エーガ愛好会 (156) 山猫   (44 安田耕太郎)

舞台はシチリア島、時代はガリバルディによるイタリア統一を目指し歴史が回天する1860年代。革命軍は貴族支配の終焉を目指す中、没落を宿命づけられた山猫の紋章を持つ300年の栄華を誇った名門貴族サリーナ家の公爵(バート・ランカスター演じる)が、時代の変化に翻弄される姿が描かれる。同時代のアメリカ南北戦争時代の南部の奴隷制に基づく白人貴族社会の凋落を描いた「風と共に去りぬ」1939年を彷彿とさせた。両映画は、バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ vs  ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、オリヴィア・デ・ハヴィランド、レスリー・ハワードの豪華な出演俳優の顔ぶれ、壮大なスケールの映像美、時代背景と没落してゆく貴族階級の人々の生き様など、多くの共通点があると感じた。

監督はミラノの貴族階級の末裔ルキーノ・ヴィスコンティ。1936年にココ・シャネルの紹介で知り合った巨匠ジャン・ルノワール(画家ルノアールの次男、先日「大いなる幻影」を観た)の監督作を手伝うようになり、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(‘42)で監督デビュー。第二次世界大戦中は共産党に入党、「赤い貴族」と呼ばれた。戦後はイタリア・ネオリアリズムの旗手として「夏の嵐」(’54)、「若者のすべて」(’60)などを手掛け、本映画「山猫」ではカンヌ国際映画祭パルムドール受賞。後期は先日放映された「ベニスに死す」(’71)、「ルードウィヒ 神々の黄昏」(’72)など独特の美学に基づく名作を残した。

シチリアの乾いた風景と色彩が潤いのある国土に住む日本人には新鮮で強烈な印象を与えてくれる。やはりシチリアを舞台にした映画「ゴッドファーザー」「ニューシネマ・パラダイス」「マレーナ」などと空気感が当たり前ながら大変似通っていた。原色の鮮やかな映像タッチは絵画を見ているかのようだ。額縁に入れて飾りたくなるような瞬間を捉えた場面はそれ自体ヴィスコンティの美意識が反映させているとさえ思った。自身、イタリア貴族の血統を引くヴィスコンティ監督が唯一自身を語った作品とも云われた。1860年代と云えば、日本でも幕末の動乱期。ドイツは鉄血宰相ビスマルクが首相となり(1862年)、軍国化を押し進めた激動の時代。フランスはナポレオンの甥ナポレオン3世の第二帝政の治世でパリ・コミューンの共和政へ向けて動乱の時代。世界各地で同時代を特徴付けた大きな政治・社会変革のうねりを伴う歴史を俯瞰する楽しみがある映画だった。

シチリア島の名門貴族の当主(バート・ランカスター)は、永年仕えてきたブルボン家がガリバルディ革命軍の世に名高い赤シャツ隊に排除されるのを目の当たりにする。当主の甥(アラン・ドロン)は反対勢力の赤シャツ隊に合流し、新興勢力のブルジョアである市長の娘(クラウディア・カルディナーレ)と婚約してしまう。彼女が初めて登場する晩餐のシーンで、彼女はアラン・ドロンの冗談に大笑いする。周りの貴族の人々は大変白ける。しかし、貴族の出ではない彼女はへっちゃらで、大笑い続ける。このシーンは、それまでの社会や習慣がそれまで通りでなく、変化せざる得ないことをヴィスコンティは暗示している。映画の1/4を占めんばかりの舞踏会のシーンにもヴィスコンティの言いたいことが暗示されているようだ。大舞踏会は長く盛大であればあるほど、次第に人が減って行き終わりに近づくにつれて寂しさが一層募る。元気に踊る若者達に対して、一人、孤独や老いを噛みしめる主人公の深い想いが、観る者の胸に迫ってくる。ヴィスコンティは舞踏会の場面を通して、動と静、盛と寂、昇と降、多と独、を対比させることで、没落してゆくシチリア貴族の現実を描き、時代の変化、社会の変化に翻弄された貴族の物語は、永遠に続くものはない、人間も老いや死からは逃れられない、のだと観る者に語りかけてくる。

革命が成功してガリバルディ軍も解散し、新しい国王の政権が始まり、ランカスターは新しい政府の貴族院議員に推挙されるが、古いしがらみの中でしか生きられないと固辞する。悲惨なシチリアの現状を改善しなくて良いのかと更に懇願されるが、「シチリアは変化を望まない、眠りにつきたいだけだ」と断り、代わりに甥を推薦する。彼の屋敷で大規模な舞踏会が催された。大盛会の舞踏会が終わった明け方、彼は家族を馬車で帰らせ、一人街を歩きながらつぶやく、「いつになれば永遠の世界で会えるのか」と語り掛け、路地に消えて映画は終わる。

この映画の大舞踏会ほどの豪華絢爛で長時間にわたる舞踏会を他の映画では見たことがない。撮影場所はパレルモに実在の貴族の館「パラッツォ・ガンジー」。この館は先日、イタリアの貴族の館の一つとしてテレビ番組で紹介されていた。電球を一切使わず撮影の明かりは全てローソクに頼ったということで、室内の暑さは殺人的だったとのこと。出演者が大汗をかき、扇子で風を送るシーンが多く見られたが、実際とても暑かったそうだ。最後に出演俳優について。デボラ・カーとの波打ち際のラブ・シーンが忘れがたい「地上より永遠に」、ワイアット・アープを演じたOK牧場の決斗」、アカデミー主演男優賞を獲得したエルマー・ガントリー」、いぶし銀の演技が光った「フィールド・オブ・ドリームス」などで貫禄の演技を魅せたバート・ランカスターは、現在の我々からかけ離れた現実感がない没落する貴族役を見事に演じたのは流石だった。ヴィスコンティ監督作品では「若者のすべて」に続いての出演だった容姿も立ち振る舞いも美しい若きアラン・ドロンは映画のテーマの一つ、激動の世に於ける若者の生き様を繊細に演じた。「刑事」「ブーベの恋人」が印象的だった、映画の題名「山猫」のような野性的な容姿の魅力的なクラウディア・カルディナーレも若者のすべて」に続いてのヴィスコンティ作品の出演。いかにもイタリア南部シチリア島の物語に相応しい雰囲気を醸し出す女優であった。舞踏会でのアラン・ドロン、バート・ランカスターとのダンスシーンは圧巻であった。


マカロニウエスタンで活躍したジュリアーノ・ジェンマ(右端)もガリバルディ革命軍・赤シャツ隊将軍役で出演。左端はアラン・ドロン。

(保屋野)ガリバルディーの活躍で、悲願のイタリア統一がなされた直後のシチリア貴族と甥っ子そして婚約者の物語なのですが、当初、中々筋立てがよく分らず期待外れ?、と思いながら観ていましたが、次第に人物像や時代背景が理解出来て、最後の舞踏会場面も素晴らしく、特に、ランカスターとカルディナーレがワルツを踊るシーンは圧巻でした。俳優陣では、ドロンとカルディナーレも魅力的でしたが、やはり何といっても、初老の(時代に抗う)公爵役を見事に演じきったランカスターの存在感に圧倒されました。ただ、歴史を背景とした大作としては、私には、昨年観た「ドクトル・ジバゴ」の方が面白かったですが・・・・