しばらく遠ざかっていたBS劇場で、再見。いくつかのことが重なって、じっくりと観た。
一つはマイケル・ダグラス。彼の作品は正直言うとあまり見ていない。彼に興味があるのは、小生の年代ならそうだろうが、やはり ”カークの息子“ ということだろうか。たたき上げの俳優カーク・ダグラスを始めてみたのは 探偵物語、中学生の時である。普通なら中学生(そのころの)が見る映画ではなかったのだろうが、慶応普通部には教育の一環として生徒に映画を見せる、という授業時間があって、”聖衣“、かのシネマスコープ第一号、を観たのもそうだし、この映画もそうだった。”聖衣“ はキリスト教の一部を学ぶ、ということで意味はあっただろうが、探偵物語 が果たして教師同伴で中学生が見るべきものか、ということは父兄の間や教員の一部にも異論はあったらしい。何しろ姦通という、オトナであっても難しいことが背景になっている映画だったからだ。しかし今、すがめで見てみると、あれを選択した先生は実はカーク・ダグラスにほれ込んだからではないか、と思えるほど、15歳の少年にも衝撃を与えた俳優だった。それ以来、彼の黄金時代にはかなりの数の作品(史劇物は敬遠したけれども、あまり評判にはならなかったが御贔屓ドロシー・マローンと共演した ガンファイター は特に好きだった)を見た。その息子なのだから興味があって当然かもしれない。
しかしもう一つの興味は、松田優作、という俳優を改めてみてみたい、ということにあった。ただその理由は、多くの人たちがこの特異なキャラクタを持つ俳優、という目で彼を評価するのに対して、小生の単純な理由は 横浜ホンキートンクブルース をうたった歌手、としての彼を見たい、と思ったからだった。この歌のことを教えてくれたのはHP社の営業部門でただ一つのお荷物、といわれた事務用(当時はまだ事務用・技術用という区分があったのだ)コンピュータで悲鳴を上げていたころ、最大のカストマ(になるはずだった)C社とのルート開発に血の道を上げていたとき、先方の担当窓口だったS さんだった。出先で音楽を聴くとなればカセットテープくらいしかなかった当時、計画通りに事は運ばず、悶々としてアイダホ州はボイジーのモーテルのプールサイドでバドワイザー缶を片手に何回もこのブルースを聞いた。カントリーにも興味があった当時、いわばその本場にいながらなぜ、ヨコハマあたりの嘆き節を聞いていたのか、今思っても判然としない。しかしいかにも blue な気分にはぴったりしていたからなのだろうか。今自宅には原田芳雄版しかないがときどき、しんとした夜中なんかに気分を出して聞いている。
三つ目の理由はやはり高倉健。この映画と所々でごっちゃになるのだが、ロバート・ミッチャムが主演し、岸恵子も登場した ザ・ヤクザ というやはり日米にわたる犯罪捜査の話である。もともと、ブラックレインにせよヤクザにせよ、(言葉もわからんでこうは行くめえよ)という連続の、難しいことが好きな評論家先生方にはあまり評判のよろしくない映画なのだが、その中で、ある意味、(ああそうか、こういうことがアメリカ人のみる良き日本人なんだな)という役がご存じ健さんなのだ。この両方に登場して、全く瓜二つ、とでもいう役を淡々と演じている。英語も達者なものだ。健さん、といえば任侠ものを見なければならないのだろうが、小生は一本もみていないので、船津於菟彦はじめファンの方には肩身がせまいが、小生には 幸福の黄色いハンカチ とこの2本で十分、しっかりケンさんびいきになっている。
映画の筋書きそのほかについては特に書くべきこともない。ただ画面の血生臭さや爆音のなかで、この三つのテーマ、をあらためて味わった、ということか。