現時点で欧州旅行を考える人に   (普通部OB 田村耕一郎)

友人の赤阪清隆氏から届いた情報の一部を欧州旅行を考えておられる方々へのご参考までにご紹介する。

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3月22日から昨日4月5日までの二週間、デンマークとフランスを訪問してまいりました。デンマークは、会議に出るための出張、フランスは私的なパリ旅行でした。今この時期に欧州を訪問したらどういうことだったかを事実に即して詳しくお伝えするのは、そろそろ海外旅行を再開したいと思われる方にはご参考になると思います。 

 まず、ウクライナ危機の影響です。予約済みのヘルシンキ経由デンマーク行きフィンランド航空は、ロシアの上空を通過できなくなったので、キャンセルになりました。フィンランド航空の手配でJAL便に変更になって、ロンドンまでは出発日前に確保できたのですが、それから先のフライトは、私が羽田空港に着いてから、JALのカウンターの人たちが懸命に探してくれて、英国航空が確保できました。フィンランド航空の帰国便もヘルシンキ以降はキャンセルになり、予定より一日遅れのJAL便に変更になりました。 羽田出発の際のJALカウンターでは、パスポートとワクチン接種証明(3回)を見せただけで、追加的にPCR検査陰性証明は必要ありませんでした。

 JAL便は、羽田から北東方向に進み、アンカレッジ、北極圏、グリーンランド、アイスランド上空を飛ぶこと15時間40分で、ロンドンヒースロー空港に着きました。機内では、マスク着用が義務付けられましたが、ヒースロー空港では、マスクをしている人は少数で、英国人とおぼしき人はマスクをしていませんでした。コペンハーゲン行きの英国航空は、びっしり満員でしたが、マスク着用は必要ありませんでした。

 コペンハーゲン空港では、ウクライナの婦人と小さな子供が泣きながら抱き合っている映像が、繰り返し繰り返し大きなビデオに写されて、寄付の呼びかけが行われていました。デンマークでも、その後のフランスでも、テレビのニュースはウクライナの惨状を伝えるものが大半でした。デンマークの公の建物には、ウクライナの国旗を掲げているところがたくさんありました。両国とも、市民がロシアのウクライナ侵略に憤ると同時に、ウクライナとの連帯を示そうとしている様子がうかがえました。 コペンハーゲンの海岸沿いのホテルに泊まったのですが、ホテル内でも市内でも、マスクをしている人は、まったくいませんでした。春の日差しを浴びて、川沿いの小綺麗なレストランのテラスで、オープンサンドイッチなどの食事を楽しむ人々がいっぱいでした。マスクをしていて奇異な目で見られることはありませんでしたが、こちらはあまりに多数に無勢なものですから、日本とは逆に、マスクを外す同調圧力を無意識に感じるほどでした。マスクを外すと、「私も皆さんと一緒」という友愛感のような感じがするのです。危ない、危ないとは知りつつも、ついマスクを外したくなり、現に気がついたら外していたことがしばしばありました。 

 デンマークの人口は、583万人で、そのうちコロナ感染者数は、なんと5割以上の300万人強。デンマーク人の友人によると、「もう家族も、友人も、誰もが感染 したし、たいがい重症化しないから、インフルエンザ並みの感じになっている」とのことでした。マスクをしていないタクシーの運転手に、「コロナに感染したか?」と聞いたら、「もう二度もかかったよ、アハハ」という屈託のない返事でした。 しかし、そうはいっても、我ら日本からやってきた短期出張者にとっては、感染したら大変です。帰国できなくなります。マスクをすべきか、外すべきか、ハムレットよろしく悩む毎日でした。 

 この会議の後、パリに、ルフトハンザ航空に乗って、ミュンヘン経由で行きました。搭乗の際にワクチン接種証明を見せただけでしたが、機内では、マスク着用が義務づけられました。すべてEU加盟国なので、パリ入国手続きは、まったく何もありませんでした。 バリに着いたのは3月26日でしたが、街に入ると、マスクをかけている人はごく少数に見えました。3月14日に市内でのマスク着用義務や、レストランなどでのワクチンパスの提示が解除されたばかり(ただし、地下鉄など公共交通機関ではなおマスク着用が義務付け)の時期にあたりました。気温が20度近くにも上がるうららかな春日和で、パリの人々は開放感に浸っているような印象を受けました。 

 しかし、インターネットで調べると、フランスのコロナ禍は、まだまだ収束するには程遠い状況でした。フランスの人口は、約6700万人で、そのうちコロナ感染者数は、2440万人といいますから、4割近くに上っていました。パリ到着当初では、フランス全土で一日あたり平均12万人もが感染している状況でした。再び感染者が増えつつあり、私の最後の滞在日となった3月31日は、新たな感染者数が17万人にまで増えていました。 それでも、レストランやカフェなどを見る限り、マスクをして入る客は私ぐらいしかなく、雰囲気としては昔のパリに戻った様子を見せていましたが明らかに、パリを訪れる外国人観光客の数は、以前より減少したままの模様でした。セーヌ川を巡回する観光船バトームシュにも、空いた席が目立っていました。再びルフトハンザ航空でデンマークに戻りました。搭乗には、パスポートとワクチン接種証明の提示が求められただけでしたが、機内ではマスク着用が義務づけられました。コペンハーゲン空港では、入国手続きは一切ありませんでした。フィンランド航空のフライトがキャンセルされたこともあって、コペンハーゲンの街に再び数日滞在したのですが、やはり、見事に誰もマスクをしていませんでした。今回は、この大きな街で、たぶん私ひとりだけがマスク!それでも、PCR検査を控えておりましたから、意地でもマスクを外しませんでした。  

  日本帰国にあたっては、出発前72時間以内のPCR検査の陰性証明書、誓約書の提出、スマートフォンの携行と必要なアプリの登録、そして質問書への回答という煩わしい手続きが必要でした。ただし、今年の3月3日から、3回のワクチン接種証明を持っている日本人には、日本入国の際の検査で陰性であれば、自主待機はもとめられなくなり、これは嬉しいニュースでした。なにせ、昨年9月の欧州からの帰国時には、2週間もの自主隔離が必要だったのですから。  しかし、まだ残っているPCR検査というのは、不安とストレスがたまる、なんとも嫌な手続きでした。コペンハーゲン空港にあるメディカルセンターで、検査を受けたのですが、検査結果が知らされるまでの2時間は長かったですね。なにせ、感染者がやたらと多い国々で、しかもマスクをしていない人たちとの密な空間をくぐり抜けてきたわけですから、3回のワクチン接種済みとはいえ、感染してもまったく不思議ではありませんでした。

  同メディカルセンターでは、厚労省の様式に従って検査結果を出してくれて、2時間待ちだと約3万3,000円もしました。時間はありましたので、もっと待ち時間が長くて安い検査結果の入手の手もあったのですが、一刻も早く結果を知りたいと焦る気持ちがありました(昨年夏フランクフルトで、24時間待ちの、安価な検査結果にした時の長く不安だった経験を思い出しました)。陽性の結果が出たら帰国便には乗せてもらえません。陰性になるまでに何日ぐらいかかるのか、どこかに「隔離」されるのかどうか、その場合はどこで隔離されるのかなど、まったく見当がつかないものですから、メディカルセンターの係の人に聞きましたら、「陽性の場合はドクターから指示があります」とだけのつれない返事。不安は、否が応でもつのりますよね。

   デンマークも、フランスも、ワクチン接種証明さえあれば入国可能なのに、日本の水際対策はなお厳しいですね。以上のような精神的圧力を日本人にもかけているのを、厚労省の皆さんは良く理解されているのでしょうかね? デンマークでもフランスでも外国人観光客が徐々に増えつつありましたが、日本ではまだ一切認められていません。そろそろ、わが外務省も、せめてG7先進国並みにするよう、水際対策の一層の緩和に向けて頑張ってもらいたいと願うばかりです。 

  今回の欧州旅行を振り返りますと、「まだ怖いな」というのが本音です。欧州各地では、コロナ感染が収束する気配を見せていないのに、重症化する人が少なくて、「インフルエンザみたいなものになった」として、行動制限の緩和が急速に進んでいます。これは、現地に住む人にとっては十分理にかなった措置と思われますが、短期間訪問する外国人にとっては、コロナ感染の危険性がなお残っている状況と言えます。私のように、定年退職者で、日本に帰国しても直ぐやらなければならない急務がない、「気ままな」酔狂人は別ですが、日本に仕事があったり、家族や家のことなど心配事を抱えて予定通り帰国しなくてはならないような人は、今少しの間、リスクの残る欧州観光旅行は慎重に考えられた方が良いのではないかと、老婆心ながら申しあげます。   特に、日本政府が、前述のPCR検査陰性証明を帰国の際の条件にしている間は、気をつけられた方が良いですね。インフルエンザとは違って、陰性証明が無いと帰国便に乗せてもらえないのですから。

(河瀬)赤坂氏の欧州旅行の話は大変参考になりました。欧州へはウクライナ戦争で昔のようにアンカレッジ経由になった(昔を思い出します)。しかも欧州ではCOVID-19はインフルエンザ並みの扱いでマスクせず、旅行中感染する危険も高く、帰りに義務付けられているPCR検査が陽性になると一週間帰国できなくなる。「行きはヨイヨイ帰りはこわい」という二重苦なのですね。日本の現状ではおいそれとは欧州並みにはできないでしょう。

 これで日本は再び世界の僻地となったので、観光客や留学生が来ないわけですね。そろそろ欧州へ行きたかったのですが、当分諦めましょう。

 

 

追悼:ジャック・ヒギンズ

今朝の読売はジャック・ヒギンズが亡くなったと報じた。享年92歳、冥福を祈りたい。

仕事を辞めた後、きっかけは何だったか思い出せないのだが、鷲は舞い降りた を見つけて読み始め、ほぼ1年の間、新刊と言わずブックオフと言わず探しまくってほぼ20冊、ヒギンズ節に熱中した。その後、どうせ読むなら原本を読んでみるか、と Eagle has landed  を苦労して読んだのが今も続けているポケットブックハンティングだ。その手始めになった鷲の原本はまさに手あかにまみれ、第一ページから辞書と首っ引きだった苦闘のあとをのこして赤線だらけである。

“鷲は舞い降りた” と、ァリステア・マクリーンの 女王陛下のユリシーズ号 は第二次大戦を背景とした小説の白眉だと思っていて、いつか来ることではあったが彼の逝去はやはり心に染みる。

小生にとっては、この欄でも書いたが、違うジャンルとはいえアルファベットシリーズ26冊の快挙を目前になくなったスー・グラフトンの急逝とともに悲報である。ただヒギンズは有名な多作家であるが、正直、ここ数年の新著にはみるべきものもなく、あきらかに衰えを感じていた。だからおすすめのリストには超売れっ子作家になるまえの、いわば中期の作品しかあげない。

”鷲” とならんでヒギンズの真骨頂だと思っている作品には、第二次大戦秘話、という分野では 狐たちの夜(Night of the fox),  どちらかといえば海洋冒険ものに近い 脱出航路 (Storm Warning)、それと僕の最も好きな作品として 廃墟の東 (East of desolation) なんかがある。ブックオフにはよく見かけるヒギンズもの、を試してみることをお勧めする次第。いずにせよ、また時代は一つ、冷酷に進んだ感じがする。

 

エーガ愛好会 (135) 折れた矢     (34 小泉幾多郎)

この映画こそインディアンを野蛮人としてではなく、心の痛みを感じるハートを持った人間として描いた最初の映画として評価される。監督はデルマー・デイヴィスで、この後「去り行く男1955」「襲われた幌馬車1956」「決断も3時30分1957」「カウボーイ1958」「縛り首の木1959」とたて続けに西部劇の名作を作っている。

この作品でアカデミー賞に酋長コチーズに扮したジェフ・チャンドラーが助演男優賞、カラー撮影賞にアーネスト・パーマー、脚色賞にマイケル・フランクフィーがノミネートされたが、残念ながら受賞には至らなかった。この作品が作られた1950年と言えば、赤狩りの真最中で、よくぞインディアンに同情的で斬新な画期的な作品が作られたものと思ったら、この脚色を書いたのが、マイケル・フランクフィートではなく、その友人で、赤狩りで追われたリベラル派のアルバート・モルツが名前を借りて影で書いたそうな。

物語りは1870年、アリゾナは白人とアパッチ族との間に流血の惨事が絶えなかった。金鉱を探しに来たトム・ジェフォーズ(ジェームス・スチュアート)は傷ついたアパッチ少年を助けたことから、アパッチもまた公正を重んずることを知り、単身アパッチの本拠に乗り込み酋長コチーズを訪ね和睦を申し込んだ。最初は郵便関係から、白人にとっての郵便は、アパッチにとっては狼煙で、どちらも心を伝えることが共通ということから始まり、グラント大統領から派遣されたハワード将軍(ベイジル・ルイスデール)を入れての和平に漕ぎつけた。ジェフォーズは部落滞在中、アパッチの少女ソンシーアレイ(デブラ・パジェット)を愛るようになり結婚する。その間インディアン側はジェロニモ等が蜂起したり、白人側はインディアンを嫌うベン・スレイド(ウイル・ギア)等が、コチーズ、ジェファーズ、ソンシーアレイが談笑しているところを襲い、ジェファーズは傷つき,ソンシーアレイは死んでしまう。逆上したジェファーズは捕虜にした白人に飛びかかろうとするが、コチーズの一言「私は仲間の死を耐える。妻の死を耐えろ。」で思いとどまった。最後の言葉も印象的「私はコチーズだ。民と子供らを裏切らない。二度と戦いは起こさせない。お前にも。」

アカデミー賞にノミネートされただけにカラー撮影は山岳地帯を中心に、美しいし、音楽もその景観にマッチして、インディアン調のエキゾティックなメロディが心地よく響く。 主演のジェームス・スチュアートは本来善意の塊のような純

粋無垢の男を演じてきているが、この頃から一転して、西部劇の強いヒーローを演じている。これはタフガイというよりも、強くなければならないと思って懸命に努める普通の男であり、そこが実に魅力的なのであった、と喝破したのは、先日91歳で亡くなられた映画評論家佐藤忠男氏の言葉。ジェフ・チャンドラーは酋長を好演したが、ラジオ俳優出身からか素晴らしい声の持ち主で期待されていたが50歳になる前に若死にしてしまい残念。デブラ・パジェットも可憐なインディアン娘で、どちらかというとエキゾティックな役柄が似合ったように思った。

(編集子)“折れた矢” Broken Arrow にはほかの意味がある。ウイキペディアから転載する。

ブロークンアローは核兵器の紛失、盗難、または不慮の爆発や投下、発射、それらに関連する事故や事件を表す言葉だ。核兵器にそんな事が絶対にあってはいけないし、そんな事件聞いたことが無いと思うかもしれない、しかし、戦後の米ソの冷戦と核開発競争、イギリスやフランス、中国、インド、パキスタンと各国が核兵器の開発、配備を進めた1950~1990年代には「ブロークンアロー」という言葉がしばしば飛び交っていたのだ。冷戦期には米ソ連共に自国の艦船、潜水艦、爆撃機に24時間核兵器を搭載し、いつでも攻撃できる臨戦態勢を敷いていた。多くの核兵器が配備され世界中に散らばる中で事故や過失は決して少なく無く、1950年代以降に少なくとも32件の「ブロークンアロー」が起きている。

この意味での“折れた矢”がテーマになったのが1966年の Broken Arrow, 日本題名 ”ブロークンアロー” として公開された映画である。ジョン・トラボルタが悪役、なかなかスリルのある作品だった。トラボルタは憎らしい笑いを常に浮かべていて、本稿でも紹介した、ウインチェスタ銃73 のダン・デュリエを彷彿させる好演だった。

閑のあるまま―”三大”なんとか、の話(1)

ここのところ、メル友グループの間で、”三奇人” とかなんとか、よくある ”三大XXX” で冗談交じりの会話が弾みだした。この話題に加わる前に、”そういえばなんで 三大 という事が意味を持つのか?”という疑問を持った。そして仲間内でいろいろな場での 三大 を集めてみたら面白いか、と思い立って提案してみたら結構の数の投稿があったので纏めてみようと思う。

博報堂行動デザイン研究所が、人間が無意識にとる行動のきっかけとなる刺激の中で、数字の大きさが果たす役割はなんだろうか、というテーマでの研究で、特に 3 という数字が持つ意味について触れている。人間の行動、のなかで特にコミュニケーションに着目すると、情報の送り手、受け手双方で3項目に絞ることが負荷が少ないと感じ、4,5、となると双方ともに多すぎると感じるものだそうだ。事実、ことわざや故事が3という数に限るのは日本だけでなく世界共通の現象で、ほぼすべての文化において、3という数字は意味を持つ。ヨーロッパにおいて中世から 3 は ”調和・安定・総合・均整“ をあらわすものとされていたという。たとえば人類三大発明として活版印刷・火薬・羅針盤を上げたり、三大珍味はトリュフにキャビアにフォアグラを上げる、といった具合である。ただその源はやはり欧州にあり、やはり”世界“が欧州を意味している(だからアメリカは新世界なのだ)のは事実であろう。因みにそのアメリカ人が言う ”世界”三大なんとか、はすべてアメリカのものだというおちがつく。

その欧州をはじめとしてここ30年くらいの間、有名なノーキョー旅行を皮切りに日本人の足跡は地球上いたるところに残るようになってきた。そのあたりから話を始めてみよう。

本ブログでもたびたび紹介しているが、”エーガ愛好会“というメル友グループがある。この中で健筆をふるっているひとり小田さんは編集子と同じ職場にいた人だが、退職後は旅行好きの夫君とともに文字通り世界を駆け巡っている一人である。彼女があまたの場所から特に選んだ3つ、は

1.カナディアンロッキーのマウント・アシ二ボイン                                        2.アメリカ、コロラド州の先住民族遺跡メサ・ヴェルデ                                     3.イギリスで言えば緑多くシックなコッツウォルズ

だという。小生もロッキーのあたりには何度も足を運んだが、ありきたりのポイントしか回っていない。小田さんの夫君は早稲田の山屋のひとりだから、そのせいか山よりの場所が多いようだ。

KWV同期の吉牟田夫人は歩くよりビール、の亭主を尻目に世界遺産巡りのベテランであるが、彼女のご推薦は

1,想像を絶したスケールの大きさ、南米イグアスの滝                                          2.ボリビアのウユニ塩湖                                                                                         3.アイスランドの ”地球の割れ目“   

である。さらにシチュエーションを設定すればアフリカはザンベジ河の夕陽、だという。夕陽といえば釧路かワイキキくらいしか浮かばない小生とはだいぶ違うようだ。

この項の最後にパリ在住の平井愛子さんからのメモを転載する。 旅行会社のプログラムにはまずないだろう、現地生活の長い彼女のおすすめ三つ、は下記の通りだ。

.モン・サン・ミッシェルへ、ヘリコプタ-で行く:パリ15区にあるへリポ-トから車だと片道4,5時間かかる所を1時間半で着き、途中の景色が最高。                              .シャンパ-ニュのぶどう畑ドライブ:シャンパ-ニュの有名シャンパン会社Mumの見学の後、美味しいシャンパン昼食を味わってから。        .ドルド-ニュ川の川下り:フランスの南西部ドルド-ニュには素晴らしい自然の山岳地帯で山あり谷あり河あり世界遺産があちこちに散らばる。ラ・ロック・ガジャックという美しい断崖絶壁に沿った、フランスの最も美しい村のひとつで、滔々と流れるドルド-ニュ川をギャバ-ルと呼ばれるノスタルジックな船に乗って川下りをすると鷺が目の前を飛んでくれたりする素晴らしい自然です。

フランスという場所自体、今まで無縁の小生は、もしできるならばノルマンディ上陸の焦点だったオマハビーチへ行ってみたいというくらいのことしかないが、フランスが好きな方には有益なアドバイスになるだろう。

このほか、それぞれにおススメは千差万別だろうが、期待していったのにがっかりした、という経験をお持ちの方も少なくあるまい。世界を股にかけた経験者安田耕太郎君の三大がっかりポイント、は

1.シンガポールのマーライオン                         2.ブリュッセルの小便小僧                      3.コペンハーゲンの人魚像

だそうだ。小生がライン河下りを企画したとき、久米行子さんから、”ローレライ、なんて三大がっかりの一つですから期待しないで“ と言われた。ま、そういうもんでもなかろう、とまさに夕陽に映えるデッキでビールの満を引いて待っていたがやはりそうだった、という苦い経験もある。彼女のあと二つは何だったかはまだ聞いていない。ついでに日本での三大がっかり、は安田君の曰く

1.はりまや橋                            2.札幌時計台                             3.長崎オランダ坂

だという。小生も長崎オランダ坂のがっかりには同感。長崎の印象がとてもいいだけにもう少しなんかあったんじゃねえか感がぬぐえない。よおるのまあるやまあ、と前川清の絶唱を思い出しながらさまよった夜の記憶だけが失望だった。坂本龍馬の旧跡、海援隊の本拠だとか、まだ残っている血痕など、長崎ならではの史跡に感動しただけに残念だった。

少し観点はちがうが飯田武昭君は都会の中の三大田舎、という面白い観察をしている。ご存じの方も多いかもしれないが(36年卒山室修君はここを訪れてアイデアを得、鎌倉にアーミッシュレストランを開業)、ペンシルヴァニアにある、電気もガスもなかった時代そのままの生活が残っている地域からの連想だそうだ。

1.大阪市北区にある中崎町。1974年に地下鉄サービスができるまでいわば陸の孤島だった地域で、現在昭和レトロ風情が残っていると評判。        2.東京の池上線沿線地域                       3.奈良と大阪県境に作られた京阪奈学研都市

さて、このあたりにお住いの方々、いかがお考えだろうか。次回はこの”旅”から連想してグルメの話題を探ってみたい。まだ2つの投稿しかないので、各位のヒミツ情報の投稿をお待ちする。

 

 

花まつりと甘茶-祐天寺へ行ってきました     (普通部OB 舩津於菟彦)

お釈迦様は、母親である摩耶夫人(マーヤー)がルンビニーの花園で休んでいたときに、脇の下から生まれたとされています。そのときに9匹の竜が天から清浄の水を注ぎ、生まれ落ちたお釈迦様はすぐに7歩歩き、右手で空を、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と言葉を発した、という伝説があります。
お釈迦様の誕生日は紀元前463年の4月8日という説が一般的に知られています。しかし、実際にそれを裏付ける証拠はなく、いまだに数多くの説があります。まぁ4月8日「花祭り」で良いじゃ無いですかね。

甘茶には「政治を行って平和な世が訪れると、甘い露が降る」という言い伝えや、「飲むと不老不死になれる」という伝説などが各国にあります。そんな甘茶をかけることで、お釈迦様への信仰を表しています。灌仏会で使用されている甘茶は、ヤマアジサイの変種である「小甘茶(こあまちゃ)」から作られています。小甘茶は、小さい花のたくさんついている中央部分を取り囲むように大きい花がついている不思議な形状をした植物で、赤色や紫色のものが多くあります。
小甘茶の葉は苦いのですが、発酵させると砂糖の100〜1,000倍の甘さになると言われています。砂糖がない時代には甘味料として非常に重宝され、漢方薬の苦み消しや民間療法などに使用されていました。戴いた甘茶も美味しい甘みでした

祐天寺(ゆうてんじ)は、東京都目黒区中目黒五丁目にある浄土宗の寺院です。山号は明顕山。本尊は祐天上人像(本堂安置)と阿弥陀如来坐像(寄木造、阿弥陀堂安置)。現在の本堂は、元々は常念仏堂として建立された堂宇を再建したもので、祐天上人のお墓もあります。梵鐘と鐘楼は享保 13 年(1728 年)六代将軍家宣の正室(天英院) から家宣 17 回忌追善に寄進され、10 年後の元文 3 年(1738 年) 27 回忌追福のため「時の鐘」を始める資金を寄進、正式に撞かれ 始めて時の鐘、仏事の鐘、天英院の声、 緊急時の鐘」の役割を果たしていたそうです。
祐天寺境内(けいだい)の鐘楼堂(しょうろうどう)にあり、高さ179.6センチメートル、口径102.2センチメートルの銅製の梵鐘(ぼんしょう)です。
梵鐘に刻まれた銘文と祐天寺に伝わる史料によると、この梵鐘は6代将軍徳川家宣(いえのぶ)の正室天英院(てんえいいん)が、家宣(いえのぶ)の17回忌の追善供養(ついぜんくよう)として享保13年(1728年)に鋳造の発願(ほつがん)をし、翌14年(1729年)に祐天寺境内で鋳造され、現在でも毎日、朝6時と正午前に時を知らせる鐘として撞(つ)かれています。丁度甘茶を振る舞われ飲んでおりましたら11時45分にゴーンと鳴り、写真を急いで撮りに行くわけにも参らず、音を聞きながら甘茶を戴きました!さぞかし御利益があり間違いなく「死ぬまで生きにれる」事と思います。ナーム。

三国峠と居眠り磐根

たまたまであった山本耕史のテレビ番組がきっかけで、すでにご存じ、あるいは全巻読了という方もおられるようだが、云わば周回遅れで文春文庫にして51巻、居眠り磐根を読み始めた。読んでみろ、と背中を押した(本人はその気はなかったらしいが)のは中学時代からの友人菅原勲である。小生などの及ばぬ大の読書家があっさりとおめえ、51冊なんて掛かり切れば三日三晩で読めらあ、というセリフにかっとなって第一巻を買ったのが3月始めごろ。つつじが丘駅ビル京王電鉄御用達啓文堂で毎回2冊ずつ買ってきて、本日、17巻 紅椿ノ谷 を読了、ちょうど三分の一になる勘定だ。まだまだ先だろうと構えていたおこんとの成り行きが急展開し始めたのが16巻、これからどうなる、と思っている矢先, この巻でなんと二人が法師温泉に出かけるということになった。先般、浅野三郎君からの情報で新三国トンネルのことを書いたが、なんとタイムリーなことかという気持ちである。

その道行きで、三国街道へ入っていくあたり、永井だとか牧だとか懐かしい地名が次々と出てくる。また、”この界隈は月夜野と称し、戦国時代にはうんぬん” とか、猿ヶ京に関所があったというのはうっかりして知らなかったが、(ははあ、この辺かあ)という興味が湧く。 北牧から中山峠を越えるという一節があるが中山峠というのはどのあたりだろうか。塩原太助の話を引いているので、あああのあたりかあ、とは思うのだが、書かれているような難路があったとは(もちろん自動車道と違うのは当たり前だが)思えない。                                             ”三国峠への登り口に差しかかり…・・・・此方法師の湯 という木札を見つけた” などとあるが、今の分岐のどのあたりか、などという詮索もしたくなるし、法師につくと当代の主理左衛門、というのが出迎えるがこの人は我々がご厄介になった、あの温厚な宿主、岡村さんのご先祖だったのだろうか。

風呂の具合は今とあまり変わらないようだが、数日して二人で三国峠へ上がる場面があって、”磐根とおこんが三国峠の頂に到着したのは四つ(午前十時)”とあり、そこで会話の中に ”この峠が、信濃と越後と上野の国境なの”とおこんが問いかけると ”白砂山という六千五百尺余りの西方の山じゃそうな。だが、古から三国の境はこの峠を指したという” と磐根クンは答えている。白砂山、なんて出てきたことに感激するかたわら、この会話、少しおかしくないか?など、突っついてみたり、ほかの巻ではなかった興味が湧いた。

このシリーズ、著者の博識というか下調べの凄さというか、当時の江戸の町並みの、とくに地理感覚に感嘆する。磐根が食べる献立もしきりに出てくるが、なるほど、この時代からあるメニューなんだ、と亡母が作ってくれた味を思い出したりしてえらく懐かしい。また当時、江戸下町が河川に恵まれ、橋がいわば住所標識みたいな存在だったことに驚かされる。その日本橋をコンクリートの化け物に変えてしまったのはやはり歴史のうえでは許しがたい暴挙だったのではないか、と思ったりしている。

だけど、テレビのおこん、中越典子、ってきれいだなあ。

エーガ愛好会 (134) ワーロック   (34 小泉幾多郎)

 題名ワーロックは西部の町で、無法者トム・ドレーク(エイブ・マキューン)一味に支配されていて、住民は町会で、凄腕のガンマンであるヘンリー・フォンダ(クレイ・ブレイスデル)を呼ぶことにしたが、賭博師アンソニー・クイン(トム・モーガン)がコンビで、モーガンは早速酒場フレンチ・パレスを開業。二人の暴力的抑圧により、一旦は無法者を抑え込む。片や無法者一味だったリチャード・ウイドマーク(ジョニー・キャノン)が一味の不法に嫌気がさし脱退し町の平和のためと保安官補になる。

この三人の名優が丁々発止とやり合うのが映画の本筋だが、筋を追うと長く
なるので省略するが、この三人に絡む女優陣は、フォンダの勇気に感動するドロレス・マイケルズ(ジェシー・マーロウ)とフォンダとクインに関係するドロシー・マローン(リリー・ダラー)がウイドマークと愛を育む。お目当てのドロシー・マローンは。相変わらずの美しいブロンドで、上目遣いの瞳、けだるい視線、喋らなくても口が開閉する等言われてきた魅力満載。フォンダとクインには敵対する過去があったと云う筈のものがあまり出ずおとなし過ぎた。ドロレス・マイケルズはお金持ちのお嬢様風情は出ていたがそれ程の魅力は感じなかったが、最後フォンダとの別れ、クインの代りになれないと身を引く淋しき別れには感じが出ていた。

どうやら監督エドワード・ドミトリクは「荒野の決闘」等のOK牧場の決闘で名を馳せた名保安官ワイアット・アープの流れ者的ないかがわしさを強調し利権を求めて渡り歩く雇われ保安官としての悪名の方を名保安官だったヘンリー・フォンダを起用して強調しようとして、最後正義の副保安官ウイドマークとの対決に至るのだが、正邪がはっきりしている所謂西部劇とは一線を画する。この主役三人共正邪を併せ持つ性格を、流石名優たちは巧みに演じてはいるが、スッキリしない点も多々ある。まあクインは、足にハンディを持つ男、フォンダだけが、それを馬鹿にしなかったとコンビを組んできたが、蔑まされた歪んだ執着から、大衆の罵りに耐えきれぬ悲壮感から破滅に追い込まれる。ワイアット・アープとドク・ホリディとの関係にも似ている。ウイドマークは、最後は正義の勝ち組で、マローンの愛も町民の支持も得るが、もともとは無法者の一味ではあった。フォンダ、クインの前歴にあれ程こだわった町民が、ウイドマークの転向には無関心?フォンダは最初の酒場フレンチ・パレスで、階段から下を見ずに颯爽と降りて来る所から最後の決闘の場面まで恰好良い。中盤、殺しについてあらゆる点からその正当性を信じて行ってきたことについて自問自答し納得していること、最後決闘でウイドマークよりも早く抜いた銃を投げ捨てるフォンダが、何故ワーロックの町から出て行かねばならないのか、判らずじまいでもある。ドミトリク監督も赤狩り時代の犠牲者だが、転向者でもあったという。言われてみれば、主人公夫々が転向者の様相を呈しているのは、意識的に監督自身が連想しているのだろう。

(編集子)なるほど、ドクター小泉の西部劇にはあまり例を見ないストーリーの運びや心理面の分析、納得。エドワード・ドミトリクの作品では ”ケイン号の反乱” しか見ていない。しかしこのフィルムは重厚なつくりで原作を読んだ時よりも印象が深い。メル・ファーラーは後半の裁判部分にしか出てこないが、小泉解説を読んでみて、特殊な環境に置かれた人間の焦りというか常人とは違った、抑制された怒りが現れた演技だった。赤狩りの経験が転向者という形に終わったのは知らなかった。このあたりがやはり作風ににじみ出るのだろうか。  難しい議論はともかく、小生にとってはフォンダよりウイドマークより、あこがれのドロシー・マローンが出ているだけで満足の一作。

フェイクニューズに騙されないように!  (普通部OB 田村耕一郎)

4/3友人からのMIT Tech  Review 転送です。フェークニュースに惑わされないように!

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2月23日にロシアがウクライナへ侵攻したことを受け、ネット上では次々と情報が伝えられている。写真や映像をはじめとする情報が、真偽の確認ができないほどの猛烈なペースで、各プラットフォームに投稿され、それらが再共有されているのだ。このような現象は、世界各地で何らかの危機が発生するたびに、最近ますます見られるようになっている。

その結果、誤った情報が真実であるかのように受け止められ、増幅されてしまう。善意の人々がそれに加担してしまうこともある。悪意ある行為者たちは、こうした状況を利用して、罪のない民間人に恐怖を味わわせたり、不穏なイデオロギーを広めたりするかもしれない。そうなれば、実際に苦しむ人が出てしまう。

ウクライナ侵攻の正当化を試みてきたロシア政府にとっては、偽情報の流布はその大きな手段となり、あからさまな形で実行されている。ロシアは、親ロシアの分離派が多いウクライナ南東のドンバス地域で、ウクライナ軍が激しい攻撃を計画し、分離派を標的とした砲撃や大量虐殺をしていると主張した。この主張は誤りだ。でっち上げられた攻撃のフェイク映像は、ロシア国内のプロパガンダ作戦で大きく取り上げられている(これを受けて米国政府は、こうした嘘を暴き、先手を打ってそもそも嘘を流布できない状況にしようと取り組んでいる)。

しかし、政府による活動に関わっていない一般人であっても、今回の侵攻に関して不正確な情報、誤解を招く情報、または誤った情報を意図的に共有してしまう可能性がある。イデオロギー上のナラティブを主張しようと、もしくは閲覧数を上げようとして共有するのだ。しかし、共有したことでどのような悪影響があるのかまではほとんど考えていない。戦争という混乱した状況の中では、意図せず誤って伝えられてしまった情報が、正しい情報として一気に拡散される場合もある。

すでに、ロシアによる侵攻に関する不正確な情報が、ソーシャルメディア・プラットフォーム上で多くの人々の目に触れる状況になってしまっている。ソーシャルメディア・プラットフォームは根本的に、エンゲージメント(いいね!やシェア)を得られるコンテンツを、多くの人に表示するよう設計されているのだ。

ティックトック(TikTok)では、訓練の模様を収めた2016年の映像が、あたかも現在ロシア兵がウクライナにパラシュートで降下しているかのような誤った印象を与える目的で共有された。再生回数は数百万回にも達した。ある声明は誤訳された状態でツイッターで大きく拡散され、複数のジャーナリストが共有してしまった。これによって、チェルノブイリ周辺での戦闘で原子力廃棄物貯蔵施設に被害が生じたという誤った情報が広がってしまった(本来の声明は、戦闘によって原子力廃棄物に被害が生じる可能性がある警告する内容だった)。

悲惨な出来事に関してニュース速報が次々と舞い込んできたり、拡散されたりしている。こうした投稿を目の当たりにした人々はしばしば、有害なプロパガンダおよび偽情報をそうとは知らずに増幅してしまう。意図せず悪意ある行為者たちの手助けをしてしまう状況を避けたければ、本記事を参考にしてほしい。

MITテクノロジーレビューではこれまでも、ここに挙げたようなアドバイスをいくつか掲載してきた。具体的には、2020年のブラック・ライヴズ・マターの抗議活動の際、そして同年秋の米国の大統領選挙前だ。以下は、ウクライナからのニュースを扱うにあたって具体的に気をつけなければならない点を反映し、以前に掲載したアドバイスを更新および補足したものだ。

重要なのは、一人ひとりが注意力を発揮すること

まず、一人ひとりのネット上での行動が大きな影響を持ってしまうことをしっかりと理解してほしい。「自分はインフルエンサーではないから、自分は政治家ではないから、自分はジャーナリストではないからと、自分の(ネット上での)行動はたいしたことがないと人々は考えがちです」と、シラキュース大学でコミュニケーションと修辞学を研究するホイットニー・フィリップス助教授は2020年に語っている。しかし、一人ひとりの行動は、実は重要なのだ。疑わしい情報を共有してしまうと、たとえ共有相手がわずか数人の友達や家族であったとしても、その情報がさらに拡散される原因につながる可能性がある。

怒りに任せた引用ツイートや返信に気をつけよう

緊急ニュースになるような事態が発生すると、人々は、良心からそれに異を唱えて批判しようと、ソーシャルメディアの投稿を引用したり、ツイートしたり、共有したり、返信したりすることがある。ツイッターとフェイスブックは、偽情報の流布と戦うために、新たなルール、モデレーション戦略、そして事実確認に関する規定を導入した。しかし、どのような形であれ、人々が偽情報に対して反応してしまうと、拡散を防ぎたいコンテンツを逆に増幅させてしまう危険がある。なぜなら、反応を起こすことで、プラットフォームに対してそのコンテンツに関心を持ったというシグナルを与えてしまうからだ。不正確であるとわかっている投稿があれば、それに反応するのではなく、フラグを立てて投稿先のプラットフォームが審査できるようにしてみよう。

一旦立ち止まろう

デジタルリテラシーの専門家であるマイク・コールフィールドは、ネット上の情報の真偽を確認する方法として、「シフト(SIFT、「ふるい」という意味)」を提唱している。これは、「Stop(一旦立ち止まって考えよう)、Investigate the source(ソースを調査しよう)、Find better coverage(よりよい報道を見つけよう)、Trace claims, quotes, and media to the original context(主張、引用、およびメディアファイルをオリジナルの文脈まで辿ろう)」の頭文字をつなげたものだ。コールフィールドは、ウクライナのニュースに関しては、「Stop」に重点を置くべきだと言う。つまり、表示された投稿に反応したり投稿を共有したりする前に、立ち止まって考えようということだ。

コールフィールドは、「周囲の人々に対して真っ先に自分がその話を共有することで、自分がそのニュースを教えてあげたことにしたいという衝動に駆られるのは、人間なら仕方がないことです」と言う。ジャーナリストは日々、その衝動に気をつけている。しかし、これは誰しもが気をつけなければならないポイントだ。現在のように、情報が次々と舞い込んでくる状況であれば、なおさらだ。

デジタルアナリストでデマを研究しているシャイリーン・ミッチェルは、ウクライナに関するニュースに触れて何らかの行動をしたいのであれば、「自分たちの身に起こっていることについて、ウクライナ現地から伝えてくれる人々をフォローするべきです」と言う。

しかし、ウクライナ発に見える情報だからといって、むやみにリツイートしてはならない。身元がはっきりしている本物のアカウントからの情報だけを共有しよう。ジャーナリストたちは、ロシア軍の動きが写っていると思われるティックトック動画の真偽の検証をし、自身の身に起こっていることをウクライナから伝えているように思われる人物からのツイートを共有している。

それでも、細心の注意が必要だと専門家は言う。デマを研究するケイト・スターバードは、ツイッターに優れたスレッドを投稿し、今回の侵攻に関するソーシャルメディアの投稿をいかに精査すべきかを指南している。その中でスターバードは、現在の状況下では、信頼できる周囲の人々でさえ「大急ぎのため、もしかするとそれほどきちんとは精査ができていない」可能性があると指摘している。

スターバードは、偽物かもしれないアカウントを見抜くためのいくつかのポイントを紹介している。

自分にできる役割をこなそう

この記事をお読みの方は、おそらくニュース速報記者でなければ、ウクライナとロシアの関係の専門家でもないだろう。専門家は、今このタイミングで専門家ではない人が専門家のように振る舞おうとして、ネット上で見つけた情報の真偽を自分で判断して拡散するのは避けるべきだと指摘する。自身が見かけた情報の真偽を確認しようとするのは常に良いことだが、新たな情報や説を実際に周囲の人々に対して共有するかどうかは慎重に考えてほしい。

ミッチェルは、インターネット上で「人々は自分で調べられるようになったと考えがちです」と言う。ソーシャルメディアでデマやその他の不正確な情報が拡散されている事実が注目されることで、人々はますますこう思ってしまう。「調べる力が少しはついたと考えているので、今回の動きでも自分で調べられるはずだと考えてしまうのです」。こうした考えは必ずしも正しいわけではない。さらに、悪意ある行為者たちはこれまでも、「自分で調べたい」という衝動につけ込んできた前例が多く判明している。この衝動につけ込んで、蜘蛛の巣のように張り巡らせたデマに人々をおびき寄せようとしてきたのだ。

あなたにできる最善のことは、足場となる現実をしっかりと把握することだ。

コールフィールドは、英語話者がウクライナからのニュースをリアルタイムで事実確認しようとする場合、「正直なところ、言葉の壁は大きな問題です」と言う。「映像の場所がどこかもわからず、喋っている言語が理解できない状態」なら、その映像を慎重に調べても何が本当かはわかるはずがないと語る。

共有する前に、自分自身に問いかけてみてほしい。話されている言語を自分で翻訳できるか? それまでに触れたことのないソースからの映像および写真について、調査や分析をするだけのスキルがあるか? 市民によるジャーナリズムはしばしば非常に深い価値を持つが、正しく実行するには相当のスキルとトレーニングが必要だ。自分には何ができるのか? なぜ自分にはそれができると言えるのか? 現実的に考えてみよう。

誤った話を拡散してしまうと、実際に悪影響を及ぼすという事実を、いま一度肝に銘じよう。現在進行中の状況に関して、誤った情報や誤解を招く情報を共有してしまうと、人々を傷けたり死に追い込んだりする原因になる可能性がある。

その代わりに、正確な情報を拡散して、信頼できるソースからの情報を増幅しよう

このような状況下では、自分の正気を保つためにも、インターネットで自分の情報に耳を傾ける人々のためにも、足場となる現実をしっかりと把握することが大切な対策だ。英語で信頼できる報道をしているのはどのソースだろうか。誰をフォローして拡散を手助けすれば、正確な情報を広められるだろうか。

自身もウクライナ人で、誤情報に関する報道に携わった経験もあるジェーン・リトビネンコのようなジャーナリストは、ウクライナの慈善活動やニュースメディアを支援したい人向けにまとめた情報を共有し、今回の侵攻を正しく捉えるために欠かせない背景情報も発信している。その他のジャーナリストの間でも、避けるべきプロパガンダまみれのニュースメディアおよびソーシャルメディアのアカウントを、クラウドソーシングで一覧化する動きが出ている。べリングキャット(Bellingcat)のサイトでは、虚偽であることが判明した主張をスプレッドシートで公開して随時更新している。現地ニュースメディアのキエフ・インディペンデント(Kyiv Independent)は、ツイッターでコンスタントに最新情報を配信している。

コールフィールドは、「あなたの役割は、ニュース記者よりも先に友だちにニュースを伝えることではないかもしれません」と言う。真っ先にニュースを伝えるのは、その道の大勢のプロのすべき仕事だ。「この状況における一般の人の役割とは、事態を説明してくれる信頼の置ける情報源を見つけたり、ロシアが2014年にクリミアでいかに偽情報を流したかに関する背景情報を人々に伝えることなのかもしれません」。

不正確なことを伝えてしまったら、きちんと訂正しよう

偽情報を見分ける専門家であっても、偽情報を共有してしまう可能性はある。自分がどのような立場にあり、どの規模のプラットフォームに共有するかに関係なく、現在進行形の状況に関して情報を共有するのなら、間違っていた場合には責任を取って訂正し、その影響と向き合う準備をしておかなければならない。

ミッチェルもコールフィールドも、この点に関しては似たようなベスト・プラクティスを推奨している。ツイッターで不正確な情報を共有してしまったら、不正確なツイートのスクリーンショットを撮り、不正確な情報への返信または引用ツイートという形で訂正を投稿し、その後、偽情報を含むツイートを削除するという手順だ。

ティックトックの場合は仕組みが異なるが、考え方は同様だ。偽情報を削除し、どうしてその映像が削除されたのかを述べ、修正したものを投稿し、フォロワーに対して修正後の情報を共有するよう促すという手順だ。

ミッチェルは、誰であれ、自分が不正確な情報を共有してしまった場合には、その情報を再共有した人々に連絡を取って訂正するくらいの対応をして、その責任を取る準備をしておくべきだと付け加える。

エーガ愛好会 (133) 天使と悪魔   (44 安田耕太郎)

主人公はハーヴァード大学教授で宗教学者ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)。ハンクスは前作「ダ・ヴィンチ・コード」(原作者は同じダン・ブラウン)に続くラングドン役。ヴァチカンとローマを舞台に、「教皇選挙」を意味するコンクラーヴェ(Conclave)を背景に、予告された連続殺人を中心にサスペンス・スリラー物語が展開する。中世の歴史小説を読んだ時、聞きなれない「コンカラーヴェ」なる、教皇逝去後、次期教皇を枢機卿の中から選出する全枢機卿による選挙のことを知った。コンクラーヴェはミケランジェロの大作壁画「最後の審判」が描かれているシスティーナ礼拝堂で行われる。コンクラーヴェはラテン語で鍵のかかった秘密の場所という意味で、選出過程は複雑で、結果が出るまで枢機卿は立ち入り禁止の場所に缶詰状態で長い期間かかるところから、「根競べ」などと言って、この馴染みのない言葉を覚えたものだった。教皇が選出されると礼拝堂の煙突から白い煙がでて民衆に知らしめる習わしが1000年以上続いている。
ヴァチカンの警護体制は複雑で、ローマ市警、ヴァチカンの警察、そして親衛隊ともいうべきスイス衛兵隊が担当している。この辺りも複雑な物語の伏線になっているようだ。

そのコンクラーヴェを前に、有力な候補である4枢機卿が誘拐される。ラングラー教授が事件解決の為アメリカから呼ばれた。キリスト教とその歴史に疎い者にとっては話の筋を掴むに難儀するが、誘拐の陰には、その昔、近代科学の父と呼ばれたガリレオ・ガリレイ(1564 – 1642年)を中心にした科学者たちによる秘密組織「イルミナティ」が存在していた。科学を信仰するイルミナティは、宗教を第一義とするヴァチカンからの弾圧によって消滅を余儀なくされた組織だった。しかし、彼らの残党は、科学の先端技術によって欧州原子核研究機構が生成することに成功し驚異的な破壊力を持つ「反物質」を盗み出し、ヴァチカン全体の破壊をも計画していた。

ラングラー教授は、ヴァチカンを護衛するスイス衛兵隊長や前(故)教皇の秘書長(役職名をカメルレンゴと言い、ユアン・マクレガー演じる。教皇空位の場合は教皇代理を務める)と共に、事件の解明に乗り出す。誘拐された枢機卿は、この世界の物質は、「土」「空気」「火」「水」の4つの元素から構成されるという概念のキーワードのまま、それらの焼き印を胸に押され一人ずつその元素に関連する方法と場所で、予告殺害されていく。薄気味悪い殺害シーンではあった。4人目はナヴォ―ナ広場の噴水に重りを着けられた枢機卿が投げ込まれるが、間一髪のところで救い出される。物語の展開は、恐るべき破壊力を持った「反物質」の使用を目論む得体の知れない犯人の正体、不気味な殺害とヴァチカン内部の解りにくい人間関係が絡み合い、予告殺害場所もローマの歴史的名所旧跡(ナヴォ―ナ広場、サンタンジェロ城など)を舞台とするなど見応えがあり、映画を通して緊迫感に包まれていて、予想外の結末には驚かされた。

ローマ市内で撮影を行うトム・ハンクスとアイェレット・ゾラー

「反物質」を奪い返してヘリコプターで空高く舞い上がり空中でそれを爆発させヴァチカンを救った英雄的な行動を執り、パラシュートで無事帰還したカメルレンゴ(ユアン・マクレガー)を次期教皇に推す声が他の枢機卿から一斉に挙がった。しかし、実はカメルレンゴはイルミナティの黒幕で全てを謀っており、前教皇を異端者として殺害したのはカメルレンゴであったのだ。カメルレンゴと実は相棒であったスイス傭兵隊長の二人の悪魔の秘密の会話を録音されたテープレコーダーで聞いて、ラングドン教授はそのことを悟ったのだ。事態が首尾良く運ばないことに観念したカメルレンゴ(マクレガー)はヴァチカン聖堂の地下で焼身自殺をして果てる。新教皇にはナヴォナ広場の噴水で危機一髪溺死を免れた4人目の枢機卿が選出された。

舞台となった場所がヴァチカン内部など、見応えのある歴史的旧跡を巡って映像が展開されたのは観ていて大変興味を惹かれた。結構神経を凝らして観ないと話に付いていけないキリスト教関連の映画であるが、その価値は充分にあると思った。

(小田)私も放映された’09年にこの作品の本を読み、映画も見に行きました。今回も録画しておけばよかったのですが…グロテスクなところがありますが、迫力とスピード感のある物語です。

最初の粒子の研究施設は、旅行でちょっと立ち寄った、岐阜の神岡カンテ(パネル説明のみ)や夫の通った重粒子病院を思い出させます。(全然違うのかもしれませんが)。又、中に入る際の認証に使われる❬眼球❭が取り出されていたことは、もし、今使われている、顔や指紋だと…と怖い想像をしてしまいます。(これに比べれば、白内障の手術なんて…?)
コンクラーベの煙の場面は、黒澤明監督の「天国と地獄」の白黒映画でそこだけピンクの煙が煙突から昇る名場面を思い出します。
主人公のラングドンが空気を薄くしてあるバチカンの書庫に閉じ込められ、脱出の為、大きな本棚を次々に倒して行くシーン、そして安田さんご指摘の最後のヘリコプターの場面等、印象に残る迫力のあるシーンが色々出てきます。
又、教皇候者達がローマの史跡で空気/火/水/土に合わせ殺害されるというストーリーは、よく結びつけたものだと、前作同様驚きます。前作の「ダ·ヴィンチ·コード」に似て、観光するのが薄気味悪くなりそうです。
原田マホさんは、「美術の物語」という本を猛勉強して、早稲田に入ったそうです。そして「ダ·ヴィンチ·コード」を読み、名画の前で殺害されるようなストーリーを書いても許されるのだと思い、好きなルソーの絵からミステリー「楽園のカンバス」を書いた、…とTVでおっしゃっていました。
(児井)お馴染み安田さんの映画論「天使と悪魔」これまた懸命に拝読しました。この作品は過って観ましたが、物語の複雑な展開を追うことに必死で、その背景を知る由もありませんでした。そこでこの度の貴兄の絶妙な解説でその辺が良く解かりました。折を見て、再度観たいと思います。

どこの桜だかわかりますか?   (HPOG 小田篤子)

今日は風が強いようですが、暖かいので、クリーンセンター横の桜を見て来ました。浅川の土手にはさまれ、ゴミ処理場横とは分からないほど爽やかな場所です。人も疎らで。ただ、今日の朝刊社会面は大きな”砧公園の咲き誇るサクラ”の写真。クリーンセンター横はお散歩には良いけれど、お弁当を広げたりするわけにはいきませんね。