神代曙のこと

”おめえ、一度くらい花見に行ったらどうだ?” と小泉さんの声が聞こえるような気がしてきて,深大寺植物園へ行ってみた。植物園、であって花見の場所ではないので、”花見” の雰囲気はむしろ入り口へたどり着くまでの道筋のように思えた。新聞ではずっと我々が桜といえばソメイヨシノと思っていたのが世代交代を強いられ、次代の桜はジンダイアケボノという種類になると報じていたので、それをとりあえず探してみた。

ところが説明を見たらなんとこれが品種改良の原木だと知り、感激。アケボノ君がソメイ君とどう違うか、などはすっかり忘れてしまった。花そのものよりもなんとまあ素晴らしい命名をしたものだとおもわれる看板が次々と目を引き、花見でなく看板見で終わった半日だった。先輩、すみません。

そんじゃあおめえ、何しに行ったんだ?という先輩のお叱りはありましょうが、ともかく、”桜とはなんだ” について、出口にあった標識でご勘弁を。

PS  調布に来てはや10年たったが、いまだになぜ 神代 と 深大 とがあるのか、わかっていない。国花の名前としては当然,神代だろうと思うが、咲いている地名は深大。興味深大…….とは言わないよな。

 

(少し気が早いけど)秋の日帰りはこんな理想郷です! (51 斎藤邦彦)

4月7日(日) 秋の日帰りワンデルングの調査行として「シダンゴ山」とBC予定地の「滝沢園キャンプ場」に行ってきました。本番の「秋ワン:東丹沢山域」は10月26日(土)とまだまだ先なのですが、シダンゴ山は日本一の馬酔木(アセビ)の山として有名なので春に登ることにしたものです。登山口の寄(ヤドリギ)にある「大寺の枝垂れ桜」は満開で見事でしたが、残念ながらシダンゴ山頂上の馬酔木はほとんど終わっていてわずかしか残っていませんでした。

名物の「肩富士」(前衛の山に遮られて富士山の左半分しか見えない頂上の景色)は春霞の中で薄っすらと望めました。春の暖かい陽だまりの中で多くの人が丹沢から相模湾までの展望を楽しんでいました。その後タクシーでBC予定地の「滝沢園キャンプ場」を実査に行き大倉からバスで渋沢駅に戻りました。

 丹沢地域の山菜料理などを出す食堂として前日にチェックしていた渋沢駅前の「いろは食堂」に午後2時頃に入りました。私は全く知らなかったのですがこの食堂はいわゆる「登山客ご用達」の店で有名登山家や日本山岳会のメンバーを始め、各地域、各企業や大学の山岳部の登山者が多く出入りする店で「山と渓谷社」の社員も長年利用しているそうです。店の壁には多彩な名刺がたくさん貼ってあり、その中にはKWVの堀川先輩のものではないかと思われる名刺も含まれていました。

経営は80歳のご夫婦で51年間に亘ってここで登山者を相手に店を切り盛りしているとのことで春の息吹を感じる「筍の刺身」や「うどの天ぷら」などをご馳走になりました。店は比較的広く約40人は入れると思います。秋ワンの日に12人用の椅子席の個室を予約しました。気さくな女将が「10月までに下見に来た時もぜひ立寄ってほしい」とのことでした。ということで、山行の調査よりも2次会の居酒屋の調査の方の実効が上がった一日でした。

(日帰りWはすっかり恒例行事として定着したが、担当学年によっては人数の点で負担が増えてきているようだ。ご苦労様です。今回調査行メンバーは下記のとおりのツワモノぞろい。たしかに2次会のほうが盛大だったものと推察! 左から51斎藤邦彦、51五十嵐隆、51金子隆、52安藤潔、の各君)

アマチュアの楽しみ―シリコンバレースタイル (もとYHP 五十嵐恵美)

小金井市での演奏

(編集子注:恵美さんは筆者YHP在職中の同僚、米国現地での企業へ転職し結婚後、カリフォルニアはメンロパーク住まいを続けている。HP時代の仲間との楽しい交流はずっと継続。今回は数日の滞在であったが親しい友人が集まり旧交をあたためた)

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“シリコンバレーの近況やトランプ下での状況”の投稿をというエディターからのリクエストであったが、初稿は最も書きやすいサブジェクト、”個人の近況” に独断で変更し、自己紹介も兼ねて、下記、題して”アマチュアの楽しみ”。

今春の帰国は友人家族親族との再会の他に A P A (エイパ Amateur Music Player’s Association JAPAN 日本アマチュア演奏家協会)のメンバーと、 A P Aと提携している筆者が所属するACMPのグローバル メンバーとのコラボ。ACMP (Associated Chamber Music Players) は米国の室内楽演奏家のネットワーキングの組織で、ACMPの前身は1940年代後半にNew York で設立されたACMP (Amateur Chamber Music Players) である。今年1月に入ってから、筆者が偶然にも3月帰国の予定であった為、急遽、同時期に開催されるA P A主催の第4回国際室内楽音楽祭に飛び入り参加が決まった。ヨーロッパ、アジア、北米から約30人のアマチュア演奏家が集まり、中央線武蔵小金井駅前宮地楽器小ホ-ルでコラボの成果が3月30日にコンサートという形で発表、演奏された。

今回、東京でコラボした曲は、カリフォルニア州メンロパーク市で筆者が数年前に結成したピアノ トリオ グループ  Monats-Trioが、帰国直前のリサイタルで演奏した、メンデルスゾーン作曲ピアノ トリオ OP49。東京でコラボしたメンバーは、日本人のピアニスト、英国人のチェリスト、筆者がバイオリンで、3月30日の発表会前にたった3回の音合わせという、スケジュールだけはプロ並のスピードで、集中されたリハーサルが3月最終の週に開始された。(ちなみに、日本ではメンデルスゾーンのトリオを演奏家が”メントレ” と呼んでいるのを今回知る)

トリオのメンロパークでの演奏風景

筆者のカリフォルニアの音楽仲間Monats-Trioのメンバーは、上海生まれの中国人のピアニスト、ドイツ人のチェリストという、シリコーン バレーでは日常になっている典型的な国際色の豊かさ。エンジニア、サイエンティスト、等、技術系の人の中には技術的にもまた知識の豊富さからいっても(おそらく日本でも同じことが言えると思うが)クラシック音楽Enthusiastsが多い。よってシリコーン バレーではアマチュア室内楽が盛んに弾かれている。

Monats-Trioの場合、ピアニストはすでに引退しているアナログ関係のエンジニア、チェリストはSLACに勤務する現役の物理学者。今回、東京でトリオを組んだメンバーは全員すでに引退していて、ピアニストは音大を出たピアノ教師、チェリストは(まだお若いとお見受けしたが)元弁護士、筆者はシリコンバレーで約30年広報関係の仕事をして2011年に引退したという全員、文化系。

おそらく個人の性格によるところも大きいのではないかとは思うが、米国のMonats-Trioの場合、大変にリラックスしていてあまり他のプレーヤーの批判はしない。黙々と一回のリハーサルに4-5時間は弾く。反して、今回の東京でのトリオは、批判ではないが曲想に関するコメントが飛び交う。一般論で言えば、技術・理科系の寡黙な性格と、文化系の多弁な性格の違いである所も大きいと思う。

「本来、アマチュアとは “愛する人” のことであり、自分のためだけに物事を究めることができる人のことをいう。」「音楽の世界に置き換えてみた場合、プロは五回に一回しか失敗しないが、アマチュアは五回に一回しか成功しない、という話を聞いたことがある。」(辻栄二、アマチュアの領分)。

”アマチュアの領分”の筆者辻栄二氏に同感するところが多い。「今までは、プロとアマチュアの二つに区分された平版な状況しかなかった。しかし、これからは、非同質社会、高齢化社会、情報化社会、生涯教育社会、クリスタル時代、余暇時代、感性の時代、等々といった言葉の数々に象徴されるように、プロはプロで非凡な人たちの集団でよし、アマチュアはアマチュアで何らの権威におもねることなく、自由に音楽を楽しむことのできる時代 ―多極化、多様化された時代― とみてよいのではないだろうか。」「また、高齢化社会に到達すると、いやでも生涯教育、余暇対応の比重が高まり、これまでの定型化されたメニューによるものではなく、様々なカードを自分自身の判断で選んでその組み合わせのなかに自分の生き方を発見しなければならなくなるし、またそういうことができるようになるであろう。国際化が進むと、外国との文化摩擦を通じて、これまでの同質的、集団的な思考パターンや生活様式に何らかの考察や対応をせまられることとなる。また、情報社会では、ファミコンを枕にして育ちコンピューター・アレルギーのかけらもない世代が自分自身の基準で情報を選択するようになる。」 辻氏の著書が発行された1990年から既に30年経った現在、辻氏の語るアマチュアの世界、多極化多様化された時代、はすでに米国でも、恐らく日本でも、また世界の多くの他の国で現実になっていると思う。

室内楽を弾かれる読者の方々はご存知だと思うが、室内楽を楽しく同じメンバーで長年弾いていくにはメンバーの性格の適合性によるところが大きい。今回の東京でのコラボはアマチュアとしては成功であったと思う。コラボの後、トリオのメンバー全員が来年もまたコラボしようと笑って別れた。令和2年3月30日、再び中央線武蔵小金井駅前宮地楽器小ホ-ルでコラボの成果を披露できるか、あるいは世界のどこかの街での再会、共演ができるか、今から楽しみだ。

 

花見しかすることがない訳じゃないけど (34 小泉幾多郎)

小生卒業の高校は神奈川県立平沼高校。入学(1951年) 2年前までは女子の名門神奈川県立第一女子高等学校だったが、1950年男女共学になり、平沼高校となった。女子高時代の先輩に岸恵子、草笛光子、小園容子といった女優, 最近では、テレビ朝日8時からのニュースキャスター羽鳥慎一(早稲田大)が後輩。この時のクラス仲間と毎年恒例にしているクラス会の花見、今年は湯河原。

万葉公園の桜

83歳ともなると参加者も減り、男5名、女6名計11名。日帰りで計画したのに女性軍は折角湯河原の温泉に行くのだからと前日旅館泊、夜更けまで話し込んだようだ。一人を除き未亡人、文句を言われる人もなく自由気儘な生活だろうが男性は全員日帰り。

湯河原着からバスで美術館前へ行って女性軍と合流、町立湯河原美術館を鑑賞。月刊誌文芸春秋の表紙絵を2000~2010に亘って飾った平松礼二画伯が館長でその絵を中心に常設館には有名日本画家のこの地ゆかりの作品が並ぶ。他に現代作家展として渋谷武美という人の彫刻が展示されていた。昼食は庭園に面したミュージアムカフェで地元豆腐店十二庵の豆乳スープセットの定食。美術館前を流れる藤木川に沿って下り光風荘へ。

われわれ生誕の翌年1936年の2.26事件の東京以外の現場が此処で、吉田茂の岳父に当たる前内大臣牧野伸顕が家族使用人と共に滞在中襲撃されたのだった。牧野伯爵は無事脱出したが、護衛巡査が死亡し、負傷者も出たという。その時の貴重な資料が多数保存されていた。此処から万葉公園へ。藤木川から分かれた千歳川沿いに川のせせらぎを聴きながら散策。入口には万葉の歌碑があり、「足柄の土肥の河内に出つ”る湯の世にもたよらに子ろが言わなくに」万葉集4500種の中に、ただ一首、温泉のこんこんと湧出している様を詠ったものだそそうだ。新しい元号が、万葉集からの「令和」に決まったことから、この地も人気が出ることは間違いない。

千歳川の花

滝が小規模ながら二つあり、其処から大きい規模の独歩の湯に到着。郷土資料展示室を見たりして、千歳川沿いの道を下る。千歳川の北側が湯河原、南側が熱海で熱海側に桜並木が続く。桜並木が消えたところでちょっとだけバスに乗り湯河原駅へ。花見と共に芸術と歴史にも浸ることのできた一日だった。

(編集子 なにか高校時代の甘酸っぱいオモイデなんかも確認されたのでは?)

アサ会今年の花見 (34 小泉幾多郎)

本門寺五重の塔 本稿の写真は矢郷君撮影による

日時 4月4日 参加者:佐成、椎名夫妻、城田、田中、西川。西島、平松、藤野、船曳夫妻、真木、松本圭、矢郷、林田、小泉 計16名

林田君の幹事で、洗足池と池上本門寺の花見を開催。例年夫妻で参加していた妹尾君がいなくなり寂しいことだが、これも夫妻で参加していた永野君、茂手木君が都合で不参加となり、これだけで例年に比べ6人少ないことになった。

池上線の洗足池駅11時集合。洗足池公園は駅前の眼の前で桜と池が見渡せた。

先ずは、勝海舟のお墓へ。勝海舟と民子夫人のお墓が仲良く並んでいた。勝海舟が官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中洗足池畔に憩い、その風景にうたれ此処に別荘を構えたという。此処に勝海舟記念館を本年夏までに完成予定にしているとのこと。池の周りの桜は丁度満開でした。再び洗足池駅に戻り、池上線で池上駅へ。徒歩15分で池上本門寺へ。眼前に仁王門から96段あるという階段が望めたが、我々は向かって右側にある池上会館からエレベータを使い本門寺の前へ。どうしても階段を登りたいという人が3人おりました。上へあがると矢張り五重塔が目立った。桜とのコラボレーションが此処での見ものとなっている。

この五重塔の近くに、明治の文豪幸田露伴のお墓があったが、その墓碑銘は、わが西川加耶子さんの御尊父で昭和の三筆と言われた西川寧(ヤスシ)氏が書かれたものだった。西川さんによれば、五島慶太氏や山本周五郎氏等からも依頼されたそうです。会食は池上会館の2階で、白梅の間を借り切ってゆっくり寛ぎ、今年のアサ会花見は無事終了。

4月4日,快晴

京王線仙川駅。区画整理のため伐採されるはずだった桜が市民の運動でそのまま残り、毎年、みごとに咲く。

2019春季 OB会ゴルフ大会

開会にディフェンディングチャンピオン佐藤君(48年)挨拶

3月29日、春のゴルフ大会が先回に引き続き37年菅谷君のホームコース、府中カントリクラブで開催された。天候は予想よりも穏やかだったが、名物桜の花にはほんの数日、早かった。

参加者は32年卒荻原さんから52年卒の諸君まで、年齢差20年に及ぶダイナミックレンジとなった。また、今回から80歳以上はゴールドティも使用可能になった(編集子もそのひとりだが同様、意地になって使わなかった人も多数)。府中CCは数年前からゴルフカート使用が義務付けられており、”歩く” ことに関してのハンディはなかった。

結果、トップは昨年に引き続き佐藤充良君だったが、”連覇禁止”条項(自民党にも教えてやったらどうだ)のため、2位の斎藤邦彦君(48・44)が優勝。ベストグロスは猛打にいささかの衰えも見せない藍原瑞明君(42・42)が獲得。余談だが”連覇禁止”のほか、”表彰時本人不在” のため、繰り上げが2件発生するという椿事の多い大会となった。

次回幹事は今回のスコアにより、斎藤邦彦、藍原瑞明、それと地主菅谷国雄の諸君と発表されている。

PS 帰途はほとんどの人が倶楽部バスで多摩センター駅へでて二次会へ繰り出したようだが、駅のアプローチに入る直前に渡る乞田川沿いの桜が当日、まさに満開であった。土地勘が多少ある編集子はこのあたりを散策し、飲み会には出遅れてそのまま帰宅して驚かれた。