京王線調布駅前後の地域が地下化されて大分になる。調布市の触れ込みでは、跡地の整備もいろいろと夢のあるものだが、今日現在、まだまだ実現していない。ここの所運動不足なのと、いい天気だったので、調布駅からつつじヶ丘駅まで4駅分、まだ空き地になっている埋め立て跡地を歩いてみた。甲州、新甲州というメインの通りの間で、出現した空き地をはさんで、どうしようかと悩んでいるような感じの道家々が多かったが、シーズンだけに梅の花が見事な裏庭を拝見しながら3キロほどの散歩で、結構汗ばんでしまった。
後藤三郎さんへ (横河電機OB 舟橋利信)
(編注)舟橋氏は小生と横河電機同期入社、以来親友付き合いを続けている。横浜市大在学中はテニス部で活躍。3年次に教育大との試合で5セットマッチで7時間を超える死闘を制して名を挙げた。社会人でも実業団戦ではデビスカップ出場者との対戦(1勝1分け)もふくめ、武蔵野市民大会など(単4回復1回優勝)で活躍。コートを離れても青梅マラソンに47回参加した快男児、今は同期会(事務系入社18人)の永久幹事でもある。今回思いもかけないことで連絡あり、まことに世の中狭いことに驚くとともにおおきに楽しく感じた次第である。
*****************
皆さん平均年齢に達したかこれから達するかの時期になりましたが全員元気のことと存じます。当方も昨年をもってテニス、マラソンの公式戦を引退しました。
ところで本日(2/18)武蔵野市のシルバー人材センター主催のパソコン教室に出席しました。3回目でしたが自分で習いたいテーマを申告して自分のパソコン持参で教えてもらうやり方の教室
今日はグループのメンバーのアドレスをいちいち入力せずに予めまとめて登録をしておき、その都度のメールのあて先入力を省力化するやり方の勉強申告をしました。このやりかたを同期会メンバーを使ってマスターしようとしている途中で、二番目に中司
世の中本当に狭いですね。以上ご報告まで。
次回ハッキリ会での再会を楽しみに。
カメのアイデンティティー (41 斎藤孝)
大変ご無沙汰しております。1月12日に開催されましたKWVの
「カメ、珍しくネクタイをしているな。」今年もKWVプランでお
さて、トンベから連絡がありましたブログの原稿の件です。ジャイ
雑文ですがお送りしますので宜しくお願いします。
S41年卒(1966年卒)のカメ、本名は大学卒業までは「
そんなカメのアイデンティティーを探るというが今回の小舎番の目
新築された小舎は一代目とは変わっていましたが、乾燥室だけは玄
「自分探し」の目的は、雪見酒と懐かしの山旅の歌を大声で吠える
2019年1月16日
下の写真は1964年の浅貝冬、左から2人目が22歳のカメです。右上の写真は2019年の年賀状で76歳のカメ夫婦です。
左から相川、本人、一番右がコブキ、その隣が下井(少し美男に撮れすぎ)
”吉田茂” と ”プライムニュース”
チャネル560で再放送された吉田茂についてのセミドキュメンタリを観た(正式なタイトルは覚えていない)。
ドラマ自体はよくできていたという印象だが、同時に、終戦時の混乱にあって吉田を助けた白洲次郎のことを聞いてはいたがよくわからなかったのが、このドラマであらためて理解することができた。昭和21年に満州から復員した僕の父親はすぐ勤務先のカネボウに戻り、混乱期の立て直しに苦労したひとりとして政府との交渉にもたずさわっていたようで、ときどき母に白洲のことをこぼしているのを子供心に?と思いながら聞いた記憶がある。そのおぼろげな感じからするともっと凄みのある、ある意味では暗部のあるような人物に思えていたので、谷原章介ではすこし清潔すぎ、軽すぎる感がして多少物足りなかった気はする。
田中圭が演じた長男健一との確執についてはよく知らなかったが、拾い読みしたことのある彼の文章などを考えてみると、役の演じ方がその割に清潔すぎて物足りない感じがした。父親への反抗はもっとどす黒いものだったのではないか、と感じたからである。またサブストーリーに出てきた街娼と若い役人のエピソードはやらずもがなの感じがないわけではない。おそらくこの挿話はロマンスとしてではなく、日本の一般女性をセックスハラスメントから防ぐため、という今では考えられない ”お上” の発想ではっきりいえば公娼にさせられた女性たちがいた、ということをいいたかったから作られたのだろう。その意味では、昨今議論の絶えない例の慰安婦問題はもっと至近な問題なのかもしれないではないか。
幾つかの重要な転機についての描写はよく理解でき、戦争直後から講和条約に至るまでの過程でなるほど、と再認識することも多かった。吉田が自分は外交屋で政治屋ではない、と吠える場面があるが、たしかにあの場面で変に理想ばかりを追求する二流政治家が排除されたのは日本にとって非常に重要なことだったように思える。いやだろうが、くやしかろうが、今、現実に日本を支えられるのはアメリカしかいねえんだ、それがわからんのか、という判断は正しかったということを今のぼくらなら理解できる。
2日後に、今度はプライムニュースで今の韓国事情についての討論を観た。政治家のことはよくわからないが、出席していた小野寺氏は僕が好感を持っている数少ない一人で、冷静で穏やかな議論にはいつでもうなずくことが多い。しかし今回は、同席していたもと韓国駐日公使、洪氏の ”いま、韓国の人たちの考え方と文大統領の政治手法は全く違っている。その意味で、日本の人は韓国を知らない。日本の人が相手にすべきなのは韓国の人で文ではない” という主張には非常に強い説得力があった。小野寺氏やほかの番組でではあったが、元防衛省の森本氏も同じことを言われていた。とにかく、いまわれわれは必要以上に感情に走ることを戒め、法治国家としてのありようをおしすすめるべきだ、というその結論を併せて考えるに、ぼくらにいま必要なのは、混乱期に吉田が示した ”政治屋でなくて外交屋” の現実感覚なのだろうという気がする。
成人式に思い出すことなど (普通部29卒 船津於菟彦)
今日は「成人式」で町には着飾ったお嬢様方が沢山歩いていて、
さて、わが人生を振り返ると昨年傘寿を迎え、「成人式」
「今どこと戦争しているんですか」-校長先生-「
時は移り1958年慶應義塾は創立100年を迎えました。高校では新聞会にはいり、写真を担当していました。脚立を新聞社のカメラマンよろしく持った1枚。カメラは多分プレスバンだったと思う。
外回りで臨席された天皇の車などを追って撮影。(
1960年はあの早慶六連戦があり、大熱戦。
昨年の早慶戦と同じ様な事でしたが、
女性のチアーリーダーが登場したのもこの時でした。
慶應は投手に清沢忠彦、角谷隆、三浦清、
試合は一日目1対2で慶應の負け。二日目4対1で慶應の勝ち。
第六戦目 早稲田はこの試合も安藤元を先発させた。
優勝特集号の号外新聞を作るべく毎日のように写真を入れ替え、
安保闘争もありましたね。銀座四丁目の地下鉄出入り口の屋根に登り、
こんな青春が二十歳でした。総て「おぼろ」忘却の彼方へと。
因みに、新成人の人口は125万人との推計となり、
閑人会亥年はじめの報告 (44 吉田俊六)
閑人会より亥年第一報を言上。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。S44卒業の「閑人会」も看板と実態が重なりはじめ、3回目の七福神めぐり参加者は14名。深川・浅草についで、今年は「山の手・新宿の七福神」約2万歩を走破。聖俗あざなえる度合いは今回のコースでより鮮明。出発点の御苑前からすぐに新宿二丁目、ゴールデン街、歌舞伎町、新大久保、要所要所の鎮座まします国際色豊かな出自の神々*をお参りし・・・第七:神楽坂の毘沙門天の現世利益あらかたにて、生き弁天と邂逅!(婀娜な襟足のお年玉を、共有頂きたく添付仕らん)。勇み足でお伊勢さんの東京支社までお参りし、血液型別おみくじにて落着。さらに、新年会を兼ねての神田のすっぽん鍋(三回目)で回春を祝いました(個人差有るも同音異義の“回春と悔悛”が隠し味。深い味わいがございました)。

*印: 恵比寿が日本(神道)、大黒天・毘沙門天の2神がインド(仏教)、弁財天が同じくインド(ヒンドゥー)、布袋・寿老人・福禄寿の3神は中国(道教)・・・純国産は1/7!
蛇足1:それにしましても、超メタボや長頭などいじめの対象になりかねない外観の方々を神様に祭り上げて価値の返還を成し遂げた先人の優しさに、尊崇の念新。
蛇足2:大切なモノは海の向こうからやって来る・・・“ニライカナイ伝説と宝船”が同船しているのも面白いですね。インカの人たちにとって白い神が海の向こうから来るとの神話がトンデモナイ被害をもたらしたのですが、ぺルリの黒船はこれからの歴史でどのように解釈されていくのでしょうか。“You 達うようよ”の雑踏にまぎれて少し揺らぎを感じた初歩きではありました。
日平会新年会―普通部同期生各位へお知らせ (29年普通部 船津於菟彦)
(編集子注)
日平(ひびら)会はS29年普通部卒(大学卒業36)同期のうち、一風変わった人間の集まりである。かつて帝劇地下にあった同名の店で集まっていたためこの名前となった(その後日平亭の都合で場所を帝国ホテル内三田倶楽部に変更)。
A-E5クラスの中でもC、D組には曲者がそろっていて(編集子はE組)、がやがやと良き古き普通部生活を謳歌した仲間である(外部の人には理解できないかもしれないが、普通部部歌にはっきりと ”いざよく学び いざよく遊び” と記されている)。
雪が降るとかの予報でしたが、暖かな日和で、
岡野さんのご提案で普通部卒業65年の集いを開催することとなり
場所 明治屋 京橋 モルチェ
A:岡野・岩瀬
B:田中新弥・日高
C:田村・船津
D:大森・後藤・高山
E:中司・次回 日平会で詳細を決め、クラスごとに連絡をいたします。
| TEL:03-3622-7861 |
”私はマリア・カラス” を観て (34 小泉幾多郎)
昨年12月20日、日影沢で、今年のKWVニューイヤーパ
KOBUIKI(編集注:41年久米行子)が、”私はマリア・
映画「私は、マリア・カラス」はトム・ヴ
名が重すぎるの」と打ち明けると直ぐに”蝶々夫人”で
演奏会以外の場面、インタビューやプライベートな動きの中で
スの歌声が心地よく鳴り響く。なかには、澄んだ美しい声とは合致
また、カラス生涯での大きな事件としては、1958年のロ
オナシスとジャックリーヌとの結婚ののち失意の後、パゾリーニ監督
映画は巻頭での蝶々夫人のアリアから最後は日本での演奏会が、フ
グレープフルーツがなったよ! (五十嵐智・亀岡愛一郎)
(亀岡自慢のキンカン)
思いもかけず、編集子小学校(大田区立赤松小学校)時代の恩師、五十嵐先生からお便りを頂戴した。プライベートなことではあるけれど、とてもほんわかとした、暖かいやりとりをしたので、先生とこれで70年近く交友している友人との往復メールを、ご了承を得て紹介する。先生力作のグレープルーツの写真そのものはまだ頂戴していないが、同好の士というか園芸フリークの方から先生へのアドバイスでも頂ければ望外の幸せである(なお、五十嵐学級のクラス会はまだつづいていて、傘寿を迎えての小学校仲間との付き合いはまた格別に感じる。先生は卒寿を越えられてなお年齢を感じさせず、まさに矍鑠、いまだに愛車を駆って元気でおられる。まさにわれわれの理想の姿というべきか)。
*************************
(五十嵐―中司)
恭君がアメリカにいるときに、親孝行で、
(中司―五十嵐、亀岡)
メールを読ませていただき、一瞬、あっけにとられたというか、
(亀岡―五十嵐、中司)
今日 午前中は今春初めての絵の教室に出席、帰宅し昼食後PCを開いたら先生と中司さんのメ-ルのやりとり 転送で入ってました。グレ-プフル-ツ約40年で結実との事 庭いじり好きの家内に話しました。
30年前 入間の家を新築、移転した際家内の友人がすでに実が少しついたキンカンの苗木をお祝いに頂きましたがその後 木はすくすく成長しましたが実は全く付かなかったのに一昨年から急に付き始め昨年秋は大豊作!柑橘類は「バカなり」と言って忘れた頃になりだすとの事です。家内は「キンカンジャム」を沢山作ってくれました。お昼 パンに塗ってます。美味しいですよ。先生の家の「中司さんのグレ-プフル-ツ」も今年の秋からはきっと沢山 実を付けますよ。
(五十嵐―亀岡、中司)
亀岡家のキンカンは苗木から30年かかり、
40年前に亀岡君から頂いた「金木犀」は10月になると必ず「
(中司―五十嵐)
昨日、お葉書頂戴してご返事しようかと思っていたところです。
兼高かおるの訃報に接して (44 安田耕太郎)
メキシコから南下してエクアドルのアンデス山中 赤道記念碑を訪れた際、




