百名山 92座完了!    (39 堀川義夫)

久しぶりにたわごとを編集しています。ここのところの身近と言っても友人知人ではなく、家内がお世話になっているデイサービスやショートステイ先が、スタッフのコロナ感染で休業になったり、営業はしているが、あんに来所しないで欲しいと言うことで、2月、3月に予定していた泊りがけのスキーや登山はやむなく全て中止にして、家内と二人でひっそりと過ごして来ました。おかげで私は運動不足で2kgも体重増になってしまいました。ショートステイ先は3月一杯休業の為、その煽りで4月も超満員、希望する日程が取れず5月下旬にやっと予約が出来た、と言う状況でそれまで泊りがけで出かけられないと諦めていました。

でも神様がご褒美をくれました。キャンセルが出て出かけられるようになりました!! 救われました。

伊吹山編

4月13日(水)久しぶりに家内をショートステイで預かってもらえる事になり、伊吹山やってきました。明日の14日は雨模様とのことですので、この日の内に伊吹山の全容を撮っておきました。近江長岡から貸切大型バス(路線バス)に乗り登山口へ。そこからしっかりと1時間、2合目にあるロッジ「山」に到着。そこは景色は最高です。琵琶湖を眼下に天気が良ければ夕日が最高の場所です。夕飯はうどんすき。女将が今日摘んできたというクレソンが最高14日の天気は雨! 予期していたものの雨対策をしていざ出発、でも雨は来そうにないし、気温が高いので早々に雨具を脱ぎ頂上を目指しました。何も見えない頂上を制覇。これで100名山の92座完登となりました.

 

彦根編

4月14日(木)昨夜は彦根のビジネスホテルに泊まり、本来ならまだ間に合ったはずの彦根城の夜桜を見に行きました。先週の季節ハズレの高気温で一気に散ってしまったそうです。残念!今朝はゆっくり目に起きてまずは国宝彦根城見学に。桜が満開ならさぞかし素晴らしいだろうと思いながら葉桜で我慢です。その後、お堀巡りの屋形船、50人は乗れそうな屋形船にお客は私一人だけ なかなか風情もあり1300円という値段はお値打ちでした。ランチはNewOld Townと称する観光客のための商店街にはある伽羅と言う評判の近江牛の店でステーキ重、3300円なり美味かった.

(編集子)百名山、といえば、斎藤邦彦さん、その後いかが。

 

音楽談義 (1) フィンランディア   (普通部OB 菅原勲)

(編集子)美術造詣芸術には全くめくらなので、パリは平井さんをはじめとして ”エーガ愛好会” 間を通り抜ける関連のメールは、以前にもお願いしたがどなたかエディターを志願していただけるまでは取り扱う自信がないので通過していく結果になる。音楽のほうはそれでも多少の興味と実績はあるので 音楽談義 欄を設けることにした(かたや同行の士の多からんことを願って解説した 冒険・ミステリ欄はざんねんながら   仮死状態である。嗚呼)。本欄に関心の集まることを希望する。

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ジャン・シベリウスの交響詩、「フィンランディア」(指揮:H.フォン・カラヤン、べルリン・フィルハーモニー)を聴く。

この曲は、ご承知のとおり、フィンランドがロシアの圧政下にあった1899年に作曲された。当初は、六幕物のフィンランドの歴史劇に、シベリウスが伴奏曲を作曲したものだったが、最終幕の、「フィンランドは目覚める」だけを取り出し、交響詩「フィンランディア」として独立させた。そう言う由来が由来であるだけに、極めて勇壮闊達、前へ前へと前進あるのみの音楽であり、その独特の旋律は一度聴いたら忘れることは出来ず、思わず鼻歌として飛び出して来る。これが名曲か傑作かは知らないが、ロシアの圧政に苦しめられていたフィンランド人たちに与えた影響は計り知れないものがあったのは間違いない。とは言え、ロシアはこの曲を演奏することを禁止した。

一方のロシアにも、1880年、P.チャイコフスキーが作曲した有名な序曲、「1812年」がある。これも、皆さんご存知のとおり、1812年、ナポレオンがロシアに侵入し、辛うじてモスクワを持ち堪えて反撃し、勝利を収める消長過程を、それぞれの国歌(フランスのラマルセイエーズ、ロシアの神よツァーリを護り給え。ただし、Wikipediaを見ると、いずれも、1812年当時は、まだ国歌にはなっていなかったらしい)で表現した、ロシア人の愛国心を擽る交響詩だ。実際の大砲を使ったりとかいかにも物々しいのだが、所詮、作曲したのがチャイコフスキーであるだけに、全編を流れるもの悲しさは否定できない。なお、真偽のほどは定かではないが、友人から聞いた話しでは、ロシアのウクライナへの侵攻に鑑み、最近、ヨーロッパでは「1812年」の演奏が禁止されたとのこと。しかし、チャイコフスキーに罪はない。

ここで思い出したが、ロシアにも、中国で言う「国恥地図」の概念、と言うより、独りよがりの妄想があり、その中にフィンランドも含まれていることだ(ただし、余談だが、フィンランドがNATO入りするのは間違いなく、そこにロシアが侵入すれば、第三次世界大戦となるのは避けられない)。加えて、1500kmにも亘る国境を接しているフィンランドとの国境近辺にロシアが軍隊を移動させたとの報道があったことも思い出した。しかし、どちらの音楽が傑作かどうかは別として、そうなったら「フィンランディア」が「1812年」を遥かに上回るのは否定できない。それにしても、フィンランドと言うより、シベリウスの音楽はドイツのそれとも違うしイタリアのそれとも違う、正に独特の音楽だ。単純に、北欧だからだと言うだけでは説明しきれない(例えば、若気の至りで、デンマークの作曲家、カール・ニールセンの交響曲第1番を聴いたことがあるが、極めてつまらない音楽だった)。こんな音楽がどうして生まれてきたのか、長年の謎だ。小生、勝手に辺境の音楽と呼んでいる。

 

エーガ愛好会 (137) 素晴らしき哉 人生

(保屋野)掲題映画、初めて観ました。評価の難しいエーガですね。超善人夫婦を演じた、ジェームス・スチュアートとドナ・リードはまさに「はまり役」でしたが、ストーリーはやや平凡で、最後に「天使」が助けてハッピーエンド、という展開もどうなのか。ただ、ネットでの評価は概ね高く、クリスマスには必ず上映される「特別なエーガ」だそうです。

これと似たような映画で先月観た「我ら人生最良の年」は3人の復員兵の、それぞれの「愛の物語」でしたが、アカデミー賞作品だけあって、こちらの方が私には面白かった。なお、この映画のテレサ・ライトや上記ドナ・リード・・・戦後の、ヘプバーンとかバーグマン、テーラー、モンロー等と比べて、オーラはないものの、気品があって、チビ太同様私も好きになりました。

(船津)全く同感。
良き時代のアメリカ映画ですね。淀川さんが泣きながら「映画っていいなぁ」と言いそうな作品ですね。今、アメリカもこんな時代を取り戻したいのかも。小津安二郎米国版。日本も然り。

(安田)お二人のご感想に同感です。「アメリカの良心を代表する俳優」と称せらるジェームス・ステュアート主演、戦後すぐの1946年制作映画となれば、絵にかいたようなハッピーエンドも頷けます。女優ドナ・リードこの「素晴らしき哉、人生!」と打って変わって、「地上より永遠」(ここよりとわに・From Here to Eternity1953年の汚れ役が忘れえず脳裏に刻まれています。アカデミー助演女優賞獲得。バート・ランカスターとデボラ・カーの映画史上に輝く波打ち際のラブ・シーン、フランク・シナトラやモンゴメリー・クリフトなど実力派俳優の熱演・・・と見応えある映画でした。

また保屋野さんに同意です。同じ1946年制作ウイリアム・ワイラー監督の映画「我らの生涯の最良の年」(The Best Years of Our Lives)の方が内容が濃くて様々の人間の人生を深く、しかもpositiveに描いていたと思います。出演した一押しのテレサ・ライトですが、この映画の他では、「偽りの花園」1941年ウイリアム・ワイラー監督、「ミニヴァー夫人」1942年アカデミー助演女優賞獲得、「打撃王」1942年(The Pride of the Yankees)、「疑惑の影」1943年(Shadow of a Doubt)ヒッチコック監督サスペンス映画などを観ました。それぞれ、ベティ・デイヴィス、グリア・ガースン、ゲーリー・クーパー、ジョセフ・コットン等の一流俳優と共演。大関・横綱格のオーラはないが、小結・関脇クラスとして“いぶし銀”の素晴らしい存在感を見せてくれていました。

 

 

ウクライナ・キエフのかつての姿  (HPOB 菅井康二)

今日(4/21)の深夜(午前2:50-午前3:49)に再放送されたので普通の人は視ていないと思われるが2019年取材し放映された番組である。画面での町並みと人々は現在のロシア侵攻後の状況とは全く異なる平和そのものにしか見えないのだが番組中の端々に2014年から続いてるロシアとの抗争の影が鮮明に見て取れる。アメリカの19世紀の作家アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」の「平和とは国際関係について、二つの戦争の期間の間に介在するだまし合いの時期を指して言う」という言葉を思い浮かべた。それにしても番組に登場したあの人々は今どうしているのだろう?と考えるだけで胸が痛くなる。

世界ふれあい街歩き「ウクライナ・キエフ」
https://bityl.co/BtJj

乱読報告ファイル (22) Fast Attack -  ひょっとしてウクライナもこんな具合か?

数日前の報道ではかのブルース・ウイルスが引退、とあった。シュワルツェネッガー、スタローン、セガールなどとともにアクション映画で一時代を画した人たちだが、そのあとに売り出したのが エンドオブホワイトハウス で登場したジェラルド・バトラーである。彼の主演で数年前に封切られた ハンターキラー は反乱軍に拉致されたロシア大統領を米軍潜水艦が救出するという奇想天外なストーリーが面白く、潜水艦同士の不気味な闘いも見ごたえがあった。この作品は米海軍中佐で実際に潜水艦の艦長だったジョージ・ウオレスという人が書いたもので、潜水艦物といえばかの 眼下の敵 深く静かに潜航せよ レッドオクトーバーを追え などが思い浮かぶが、やはり現代のエレクトロニクス技術満載の軍艦の描写となると経験者が書いたものの迫力は違ったものだった。

そんな経験から、著者名にひかれて Fast Attack と Dangerous Grounds という2冊をアマゾンで買い、始めに読んだのがこの本だが正直言って、期待外れ、前作にははるかに及ばない出来栄えだった。しかし後半にでてくるロシアとアメリカ大統領の設定が、まさにたった今、ウクライナを挟んで向き合っているプーチンとバイデンをそのまま借りてきたのかというようで、読んでいると現在のウクライナ侵攻の具合もこうだったのではないか、と思わせるのにびっくりもし、ある意味で背筋が寒くなる感じでもあった。

この話ではウクライナではなくバルト三国のウイークリンクであるリトアニアへの侵攻が伏線にある。ロシアの大統領はアメリカを最初からなめきっていて好戦的な行動を繰り返すのだが、米国側は国際協調とか国連とか響きのいいことを繰り返し、国民の支持率優先の対応を繰り返す。ロシアは秘密裡に米国東海岸の軍港沖やパナマ運河に潜水艦によって機雷を敷設し、米国海軍が実質上動けなくしたうえでリトアニアへ侵攻してしまう。この危機を救うのが2隻の潜水艦の活躍なのだが、話はハピーエンドではなく、米国海軍で臨機の措置をとった責任者をこの大統領は更迭してしまう、という政治屋の理屈で終わるのだ。

ロシア大統領は電話で米国大統領を電話会談で、もう威張り腐ったアメリカを信用する国なんかない。そちらが勝手に冷戦などとでっちあげたり、ベトナムでは負けるし国家建設だのレジーム改革だの、結局はオイル会社の言いなりになっている間に世界はアメリカのいう事など信じなくなっていると面罵する。米国の優位性を否定しNATOは単なる社交クラブにすぎない、というのだ。そして次の電話会談では一方的にロシア軍の封じ込めによって米国軍は港を出ることはできなくした。もし公海上でロシア軍に敵対すればそれは開戦を意味する、と脅しまくるのだ。リトアニア大統領はひたすらに米国がNATOを指揮して救援することを哀願するのだが、大統領はこれに応えない。そして国務省や国防省の進言を退けてこういうのだ。”東ヨーロッパのちっぽけな畑のために核戦争を始めろというのか?それがロシアの望むところなのに。私は核戦争を始めた大統領として歴史に残されるのは御免蒙るよ”、と。いまウクライナ紛争が惹起しているのは、結局NATOも米国も社交クラブにすぎないではないか、という疑惑であり絶望なのではないか? そんな気を起させたのがこの本の後味である。

(面白いことに、カリブ海からパナマへかけて秘密裡に機雷を敷設するロシア海軍の旗艦がモスクワ、となっている。ウクライナが沈めたはずだよな?)

(ウイキペディア)ジョージ・ウォーレスは米国オハイオ州東部出身で、元海軍中佐。ロスアンジェルス級原子力潜水艦USSヒューストンで1990年2月から1992年8月まで艦長をつとめた。1995年に22年間の軍歴を終えて著作家に転じ、現在はヴァージニア州在住。ドン・キースは1947年生まれ。ジャーナリスト出身で、作家デビューは1995年。小説や軍事ノンフィクションの著作が30作以上ある。

閑のあるまま―”三大” 何とか,の話 (2)

この企画、先回に引きつづき投稿の多かった、旅先の話題を提供する。さすが、ワンダーフォーゲル、という感じがする。国際派?の保屋野君のメールから始めよう。

三大なにがし、考えているうちに投稿し遅れてしまいました。遅ればせながら、私の思い出に残る風景をご紹介します。観光地では、次の3か所でしょうか。

①   オランダ(アムステルダム) キューケンホフ公園のチューリップ

②   ノルウエー         ガイランゲルフィヨルド

③   アメリカ          アーチーズ国立公園のデリケートアーチ

ワンダー仲間も数多く訪問されているアルプスで選ぶならば

①   ツエルマット   スネガからのマッターホルン

②   グリンデルワルド バッハゼーからのシュレックホルン

③   シャモニー    ラックブランからのモンブラン針峰群

一方、国内では細分してみると

(滝)

①   北海道(天人峡) 羽衣の滝

②   尾瀬       三条の滝

③   立山       称名の滝

(山)

①   北ア・針の木岳からの剣・立山連峰(初めての北アルプス)

②   南ア・聖岳からの赤石岳(初めての南アルプス)

③   東吾妻山(景場平)からの磐梯山(高2の時、一人で登った安達太良~吾妻縦走)

(渚)

①   五島列島(福江島)高浜

②   沖縄       オクマビーチ

③   陸前高田     高田の松原(今はあの「奇跡の一本松」のみ)

一般的にいわれている ”三景“ はご存じの通り松島、天橋立、厳島だがこれを選定したのは江戸時代初期にいた儒学者林春斎だとウイキペディアは解説している。彼は例えば松島についてはさらに細かく、

「壮観」大高森: 東側。標高105.8m。松島湾。..

「偉観」多聞山: 南側。標高55.6m。七ヶ浜町の北…

「麗観」富山: 北側。標高116.8m。

「幽観」扇谷: 西側。標高55.8m。

等と著書 日本国事跡考 に書き残したそうだ。ウイキをめくってみて、日本三景観光連絡協議会、という団体まであることを知った。保屋野説に従ってみると、“滝” でいままで日本三名瀑、といわれてきたのは日光華厳の滝、和歌山は那智の滝、茨城は袋田の滝という事になっていて、お定まりの百名瀑、となると北端は北海道オシンコシンの滝(50m)から沖縄マリドウの滝(20m)までずらりと並ぶ。小生2年生のリーダー養成でタケノコ沢直登をわりあてられ、美濃島とふたりで “こりゃだめだわい” と引き返して怒られたタケノコ大滝はこの中には入っていない。”山“となればこれは各人千差万別、展望と記録と感傷と疲労とありとあらゆるものが要素になるだろうから敢えて保屋野説に甲論乙駁、いろいろあるだろう。たとえば:

(小川)小生メンバーの名古屋ゴルフ倶楽部からは御岳の遠望が一番から、12番からはマンションの隙間から聖岳のピラミッド山容が厳冬快晴の日に遠望されます。小生が発見し話題になりました。

(保屋野)
名古屋から聖岳が見えるとは・・・あの辺では「恵那山」が印象的でした。市街地からの眺望では、何といっても松本からの「常念岳」が一番ですが、酒田からの「鳥海山」も素晴らしい。車窓風景では、大糸線からの「後立山連峰」や小海線からの「八ヶ岳」が有名ですが、先日蔵王に行った際、東北新幹線からの日光連山、那須連峰、安達太良山、吾妻山と連続する雪山風景を楽しみました。

というような具合になる訳だ。この辺の話題なら何とかついていけるが、渚、となるとこれは勝負にならない。小生が行ってみたい渚なら ”地上より永遠に“ で バート・ランカスターとデボラ・カーがいちゃついた浜辺か、ノルマンディ上陸の激戦地 オマハビーチ くらいな発想しか出てこないからこれ以上言及はしない。

安田耕太郎君は彼の世界漫歩の結果を本に書いているくらいだから、彼の蘊蓄は著書を読んでもらうとして、小田篤子さんのいわく、

それぞれに思い出のつまった、皆様の三大風景、もっと若い時に知りたかったですね。私は海外へは始めの頃は子連れで出かけていましたので、安田さんの本を読み、羨ましく思った風景は……

①アタカマ砂漠で、ヒッチハイクしたトラックから見た満天の星

(私は①にあげたMt.アシニボインのコテージのベッドの窓のカーテンをパッと開けた時見えた、満天の星。ひとつひとつが大きく、流れ星も見え、感激しました。)最近は昨年3月の千畳敷の星空です。

②ボリビアの誰もいない5,400mの山に犬と登ったこと。

③独りで登られた、マチュピチユの山

絶対独りでは行けません、ふたりでも無理ですね。

3年前、OB合宿で西穂コースを選び、快晴のもと、笠ヶ岳の遠望をもってわが3000米にピリオドを打った小生としては、ミッキーのひとことは何とも言い難い感傷を引き起こした。時は流れる、かな。

“場所” のテーマが続いたので、”飲食“ についてはどうかと思っているのだが、現時点ではまだ2点頂いただけである。いろんな分野のエキスパートがおられると思うので、投稿を待ちたい。

 

エーガ愛好会 (136)善き人のためのソナタ  (44 安田耕太郎)

006年アカデミー外国語映画賞を受賞したドイツ映画。東ドイツの反政府勢力を取り締まる監視体制の犠牲になりかけた市民を、体制側の監視員が自由と人間の愛・芸術の崇高さに目覚め、最終的には救うという映画。冷戦下の冷徹な体制側の取り締まりとそれを潜り抜けようとする自由を求める反体制側の緊迫感溢れるストーリー展開は、残虐な殺戮シーンなどはないが、見応え充分だ。舞台は1984年、東西の壁が崩壊する5年前の東ベルリン。戦後の東西冷戦下、東ドイツでは国民を統制するため、国家保安省(シュタージ・Stasi、ソ連時代のKGBと同等)が徹底して国民を監視していた。10万人の協力者と20万人の密告者が、全てを知ろうとするホーネッカー独裁政権を支えたという。共産主義体制の下、個人の自由な政治思想は許されず、反体制的であるとされた者は逮捕され禁固刑が課される……。東ドイツは、そんな暗く歪んだ独裁国家だった。

シュタージの秘密捜査員ヴィースラー大尉は、国家に忠誠を誓い、反体制的な思想を持つ市民の捜査と、後輩の育成に力を入れている。監視と尋問を得意とするヴィースラーは、次の任務として反体制派と目される劇作家ドライマンの監視を命じられる。手際よく彼のアパートに盗聴器を仕掛け、そのアパートの屋根裏部屋を拠点に、徹底した監視を始める。無感情に盗聴するヴィースラーの顔からは、人間味は見られない。

 

この指令には、ドライマンの恋人である舞台女優のクリスタを自分のものにしたいという、ヴィースラーの上司ヘンプフ大臣の私的な欲望が潜んでいた。そんなことは知らず、「国の裏切り者の正体をあばいてやる」との使命感を持ち盗聴に専念するヴィースラー。しかし、劇作家ドライマンと、その恋人クリスタの会話から紡ぎだされる自由で豊かな心に、次第に共鳴していく。毎日盗聴を続けていくうちに、ドライマンとクリスタの人間らしい自由な思想、芸術、愛に溢れた生活に影響を受け、冷徹なはずのヴィースラーの内面に変化が生じ始める。そして、ドライマンが友人の独裁体制に悲観した自死を悼み、友人から「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」という言葉と共に贈られた、善き人のためのソナタという曲を弾いたのだ。この美しいピアノソナタを盗聴器を通して耳にしたとき、ヴィースラーは心を奪われてしまう……愛し合っているはずの恋人同士、信じ合っているはずの家族や友人をも相互不信に陥れ、絆を引き裂いてしまう監視国家の理不尽さ、非情さ。それらに気づき始めるヴィースラーの心に、美しいソナタの音色が深く響く。そして彼は、人間らしい人間へと少しずつ変化していく。 

ドライマンと西ドイツのシュピーゲル誌の記者は東ドイツの知られたくない情報(ヨーロッパで一番多い自殺者数であったが、1977年に公表を辞めた)を誌面に載せることに成功する。当局側はドライマンを情報漏洩の犯人と睨み、漏洩した情報の活字をタイプライターの種類で特定して、秘匿しているに違いないタイプライターをドライマン宅に押し入り、隈なく家宅捜索する。だが、見つからない。恋人クリスタはドライマン宅のタイプラーター隠し場所を知っており、尋問を受ける。当局側は彼女が何か知っていると睨んだのだ。彼女は舞台女優剥奪や諸々の脅しに抗しきれず遂にヴィースラーに隠し場所を白状してしまう。ヴィースラーの上司も隣の部屋で白状の始終を聞いていて、直ちに監視捜索団をアパート部屋に派遣して白状された隠し場所(床下)を捜す。しかし、そこにはタイプライターはなかった。この2回目の家宅捜索にも現場に立ち会った、タイプライターをそこに隠した張本人のドライマン自身も驚愕する白状した恋人のクリスタは罪の意識にさいなまれパニック状態でアパートに向かうが、アパート前の路上でトラックにはねられて死去する。ドライマンは一部始終を目のあたりにして唖然として放心状態で彼女の遺体を抱き上げる。 

ヴィースラーは首尾良く事件を解決させえなかった責任を取らされシュタージを解雇され単純な郵便物開封の仕事に就く。ほどなくして翌年1985年、“ゴルバチョフがソ連共産党の書記長に選出” の新聞記事を目にする。それから4年後の1989年にはベルリンの壁崩壊を経験する。更に2年後、仕事の帰り、町の本屋の窓にドライマンの著書「善き人のためのソナタ」の広告をたまたま見かけ、中に入ってその本を買い求める。

絶体絶命の2回目のタイプライター家宅捜索時に、クリスタの自白で隠し場所を知ったヴィースラーは先回りしてアパートに忍び込み、タイプラーターを持って引き上げていたのだ。そのことをドライマンは確信して、著書の中に特筆したのだった。ヴィスラーの本屋の店員に「いや 私のための本だ」と言う時のヴィースラーの表情がはればれとして清々しい。

映画はフィクションであり、シュタージの冷酷さはこんなものではなかった、この映画で描かれていることは歴史的事実異なっているとの指摘もあったという。それは大した問題ではないと僕は思う。この作品が伝える当時の東ドイツを支配していた空気感は本物であったに違いない。当時の監視組織が振りかざしていた権力と、内部の倫理的な葛藤が好対照に描かれている。人間の中に存在する善と悪が、途方もなく複雑に交じり合い、そしてもつれ合うものであるかということを、描き上げた映画だった。見終わった後、哀しさと人間の温かさと歴史の重みが心に深く残る素晴らしい作品だ。ドイツ映画には馴染みがないので知らなかったが、ヴィースラーを演じたウルリッヒ・ミューエを始め、多くの一流俳優が出演しているということだ。

(平井)私も見ましたこの映画。フランスでは「もう一つの人生」というタイトルでした。とても心に残った映画でした。このような世界と時代があったのだなと、感慨深くも考えさせられた映画でした。

随分前にお友達とベルリンに行ったのですが、ベルリンの壁の崩壊から数年は立っていましたが、東ベルリンに入ると走っている車のスタイルも旧式で建物は古く、貧富の差は明らかでした。昼間からカフェにたむろする酔っ払いのおじさんたちがいて、更に友人とはぐれてしまい、西ベルリン側に帰って来る時に、小学生ぐらいの不良の女の子二人に絡まれそうになって、傍にいた紳士が追い払ってくれたので無事でしたが、とても怖い思いをしました。自由がない世界は荒むのですよね。20世紀にあんなに苦しい体験をしながら、21世紀に入っても尚且つ争いを止めない人類は何か度し難いですね。

(編集子)この映画自体は見ていないが、本稿は五木寛之が直木賞を受賞し世に出た作品、”蒼ざめた馬を見よ” を思い出させる。妙に正義感を振りかざすのでなく、国家観に振り回される個人の在り方を追求したこの作品に影響されて五木作品はだいぶ読んだ。”青年は荒野を目指す” とか ”デラシネの旗” “凍河” ”内灘夫人” などというタイトルが浮かんでくる(なぜだったかわからないが、代表作とされる ”青春の門” には惹かれることがなくて未読である)。映画ではニューシネマ、なんていう時期だったろうか。

“蒼ざめた” では、 圧制下にあり、強固な反体制で知られる作家が、自分の名前を偽って作られた贋作を理由に当局に逮捕される。しかし彼の良心は、”書くべき人が書くことができなかったーそれが私の罪なのだ。この本は私が書くべき本だったのだ"と言わせて、冤罪を逃れようとはしない。安田君の解説からの推論なのだが、この映画のテーマも同じなのではないかと思うのだ。

(そうすると―認知症予防に始めたドイツ語がようやく ”中級″ にたどり着いたレベルの人間のいう事ではないのだろうとは承知の上で言うとー VOM という前置詞を ”のために” とするのは誤訳ではないのか、と思うのだがいかがだろうか。VON が持つ本来のニュアンスからすれば、善き人 ”による” であって、特定の読者のためではなく、圧制に苦しむ同胞の中で、なお、”善き人” 足らんとする勇気のある人 ”による” 音楽なのだ、というのではないか、と思うのだが)。

コロナはこれからどうなっていくだろうか  (42 河瀬斌)

先が見えてこないコロナ問題について医療の現場からドクター河瀬の展望を書いて頂いた。船曳先輩からの貴重な情報と合わせて、われわれなりに正しい認識を持つようにしたいものだ。
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1)いつになったらコロナは終わる?
昨年の今頃、ある雑誌に全部で5年ほどかかるだろう、という文を投稿させていただきました。その理由の一つは、過去のペスト、コレラなどの世界の疫病の歴史で、感染が収束するまで5年ほど要していること、今回のウイルスは変異を繰り返すのでその位かかるだろう、という予測などから得たものです。Pandemicになってすでに3年経過しておりますが、あと2年ほど必要でしょう。
2)変異はどうして起こるのか?
ウイルスが無数の分裂増殖を繰り返す中で、多くの遺伝子の間違いが起こるのが変異です。感染が盛んにできる環境では変異も旺盛に起こっているのです。その大部分は消滅してしまう変異ですが、ウイルスの生育に都合の良い遺伝子変異が起こった場合、それらが生き延びて新しいウイルスが増殖する(現在のオミクロンBA2, XEなど)。
3)ワクチンが効かなくなる変異が起こらないか?
変異はコロナをまるで変幻自在の妖術者のように仕立てており、いつかワクチンも効かないウイルスが出現するかもしれませんね。
しかし専門家の意見(大阪大学免疫学、宮坂昌之先生)ではコロナウィルスにワクチンや抗体が効かなくなるような変異は起こらないだろう、ということですので、安心してください。
4)中国の厳しい「ゼロコロナ政策」でもなぜ感染が防げない?
それはウイルスが他に感染しやすい潜伏期間とPCRが陽性になる時期にずれ(遅れ)があるからです。すなわち1回のPCR検査では陽性かどうかわからないことも多いのです。PCRは繰り返せばウイルスの存在を99.9%知ると言われています。しかしそれでも100%ではないので、上海のような大きな人口の都市では検査の漏れが生じ、ロックダウンしてもオミクロンなどの感染力が強い場合は偽陰性となった人から食料配給や監視役などの業務を介して感染を広げてしまうのでしょう。
5)それでは今後世界はどうなる?
免疫学では「感染力の強いウイルスほど自滅するのも早い」と言われています。現在のオミクロン変異株は感染がどんどん早まっていますので、いずれウイルスの自滅も早まるでしょう。それまでワクチンを定期的に打ち、重症化を防いでいれば、いずれこの疫病は感染しても無症状か、罹っても軽くなり、インフルエンザ程度の疾患になってゆくでしょう。またワクチンを打たない若者でも繰り返し感染して自己免疫を獲得( I 型インターフェロンが作られる)してゆくでしょう(ただしその過程で後遺症を残すこともあります)。現に欧米ではそうなりつつあり、予防マスクもしないようですので、日本も今後は国境での規制が次第に緩和されると思います。
 ただし問題はワクチンのできない途上国で、そこから新しい変異株が輸入されることが問題です。結果として世界中ではCOVID-19ウイルスはなかなか完全には消滅しないため、急にワクチンをやめることにはならないことでしょう。ですからワクチンは一時的と考えず、今後は国産ワクチンの増産に力を入れるべきでしょう。個人カードの入力項目に基礎疾患やワクチン接種の項目を加えることも必要でしょう。またコロナ以前は健康保険制度の維持のために病院を潰すことばかり考えていた政府は、非常時の医療体制がいかに重要で早急には感染ベッドを増強できないことが身に染みたことでしょう。
6)コロナの長期流行が影響していること:
教育と文化:まず第一に影響を受けたのは学生の生活でしょう。友人ができにくかった、授業が十分でなかった、留学のチャンスを奪われたことなどは若者の将来にわたってその生き方に陰を落とすでしょう。また古き良き日本の伝統文化、祭、花火、舞踊、音楽などは今後保護しないと衰退の一歩を辿りますので、皆で支える必要があります。
働き方改革:いろいろな職種でリモートワークが進んでいます。最近の学会もハイブリッドといって現地参加だけでなく、学会発表を自宅のパソコンで見て質問もできる、という時代になりました。これによって自由な時間が増えたため、自宅の環境を見直すようになりました。帰宅途中で飲めないので自宅で飲む習慣がついたこと、アウトドアの指向など、コロナは今までの日本人の生活習慣を変えていますので、これらはコロナによる良い面の影響と言えるでしょう。

近場で春を感じてきました  (小学校クラスメート  市橋由美子)

 

元気にちかばの散歩 先日は板橋さんと目黒自然教育園に行ってきました。さくらはるの野草がきれいでした。かたくりの花と一輪草です。  これから近場てはあざみ  銀欄  金蘭が咲きだします。

(編集子)小生は満州から引き揚げの翌年昭和22年に大田区立赤松小学校に入学した。当時は戦後の教育制度も混乱していて、先生方も今では想像できないご苦労があったはずだが、小生の入ったクラス担任五十嵐智先生の情熱的指導によって今日の僕らがあると思っていて、人数も会う機会も減りはしたが依然、長い付き合いをさせてもらっている。市橋君は旧姓小林、通称コバユミ、長身で我が2組の、今風に言えばマドンナ的存在だった。五十嵐先生は九十歳後半だがまだ矍鑠としておられる(先生と小生がアメリカからお送りしたグレープフルーツの奇蹟については2年ほど前、本稿でご報告した。今先生はいつ花が咲くか、と心待ちにしておられるということである。

スイスー銃所有率が極めて高いのになぜ乱射事件が起きないのか (HPOB 菅井康二)

平均的な日本人が考えているよりも21世紀の世界はかなり物騒であり野蛮な輩(政治指導者etc.)も存在していることが鮮明になった。我が国の周囲を見回してみても問題を解決するための「話し合い」が通用するとは思えない国々が存在しているということを認識する必要もある。日本列島は天然資源には乏しく魅力ある耕作地の面積が小さいとはいえユーラシア大陸東端に位置する諸国にとっては太平洋への出口の要害の地になっているということも事実である(地図の南北を逆さまにすれば良く解る)。4年も前のスイスに関する記事ではあるが敢えてここに紹介する。現在は徴兵制はともかくとして大人になる前の義務教育において国防意識に関する教育と基本的な銃器の取り扱いの訓練を組み込む必要性の有無を議論するべき時ではないだろうか。下記をご一読いただければ幸甚。