台湾総統選と米国不法移民の話

11月3日付読売新聞に台湾の総統選について興味ある報道があった。今まで、全く興味はなかったのだがこの話は非常に面白いと思った。既存の政党間でのせめぎあいの中で、突然登場した柯文哲という人の話である。

同氏は今や台湾を混乱させつつある中国との関係について、中国との統一論も台湾独立の議論も、議論するだけ無駄だ、という。いわく、米国は中国と台湾の統一を許さず、中国は台湾の独立を許さないという現実は、解決の方法もない議論だ。解決のできない問題に30年も議論している方がおかしい。いまの台湾、という現状をそのまま認めればいいではないか、と主張するのである。詳しいことはわからないが、現在の台湾は平和だし、経済も順調、半導体の分野にあっては一方の雄として君臨している。この現状で何が悪いのか、という極めて単純な理屈である。このことは小生にすんなり納得できる。

同じ日、違う紙面に 変容する米国 というシリーズの3回目があって、ここでは不法移民の激増で混乱している米国の現状の報告があった。見出しが 揺らぐ寛容 とあるのがその深刻さを物語っている。トランプの有名な メキシコとの壁 でこの問題の異常さがクローズアップされたが、その後バイデン政権になって見直しがあり、またぞろ膨大な数の不法入国が後を絶たない。国境沿いのテキサスやアリゾナは彼らをまとめてバスに乗せ、内陸部の大都市へ放り出す、という乱暴な対策に出ている。この結果、ニューヨークやシカゴではシェルターが足りず、対策に巨額な費用が掛かり、犯罪が急増し、職を奪われる人が増加する、という結果となって 街が壊れる という危機意識が醸成されつつあるようだ。いうまでもなく米国は移民によってつくられた国であり、欧州各国にくらべればこういう事態にもいわば国是として寛容さを保ってきたわけだが、このままで推移すれば、米国の人口の最大のパイはヒスパニック系になると予想されるとなれば、もうその寛容も限界に近付きつつあるというのが実態なようだ。

かたや欧州ではアフリカや中近東からの移民、とくにアラブ人の入国が増え続けているが、この内陸部の国々が抱える問題を考えてみると、米国も欧州も他国と地続きであり、人間の移動を阻むことが困難な一方、ひとたび入国し定着すればことなる一神教のせめぎあいという問題を避けられない。これに対し、台湾は大陸と海によって隔てられ、温和な国民性と単一文化をはぐくんできたといういわば地政学的な差がある。そしてそのことはそっくり日本にも当てはまる。同じ漢字文化の国とは言え、韓国は大陸と地続きの半島国家であり、事情は異なってくるだろう。

先日、イスラエルの事情についての議論の中で、現在起きている戦争状態のなかで日本はどうするか、という課題について触れたが、その中で我が国の地政学・物理的な位置、単一民族単一文化、実質的に無宗教、などという、この意味では現在苦悩している大陸国家に比べて有利にはたらく天与の優位性を生かして、現実を素直に受け入れた、現実に即した国策ということを考えるべきだと書いた。硬派(?)の船津於菟彦なんかからは おめえ、何言ってんだ、と怒られたが、どんなものだろうか。

神無月ふたつの旅     (普通部OB 船津於菟彦)

神無月は二つの撮影旅行をして通り過ぎのエトランゼとしての秋を感じる写真を撮ってみました。
先ずは海野宿塾から姥婆捨山棚田から松本城、そして月末には日光杉並木公園〜日光田母澤御用邸〜竜王峡、そして町田の薬師池公園、それぞれの秋です。
姨捨の芭蕉の句  「おもかげや姥ひとりなく月の友」  「更級や姨捨山の月ぞこれ  虚子」
松本城でスワンが一人秋を待つ
昔こんなデートもしましたねぇ 静かに二人でゆったりとした行く秋を愛でる-町田薬師公園
我が家からの秋の夕陽 燃えるような夕景。時は巡り今年も霜月と師走になりました。元気一杯愉しく人生100歳時代を謳歌して参りましょう

パレスチナ―イスラエル問題に思うこと

(平井)この問題は本当に根が深く、一番の問題はイスラエルの建国にあたって、携わった主要国がパレスチナのことを忘れたことが大きな間違いだったのだと思います。二つの国を認めるべきです。一神教の原理主義者たちは、他の宗教を認めませんから、恐ろしい事になりますね。人間にとって宗教はとても大事ですが、人間の英知がそれを超えてコモンセンスに立ち返らないと「共生」は無理です。他の民族を根絶やしにするなんて本当に恐ろしいです。ネタナヤウはそれをし兼ねない人物と思います。即時停戦を願うばかりです。

(中司)この問題、我々には到底理解できない感情問題、民族性、宗教などが絡み合っていて、傍観するしかすべはありませんが、それにしても腹が立つのは、中東をはじめこの辺の問題の種をまいたのは英国であるということです。バルフォア宣言しかり、サイクスピコ協定しかり、当時の帝国主義の結末ですからね。最近読み直した逢坂剛のイベリアシリーズという小説群にも出てきますが、英仏などが国の権益、と何食わぬ顔でいいつのるのはすべてこの種の勝手な理屈の産物だ、といわれても仕方がないのだと思います。その点、わが日本はアジア諸国を簒奪しようとしたと言われて引っ込んでいますが、その結果、英仏の植民地が独立できたわけですから、インド、フィリピン、インドネシア、タイ、これら諸国が引いたくじと、パレスチナが引かされたくじの違いは大きかったわけですよね。

しかし聖書の記述にさかのぼって悪者扱いされ、世界を放浪せざるを得なかったユダヤ人(同じアラブ人なのに!)がようやく作り上げたイスラエルという安住の地に強烈な意識を持つのも理解できます。どうしたらこの悲劇は終わるんでしょうかね。これに比べればロシア―ウクライナ戦争などは単純な領土争いで、いわば自業自得の結末に見えてきます。グローバリゼーションに乗り遅れたとか、何とか、例によって西欧礼拝主義者がいろいろいいつのりますけど、海に囲まれた島国であり、言ってみれば無宗教であり、引っ込み思案で自己主張がなくて、アメリカのポチで、でも80年間の平和が保たれる日本、それで結構じゃん、といいたくなるんですが、だめかなあ。

(船津)國の無いユダヤ-イスラエル-も大変かと思いますが元々アラブの國ですよね。無理矢理独逸など世界から追われた民がやっとしがみついた土地でもありますが、分捕ったことには違いありません。パレスなのガザ地区へ押し込められた民は苦渋の日々だと思いますね。平和を願います。

(菅原)触らぬ神に祟りなし。でも、何かあるだろう、と言われれば、一神教から多神教への改宗だ。誤解を畏れずに言えば、例えば、英国の二枚舌、三枚舌を非難したところで、「覆水盆に返らず」であって何の意味もないし、何の解決にもならない。一神教の人から見ると、多神教の日本人をどう評価しているのだろうか。

ファイサル1世と写真に写るロレンス(右から2人目):

(安田)映画でお馴染みの「アラビアのロレンス」ことイギリスの軍人トーマス・エドワード・ロレンスは政府の命令を受け、彼の地の支配者オスマン帝国に対してアラブ人の反乱を支援・主導し、遂にはオスマン帝国を駆逐することに一役買った。アラブ人たちはオスマン帝国が去った空白地帯にはイスラムの国、パレスチナ国家の建国を旗印にしていた。ロレンスもそのつもりで尽力した。ところが、イギリス政府の頭にはオスマン帝国を駆逐した暁にはイスラム国家、パレスチナ国家の建国など毛頭なく、バルフォア宣言に沿ったユダヤ人国家イスラエル建国が意図されていたのだ。ロレンスは知らされておらず自国政府に謀られていた、利用されていたことに後年気づき、落胆し、不幸にもオートバイ事故で早逝した。この第一次世界大戦以降の中東国際政治の場でイギリスはそれほど老獪に立ち振る舞ったという具体的事例で、覆水盆に返らず。人間のやることの理不尽さは他にも「国連常任理事国の選定と拒否権」に見て取れる。不公平極まりない国連の規定である。これも第二次世界大戦後のPower Politicsの遺物だ。

日本人には理解しがたい宗教観、更に人間の業、煩悩に起因する如何ともしがたい人命の犠牲を強いる民族間の闘争の現場がパレスチナ・イスラエルだ。この問題の解は、当事者が皆等しく満足し、円満に着地点に到達出来るかどうかという観点では、無いと断言できる。この点、ウクライナ戦争は単純明快で分かり易い。人間の限界を見せられていると感じる。

日本にとって危惧されるのは、アラブ全体に火種が延焼し、オイルの供給とシーレーンの安全が担保され続けるかどうかという点、更にアメリカ国内のユダヤ社会の政治的影響力の大きさからイスラエルへ軍事的肩入れをする羽目に陥れば、対ロシア、対イスラム諸国の二正面に力をそがれ、極東の一番の仮想敵国中国への対応が手薄になる可能性があるという危惧がある。ロシアと中国はイスラエル・パレスチナ問題におけるアメリカの介入は勿論大歓迎に違いない。バルカン半島のサラエボでオーストリア皇太子が暗殺されて第一次世界大戦が勃発したように、小さな火種が世界大戦へと飛び火しかねない。現在のウクライナ戦争、パレスチナ紛争はすでに第三次世界大戦が始まりつつある端緒と指摘する識者もいる。本当に憂慮される事態だ。