”ペンタゴン・ペーパーズ” を見て     (普通部OB 舩津於菟彦)

普通部時代から新聞作りをして大学では新聞研究所を一応卒業して、マスコミの端くれになり損なった者としては「報道の自由」を嫌と言うほど学んできた。
この映画も日本上映の日に真っ先に見に行き感激した。新聞記者は真実を報道するためにはいかなる手段を講じても民主主義・人権・人の生きる権利のために報道すべきだと。記者の後ろには万人の読者がいるのであり、正確に、真実を報道すべきである。
「報道の自由」で日本で一番問題になって残念な判決になったのは毎日新聞の辣腕記者「西山問題」であろう。
西山事件(にしやまじけん)は、1971年の沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件。別名、沖縄密約事件、外務省機密漏洩事件。
第3次佐藤内閣当時、リチャード・ニクソンアメリカ合衆国大統領との沖縄返還協定に際し、公式発表では地権者に対する土地原状回復費400万米ドルをアメリカ合衆国連邦政府が支払うことになっていたが、実際には日本国政府が肩代わりしてアメリカ合衆国に支払うという密約をしているとの情報を掴み、毎日新聞社政治部記者の西山太吉が、日本社会党議員に情報を漏洩した。
最高裁は「原判示対米請求権問題の財源については、日米双方の交渉担当者において、円滑な交渉妥結をはかるため、それぞれの対内関係の考慮上秘匿することを必要としたもののようであるが、憲法秩序に抵触するとまでいえるような違法秘密といわれるべきものではなく、実質的に秘密として保護するに値するもの」「当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである」「報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでない」と判示し、秘密の正当性及び西山の取材活動について違法性と報道の自由が無制限ではないことを認めた。
「情に通じて」と残念な判決で。日本の報道の自由の権利を一部失ってしまった。この時取材源などを漏らし、かつ社会党代議士に出所が分かるそのままの書類を渡すという記者としてあるまじき行動もあったが、残念な判決だった。

沖縄問題についての基礎知識

船津於菟彦君が学生時代所属していた新聞研究所OBの会合で聞いたレクチュアについて知らせてくれた。その一部を現在話題になっているものの、もう一つ、知らないことの多い沖縄についての基礎知識として紹介する。

① 1429年中山王尚巴志(ちゅうざんおうしょうはし)は北山、中山、南山の三つの王国を統一し、首里(現在の那覇市)に首里城を築いて琉球王国を作った。16世紀後半から豊臣秀吉や徳川幕府は琉球王国に対して支配下に入るよう圧力をかけていたが、明との関係を重視して歴代の王はこれに対してはっきりとした態度をとらなかった。

②1609年、第7代の尚寧王(しょうねいおう)のとき幕府の許可を得た薩摩藩は3000の兵力によって琉球を制服し、首里に在番奉行所をおいて琉球の内政と外交を監視した。薩摩藩は明貿易の管理権をにぎり、年貢を薩摩藩に上納することを義務付けた。これによって琉球王国は薩摩藩主の島津氏属国として支配権をにぎられ、幕府体制に組み込まれた。1872年明治政府は琉球藩を設置し、19代目の尚泰王を琉球藩王に任命して琉球が日本の領土であることを内外にしめそうとした。

③琉球が清との関係を続けようとしたため1879年に、明治政府は軍隊や警官を送り廃藩置県を強行して琉球藩を廃し沖縄県を設置した。

④1609年に薩摩藩が沖縄北部の運天港に上陸し、今帰仁城を落城させると、一気に琉球に侵攻し首里城を占拠。江戸幕府の徳川家康から琉球の支配権を与えられた島津の統治下に入ることとなった。事実上、幕府に組み込まれた琉球は、江戸へ使節を送ることが慣例となり、これを「江戸上り」といい、琉球装束を身にまとうことで、独立国としての対面を保っていた。

⑤明治5年(1872)に琉球王国から琉球藩となったが、王府は、琉球の管轄が薩摩藩から明治政府に変わっただけで体制に影響がないと見ていたが、明治政府は中国(清)との冊封、進貢関係を絶たせ、強硬に藩政から県政へと推し進めようとしていた。王府は琉球存続の嘆願を繰り返したが、琉球処分官により、政府命令を通達。明治12年(1879)に廃藩置県を断行。

⑥日本政府が、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦へと突き進む中、沖縄も戦争に巻き込まれていく。第一次世界大戦終結後に起きた戦後恐慌では、沖縄では「ソテツ地獄」と称され、命を落とす危険さえあるソテツの実や幹を食べて飢えをしのぐほどの悲惨な状況だった。

⑦そして、太平洋戦争。太平洋戦争が終わりをむかえようとする、1945(昭和20)年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸しました。はげしい戦いが行われ、沖縄に住んでいた人々約10万人をふくむ、たくさんの人たちが亡くなりました。これが「沖縄戦」です。沖縄島全体が焦土化して、日本本土の捨て石的な状態に置かれた。

⑧戦争が終わると、1972(昭和47)年5月15日に日本へ復帰(ふっき)するまで、沖縄はアメリカの統治(とうち)が27年間続きました。その間に米軍基地(べいぐんきち)が建設され、今もなお存在しています。占領状態が続き通過も日本円では無くB券というドル建て。日本本土は占領政策は免れたが沖縄は「占領」状態が続く。言語こそ英語には成らなかったが総て米国統治。

⑨明治時代になると、450年間続いた琉球王国はなくなり、琉球は沖縄県となりそして太平洋戦争。占領。やっと1972(昭和47)年5月15日に日本へ復帰。しかし、経済は米軍基地に頼る状態で、産業も無く今後どの様にしていくか課題は大きい。

フレイルとサルコペニア     (普通部OB  篠原幸人)

先日、大学全学部同期生のゴルフコンペに参加してきました。茨城県牛久の近くにある金乃台ゴルフクラブというところです。毎年行われていたこの大会もコロナ騒動でここ2-3年はお休み。久しぶりに大会を献身的な有志幹事が開いてくれましたが、毎年100名以上いた参加者も今回は20名一寸。まあしょうがないやね。何しろ最も若くても83歳だもんね。

スコアー(打数)が自分で数えられず始めからキャディーさんに自分の打数を数えてくれと頼んでいるもの、一番ホールからもう腰が痛い・足が痛いと騒いでいるもの、朝からドライバーを忘れてきたと大騒ぎするもの、打順が分からず適当に打とうとするものなど、スタートからしっちゃかめっちゃか。医者は小生だけだったから、何かあったらと多少責任を感じつつスタート。まあ何とか救急車も呼ばずに終了できたのが不思議なくらい。私は第一組で、後ろから来るのが仲間たちだからよかったけれど、普通だったら「進行が遅れています。急いでください」とどやされていた筈。

最後の簡単な表彰式にも会場が分からない迷子が出る始末で、皆さん久しぶりに会えてよかった来年また会おうと喜んでおられたが、私は死者が出なくて良かったとホッとしただけ。来年はどうなるんでしょうね。全員が揃って、84歳以上になるんですよ。共通して言えることは、多分私も含めて、打った後の歩く速度が遅くなったこと、それと何しろ動作が鈍い。ラウンドしているうち、仲間全員が患者さんに見えてきた。実際の患者さんも何人もいたけれど。

最近、「フレイル」とか「サルコペニア」という言葉をよく聞くでしょう。「フレイル」とは高齢化と共に生じる、

  • 歩行速度の低下(身体活動性の低下)
  • 筋肉・筋肉量の低下(これがサルコぺニアです)
  • 動作緩慢
  • 持久力の低下
  • 意図しない体重減少   などを合わせて指す言葉です。

皆さん、街を歩いていて、若者にどんどん追い越されて悔しい想いをした経験はありませんか? 病気でもなく、よく食べるのに体重が減少? 奥さんや子供に「パパ、遅いんだから」とよく怒られる?  これらがフレイルの始まりです。

しかし、フレイルやそれに伴う筋肉量の減少は年齢と共に誰にでも起こるものです。ましてこのコロナ禍で、外出もままならない状態ではさらにこれが増長します。しかし、これを治す飲み薬はありません。 血圧・体温の測定も結構ですが、毎日あるいは週に3-4回は散歩や何らかの自分なりの仕事・運動・トレーニングをやって下さい。

ボーッとテレビだけ見て何となく1日が過ぎてしまうのはやめましょう。杖をつきながらでも、体を動かすことは是非つづけてください。それが心肺機能にも、脳にも、胃や大腸にもいい影響を与えるのです。

と言っても、今更ジムやスポーツクラブに通うのも大変だけどな~。

(編集子)篠原兄、相変わらず医療前線でのご活躍、敬意を表します。小生自宅から3分の距離に24時間営業のジムが開業、恐る恐る通い始めたところ。面白いもので教室にはいかないがザックを背負って過ごした4年間の実績?か、ほかはだめでも背筋だけはこの年にしては元気なようです。36ゴルフもそろそろ先が見えてきたようですかな。

エーガ愛好会  (148)  大河への道

久しぶりに ”エーガ館” で見た。どういうわけかわからないが、自分ではこの次のNHK大河ドラマが伊能忠敬のものだと信じ込んでいて、なんでこんなエーガが出来るのか不思議に思っていた。 年寄りの思い込みとはこういうことなんだろうな。

さて作品の原案が現役の落語家によってつくられた、ということで納得したのだが、非常にエスプリというのか、しゃれた仕上がりだと納得した。しかるにどーしてもこれが見たい!と主張した我がパートナーは全く盛り上がらず。こういう事を云うと叱られるだろうが、どうも女性は史実とか歴史というものがそれ自体がもつロマンを介さないようだ。

作品はミステリ仕立てに近いのだが、この話のからくりは伊能が死んだとされる日と、その生涯の結実であるはずの日本全国地図が完成したと記録されている日のあいだに2年のずれがある、という事だ。作品の筋としては、脚本を依頼された著名な脚本家が、こんなわけのわからない史実がある以上、ドラマにはできない、と頑迷に主張し、結果、この2年の間に何があったのか、を解明することになる。冒頭に現れる伊能(という事があとでわかる)の死の場面の意味が、瞬時に切り替わる現代での出来事に置き換わっていく、そのテンポがいい。また現代での出来事の主人公二人(中井と松山)が仮想の場面での主役になるという振り付けも作者(志の輔)のテレビでの印象を思い出し、にやりとしてしまった。しかし測量隊の現場の再現はどこまで史実の検証がされていたのかは知らないが、わらじ掛けでの歩測などは(そうだっただんだろうなあ)と思わせて現実味があった。

この地図を当時の我が国の技術レベルを考え、また映画で再現される測量の現場などを見ると、その苦労のほどがどれほどのものであったのか、想像を絶するも

のだと思う。またこの時代に三角関数というものが知られていたし、伊能がこの事業に取り組むきっかけが子午線についての実証実験だった、という事もオドロキだった。

測量隊が履いていたわらじを再現

“シングルハンド太平洋横断” 成功!   (普通部OB 船津於菟彦)

ヨットによる世界最高齢での単独無寄港太平洋横断に挑んでいた堀江謙一さん(83)=兵庫県芦屋市=が4日未明、米サンフランシスコから2カ月余りかけて紀伊水道にゴールした。約8500キロの航海だった。この後、兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバーまで別の船に引航され、5日に検疫などの手続きをした後に下船し、帰港セレモニーに臨む。

午前2時39分、堀江さんが操船する「サントリーマーメイドⅢ号」が、紀伊日ノ御埼(ひのみさき)灯台(和歌山県)と伊島(いしま)灯台(徳島県)を結んだ紀伊水道上のゴールラインを通過したのを並走したスタッフが確認した。

待ちに待ったコールライン通化!我らと同年の光輝高齢者。頑張ったなぁ。

コロナの現状―ワクチン接種を拡大せよ!   (34 船曳孝彦)

東海道から富士山を見ると右の稜線に小さな小山が見え、宝永山と呼ばれています。新型コロナ感染症新規感染者数のグラフ(本当は週単位で纏めたグラフの方が鋭い角度となりもっとはっきりする)で、第6波の大きい山の右側に宝永山によく似た小山が見えることは前報でも指摘しましたが、最近ではこの小山が二つ見られます。山が大きくないので第7波、第8波とは言い難いのですが、ここでは仮称として用いましょう。仮称第7波はどうやら乗り越えましたが、その後の仮称第8は本物の第8波になりかねません。

前前報にて予告しておりました畏友黒木登志夫先生の【変異ウィルスとの闘い―コロナ治療とワクチン】が数日前に中公新書として出版されました。早速読んでみましたが、大変分かりやすく書かれており読み易いので、是非お手にとってご覧ください。更にCOVID-19 TK-File(39)も届きましたので、このコロナ情報36も、この2資料を全面的に参考にしています。

DNA分析から変異ウィルス株で見ると、オミクロン株からの変異亜株で、第6波、仮称第7波はBA.1,BA.2であったが、WHOは最近の増加がBA.4、BA.5らしいといっていますが、日本の第8波は日本独自の亜株ではないかともいわれています。これらの亜株はワクチンが効きにくいのでは、とも言われています。感染力はウィルス史上麻疹や水疱瘡に次ぎ、3番目の強い感染力を持っており、幸いに重症化、致死率はデルタ株より低いのですが、高齢者では致死率3.5%と高く、私ども高齢者には恐ろしいことです。

ウィルスの中でもコロナウィルスは変異し易く、これまでの第2波、第3波、第5波は日本で独自に変異した亜株だったようです。日本では厚労省がデータを囲い込み、大学や研究所に公開していないため分析が遅れてしまいます。今が大事な時であり、何時でも何処でもPCR検査を積極的に行い、陽性者に関しては全例DNA分析を行うべきだと主張してきました。 抗体についても、アメリカでは過半数(小児では80%)に抗体が見られたと報告されていますが、日本ではこのようなビッグデータが存在しません。 政府はこうした医学的、科学的な面は一切無視して、マスクなしの条件だの、海外観光客受け入れだのと、経済活性化のみ重視して前のめりです。今後どうなるのでしょうか。

黒木氏はチャーチルから始まった “終わりの始まり”を使って今後の経過予想シナリオを

  • 終わりの始まり
  • 始まりの終わり
  • 終わりなき始まり  の3シナリオとして考えています。
  • 1の場合でもこの後小さな波はあるかもしれませんが、一応納まって行く傾向で、インフルエンザ並みとなる可能性があります。すでにコロナ情報でも書きましたが、SÀRS、スペイン風邪、デルタ株の第5波のように終息に向かう可能性に期待が持てます。いけるのではないかと希望的観測をしております。
  • 2の場合、今後も波は繰り返すことになりますが、致死率は高くなることはないでしょう。第3波の5%から第6波は13%に下がっています。
  • 3の可能性は大きくないと思われますが、高い致死率を持った波が繰り返すことになります。

シナリオ①が本命だとは思いますが、では何もしなくてよいのでしょうか。 この波の中で感染することの無いようにマスク・換気・大声会話・雑踏回避・近接回避などの基本には十分注意しましょう。

大切なのはワクチンです。時間が経って中和抗体が下がっても、ウィルスが入ってきたとなればメモリー細胞が働きキラー細胞により免疫活動が再び活発化します。ワクチンは基本は2回接種ですが、補助的(ブースター)効果が証明されていますから3回目接種が常識化しています。これによりデルタ株で90%、オミクロン株で65%に回復します。インフルエンザワクチンより優秀です。 さらなるブースター効果として4回目の接種が今始まろうとしています。まだ接種券は来ていませんが、私は受ける日を心待ちにしております。皆さんも受けてください。この次お会いする時は4回終了者同士ノーマスクに戻って会食しましょう。

それなのに何ということでしょう。未だに3回接種者は60%のラインを超えていません。オミクロン株で感染率の高い弱年齢層(12~19歳)のワクチン3回接種は21%に過ぎません。小児の接種率に至っては1割台です。

副反応でワクチン反対を煽る報道、街宣車、全く熱心さが見られない政策によるものです。こんなことでよいのでしょうか。副反応とは本来注射を打つことによる痛み、発赤、腫れ、発熱、倦怠感などであり、いわば必然的ともいえるもので、接種を忌避する理由になりません。副反応が出ればそれに対応するよう手配されていますし、2回目は副反応が強くなる人ならない人半々ですが、3回目は多くの人が軽くなっています。

副反応に混同されているのが有害事象と呼ばれる病態で、アナフィラキシーショック(1)、血栓症(2)、心筋炎(3)、抗体依存性感染増強(4)、不明急死(5)です。(1)は接種現場でもこれには最も注意しており100万回に3人と稀で、死亡者はありません。(2)は100万回に1人と更に稀で、日本ではゼロです。(3)は若い人に見られ、CDCによれば100万回に12.6人とされていますが、時に高齢者に起こることもあります。(4)は新ワクチン誕生の時最も心配される病態ですが、新型コロナワクチンではゼロでした。(5)は高齢の循環器疾患患者で日本で17例とされていますが、元々の循環器病と重症度をしっかり検討せねばなりません。

こうしてみるとワクチンに反対する人の根拠が薄れてゆきます。心理的大きな要因は子宮頸がんに対する神経系の有害事象の報道で、集団訴訟となったことでしょう。メディアの力は大きく、さらに政府は薬害を否定する一方で、ワクチン接種推奨を中止してしまったのです。道理が通りません。接種率は80%から0.1%になってしまいました。コロナ禍を受けて推奨しかけていますが、日本人の心の中に反ワクチン感情を根付けてしまいましたので、ワクチン信頼度はなんと世界149か国中149位と最下位となってしまいました。予防注射をするかしないかは個人の自由でしょうか。憲法でも生命権と公共の福祉は自由を制限するものとしており、公衆衛生の保全は公共の福祉に含まれると黒木氏も指摘しています。なによりも厚労省は大量のワクチンを捨ててしまうというとんでもない失敗を反省し、ワクチン接種に真剣になってもらわなければなりません。

KWVOBの皆さん 山行、ハイキング、スキー(今は無理でしょうが)、あるいはゴルフ、釣りなどは上記の注意をした上で、解禁として可いと思います。会食も可で構わないと思います。店側としては当分の間アクリル板が立つことにはなるでしょうが、そこは我慢し大声を出すことも控えましょう。コロナ禍で日本の社会からコミュニケイションが希薄化してきたと思います。WEB会議など、コロナ社会で新しく開けたメリットもありますが、ノスタルジアでなくプレコロナの良さをもう一度思い直してみましょう。

八が岳南麓・葡萄の花が咲きました  (グリンビラ総合管理 HPより転載)

先ほどまで激しく降っていた雨もあがってきました。急激にお天気回復して晴れる予報です。現在の外気温13度、事務所内は肌寒くFFストーブをつけました。

さて昨日は甲州市に葡萄の房作りのお手伝い(講習)に行ってきました。北杜市よりも季節の進みが早く、房も大きく育っていました!!!

葡萄の花が咲いて畑には甘い香りが漂っていました。

KWV OB会 “日帰りワンデルング” が戻ってきた!

コロナ騒動でOB会の年中行事もしばらく中止のやむなきになっていたが、今回、”秋の日帰りワンデルング” が復活。ファミリー帯同も前提にした楽しい一日、今回の参加者は124人!とのこと。まさに待ちに待った、というところだろうか。集中地は青梅駅近くの河原、いつもなら部旗がはためき山の歌が聞こえるのだが、今回は自粛。これもまたよし、か。

編集子はあまたのコースからファミリーむきの散策を選択。岩田君ファミリーを中心に2時間ほどの時間を満喫した。

エーガ愛好会 (147) 軍用列車

僕はあまりテレビを見るほうではないのだが、何となくスイッチオンしてみたらこの映画がちょうど始まるところだった。別に期待もしていなかったのだが、アリステア・マクリーン原作の映画だというので、座りなおした。マクリーンは多作で知られる作家だし、ナヴァロンの要塞 女王陛下のユリシーズ号 をはじめとして主なものはずいぶんと読んだ記憶がある。しかしこのタイトル(原題はBreakheart Hill という)は見たこともなかった。おそらく第二次大戦での抗ナチ活動の話だろうと思っていたのだが、タイトルバックに出てくる機関車がどうみてもセーブゲキ風なので(マクリーンが書いた西部劇?)というオドロキと、クレジット・タイトルにごひいきベン・ジョンスンが出てきたので、意を決して(おおげさかな)最後まで見てしまった。

筋書きはよくある軍の幹部が武器密売にかかわる腐敗もので、たとえば最近で言えばトム・クルーズのジャック・リーチャーもの第二弾 ネバーゴーバック と同じ筋書きだ。ただ、クルーズのほうが万事アクションで追い詰めていくのに、そこはマクリーン、観ていても謎解きに引き込まれるようだった。ただ西部劇時代の話となると、時代考証的に(まあ、いいんだけど)いろいろ疑問が湧く。ウイキペディアにある記事ではサスペンススリラー、と分類していた。

筋書きは辺地でジフテリアが発生したため、医療品と補充兵を運ぶ軍用列車での謎解きである。列車は度々停車し、目的地の砦(すでに悪漢一味に占拠されている)に報告を入れるのだが、当時まだ当然無線は出来ないから、電線に送信装置をつながなければならないはずなのに、画面で見る限り電線が引かれているとは思えない。ジョエル・マクリーンの 大平原 では、二挺のライフルの銃身を電線につないでモールスを送る場面があったが、そういえばあれはどうだったか、も一度DVDを見てみよう。

ベン・ジョンスンは別件で登場するのだが、酒場でお尋ね者として手配されているチャールズ・ブロンソンを見つけ、それを連行するという名目で軍用列車に乗り込む。ところがこの列車、突然兵士を載せた車両が切り離されて逆走、転落したり、殺人があったり、謎が深まっていく。ブロンソンが医療品の箱が実はダイナマイトとライフル銃であることを見つけ、生き残りの中で唯一信用できる将校とともに解決し、密売の相手だった先住民の襲撃を押しとどめる。女性で登場するのはジル・アイアランドだが、まったくのそえものでロマンス話はなし。もう一人、どっかで見た顔だと思ったら、ランボー でスタローンの上司になるリチャード・クレンナだった。

時代考証、という意味でもう一つある。ブロンソンは実は秘密情報部員だ、という事がわかる。待てよ、映画の中に正確な記述はないが、大統領はグラントのころだろう。その当時にすでに CIA のごとき組織は存在したのか? 何方か博識の方、よろしくご教示ありたし。

ま、ぽかんとあいた午後の2時間、退屈はしなかった。

 

フランシス・フクヤマ論文を読んだ   (44 安田耕太郎)

 

第二次世界大戦においてナチスドイツの敗色が濃厚となった頃、戦後の東西冷戦を予見しソ連と西欧との間には「鉄のカーテン」が引かれると喝破したのはイギリスの元首相ウィンストン・チャーチルだった。彼は、更に「民主主義は最悪の政治形態だ。ただし、これまでに試されたすべての政治形態を別にすれば」、と民主主義の政治体制を逆説的に賛美した。しかし、戦後4分の3世紀を経た今日、ロシアと中国に代表される権威主義的専制国家は強力に前進しているように見える反面、民主主義の命運に関する悲観論が高まってきたかにみえる。民主主義の盟主たるべきアメリカの国力低下も起因しているのは明らかだ。権威主義専制政府は、民主主義政府のような逡巡や躊躇、あるいは議論の対立とは無縁に、迅速に意思決定をして果断に行動に移すことが出来る。民主主義体制の弱点は、一人の為政者が国を治める期間は短く政権交代は頻繁で、長期的に一貫した持続可能な政策・戦略を採ることが相対的に困難な点である。

 

ロシアにおけるウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射による威嚇、中国による台湾侵攻の恐れ・・・。権威主義的独裁国家による民主主義体制への圧迫が続く。国際社会を大きく「民主主義」対「権威主義的独裁」の構図で観た場合、人口の合計はそれぞれ「23億人」対「55.6億人」となり、世界の人口の71%が「独裁」側に住んでいることになる(下記貼付資料: スウェ―デンの独立研究機関のデータによる)。世界で最も多い統治形態は民主主義の理念を掲げる独裁国家とのこと(橙色の国)。データ入手可能な199ヶ国の内、実に55%の109ヶ国が権威主義的独裁国家なのだ。アメリカなど多くの民主主義国で、自由な国際秩序を攻撃し、自国内の「法の支配」を傷めつけるポピュリストの指導者が出現している。民主主義とその体制はこのままジリ貧状態に陥ってしまうのだろうか。現状を示す下記の地図で 赤と橙色が広い意味で「独裁」に分類されている:

去る5月22日の読売新聞朝刊の「地球を読む」にアメリカの政治学者フランシス・フクヤマの投稿記事「ウクライナ・コロナ」が載った。今、最もホットな話題2つを取りあげて、権威主義的国家の問題と民主主義の先行きを論じているので紹介する。

我々はここ数か月で、権威主義的大国による二つの破滅的な意思決定を目撃した。第一は、ロシアのウクライナ侵攻である。第ニは、中国が「ゼロコロナ」戦略の維持という無意味な闘いに取り組んでいることである。

ロシアは、無辜のウクライナ市民を何万人も殺害し、国のインフラの多くを破壊した。しかし負け戦の途上にある。首都キーウ周辺から撤退を余儀なくされ、東部ドンバス地域の確保という目標も縮小を迫られている。ロシア側の代償も甚大で、ロシア軍兵隊の士気の低下は顕著だ。NATO拡大により旧ソ連圏が脅かされるとして、侵略を正当化したが、今やNATOはフィンランドとスウェ―デンにまで広がろうとしている。同時にロシアは民主主義世界から未曽有の経済制裁を科された。ロシア経済は外部世界から切り離され、いずれ機能不全に陥ろう。ウクライナの抵抗戦力を過小評価して楽観的に侵略したロシアは、今やNATO諸国から継続的に武器の供与を受け続けるウクライナの高い戦闘士気と戦闘能力の向上の前にたじたじである。士気の低下が目立つロシアと好対照である。プーチンの成功はおぼつかない。

中国の「ゼロコロナ」戦略の維持は、多くの都市における封鎖(ロックダウン)をもたらし、中国経済に深刻な結果をもたらすだろう。習近平はゼロコロナ戦略に個人的威信をかけている。中国共産党独裁は高度に制度化され、指導部幹部の任期には制限があり、引退年齢も決まっていた。毛沢東時代のようなカリスマ的指導形態への忌避感は明白であった。これらの制度的な権力監視の規定の多くが習近平により解体され、彼自身が兼務する国家主席の任期(2期10年)も撤廃した。例外的な次期5年或いはさらに次の5年の政権を担うことは当然視されている。自分に対する個人崇拝の構築も進めてきて、「習近平思想」の教義を強調し、自らを過去の「偉大な指導者」になぞらえている。習近平の独裁的権力と威信に立ち向かう人物が指導層内にいなさそうな現状では、依然として暫くは習近平独裁体制が続くのだろう。

ロシアと中国の今回の悲惨な選択は、単に情報の乏しさや個々の指導者の判断ミスに起因するものではない。これは、権威主義的な両国の政治システムそのものがもたらした結果といえる。両国とも、頂点に立つ個人に際限のない権力と権威を与える、いわば属人的な権威主義形態へと変化した。その個人に対する監視は殆どなく。明白な失敗があったとしても、方向を反転させるための仕組みは存在しない。権力に対する監視の欠如は、特にロシアで顕著だ。プーチンがコロナで孤立を深めたという指摘が多い。長テーブルの両端で側近やゲストの要人と協議する姿は、その象徴だ。最側近とのこういう関係は恐怖に基づくもので、知的な議論や熟考が可能な政治システムとは程遠い。それどころかプーチンには、誰もあえて真実を伝えず、彼は情報を遮断された泡の中に生きている「裸の王様」のようだ。

ロシアのウクライナ侵略によって、世界は重大な岐路に立たされている。ロシアは。東西冷戦の終結後に現れた民主主義に基づく政治を破壊しようとしている。それを、国際秩序のルール改変を模索する中国が助けている。だから、ウクライナ戦争がどういう形で帰結するかは、同国だけでなく世界全体に影響を及ぼすのだ。フランスのマリーヌ・ルペンやハンガリーのオルバン首相、アメリカのトランプ(前大統領)といった欧米の大衆先導型の政治家はおしなべて、プーチンを手本として仰いできた。それゆえ、ロシアによるウクライナ征服の試みが失敗することは、結果として地球全体の民主主義に、大きな恩恵をもたらそう。それはまた、民主主義諸国が地球規模で新たに結束する契機となりうるかも知れない。