リバタリアニズムは個人の自由と経済活動の自由を最重視する考え方で、結果として経済的側面では保守、社会的にはリベラルな性格を持つと定義され、現在の仕組みで言えば共和党と民主党双方に共通する性格を持つ。この真逆に位置するのが、個人的にも経済的にも自由度が低く、個人よりも国家の利益を優先する権威主義ということになり、現存する共和党対民主党、という立ち位置はこの中間にある。権威主義、とは国家主義、宗教主義、共同体主義、人種主義などいろいろな思想が入り乱れるが、結果としていままでの米国において主流となったことはないし、米国人の大半にとって忌むべきもの、不当なものと考えられてきた。それは彼らが常に誇りとしてきた建国の思想であり、FREE COUNTRY という一言が世界中の人々にこの国に対するあこがれを抱かせてきた。日本人の多くも、その理想を追求する国に、模範として敬意を払ってきたように思う。現実に我々が憧れ、尊敬してきたアメリカという国の形は1950-60年後半あたりまでの、ケネディが磨き上げた国のイメージだったし、米国人の多くも同じ感覚を持っているようだ。そこにはに移民によって成り立つこの国が数多くの障害を乗り越えても、”建国の思想” を守り続けていくはずだ、という確信があった。
そもそも、他所の国と比べて桁違いに少ないPCR検査のために、無症状、軽症者が巷に溢れ、そこへGo To Travelなどが加わってきているのが原因と考えます。世田谷区で、“誰でも、何時でも、何回でも“PCR検査が出来るようにという方針を打ち出しました。ニューヨークや韓国で成功した先例があるのです。もろ手を挙げて賛成します。これまでにも山梨大学、新宿区など、その試みが打ち出されては来たのですが、政府は一向に取り上げてきておりません。PCR検査が唾液法や、簡単キット法で素早く、安価で大量に検査できるといわれながら未だに公的には採用されていません。日本で開発されフランスなどで採用され、医師、技師、防護服などの検査用機材も少なくて済むというのに、コロナ禍が始まって半年が過ぎているのです。信じられません。コロナ禍克服に、国は本腰を入れて対処してほしいと念願します。
(安田)半世紀以上ぶりにこの映画を観た後、3度目の「7人の侍」も観ました。テクニカラーとモノクロ、メキシコの荒野の寒村と日本の農村、真っ青な青空とどんよりとした日本の空、銃と刀・槍、2時間と3時間半、太鼓とギターの音楽に対して不気味な鵺のようなテーマ音楽、陽と陰・・・、全てが対照的。小泉さんの名解説に酔いしれました。さすが西部劇の横綱です。ありがとうございます。 銃によるやや淡白な殺し合いに比べて刀剣では間合いが圧倒的に近いので、緊迫感や殺気の点では7人の侍に一日の長あり。千秋実、加東大介、稲葉義男、志村喬、宮口精二の侍らしくない助っ人浪人に対して、荒野の7人では皆Magnificent Sevenに相応しい個性を売り物にする配役でした。 The King and I ではユル・ブリナーは“I”役に決まっていたモーリン・オハラをデボラ・カーに変えさせたくらいに押しが強い頑固な役者ですから、6人の仲間の配役にも影響力を及ぼしたのではないか。マックイーン、コバーン、ブロンソン、ボーンなどのその後の活躍を知るにつけ、人を瀬踏みする才能も流石だったのではと思いました。