嗚呼 80年    (普通部OB  船津於菟彦)

毎年12月8日になると太平洋戦争のことを書いています。今年は少し趣を変えて、傘寿を過ぎたわが人生を時代と共に振り返って見たいと思います。
ライカⅢbは1938年に作られました。日本は紀元2600年を二年後に控えお祭りムード。
しかし、その前年に日中戦争勃発!ドイツがロシアに侵攻。総ておじゃんに成り亜細亜で初めての東京オリンピックは返上。しかし、未だ米国と戦争状態になるとは誰も思って折らず、街は次第に物資が枯渇していたものの未だ未だ「今日は帝劇明日は三越」の時代でした。そんな1938年生をうけて、それはそれは幸せな人生を歩みました、と言いたいところですが!
                                                                                  ライカⅢbと生存競争中の坊やは日章旗の前掛け掛けて、父母は未だ歌舞伎を見てきたとか、雅叙園で宴会があったとかで、お土産を愉しめたときでした。(モノクロ写真をカラー化)
2041年12月8日。あれからもう80年経ちました。「油断」-ガソリンを断たれる-とか色々な制裁があったりして、あの大国に勝てると思い、無謀な戦いが始まってしまった。ハーバート大学に留学して、米国の経済的豊かさとか、「自由」など理解していたはずの山本五十六は短期決戦で、大東亜共栄圏から米国を従属させようとしていました。
下の写真は開戦25年に米国のタイム誌が作った、当日の新聞と開戦を伝えるラジオ放送のLPレコードです。この新聞の広告を見ても今と変わりませんね!こんな國に勝てるわけがありません。日本は「欲しがりません勝つまでは。贅沢は敵だ」の時代に突入。
米英蘭から中国から撤兵せよと迫られ、軍部は「勝った、勝った」で聞く耳持たず!国民も次第に戦勝に酔いしれていった。しかし、もう既に日本国内には資源・物資は枯渇し始め「欲しがりません勝つまでは」の時代に成り近くのお菓子屋さんへ行っても殆ど何も無く未だ珍しく干しバナナ何ぞが在り、買ってもらった記憶あり。米なども配給制になり、金属を総て「供出」家のトタン塀まで剥がして差し出していました。
学童疎開が始まり、父は子供のことを思い、自ら「都落ち」覚悟で信州に転勤し、。厳冬の総てが凍る上田市郊外の家を借りて「疎開」しました。
その翌年、国民小学校一年生に入学。戦闘帽に胸には名札。そして兄のお下がりの革靴にゲートル。入学式の日に校長先生から「今どこと戦争しているんですか?」と言う言葉に手お上げて「ハーィ米英撃滅」と答えたことを記憶しています。父のお陰で集団疎開して悲惨な経験はしないですみ、ガキ大将で野山を駆け巡っていました。冬は堆肥作りのために「落ち葉-カシャッパ」集め。夏は未だ一部養蚕をしているお宅もあり、その手伝いで桑畑で桑の葉取りとか、一日中か駆け回っていました。
その年の8月15日。暑い日でした。何やら天皇のお言葉があるとかで、正午から皆ラジオの周りに集まっていた。ラジオはよく聞こえなかったが、戦争が終わったと大人達は安堵の顔をしていました。何時もの手伝いであぜ道を一升瓶を抱えて山羊の乳をもらいにの農家に向かって、生暖かい絞りたての山羊乳を抱えて帰宅したことをありありと覚えています。
その夜から覆いを着けた電灯が明るく輝き、当時の田舎は一戸・一灯・一ラジオと言われ、電灯の長いコードを台所に持って行ったり居間に持って行ったりしていましたが、当家は父が電力関係だったため当時として豊富に電灯はありました四角い木の箱に両側に鉄板を建ててメリケン粉をふくらし粉と共に入れパンを焼くなんて言う事もしましたね。総て自給自足が当然でした。
兄弟四人が大学とか高校とかに入学の時期になり、偶然焼け残った東京の元の家に小学校4年の終わりに転校してきました。未だ配給続き、うどん一杯にも食券が必要でした。そして中学に運良く入学出来、国電と都電を使い通学致しました。未だ未だ何も無い事態でした。天現寺に仮住まいの学校へ通いました!当時の天現寺と定期券。都電は四谷三丁目から品川へ行く都電で!天現寺は車庫に成って居るため渋谷〜とか中目黒〜とか3本走っていました。
その後、日吉に移り総てが新しい所に遷り、化学少年として理科の先生の小僧役をかって出て、化学の備品とか暗室の引伸器。真空ポンプとか総て新品を購入して、届く度に開梱して設置しました。暗室ではフィルムの現像に入れ込みコダックの現像レシピ本を購入してもらい端から作り必要な「毒薬」も含む試薬を自由に勝手使わせてもらいました。朝学校へ行くと先ず化学の準備室で「純水」を作るためブンゼン灯に火を付けて大きなフラスコに水を入れるのが日課でした。その装置に使うガラス細工なども致しました。全く自由な校風でした。有難う御座いました。
もう先生方も総て鬼籍に入られろくに恩返しもお礼もしていないのが気になります。
137億年前。一秒もかからないうちにビッグバンで点が宇宙に成ったという。そして色々な変哲があり太陽系が出来たのは宇宙誕生から80億から90億年後である。この80数年なんか137億年を24時間にすると、宇宙誕生の時のように1秒も無い間です。こんな事を書いた本が話題に成っています。「137億年の物語」クリストファー・ロイド著 1968年英国生まれ。ケンブリッジ大学で歴史を学んだ後、サンデータイムス紙の科学記者として活躍。地球の歴史を文系と理系の両方の眼から見る本書を自分の子どもたちのために書下ろし、世界的ベストセラーです。

まぁそんな自由な校風でのほほんと10年間過ごし、文学部の建築史を谷口吉生さんに美術史は三輪福松さんの謦咳に接し、単位にも成らないのですが、そちらの方が真面目に出席しました。研究所と言う名称になりマスコミ界に多くの人材を輩出致しました。辛うじて落ちこぼれ者は新聞研究所卒業証書は戴きました。

青田買いの始まりで「商い屋」に就職。こおりを背負って歩き回ることは無かった物の時は新製品時代。重厚長大の当時花形の鉄鋼部門を担当させられ、当時鉄鋼製品の新製品が毎週のように鉄鋼メーカーが発売し、サー売れの時代でした。
あのNY貿易センタービルにも八幡製鉄開発のH型鋼が使用されています。売り始めたときは鉄骨材としては中々使ってくれず、建物杭に基礎材として売り込んだのですが、そんなことで鉄工所には良く通いいっぱしの建築士のように原寸検査とかに立ち会ったり、現場に行ったりで、そこらの一級建築士と渡り得るような感じでした。今から考えると恐ろしい。耳学問で原寸検査の時、これではボルトが入らないのではとか。現場でどうやって組み立てるのとか。入社した頃は未だ現金取引が当たり前で、建築会社は暮れには餅代とうことで二回支払ってくれたり優雅な時代でした。
そして世は重厚長大から情報産業へと移り変わり、通信の自由化に伴い第二の通信会社とか自動車電話会社とか国際通信会社とか、はたまた宇宙通信のため衛星の打ち上げとか!色々な新規事業に参画させてもらいました。

鉄鋼での新製品の売り込みと同じで回線問屋-海鮮問屋-と揶揄されながら通信回線を売りまくりました。振り返ると面白かったでした。今や昔ですね。

コロナで在宅勤務で会社・工場に出社しないでも経済が動いてく時代になってそれが当たり前になってくるような兆しがあります。
2021年東京オリンピックは開催できるかどうか危ぶまれては居ましたが、何とか無観客という無謀なやり方で終わりました。何れにしてもコロナウィルス蔓延旋風で世界の仕事の仕方が大きく変化して、企業もどう先を読むかによって収益が大きく変化しそうな時代になって来ています。
世界史の上でも2021年は大きな転換期に成って居るのでは無いか。新型コロナウィルス蔓延旋風の「お陰で」否応なしに働き方の改善か、冠婚葬祭の簡素化とか、生活様式もガラリと変わっていくと思います。
今や世界はGAFAの脅威だとか、中国のIT戦略とか争いの仕方も代わってきています。それぞれの分野で市場を席巻している企業です。そして自動車は電気で自動で動く時代へと変転しています。
この分野で日本はどう勝ち抜いていくのか。半導体で見一時は世界一でしたが、今やビリ。どうやら世界の「お客様」が何を求めているのか?を忘れて「商い屋」をやっているのでは。伊藤忠兵衞が反物を担いで、当時一番の商業都市堺へ売りに行き、そこで新しい物・田舎で必要とされる物を見つけ背負って帰る。そして堺で求めている物を自分の目で見て、それを又持ち込む。これが「商い屋」の原点だと思います。ソニーも小型ラジオやウォークマンの二ーズを米国で嗅ぎ取って販売したのに、今や総て後追い。これが80年の時間の結末とはね。
傘寿を記念して巴里旅行をしました。モンサンミシェルと憧れだったコルビジェのサボア邸なども観て参りました!写真はロアール河畔の古城の前でコンタックスⅠ型我が生年より前に作られたカメラを構えています。
(因みに来たるべき2022年-令和4年-は寅年。於菟とは「寅の事なり」と漢和辞典に出ています。年男です。森鴎外の息子さんに森於菟さんが居られ寅年です)

エーガ愛好会 (103) ブラック・レインー横浜ホンキートンクブルース

しばらく遠ざかっていたBS劇場で、再見。いくつかのことが重なって、じっくりと観た。

一つはマイケル・ダグラス。彼の作品は正直言うとあまり見ていない。彼に興味があるのは、小生の年代ならそうだろうが、やはり ”カークの息子“ ということだろうか。たたき上げの俳優カーク・ダグラスを始めてみたのは 探偵物語、中学生の時である。普通なら中学生(そのころの)が見る映画ではなかったのだろうが、慶応普通部には教育の一環として生徒に映画を見せる、という授業時間があって、”聖衣“、かのシネマスコープ第一号、を観たのもそうだし、この映画もそうだった。”聖衣“ はキリスト教の一部を学ぶ、ということで意味はあっただろうが、探偵物語 が果たして教師同伴で中学生が見るべきものか、ということは父兄の間や教員の一部にも異論はあったらしい。何しろ姦通という、オトナであっても難しいことが背景になっている映画だったからだ。しかし今、すがめで見てみると、あれを選択した先生は実はカーク・ダグラスにほれ込んだからではないか、と思えるほど、15歳の少年にも衝撃を与えた俳優だった。それ以来、彼の黄金時代にはかなりの数の作品(史劇物は敬遠したけれども、あまり評判にはならなかったが御贔屓ドロシー・マローンと共演した ガンファイター は特に好きだった)を見た。その息子なのだから興味があって当然かもしれない。

しかしもう一つの興味は、松田優作、という俳優を改めてみてみたい、ということにあった。ただその理由は、多くの人たちがこの特異なキャラクタを持つ俳優、という目で彼を評価するのに対して、小生の単純な理由は 横浜ホンキートンクブルース をうたった歌手、としての彼を見たい、と思ったからだった。この歌のことを教えてくれたのはHP社の営業部門でただ一つのお荷物、といわれた事務用(当時はまだ事務用・技術用という区分があったのだ)コンピュータで悲鳴を上げていたころ、最大のカストマ(になるはずだった)C社とのルート開発に血の道を上げていたとき、先方の担当窓口だったS さんだった。出先で音楽を聴くとなればカセットテープくらいしかなかった当時、計画通りに事は運ばず、悶々としてアイダホ州はボイジーのモーテルのプールサイドでバドワイザー缶を片手に何回もこのブルースを聞いた。カントリーにも興味があった当時、いわばその本場にいながらなぜ、ヨコハマあたりの嘆き節を聞いていたのか、今思っても判然としない。しかしいかにも blue な気分にはぴったりしていたからなのだろうか。今自宅には原田芳雄版しかないがときどき、しんとした夜中なんかに気分を出して聞いている。

三つ目の理由はやはり高倉健。この映画と所々でごっちゃになるのだが、ロバート・ミッチャムが主演し、岸恵子も登場した ザ・ヤクザ というやはり日米にわたる犯罪捜査の話である。もともと、ブラックレインにせよヤクザにせよ、(言葉もわからんでこうは行くめえよ)という連続の、難しいことが好きな評論家先生方にはあまり評判のよろしくない映画なのだが、その中で、ある意味、(ああそうか、こういうことがアメリカ人のみる良き日本人なんだな)という役がご存じ健さんなのだ。この両方に登場して、全く瓜二つ、とでもいう役を淡々と演じている。英語も達者なものだ。健さん、といえば任侠ものを見なければならないのだろうが、小生は一本もみていないので、船津於菟彦はじめファンの方には肩身がせまいが、小生には 幸福の黄色いハンカチ とこの2本で十分、しっかりケンさんびいきになっている。

映画の筋書きそのほかについては特に書くべきこともない。ただ画面の血生臭さや爆音のなかで、この三つのテーマ、をあらためて味わった、ということか。

ヨコハマ・ホンキー・トンク・ブルース – https://www.youtube.com › watch

カミュ論議について    (36 高橋良子)

本日ブログ拝見致しました。カミユは私の好きな作家の一人です。亡くなった主人が三田で学んでいた頃、サルトルの実存主義が全盛期の時代でしたから我が家にはサルトルと実存主義に関連する書物が沢山残されているのですが、その中
で私が読んだといえば「嘔吐」の一冊のみです。その中に吐き気という哲学の問題が出てくるのですが、いまだによく分かりません。ところが同時代の作家でも私はカミユが好きなのです。カミユは哲学者ではありません。

小説の手法もメルヴィルやヘミングウェイなどに学んだといわれていますので、文章が平明で親しみやすいのです。それにアルジェリアの貧しい家で育ったので
カミユの作品に登場する人間には善良さと温かさを感じるからです
カミユを理解するのに都合の良い、佐藤 朔先生の書かれた文章をご紹介いたします。

カミユの作品が今も尚愛されているのはなぜか?カミユの作品は清潔で誠実で、正義と反抗の思想につらぬかれているからである。彼の作品の中には不潔で、醜悪で鼻持ちならない悪党はいない。詐欺師も裏切り者も背徳者もいない。
罪に苦しむ者や罪を犯した者はいるが、いずれも悪人ではない。だから社会の裏面とか人生の泥沼のような場面はなく全体として写実的で観念的であり、寓話的な物語が多い。だから表現が適確で、文章が美しくても想像力が貧しくお説教風で、小説として厚みがなく面白味がないという批評もある。そして、カミユが言う人生の不条理の思想も体系的でない評する。しかしながら、今もつて読み続けらているのは、戦争やその他日々の敗北で深く傷ついた者は深く人生の不条理を知ることとなる。

カミユの作品の魅力が失せない訳はそこにあるのです

(編集子)白状すると、小生も 嘔吐 にでてくる、木の根を見ていて真実を悟る、という一節は何が何だか分からず、その意味では一応最後まで読んだ、という事実が残るだけで、到底この哲学の巨頭を理解したなどといえる段階ではない。しかしヨシコの示唆で、サルトル本体はともかく、カミュという人の作品が持つ意味はなんとなく分かったし、提示してくれた佐藤 朔の一節が、考えてみると今回もっともらしく読んだふりをした石光氏のいう ”正義” なのかも、と思ったりしている。

エーガ愛好会  (102) ダヴィンチは誰に微笑む  (HPOG 小田篤子)

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「ダ·ヴィンチは誰に微笑む」(The Savior for Sale) を観てきました。立川にも高島屋の中に”キノシネマ”が出来、都心まで出かけなくても済むようになりました。
ニューオリンズの名もない競売のカタログの”救世主(男版モナ·リザ)”の絵を見てひらめいた美術商が13万円で落札。30年来の友人の保存修復士に洗浄、修復を頼みます。本物 か分からないとする専門家もいる中、著名なオックスフォード大学美術史家や、ロンドン ·ナショナル ·ギャラリーの関係者は本物と判断し、展示会を開く。デカプリオも来場。その後別の画商が購入し、ロシアの富豪に157億円で売却、そして、サウジアラビアの皇太子と思われる人物がオークションで510億円で落札します。
ロシアの富豪も最後の落札者も全て代理人任せ。その後外交、政治問題にまで繋がり、内容はフランスの国家機密事項のようです。ルーブル博物館での、没後500年記念展覧会では展示されず、現在の所在は不明。関係者の証言で構成されたドキュメンタリー映画でした。
絵も有名になりすぎると飾られずに投資の対象となるのですね。

世界的エネルギー不足に対して  (普通部OB 田村耕一郎)

はたまた石油危機か?という不安が続きますが、関係情報を得たのでご参考までにご覧ください (出所:「宮崎正弘の国際情勢解題」)。

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世界的なエネルギー価格上昇の懸念を受け、石油備蓄の放出に関する報道が相次いでいます。各国の個別の対応のみならず協調行動の可能性も浮上しています。

エネルギー価格の上昇はバイデン政権にとって最も厳しい試練になる恐れがあります。しかし実際のところ、バイデン政権ができることは限られています。何か手を打つとすれば、戦略的石油備蓄(SPR)の放出しかありませんが、効果は限られます。しかし、少なくとも具体的な対応をとっているという政治的アピールは可能です。このため、おそらく米国としては、最大3,000万バレルの緊急放出ではなく、最大500万バレルの「テスト・セール」のような措置にとどめ(この場合、緊急事態宣言は必要なく、エネルギー長官の決定で足りる)、さらに中国や同盟国との協調放出を進めようとしていると考えられます。

米中首脳会談では共通の利益に向けた連携が強調され、エネルギー危機への対応にも言及がありました(明日の記事で説明します)。中国はもともと単独でもSPRの放出を行う姿勢を見せており、米国との協調を受け入れる余地は十分にあると考えられます。上記記事で述べたとおり、原油価格は落ち着きを見せているので、SPRの放出の可能性は高くないと考えられていましたが、このような首脳会談からの流れを見ると、可能性はやや高くなったといえます。

しかも、次項で述べるとおり、ビルド・バック・ベター法案を成立させる上でも、インフレ懸念に対応しているというポーズを見せることは重要です。実際、原油価格の高騰は収まりつつあるので、政権としては短期的な圧力を弱めれば足りるところ、こうしたメッセージを出すことはそれなりに有効とも考えられます。

(ビルド・バック・ベター法案の下院可決)

米下院がビルド・バック・ベター(BBB)法案をついに可決しました。220対213で、民主党の反対は1人(ジャレッド・ゴールデン議員)でした。以前に指摘したとおり、下院は11月19日までの可決を目指していましたが、民主党穏健派はその前に議会予算局(CBO)による歳出と歳入の試算結果を確認する必要があると主張していました。今回の可決は、CBOが前日に試算結果を発表したことを受けて行われたものです。

CBOの試算はバイデン政権(民主党)の試算と大きく異なりましたが、それでも穏健派の多数は納得し、法案は可決されました。なお可決前に共和党のケビン・マッカーシー下院院内総務が下院での演説としては最長記録となる8時間半の演説を行ったことも話題になりました。

バイデン政権の試算結果は州税・地方税(SALT)控除の上限引上げによる減税効果などを含めていなかったのですが、CBOはこれらを含めて計算しており、新規支出と減税の合計額は2.2兆ドル、1,600億ドルの赤字を生じさせるという結果になりました。このような大きな違いが出ることを見越して、バイデン政権はCBOの試算をあらかじめ批判するという異例の行動に及んでいました。

それでも下院では可決に至りましたが、問題は上院です。マンチンとシネマの両上院議員は法案を大幅に書き換えるでしょう。しかも12月には国防授権法(歳出削減の回避が必要)、債務上限、つなぎ予算の失効という立法アジェンダが立て込みます。これらの問題はドタバタを演じながら最終的に解決されるでしょうが、BBB法案の審議にかける時間は大きく制約されます。したがって、年内の可決は難しく、来年に持ち越す可能性が高いと考えられます。

バイデン政権は、かねてよりOPECプラスが増産しないことを批判していましたが、先週には、FTCに石油市場の操作を監視するよう指示しました。これらの措置は、産油国やエネルギー企業の投機的行動に矛先を向けさせることが目的で、やはり打つ手が限られている中で国民への政治的アピールのために行っているものです。今後もこうしたメッセージは繰り返されるでしょう。

また、先週、バイデン政権はメキシコ湾での石油採掘のためのリース権の入札を実施しました。もともと公約に従い、発足直後に国有地での石油・天然ガスの新規リース契約を停止したのですが、産油州から訴えられて敗訴していました。そして最高裁でも勝てないと見てこれを許可したものです。民主党左派を失望させる措置ですが、エネルギー問題について批判をかわしつつ、民主党左派にはBBB法案を可決させることで、最終的には納得させるという計算があるのでしょう。こうしたバランスをとった現実的な路線を続けることで苦境をしのぎ、BBB法の成立で挽回を狙う、というのが政権の戦略と考えられます。

エーガ愛好会 (101)  追われる男  (34 小泉幾多郎)

監督「大砂塵1954」のニコラス・レイ、主演ジェームス・キャグニー、ギャング役で有名だが、西部劇も「シスコ・キッド1935」「オクラホマ・キッド1939」「悪人の貢者1956」がある。

冒頭主題歌 Run For Cover が唄われ、ニューメキシコのアステカ遺跡国立公園の山と渓谷が美しき景観の中、キャグニーが馬を走らせる西部劇らしい雰囲気から始まる。直後人の気配にピストルを構える。此処から、初老と若者ジョン・デレクとの旅は道連れが開始。キャグニーは妻と息子に死別した過去があり、デレクと疑似父子の関係の心理サスペンスが善と悪、幸と不幸のせめぎ合いが主題となる。

出会いから、樹々の向こうに煙が立ち上り列車との遭遇で、二人が鷹を撃ったことから、強盗団と誤解され、シェリフとその街の追跡団に撃たれ、二人とも負傷、特にデレクは脚に大怪我を負うことになる。農場に担ぎ込まれるが、手当したその農場の娘がヴィヴェカ・リンドフォース。スウエーデン出身で当時第二のガルボかバーグマンかと期待されていたが、そこまでは行かなかった。エロール・フリン主演の「ドンファンの冒険1949」で王妃マーガレットに扮したのを見たことがあるが、それは美しかった記憶がある。

そのヴィヴェカとキャグニーが恋愛関係になり結婚する。街の人たちの信頼を得たキャグニーは、シェリフに推され、デレクを助手にする。ある日アーネスト・ボーグナインを頭とする強盗団に銀行が襲われ、追跡するも、コマンチ族の勢力範囲に入り込み町民たちは恐れをなし帰ってしまう。キャグニーとデレクのみで追跡するも強盗団もインディアンに殺されたりして、最後は、キャグニーとデレ
クとボーグナインの対決となる。デレクは一味と通じていたことが判るが、キャグニーがボーグナインに殺されそうになった時、良心に目覚めたデレクがボーグナインを撃ったが、ピストルが自分に向けられたと勘違いしたキャグニーに撃たれ倒れる。

以上二人の出会いから、父性の懐の大きさを感じながら、強盗団との対決と疑惑の裏切りが全編を覆いながらも、キャグニーの堂々たる振る舞い、悪漢に奪られた街の財産を取り戻すために命を張り、人のために尽くすというメッセージが伝わることで西部劇らしい終わりになった。

(編集子)ジェイムズ・キャグニイといえばまず思い浮かぶのがシカゴのギャング、というイメージだし、出てくればまず憎まれ役が多い名優だった。小生の好きなフォンダの ミスターロバーツ でもその憎々しさが面白かった記憶があるし、かたやボーグナインといえばこれまた掛値なしの敵役だ。特に 地上より永遠に でフランク・シナトラを殺してしまう軍曹役なんかが思い出される。このふたりの西部劇、ということになるとセーブゲキ党としてはぜひ見ておかなければならなかったのだが所用で見逃してしまったのが残念至極。

(飯田)小泉さんが纏めた「追われる男」をビデオ撮りしておいて昨日観ました。今月のBSシネマで、劇場では観ていなかったので、この一本を観たいと思っていた作品でした。

ジェームス・キャグニーが善人役として、珍しい作品で西部劇としてそこそこ面白いと思いました。ジャイさんもコメントしてましたが、キャグニーの映画ではジョン・フォード監督の「ミスター・ロバーツ」のヘンリー・フォンダに対する上官役が秀逸であり「ヤンキー・ドウードウル・ダンディ」が自分は好きな映画です。それに当時劇場で観た「白熱」は、もう一度是非観たいと思ってますが、テレビでは見たことが無いです。

 

 

乱読報告ファイル (15) 卡子(チャーズ)   (普通部OB)菅原勲

遠藤誉女史の自伝、「卡子(チャーズ)」(1984年、読売新聞社)を読んだ。極めて激しい衝撃を受けた。

その内容は、戦争の終わった1948年、日本に引き揚げずに満州の新京(現:長春)に残り、チャーズに収容された人たちの話しだ(戦いもせず、我先に逃げ出し、敵前逃亡とも言える軍規違反をした関東軍には言葉もない)。チャーズとは、国民党、または、共産党が管理し、鉄条網が張り巡らされた、小生の理解では、強制難民収容所だ。しかし、そこには住まいもなく、食料もなく水もなく、体力のない人は、それこそ次から次にバタバタと死んで行く生き地獄だった。現に、当時7歳だった女史がチャーズに足を踏み入れた際には、死体があちこちに散乱し、目を覆う状況だった。雑草も木の芽も、そして、食べられるもの全てを食い尽くした後に残っているのは、カニバリズム(人肉食)だけだった。チャーズで何人の、それこそ無辜な日本人が亡くなったのか、未だに分かっていない。

何故、こんな悲惨なことが、戦争も終わり、しかも民間人の身の上に降りかかったのだろう。シナ人がスパイの存在を恐れたためだとの説があったようだが、それだけではこの蛮行、いや大虐殺は説明しきれないだろう。

日本はシナで蛮行を繰り返して来たと教えられてきた。例えば、重慶の爆撃、南京事件、その他。逆に、中国共産党は、清く正しく美しく、まるで宝塚でもあるかのように一方的に日本を非難し続け、片方の日本は、腰抜けの河野洋平がただただ叩頭するだけの河野談話を発表するお粗末さ。この虚偽に、日本が未だに拘束されているのは言うまでもない。

中国共産党は、チャーズの存在自体を公にしているわけではなく、ましてそこで亡くなった日本人がどれぐらいいたのかなど全く興味を持っていないだろう。となると、チャーズでの大虐殺は歴史の闇に葬られることになるのだろうか。結局は、勝てば官軍、負ければ賊軍か。

最後に、亡くなった方々の御霊に合掌。

オミクロン株について    (普通部OB  篠原幸人)

日本のコロナ感染が下火になったかと思ったら、今や、コロナの話題はオミクロン株ばかりですね。私も外来で沢山の患者さんからオミクロン株についての質問を受けます。 確かにこの変種株は変異の部位が多岐にわたり、今までのデルタ株などとは大分様子が変わってきていることが知られています。

この新種コロナウイルスは感染力が今までの株より3倍ほど強いことは確実ですが、病原性も従来株より強いかどうかはまだよくわからないのです。大量にこのオミクロン株感染者を出した南アフリカの医師会長(女性です)は、感染力は強いが病原性は強くないと強調しています。他の風邪症候群とおなじように、今回のオミクロン株は感染は起こしやすいが、重症な肺炎や亡くなる方は少ないと、だから怖がることはないと言っているわけですが、当初私には信じられませんでした。しかし世界保健機構(WHO)にもまだ死亡例の報告はないようです。

南アは観光大国です。ヨハネスブルグの街からみる台形のよう大きな山や、ケープタウンから1-2時間のところにあるサファリ公園などは一見の価値があります。私も広大なサファリパークの中で、すぐ近くに放し飼いのキリンや象をみながら食べたサンドイッチと、テーブルにあふれるばかりに盛られた日本では見たこともないような沢山の果物を想いだします(一寸、嫌みな書き方かな?)。ケープタウンの街からハイヤーを1日貸し切り、パークのなかでも専任の案内人をつけて、それでも入園料や食事代も全て含めて確か一人一万五千円ぐらいだったからかなり安い印象でした。この観光が大きな収入源である南アにとって、このオミクロン騒動は大変な痛手だから、それを忖度した医師会長の発言ではないかと当初は思ったのです。でもそれは「ゲスの勘繰り」だったかも。

確かにワクチン2回接種済みの方もこのオミクロン株は感染していることは事実ですが、まだ死亡例を聞かない。死んだり重症にならなければ、このコロナは風邪と同じようなもので、恐れるには足りません。これはこのオミクロン株の毒性がおもったより弱いのか、それともワクチン接種が感染は防げなくても、重症化を予防しているかのどちらかだと思います。今後、データが出てくるでしょうが。 いずれ、オミクロン株を主因とする第6波が日本にも来るかもしれませんが、入院必要例や死亡例はかなり少ない可能性は十分あると思います(希望的意見ですが)。

しかし皆さんは、①マスクは常に携帯し、人混みへの外出は極力減らして、感染予防には従来通り十分気を使う、②インフルエンザにも罹らないように、そして③冬に流行の可能性のある食中毒(ノロウイルスなど)に気をつけましょう。そのためには、帰宅後手指のアルコール消毒+石鹸による手洗い(両方やるという意味です)を励行してください。

(浅海)篠原君のオミクロン株に関する話なんとなく信じたくなった。

ここに来て新規にコロナに罹る病人が極端に減っているがワクチン接種が進みコロナ菌が暴れられなくなった上に菌同士でバッテイグし毒性が少なくなった可能性があるのでは。と思いたいね。 スペイン風邪が消滅する過程でも菌同士の
バテイングで威力が亡くなり消滅したという説があるので篠原説を信じてオミクロンによる死者が出ないことを祈ります。

エーガ愛好会  (100) 100回目のアップになりました

”月いち高尾” に参加してくれた川名君との立ち話のことがきっかけで始めてみた ”エーガ愛好会“ なるメールグループのやり取りをブログにアップしてみた第一号が2020年5月15日の ”赤い河をめぐって“ である。その後参加者の応援を得て今回の記事が第百回目にあたる(この会の名称は金藤君が小泉さんにあてたメールで使ったのだ、と小泉さんは書いておられる)。本格的(?)な解説記事を投稿してくれた第一号は安田耕太郎君の ”めまいを見ました”、12月10日には保屋野君が ”エーガ愛好会が半年たちました“ と喜んでくれた。

”映画“ ではなく ”エーガ“ だとこだわった甲斐があったのか、そもそも参加者がすべて世にいう ”オールドファン“ なのか、”新作“ についての投稿はあまりない。このあたりはこれから変わっていくかもしれないが、その ”オールドムービー“ の極めつけともいえるかの ”哀愁“ と ”白い恐怖“ という2代名作を見るタイミングが99回目、金藤さんのご尽力で、いわばグループ公認メディアになったNHK BS劇場に登場したというのも面白い偶然だろうか。

企画した ”編集子“ にとってなお嬉しいのは、このグループの(言ってみれば世にいう ”バーチャル“ だが)交友というかチャットというか、その領域が映画を離れて、美術とか音楽とか旅行とか、より広い話題に拡大してきたことだ。コロナ鬱の社会情勢のもとで絶えがちな友人との連帯感を強めてくれた、いわばSNS社会にあって初めて経験する、一種の至福感、といえば言い過ぎだろうか。ただ、感覚的に言うと、小生がもらっているメンバー間のメールはこのいわば “非映画” 話題のほうが今や70%くらいなような気がする。”仲間うちの情報誌” たらんとしておっかなびっくり始めて見たものとして、本当にうれしく、また感謝に耐えない。紙上を借りて御礼申し上げるし、今後ともこの交流が発展していくことを期待してやまない。

ただ、まことに申し訳ないというか情けないが、小生, 造形芸術について全く興味がなく、かけらほどの知識も持ち合わせていないので、折角の交流ぶりをまとめる能力がゼロである。このような(つまりエーガ、にとどまらない)交流であれば、もっと広い範囲で語り合える友人がまわりにいるのではないか。 現在、”エーガ愛好会”のMLは12人にとどまっているが、だれかデスクを買って出て(ブログにアップするのは小生が担当)折角の知見をまとめ、また何らかの方法でより広い友人関係を育ててくれる人が現れるのを待っている。

さて、100回目を記念して、安田・保屋野両兄のご提案で、いわば年末記念事業?として、メンバーにいくつかの設問を試みた。その結果は下記の通りである。”オールドファン“ の好みがより鮮明になるような気がする。

 

 

オクガタまたはダンナと初めて一緒に観た映画は覚えていますか?

  • 黄昏
  • ウエストサイドストーリー
  • ミリー
  • スティング
  • ペーパームーン
  • 大脱走
  • めまい 

(本稿回答が少ないのは、ほかでは記憶力抜群のメンバーの中に ”忘れた” とか ”教えてなんかやらない!” という回答があったからである。理由は想像するしかないが)

無人島へ流されるが1本だけ映画を持っていいと言われたらなににしますか?

  • 風と共に去りぬ
  • 最高の人生の見つけ方
  • 第三の男
  • ザッツエンタテインメント
  • アカプルコの海
  • ローマの休日
  • 大いなる西部
  • アマデウス
  • 二十四の瞳 
  • 五つの銅貨

 映画に出演できるとしたら、今まで見た中でどんな役をやりたいですか? 

・黒い稲妻トップシーンのザイラー                  ・”情婦”のマレーネ・ディートリッヒ                    ・(コネリー演じる)007                       ・大いなる西部のジーン・シモンズ                    ・80日世界一周のデヴィッド・ニーヴン                   ・ジャイアンツで石油を掘り当てたときのジェイムズ・ディーン            ・陽の当たる場所 のモンゴメリ・クリフト                ・ロシアより愛をこめての急行列車で舌平目を食べてる007           ・カサブランカのハンフリー・ボガート                  ・第三の男のトレヴァ・ハワード              

 

 

この100回を終わってみると、われわれ世代にとっては、エルヴィス・プレスリーと並んで世代文化を築いたはずの、ジェイムズ・ディーンへの言及が少ないこと、映画名で言えば 理由なき反抗 エデンの東  などもあまり話題に上らなかった。また カサブランカ ばかりが取り上げられる一方、違うボガートの演技が冴えた ケイン号の反乱、あるいは同じクリフトでも 地上より永遠に ジョン・ウエインものでも作品そのものにやがて去り行くウエインへの生前の決別という雰囲気だった ラストシューテスト などにほとんど言及がなかったことに気がつく。

上記回答群もそうだが、100回の記録を違った視野から眺めてみると、全般的にこのグループにはロマンチックな傾向がめだつような気もする。メンバーの半数が基本的にはセンチメンタリストというかロマン追求派でなければやっていけない、ワンダラー、という人種だからかもしれないのだが。さて、次なる百回がどうなっていくのか、また楽しみが増えた。さてこの ブログ なるものに挑戦してみたのは小生80歳の時。月は去り星は巡って、昨日、誕生日を迎えた。関係ないか。

エーガ愛好会 (99) 伝説の名作をめぐって

(保屋野)「哀愁」初めて観ました。ヴィヴィアン・リーとロバート・テーラーの共演、久しぶりに、目の保養になりました。ただ、ストーリーは、当時としては斬新だったのでしょうが、現代では良くあるパターン(陳腐は言い過ぎ)で、特にヒロインの救いようもない悲劇的ラストは後味が悪い。これに比べて、似た作品「旅情」や「慕情」も悲劇的作品ではあるが、ラストは、ヒロインの明るい未来を予測させる余韻の残る内容だったと思います。

さて、昔観た「旅情」と昨年観た「慕情」、そして「哀愁」・・演技派のキャサリンヘプバーンは別として、ヴィヴィアン・リーも魅力的ですが、私は、ジェニファー・ジョーンズの気品ある(控えめな)美しさの方が好きです。

(安田)「哀愁」1940年の映画以来、「愁」を入れた邦題の映画が度々登場。明らかに「哀愁」がその先鞭をつけたに違いない。

  • 「旅愁」1950年は原題「September Affair」。ピアニスト ジョン・フォンティンが妻子あるジョセフ・コットンにイタリアからアメリカへ向かう飛行機内で出逢い恋に落ちる物語。コットンの妻役はイギリスの名女優ジェシカ・タンディ。フランク・シナトラの歌う「September Song」が心に染み、イタリアの名所旧跡巡りには心が洗われる。
  • 「湖愁」1965年は原題「The Battle of the Villa Fiorita」。人妻モーリン・オハラがイタリア伊達男によろめくという物語。巨匠デヴィッド・リーン監督の「旅情」でキャサリーン・ヘプバーンと束の間の恋を演じたロッサノ・ブラッティが相手役。原題のVilla Fioritaは二人がランデブーをしたブラツティのイタリアにある別荘の名前。battleは戦闘、闘争の意。これまた、原題と邦訳の相違が凄い。
  • 「離愁」1973年は原題「le train(仏語:列車)。ロミー・シュナイダー主演。離愁とは「別れの悲しみ」の意。
  • 日本の映画では「湖愁」1962年 嵯峨三智子主演がある。井上靖の同名の小説を映画化した1963年の「憂愁平野」は 森繁久彌、山本富士子、新玉三千代出演。
  • 日本の怪奇小説で「妖愁」というのもある。
  • 幽愁も言葉として使うようだ。

(飯田)「哀愁」のビビアン・リーや「慕情」のジェニファー・ジョーンズについて、好きだ、それほどでもないなど意見が出ていますが、ビビアン・リーでは他に「風と共に去りぬ」以外でも「欲望という名の電車」を含めないとこの女優の評価は片手落ちになると思います。キャサリン・ヘップバーンは演技派だから美貌はまあ・・・・というとすればビビアン・リーはキャサリン以上に演技派だと思います。そして哀愁」のストーリーは保屋野さんの意見と同じく公開当時は良かったですが、現代見直すとどうしても最後のシーンの救いの無い暗さが気になります。

私の好みからするとビビアンは演技派過ぎて、見ていると少し疲れてしまうくらいの感じがします。安田さんのジェニファー・ジューンズの記述を興味深く読ませて貰いました。彼女の出演作でヘミングウエイ小説の映画化の「武器よさらば」も私は好きな作品です。主演のロック・ハドソンもジェニファー・ジョーンズも言わば略全盛期の美男美女そのままで出てますし、ストーリーが小説の映画化だけにしっかりしています。ただ、病院のシーンが結構長く、長編の映画になってしまっているのが気になります。

(安田)確かにヴィヴィアン・リーの白眉は「風と共に去りぬ」「欲望という名の電車」。映画の大成功と人気沸騰によって、“オリヴィエの妻”の枕詞で呼ばれていたヴィヴィアン・リーは、いつしか、オリヴィエは“リーの夫”と攻守逆転するに至り、誇り高きオリヴィエにとっては甘受し難き展開であった。二人は夫婦でありながら競合するライバルともなり、オリヴィエは妻の映画出演を快く思わなくなり、映画を舞台演劇の下と見て、妻もその影響を受ける。リーの演技が芝居がかった様相を呈するようになったのである。「欲望という名の電車」は先ず舞台で演じそれからエリア・カザン監督の映画に出演する。そのような事情が、映画の観客をして観るに疲れさせた原因の一つであったとも思われる。勿論、リーの感受性の鋭さも影響したと思われるが。

読んだヴィヴィアン・リー伝記本にも詳述されていたが、オリヴィエは男色趣味もあり(マーロン・ブランド、ダニー・ケイ、ジョン・ギールグッドなど沢山の男性が彼の恋人だったという)、夫婦は俳優としての緊張したライバル関係、リーの病気も手伝って、夫婦関係にはやがてひびが入っていき、離婚に至る。大向こうをうならせる俳優という人気稼業は大変複雑で難しい職業だと知らされる。ヘミングウエイの「武器はさらば」は、本を読み、1932年に映画化されたゲイリー・クーパー主演、ヘレン・ヘイズ相手役の「戦場よさらば」(なぜが邦題が異なる)を数年前に観た。映画「モロッコ」とほぼ同じ時代の古い映像だったが、クーパーの颯爽たる格好良さが印象に強く残っている。ロック・ハドソン ジェニファー・ジョーンズ版1957年は観ていない。またゲイで有名だったハドソンは逞しい体格とハンサム顔の割にはそれほど惹かれなかった。