新三国トンネル開通!    (44 浅野三郎)

当時東京方面と我らが浅貝を結んでいる唯一の自動車道路だった三国トンネルは、1957年(昭和32年)に開通以来63年が経過し、流石に経年劣化や現在の
交通事情に不適合となったために、この3月19日で新三国トンネルに入れ替わり
ました。
三国トンネルは現役時代以降数十回(もしかすると百回程度は?)通過したと思
われます。大型トラック同士だとすれ違えない程狭かったトンネルでしたが、中にはトンネル内をキスリングを背をって抜けてきた方々も居たとか。さぞや怖かったのでは?新三国トンネルには横断歩道もあり徒歩でも自転車でも通行が可能のようです。

国交省記者会資料
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000821951.pdf

新旧の三国トンネルを越えるYouTubeがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=DIVkr0vmgYE

(編集子)上記 youtube  おススメです!

 

 

春来たる―日本人の心に響くもの

(船津)連日テレビを付けるとウクライナの爆撃と避難の悲惨な絵ばかり。鬱になりますね。 平和の日はやや遠き成りそう。 一日でも早い停戦と平和を祈念するのみ。
気分転換に眼下の錦糸公園は緋寒桜に続き枝垂れ桜、そして今日からはソメイヨシノも咲いてきました!間もなく満開だと思います。

 

ソメイヨシノ
       初桜 折しも今日は 能日なり(松尾芭蕉)
       旅人の 鼻まだ寒し 初ざくら (与謝蕪村)
       徐ろに 眼を移しつつ 初桜 (高浜虚子)
       人声に ほつとしたやら 夕桜 (小林一茶)
       蘖のつややかな葉に力あり( 稲畑汀子)
       蘖や涙に古き涙はなし (中村草田男)
       ひこばえや余談雑談無駄話 (柴田美代子)
(保屋野)先日NHKの番組で
  「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)

が紹介されてました。桜を愛でる喜びは、平安時代と同じなのですね。

船津さんご紹介の桜の俳句は初めて知りましたが(良い句ですね)、和歌(短歌)に比べてあまり有名な(桜の)句はありませんね。和歌の方は

  願わくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」 (西行)

  久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ」 (紀友則)

のような有名な歌が目白押しです。・・・というと和歌に詳しいようですが、私の知識はせいぜい「百人一首」どまりです。

今日、浅川へのウオーキングの途中「カワセミ」に会えました。写真は小さくボヤケていて分かりづらいですが、一応添付します。一週間後ぐらいから、満開の花見を当分楽しめそうですね。

(編集子)百人一首かあ。終戦直後、引き揚げてきて寄留していた伯母の家での正月、何もない中、残っていた古い百人一首歌留多を見つけ、従兄弟たちと夜を徹して興じたものだった。小学生の小生が一番に覚えたのが 朝ぼらけ で始まる二首だった。歌の意味がすべて理解できたわけではもちろんないが、なんとなく ”日本ていいなあ”という素直な気持ちになって、”むすめふさほせ” とか ”つゆしもう” なんてテクニックを姉から教わって暗記したものだったが。

むすめふさほせ、って、わかる?  何人いるか、楽しみ!

人種差別ということ

ウクライナ問題で世情は混乱しているが、プーチンの言動の裏には大ロシアという一種の妄想があることはどうやら間違いないようだ。彼はウクライナはロシアだと思い込んでいるが,ウクライナの人たちはスターリン時代にウクライナ人であるがゆえに迫害を受けた歴史を忘れてはいまい。いろいろ考えてみると、海に隔てられた島国、という地政学的な利点に恵まれた日本人には人種差別という原体験がない。逆に言えば(マイナス面では)ガイジン、というひとくくりで物事を片付けてしまう、その意味では島国根性、というのもあるわけだが、今回のいわばロシアという国の身内のいさかいで、人種差別、という事を考えさせられることにもなったようだ。ここのところ活発になった人種差別問題についての甲論乙駁である。

(菅原)小生、日本IBMに勤めてたもんで、本社のある米国東海岸ニューヨーク郊外、磁気ディスク工場のある西海岸サンノゼ、ロサンゼルスのバーバンク営業所、などに頻繁に出張させられ、最後は、パリのEHQ(欧州本社)に2年ほど飛ばされていたわけです。しかし、今、振り返ってみると、その間、黒人の社員に会ったことは一回もないし、見たこともありません。小生、これをいささかも不思議とは思っていませんでした。人種差別があったのか。勿論、30年以上も前の話しです。今は、変わっているとは思いますが。

小生、パリの「欧州本社」勤務時代に、非常に不愉快な経験をしました。米国本社から来た社員による説明会があり、小生も同席。しかし、その御仁、やたらにJap、Japを連発。まさか「欧州本社」に日本人がいるとは思っていなかったんでしょう、流石に途中で気が付いて止めましたが。その時、「アメ公は心の底で日本を日本人をJapと観てるんだな」と。どうも差別って言う奴は、極めて厄介な代物で、何時までも、それこそ心の奥底に巣くってる、小生も含めて。

(安田)先日テレビで放映された映像に驚きました。20005年、ノルマンディーで戦争終結50周年の式典があり、その席上、原爆の写真が大写しになり、「これが戦争を終わらせた」とし、オバマ米大統領はじめ出席者全員が起立して拍手、大喝采でした。その際、唯一起立せず、胸に十字を切っていたのはプーチンでした。放映の主旨は、孤高の行動を執ったプーチンに焦点を当てたものでしたが、はからずも広島詣をした(今となれば偽善的)オバマと、連合国側首脳の態度が浮き彫りになりました。原爆被災者の悲惨な犠牲を省みず、誇ったように勝利の余韻に21世紀になっても浸り、日本が重要な自由民主主義陣営の一員である事実を一顧だにしない姿勢に唖然としました。

米議会で、2〜3日前、ゼレンスキーがビデオ講演しましたが、その時、「今回のロシアの侵攻は、あの卑怯なパールハーバーと同じ」と写真入りで説明しました。米上下院議員は拍手喝采。彼は日本の国会でのビデオ講演も依頼してきたそうですが、まさか真珠湾には触れますまい。機を見るに敏な役者大統領です。
ウクライナ人はじめ白人の対日本人観、歴史観や価値観には考えさせられます。真珠湾奇襲は軍施設のみへの攻撃。ロシアの攻撃は民間人を含め無差別。両者同じ文脈では語るべからず。
(斎藤)人種差別と言うんでしょうか、変な経験があります。
ドイツに着任したばかりの頃、休日に近くの哲学の小道(ドイツは至るところに同様の名前の道があります)を歩いている時、犬の散歩をしているオジさんに声をかけられました。ドイツ語だったので、正確にはわからなかったのですが、「日本人?中国人?韓国人?」と聞かれたと思ったので、「ヤパーナ(日本人)」と答えた所、訛りの強い英語で「一緒に戦った」「友達」と言われたようで、「ヤー」と答えると、激しく握手されました。その後、なんか言っていましたが、イタリヤは駄目と言っていたように聞こえました。きっと、第二次世界大戦を一緒に戦ったということだと理解しました。自分が強く人種の違いを意識し始めたきっかけがあります。アメリカ東海岸でのことです。ニュージャージーのモーリスタウンと言うところで研究会があり、その休日に、同行した同僚とニューヨークへバスで出かけました。
初めてのニューヨークにワクワクして歩いたのですが、ビル1階のトラックヤードの暗闇からヌッとでてくる黒人が怖くてたまりませんでした。黒人が怖いと感じてしまったのは、この時以来です。暗闇から無表情で突然現れる黒人は、今でも怖いです。仕事場で接するのは大丈夫なんですがね。その他、突然態度の豹変する、バッキンガム宮殿の観光客をカモろうとする紳士の装いをしたイギリス人に出会ってから、イギリス人の多弁は好きになれません。声の大きいイギリス人は特にですね。その後、パブで絡まれて言い合いをした時、やはりイギリス人は多弁でした。その時、私は関西弁と茨城弁をまぜこぜにした日本語でまくし立てましたけど。

エーガ愛好会 (130)  夕陽に向かって走れ   (34 小泉幾多郎)

赤狩り旋風の犠牲者エイブラハム・ポランスキーがニューシネマの台頭と共に、20年振りに監督復帰を果たした作品。脚本は相当数書いたが、監督はこの作品を含め生涯3本のみ。如何に赤狩り旋風が、有能な才能を無駄にしてしまったかの見本。

インディアンの青年ウイリー・ボーイ(ロバート・ブレイク)が、結婚を反対されたため、恋人ローラ(キャスリン・ロス)の父親を誤って殺してしまう。恋人を連れて逃亡するが、やがて追手の銃に倒れると言う実話をもとにしたドラマ。この絶望的な逃避行を続けるインディアンこそ当時のボロンスキー自身が被害者意識として表したのではなかろうか。

赤狩りにより、20年間ハリウッドを追放されていた監督の思いはボーイそのもので、自分は愛する人と一緒にいたいのに、インディアンというだけで差別視され、正当防衛も事故にも拘わらず殺人犯という汚名を着せられ逃げざるを得なくなる。待っているのは絶望だけ、ボーイの怒りと悲しみ絶望はまさに監督のそれ
を表している。そのことから、内容は白人とインディアン、昼と夜、移動と潜伏、地形の高低差などといった対立構造に象徴される差別的な視線で描かれていく中でも、走り、追うという追跡の徹底的単純化が独自性を生み出している。

追う方の主人公保安官補クリストファー・クーパー(ロバート・レッドフォード)は、インディアン青年ボーイにどことなく親しみを抱いており、スッキリしない人物だけに演じる方も容易でなかったのではと同情してしまう。まずは保護区監察官で女医エリザベス(スーザン・クラーク)と懇ろになる打算的性格、このエリザベスもインディアンにウイスキーを売っている者を糾弾したかと思えば、逆にインディアンに同情的な言動を吐く。クーパーは更に、町を訪れた大統領の警備の任にも携わる出世意欲もあるかと思えば、どこか斜めに見る反骨精神もあるという人物。最後は、ボーイのために自殺を選んだのか花嫁姿のローラの死体を発見、岩山へ追い詰めてクーパーの弾丸がボーイを倒す。しかしボーイの銃には弾が入っていなかったことを知ったクーパーは、二人の無益な逃亡と何の意味もなく散って行った命を思い胸に重い痛みを感じ、せめてもの慰めに火葬にすべく火を焚くのだった。火葬はクーパーなりのインディアン対する弔い方だが、手柄を立てることが目的のため死体を持ち帰りたい保安官(チャールズ・マックグロー)という権力に対する反発を強烈に表現したとも言える。

全般的に、ニューシネマとは言え、有機的な動きや堂々とした風格も感じられ、西部劇らしい叙情や登場人物の深い心理描写、監督の主張したいテーマが作品の中に溶け込んでいるので、悲劇的結末ではあるが、それなりに満足感は感じられた。撮影が「明日に向って撃て」他3本でアカデミー撮影賞のコンラッド・L・ホールで、夜霧の中、ボーイとローラが息を殺して追手をやり過ごすシーンやらクーパーが痕跡を追っているシーンの背景の岩山で対立する二人等全てが二つのもので表現されている気がしてならなかった。

音楽はデイブ・グルーシンで。従来型の西部劇のテイストは皆無、ジャズや現代音楽的な味付けで、メロデイ感覚のない抑制の効いた音で占められていた。

(ウイキペディアから転載) 赤狩り

ローゼンバーグ事件に代表される共産主義者による深刻な諜報活動に加え、1946年からの東欧における、また1949年中国大陸における国共内戦の末の共産主義政権の成立、1948年から1949年にかけてのベルリン封鎖、および1950年から1953年朝鮮戦争におけるソビエト連邦中華人民共和国からの圧迫により高まった緊張に対して増大する懸念に合わせたものである。この場合の「」は共産党およびその支持者を指す。日本語の名称である赤狩りに対応する英語の名称Red Scareは”共産主義の恐怖”の意味であり、増大していた共産主義者の活動に対する強い懸念を示している。1953年より上院政府活動委員会常設調査小委員会の委員長を務め、下院の下院非米活動委員会とともに率先して「赤狩り」を進めた共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員の名を取って名づけられた。マッカーシーに協力した代表的な政治家は、リチャード・ニクソンロナルド・レーガンである。

(ウイキペディアから転載) ニューシネマ

アメリカン・ニュー・シネマともよばれる。1960年代後半に生まれたアメリカ映画の新しい潮流で、アーサー・ペン監督の『俺(おれ)たちに明日はない』(1967)がその先駆けとされる。続いてジョン・シュレジンジャー監督の『真夜中のカーボーイ』(1969)、デニス・ホッパーDenis Hopper(1936―2010)監督のイージー・ライダー(1969)などが生まれるに及んで、アメリカ映画の新しいジャンルとして認知される。最大の特徴は、反体制的なあるいは体制から脱落した人物が主人公になっていることで、そこから現実批判が提起される。俺たちに明日はないは、1920年代末の大恐慌時代に実在した若い男女の犯罪行を描いたもので、体制のからはみ出した若者像を鮮烈にとらえていた。『真夜中のカーボーイ』が描くのは、ニューヨークの廃屋に住む2人の若者のみじめな日常である。そして『イージー・ライダー』は、ヒッピーのような生き方をしている若者2人が、マリファナを密売した金を持って、オートバイでアメリカ西部から南部ニューオーリンズに向かう。主人公が2人で、それも男2人であることが多いのも、ニュー・シネマの特徴で、男女の愛よりも男同士の友情重点が置かれる物語が多かった。ニュー・シネマは、定型の枠に閉じ込められて生命力を失ったハリウッド映画に対する批判として生まれたとされ、その新鮮な表現が社会に衝撃を与えた。しかし、現実批判のリアリズム描写に傾きすぎて、アメリカ映画の基本的性格であった娯楽性に欠け、映画に夢と憩いを求める観客からしだいに見放されるようになる。時代的に見ると、ヒッピー文化、ベトナム反戦運動といった風潮の反映として生まれたのがニュー・シネマであり、大きな反響を呼んだ。アメリカ社会が保守化するとともに自然消滅したが、世界の映画に与えた刺激は大きかった。

(編集子)ニューシネマに分類されている作品もいくつか見たが、”バニシングポイント” の印象は強烈だった。

 

ウクライナ紛争ー戦争下のハム仲間たちよ、元気でいてくれ

オリンピックと並んで、世界中の仲間が友達、のアマチュア無線(ハム)の世界も国家の紛争となると残念ながらその機能を失ってしまう。すべての国は国家存続にかかわるような事態に立ち至ると情報管理の立場から、ハム局の活動停止を命じることができる。アマチュア無線憲章では、政治の話題は通信してはならない規定になっているが、これはあくまで正常の状態でのエチケットにすぎない。現在世界のアマチュアが使っている通信機やアンテナがあれば、その気になれば下手な情報部員よりは優れた情報を集める事だって可能なのだから、やむを得ない措置と言える。

日本アマチュア無線連盟関連のHPから関連記事を転載(44 浅野三郎君のご示唆による)してみよう。この記事は2月24日付けのもの。

ロシアによる軍事侵攻の懸念が高まっているウクライナ。ゼレンスキー大統領は2022年2月24日から30日間の「非常事態宣言」を発令した。対象地域は東部のドネツク州とルハンスク州を除くウクライナ全土。これにより同国では「抗議活動の禁止」「情勢を不安定にする可能性がある情報の作成および流布の禁止」などと並び、「アマチュア無線機の使用禁止」が政令で認められ、同国におけるアマチュア無線運用が事実上禁止される。ウクライナは東欧でもアマチュア無線局が多い国で、2000年のIARU統計では17,265局が免許を受けているという。

他方、ロシアのほうはまだ封鎖措置は取らず大国の度量?を示している。

さまざまなニュースが伝えられるウクライナ情勢だが、ロシアアマチュア無線協会「SRR/Russian Amateur Radio Union」は2022年3月3日、「SRRはIARU(国際アマチュア無線連合)とその加盟国の組織に訴えます」というメッセージを同協会のWebサイトで公表した。その中で「紛争でロシア国家がどの側にいようとも、SRRは紛争に巻き込まれた国のアマチュア無線家や無線団体に対して非友好的な措置をとったことはありません」「ウクライナでの事件に関連して、…SRRはアマチュア無線の伝統(慣習)に忠実であること、アマチュア無線を使った感情的な行動を控え、互いの交流を絶やさず、知恵と相互理解を示し、それによって状況の迅速な解決に貢献することを求めます」と述べている。

日本のハムにとって、極東ロシアは韓国や台湾と並んで最も近い外国であり、外国局との初交信がこのあたり、という人はたくさんいる。またウクライナは距離的には最も近いヨーロッパ(アマチュア無線の世界での定義)であり、交信もわりとたやすい。

小生が交信のたびに交換してきた交信証(QSLカード)の中から数枚を抜き出してみた。左側、ウクライナのディミトリ、右側、ロシアのセルゲイ。彼らがかつてのように声を掛け合うことができる日がくるのだろうか。その日まで、元気でいてほしいといのるだけだ。

エーガ愛好会 (129) 長江哀歌     (普通部OB 菅原勲)

3月17日、NHK BS3で、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が監督した中国映画「長江哀歌(原題:三峡好人)」(2006年)を見た。この映画は、ご存知の通り、2006年ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得しており、蛇足だが、55年前には黒沢明が「羅生門」で掌中に収めているものだ。

実に久し振りだが、とんでもない映画を見てしまった。下らないとは言わない、しかし、途轍もなくつまらない見本のような映画だ。

話しは、別々の男女が、有名な三峡ダムを建設するために水没してしまった村に残した、男は妻を、女は夫を探し出す内容なのだが、その話しが、揚子江のようにゆったりとどころかモタモタモタモタして、締まりがない。主人公はと見れば、俳優ともども魅力がなく、感情移入が全く出来ない。と言って、気の利いたセリフがあるわけでも、笑いがあるわけでもない。始まって、余りにも退屈なので、40分ほどで眠り込んでしまった。そして、終わってみれば、こんな映画を大真面目に作ったことに、思わず大笑い。一言で言えば、隅から隅まで、ここにあるのは、当時の中国の田舎の度し難い貧しさだ。逆に言えば、この点を描くと言う点では、唯一成功したと言えるだろう。具体的には、例えば、季節もあろうが、ランニングシャツしか着ておらず、のべつ幕なしの喫煙、貧しい住宅と住環境、何から何まで貧しさがこびり付いている。救いは、イデオロギーに一切言及していないことぐらいか。

ナントカナントカの大賞なんてのが信用ならない、これもその典型的な見本だ。アカデミー賞だって、同じようなものだろう。

中国映画はこれが初めてだったが、ブルース・リーとかジャッキー・チェンなんかの香港映画の方が遥かに面白かった。でもこれも中国に吸収されてしまっては、あのハチャメチャ振りは最早期待できそうもない。

(菅井)ドラマティックな展開などとは無縁な小津安二郎監督作品は蒲鉾をアテに燗酒を嗜むような風情があって結構好きなのですが、そんな私でも「長江哀歌」は先輩方と同様で無理でした(^_^;)。ヨーロッパ人にはアレが受けるのでしょうか?そういえば欧米人にとって分かりやすいのでは?と思われるダイナミックな映画作りをする黒澤明監督よりもスタティックな小津安二郎監督の方が彼の地では(特に玄人筋)評価が高いようです。

 

(ウイキペディアより転載)

長江哀歌』(ちょうこうエレジー、原題: 三峡好人)は、ジャ・ジャンクー監督による2006年の中国映画である。三峡ダム建設により水没する古都に住む人々が描かれる。製作は上海フィルム・スタジオ英語版エクストリーム・ピクチャーズ英語版が共同で行った[2]

2006年9月5日に第63回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門でプレミア上映され、同映画祭の最高賞である金獅子賞を受賞した[3]

ミモザの花

 国際女性デーの8日、女の子に花を配るアレックスさん=ウクライナ西部リビウ(共同)

(関係記事転載)

 8日の国際女性デーは、ロシアの侵攻を受けているウクライナでは祝日で、クリスマス、復活祭(イースター)に次ぐ位置付けの重要な日だ。今年は非常時とあって祝賀行事は見られなかったが、西部リビウでは若者が「男性も女性もお互いに助け合わないと、難局は打開できない」との思いと感謝を込め、道行く女性に色とりどりのチューリップを手渡していた。地元の女性によると、旧ソ連時代は黄色のミモザの花束を男性が女性に贈ることが多かったが、近年はチューリップを1輪だけというのが主流。市場では、防弾チョッキを着用した若者5人がチューリップを約150輪、買い込んでいた。キエフと姉妹都市の京都ではキエフへ思いを込めて、伏見区産のミモザをウクライナの国旗色にアレンジした展示が、区役所で行われているという。

日本でミモザの有名な花言葉は「優雅・友情」などがあり、「優雅」という花言葉は、小さく丸いがたくさん咲いている様子から来ているという。 小さな雄しべが集まってポンポンと咲いている姿は、まさに優雅。

***********************************

(菅井)比較的最近知ったのですが、イタリアには3/8の国際女性デーを「ミモザの日」として身近な女性にミモザの花を送る習慣があるそうです。大分遅くなりましたが昨日我が家の近くで撮ったミモザの花をご覧ください。

(金藤)ミモザの写真ありがとうございました。春の訪れを知らせてくれるミモザ、私も大好きです。家には地植えにする場所がないので、鉢植えで2M位まで育ったミモザがありました。毎年、黄色の可愛い花をつけるのを楽しみにしていましたが、5年位前に虫が付いてダメになってしまいました。他所のミモザを見て歩きたいのですが・・・

(安田)ヤッコさん、我が家から200mほど離れたお宅のミモザが爛漫でした。写真をお送りします。

(在パリ 平井)ミモザは素敵ですね。今の時期南仏はミモザに溢れ、私も飛び切りミモザは大好きですが、私の住んでおります近くは、バラと藤の花が多くもう少し待たないといけません。
たっぷり咲き誇るミモザの生命力に心が広がる思いが致します。素敵なお写真ありがとうございます。

(船津)東京錦糸公園は「平和」な日々がお陰様で続いて居ます。白木蓮が満開です!櫻も間もなく開花すると思います(後ろの縦長長屋が我が家です)。

ウクライナに平和を!!!!

エーガ愛好会 (128) ドリーム  を見ました

(小田)NHK総合 1ch で、数学が得意な黒人女性達がNASAで活躍する映画「ドリーム」が放映されます。私が感動した映画です。よろしかったら、録画して観てください。

(保屋野)ミッキーさんご推薦の「ドリーム」観ました。.

人種差別がまだ色濃く残る時代に、黒人の女性天才数学者3名がNASAの宇宙開発で活躍する「アメリカンドリーム」(実話)です。当時の進歩的なNASAの科学者でさえまだまだ黒人への偏見が多い中、ケビン・コスナー演ずる「本部長」が白人専用と書いたトイレの看板を壊すシーンが印象的でした。また、後述するグレンがロケットに搭乗する前に、集まったNASAの職員にあいさつする場面で、他のスタッフが白人集団だけにあいさつしたのに対し、グレンだけが、黒人集団にもあいさつしていたのも好ましいシーンでした。

当時ソ連との宇宙開発競争が熾烈で、ロケットの軌道設計等に優れた計算技術が欠かせなかった時代、コンピュータの性能も低く、人力で超複雑な計算をする数学者達・・・、凄い、としか言いようがありません。そういえば、その後のASAの宇宙開発で、特にロケット軌道計算の分野で、女性が大活躍した、というテレビドキュメントが放映されてました。

エンディングは、グレンによるアメリカ初の地球周回有人飛行で、ロケット(フレンドシップ7)のカプセルが、上記女性数学者の一人の計算によって、無事着水するというハッピーエンドでしたが、改めて、人間の能力に人種間の差は無い、ということが再認識できました。

(船津)小田さんこの映画で色々な事が甦りました。先に書いたケープカナベラル後のケネディー宇宙センターを訪ねたことと、もう一つ会社に入ったばかりの頃周りの先輩達は算盤3級以上で中には多数桁の暗算も平気でやる人ばかり、コチトラ算盤なんか初めて触るぐらいでどうしようも無い、しかたがないので手回しのタイガー計算機を買ってもらった!その内に部屋に一台電導のモンローマテック計算機がやって来た。朝からその前に座って独占していました。たいしたことない掛け算と割り算でしたがね。それすら算盤では中々出来なかった。その後ずーっと経ってソニーの計算機とかが高価ですが出来てきた。しかし、天才的な女性達が宇宙開発を支えていたとはね!全く知りませんでした。凄いですね。そのやや高級なのこの映画にでて来ました。感激。

(斎藤)確か実話に基づく小説をアレンジして、黒人の問題に置き変えた脚本にしたと聞いています。
NASAは黒人差別はなかったし、今で言う自閉症やHDSD(注意欠如・多動性障害)の方たちで特異的な能力をった人達も集めていたとのことで、能力あるものに働いてもらうという方針をとっていたと聞いています。ただ、男女差別はあったそうです。
実際はどうであれ、映画の目指したところは、「人の能力を見極めて使ってい
く」姿を描いていると思っています。

(金藤) 原作は マーゴット・リー・シェッタリー 『ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち』英文 のようです。

1961年、ソ連はガガーリンが搭乗した人類初の有人飛行に成功。
宇宙開発で一歩遅れをとった米国では、アメリカ初の有人飛行プロジェクト
マーキュリー計画を成功に導くため NASAで陰ながら活躍していた優秀な黒人女性:  数学に天才的才能を持つキャサリン、管理職への実質を伴った昇進を目指すドロシー、エンジニアになるために必要な条件のクリアを目指すメアリー
3人の黒人女性が、人種差別や偏見がある中、優れた能力を発揮して活躍し、新たな道を切り開くストーリー。
実話を元に制作された映画だという事でしたが、保屋野さん 船津さんが既に書かれていらっしゃるように、トイレの有色人種使用禁止の看板を叩き壊すシーンは演出がオーバーだと思いながらもケビン・コスナーが演じる上司が即、行動するところにグッときました。飛行直前にマーキュリーセブンの一員、宇宙飛行士 ジョン・グレンがキャサリンに挨拶するシーンも実際にはなかった事でしょうが、この映画に於いては大切な良いシーンでした!
人種差別を受けながらも殆ど暗い部分がなく、前向きな姿勢が明るく描かれていました。ケビン・コスナーが優しい上司役でよかったです。

(ウイキペディアより転載)

1962年に米国人として初めて地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士ジョン・グレンの功績を影で支えた、NASAの3人の黒人系女性スタッフ、キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ボーン、メアリー・ジャクソンの知られざる物語を描いたドラマ。ソ連とアメリカの宇宙開発競争が繰り広げられていた61年、米バージニア州ハンプトンにあるNASAのラングレー研究所に、ロケットの打ち上げに必要不可欠な計算を行う黒人女性グループがいた。なかでも天才的な数学の才能をもつキャサリンは、宇宙特別研究本部の計算係に抜てきされるが、白人男性ばかりのオフィス環境は、キャサリンにとって決して心地よいものではなかった。一方、ドロシーとメアリーもそれぞれ、黒人であるというだけで理不尽な境遇に立たされるが、それでも3人はひたむきに夢を追い続け、やがてNASAの歴史的な偉業に携わることとなる。キャサリン役で「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」のタラジ・P・ヘンソンが主演し、ドロシー役を「ヘルプ 心がつなぐストーリー」のオクタビア・スペンサー、メアリー役を「ムーンライト」などにも出演している歌手のジャネール・モネイが演じた。監督は「ヴィンセントが教えてくれたこと」のセオドア・メルフィ。ミュージシャンのファレル・ウィリアムスが製作と音楽を担当。

 

(編集子)在職中、カリフォルニアへの駐在を2度経験した。第一回目は1967年、ベトナム反戦運動がサンフランシスコ近辺で噴き出したころ、HP社があったパロアルトは高速道路を隔てて東と西では全く違う町、イーストパロアルトはいわゆる黒人街で、まず白人の入らない領域だったが、ここの貧困を助けるために創立者のパッカードが採算を無視して小さな工場を開いていた。日本人も一度見たほうがいいだろうと思ったのだろう、連れていかれてただびっくりしたものだったが、2度目、1980年には人種や男女差別に対する変化が始まったころだった。Chairman、と言ったら、no, you must say chairperson  !  などとたしなめられて何が何だかわからなかったことを思い出す。あれから何年たったか、この国の悩みはつきないのが実態のようだ。

 

エーガ愛好会 (127) 南部の反逆者    (34 小泉幾多郎)

クラーク・ゲーブル主演で南北戦争と言えば、誰しもあの名作「風と共にさりぬ1939」を思い起こす。監督はラオール・ウオルシュ、タフなアクションやサスペンス等でハリウッド黄金期を象徴する巨匠の一人だ。西部劇も多く、40年代の「高原児1947」「追跡1947」「死の谷1949」といった作品は当時西部劇に新風を吹き込んだ異色作で、フィルムノワール的と言われている。特に西部劇には珍しく女優陣に目立った役回りを与えたことが印象に残る。順にジェーン・ワイマン、テレサ・ライト、ヴァージニア・メイヨ。この映画でも、ゲーブルよりも
女優のイヴォンヌ・デ・カーロに重点を置き女性一代記を演じさせている。残念ながら、ヴィヴィアン・リーに比較されると影が薄くなるのは致し方あるまい。

そもそも「風と共に去りぬ」を偲んでの作品を、ほぼ20年後に何故手掛けたのだろう。原作は「オール・ザ・キングスメン」でピューリッツア賞を受けたベストセラーの原作ロバート・ベン・ウオーレン。撮影は作品100本以上というルシアン・バラード。音楽は「風と共に去りぬ」のマックス・スタイナーとスタッフも超一流。確かに、イヴォンヌ・デ・カーロとヴィヴィアン・リーとを比較すれば敵わないが、ゲーブルは男盛りの「風」の39歳から老境の56歳でもまだまだ貫禄十分、奴隷市場での威圧する態度、決闘の相手がその自信ある形相に怖じ気づき逃げ出すやら、シドニー・ポアチェアが逮捕に表れた時、赤子から育て上げた経緯を喋る長いセリフ等々。

その今年1月没の若きポアチエは黒人の組頭を演じ、白人を殴りつけたことから北軍に身を投じ。赤子から世話になったゲーブルとの間で悩む姿を熱演したりの白人黒人の対立悩み等を浮き彫りにするところは、「風と共に去りぬ」がどちらかと言えば、甘いメロドラマが強調されていたとすれば、より刺激的で痛々しい感覚に溢れる社会派ドラマと言ってもよいかも知れない。

結局イヴォンヌは、表面的には白人だが、黒人を母に持つという悩める女性を演じ、奴隷市場で売りに出されるが、ゲーブルに高値で買ってもらえ、次第に愛するようになる。最初の恋人レックス・リーズンが北軍に志願、その後新しい恋人エフレム・ジンバリスト・ジュニアに愛されたり、南北戦争の激化に伴い紆余曲折するが、最後はゲーブルと共にボートに乗って帆船に乗るべく漕ぎだす。冒頭の合唱による旋律と同じ旋律が流れハッピーエンドで終わる。大いに楽しめたことからもっと脚光を浴びても良い作品と思ったのだった。終わってみれば、楽しい西部劇を観たような気分。

(飯田)この映画、何故か劇場公開時に映画館を渡り歩いて乱観した時期なのに、タイトルも印象が無く、今回多分初めて鑑賞しました。私は年齢と共に比較してランク付けするのを慎むことを心掛けていますので「風と共に去りぬ」等と
比べては観ませんでしたが、ストーリー展開、主演のクラーク・ゲーブル、オボンヌ・デ・カーロ、シドニー・ポアチエ、エフレム・ジンバリストなど、往年の俳優がそれぞれに味を出して西部劇というより、南北戦争時代の南部の奴隷制度下での主従の間の愛憎を、予想通り?のストーリー運びでEndingを迎える典型的なドラマとして大変楽しめました。

1950年代、60年代はこの種の映画や描き方が名作でもなくても主流であったことを改めて思い起こさせられた作品でした。

エーガ愛好会(126)  誰が為に鐘は鳴る

(34 小泉)
荘厳なる鐘の音で始まるスケールの大きな美しい主旋律である「大虐殺と愛のテーマMassacre and Love Theme 」が最後に再び鳴り響くまで、そのヴィクター・ヤングの切ない哀愁のこもる旋律に酔いしれたこと。冒頭から闇の中を列車の明かりが見え始めると線路に仕掛けてあったダイナマイトが爆発、最初から画面に釘づけ。共和政府の義勇軍の若者ゲーリー・クーパーが橋梁爆破の任務のため現地のゲリラの一団に合流、ゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンによる純愛。観念的には熱望しても実行となると難しいが、バーグマンの愛を受け入れることが彼女にとっての最高の幸福と信じたから、といった純愛は、この年齢になると恥ずかしくもなるような話だが、昔馴染みのクーパーとバーグマンという美男美女が演ずるからこそ劇中に入り込んで最後まで見てしまった。

(36 岡秀雄)                            最近は全く見ない映画を一生懸命見たけれど年には勝てず、途中コックコックリ居眠りしていました。若き日のイングリットバーグマンとゲーリークーパーはやはり素敵ですね、ラストに近いシ-ンは涙を誘うし、映画としては我々はこの頃の古い時代の物が情緒があり、後味が良いですね。長時間だけど良い映画を見る機会を与えていただき感謝。

(44 安田)                             シェイクスピアとほぼ同時代16世紀イギリスの有名な詩人ジョン・ダン(John Danne)の詩が映画の題名(For whom the bell tolls)だ。彼の詩の中の「鐘」は人が死んだときに鳴る「弔いの鐘」のこと。誰かの死は、自分自身も属する世界の一部が欠けることになり、知らない他人の死であっても、自分自身の損失だと訴えている。ヘミングウェイは、スペイン内乱の中で人知れず死んでいった一人の若者の死は、世界中の人に大きく関わる悲劇だと描いている。そのアメリカ人義勇兵の若者ロベルトをゲイリー・クーパーが演じ、フランコ軍の橋を爆破するため活動する山間部でイングリッド・バーグマン演じるゲリラの薄幸の美しい娘マリアに一目ぼれして死に至る3日間の束の間、二人は愛し合う。悲恋物語であり反戦映画だ。恋人のマリアだけでなく映画鑑賞者や本の読み手の我々もロベルトの死を惜しむべきだと。

名画「カサブランカ」の翌年公開であり、ゲリラの娘として短髪バーグマンの美しさ、特にクーパーを見つめる眼に魅了される。演技をしてないかのようないかにも自然体のクーパーの存在感が際立つ。男女二人のロマンスと内戦における反フランコ共和国軍のゲリラ戦を二つの軸として映画は展開するが、ロマンスとしては「カサブランカ」ほどの深みはなく、内戦のゲリラ戦の描き方も特筆するほどでもなかった。映画を引き締めていたのは、ゲリラメンバーの個性豊かな描き方、なかでもアカデミー助演女優賞を獲得した肝っ玉かあさんゲリラリーダー・ピラーと夫パブロの二人が出色であった。

(普通部OB 船津)                          あぁ1942年カサブランカ。1943年誰がために鐘は鳴る。映画って良いなぁ。イルザとリックそしてマリアとロベルト。どっちも素晴らしいキスシーン。負けたーぁ。若々しくウイウィしいバーグマンのあの瞳と白い歯。そしてリックと別れる前のあの泪の瞳。やはり原作者のヘミングウェイは「この役を演じるのはバーグマン以外にありえない」と言い切った。だけのことは在り。忘れ得ぬ顔。

そしてウクライナの戦場のを思い浮かべざるを得ない。
スペイン内乱はピカソのゲルニカ。キャパの倒れる兵士。そしてヘミングウェイのこの小説「誰がために鐘は鳴る」-「個人は人類の一部であり、他の人の弔鐘はあなたのためにも鳴っている」-no man is an island

(HPOG 金藤)                            スペイン内戦に義勇軍の一員として、鉄橋を爆破する任務のために山中に入り、ゲシュタポの協力を得て、すでに無駄だとわかっても、任務を成し遂げる。 命をかけて・・・

舞台となったスペイン北部の山中の景色もそれなりの場所でした。ゲーリー・クーパーだと格好良すぎるせいでしょうか、任務の深刻さが伝わってきません。イングリッド・バーグマンが可愛らしかったので、束の間の恋愛映画だったのですね。 ピラ−を演じたカティナ・パクシヌー 強い女性の存在感がありました。
現在緊迫するウクライナ情勢ですから、映画「誰がために鐘は鳴る」今観ると内容が軽く思えてしまいました。
(42 保屋野)この映画は昨年12/2に放映されましたが、当時あまり話題にならなかったようです。調べたら、私がチビ太あてに「正直つまらまかった」とコメントしただけのようです。今回の再放送で、皆さんの感想を楽しみにしております。

(編集子)慶応高校3年の時、学園祭(日吉祭)の実行委員というのになった。初めて女子高との共催、という形式が決まり、双方からたしか12,3人の委員が実行委員会というのを作って、結果はそれなりに評価されるものだったと思っている。実行委員のうち、男子校のメンバーがいわゆる秀才ばかりではなく、中には何が起こるかわからないので司法、という担当、いわば警備員みたいなものにはそれ相応の人材?もいたし、文学青年気取りのやつとかいろいろだったのに対し、女子高側はそろって才女の代表みたいな構成だった。だから(大体日本の場合、同じ年齢ならオンナノコがませているのは当然である)彼女たちの会話を聞いていると僕らにはとても進んだ(と当時は思ったのだ)知性的(に聞こえた)な話題ばかりだった。アンドレ・ジイドがどうしたとか、ラフマニノフのピアノがどうだとか、今思えば彼女たちも一所懸命に見栄を張っていたのかもしれないが、なにせ当時の高校生には女性の友人がいるという事自体がまだまれだったせいもあって、チキショー、と思いながら黙って聞いているしかなかったのだが、そのなかでよく、ヘミングウエイの 老人と海 が話題に上った。そうかい、そんなにいいのかい、と半分けんか腰?で読み始めたのが一連のヘミングウエイ作品だった。以来社会人になってもこのコンプレックスあがり?の感情が残っていて、今本棚をみると翻訳が出ているものはほとんど読んできたようだ。さらにハードボイルドにのめりこんでみると、HB文学の文体はそもそもヘミングウエイから始まっている、というではないか。それではと数冊原書にも挑戦してみたが、母国語でもないし文学のプロでもないものにそのようなことがわかるはずはなく、今日まで来た。

その中で、小生が一番気に入っているというか、うまく表現できないが共感するのが 海流の中の島々(Islands in the stream) である。そしてこの本の結末部分は 誰が為に鐘は鳴る の結末を彷彿させるというか、全く同じ、と言っていいほど似ている。ヘミングウエイは人間の死の瞬間を 真実の瞬間、と呼んだ。この短い一節が凝縮されているのがこの二つの作品のエンディングだと思うのだ。ヘミングウエイは自らのショットガンで自殺した、その銃口をみつめたとき、それは彼にとって真実の瞬間、だったのだろうか。

先日、石原慎太郎が亡くなった。ずいぶん前のことだが、あるテレビの対談番組で、自分は死ぬとき、ああ、俺は今死ぬんだ、と納得しながら死にたい、といったのを覚えている。小生は彼の人を見下したような言動が大嫌いで、作品もほんのわずかしか読んでいないのだが、このときは一種異様な感動を受けた。彼の訃報を読んだとき、慎太郎の真実の瞬間はどうだったのか、と思ったことだった。