さらば愛しき女よ    (36高橋良子)

黄金の15年へ  (51 斎藤邦彦)

KWVを(大学を)卒業して41年が過ぎました。卒業後、子供達が小学生の頃までは時々家族で山歩きを楽しんでいましたがその後ほとんど山に接することなく仕事に(職場関係のつき合いに)どっぷり浸かって年を重ねてきました。KWVとの関わりも卒業30年目に連合三田会の世話役年次に日吉の講堂前で幹事をした程度で何の貢献もできず過ごしてきました。

一昨年あたりから同期の間で「春ワン・秋ワン」の世話役年次が回ってきそうだという話が持ち上がり担当できるかどうかの相談を始めました。取り敢えず「春ワン・秋ワン」の幹事役を51年度卒業組で引受けることにしたものの私個人的には体力に全く自信はなく昨年春から精力的に山歩きを再開し「山慣れ」に向けて取り組んでいます。毎月のように山歩きをし、年末には三国山荘の越年祭に参加し雪の三国山とムラキに登ってきました。

私は現在64歳で来年6月にはサラリーマンを卒業する予定ですが同期のメンバーも次第に仕事から離れようとしています。先輩方から伺うと「これから同期の集まりが増える。」「黄金の15年が始まろうとしている。」と楽しそうなお話が多く今後に希望が持てます。

同期の間では取組みの当初は半ば義務的に引き受けた「日帰りワンデルング」幹事でしたが、卒業後あまり交流のない友人も次第に輪に入るようになり、在学中に退部した人の再加入もあって同期も14人に、さらに秋ワンには11人が参加するという今回の最多勢力になってきました。秋ワンも具体的な準備段階になると結構気持ちが高揚します。

今回感じたのですが、我々はKWVという継続する大組織の偉大さと不思議な魅力と年齢的な活動タイミングの良さを併せ持った「洗練された仕組み」を享受しています。多くの先輩方が培ってこられたこの組織・運営体制・企画力等に改めて感謝いたします。

 

妙高・火打 山行記  (51 斎藤邦彦)

妙高山周辺はスキー場には何回か来たことはありますが、妙高山には登ったことはありません。今回登った「妙高山・火打山」は50年卒業の丸満さん、増田さん、実方さんの3人が今年のゴールデンウィークにアイゼンで登った記録がfacebookにあり、紅葉の季節には行こうと同期の五十嵐君と計画していたものです。健脚の登山者は一日で歩くとも言われる行程ですが、我々はのんびり登山が信条なので3日かけて歩きました。

◆1日目◆10月8日(日)◆歩程3時間35分◆

東京駅7:20⇒(新幹線かがやき503号)⇒8:43長野駅⇒9:00⇒(レンタカー1時間30分)⇒10:30笹ヶ峰登山口(1300m)10:50⇒(1時間)⇒11:50黒沢12:00⇒(1時間40分)⇒13:40富士見平14:30⇒(50分)⇒15:20黒沢池ヒュッテ(宿泊)

・深田久弥が日本で一番美しい高原の一つと称した「笹ヶ峰高原」から入山、天候は快晴。登山口からほどなくブナ・ミズナラ・ダケカンバ・イタヤカエデ・ナナカマド等の紅葉が進む樹林帯に入る。足元の熊笹とのコントラストが美しい。

・約1時間で豊かな水量を誇る黒沢の渓谷に架かる橋を過ぎ、名物「十二曲り」の急坂に取付く。「十二曲り」は登山道の名前としては有名だが思ったほどでもないと油断をしていたら、この上に続く「胸突き八丁」は過酷な急坂の難所で苦戦を強いられる。喘ぎながらやっと富士見平にある高谷池分岐。ここからは熊笹のなだらかな草原歩き。粘土質の山道はぬかるんでいるところが多くスパッツを着けてはいたが靴はどろんこになってしまった。私が30年前に赴任していた熊本ではこの状態を「じゅったんぼ」と言っていたのを急に思い出した。途中からは木道が整備されており黒沢池を見送り黒沢ヒュッテに到着した。

黒沢池ヒュッテは八角形のドーム型の優美なデザインの瀟洒な三階建ての建物だが従業員の応対が横柄であるとブログに散々酷評されている山小屋である。到着してみると小屋の管理人は何とアメリカ人に代わっており、ブログに書かれていた人物とは違う様で少し安心する。食事はカレーライスで特に美味しいというものではない。水が不足気味のため飲み物が高く缶ビールロング1000円、ペットボトルの水500円など今まで私の経験した山小屋の中では最高値である。

宿泊者の中に外人女性が二人いた。オランダ人とオーストラリア人の二人はお互いに連絡しあい自国から日程を合せてここにやってきたという。この二人昨年は同様にして上高地に来たというから日本の山に相当の憧憬を持っているらしい。我々はあらん限りの乏しい英語力で会話を続けていたがオランダ人の方は日本語が流暢であることが分かり話も弾んだ。日本の外国人向けの観光資源もまだまだ未開発のものが多いと感じる。

◆2日目◆10月9日(月・祝)◆歩程4時間35分◆

黒沢池ヒュッテ6:00⇒(1時間)⇒7:00長助池分岐7:15⇒(1時間30分)⇒8:45妙高山山頂10:00⇒(1時間)⇒11:00長助池分岐11:20⇒(1時間分)⇒12:20黒沢池ヒュッテ

ヒュッテの朝食は名物のクレープ、だが生地だけしかなくこれにジャムを塗って食べる。食べ放題で五十嵐君は7枚も食べていたが具材が入っていないクレープはそんなに食べられたものではない。

早々に出発、朝から快晴。今日は黒沢池ヒュッテから妙高山アタックの行程。アタックザックに水、雨具とラションを入れて出発。大倉乗越まで快調に登ると眼前に妙高山の威容が迫る。妙高山は昨年の11月に湊かなえ原作の「山女日記(工藤夕貴主演)」がNHKプレミアムドラマで放送されたのを見た。それぞれに複雑な人生を持った人たちが登山ガイドの工藤夕貴と山に登るというストーリーだが転落しそうになる女性をザイルで確保するシーンがここ大倉乗越だったかと思う。余談だが「山女日記」の続編が近々テレビドラマ化されるらしい。

大倉乗越から一旦長助池分岐まで下り妙高山に登り返すが、この登り返しの1時間半がかなり厳しい。すれ違う下りの人から励ましてもらったがこの言葉が最高に気に入った。「もうつらいところは通り過ぎていますからね!」と、まるで胃カメラ(内視鏡検査)の医者のようで思わず吹き出してしまった。その後の登りの苦しそうな人には私がこの言葉をかけ続けた。

妙高山の北峰・南峰とも登頂したが北峰は頂上が広く多くの登山者が憩いを楽しんでいた。この日は快晴で西に白馬三山から鹿島槍に至る後立山の山並みが、その奥に剣岳・立山が望めた。遠くにはどこから見てもわかるランドマークの槍ヶ岳や富士山も見ることが出来た。頂上でラションを摂っていると隣の7~8人グループから私のふるさとの強烈な「岡山弁」が炸裂し始め思わず「私も岡山です。」と参加してしまった。詳しく聞くと私の実家の近くの人も居た。

黒沢ヒュッテまで戻り昼食、何もすることがないのでまた飲んでしまう。小屋の滞在時間は長いが同宿の人達は話好きが多く退屈することはない。これも最近の登山ブームの大きな特徴の一つである。昨日の宿泊は新館だったが今日は本館二階に入れた。二階と三階は吹き抜けになっていて八角形のフロアに放射状に布団を敷いて寝る。案外広くて快適である。

◆3日目◆10月10日(火)◆歩程6時間20分◆

黒沢池ヒュッテ5:50⇒(1時間10分)⇒7:00高谷池ヒュッテ(荷物デポ)7:10⇒(1時間20分)⇒8:30火打山山頂8:30⇒(1時間)⇒9:30高谷池ヒュッテ(昼食)10:30⇒(45分)⇒11:15富士見平11:20⇒(50分)⇒12:10黒沢12:20⇒(40分)⇒13:20笹ヶ峰登山口13:50⇒(レンタカー1時間30分)⇒15:20豊野温泉「りんごの湯」(026-257-6161)15:50⇒(40分)⇒16:30長野駅17:03⇒(かがやき510号)⇒18:28東京駅

前日と同様、クレープの生地にジャムを塗って朝食は終わる。天候も何とか崩れていないので早々に出発。茶臼山、天狗の庭、雷鳥平を過ぎて頚城三山の最高峰火打山山頂へ。天候に恵まれ頂上からは北に日本海、南には高妻山、乙妻山その左には黒姫山をはじめ北信五岳が峰を連ねる。西には焼山、雨飾山、遠くには北アルプスもうっすらと見える。

早々に下山を開始し高谷池ヒュッテの前でコンロを点けラーメンとアルファ米で昼食、飲料水に関しては高谷池ヒュッテは黒沢池ヒュッテと同じような地形条件だがこちらは100円、ちょっとどうかと思う。富士見平から十二曲がりへ来た道を降りるが2日の間に紅葉が進んで見事な景色に変わっている。まさに黄金のアーチの中を快適に進み無事に笹ヶ峰登山口に到着する。

帰りは車で豊野駅前の豊野温泉「りんごの湯」に立ち寄る。ウェブサイトにはりんごが浴槽にたくさん浮いている写真が載っているので行ってみたが、りんごは入っていなかった。聞けば5のつく日即ち毎月5日、15日、25日限定だそうである。でも広々としたいい温泉で露天風呂も楽しめた。入浴後、レンタカーを返却し北陸新幹線にて帰路につく。

ハードボイルドから冒険小説へ

数えてもう20年は前になるが,ハヤカワから”冒険スパイ小説ハンドブック”というのが出た。なんでこんなものを持っているのかというと、推理小説からハードボイルドというものに寄り道をしてみて、その親戚筋にあたる冒険小説に興味を持ったからである。少年少女向け冒険小説というのはまず誰でも一冊や2冊は読んだだろうし、ロビンソン・クルーソーや十五少年漂流記などに興奮した記憶もあるはずだ。しかしそろそろ還暦(当時の話である、念のため)になろうかという人間が冒険小説なんてものよりもっと読むべきものがあるだろう、それでいいか。純文学に憧れながらそれを果たせなかったという引け目のような感情に何かの理論的支柱(大げさかな)が欲しかったということだった。ありていに言えばいい年をして冒険小説に入れ込むための言い訳である。

このハンドブックの初めのほうで、評論家の関口苑生氏は冒険ということを定義して、”リスクを冒し、肉体と精神のせめぎあいによる個人的な危険の連続という興奮の中で自らを成就すること”と言い、冒険小説の主要なテーマは ”成熟した男でさえさらにもう一回り成長し自己を獲得していく過程” である、と書いている。これを読んで安心した。俺にとってのドストエフスキーって言えるんじゃないか。ま、よし、という感じである。

さてこの本の中で、関口は”アメリカ人が冒険小説を書こうとするとハードボイルドになってしまい、イギリス人がハードボイルドを書こうとすると冒険小説になってしまうという説がある、とも言っている。関口の定義によるとこの両者はなにか相対峙するもののようにも思われるのだが、この本に収められている欧米の作家一覧表にレン・デントンという作家があり、そのサブタイトルが ”ハメット、チャンドラーの衣鉢をつぐ英国製ハードボイルド” となっている。僕も1,2冊デントンは読んだ記憶があるのだが、しっくりせずに該当部分を開いてみたら、”作風についていうと(注:ル・カレに比べてという文脈である)…..アメリカのハードボイルド派の影響が濃いデントンは、まったく新しい時代の語法で…..われわれ同時代に生きるものの内的リズムにぴったりあった世界を創造した”とあり、執筆者は稲葉明雄氏であった。稲葉はチャンドラーの短編など、数多くのHB小説の翻訳家として名高い人物であるから、この発言は文体に注目したプロの発言と解すべきだろう。またこのハンドブックに網羅されている欧米の小説群の中には、誰もがHBと考えるであろう作品は一点も選ばれていない。やはり、関口のいう冒険小説の定義と一致する部分が多いとはいえ、専門の人たちから言っても、この間にはやはり一線を画すものがあるのだろう。

ま、理屈はともかく、ハードボイルドミステリの大枠をなぞった僕に次の分野として”冒険小説”への開眼というのはしごく当たり前の展開であった。そのきっかけはジャック・ヒギンズの ”鷲は舞い降りた”である。このあと、ハヤカワ文庫を探し回り(中古品も多くあり、古いものもたやすく入手できた)、結果として20冊を超えるヒギンズものを読んでしまった。またこの”鷲”に刺激されて第二次大戦秘話的なものに猛烈な興味がわき、アリステア・マクリーン(”女王陛下のユリシーズ号” ”ナヴアロンの要塞”),ケン・フォレット(”針の眼” ”レベッカへの鍵” ほか)や、これらの本のあとがきなどを参考に、結果的にはみな英国人の作品になってしまったが、第二次大戦ものばかりを読んでいた。またこの乱読の結果として、まともな歴史書も読みたいと思い、英語の勉強もかねてかなりの大著に挑戦した。ノルマンディ上陸作戦については Anthony Beevor  の”D-Day”, それに続いた北アフリカ作戦は Rick Atkinson “An Army at Dawn”  と同じ著者による ”The day of battle”, John Randall  “The last gentleman of the SAS” の4冊、日本の敗戦については John Dower の Embracing Defiat”, David Pilling “Bending Adversity” の2冊であり、僕の第二次大戦についての理解はこの”冒険”によって大分深まった気がする。

話がずれた。一番読み込んだヒギンズ について多少ふれておきたい。彼は”鷲”で大成功を収めるまでの苦労 時代にはほかに3つのペンネームでいろいろな小説を書いているが、大別すると第二次大戦秘話もの、アイルランド独立動乱もの、昨今多いイスラムテロもの、そのほかのものに分けられる。このうち、最近5,6年に書かれたもの、特に”大統領の娘”以降のものはただ単に金儲けとしか思えない駄作が多いのは残念で、特に売れ筋の作家が良くやる手法だが助手的な人物を使い連名で出しているものなどはタイトルばかり大げさなだけで読むに値しない。金儲けに目が行ったら万事終わりかな、と思ってしまうものばかりだ。

しかしヒギンズの第二次大戦秘話ものには傑作が多い。中でも気に入っているのは”狐たちの夜”、”脱出航路” で前者はストーリーが面白く後者は敵味方を超えた人間味のある物語であることが気に入っている。そのほかの中から選ぶと、およそ専門家の評判にはならないのだが、”廃墟の東”と 初期の作品であるが”サンタマリア特命隊”である。両作とも主人公の孤独が心に染み入るように感じられ、数あるヒギンズの作品の中で僕流の”ハードボイルド”と言える傑作だと思っている。

ヒギンズの延長としてはデズモンド・バグリー、ハモンド・イネスなど、背景やストーリーはいろいろだが、これぞ”冒険小説”、という気にさせる作品をいろいろ読んだ。時間的な感覚がなくなっているのだが、僕の読んだ順番でいうとこの次あたりに ”アメリカ人の書いた冒険小説” が現われ始めた。次回はそのことについて書く。

 

 

 

 

北海道 ”夏” 2017 後編 (39 堀川)

知床

私が今夏の最大の目標にしていた、知床の硫黄岳と羅臼岳の縦走物語である。その背景に、昨年の6月から7月にかけて大雪山系黒岳から十勝岳、富良野岳へと6泊7日を掛けてソロでテントおよび避難小屋利用で縦走を敢行した時、忠別岳辺りから美瑛の小屋まで相前後してソロで歩いていた4人が、1年後に再会して一緒に知床の山を登ろう! と言うことになったことがあり、それが実行されたということだ。お互いソロなので勝手にマイペースで歩いているが、クマのことやら長い行程での苦労やアドバイスをテン場や避難小屋で話してうちに、だんだんと親しくなてきた。その中の一人、裏磐梯のペンションのオーナーのIさん(60歳代)が、音頭を取って下さり、大阪からSuさん(40歳代)、東京からSnさん(20歳代後半)、そして私の4人が知床半島、ウトロに、2017年7月6日(木)午後4時に集合することになった次第である。山で知り合い、その後も一緒に山に行くと言う、出来そうでなかなか出来ないことが実現。山仲間は本当に良いものだと改めて感じる。

 

2017年7月6日(木)

Iさんはフェリーで苫小牧に来て、私を拾うために昨夕旭川にわざわざ来てくれた。そこで今日は朝から二人でウトロを目指す。途中、女満別の空港で東京からのSnさんを拾いウトロの民宿へ3時半ごろ到着。追っかけ、大阪のSuさんも到着。再会を喜びながらも明日からの準備で羅臼岳から下山する岩尾別温泉の駐車場に車を1台置きに行き、帰ってきてから再会の祝杯を挙げた。

 

7月7日(金)

早朝、朝食も取らずに出発。コンビニでおにぎりやバナナを購入。1泊2日の行程なので食料の割合は全体的に少なく、ザックの重さは水も入れて20Kg位だろう。硫黄岳の登山口は、川全体が温泉で有名なカムイワッカからで、駐車場に着いて登山準備しながら、と一人が上を見るといた、いた。50mほど先にクマさんがお出迎え。我々の登っていく方向に登っていったので、ほっ! ちょっと、緊張感をもって、各自クマ鈴を付けて登山開始する。今日は行程は登山口⇒(4時間40分)⇒硫黄岳⇒(1時間25分)⇒知円別岳⇒(1時間)⇒南岳⇒(40分)⇒二ツ池のテン場 合計7時間45分となっているが、さほど暑くもなく快調に、やや、コースタイムより早く硫黄岳に到着。周辺は大爆発の跡が生々しい。でも、高山植物が気持ちを和ませてくれる。

 

知円別岳を超えると今までの荒々しい景色から一変して緑が多くなり、高山植物が咲き乱れ別天地の様相、楽しい縦走が続く。私はメンバーに迷惑を掛けないように必死で歩いているが、他の3人は余裕の表情。南岳に着くと今日のテン場の二ツ池が見えてきた。ここからコースタイム40分と思っていたらコースも変わっていて、道はハエマツの根っこを跨ぎ跨ぎ歩かなければならずえらく疲れる。時間も1時間以上かかって到着。疲れた! でも、テン場は最高の雰囲気。水も煮沸すれば問題ない。心配なのはクマさんだがフードロッカーもあり、4人いるのでクマも寄っては来ないだろう。各人でテントを張り、各人で夕食の準備をする。一見無駄なように思えるが、もともと4人ともソロなので違和感は無い。各人のスタイルで4人4様だ! 夜は満月で何とも幻想的で素晴らしいテン場に泊まれて幸せ感一杯である。月が明るすぎて星があまり見えないのが残念だ!

 

7月8日(土)

今日も天気は素晴らしい!フードロッカーから食料品を戻し、4人4様の朝食をとる。テント撤収から出発までは皆動きに無駄がない。今日の行程は、テン場⇒(30分)⇒オッカパケ岳⇒(1時間10分)⇒サシルイ岳⇒(1時間10分)⇒羅臼平⇒(1時間)⇒羅臼岳⇒(45分)⇒羅臼平⇒(2時間40分)⇒木下小屋(岩尾温泉)合計7時間35分。歩き始めてすぐに私の体調が思わしくない。熱中症の感ありで身体が重いのだがゆっくりしたペースにスローダウンしてくれて気を使ってくれる。有難い! 次第に体調も良くなり、適当に雪渓あり高山植物あり、何よりも景色が素晴らしいの一語に尽きる、素晴らしい稜線歩きを楽しみながら羅臼平に到着。よし、ここから羅臼岳往復1時間45分、しかも空身で行けるのでなんとか行けそうだと気を引き締めた時に、リーダーIさんが、バテタから自分はここで待っていると言う。え~、と思いながら・・・Iさんが私を気遣って言ってくれたものと解釈し、私も居残ることにする。20年くらい前に登っているので今回は行かなくても良しとした。年寄りは無理をしない。が鉄則です。何よりリーダーの心遣いに感謝するが、若い二人は1時間20分ほどで往復してきた。素晴らしい脚力だ。そこからは4人そろってわいわいとおしゃべりをしながら、十分に休みコースタイムより早めに下山、コーラで乾杯‼ 旨い!!素泊まりの民宿へ。夕食は漁師の経営する居酒屋へ行って大いに盛り上がる。楽しい! 良い仲間に恵まれ、天候に恵まれ、感謝、感謝の2日間であった。

7月9日(日)

民宿で朝食後、知床五湖へ行き、一昨日、昨日と縦走した硫黄岳から羅臼岳まで全山を一望してウトロに戻ってきた。楽しかった4人での山行はここで解散し、Iさんは大雪山へ、Suさんは日高の山へ、Snさんは斜里岳、阿寒岳へ。私は斜里岳と釧路湿原で終日カヌーでの川下りを楽しむ予定で、来年もぜひ誘ってください、とお願いした。

 

撮影場所がずれているが、左端が硫黄岳、右端が羅臼岳である。(連山をイメージして下さい)

 

 

虫の知らせか・・・??

斜里岳にはSnさんと同行の予定だったが、明日から天気は崩れるとの予報と同行するとSnさんに迷惑を掛けそうな気がして、急きょ取りやめ、一人で川湯温泉に行き英気を養って釧路湿原のカヌーの川下りに集中しようと考えた。知床斜里駅の観光案内所で川湯温泉のホテルを予約してJRで川湯温泉駅へ。のんびり風呂(温泉)に入り、夕食を食べて部屋に戻った時に娘から「お母さんの具合が悪く、入院させます」との連絡がはいった。ショートステイ先で具合が悪くなり、最寄りの病院に行ったがその病院から救急車で昭和大学藤が丘病院に入院さすことになったとか・・・う~ん。マイッタ‼ それからどうやって帰るか、釧路からか、女満別からか・・・飛行機の予約が取れるか? 翌日のホテルのキャンセル。カヌーのキャンセル等々。

1時間位掛かったが、今は、すべてスマホで出来てしまうのだ。素晴らしい! お陰様で翌朝JR川湯駅発の始発で釧路へ。バスで空港へ、全日空の1番機9時55分に乗って11時40分には羽田着。1時30分には家内の入院先に到着。「お父さん‼ 私をほったらかしにしないで帰っていらっしゃい」と言うメッセージだったのかもしれない。(退院は8月3日 病名は腎盂腎炎であった)

これで、私の2017年の夏山は終わったことになる。今日にいたるまで、泊りがけの山行は全て中止し、家内の介護に専念している。次回は、高尾でゆく秋を楽しみたい。

北海道 ”夏” 2017  前編 (39 堀川義夫)

利尻・礼文・旭川

昨年夏、大雪山から十勝富良野岳へのソロのテント行に続き体力のあるうちに再度の北海道ということで7月1日、発。

礼文島から海越しに見る利尻富士

7月1日(土)

午前の便がとれず1305羽田発稚内からフェリーを乗り継いで雨の利尻島鴛泊港へ。

サンダル履きに雨傘で15分、閉店時間を過ぎた雑貨屋で予約したおいたガスボンベを購入。結構な雨を見かねて店のお嬢さんがキャンプサイトまで車で送ってくれた。ありがたい。テン費用500円。空弁と札幌クラシックで寂しく夕食。利尻富士は翌日登頂予定だったが早々に翌々日に変更。ソロ行の特権というわけだ。隣接の”ゆーに”という日帰り温泉でリラックス。

7月2日(日)

朝から結構降っている。山に行かなくて大正解。昼はラーメンを作って食べたが退屈。翌日の行動を考えて、24時間12,0980円という恐ろしく高いレンタカーを3時から借り、島を一周。雨はやみ、利尻富士も姿を見せ始めた。途中,沓形港近くのキャンプ場へ行ってみたら、昨日一緒のテン場だったフランス人家族にバッタリ。今日はこのテント場に泊まるとか。両親は30代後半、子供が4人で長女11歳、次女9歳、長男6歳、性別不明だが幼児、という合計6人。フランスから自転車5台と幼児用のリアカーを持ってきたとのこと。私がテン場でグダグダしている間に雨の中、親子6人で移動していたわけだ。まあ、価値観の違いというか、若いのか、フランス人ならばこそなのか?レジャーに関する文化の違いか?本当に感心。

7月3日(月)

午前のフェリーで礼文へ行く予定を午後の便に変更して利尻富士登山に挑戦。2時30分起床、そのままレンタカーで登山口へ。バナナを1本食べてヘッドランプをつけ3時出発。雨は降っていないが曇りで結構涼しい。コースタイム、往路5時間30分、復路3時間20分、合計8時間50分と結構長い。午後のフェリーに乗るため遅くとも1時30分に下山しないと撤収やレンタカー返却ができない。30分歩くとヘッドランプは不要になり、ほかに登山者もいないので快調に上って行けた。3時間で避難小屋、8時から8時30分の間位に頂上が見えて来た。この小屋は4年前のGWに沢筋からスキーで登ってきて、悪天で引き返したところだ。なつかしい。腹ごしらえをしていたら登山口を4時に出たという若い人に抜かれる。コンチクショウと思うが追いつけず。周りは何も見えないのでただひたすら登るだけだったが、山の神様も最後にご褒美と標高1400mを過ぎたあたりからなんと雲一つない大晴天!頂上は8時、5時間で何とか登れた。360度の雲海、30分ほど遊んで下山開始、結構きつかったが11時30分登山口に到着。コーラが旨かった!テン場に戻って昼食、撤収、温泉にいき、レンタ返却してから早めに港へ行き、ビールで一人乾杯。利尻富士が頂上まできれいな姿を見せてくれた。

礼文島着、テン場は遠いので、ユースホステル桃岩荘に宿泊。このYHは昨今のホステラーが敬遠しがちなミーティングを逆に売り物にして昔ながらの雰囲気を出す。ロケーションは最高。夕焼けの写真(右上掲載)をご覧あれ。

7月4日(火)

早朝からYHの車でバスターミナルへ行き、スコトン岬へ。早朝の霧がまだ晴れていない。しばらく待ったが晴れないので歩き出す。礼文島のカタログにある8時間コースに1時間40分の林道コースを通り、香深港の民宿まで何キロがわからないがコースタイムの積算が10時間30分、トレッキングとフラワーウオッチングである。天気は申し分なく、盛りのお花畑も言うことなし。途中、漁師がやっている休憩所で今朝採れたという生ウニを食べる。旨い!あとはひたすら歩く。スコトン岬8時発、10時間30分でヘロヘロになって香深港の民宿到着6時30分。おやじに”うちの夕食は6時からだよ!”と文句を言われながら、まずはビール。旨い。最高。

7月5日(水)

移動日、フェリーで稚内、JR最北端の稚内駅まで歩き、屋台のお姉さんのおすすめのすし屋に行って腹ごしらえをする。旨い。酒も旨いが昼から一人で6000円。昨日のYH宿泊代の1・5倍ということになる。稚内発1301のサロベツ4号、初めての宗谷本線で旭川1648、昔から乗ってみたいと思っていた路線で心も和む。旭川では昨年に引き続き同期の大谷博君と再会、天金という居酒屋で奥様ともども歓待を受け、地元の人ならではのスペシャルメニューをたらふくごちそうになった。まさに極楽だ。明日は知床、以下、後編で報告する。

 

 

9月度月いち高尾報告 (39堀川)

開催日:2017年9月20日(水)

楽々コース  高尾山口⇒バスで大垂水峠⇒一丁平⇒薬王院

安藤 吉牟田 後藤 高橋 深谷 翠川 平松 小泉 船曳孝彦 船曳愛子 椎名   町井 蔦谷 立川 藍原 中川 堀川

定番コース  高尾山口⇒稲荷山コース⇒高尾山⇒薬王院

西澤 武鑓

直行コース  高尾山口⇒薬王院

岡 翠川(紀子) 中司恭 中司八恵子

9月の「月いち高尾」は20日(水)に開催。お昼には薬王院の精進料理を食べることになっていたためか、なんと全体で23名の参加。天候もまずまず。お彼岸入りの日で涼しい!

楽々コースは17名が参加、バスで大垂水峠まで行ったので標高差もあまりなく、ススキがすっかり秋の気配を感じさせる道を1時間ちょっとで一丁平へ。その後、もみじ台の細田小屋を経由し、高尾山は巻き道利用で薬王院へ12時50分着。先行の稲荷山コースの2名と直行コースの4名とも時間通りに合流出来た。

薬王院の精進料理は有名だが、これほど足しげく高尾山に行っていても全員初めての経験、今回は2800円コースにしたが、十分な内容で少しビールなども飲みながら楽しむことが出来た。食事後は全員でぶらぶらとケーブルカー乗り場まで行き、解散。ケーブル利用、リフト利用、しっかり歩いていく人等三々五々帰宅。リフトで下山した組はケーブル山麓駅で思いがけず猿園を見学された秋篠宮・紀子様に遭遇した。

 

“ハードボイルド”文学について(その2)

さきにふれた大藪の”野獣死すべし”の中に、主人公の伊達邦彦が書いた大学の卒業論文は”ハメット―チャンドラーーマクドナルド派に於けるストイシズムの研究”だったということになっていて、大藪の作家としての原点はやはりこのあたりにあったのかと思っていたのだが、”冒険小説論”で知られる評論家の北上次郎は大藪の作品ををハードボイルドとして紹介したのが間違いで、彼の作品は冒険小説とよばれるべきだ、と論じていることを知った。このあたりの論議は専門家の間でもいろいろあるようだ。ともかく、伊達がどういう論文を書いたのか知る由もないが、僕の考える”ハードボイルド文学”とはどんなものか、自分自身の整理のために今まで書いたことからまとめてみると、結局二つの点に要約できると思う。

第一に、話を紡ぐ主人公が(その意味では一人称で書かれたもののほうがわかりやすい)自身で確立した人生観・価値観を持ち、すべての行動をその基準(昨今のビジネス用語でいうコード・オブ・コンダクトと言ってもいい)に則って自分のやり方にあくまで固執しつつ、目的を完遂することが主題であり、その実現のためには社会通念とか伝統とかそのほかのしがらみを切り捨てて顧みない、ローンウルフであること、そしてそのことに誇りを持っていることが要求される。

第二に、文体というかスタイルは簡潔であり直截的でありながら、その中に一匹狼でありつづけなければならない主人公がそのことゆえに感じる孤独とロマンチシズムがはさまれていなければならない。つまり自分が孤独であるがゆえに、他人に対して、敵味方とか正義とか愛情とかの、いわば本質的値観や感情ではなく、一個の人間として(最近習い覚えた言葉を使えば)実存的な共感を覚えさせるものがあることだ。

この二つの点に焦点を当てれば、”ハードボイルド”という分野の題材というかストーリーは別にミステリである必要はなく、冒険小説というジャンルに入るものや、一般の読みものであってもかまわないことになる。ただ、ものの順序としてミステリの”御三家”についていえば、僕の好みはやはり全体(この場合清水俊二の翻訳)に流れる雰囲気から”長いお別れ”がどうしても第一に来るのだが、そのほかの作品となるとマクドナルドのものに共感する部分が多い。それは彼の中期以降の作品がまさに僕らの知っているアメリカの病巣ともいうべき部分に的を絞っているからで、そこには絵空事ではない現実感があるからだろう。多くの長編のなかでは、”縞馬模様の霊柩車(The Zebra-striped Hearse)”,”寒気(The Chill)”,”ウイチヤリー家の女(The Wycherly Womon)”の三篇が特に気に入っている。

さて、この”御三家”の跡を継ぐのは誰か、ということについては専門の文学者をはじめ多くの議論があるようだ。一時はジェイムズ・クラムリ―(”酔いどれの誇り”など)やジョージ・ペレケーノスなどという名前がよく出てきたが、一般に知られたという意味ではロバート・パーカーではないだろうか。翻訳は長編はほぼ全編がそろい、”スペンサー(主人公の名前)シリーズ”と銘打って素敵な装丁でまとまって刊行されている。この”スペンサー”シリーズが”御三家”と違う第一の点は主戦場がボストンであり、全編、かなり知的な会話がちりばめられ、しかもサブキャラクターとして”ホーク”という黒人を配して人種問題にも言及があったり、しかも主人公のロマンチシズム志向を失っていない、といった点で多くの読者を獲得したのだと思う。パーカー自身もチャンドラーに私淑していて、チャンドラーが未完でのこした原稿を書き継いで”プードルスプリングス物語”という長編にまとめ上げている。この中では、マーロウが長年のロマンスにピリオドを打つ、というおまけまで添えられているのも彼のチャンドラーに対する敬意とでも言えるかもしれない。

僕が自分で探した、というと自慢めくが、最も気に入っているのがスティーブ・ハミルトン(Steve Hamilton)という作家である。デビュー作 ”A Cold Day in Paradise”は”氷の闇を越えて”というタイトルで翻訳されているが、これがまた見事な出来栄えですっかり気に入ってしまい、同じ翻訳者(越前敏弥)のシリーズを読了した後、アマゾンで手に入る原本をすべて読み直した。彼の文体は平易で読みやすいが、そのほかにも物語の舞台が今度はミシガン州パラダイスという街(架空ではなく実際にあることは地図で確認した。とにかく冬は猛烈に厳しいところのようだ。パラダイス、といっても天国ではないのだがこの辺がアメリカ人のユーモア感覚だろうか)。”御三家”シリーズで慣れてしまったカリフォルニアとは全く違う社会環境であることや、パーカーの場合の黒人に対して地元の先住民族との交流や協力がたびたび登場するのも面白いところだろうか。ハミルトンの出発は元警官のアレックス・マクナイトのシリーズで、これは僕の定義するハードボイルドの範疇にはいる佳作ばかりだが、最近は別のニック・メイスンシリーズというのが始まった。だがこちらのほうはむしろクライム・ノベルというべきではないかと思っていて、ストーリーは面白いがマクナイトものには及ばない。

文体、と言ってもまずは翻訳書の話だが、その雰囲気で気に入ったのがサム・リーブス(Sam Reaves)である。彼の場合は翻訳者(小林宏明)の案なのか早川書房の案なのか、原題とは全く関係のない、一見すると女性向ロマンではないかと錯覚するようなタイトルがついている。いわく、”雨のやまない夜”だとか”過ぎゆく夏の別れ”などといった具合である。ネットにファンの書き込みがあるが、主人公のマクリーシュは今にいうハケンである、という意見もあるように私立探偵とか警官とかではなく、一人のロマンチストの運転手が活躍する。本国ではさほどヒットしなかったようで、アマゾンで原書を探しても初期のものはぼろぼろの中古しか入手はできていないが、僕の好みに合ったシリーズである。

ハミルトンがミシガンの田舎を舞台にしているといったが、一転してワイオミングの自然の中で展開するシリーズがある。作家の名前はC.J.ボックス、主人公は野生動物の保護官ということになっていて、大自然の中で素朴に生きているアメリカ人の社会がパーカーなどとは全く違ったものであることがよくわかる。僕がひそかにあこがれている米国中西部の、まっとうなアメリカ人が描かれていることも、もちろんストーリーの見事さもあるけれども愛読する理由でもある。

ここまで紹介した作品や作家は、”ハードボイルドミステリ”の定義に当てはまる要素をしっかりもっているのだが、その要素の中で特に”現場を歩き足で解決する”という部分に特化すれば、何といっても、かつてテレビ普及の初期に人気番組だった”87分署”シリーズのエド・マクベインにとどめを刺すようだ。テレビで主人公キャレラ刑事を演じたロバート・ランシングの特異な顔つきを覚えているむきもあるのではないか。ニューヨーク市警をモデルにしたという架空の町での話だが、人種問題や階級意識の問題など、マクドナルドのところでもふれたが現在のアメリカ社会の暗黒部の話が毎回出てくる。だが主人公にはローンウルフ的なイメージがなく、分署の組織が動く、という点と結果的にはいかにもアメリカ的な解決が多いのが物足りない。

アメリカの話ばかりになったが、日本の作家ではどうだろうか。先駆者ということになっている大藪についてはすでに述べた。出版業界では大藪の売り出しで味を占めたのか、以後、”ハードボイルド小説””ハードボイルドタッチ”などという宣伝文句がしょっちゅう目に留まるようになった。この分野に目される人も大沢在昌とか逢坂剛とか沢山いるわけだが、僕の好みは北方謙三にとどめをさす。どこかで北方が書いていたことだが、本人は純文学志向であったのだが或る時友人からハードボイルド、という分野を聞き、”読んでみたら、なんだこれなら俺にも書けると思って書き始めた”、のだそうだ。最近は”三国志”をはじめとして中国古典のリライトなどが多く(というか多すぎて)流行作家的な存在になってしまっているが、”弔鐘はるかなり”とか”二人だけの勲章”とか、暗いトーンでまとまった中編もいろいろ読んだ。70年代の学生運動とその熱狂から醒めた人物像が主人公のものが多く(本人もそのひとり)、同時代を生きたものとしてある種の郷愁を感じるものが多いが、僕には”さらば荒野”で始まり”再びの荒野”で終わる、という”ブラディドールシリーズ”が一番いい。全10冊がすべて独立した主人公で完結する物語になっていて、彼らの背負っている人生の負の遺産の重みを感じる佳作ぞろいである。純文学から転身した北方は明らかにハードボイルド作品で”文体の持つ意味を意識しているようで、独特の短い文節を矢継ぎ早に並べる書き方もそのひとつの試みなのだろう。

この”ハードボイルドタッチの文体”を日本語で表す、というのはプロであっても苦労するようだ。すこし軽妙過ぎて僕の好みではないのだが、”リンゴオ・キッドの休日”とか〝サムライノングラータ”などを書いた矢作俊彦・司城志朗にはその試みがあきらかにある。北方が文体そのものに挑戦しているのに対し、彼らは特にチャンドラーものに多い,大げさな形容詞句を発明することで味を出そうとしているようだ。

”犯罪現場での話”の拡張をしていくと、最近では大掛かりな組織、つまりCIAとか軍とかFBIなどといったものをバックにした話が多くなってきた。この辺になると、本題の”ハードボイルド”と”冒険小説”との境目がよくわからなくなってくる。冒険小説とは何か。このあとに僕の冒険小説遍歴について書いてみたい。