エーガ愛好会 (59)  ネバダ・スミス

(久米)「ネバダスミス」の感想が西部劇ファンの小泉さんからまだでてきませんがきっと書いてくださると楽しみにしております。

監督、ヘンリーハサゥエイ(勇気ある追跡も同監督の作品でした)そして、私のお気に入りのスティーブ・マックウィーンがニヒルに格好よく主人公を演じていました。この映画は随分前に見ていたのですが見直してみると印象が随分変わってきました。カール・マルディンの悪役も珍しい、そしてラフ・バローネの神父役はもっと珍しいと思いました。マックウィーン演ずるマックスが拳銃さばき、読み書きなどを習得したりしていきながら両親の復讐を遂げるまでにはキリスト教の教えを諭す神父に出会ったりしながら成長していく姿をマックウィーンならではのニヒルでスマートな身のこなしで最後までハラハラドキドキとした映画でした。昔見たからもう見直さなくてもいいかなと思ってはいけないと感じさせてくれた映画でもありました。

(小泉)三人の男に白人の父とカイオワ族の母を虐殺された息子を演じる若きスティーブ・マックイーンが、自宅を焼き、ロードに出る復讐劇。復讐するには世間知らずで、実力も教養も足りない若者が、軽い身をこなし格好良く荒野や渓流を進み旅をしながら成長して行く様子が何とも気分よく観ることが出来た。

そのマックイーンを育てる立場の人、復讐される悪人たちが、脇役ながら風格ある演技者たちが演じているので、だらつかない作品だった。前者では、銃商人で、ガンさばきのイロハと処世術を教えるブライアン・キース、復讐と許しある尊い生き方を教える牧師ラフ・バローネ。後者では、第一の仇酒場のカード配りマーティン・ランド―、沼地の刑務所に服役中の第二の仇アーサー・ケネディ、第三の仇である駅馬車強盗の頭カール・マルデンと役者が揃う。女優陣も、美しく心優しい美女の面々が、顔を揃える。第一の仇の妻役ジョアンナ・ムーア、カイオワ族の娘ジャネット・マーゴリン、第二の仇共々監獄からの脱出に協力するスザンヌ・プレシェット。しかし女性蔑視的描き方が気になった。この美女たちとの行きずり関係はある程度致し方ないとして、監獄での描写で、女性が団体で、囚人の宿舎に入り込んでいく場面や、逃走に協力させたプレシェットが毒蛇
に噛まれ瀕死の状態を知りながら捨て去っていくマックイーンの冷たさ。もう少し描き方に工夫があっても良かったのでは?

(久米)小泉さんの女性蔑視の件につきましては同感です。昔の西部劇を観ていますとインディアンに対する姿勢も今となってはとても受け入れ難い描き方が多くあるように感じます。
スティーブ・マックウイーンの映画では女性蔑視の最たる映画、それでも私は
大好きですが「ゲッタウエイ」ではないでしょうか。妻に対して物凄い勢いで張りビンタを繰り返します。ワーこれは今では受け入れられない映画だなと感じます。女を自分の目的を達成する為の道具にしているとしか思えない男をマックウイーンが演じています。それでも妻は彼のことが好きでついて行くのです。そして私も彼が好きで映画を見てしまいます。

「ゲッタウエイ」はアレック・ボールドウインでリメイクされましたが迫力が雲泥の差でした。ちなみに映画でスティーブマックウインに殴られ続けていた女優さんはこの共演の後、マックウイーンと結婚しているのですから笑い話にもなりません。

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この映画、億万長者ハワード・ヒューズをモデルにしたハロルド・ロビンスの小説を映画化した「大いなる野望1964」のいわばスピンオフ作品とされる。”大いなる野望(The Carpetbaggers)は、エドワード・ドミトリクが監督した1964年のアメリカ合衆国の映画で、ハワード・ヒューズを大まかなモデルとした、ハロルド・ロビンズのベストセラー小説『大いなる野望』に基づいて制作された。ジョナス・コード・ジュニア役でジョージ・ペパードが主演し、アラン・ラッドが西部のガンスリンガーで、後に俳優になったネバダ・スミスとして出演した。アラン・ラッドはこの映画が最後の出演作となった。この映画は1960年代のセクシャル革命としての画期的な作品となった。小説で度々描写されていたように、映画にも男女間の包含や当てこすり、そしてサディズムが含まれていて、当時の他の映画よりも進歩的であった(ウイキペディア)

(編集子)本編とは離れるが、上記 大いなる野望 のジョージ・ペパードはお気に入りの一人である。。いろんなテレビシリーズもあるが、ジャック・ヒギンズの名作 狐たちの夜 が何といっても良かった。最近テレビで放映の トブルク戦線 ではロック・ハドソンよりも印象的だった。役柄として能力にあふれているがトップには立たない、その在り方をいつも客観的というか冷笑的に見ている、というようなものが多かったように思っている。

 

ヘイトクライム記事について   (HPOB 五十嵐恵美)

Giさんから、「ブログ、目を通していただいて、コメントやカリフォルニアでの事情など、お知らせいただければ幸甚です」とのメールをいただいた.最近、米国各地で起きている様々な人種に関係する事件の一つにジョージア州にあるマッサージ・パーラー3カ所で、8人が殺害された事件がある.その死者の6名はアジア系女性(うち4名は韓国人女性)だったそうだ.この報道は日本でもされたらしく、従妹から「そちらは大丈夫?」と心配する電話をもらった.サンフランシスコおよびロサンゼルス都市部の状況は当地シリコン・バレーと違う.このブロッグではシリコン・バレーの様子を中心に「米国における偏見」に関して思いついたことを書いた.

8名が殺害されたGeorgea州マッサージ・パーラーの一店舗

 

人種差別はアメリカの歴史

https://en.wikipedia.org/wiki/Racism_in_the_United_States

米国における人種差別は今にして始まったことではない.それも有色、黄色人種に対してとは限らず、対ユダヤ人、カトリック教信者、そして9/11以降は中近東諸国からの移民、イスラム教信者への偏見、またペッキング・オーダーごとく、対アイルランド人、ポーランド人、イタリア人、ドイツ人、プエルトリコ人、韓国人、等々を含む新しい移民への人種差別も存在する.

シリコン・バレーの様子

当地シリコン・バレーの状況はと言うと、余りこれに関したニュースは聞こえてこない.シリコン・バレーの生産業はすでに斜陽で、工場はほとんど多郡、他州に移転してしまい、工場労働者数は激減、また黒人が少ない.黒人の人口が多いオークランド市、サンフランシスコ市(中華街が大きく中国系の高齢者の数も多い)でのヘイト・クライムは増加、それに対応する地域の活動家も多いという.KPIX、 CBC系の地元テレビ局、によるオークランド市での人種差別反対のデモ中継は中国人のデモ参加者のインタービューも交えてその様子を伝えている.https://youtu.be/qk0w-Vg8W1I

シリコン・バレーでハイテクに従事する人たちの人種は多様で、米国人以外のヨーロッパ出身の白人も含め、中国人、インド人、イラン人と外国人の割合は高い.米国外で生まれたシリコン・バレー住民は約38%.知的有職者の多くがエンジニア、技術系で、彼らは一般的に「社会的思考」型ではなく、学歴レベルは高く、平均年収は約$150,000(2020)、仕事優先の「自分本位」タイプで、他人のことはあまり構わない集団である.外国人が多いこともあり、シリコン・バレーでは今回のような都市部で多数見られる「アジア人に対する偏見、暴力」はあまり聞かれない特殊な地域である.

Population Share by Race/Ethnicity

シリコン・バレー住民の人種別割合(2019)

https://siliconvalleyindicators.org/data/people/talent-flows-diversity/racial-and-ethnic-composition/population-share-by-race-ethnicity/

 アジア人(35.3%)、白人(32.7%)、ヒスパニック系(24.7%)、黒人(2.3%)、その他(4.9%)

コロナ禍の中、パロアルト市の「銀座」ユニバーシティー通りにテーブルを並べたレストラン

メンロパーク市「目抜き通り」入車禁止のサンタ・クルーズ通りのレストラン夜景

 ベイ・エリアの低所得者と超低所得者の実態

2020年9月21日付けで「Who Is Low-Income and Very Low Income in the Bay Area? ベイ・エリアの低所得者と超低所得者の実態」と題して、収入の差を人種別に解説した記事がある(https://bayareaequityatlas.org/node/60841).ベイ・エリアはサンフランシスコ、オークランド、シリコン・バレーを含む、人口約700万人のサンフランシスコ湾の湾岸地域を指す.現在のベイ・エリアの差別問題は「Equity、資産」の差から発生していると示唆している記事で「所得を対象とした政策は(特に黒人とヒスパニックに対する)住宅における人種平等を促進し(彼らは賃貸家屋に住んでいる場合が多いため)、人種を意識した差別禁止政策も必要だ」と結んでいる.ベイ・エリアの差別は一般的に、知的専門職を持たない低所得の黒人とヒスパニックの生活に影響する差別であり、それに対して特に政策はなく、貧富の格差は増す傾向にある.

国民、国家の安全に関して

日本に目を向けると、大分以前に「日本人は水と安全(Security)はただ(Free)だと思っている」と言った作家がいた.近年、中国(人)が北海道の水権を土地と共に買い続け、最近は基地周辺の土地を買い始めたと聞いている.それに関して某政党が「私権制限との批判を招きかねない」として慎重姿勢を強め、政府は国会成立を目指すが、既に閣議決定は見送られ、提出そのものが不透明になりつつあるという状況を知り(JIJI.COM)驚いた.

コロナ禍の長期化に伴い現在米国で起こっている「暴力」「差別」「ヘイト」の多くは恐らく職を失った(あるいは職に就けない)人々のフラストレーションに起因している部分もあると思う.結論を急いでいるわけではないが、最近の諸々の人種に関する事件、反人種差別の活動は、現在アメリカがひとつの大きな時代の変化のスタート地点に立っている現象のようにも見える.全米がシリコン・バレー化するとは思えないが、少なくともシリコン・バレーは世代を先取りしているひとつの社会モデル、パラダイムであるということは確かである.コロナ禍を機に、欧米では明らかに中国けん制が始まり、国民の「健康」「身の安全」をも含んだ、多様な意味での “Security” に重きを置いた舵取りが始まった動きが見える.

 

オーディオ装置の話  (普通部OB 船津於菟彦ー44 安田耕太郎)

(船津)安田君のオーディオ論について

五味康祐はギョーカイでは有名なオーディオ評論の巨人でした。僕も彼の著書を愛読しました。泰斗ぶりは半端ない達人でした。剣豪小説家らしく、製品や演奏を首斬り山田浅右衛門の如く、小気味良くぶった斬っていました。タンノイ、ワーフデール共にイギリスの名門スピーカー。

Westminster Royal GR

タンノイは僕が勤めた会社が一時期子会社として傘下に所有していて、五味も愛用していました。工場はスコットランド・エジンバラ近くにあって現役時代訪問したことがあります。クラシック音楽向き、特に弦楽器が素晴らしいスピーカーです。

ジャイと同じで「今日のピアノよかったねーぇ」と言われても生返事「絶対音感」なんて言う物からほど遠いのですが、音よりも「メカ」大好き。オーディオの雑誌は結構高いのですが毎号買っていました。やーぁジャズを聴くならJBL、クラッシックならタンノイとか。カッコに釣られてデンマーク製のバンクアンドオルフェッセンのスピーカーとかイヤフォンを買いましが今も手元にあります。

五味康祐がでかいタンノイでクラッシックを聴いて色々な批評を書いていましたが、オーディオの装置は際限ないぐらいお金かが掛かりますよ!ケーブル一本でもこんなのがこんな値段というグワイ。電源も別に撮るとか!安田君の会社のPRにのせられて、巨万の費用を費やした人数知れずでしょうね。

(安田)

オーディオ狂と云われている人たちも「絶対音感」など持ち合わせているのは極僅か、或いは殆どいないかもしれない。絶対音感を持ち合わせている人は、大多数が幼少の頃から音楽を聴き、楽器を弾いていた人たちであろう。そういう人たちは楽器を演奏する悦びが、オーディオで音楽を聴くより遥かに大きいはずだ。オーディオマニアの大多数はオーディオ機器キチである確率が高い。自らの装置で聴く音楽を、ああでもない~こうでもない~、とよく云っている。昔は可処分所得をオーディオに費やす人が沢山いて、その業界で飯を食べていた僕らにとっては神様のような人たちであった。その傾向は随分昔に廃れてしまい、日本のオーディオメーカーも殆どが廃業か身売りに追い込まれてしまった。

一世を風靡した日本のオーディオメーカーも消え去るか、外資に買収された。アカイ、サンスイ、トリオ(ケンウッド)、パイオニア、ナカミチ、オンキョウ、デノン、マランツ、ティアック、ラックスなどだ。大手家電メーカーも昔(70年代以降)は傘下にオーディオブランドを有して市場を賑わせまたが、ほとんどが消滅した。オプト二カ(シャープ)、ローディー(日立)、テクニクス(松下)、オーレックス(東芝)、ダイヤトーン(三菱)、オット―(三洋)などである。ソニーもオーディオの分野では昔日の勢いは全くない。

僕の務めた会社はハーマンさんとカードンさんが70年前に創立した会社で会社名も製品ブランドもハーマンカードン(Harman Kardon)といった。アンプ製造が経営基盤だった。HPの(ヒューレット・パッカード)二人の共同創業者と異なり両雄並び立たずでハーマンさんが会社を所有して会社名をハーマンインターナショナルに変更。この親会社の傘下に次から次にJBL、タンノイ、オルトフォン、マーク・レビンソン、インフィニティ、スチューダー、AKGなど10数社の子会社を所有するオーディオに特化した業界世界最大の企業に変貌。勿論ハーマン・カードンも存続。70年代後半、カーター大統領時代にハーマンさんは商務長官に抜擢され、会社は他のコングロマリットに売却され、創業者を失った会社は不安定であった。新しい親会社の傘下にはスーツケース・かばんの「サムソナイト社」もあり、僕はハーマンとサムソナイトのアジア担当として、全く異なる業界製品を一人二役で取り扱うなどした時期も。コロラド州デンバーにあるサムソナイト工場でスーツケース・鞄製造の10日間研修を受けたこともあった。

カーターの次にレーガンが大統領に就任すると、民主党員のハーマンさんはビジネスの世界に戻り、売却していた会社を買い戻し、暫くしてNYの株式市場に上場。ハーマンさんの奥さんは下院議員を務め、夫婦そろって知られた人たちだった。10数年ほど前、ハーマンさんは他界したが、ワシントンD.C.でお別れの会があり、出席した。会場は彼の名前を冠したコンサート・ホールHarman Hall(カーネギーホールの類)で、数名の人が故人を偲んで挨拶したが、最初に登壇したのがクリントン元大統領でビックリした。グリーンスパン元FRB議長、オルブライト元国務長官、ワシントンポスト紙社主などそうそうたる顔ぶれであった。途中のインターバルではヨーヨー・マのチェロ演奏といった具合でセレブのお別れ会を経験した。

NY株式一部市場に上場されていた会社と言えどもカリスマ創業CEOが他界したとなれば、経営陣にオーディオ業界と無関係なビジネススクールMBAを持ったいわゆる「プロ」の経営者が乗り込んで来て、財務諸表重視と株主優先策の全く面白くない会社になった。オーディオが一世を風靡した60年代~80年代と打って変わって、従来のオーディオ製品だけでは食っていけない時代となり、会社も多角化を余儀なくされ、業界は弱肉強食、そして変化に適応できない会社は消えていった。。8年前に退職したが、良い時期に足を洗ったと思っている。

Project Everest DD66000
日本国内定価:660万円(税込ペア)

ワンダーフォーゲル部出身で山好きが昂じて、JBL製高級スピーカー開発に当たり、僕の主導で最高級製品に「エベレスト」と、2番手の製品には「K2」と命名した。それぞれ1本、定価3百万円、2百万円する。現在でも世界中で販売されている。JBL製品には昔「オリンパス」(Olympus ギリシャにある信仰の山)という高級スピーカーもあった。

確かにオーディオ製品は高額だ、世間の常識に照らせば異常だ。アンプでも一般家庭用の電気は電圧も90~100Vで安定していないので、電源ノイズの除去や電圧の高度の安定化を計るため高級アンプには電気を整流するトランスを内蔵している製品が多くある。百万円、2~3百万円の製品もザラだ。ケーブルも蛇のような太さで何十万~百万円超えの製品まである。繁栄が長続きする業種ではない。今はそれらのメーカーは細々と粗利益率を高くして稼いで食いつないでいる。ハーマン社は車載、業務用(映画館など)、民生用、家庭用と多岐市場に進出して成功した数少ない会社の一つとなった。今ではハーマン社の最大の顧客はトヨタ自動車。トヨタ・レ

No32L プリアンプ
国内定価: 320万円

クサス車載オーディオ(ブランド付き)を一手に引き受けており、顧客リストにはベンツ、BMWも続く。自動車会社の付加価値高騰戦略と合致したwin winの結果である。

オーディオの音源もアナログレコード盤、テープからCD,そして今ではデジタルへと便利・廉価になった。趣味性が薄れてきたのは確かである。ヘッドフォン、イヤフォンも台頭、Bluetoothでワイヤレスで音楽を聴くマルチメディア全盛の時代になってなって来ました。オーディオ製品が「Commodity化」(日用品化)されてきたと時代になったのである。

(編集子)ここに紹介されたのが世界トップクラスの ピン ならば、小生ここ10年飽きずに使っている自作品は材料費(多分)3万5千円の キリ である。申し訳ないがスピーカーはその後廃業してしまった国内企業製。スイッチを入れて真空管が温まるまで待つ、その感覚が何とも言えないのだが ー 現代人には受け入れられないだろうなあ。

 

米国におけるヘイトクライムの実情 (普通部OB 田村耕一郎)

米国では、最近、「アジア系市民」への「ヘイトクライム(増悪犯罪)」が深刻な問題となっています。米国の中西部、「インディアナ州」にお住いのMIさん(商社マンOB)から、その実態と背景をご報告いただきました。一部をご紹介します。

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ここに来て、アメリカではアジア人に対する差別問題がクローズアップされています。今日(3月31日)も、ニューヨークで、アジア人女性が暴行されているニュースが流れました。

私の住む町ではその様な事件が起こったこともなく、全く意識さえもしないのですが、都市部では増加傾向にあります。そして、アジア人に対する暴行事件の多くが、白人だけでなく黒人の人たちによって行われていることです。差別される者が、他の者をまた差別するという構図になっていることを悲しく思います。

3月16日にアトランタの韓国人が経営するマッサージパーラーで起こったシューティング事件は、一種の ASIAN HATE 及び HATE CRIMEと思われることから、シカゴ総領事館から3月17日付で在米日本人に、「アジア系市民に対する嫌がらせ等に関する注意喚起」という通達がありました。この通達は全米の領事館から出ています(原文添付)。

3月23日には、米国と中国の政府間会談がアンカレッジで行われましたが、その会談は米中の対立を浮き彫りにしました。米中の対立が今後先鋭化して行くと、中国人に対する HATE CRIME が増加するかも知れません。一方、白人や黒人の人たちには、アジア系の人種を識別できないことで、日本人も巻き添えを食う危
険性が増すことになります。

インディアナ州の南部に住む私の友人の息子さんが通っている学校で既にASIAN HATE の事件が起きました。もう二週間前のことですが、中国人の女の子が、他の生徒から「アジア人、アジア人」と揶揄されたのです。その場に先生は居られなかったのですが、その友人の息子さんや他の数人から事件の報告を受けて、学校側はその中国人の女の子に何があったかを聞いたのですが、彼女は何も無かったとしか答えませんでした。しかし、学校は他の生徒からの情報をもとに対応を検討する会議を持ったとのことです。トランプ大統領の四年間で、BLM運動が起こるほどに黒人への差別が表面化しましたが、黄色人種に対する差別も多かれ少なかれ存在したことはなんの不思議もありません。

今後中国が大国となりアメリカと互角又は凌ぐような力を持つようになれば、その昔(19世紀後半から20世紀前半)起こった「黄禍論」が(当時は日本に対してでしたが)、今度は中国に対して再燃することが容易に考えられます
人種差別は、主に教育レベルの低いそして低所得者層の白人の人たちが中心となっています。学校における子供たちの差別もまた、彼らの親たちの差別をそのまま反映していると言えます。レベルの低い白人の人たちは、経済力も能力も何も無いがゆえに、ただ白人ということにすがって他人種を差別することで優越感を持とうとするのです。白人の間にも階級社会が形成されていて、教養の無い底辺の人たちに、「立ち上がれ」と呼びかけたのがトランプ大統領です。トランプ大統領は、Anti-ducation さえも訴えかけました。

そうした差別を感じる「白人」は「黒人を」、そしてアジア人を差別し、「差別を受けた黒人」が、また差別の矛先を「アジア人」に向けています。こう言った差別の連鎖がこれ以上深刻化しないて収まってくれることを願ってやみません。

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From: 在シカゴ日本国総領事館 <chicago@mailmz.emb-japan.go.jp>
Sent: Wednesday, March 17, 2021 6:55 PM
To: inoue-m@msn.com <inoue-m@msn.com>
Subject: アジア系市民に対する嫌がらせ等に関する注意喚起

全米において、アジア系市民に対するヘイトクライムやハラスメントが発生しており、在留邦人の方が当事者となるケースも確認されています。今後も根拠のない情報に基づいた個人的偏見によるヘイトクライムやハラスメントがアジア系市民に向けられる可能性があることから、未然に危険を回避し、ご自身の安全を守る行動を取るよう、十分注意してください。

1 2月25日、シアトル市ダウンタウンのインターナショナル・ディストリクトにおいて、アジア系市民に対する悪質な傷害事件が発生しました。また、2月28日には在留邦人がニューヨーク市マンハッタンの Lower East Side の路上を歩行中、走行中の車両から男性にタバコの空き箱を投げられ、「ニーハオ、ニーハオマー」と声をかけられて嫌がらせを受けたとの事案が発生しました。

2 ヘイトクライム等を注視している関係団体からは、シカゴ市内においても、アジア系住民に対する以下のヘイトクライム等の被害発生が報告されています。
○ 散歩中に正面から歩いてきた見知らぬ男から、すれ違いざまに腕を蹴られた。男は、何か言葉を発しながら立ち去っていった。
○ 買い物中、マスクをしていない見知らぬ男性が近づき、話しかけてきたことから、距離を取るように促したところ、侮辱的な言葉を浴びせられた。
○ 地下鉄に乗車していた際、目の前にいた見知らぬ男性から「国へ帰れ」「コロナウイルスで私たちを殺してくれてありがとう」といった言葉を浴びせられた。
○ 歩道にいたところ、車内から「自分達の国へ帰れ」と大声で叫ばれた。

3 ヘイトクライム・過激主義等を注視している関係団体によると、シカゴを含む全米の16都市を対象に行った調査において、アジア系市民が被害者となるヘイトクライムは2019年が49件だったのに対して、2020年は122件に激増しており、今年に入ってからも増加傾向にあることから、十分注意が必要です。

4 上記ヘイトクライム等の被害に遭わないためには、周囲の状況に応じ、以下の対策を取ることが有効な予防策となり得ます。
○ フード、帽子やマスク等で顔を隠し、一見してアジア系市民であることを周囲に悟られないようにする。
○ 複数名の者が理由もなく近づいてきたら、目線を合わせないようにしてその場から立ち去る。
○ 見知らぬ者から注意を引くような言動をされても、無視をして相手にしない。
○ 意味がわかる言葉で話しかけられても、理解ができないふりをする。
○ 車両から声かけや嫌がらせを受けた場合は、車両と反対方向に立ち去る。
○ 身の危険を感じたら、大声で周囲に助けを求める。

5 在留邦人の皆さまにおかれましては、一般的な防犯対策と同様に、観光客が立ち寄らない犯罪発生率の高い地区を訪れたり、深夜の一人歩き等危険を招きやすい行動は可能な限り避けていただき、なるべく複数名で行動してください。また、不審な場所や人物を感じた場合には、速やかにその場から離れる、相手を刺激しない等してご自身の安全を守る行動を優先するように心掛けてください。
万が一ヘイトクライム等の被害に遭った場合には、警察(911番)に通報して頂くとともに、当館にもご連絡を頂きますようお願いいたします。 (以下略)

”中央通り縦走” 記録

緊急時代宣言が解除されてから、毎日テレビでは各地の人出がどうだ、という報道がひきを切らない。しかし宣言解除の一つの意味は外部での接触を認めることにあるのだから、限度はあるにせよ、ネガティブ一辺倒の報道には違和感がある。一体、街中にはどんな ”不要不急でない“ 人が歩いているのか、実感してみたくなった。

たまたま、コロナ鬱防止と称して毎日3時間は時間を割いている真空管ラジオいじりのほうで部品が足りなくなり、久しぶりに秋葉原へ行かなければならなくなったので、トレーニングを兼ねて、秋葉原から銀座まで、いわば 中央通り縦走 をやろうと思い立った。山靴をはくわけにはいかず、150周年の時買ったウオーキングシューズを着用。

つつじが丘から都営地下鉄直行便で神保町まででて、まずは人出を眺めてみた。平日の午前中だから、商店街そのものの人出はまだない時間だとは承知だったが、やはり従来の神田繁華街のイメージからは寂しい感じがした。久しぶりなので、以前幾度か通った名代の喫茶店“さぼうる” の前を通り古本屋街へぬける。“さぼうる” の手前に “さぼうる2” というのが出現しているのにびっくりすると同時に、残念ながら老舗もプライドを捨てて儲けに走ったか、といやな気 になった。大体、名店といわれたところが拡張に走って結局失敗し時には廃業に追い込まれたという例は数多くある。喫茶店でいえば六本木の ”クローバー“ がその好例だ。そうでないことを祈るだけだが、本店というかオリジナルの店のたたずまいは変わっていなかった。ただこちらもまだ開店前の時間で人通りはないのが当たり前か。古本屋も同様だが、いずれも営業は変わらずにしているようだったし、スキーファンにおなじみのスポーツ用具店のあたりも同様だ った。小川町、淡路町、それから須田町に出て中央通りになるわけだが、須田町近くのそばの名店には時間前だというのに行列ができていた。老舗の実力だろうか。

中央通りを左折、万世橋から秋葉原、”電気街“ と言われる端っこにラジオ少年だったころからある ”ラジオデパート“ という、個人店主が主に軒を連ねるエレキファン向けのスーパーマーケットに入る。以前神田から来る途中にはもうひとつ ”ラジオガーデン“ というのがあったのだが今日はシャッターが下りたままで活気がなかった。もしかするとやめてしまうのだろうか。わざわざはんだ鏝を振りまわす自作ファンの数は激減しているし、無理もないのかと残念至極ではあるが。今回の禁足中、通販の強みががぜん表面化したが、これらのアマチュア向け専門店もいずれはその波に巻き込まれるのだろうか。

ここで約1時間、いくつかの店を回って用事をすませ、秋葉原駅についたのが11 時。此処から忠実に(というほど大げさではないのだが、ガイドブック風に書けば)中央通りを歩く。神田駅もひところに比べれば清潔になったが大きなガードの下にはなにやら得体のよくわからない小店舗がならんでいる。建物は新しくなったが、神田界隈の雰囲気は変わっていないようだ。このあたりでちょうど正午になったので,昼食を取りに出てきたのだろうが人が増えてきた。

日本橋から京橋へ、歩きなれたコースと思っていたが、外資系大ホテルも出てきて、向かい側のCOREDOというのは正直、どうも好きになれない雰囲気だが、このあたりがこれから中心地になってゆくのかもしれない。京橋で一本通りを変え、ガス灯通りへはいった。高校時代、田中新弥とか浅海昭とか小川拡なんていう連中と銀座のはしっこをうろついていたころ、昼飯といえば六丁目にあった スイス とか フライパン など、高校生の小遣いでもはいれる店に行ったものだった。その スイス 場所を変えてすでに40年だそうだが、変わらない雰囲気で営業しているのがこのガス灯通りなのだ。ひさしぶりで(多分)あの頃と同じ味のハンバーグステーキを食べた。計画ではこのあと、吾妻通りのトリコロールでエクレアを食べることにしていたが、ここで飲んだプレモルが効いてきてゆるんでしまい、4丁目交差点でそのまま地下鉄に乗った。これも予定では仙川でおりてなじみのジムでサウナに入るつもりだったが、いい気持ちで居眠りして気が付いたら仙川でドアが閉まるところだった。ドアツードアで 12,240歩、まあ月いち高尾でいえばらくらくコースくらいのウオーキングだった。4丁目交差点付近の人出はご覧のとおり。

 

エーガ愛好会(58)  椿三十郎

椿三十郎“ リメイク版、というのを見た。覗いてみるだけのつもりだったが結局最後まで見ることになった。”リメイク“ が何を意味するのか、知りたくなったのが理由だ。

映画でも XXのリメイク という表現はよくお目にかかる。例によって使い方もあいまいだが、今までは二つの意味で使われてきたのだと思われる。すなわち、

  • 同じ題材の映画化だが、そのうちに代表作、と目される作品あるいは主演俳優がいるとき、“あのXX作品のリメイク” と宣伝する。小生得意の西部劇でいえば、史実として確認されているアリゾナ州はツームストーン、OKコラルでの撃ち合いを題材にした作品はいくつもあるが、バート・ランカスタの ”OK牧場の決闘” は ヘンリ・フォンダの ”荒野の決闘“ のリメイク、などという(注)。
  • ストーリーは同じだが、シチュエーションをがらりと変えた場合。イーストウッドの ペイルライダー がストーリーは100%同じだが、場所を陽光あふれるワイオミングから、(多分)冬近い、荒涼としたモンタナに、主人公を流れ者のカウボーイから過去のある聖職者に、主人公を慕う子役を少年から思春期の少女に、悪役を雰囲気のあるガンマンから殺人集団に代えた、”アラン・ラッドのシェーンのリメイク“ であるのは前作を見た人間ならすぐにわかる。

実は今回もこの二つに当てはまるのだろうと思っていたのだが、後で調べてみたら同じ脚本をそのまま使った、ということで納得したけれども、”俳優が違うだけであとは100%同じ“ というこれぞ 正真正銘の remake で、前作を見ていれば次に出てくるせりふまで予測ができる、というのはまさに驚きだった。

最後の三十郎対室戸半兵 衛のシーン、前作はまさに抜く手も見せず、という早業で、突き刺さった胸から鮮血がどっと噴き出すという、その撮影テクニックまで話題となったものだが、今回はかなりの時間のつばぜり合いがあって、三十郎があわやという瞬間があったりしたのだけが違いだった。前作はモノクロだったので、噴き出す鮮血がどすぐろく画面に漂って、血の匂いがするような気がしたのだが、今回のカラーでは同じ撮り方だったら刺激が強すぎて不快感にもなったかもしれない。今回は尋常?な一撃で最後になるのだが、三十郎は最後に相手を抱きかかえて刀をぬぐって弔うという、ここだけが違った。余計なことだが、その抱きかかえた半兵衛の体のどこにも傷跡も出血もなかったのはどういうわけか、疑問もあるが。

つまりこの2作品では、まったく同じシチュエーションで演技する俳優の演技そのものが直接に比較できたといえる。見る人によって評価は当然違うだろうが、小生の感覚では三十郎役は互角、室戸役では何といっても仲代の存在感が圧倒的だった。加山雄三対松山ケンイチもおなじく加山のほうが面白かった。最後に現れる城代家老は前作では伊藤雄之助のおかしみが記憶にあったので誰が出てくるか楽しみだったが、藤田まことの登場でなるほど、と思った。

リメイク、の話だが、こういう作品の作り方が今後もあるのか、あるとすれば何を再現してほしいか、それぞれに思いは違うだろうが、想像するだけでも面白いのではないか。

(注)この事件の数ある映画化のうち、一番史実に忠実なのは ジェイムズ・ガーナーがアープ役、敵役のアイク・クラントンを ロバート・ライアンが演じた ”墓石と決闘” だそうだ。このあたりにもリメイクの面白さがあるようだ。

わが ”青春” の歌のこと

高齢化社会の到来、などと他人ごとではなくて要は我々(どこまで含めるかはご判断に任せる)が良くも悪くも焦点であり争点である時代。こういう時期にKWV OB会を代表する知識人(もひとつ言えば小生が見た中で一番きれいなウエーデルンの名手)保屋野君が火をつけた 青春時代 論議である。


(保屋野)今日、ウオーキングの途中ベンチで一休みしている間、突然、昔の名曲が聴きたくなって、スマホで聴きました。、以下まさに青春時代の懐かしい名曲です。ボブ・ディランの「風に吹かれて」ピーター・ポール&マリーの「花は何処へ行った」ニール・セダカの「恋の片道切符」ポール・アンカの「ダイアナ」コニー・フランシスの「夢のデイト」トム・ジョーンズの「想い出のグリーングラス」・・・まだまだありますがキリがない。

上記は先日ご紹介した「木の葉の丘」と比べて、超有名な歌ばかりですが、後期高齢者になって聴いてもまだ楽しめるのはありがたいことです。ちなみに私の一番好きな歌は、カテリーナ・ヴァレンテの「そよ風と私~アンダルシア」です。

(中司)保屋野君の回想を読んで、ほのぼのと楽しくなったけれど、やはり 6年という時間の差を感じます。僕らが高校を終えるころは まさに プレスリーの全盛期でした。ケネディの大統領当選が卒業の年だったし、その後のベトナム戦争の膠着が米国の若者たちに大きな影響を与えたころです。その時に一世を風靡したというか、曲そのものも素晴らしかったがそういう青年の世界的な共感をよんだのがご指摘、PPMの Where have all the flowers gone だったわけですね。その間はテレビ放送の勃興期、米国のヒット曲の翻訳ものを歌うのが歌手のデビューになったころ、雪村いずみ、江利ちえみ、などなどの時代でしたし、一呼吸おいて、という感じで今度はビートルズが社会人2年目くらいだったでしょうか。

時代感覚は別として、いわゆるイージイリスニング分野で僕が気に入っていて、今でも新鮮な気持ちで聞くのが 白い恋人たち カナダの夕陽 それと、急にいま、思い出したけど八代亜紀の 舟歌 なんてよかったなあ。

(菅原)ちあき なおみの「喝采」が最高だよ。イヤー、こりゃー歌謡曲だったか。

(安田)保屋野さんの回想録とジャイさんのご返信を読んで、青春時代の想い出深い曲を挙げます。

プラターズ: オンリーユー(Only You)                    マイルス・デイビス: 死刑台のエレベーター                江利チエミ: ウスクダラとテネシーワルツ                 西田佐知子: コーヒールンバ                        キャロル・キング: タペストリー                     カテリーナ・ヴァレンテ: そよ風と私〜アンダルシア            ウエストサイド物語から「Tonight 」                   エルヴィス・プレスリー: (I can’t help falling in love)             プロコルム・ハルム: 青い影

ビートルズ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、PP&M、ブラザーズ・フォー、フランク・シナトラ、ポール・アンカ、ニール・セダカ、シュープリームズ・・・・、切りがありませんのでこの辺で。

(小田)皆様の青春の歌懐かしく読ませて頂きました。重なる曲もありますが私の場合は

Green Leaves Of Summer:
高校の時、クラスの男性がアメリカへ留学する時お別れに歌って行きました。その後、Green Sleeves, Greenfields 等聞くと関連して思い出しました。

More:
世界残酷物語と言う凄いタイトルの映画の曲のようですが、アンディ ウィリアムスのレコードを友達に貸したりしていました。

次はBeatlesの曲が続きますが…。
I Wan’na Hold Your Hand:
楽しい曲でBeatlesを好きになったきっかけ。

Yesterday:
音声学の授業で聴かされたりもしました。

And I Love Her:
Beatlesの中で好きな曲。

イタリア サンレモの曲懐かしいですね。その中では、ボビー ソロの”ほほにかかる涙”を適当なイタリア語で歌っていました。Elvisは青春時代ではなく、30過ぎてから大好きになり、Can’t Help Falling In Love は、ずっと欲しかった映画ようなオルゴールを、やっと7年位前、諏訪のオルゴール館で手に入れることが出来ました!

(金藤)ほほにかかる涙、ノノレタ 懐かしい曲です♪   1964年、私は中学生でした。歌詞の意味は分かっていませんでした。日本語で誰か歌っていましたね。︎あなたに愛されカンツォーネ、シャンソン、ビートルズがやってきて、フォーク・ソングもありました。

シャンソンが好きだった友人に誘われて、数回「銀巴里」に行きましたが、ずいぶん前に閉店しているようですね。 その頃の私には大人の世界だったと思います。私の青春の歌は何でしょう?

 

(編集子)ミッキー・小田の青春回顧をほんのりと読んでいたら、畏友船津於菟彦から ”青春とは” ということを書いたメールがきて、小生の ”青春時代” の写真を絶対アップしろ、と言ってきた。彼とは普通部時代からの長い友人つきあいでもあり、私的な内容でもあるのでためらいもあって、汗顔の至りだがその一部と写真をあえて掲載させていただく。そういえば彼が僕らのいう ”歌” を歌ったことが(そのことが本稿のタイトルなんだが)あったかどうか記憶にない。彼のクラシック音楽への傾倒は半端なものではなく、”運命” と ”皇帝” ぐらいしか知らない小生ごときには及びもつかないのだが。

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(船津)

「青春」それは「男」が「女」を「女」が「男」を意識するときのほんの僅かな期間のシャボン玉のような時期を言うのでは無いか。
君は何時もはにかんだようなそぶりで、我が道を進んでいた。慶應義塾高校の文化祭-日吉祭-を初めて女子校と合同で開催することとなった。あれは今から65年も前に遡る。”ハイスクールニュース-慶應義塾高校新聞-” の72号にあるが、日吉祭実行委員長に進んで(当人注:掲載の新聞記事をよく読んでもらえばわかるがやむを得ず、である)就任した。そして見事女子校との合同日吉祭を華々しく開催に成功した。これは君の「青春」の総てだ。
語るべくもなくシャボン玉のような淡い「女」と「男」の物語だ。ファイアーストームの赤い光の中で君は満足げに後夜祭のフォークダンスを楽しんでいた。
宝塚好きな女子高校グループとの淡い交流もあったし、宝塚へ数人で見に行き京都などをそぞろ歩いたものだ。
これが「青春」。ほんのほんの短いシャボン玉が青空に浮かんでいたような時間だったね。もう時間は戻らないし同じ事は二度出来ない。そんな充実した君の「青春」が羨ましい。

 

26日 - 大山へ行ってきました  (39 堀川義夫)

昨日3月26日は、久しぶりの月いち高尾を開催予定でしたが、コロナの感染が止まらない状況を考えて、中止にしました。しかしながら、少人数で行くには問題ないので、ハイキングをお勧めしていました。と言う、言い訳は如何でも良いことなのですが、私は、岡沢君と二人で大山に行くことにしました。天気は上々、大山バス停に9;30に到着して、ケーブルを利用しないで、大山登山名物の石段に挑戦しました。先月の白馬のスキーから帰った翌日に軽いぎっくり腰を患い、リハビリをしていたのですが・・・少し早いかなとは思いつつ背中、腰にテーピングをして出かけました。途中、天気が急変してあられが降ったりしましたが、大山寺、阿夫利神社そして頂上へ。頂上直下では高尾の仲間から開催していれば二十数人が集まっていたのに・・・中止したにもかかわらず、何時ものように10時頃に7名が集まってきて皆で昼飯を食べているんだとの電話を頂きました。

下山はヤビツ峠経由蓑毛に向かいました。楽しい尾根歩きですが、下りはやはり腰に響きます。慎重にゆっくり下山しましたが、結構腰に来ました。でも、3時に無事蓑毛に到着です。

新しいニュースとしてはヤビツ峠のバス停上に「ヤビツ峠レストハウス」出来ました。結構立派な建物で、秦野市が作り業者に運営委託するそうです。何もなかったところですが、バスの待合には最適ですね。3月28日から営業するそうです。

この時期、丹沢周辺はミツマタの花が咲き楽しませてくれますが、知らなかったのですが蓑毛到着10分程度のところにミツマタの大群生地がありました。すごいです。初めてでこんなところがあるんだ!と感激でした。

結局、26日に出かけた - 予期せずして 分散月いち の顛末

ひさびさの 月いち高尾 が3月26日に予定されていたが、やはり環境が定まらず、かつ20人を超える申し込みがあったりして(お国の方針に反する大人数の会合!)、堀川君の英断により中止になった。みんな、一応納得したようだったが、せっかく予定したんだし、”4人以下マスク着用密なし” ならいいんだろ、とふてくされて同期3人、いつもどおり10時に高尾山口に集合したら、なんでえ、なんでえ、猪俣夫妻ぷらす町井かをる、というグループが登場、出かけようかと思っていたら今度は相川正汎が ”どうせひまなんでふらりと” とやってきた。都合7人、相川とみどりは意地を張って歩き、残り5人はケーブル、以後は結果として3班に分かれて山頂広場で落ちあう、という結果になった。

俺たちがこうならホリがどっかにいるはず、と電話したら、いた、いた! 歩いてる途中とかで、はあはあの息遣いの返答はなんと大山、岡沢君とのコンビでこれも ”折角予定したんだから”ワンデルング であった。ほかにも保屋野・安田パーティという予定もあったようだが、この組は予定を早めたようで、当日は現れず。我々は先週、オクガタ同伴であるいたという吉牟田のアイデアで山頂からの下り道途中から4号路へ出るというコースを歩いた。

久しぶりだったので、本来ならば天狗へ行くところだが、ぐっとこらえて有喜堂で汁粉をすすって解散。此処に先日一人で立ち寄った時には,雛祭り人形が飾ってあって、季節感を味わったのだが、今回は雛人形が桜の花になっていて、またまた結構なもんだ、と思った(のだが、よせばいいのにこれは造花だ、などと心ない発言もあった)。いいじゃねえか、要はキモチの問題よ、と写真は撮ってきた。寅さんのいうとおり おめえ、それをいっちゃあおしめえよ ということがあるものだ。

 

エーガ愛好会(57)   ”地獄への道” カラー版! (34 小泉幾多郎)

日本公開された当時は、どういう訳か?米本国ではカラーなのに、日本へはモノクロという時代があったのだ。このエーガのほか、「モホークの太鼓1939」「西部魂1941」「スイングの少女1948」。終戦まもなくで、まだろくに食べ物もない時代ではあったが、馬鹿にされた気がしたし、折角のカラーがモノクロで上映されてどれだけ経済的に得になったのか、未だにわからない。その後日曜映画劇場でカラーで放映されたらしいが、小生は今回初めてカラー版を観たことになる。

実在の無法者ジェシー・ジェームスを描いたものは、この後日本で公開されただけで10数本あるとのこと。流石西部のロビンフットと言われただけのことはある。南北戦争直後のミズーリ州、セントルイス・ミッドランド鉄道が、鉄道建設のため力ずくで土地を安い値段で買い上げ、それに憤慨したフランクとジェシーの兄弟が列車強盗となり、最期ノースフィールド銀行襲撃に失敗、仲間のボブ・フォードの裏切りで射たれるまでの物語。

ジェシーに扮するのはタイロン・パワーで、新聞社主の姪ジー(ナンシー・ケリー)と愛し合い結婚、悪の道と愛との板挟みの悩みながらの捻じ曲げられた生き方をありきたりのヒーローに留まらない役どころを演じきったと言える。ヘンリー・フォンダが兄フランクを、ランドルフ・スコットが、ジーに恋心を抱きながらも、ジェシーを助ける保安官を演じるが、二人とも若さに溢れる時代、主人公になるべき二人が、これだけの役では、観ている方があまりにも欲求不満に駆られたのだった。そのほかにも脇を締める人たちが・・・鉄道会社に雇われ、農民たちやジェームス家の土地を安く買い上げるブライアン・ドンレヴィは落日の決闘1946」で悪役トランバスに扮し、ヴァージニアンに向かって「陽が落ちるまでに町を出ろ」の名言を吐いた。ジェシーに自首すれば、数年の刑で済むと騙し、保安官や判事を馘にし、判決を死刑にする鉄道会社社長は、{駅馬車1939」のウイスキー商人で、最初にアパッチの矢で倒されたドナルド・ミーク。同じ「駅馬車」で女性の護衛を買ってでる賭博師のジョン・キャラダインは、特赦と賞金に眼がくらみ、丸腰のジェシーを背後から射ったボブ・フォードに扮した。

このジェシーを中盤で若干暴徒化するものの、無法者ながら正当化している。逆に鉄道会社の無法に立ち向かう正義とさえ感じる。冒頭からドンレヴィの暴力により、母親が殺されることから、街の酒場で、ドンレヴィを倒し、お尋ね者になるが、本来正当なる決闘と見做されるものだろう。ただジェシーを正当化するのに全力を注いだことから、鉄道会社の横暴が目に余り過ぎとも言える。
全般的に、ジェシーとジーとの恋愛、妻を愛する一児の父親としての葛藤が話の中核を成し、愛の擦違いといった心情が強調されていることから、ジェシーの義賊としての精神的疲弊や堕落のきっかけまでが描かれているところが西部劇らしくないが、活劇面でも、列車強盗での馬の疾走シーンやノースフィールド銀行襲撃での歯切れのいい射ち合い、馬と一緒に、ショーウインドーをぶち破るシーン、断崖から馬もろとも水中に身を投ずるロングショット等のアクションシーンも素晴らしかった。

(編集子)ひさしぶりにブライアン・ドンレヴィの悪役ぶりを見た。小泉解説に少し付け加えると、前にも本稿で書いたが ”大平原” での憎たらしさもさることながら、なんと言っても徹底した演技で見るものを圧倒してしまうのがクーパーと共演の ボージェスト だと思っている(本作品で公開年のオスカー助演男優賞にノミネートされたそうだ)。この映画にふれる人があまりいないのが残念だが、良き日の大英帝国を背景にして、活動場面は砂漠に展開するフランス外人部隊という組み合わせが実によくできている。若き日のスーザン・ヘイワードが出るこの作品はもっと評価されてもいいと思うのだが。本題に戻れば、やっぱりタイロン・パワーてのは顔だけの人だったなあ、と思わせるエーガだった。若いころのランドルフ・スコットも懐かしい顔である。

(余計なことだが ボージェストのDVDはアマゾンで新品980円(在庫1枚)、中古100円、ゲーリー・クーパー大全集(全10作品)1675円)に収録されているとのこと)。