エーガ愛好会 (146) 懐かしの名画   (普通部OB 船津於菟彦)

小学生の頃から「科学少年」で子供の科学とか「科学朝日」を毎月取って眺めていました!鉄道模型も作り当時万世橋にあった「交通博物館」の工作室には日曜日というと弁当持参で籠もってて居ました。電動ドリルとか色々な工具が無料で貸してくれました。

先日BSTVで「地球の静止する日」をやって居ましたので何気なく観たら懐かしさが戻ってきました。
1952年3月に日本公開という事はその昔見ているのだと思います。1950年代はSF映画ブームとなったが、「空想科学映画」は子供向けのお伽話であり、異星人は敵対するモンスターとして描かれ、スペクタクルが優先されるジャンルの映画と思われていた。その風潮の中で、ストーリーを重視して高い知性と友好的な異星人像を提示し、人類と異星人のファースト・コンタクトとそれに対する人類の動向をシミュレーション風に展開させた、本格SF映画の先駆的な作品。
異星人「クラトゥ」とロボット「ゴ-ト」。UFOやロボットのゴートのデザインが、シンプルながら精錬されていて美しかった。
異星人が、30分だけ電気などをストップし、人類に警告するなど、静かながらメッセージ性の強い展開。
当時、冷戦時代で地球で核攻撃などされると宇宙は迷惑だと警告にやって来たという想定は、今のウクライナ侵攻のロシアへの警告のようにも見える。
この映画と同じ様な「空気の無くなる日」(1949年製作の映画)映画は、文部省選定作品となる。映画は、1950年に発足した映画配給会社「共同映画」の配給網にのり、学校や公民館での移動巡回映画会などで上映されたとあるので多分小学校の巡回映画で講堂で観た記憶が甦った。
ハレーすい星が接近して来て、その引力で地球の空気が吸い取られてしまう。小学校の用務員のおじさんが、息を切らして職員室に駆け込んできた。
そんなバカげた話と相手にもしなかった校長が役場に出かけ、折り返し息を切らして帰って来た。空気がなくなる。
新聞にも記事が出る。(だが村人に新聞購読者はいない)
空気がなくなるのは5分間らしい。そのあと、空気はまた地上に満ちてくる。
校庭に生徒を集め、さっそく始めた訓練は、洗面器や水槽に水をはって顔をつけ、できるだけ息を止める訓練だ。気分が悪くなる子も出てくる。5分間も息を止めるのは、やはり不可能であった。
空気がなくなることを子たちが親に話し、村中は徐々に大騒ぎになって行く。が、対処しようがない。その日は刻々と迫る。
だが庄屋のあるじは、ある行動に出た。それは、もと小作であった男からの入れ知恵であった。自転車やバイクのタイヤチューブ内の空気を吸えば、5分間は凌げる。あるじは自転車屋のチューブをすべて買い占め、さっそく家族を集めチューブの口をくわえて呼吸の訓練を始めた。
そして、その日が来た。集まって南無妙法蓮華経を唱える人々。盛装し静かに時を迎える人々。柱時計を見上げる人々、そしてタイヤのチューブをくわえている人々。

さて、このあと、どうなりますやら。結局何事もなく過ぎ去って行き、晴れ渡った青空を子供たちがいつものように駆けている・・・というシーンで終わった。
何となくわくわくしてみたことが甦ってきて、今回の「地球の静止する日」を再見してSF映画も面白いなぁと!しかし、今から観ると皆時代がかったエーガですね!

サル痘、12カ国で92人確認 今後も増加へ (普通部OB 田村耕一郎)

友人から入手した情報です。ご参考まで。

世界保健機関(WHO)は21日、欧州などで感染者が増えている「サル痘」について、感染例が多く確認されてきた国や地域以外でも監視体制を強化するに伴い、今後感染者数が増加するとの見方を示した。サル痘に感染したサルの皮膚組織を50倍に拡大したもの(CDC/Handout via REUTERS)

[ロンドン 21日 ロイター] – 世界保健機関(WHO)は21日、欧州などで感染者が増えている「サル痘」について、感染例が多く確認されてきた国や地域以外でも監視体制を強化するに伴い、今後感染者数が増加するとの見方を示した。

サル痘は西アフリカや中央アフリカの一部で発生してきたが、WHOによると、12日時点でこうした地域以外の12カ国で92人の感染が確認された。

WHOは「これまでの情報から、症状のある人との濃厚接触でヒトからヒトへの感染が起きていることが示されている」と指摘。感染拡大の抑制に向けた指針を数日中に示すとした。サル痘は通常、症状は重くなく、濃厚接触で広がるため隔離や衛生管理によって比較的拡大を抑制しやすいとされる。

エーガ愛好会(145) 異色西部劇ふたつ   (34 小泉幾多郎)

色々な意味で典型的な西部劇から見て異色と言える2作品についての感想。

アパルーサの決闘

西部劇が殆んど作られなくなった2008年作だが、どうも日本での公開はなかったようで初めて観た。あの禿っぷりが大人の魅力といわれるエド・ハリスが監督した2作目で制作、脚本も主演もしている。原作はハードボイルド作家ロバート・B・パーカーの同名の小説。そのほかの俳優陣が凄いメンバーなのには驚かされた。エド・ハリス(ヴァージル・コール)の相棒が、ヴィゴ・モーテンセン(エヴェレット・ヒッチ)、ハリスの愛人にレネー・ゼルウイガー(アリー・フレンチ)、悪役にジェレミー・アイアンズ(ランダル・ブラッグ)等そうそうたるメンバー。この全員がアカデミー賞かノミネートはされている名優揃いだ。

概略内容を追うと、ニューメキシコの町アパルーサは、悪役ジェレミーに牛耳ら
れ、冒頭から保安官とその助手3人が殺され、町の有力者は凄腕のガンマンのハリスとその相棒モーテンセンを新保安官に任命し、ならず者たちと対抗することになる。数日後美しい未亡人レネーが町へやって来たことから、ハリスが惚れてしまうことに。このレネー酒場でピアノを弾くことで生計を立てるが、1曲目フォスターの草競馬、2曲目ハノン練習曲、この程度で給料貰える?女一人生きるためには強い男を選ぶという節操のなさそうな雰囲気。物語は紆余曲折の末、悪役アイアンズが恩赦により、死刑から無罪となってしまったことから、相棒モーテンセンが決闘によりアイアンズを倒し、町を去り、ハリスがレネーと結ばれ、この街で保安官としての役目を負うことになる。

夕日に向かって西へ行くモーテンセンのセリフ「これでやり直せるだろう、少なくとも暫らくのうちは。でも先のことは判らない。それは俺にも言えることだが。」開拓時代が終わり、ガンマンが腕を振るう時代が終わろうとしている雰囲気が伝わって来る。

制作2008年,西部劇の伝統を無心に謳い上げた時代は終わったはずなのに、砂塵の町、用心棒、無法者の群、妖しの美女、鉄路での戦い、荒野の追跡、インディアンの襲撃、ガンファイト、1対1の決闘と西部劇の要素全てが入っている。ピストルの音が何故か迫力がなかったのを別として。全般的に、撮影、美術、衣裳等丁寧に作られていた。黒ずくめのガンマンファッションのハリスは恰好いい。モーテンセンはいつも大口径のショットガンを担った姿は様になっている。アイアンズの悪役も無表情ずるそうな憎々しさ。特にハリスとモーテンセン二人の熱い友情が柱となり、無骨でピンチに自信喪失になったり、レニーとの関係で悩むハリスをモーテンセンが必死にフォローして頑張るといった男臭い相棒コンビが主軸となり、ほのぼのとした雰囲気が漂う。こうなると主役が逆転してしまい、最後のセリフとなるのだった。

牛泥棒

正義対悪という典型的な図式の西部劇ではなく、正義とは何かを問いかける作品。1885年ネバダ州のある町で牛泥棒により、牧場主が殺され、牛が盗まれる事件があり、自警団を中心に犯人を見付け、リンチにするが、犯人は別人であることが分かる。人が人を裁くことの恐ろしさと集団心理の恐ろしさは、昨今のSNSにおける私刑的な誹謗中傷に通ずる。リンチは集団の持つ恐ろしさ、考えをを過信した人間が集まると集団内で揺るぎない正義が確立される。正義を確信しているときの人間程残酷なものはない。戦争する上で正義は絶対不可欠のもので、国民が納得できる正義がなかったら戦意も国民の団結も生まれない戦時中にこの映画が作られたところにその価値が見出せると思う。

ヘンリー・フォンダ(ドナルド・マーティン)と連れのハリー・モーガン(アード・クロフト)がその町にやって来るところから始まり、二人は街に自警団と一緒に牛泥棒を追う羽目になる。捕まった3人は、若きダナ・アンドリュース(ドナルド・マーティン)、アンソニー・クイン(ファン)とジョン・フォードの兄フランシス・フォード(アルヴァ)の三人。外観は三人共、フォードは、おどおどして要領を得ない老人、クインは露骨に怪しい前科者でメキシカン、アンドリュースは理知的に反論するが何か怪しい。アンドリュースの弁論も通じず、三人は吊るされてしまう。吊るされる前にアンドリュースが妻に書いた手紙が最後、フォンダによって読まれるが、処刑する者への非難はなく、人間の良心の尊さが記されていて、このことが監督の言いたいことだったのか。

最後に感じたこと。冒頭と最後、フォンダと連れのモーガンが町へやって来るところと去るところ、同じ道を同じように犬が横断する。何を意味するのか。フォンダの若き恰好良さはあるものの活躍の場が殆んどなく、三人の処刑に反対する7人の中には入るが、強烈な対応策がない。過去付き合いのあった女性メアリー・ベス・フューズ(ローズ)と対面するも、何ら進展なし。要はフォンダの活躍の場が少ない。原題名オックスボウ事件だが、三人を捕えた場所で、此処は何処?に対しオックスボウと答える場面があり、場所の名称であることが分かるが、ox-bowには牛のU字型のくびきという意味があり、牛や馬の頭の後ろに付けられた横木、転じて自由を束縛するものという意味にも使われるので、地名だけの題名ではないと思われる。1943年アカデミー賞にノミネートされたが、「カサブランカ」が受賞。どういう訳か、日本未公開、当時アメリカとして、逆に多数決の横暴が恥と感じたのかも知れない。

(保屋野)私刑(リンチ)をテーマにした、ユニークな西部劇ですね。
感想は、小泉さんと全く同じで、ヘンリー・フォンダの出番が全くなく、主役のいないエーガでした。そして、あのヒロイン?登場の意味は一体何だったのでしょう。
ただ、当時、このような冤罪による「リンチ」は多かったのでしょうね。悪しき歴史の1ページを描いた「エーガ」でした。

(小川)1943年作品、小泉兄の名解説でロシアの侵攻、SNSの現代等久し振りにいろいろと考えさせられた。古い映画ののほうが小生には向いている。小泉兄、教えて下さい。“冒頭と最後、フォンダと連れのモーガンが町へやって来るところと去るところ、同じ道を同じように犬が横断する。何を意味するのか。

(小泉)言われる通り、冒頭と最後に犬が横断する場面は、小生も気が付いてはおりましたが、その意味合いとするところが判らずに触れるのはやめたのでした。正直のところ、その意味するところを教えてもらいたいのです。私刑と
いう集団ヒステリーに対し警鐘を鳴らしているが、冒頭二人が町に入って来る際、進行方向の右から左に犬が道を横切る。最後は横切った方向から元の方向へ戻る形で二人の去る方向に対して右から左へと横切る。犬は結局元に戻るということは、変わりはないということか。多数決たる集団ヒステリーに警鐘をならすも簡単にはなくならないことを監督は言いたいのだろうか?

 

われらが日吉の日々―”日平会” 開催

昭和29年(1954年)に慶應義塾普通部を卒業した仲間は卒業後も各クラスごとの集まりをそれぞれにやってきたが、卒業50周年に日吉の普通部校舎で同期会を開催、その後節目ごとに会合を重ねてきた。この同期のうち、B組にいた日高健郎の行きつけの店だった日平亭の常連が不定期だが同店で会合を持ち続けてきたが、その後は東京三田俱楽部で集まるようになっていた。コロナ騒動でしばらく会う機会もなかったが、久しぶりに集結した。発足以来、残念だがメンバーの中にも鬼籍に入ったものもあり、終息近いとはいえコロナの恐れもあり、今回は11名の参加にとどまった。発足のきっかけになった日平亭とは関係なく、昔懐かしい連中が残り少ない時間を共有するためにこの会を拡大しようという機運もある。参加希望の方のご連絡をお待ちする。

今回の参加者は岡野、船津、高山、飯泉、田中(ゴンべ)、岩瀬、田村(耕一郎)、河野、日高、佐藤(光男)、中司。

 

ウクライナ紛争と ”歴史の終わり” 

昨日、読売新聞の ”地球を読む“ にフランシス・フクヤマが書いている一文に興味を覚えた。フクヤマはかつて ”歴史の終わり“ という本を書いた。ウイキペディアはこの本について次のように解説している。

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「歴史の終わり」とは、国際社会において民主主義自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説である。民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するほどの戦争クーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。そのため、この状況を「歴史の終わり」と呼ぶ。

フクヤマは、ソビエト連邦の崩壊を以って「歴史は終わった」と主張した。しかし、これは、ソビエト連邦が崩壊し直ちに世界中が民主化され、世界中から戦争やテロが廃絶されるという意味の、楽天的な世界平和論や政治安定論ではない。ソビエト連邦の崩壊によって、「最良の政治体制は何か」「全人類に普遍的な政治体制は何か」「恒久的な政治体制は存在するのか」という社会科学的論争やイデオロギー論争に最終的な決着がついたことを意味している。        ************************************

今回の投稿は、現在かまびすしくなった、”世界の民主主義のレベルは低下していて、特に米国とインドでそれが顕著だ“ という指摘にこたえた形になっている。フクヤマは民主主義国はコロナウイルス対策に失敗したことで国家統治の最も基本的責務を果たせなかったが、ロシアや中国などの権威主義国家は民主主義国のような逡巡や議論の対立とは無縁に迅速な意思決定を実行して成果を上げているのがその論拠だ、と認めるが、その風向きは最近起きた ”権威主義大国による二つの破滅的意思決定によって明らかに変わった、と主張する。

その二つとはロシアのウクライナ侵攻と、中国におけるゼロコロナという無意味な政策である、というのだ。フクヤマはこの二つの破滅的な選択は、現時点で我々の多くが考えるような、単に情報の乏しさや指導者の無能によるものではない、と指摘する。その根底にあるのが、両国で起きた、頂点に立つ人物に際限のない権威を与えたことにある。米国で言えばトランプ、フランスではルペン、など多くのポピュリスト政治家はこのプーチンの行動に同調する部分が多くあって、それがおのおのの国における国民の分断を生じさせてきた。したがって、ロシアがウクライナで成功するかどうかは、地球全体の民主主義の在り方に影響を及ぼすだろう、と結んでいる。

現在米国では中間選挙の行方にいろいろな論議が盛んなようだ。もしこの選挙で民主党が衰退し、次回の選挙でトランプが復活する、という事態が起きたら、米国国民の分断には拍車がかかるだろう。民主党共和党間の争点は、いままでのような政策論議の範囲を超えて、国民の分断、ひいては民主主義を体現した大国アメリカの変貌につながるのではないだろうか。暴徒化した大衆による議事堂占拠などという、およそアメリカで起きるなどとは思ってもみなかった現実を思い出してみよう。もともと自己主張の強い国柄に人種問題がからんだ、週刊誌的表現を使えば “病めるアメリカ” の未来まで、今続くウクライナ戦争とかゼロコロナ強制はかかわってくるのだろうか。人道的、といえば大げさだが、戦火の苦しみを知る日本人の間ではともすればロシア軍による蛮行といった情緒的な面に同情しがちだが、地理的文化的距離から、我々に直接影響をもたらすという危機感は多少薄れがちだ。しかしフクヤマのこの指摘は、現在アメリカをむしばんでいる国民の分断、という事実を介してみると決して他人事ではない、という警鐘のように思えてならない。

エーガ愛好会 (144) 私は告白する  (普通部OB 舩津於菟彦)

(船津)ヒッチコックはさすが見せ方が巧み。時間も正味1時間40分ほどなので緊張感が最後まで持続して見ていられる。ヒッチコック光と影のこけおどしは控えて、黒の聖職者の「キャソック姿」が印象的に使われている。ヒッチコックが1951年に「見知らぬ乗客」1953年に私は告白する」1954年に「ダイヤルMを廻せ」1954年「裏窓」1955年「成金泥棒」1955年「ハリーの災難」1955年「知りすぎた男」1956年「間違えられた男」そして「めまい」等ヒット作を連発した時代の作品で一番と言えるのではでは。それは何と言っても「神父は告白を人に漏らすことはできないのだ!」モンゴメリークリフトがあまりにも美しい。彼はずっとキャソック姿なのだけどこれまた身長高いし美しい。
モンゴメリークリフトは1951年「陽の当たる場所1953年「私は告白する」1953年「終着駅」「地上より永遠に」など油に乗りきったときの映画で何とも適役で在り、彼が居たからこそこの映画が作られたという感じがした。
モンティは子役として13歳でブロードウェイで初舞台を踏み、以後10年間は舞台で経験を積み、多くの作品で主演を務めて高い評価を得た。ハリウッドからの誘いを断り続けていた彼だが、1948年、ジョン・ウェイン主演の『赤い河』で映画デビュー。同年の『山河遥かなり』でナチスによって母親と離ればなれにされた事によって、恐怖のあまり人間不信に陥り失語症となった少年を保護した心優しい米兵を演じアカデミー賞にノミネート。その後『陽のあたる場所』、『地上より永遠に』でもノミネートされ、二枚目俳優として活躍する。

映画スタジオとの長期契約を結ばず、大作や話題作への出演も断ることが多かった。『波止場』、『エデンの東』、『サンセット大通り』、『真昼の決闘』などは彼が断った作品の一部である。
1950年頃からアレルギーと大腸炎に悩まされるようになり、その結果、アルコールとドラッグの問題を抱えるようになる。更に1956年に交通事故に遭い顔面を負傷、整形手術をするも顔の筋肉の一部が動かなくなってしまい、以後更に健康上の問題を抱えるようになる。1959年にはテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化『去年の夏 突然に』、1961年にはマリリン・モンロー、クラーク・ゲーブル主演の『荒馬と女』に出演。1961年の『ニュールンベルグ裁判』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされ、その後の活躍も期待されたが、1966年に心臓発作で死去した。

あらすじはカナダ・ケベック市の敬虔な神父マイケル・ローガンは、ある夜、教会で働くオットー・ケラーから強盗殺人を犯したとの告解を聞く。事件を担当するラルー警視は犯行時に犯人が僧衣をまとっていたことを突き止め、マイケルに疑いがかかる。だが、マイケルはケラーの告白を他言することができない。そのうえ、犯行のあった夜にマイケルが国会議員の妻ルースと逢っていたことがわかり、警察からの容疑が深まってしまう。

ルースはマイケルの無実を証明するために良人、検事、警視、マイケルらの前で、マイケルが聖職を志す以前の過去の恋を打ちあける。そして、事件の被害者であるヴィレット弁護士が、この過去の恋を材料にして2人を脅喝し続けていた事実も判明する。ヴィレット弁護士が殺害された晩は、その対策を相談するために逢っていたのである。
マイケルは起訴されたが、確証がないため無罪の判決を受けた。だが民衆は承知せず、マイケルに罵声をあびせかけた。事件の真実を知るケラーの妻が真相を話そうとしたが、ケラーに拳銃で撃たれ殺されてしまう。ケラーはホテルへ逃げ込み、ラルー警視はマイケルらとともにケラーを追った。マイケルはケラーを説得しようとしたが、逆上したケラーは自らの罪をラルー警視の前で暴露し、マイケルに拳銃を撃ってきた。ケラーはラルー警視の命令によって包囲する警官の銃弾に倒れた。告解という言葉ではなく告白とするなら、したのはケラー、ルース、ケラー夫人。ローガンができるのはそれらを評価せず受け入れることのみ。ルースが最後までその場に留まらず、晴々とした顔で夫とともに帰っていくところがちょっとおもしろかった。彼女はあそこで、彼はもう本当に神父そのものであるとわかって未練が断ち切れたのかも。

マイケル・ローガン演- モンゴメリー・クリフト ケベック市のカトリック神父。 ルース・グランドフォート- アン・バクスター国会議員の妻。今も元恋人のローガンを愛している。アン・バクスターもなかなかの好演で告白は泣かせる。

(保屋野)

ヒチコックの「私は告白する」初めて観ました。彼の多くの作品の中で、上位に入る作品だと思います。

「モンゴメリー・クリフト」演ずる神父が、殺人犯から告白を受けるが、次第に神父自身が容疑者となっていく展開も斬新で、サスペンス感も中々でした。ただ、被告になった神父が裁判で無罪となり、更に真犯人(告白者)が分り、あっけなく死んでしまう、という結末は少々単純すぎるのではないか?

そして何といっても、この映画はM・クリフトの存在ですね。私は「赤い河」ですっかりファンになって、彼の映画はまだ2本目ですが、あの「憂いに満ちた風貌」は、他に追随を許さない、不思議な魅力を持った俳優ですね。また、今回の相手役、「アン・バクスター」も、建築家「ライト」の孫だそうですが、少々地味ながら、魅力的な女優だと思います。

三頭山新緑      (44 安田耕太郎)

19〜20日、三頭山1531mに登って来た。麓に泊まり周辺を散策。山頂は東京駅から直線で68キロ、八王子駅から31キロの距離に位置している。
標高900余mの檜原村都民の森まで車で行けるので、都内に位置する1500m峰に登るのには大変便利で気軽。好天にも恵まれ、新緑真っ盛りの絶好のハイキング日和。ゆっくり4時間ほど歩く。皇室も泊まったことのある築60年の風情ある三頭山荘も良し。
(金藤)

ドライブで奥多摩へ行くと大きな看板が目に入ります。
「三頭山荘」みとう山荘? さんとう山荘? みがしら山荘?
通るたびに “何と読むのでしたか?“   迷ってしまいます。
みとう山荘でしたね。
「三頭山荘」に宿泊した事はありませんが、昔々、会社の園芸部の日帰り旅行で盆栽・シクラメン等の生産者 園芸店を訪問した後、安田さんの写真の山菜の小皿料理を戴きに寄りました。 小皿の並べ方は変わっていないようです。
(安田)三頭山(みとうさん)は文字通り3つのピークを持つ山です。それぞれ東峰、中央峰、西峰と呼ばれます。三頭山荘の自家製山菜料理は小皿の盛り付けも昔から変わっていないのですね。フキノトウ、ぜんまい、ワラビ、タラの芽、ウド、こごみ、フキ、しその実、手作りこんにゃく、しめじ、などなど、堪らなく良かったです。僕の好きな山菜の女王といわれる「こしあぶら」はなかったです。ヤッコさんも泊まった三国山荘に春に行き、周辺で山菜を採取して、天麩羅にして舌鼓を打つのが最高の贅沢でした。女王「こしあぶら」の写真です。

錦秋の紅葉を愛でに、三頭山・広徳寺ともども再訪したくなりました。広徳寺の静寂感は味わえないでしょうが。

”海底ケーブル” 今昔物語       (普通部OB 船津於菟彦)

海外との電話やメールはもちろん、インターネット、SNSのやり取りも、今では気軽に行えるようになった。国際通信は飛躍的に便利になったが、その裏には先人たちの挑戦の歴史があった。日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年は150年目の節目となった。国際通信を可能にするには海底ケーブルによる電気通信ネットワークが大西洋や 太平洋といった大洋を越えなくてはならない。1850 年にはすでにドーバー海峡の海底にケ ーブルが敷設され、北米大陸とヨーロッパをつなぐ大西洋ケーブルは 1858 年から 1866 年にかけて結ばれている。

それに対して、アメリカとアジアを結ぶ太平洋ケーブルが結ばれたのは、1902 年になる。1871 年に長崎と上海の間に引かれた日本最初の海底ケーブルを引いたのはデ ンマークの大北電信株式会社(Great Northern Telegraph Company)。さまざまな外交上の不平等条約と同じく、この海底ケーブルについても日本 にとって不利な契約が交わされ、大北電信は日本の国際通信を独占し、1913 年に独占権は 撤廃されたものの、大北電信が関わらない日中間通信でも日本の収入の 64.6%を大北電信 に支払うという不均等分収が第二次世界大戦後まで続いた。

通信用の衛星として最初に実用化されたのは、1962 年 7 月にアメリカが打ち上げたテ ルスターである。さらに、1962 年 12 月 13 日には、リレー1 号衛星も打ち上げられた。こ のリレー1 号は 1963 年 11 月 23 日にジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領の 暗殺事件を日本のテレビ視聴者に伝えた。それは初の日米間テレビ伝送実験中のことであ った。通信衛星リレー1号による日米衛星実験が始まる。太平洋をまたいでアメリカから中継された第1回の実験放送は、ケネディ大統領暗殺という衝撃なニュースだった。

ただこれは現在の静止衛星の衛星放送とは違い、地球を周回する通信衛星で僅かの時間しか日本上空には居ない代物だったが、その後も衛星による映像伝送が暫く続いた。36千㌔上空にある衛星なのでどうしても往復の時間が掛かり時間のずれが生じる一方、国際通信はきわめて割高で、庶民が気軽に使えるものではなか った。業務においても節約しながら使うもので国際電話など商社と言えどもよっぽどのことが無い限り使用できず、テレックスというアナログ通信による伝送通信に頼っていた。大容量の光海底ケーブルが引かれたことで、やがて衛星通信と海底ケーブルの関係が逆転することになる。

通信の自由化と共に日本電電公社(NTT)と国際電信電話株式会社(KDD)に対して民間の通信会社が設立された。小生が設立とそれ以降の営業担当役員として出向させられた日本国際通信株式会社(ITJ)が1986年7月21日 – 大手商社各社や松下電器産業など出資で設立。1989年10月 – 識別番号「0041」で国際電話サービスを開始。 1997年10月1日 – 日本テレコムに吸収され、会社は解散。もう一つ伊藤忠などで国際デジタル通信株式会社(IDC)が 1987年9月に設立された。それまでは日米にアナログ回線しか無く、ツートンの通信と僅かな回線の電話しか出来なかったのだ。

日本ではKDDが1964年(昭和39年)に『TPC-1(第1太平洋横断ケーブル)』を敷設し、初めて太平洋横断といった長距離の国際電話が可能になる。『TPC-1』は当初電話換算で128回線で設計、運用開始後142回線まで拡張された。これは、100人程度が同時に通話でき、更に電信回線が600回線以上設定できるというイメージだった。1975年(昭和50年)に『TPC-2(第2太平洋横断ケーブル)』が登場し、845回線に、そして我が民営化部隊も参加して1989年(平成2年)には、光ファイバを使用した『TPC-3(第3太平洋横断ケーブル)』、1992年(平成5年)に『TPC-4(第4太平洋横断ケーブル)』が登場した。『TPC-3』が7,560回線、『TPC-4』が15,120回線と大幅に容量がアップし、民間会社との競争により電話通信料金は大幅に低下して使い安いモノになってきたわけだ。

1995年(平成8年)、『Microsoft Windows 95』が発売され、インターネットが急激に普及しはじめたこの年に、『TPC-5CN(第5太平洋横断ケーブルネットワーク)』が登場。『TPC-5CN』で画期的だったのは、中継器による光信号の増幅だった。光ファイバといえども、大陸から大陸の数千kmを一気通貫で到達するのは難しい。そこで、光海底ケーブルには数十kmごとに、光信号を増幅させる中継器が設置されている。

1996年に行われたアトランタオリンピックでは、世界で初めて光海底ケーブルを使用したテレビ伝送が行われた。この頃、国際通信の主役は衛星通信から光海底ケーブルに逆転、衛星のパラボラアンテナは無用の長物扱いになり、世は光ケーブル一色の時代となったのだ。
海底ケーブルは日本海溝などの底まで敷設するため、一度切れると、又元の陸揚げ地点から手繰り寄せて、繋ぐという大変な作業になる。敷設もKDDが所有していて特殊な専用船が行ったが、今やGAFA等が巨大ケーブルを敷設して運用開始している。これら巨大IT企業が参画するプロジェクトが年間の世界の海底ケーブルの総延長に占めるの割合を求めたところ、実に5割近くを占めることが判っていいる。日本の国際通信が始まり150年。もはや通信会社のケーブルではなくここでもGAFAが覇権を握る時代に成り、広帯域の高速通信が当たり前の時代になってきたのだ。

(安田)掲題のブログ記事大変興味深く拝読いたしました。知らない事ばかりでした。なかんずく、欧米間のケーブル敷設がそんなに早い時期とは驚きです。人間の発想と技術は思いのほか凄いですね。これから先、何が起きるか想像も出来ません。

 

エーガ愛好会 (143)  星のない男    (34 小泉幾多郎)

題名「星のない男」の意味は、夜道を歩くのに星を頼りに進むべき星を持たない風来坊、延いては、行くべき方向に背を向け、気儘な気質を持ち続ける男という意味か。

名匠キング・ヴィダーが、カーク・ダグラスを主演に据え、西部劇の中に、主人公の過去のトラウマと哀しみを深く掘り下げ、人間の本質を広大な原野に描き出したと言える。ダグラスも過去の個人的な魂の開放をもたらし西部的精神の再生を図る男を好演している。銃の扱い、馬の扱いは一級品だし、陽気な男気でありながらもその裏は暗い過去を持つ男。

冒頭からフランキー・レインが歌う主題歌Who knows who knows man without
star・・・ に乗ってタイトルが流れ終ると蒸気機関車が驀進してくる。駅に停車すると乗ってきたカーク・ダグラスが、失神して轢かれかけた若者ウイリア ム・キャンベルを救い、二人とも女牧場主ジーン・クレインの三角牧場に雇われる。広大な牧草地ではあるが、牛の増大と共に、隣接するライバルの丸C牧場が有刺鉄線を張ることになった。ダグラスにとって、この有刺鉄線こそが過去に殺し合いがあり、そのことで弟を死なしてしまった苦い思い出があり、ある日、仲間の一人が有刺鉄線に傷ついたことから、此処から出る決心をする。しかし三角牧場のカウボーイ頭になった過去因縁のあったやくざのリチャード・ブーンがトラブルの種をまき散らすようになり、しかもダグラスが懇意の酒場女クレア・トレバーに借りた拳銃を返却した後、リンチを受けることになった。このクレア・トレバーの十八番、粋も甘いも噛み分けた演技は巧み。この時ダグラスにバンジョーを投げると弾き語りの熱唱The moon was brighter and brighter 。主役が挿入歌として歌うなんて珍しく異色のこと。ダグラスはライバルの丸C牧場側につき、リチャード・ブーン一派との戦いに進展し復讐することになる。

全般的に放浪者としてのダグラスの心理的描写や若者キャンベルとの友情とか牧場での雰囲気描写や牛の暴走とか西部劇らしき描写に好感を持ったが、ただ一つ牧場の経営者ジーン・クレインの性格だけが、スッキリしないで終わってしまった。女性牧場主という荒くれ男の中で、身体を張って生きている存在をもう少し掘り下げてもらいたかった。しかし67年前の映画ということからすれば、こういう女牧場主を設定したことでも画期的だったのかも知れない。

(飯田)「星のない男」を観終わって、小泉さんの名解説を読み納得しました。

この映画のカーク・ダグラスはガン捌き、ガンベルトの扱い、バンジョーの弾きがかり、馬上の姿など、彼の演技の個性が十分に出た代表作の一つだと改めて思いました。カーク・ダグラスと言えば、古くは「チャンピオン」(1949年)のボクシング試合の迫力ある映像が「ロッキー」シリーズが出るまでは、ボクシング映画のベストだと思っていました。そして、ウイリアム・ワイラー監督の「探偵物語」(1951年)の鬼刑事役と彼の妻(エリノア・パーカー)との愛情の
物語の演技も、あのしゃくれた顎と顎のくぼみで、非常に印象に残った俳優でした。その後もこの映画「星のない男」(1955年)、「炎の人ゴッホ」(1956年)、エーガ愛好会では「荒野の決闘」に比して、評価が低い「OK牧場の決闘」(1957年)、「バイキング」(1957年)、「スパルタカス」(1960年)と
映画のタイトルを聞くと、主役のカーク・ダグラスの個性的な顔が直ぐに浮かぶ役を沢山演じてきました。

彼は俳優として珍しく長寿で103歳で2020年に亡くなっています。アカデミー賞とは縁が薄く、アカデミー名誉賞を受賞していたのですね。

(編集子)小生も飯田兄と同じで、初めて見たダグラスは探偵物語だったと思う。いわゆる歴史スペクタクルものはダグラス主演に限らず一切見たことがないが、西部劇では本作のほか、ロック・ハドソンとの共演作 ガンファイター と飯田君ご指摘の OK牧場の決闘 が代表作だろうか。いずれも小泉さんの御慧眼通り、なにか過去を持つ、表面にあらわれない衝動を画しているような役、つまりジョン・ウエインものなんかには出てこないシチュエーションが設定されていた。特に ガンファイター は日本版のタイトルが全く作品の陰影を覆い隠してしまっていて、一般的にはカツゲキものとみられているようだが、原題の The Last Sunset という含みを現したタイトルにふさわしい、重厚なものだった(もちろん、助演がドロシー・マローンだった、という事も小生の印象に深い理由なののだが)。 OK牧場のほうは確かに飯田兄ののたまう通り、過小評価があるかもしれないが、作品自体が大掛かりなしかけで、同じ史実の脚色の 荒野の決闘 とか 墓石と決闘 なんかにくらべて、言い過ぎかもしれないがけばけばしすぎてその分、損をしているように思える。

もう一つ、小泉解説にある ”星” の意味だ。西部劇でいう ”星” は保安官の星型の記章を意味することが多い。スズで作られた安物のはずだが、この星に正義と真実を見るのか、あるいは現実に多くの保安官がそうだったようだが単なる拳銃使いのはったりだったのか、によって作品の見方も変わってくる。著名な作品で言えばクーパーの 真昼の決闘 はこの星章に誇りと使命感をいた抱いていた男の話だし、もう一つ、あまり評判にはならなかったが、あのアンソニー・パーキンズの 胸に輝く星 は題名からして Tin Star だった。ただ、作品の意図というか主題がこの正義の象徴の星章をどうとらえるか、によって結末は違ってくる。真昼の決闘 でも 誇り高き男 でも主人公が退場するシーンではこのバッジを放り投げていく。OK牧場の主人公ワイアット・アープにしても、荒野の決闘 のフォンダと ワイアット・アープ のケヴィン・コスナーではイメージが全く違う。正義のしるしのはずの星、にもそれぞれの立場があるということか。

 

エーガ愛好会 (142)  見知らぬ乗客    普通部OB 船津於菟彦

怖いですねーぇと淀川長治が言いそうな映画。光の明暗も中々のもの。ミステリーとしてレイモンド・チャンドラーらが脚色しているとかで「ハラハラ」ですね。
眼鏡が色々なシーンで物を言う。根性の悪い妻が殺されるシーンは、サングラスに映るという巧みなショット。そして恋人の妹の眼鏡。あのテニスのシーンとライターを落として溝に手を伸ばして取れそうで中々取れず、フラッシュバックでハラハラ。そして回転木馬の暴走。おじさんが潜り止めに行くシーンもハラハラですね。
『見知らぬ乗客』(Strangers on a Train)は、1951年のアメリカ合衆国のサイコスリラー映画(英語版)。監督はアルフレッド・ヒッチコック、出演はファーリー・グレンジャーとロバート・ウォーカーなど。パトリシア・ハイスミスの同名小説(英語版)をハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーらが脚色して映画化した作品。
アマチュアのテニス選手ガイ・ヘインズは、浮気を繰り返す妻ミリアムと離婚したがっていた。そうすれば上院議員の娘であるアンと再婚できる。ある日、ガイは列車の中でブルーノという男性に出会う。ブルーノはガイがミリアムと別れたがっていることをなぜか知っており、彼の父親を殺してくれるなら自分がミリアムを殺そうと交換殺人を持ちかける。そうすればお互いに動機がないので、捕まる心配もないという訳だ。ガイはブルーノが冗談を言っていると思い、取り合わなかった。しかし、ブルーノは勝手にミリアムを殺してしまう。根性の悪い妻が殺されるシーンは、サングラスに映るという巧みなショットらしい「エーガ」,しかし、活動写真という感じで感動も何も残らないゴラクエーガですね!こう言うエーガってエンタメ快作と言うらしい。アルフレッド・ヒッチコックの作品としては上位に入る作品だと思う。