する。磐根が食べる献立もしきりに出てくるが、なるほど、この時代からあるメニューなんだ、と亡母が作ってくれた味を思い出したりしてえらく懐かしい。また当時、江戸下町が河川に恵まれ、橋がいわば住所標識みたいな存在だったことに驚かされる。その日本橋をコンクリートの化け物に変えてしまったのはやはり歴史のうえでは許しがたい暴挙だったのではないか、と思ったりしている。

だけど、テレビのおこん、中越典子、ってきれいだなあ。

エーガ愛好会 (134) ワーロック   (34 小泉幾多郎)

 題名ワーロックは西部の町で、無法者トム・ドレーク(エイブ・マキューン)一味に支配されていて、住民は町会で、凄腕のガンマンであるヘンリー・フォンダ(クレイ・ブレイスデル)を呼ぶことにしたが、賭博師アンソニー・クイン(トム・モーガン)がコンビで、モーガンは早速酒場フレンチ・パレスを開業。二人の暴力的抑圧により、一旦は無法者を抑え込む。片や無法者一味だったリチャード・ウイドマーク(ジョニー・キャノン)が一味の不法に嫌気がさし脱退し町の平和のためと保安官補になる。

この三人の名優が丁々発止とやり合うのが映画の本筋だが、筋を追うと長く
なるので省略するが、この三人に絡む女優陣は、フォンダの勇気に感動するドロレス・マイケルズ(ジェシー・マーロウ)とフォンダとクインに関係するドロシー・マローン(リリー・ダラー)がウイドマークと愛を育む。お目当てのドロシー・マローンは。相変わらずの美しいブロンドで、上目遣いの瞳、けだるい視線、喋らなくても口が開閉する等言われてきた魅力満載。フォンダとクインには敵対する過去があったと云う筈のものがあまり出ずおとなし過ぎた。ドロレス・マイケルズはお金持ちのお嬢様風情は出ていたがそれ程の魅力は感じなかったが、最後フォンダとの別れ、クインの代りになれないと身を引く淋しき別れには感じが出ていた。

どうやら監督エドワード・ドミトリクは「荒野の決闘」等のOK牧場の決闘で名を馳せた名保安官ワイアット・アープの流れ者的ないかがわしさを強調し利権を求めて渡り歩く雇われ保安官としての悪名の方を名保安官だったヘンリー・フォンダを起用して強調しようとして、最後正義の副保安官ウイドマークとの対決に至るのだが、正邪がはっきりしている所謂西部劇とは一線を画する。この主役三人共正邪を併せ持つ性格を、流石名優たちは巧みに演じてはいるが、スッキリしない点も多々ある。まあクインは、足にハンディを持つ男、フォンダだけが、それを馬鹿にしなかったとコンビを組んできたが、蔑まされた歪んだ執着から、大衆の罵りに耐えきれぬ悲壮感から破滅に追い込まれる。ワイアット・アープとドク・ホリディとの関係にも似ている。ウイドマークは、最後は正義の勝ち組で、マローンの愛も町民の支持も得るが、もともとは無法者の一味ではあった。フォンダ、クインの前歴にあれ程こだわった町民が、ウイドマークの転向には無関心?フォンダは最初の酒場フレンチ・パレスで、階段から下を見ずに颯爽と降りて来る所から最後の決闘の場面まで恰好良い。中盤、殺しについてあらゆる点からその正当性を信じて行ってきたことについて自問自答し納得していること、最後決闘でウイドマークよりも早く抜いた銃を投げ捨てるフォンダが、何故ワーロックの町から出て行かねばならないのか、判らずじまいでもある。ドミトリク監督も赤狩り時代の犠牲者だが、転向者でもあったという。言われてみれば、主人公夫々が転向者の様相を呈しているのは、意識的に監督自身が連想しているのだろう。

(編集子)なるほど、ドクター小泉の西部劇にはあまり例を見ないストーリーの運びや心理面の分析、納得。エドワード・ドミトリクの作品では ”ケイン号の反乱” しか見ていない。しかしこのフィルムは重厚なつくりで原作を読んだ時よりも印象が深い。メル・ファーラーは後半の裁判部分にしか出てこないが、小泉解説を読んでみて、特殊な環境に置かれた人間の焦りというか常人とは違った、抑制された怒りが現れた演技だった。赤狩りの経験が転向者という形に終わったのは知らなかった。このあたりがやはり作風ににじみ出るのだろうか。  難しい議論はともかく、小生にとってはフォンダよりウイドマークより、あこがれのドロシー・マローンが出ているだけで満足の一作。

フェイクニューズに騙されないように!  (普通部OB 田村耕一郎)

4/3友人からのMIT Tech  Review 転送です。フェークニュースに惑わされないように!

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2月23日にロシアがウクライナへ侵攻したことを受け、ネット上では次々と情報が伝えられている。写真や映像をはじめとする情報が、真偽の確認ができないほどの猛烈なペースで、各プラットフォームに投稿され、それらが再共有されているのだ。このような現象は、世界各地で何らかの危機が発生するたびに、最近ますます見られるようになっている。

その結果、誤った情報が真実であるかのように受け止められ、増幅されてしまう。善意の人々がそれに加担してしまうこともある。悪意ある行為者たちは、こうした状況を利用して、罪のない民間人に恐怖を味わわせたり、不穏なイデオロギーを広めたりするかもしれない。そうなれば、実際に苦しむ人が出てしまう。

ウクライナ侵攻の正当化を試みてきたロシア政府にとっては、偽情報の流布はその大きな手段となり、あからさまな形で実行されている。ロシアは、親ロシアの分離派が多いウクライナ南東のドンバス地域で、ウクライナ軍が激しい攻撃を計画し、分離派を標的とした砲撃や大量虐殺をしていると主張した。この主張は誤りだ。でっち上げられた攻撃のフェイク映像は、ロシア国内のプロパガンダ作戦で大きく取り上げられている(これを受けて米国政府は、こうした嘘を暴き、先手を打ってそもそも嘘を流布できない状況にしようと取り組んでいる)。

しかし、政府による活動に関わっていない一般人であっても、今回の侵攻に関して不正確な情報、誤解を招く情報、または誤った情報を意図的に共有してしまう可能性がある。イデオロギー上のナラティブを主張しようと、もしくは閲覧数を上げようとして共有するのだ。しかし、共有したことでどのような悪影響があるのかまではほとんど考えていない。戦争という混乱した状況の中では、意図せず誤って伝えられてしまった情報が、正しい情報として一気に拡散される場合もある。

すでに、ロシアによる侵攻に関する不正確な情報が、ソーシャルメディア・プラットフォーム上で多くの人々の目に触れる状況になってしまっている。ソーシャルメディア・プラットフォームは根本的に、エンゲージメント(いいね!やシェア)を得られるコンテンツを、多くの人に表示するよう設計されているのだ。

ティックトック(TikTok)では、訓練の模様を収めた2016年の映像が、あたかも現在ロシア兵がウクライナにパラシュートで降下しているかのような誤った印象を与える目的で共有された。再生回数は数百万回にも達した。ある声明は誤訳された状態でツイッターで大きく拡散され、複数のジャーナリストが共有してしまった。これによって、チェルノブイリ周辺での戦闘で原子力廃棄物貯蔵施設に被害が生じたという誤った情報が広がってしまった(本来の声明は、戦闘によって原子力廃棄物に被害が生じる可能性がある警告する内容だった)。

悲惨な出来事に関してニュース速報が次々と舞い込んできたり、拡散されたりしている。こうした投稿を目の当たりにした人々はしばしば、有害なプロパガンダおよび偽情報をそうとは知らずに増幅してしまう。意図せず悪意ある行為者たちの手助けをしてしまう状況を避けたければ、本記事を参考にしてほしい。

MITテクノロジーレビューではこれまでも、ここに挙げたようなアドバイスをいくつか掲載してきた。具体的には、2020年のブラック・ライヴズ・マターの抗議活動の際、そして同年秋の米国の大統領選挙前だ。以下は、ウクライナからのニュースを扱うにあたって具体的に気をつけなければならない点を反映し、以前に掲載したアドバイスを更新および補足したものだ。

重要なのは、一人ひとりが注意力を発揮すること

まず、一人ひとりのネット上での行動が大きな影響を持ってしまうことをしっかりと理解してほしい。「自分はインフルエンサーではないから、自分は政治家ではないから、自分はジャーナリストではないからと、自分の(ネット上での)行動はたいしたことがないと人々は考えがちです」と、シラキュース大学でコミュニケーションと修辞学を研究するホイットニー・フィリップス助教授は2020年に語っている。しかし、一人ひとりの行動は、実は重要なのだ。疑わしい情報を共有してしまうと、たとえ共有相手がわずか数人の友達や家族であったとしても、その情報がさらに拡散される原因につながる可能性がある。

怒りに任せた引用ツイートや返信に気をつけよう

緊急ニュースになるような事態が発生すると、人々は、良心からそれに異を唱えて批判しようと、ソーシャルメディアの投稿を引用したり、ツイートしたり、共有したり、返信したりすることがある。ツイッターとフェイスブックは、偽情報の流布と戦うために、新たなルール、モデレーション戦略、そして事実確認に関する規定を導入した。しかし、どのような形であれ、人々が偽情報に対して反応してしまうと、拡散を防ぎたいコンテンツを逆に増幅させてしまう危険がある。なぜなら、反応を起こすことで、プラットフォームに対してそのコンテンツに関心を持ったというシグナルを与えてしまうからだ。不正確であるとわかっている投稿があれば、それに反応するのではなく、フラグを立てて投稿先のプラットフォームが審査できるようにしてみよう。

一旦立ち止まろう

デジタルリテラシーの専門家であるマイク・コールフィールドは、ネット上の情報の真偽を確認する方法として、「シフト(SIFT、「ふるい」という意味)」を提唱している。これは、「Stop(一旦立ち止まって考えよう)、Investigate the source(ソースを調査しよう)、Find better coverage(よりよい報道を見つけよう)、Trace claims, quotes, and media to the original context(主張、引用、およびメディアファイルをオリジナルの文脈まで辿ろう)」の頭文字をつなげたものだ。コールフィールドは、ウクライナのニュースに関しては、「Stop」に重点を置くべきだと言う。つまり、表示された投稿に反応したり投稿を共有したりする前に、立ち止まって考えようということだ。

コールフィールドは、「周囲の人々に対して真っ先に自分がその話を共有することで、自分がそのニュースを教えてあげたことにしたいという衝動に駆られるのは、人間なら仕方がないことです」と言う。ジャーナリストは日々、その衝動に気をつけている。しかし、これは誰しもが気をつけなければならないポイントだ。現在のように、情報が次々と舞い込んでくる状況であれば、なおさらだ。

デジタルアナリストでデマを研究しているシャイリーン・ミッチェルは、ウクライナに関するニュースに触れて何らかの行動をしたいのであれば、「自分たちの身に起こっていることについて、ウクライナ現地から伝えてくれる人々をフォローするべきです」と言う。

しかし、ウクライナ発に見える情報だからといって、むやみにリツイートしてはならない。身元がはっきりしている本物のアカウントからの情報だけを共有しよう。ジャーナリストたちは、ロシア軍の動きが写っていると思われるティックトック動画の真偽の検証をし、自身の身に起こっていることをウクライナから伝えているように思われる人物からのツイートを共有している。

それでも、細心の注意が必要だと専門家は言う。デマを研究するケイト・スターバードは、ツイッターに優れたスレッドを投稿し、今回の侵攻に関するソーシャルメディアの投稿をいかに精査すべきかを指南している。その中でスターバードは、現在の状況下では、信頼できる周囲の人々でさえ「大急ぎのため、もしかするとそれほどきちんとは精査ができていない」可能性があると指摘している。

スターバードは、偽物かもしれないアカウントを見抜くためのいくつかのポイントを紹介している。

自分にできる役割をこなそう

この記事をお読みの方は、おそらくニュース速報記者でなければ、ウクライナとロシアの関係の専門家でもないだろう。専門家は、今このタイミングで専門家ではない人が専門家のように振る舞おうとして、ネット上で見つけた情報の真偽を自分で判断して拡散するのは避けるべきだと指摘する。自身が見かけた情報の真偽を確認しようとするのは常に良いことだが、新たな情報や説を実際に周囲の人々に対して共有するかどうかは慎重に考えてほしい。

ミッチェルは、インターネット上で「人々は自分で調べられるようになったと考えがちです」と言う。ソーシャルメディアでデマやその他の不正確な情報が拡散されている事実が注目されることで、人々はますますこう思ってしまう。「調べる力が少しはついたと考えているので、今回の動きでも自分で調べられるはずだと考えてしまうのです」。こうした考えは必ずしも正しいわけではない。さらに、悪意ある行為者たちはこれまでも、「自分で調べたい」という衝動につけ込んできた前例が多く判明している。この衝動につけ込んで、蜘蛛の巣のように張り巡らせたデマに人々をおびき寄せようとしてきたのだ。

あなたにできる最善のことは、足場となる現実をしっかりと把握することだ。

コールフィールドは、英語話者がウクライナからのニュースをリアルタイムで事実確認しようとする場合、「正直なところ、言葉の壁は大きな問題です」と言う。「映像の場所がどこかもわからず、喋っている言語が理解できない状態」なら、その映像を慎重に調べても何が本当かはわかるはずがないと語る。

共有する前に、自分自身に問いかけてみてほしい。話されている言語を自分で翻訳できるか? それまでに触れたことのないソースからの映像および写真について、調査や分析をするだけのスキルがあるか? 市民によるジャーナリズムはしばしば非常に深い価値を持つが、正しく実行するには相当のスキルとトレーニングが必要だ。自分には何ができるのか? なぜ自分にはそれができると言えるのか? 現実的に考えてみよう。

誤った話を拡散してしまうと、実際に悪影響を及ぼすという事実を、いま一度肝に銘じよう。現在進行中の状況に関して、誤った情報や誤解を招く情報を共有してしまうと、人々を傷けたり死に追い込んだりする原因になる可能性がある。

その代わりに、正確な情報を拡散して、信頼できるソースからの情報を増幅しよう

このような状況下では、自分の正気を保つためにも、インターネットで自分の情報に耳を傾ける人々のためにも、足場となる現実をしっかりと把握することが大切な対策だ。英語で信頼できる報道をしているのはどのソースだろうか。誰をフォローして拡散を手助けすれば、正確な情報を広められるだろうか。

自身もウクライナ人で、誤情報に関する報道に携わった経験もあるジェーン・リトビネンコのようなジャーナリストは、ウクライナの慈善活動やニュースメディアを支援したい人向けにまとめた情報を共有し、今回の侵攻を正しく捉えるために欠かせない背景情報も発信している。その他のジャーナリストの間でも、避けるべきプロパガンダまみれのニュースメディアおよびソーシャルメディアのアカウントを、クラウドソーシングで一覧化する動きが出ている。べリングキャット(Bellingcat)のサイトでは、虚偽であることが判明した主張をスプレッドシートで公開して随時更新している。現地ニュースメディアのキエフ・インディペンデント(Kyiv Independent)は、ツイッターでコンスタントに最新情報を配信している。

コールフィールドは、「あなたの役割は、ニュース記者よりも先に友だちにニュースを伝えることではないかもしれません」と言う。真っ先にニュースを伝えるのは、その道の大勢のプロのすべき仕事だ。「この状況における一般の人の役割とは、事態を説明してくれる信頼の置ける情報源を見つけたり、ロシアが2014年にクリミアでいかに偽情報を流したかに関する背景情報を人々に伝えることなのかもしれません」。

不正確なことを伝えてしまったら、きちんと訂正しよう

偽情報を見分ける専門家であっても、偽情報を共有してしまう可能性はある。自分がどのような立場にあり、どの規模のプラットフォームに共有するかに関係なく、現在進行形の状況に関して情報を共有するのなら、間違っていた場合には責任を取って訂正し、その影響と向き合う準備をしておかなければならない。

ミッチェルもコールフィールドも、この点に関しては似たようなベスト・プラクティスを推奨している。ツイッターで不正確な情報を共有してしまったら、不正確なツイートのスクリーンショットを撮り、不正確な情報への返信または引用ツイートという形で訂正を投稿し、その後、偽情報を含むツイートを削除するという手順だ。

ティックトックの場合は仕組みが異なるが、考え方は同様だ。偽情報を削除し、どうしてその映像が削除されたのかを述べ、修正したものを投稿し、フォロワーに対して修正後の情報を共有するよう促すという手順だ。

ミッチェルは、誰であれ、自分が不正確な情報を共有してしまった場合には、その情報を再共有した人々に連絡を取って訂正するくらいの対応をして、その責任を取る準備をしておくべきだと付け加える。

エーガ愛好会 (133) 天使と悪魔   (44 安田耕太郎)

主人公はハーヴァード大学教授で宗教学者ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)。ハンクスは前作「ダ・ヴィンチ・コード」(原作者は同じダン・ブラウン)に続くラングドン役。ヴァチカンとローマを舞台に、「教皇選挙」を意味するコンクラーヴェ(Conclave)を背景に、予告された連続殺人を中心にサスペンス・スリラー物語が展開する。中世の歴史小説を読んだ時、聞きなれない「コンカラーヴェ」なる、教皇逝去後、次期教皇を枢機卿の中から選出する全枢機卿による選挙のことを知った。コンクラーヴェはミケランジェロの大作壁画「最後の審判」が描かれているシスティーナ礼拝堂で行われる。コンクラーヴェはラテン語で鍵のかかった秘密の場所という意味で、選出過程は複雑で、結果が出るまで枢機卿は立ち入り禁止の場所に缶詰状態で長い期間かかるところから、「根競べ」などと言って、この馴染みのない言葉を覚えたものだった。教皇が選出されると礼拝堂の煙突から白い煙がでて民衆に知らしめる習わしが1000年以上続いている。
ヴァチカンの警護体制は複雑で、ローマ市警、ヴァチカンの警察、そして親衛隊ともいうべきスイス衛兵隊が担当している。この辺りも複雑な物語の伏線になっているようだ。

そのコンクラーヴェを前に、有力な候補である4枢機卿が誘拐される。ラングラー教授が事件解決の為アメリカから呼ばれた。キリスト教とその歴史に疎い者にとっては話の筋を掴むに難儀するが、誘拐の陰には、その昔、近代科学の父と呼ばれたガリレオ・ガリレイ(1564 – 1642年)を中心にした科学者たちによる秘密組織「イルミナティ」が存在していた。科学を信仰するイルミナティは、宗教を第一義とするヴァチカンからの弾圧によって消滅を余儀なくされた組織だった。しかし、彼らの残党は、科学の先端技術によって欧州原子核研究機構が生成することに成功し驚異的な破壊力を持つ「反物質」を盗み出し、ヴァチカン全体の破壊をも計画していた。

ラングラー教授は、ヴァチカンを護衛するスイス衛兵隊長や前(故)教皇の秘書長(役職名をカメルレンゴと言い、ユアン・マクレガー演じる。教皇空位の場合は教皇代理を務める)と共に、事件の解明に乗り出す。誘拐された枢機卿は、この世界の物質は、「土」「空気」「火」「水」の4つの元素から構成されるという概念のキーワードのまま、それらの焼き印を胸に押され一人ずつその元素に関連する方法と場所で、予告殺害されていく。薄気味悪い殺害シーンではあった。4人目はナヴォ―ナ広場の噴水に重りを着けられた枢機卿が投げ込まれるが、間一髪のところで救い出される。物語の展開は、恐るべき破壊力を持った「反物質」の使用を目論む得体の知れない犯人の正体、不気味な殺害とヴァチカン内部の解りにくい人間関係が絡み合い、予告殺害場所もローマの歴史的名所旧跡(ナヴォ―ナ広場、サンタンジェロ城など)を舞台とするなど見応えがあり、映画を通して緊迫感に包まれていて、予想外の結末には驚かされた。

ローマ市内で撮影を行うトム・ハンクスとアイェレット・ゾラー

「反物質」を奪い返してヘリコプターで空高く舞い上がり空中でそれを爆発させヴァチカンを救った英雄的な行動を執り、パラシュートで無事帰還したカメルレンゴ(ユアン・マクレガー)を次期教皇に推す声が他の枢機卿から一斉に挙がった。しかし、実はカメルレンゴはイルミナティの黒幕で全てを謀っており、前教皇を異端者として殺害したのはカメルレンゴであったのだ。カメルレンゴと実は相棒であったスイス傭兵隊長の二人の悪魔の秘密の会話を録音されたテープレコーダーで聞いて、ラングドン教授はそのことを悟ったのだ。事態が首尾良く運ばないことに観念したカメルレンゴ(マクレガー)はヴァチカン聖堂の地下で焼身自殺をして果てる。新教皇にはナヴォナ広場の噴水で危機一髪溺死を免れた4人目の枢機卿が選出された。

舞台となった場所がヴァチカン内部など、見応えのある歴史的旧跡を巡って映像が展開されたのは観ていて大変興味を惹かれた。結構神経を凝らして観ないと話に付いていけないキリスト教関連の映画であるが、その価値は充分にあると思った。

(小田)私も放映された’09年にこの作品の本を読み、映画も見に行きました。今回も録画しておけばよかったのですが…グロテスクなところがありますが、迫力とスピード感のある物語です。

最初の粒子の研究施設は、旅行でちょっと立ち寄った、岐阜の神岡カンテ(パネル説明のみ)や夫の通った重粒子病院を思い出させます。(全然違うのかもしれませんが)。又、中に入る際の認証に使われる❬眼球❭が取り出されていたことは、もし、今使われている、顔や指紋だと…と怖い想像をしてしまいます。(これに比べれば、白内障の手術なんて…?)
コンクラーベの煙の場面は、黒澤明監督の「天国と地獄」の白黒映画でそこだけピンクの煙が煙突から昇る名場面を思い出します。
主人公のラングドンが空気を薄くしてあるバチカンの書庫に閉じ込められ、脱出の為、大きな本棚を次々に倒して行くシーン、そして安田さんご指摘の最後のヘリコプターの場面等、印象に残る迫力のあるシーンが色々出てきます。
又、教皇候者達がローマの史跡で空気/火/水/土に合わせ殺害されるというストーリーは、よく結びつけたものだと、前作同様驚きます。前作の「ダ·ヴィンチ·コード」に似て、観光するのが薄気味悪くなりそうです。
原田マホさんは、「美術の物語」という本を猛勉強して、早稲田に入ったそうです。そして「ダ·ヴィンチ·コード」を読み、名画の前で殺害されるようなストーリーを書いても許されるのだと思い、好きなルソーの絵からミステリー「楽園のカンバス」を書いた、…とTVでおっしゃっていました。
(児井)お馴染み安田さんの映画論「天使と悪魔」これまた懸命に拝読しました。この作品は過って観ましたが、物語の複雑な展開を追うことに必死で、その背景を知る由もありませんでした。そこでこの度の貴兄の絶妙な解説でその辺が良く解かりました。折を見て、再度観たいと思います。

どこの桜だかわかりますか?   (HPOG 小田篤子)

今日は風が強いようですが、暖かいので、クリーンセンター横の桜を見て来ました。浅川の土手にはさまれ、ゴミ処理場横とは分からないほど爽やかな場所です。人も疎らで。ただ、今日の朝刊社会面は大きな”砧公園の咲き誇るサクラ”の写真。クリーンセンター横はお散歩には良いけれど、お弁当を広げたりするわけにはいきませんね。

新三国トンネルによせて

新トンネル東京側入り口(右に旧トンネルが見える)

三国トンネルがついに生まれ替わりですか。誕生前からのお付き合いで、思い出
多々です。開通直前は、真っ暗で懐中電灯一つで、トンネル内を行き来するトラックに怯えつつ往復したものです。
もちろん十分な舗装もされていません。冬場は地面が凍り、氷上を歩かねばなり
ません。トラックが来れば壁に寄り静かに車が通り過ぎるのを待たねばなりませ
んでした。
冬になると天上から直径30~50㎝、長さ2~3?の巨大氷柱が連なり、春近くなるとそれが溶けて落下し、とっても危険でした。事故例は聞きませんでしたが、あれに当たったら助かる見込みはありません。
越後に抜けて,川端の【雪国】を実感したこともあります。
どうやら退院はそう遠くないようですので、新三国トンネル通ってみたいですね。 (34年 船曵孝彦)

旧トンネル内

旧トンネルの開通前、スキーを担いで往復したころを思い出します
暗闇の中、凍ったトンネルを嫌い、峠を越えた奴も既に居りません
あれから60余年、時は流れて行きますね・ (37年 菅谷国雄)

あのトンネルを初めて通ったのは高校時代33年頃です。舗装してなかったのでは。バスは群馬側、湯沢側の入り口まで 通過はなかったはず。You Tube で走る道は久しぶりで懐かしかった。よくできています。  (41年 相川正汎)

新トンネル内

断片的には色々思い出しますが・・・高速が出来る以前は正月など東京まで
8時間以上掛ったこと、裏道を色々探して走行したこと等々、トンネル以外
の事の方が多いです。(44年 浅野三郎)

 

ちょこっとロシアを考えてみた   (普通部OB 菅原勲)

四回目の休戦協議で、ウクライナが自身の中立を持ち出したようだ。この他に、ロシア、と言うよりプーチンが受け入れ難い内容も含まれているらしい。しかし、ここではウクライナの中立のみに触れることとする。ただし、中立が万全なものでないことは、ヒットラーが、中立を標榜していたベルギー、オランダ、ルクセンブルクに侵攻したことでも証明されている。

ウクライナの中立とは、自分は、他の国にちょっかいを出さないが、他の国も自分にはちょっかいを出すな、と言うことだろう。しかし、これは話しが全く逆ではないか。つまり、中立を謳うならば、それは、ウクライナではなく、ロシアではないだろうか(ここで、敢えて、ロシアの中立など露ほども考えていないプーチンの名前は出さない)。中立となれば、ロシアは一石で二鳥を得ることが可能だ。一つ目、ロシアにとって最大の難敵であるNATOの侵攻を考慮する必要がなくなる。つまり、最も頭の痛い心配事が消えるわけだ。その結果、豊富な天然資源、石油、ガスなどからの収益を無駄な軍事に回す必要もなくなることになる。二つ目、そのことにより、韓国にも劣ると言われる、誠に貧弱な一人当たりの国民総生産が鰻登りに上昇し、国民を喰わせると言う、国家の本来の目的を取り戻すことが出来る。そして、その副作用だが、NATOも、無駄な軍事費を、人類の役に立つ、例えば、貧困、気候などの問題解決に役立てることが出来るわけで、一石三鳥か。

本来、ロシアが目指すべきは、ソ連崩壊により失われた国土の回復ではなく、ロマノフ王朝が生み出した、トルストイ(作家)、チェーホフ(劇作家),チャイコフスキー(作曲家)、レーピン(画家)などで代表されるロシア文化を蘇生させることにあるのではないか。それが、ロシアの最大の魅力だった筈だ。その意味では、レーニンはロシア衰退の最大の責任者と言えるだろう。ソ連となって、社会主義リアリズム(英語で言えば、Bull shit)を標榜し、ロシア文化は消滅した。所詮、ソ連は幻影だった。その版図を取り戻すことに精魂を傾けているプーチンとは、幻に生きる人としか言いようがない。そして、今のロシア国民は、騙し騙され、殺し殺されの権謀術数にのみ長けたKGB下りのプーチンを選んだことで、その責任は極めて大きい。

極論を言えば、地球上の全ての国が、中立となれば、世の中、今よりは、いささか穏やかになるのではないか、と愚考するがいかがなものか。

(児井)貴信拝承。蓋し「至言」と考えます。確かにご指摘の世界が出来れば、世の中平和になりましょうね。ただ現状(プーチン健在の間)では? それとロシヤが中立になったとして、中国はどうなるのでしょうかね?一体何時になったらこの紛争が収まることやら、小さい頭でも、悩みは尽きません。

(船津)何時も「卓見」をこれまた失礼的に軽妙に難しいことをご説明して頂き「ボンクラ凡人」もしょなりとも「知恵」が付き御礼申し上げます。所で「中立」つて何かなぁ!また分かんなくなく成ってきた。やれやる!ボンクラ凡人はダメだなぁ!国連は?スイスは?

(安田)

ロマノフ王朝時代に花開いた芸術・文芸・文学の優れた文化は共産化して以降のソ連、そして連邦崩壊後のロシアには見られない。エルミタージュ美術館が泣いているのではないか。プーチンはピョートル大帝、エカテリーナ女帝に匹敵するロシア歴史に名を遺す権力者となる野心があるのでしょう。野心の矛先は旧ソ連を構成していた連邦各国を出来るだけ取り込み昔の(彼の望む)栄光ある帝国を復活させる野望を実現させたいのであろうか?リーダーは往々にして寿命の長さがその権力保持の鍵となる。馴染みある例を挙げれば、秀吉62歳、家康76歳で共に床の上で没したが、7歳年長の秀吉が75歳まで(1610年まで)長寿であったならば徳川江戸時代とはならなかったかもしれない。

翻ってプーチンのことであるが、現在69歳、ほぼロシア男性平均寿命年齢だという。彼はパーキンソー病の疑いを持たれ、更に極度のストレス・プレッシャー・孤独感による精神的異常症候群の兆候があるのではとも指摘されている。また、政権内部の反対勢力の台頭も怖いであろう。やがて必ず訪れるポストプーチン時代はどのような形で、いつ来るのか?民主主義陣営にとってのベストシナリオは出来るだけ早いプーチンの失脚で、受け皿のまともな新政権誕生であろう。失脚を可能ならしめるのは、ブルータスが現れて暗殺、クーデター、ウクライナ問題・経済制裁が引き金で失脚などが候補であろうか。ペレストロイカのゴルバチョフは現在91歳で存命だが、プーチンも長命の可能性は勿論ある。核を持ったヤクザの組長、或いはマフィアの大ボス・ゴッドファーザーのようなギャングの親分政治家を、民主主義的な土壌で育った西側の首長は上手に御するのが苦手であるようにも見える。歯には歯、目には目を行使できない西側の曖昧戦略はプーチンを益々増上慢にさせ、常軌を逸した決断をさせるリスクがある。形勢が不利になり勝機が見出せず追い込まれた状況が、プーチンに核のボタンを押させる決断に至らせるのが最悪のシナリオだが、異常なプーチンだが第3次世界大戦だけは回避する正常心は持っていて欲しい。レッドラインと呼ばれる化学・生物兵器や戦術核を、もしプーチンが使用した場合、西側はどう対応するのか?ゾッとするシナリオだ。

僕の希望的予想は、南北朝鮮のようにウクライナは東西に二分割統治され、西側(現政権側)のNATO・EU参加は見送り、フィンランド的な中立の立場で将来の安全保障の国際合意を文章化する。兎に角、平和裡に和平が実現することを願うばかりだ。壊滅したウクライナの戦後復興は容易ではない。ロシアが賠償責任を負うはずはなく、財政が苦しい西側も充分な援助を早期に実施するのは困難で、戦後処理は優に10年を超えると予想される。

最後に難民についてだが、日本政府が協力を申し出たが、これとて長期的な観点から遠慮深謀をした結論かどうかは疑わしい。難民は2〜3ヶ月の短期滞在ではなく、長期に亘り滞在する可能性が高い。政府はそのことを想定した発言であろうか?日本社会への融合、自力更生の手立て、仕事、住居、福利厚生、保険、言葉の問題、滞在ビザなどの複雑な諸問題を考えると、軽々に安請け合いする案件ではないような気がする。

(小川)プーチンのキツネ顔、見れば見るほど胸糞悪い。騙す、狡猾、スターリンが羨ましいだけの心情。我が国の終戦前夜、あの狡猾なソ連の寝返り、僅か数日で北方領土を無傷で奪取、殆ど故人になられたシベリアでご苦労された先輩たちは何と思っておられるだろうか??!!

再開第一回 22年3月 月いち高尾報告   (47 関谷誠)

2021年12月に実施した、忘年パーティーを兼ねての、久々の「月いち高尾」後、再び、コロナ禍-オミクロンの感染拡大に伴い、中断を余儀なくさせられていましたが、桜の開花、陽春に釣られ、何となく浮き浮きする心、蔓延防止措置の解除もあり、2022年第1回目の「月いち高尾」を、3月29日(火)に、実施しました。堀川さん、岡沢さん、藍原さんの世話人幹事団から引き継いだ、新体制-関谷、伊川、斎藤での初プランともなりました。

春爛漫の陽気の下での山行と思いきや、高尾山口に降り立ったら、傘の花が開いているではありませんか!斎藤世話人が「雨男」とは聞いていたが(先日のKWVゴルフも、同氏が幹事、雨で中止になったとか)、およよ、マジかよ!!又、寒さがぶり返してきた。それでも、集合時間の10時には、何とか落ち着いてくれ、総勢24名が集合。

ジャケット姿の椎名さん(S34)が、膝の具合が悪く、参加出来ない旨を、わざわざ、説明に来られたのには敬服。十分に養生され、次回のご参加をお待ちします。初参加の村上さん(S46)、田端さん(S47)、平井さん(S47)の自己紹介後、集合写真を撮り、3パーティーに別れ、12時、高尾山山頂集合を目標に出発。

(ケーブルカー利用)

平松(S34)、中司(S36)、遠藤(S36)、鮫島(S36)、浅海(S36)、吉牟田(S36)、高橋(S36)、立川(S39)、蔦谷(S39)、相川(S41)、関谷(S47)

・10:30 清滝駅 - 高尾山駅 - 11:00 浄心門より中司、浅海、高橋、蔦谷、相川の5名が3号路経由、本隊は富士道経由で11:30山頂着。3号路組がなかなか姿を見せないので、気を揉んだが、集合時間に合わせて無事到着。

 

 

(6号路琵琶滝コース)

岡沢(S39)、武鑓(S40)、保屋野(S42)、安田(S44)、羽田野(S51)、斎藤(S51)

・高尾山口駅前9:50⇒(15分)⇒ 10:05琵琶滝10:10⇒(50分)⇒11:00大山橋11:10⇒(25分)・11:35③号路との出合いで昼食11:50⇒(10分)⇒12:00高尾山頂上

(稲荷山コース)

多田(S39)、猪俣(S43)、村上(S46)、田端(S47)、平井(S47)、伊川(S47)

・寒い寒いと言いながら10時過ぎ行動開始。村上さんを先導に快適に歩を進める。春休みとあって多くの子供たちのグループが。道を譲りながら11時見晴らし台着。この先“道がぬかるんでいるのでは?”と案じていましたが、悪所の手前から頂上直下まで木道が整備されていました。流石霊峰高尾山、金と手間を惜しんでいません!

階段直登ルート班(猪俣、村上、田端)と6号路巻道ルート班(多田、平井、伊川)に分かれ、12時過ぎに全員頂上に無事到着。

パーティー毎に昼食後、三々五々、薬王院に参拝、各人、各々の思いと願いを祈った。琵琶滝グループは1号路経由で下山、その他はケーブルカーで下山、一部の方は「高尾599ミュージアム」を見学。

14時前後に、17名が「てんぐ飯店」に集結、後の祭り反省会。

ジャイさんの音頭で、「月いち高尾」の発起人の一人、1月末にご逝去された翠川幹夫さん(S36)のご冥福を祈って「献杯」。引き続き、コロナ禍下での巣ごもり生活のうっ憤を晴らすかのように飲み喰い、楽しい一時を過ごしました。

(伊川)寒い中でのワンデルングに腰が引けておりましたが、楽しい一日でございました。稲荷山コースは寒い寒いと言いながら10時過ぎ行動開始。

メンバーは多田さん(39)、ヤブさん(43)、村上さん(46,記録係)、田端(47)、平井(47)、伊川(47,L)の6名、10時に見晴らし台で休憩。この先“道がぬかるんでいるのでは?”と案じていましたが、何となんと延々と木道が頂上直下の階段まで続いていました。直登の階段も一新!お陰様で足元を気にせずにワンデルングを楽しめました。

直登ルート班(ヤブ、村上、田端)と6号路巻道ルート班(多田、平井、伊川)に分かれ、12時過ぎに全員無事頂上に。昼食後輪王寺参拝、ケーブルカーで下山。

特記事項:登山ルートと現在位置を示す“なんちゃらナビ(スマホアプリ)”は素晴らしい!” 要所〃でトップ村上さんが“現在標高〇〇m”とメンバーに。    体力に応じた反応がございました。

(立川)お世話になりました。久しぶりの高尾、楽しい一日でした。有り難うございました。ロープウェイ利用で、12000歩、今の私にはちょうど良いようです。次回までに、一段の体力アップを心がけます。
今回は火曜日開催で参加出来ました。曜日が固定され、その日がほかの習い事と重なってしまうとずっと参加できないので、私は固定されない方が有難いです。

(村上)幹事ご苦労様でした。昨日は 大変楽しい山行でした。今後ともよろしくお願い申し上げます。写真を添付しました。

(鮫島)お世話になりました。ありがとうございます。
久しぶりの「月一高尾」霧>、小雨?の中でしたが、楽しみました
次回コロナが静かになり、開催できることを願っております。

(浅海)久しぶりの高尾山楽しく過ごしました。ジャイの案内でケーブルを降りてから2号路を初めて登り静かな山行を楽しませてもらいました。皆様ありがとうございました。尚4月25日参加希望致します。

(編集子)これ、3号路のことです。

エーガ愛好会 (132)  RAILWAYS   (普通部OB 船津於菟彦)

ドラマティックな展開などとは無縁な小津安二郎監督作品は蒲鉾をアテに燗酒を嗜むような風情があって結構好きなのですが、ダイナミックな映画作りをする黒澤明監督よりもスタティックな小津安二郎監督の方が欧州では(特に玄人筋)評価が高いようです。そうなんです。
この映画は正にそれです。あらすじより淡淡とした「電車」と島根の「稲穂が揺れる風景」と人の心を描いているだけ。あらすじはやや筋の通らない場面が多々あるがどうでも良いのかも知れない。
中井貴一が50歳を目前にして、子供の頃からの夢だった電車の運転士を目指し、家族との絆を取り戻していく男に扮した感動ドラマ。島根東部を走る電車とその田園風景が心を和ませる。子供の頃って電車の運転手に成るのが夢の人が多良いですよね。今テレビ番組でも「吞み鐵」「撮り鐵」モノが「猫番組」と同様に人気がありますよね。
本作は鉄道好きである阿部秀司による製作総指揮の元、細部まで鉄道の描写にこだわって製作された。3年近くを掛けて、部外者が立ち入れない運転台などで撮影する許可を監督官庁から取り付け、一畑電車・一畑電気鉄道(一畑グループの持株会社)・京王電鉄(一畑電車の運転士養成の委託先)の全面的な協力や、島根県、松江市、出雲市など沿線の自治体・団体の支援を得てロケが実施されている。
中井貴一と並ぶもうひとつの「主役」であるデハニ52・53は、お座敷列車に改装された状態で2009年3月29日をもって営業運転を終了していたが、本作の撮影に当たってロングシートへの改装が行われている(お座敷の構造物の撤去までを一畑電車が手がけ、ロングシートの再設置は映画の美術スタッフによる。吊り手は沿線の保育園に保存されているデハ3・6のものを借用)その上で2009年8月に撮影のための本線走行が実施されているのだが、中井ら俳優たちは甲種電気車運転免許(電車運転士の免許)を取得していないため実際に運転するわけにはいかない。そこで美術スタッフが作ったマスコンハンドルやブレーキハンドルを俳優が握った上で巧妙にカットをつなぎ合わせて運転シーンを作っている。しかし、同じ鉄道モノでは「鉄道員(ぽっぽや)」が高倉健の演技と共に優れている。この映画は鉄道モノと言うより「風景・人情モノ」ではないかと思いますが、まぁ一畑電車には凝っていますし、これが主役とも言えそうな映画です。何が良いのかというと人生、仕事一途で良いのか。やりたいことをやり遂げるのが人生だと大声では言わないがそんな人生もアルよ。といった感じの映画が心地よい。
プロ野球選手に成るべく若手が一緒に電車の運転手として新入社員として入社するが、彼は肩を壊して泣く泣くこの仕事に就いている。しかし、その彼も電車の運転手というモノが多くの人命とか人のためになるのは一刻一時も許せないと言う電車の運転手に憧れてくる。癌で一人残り闘病していた母も亡くなり、島根の実家に一人残り、やりたかった電車の運転手に人生を投げ込む。
この「49歳で電車の運転士になった男」も妻は離婚状態で東京で一人ハーブの販売をして居る。最後に夫の運転する電車に乗り「これで良いのだぁ」で終わるのは何となく納得いかないが!人生もそんなモノなのかも知れませんね。兎に角、観て居て電車と風景が心を和ませてくれます。こんな映画も偶には良いかも。