全く偶然に放映を知り、そのまま見続けてしまった。小泉論文が届く前に一言書いてみようか。
プレスリーの映画はかの ブルーハワイ 以来、見たことはなかった。エレガント志向なのに田舎のあんちゃん的雰囲気が好きで、カントリーソング系はずいぶん聞いたが、映画人としてはイメージがわかなかったからだ。
出てくれば大体悪役が多いジョン・マッキンタイアが珍しく善玉の見本みたいな
役で、またいろんな作品で2列か3列目の助役しか見てこなかったスティーヴ・フォレストが実質的な主演というような位置づけの、いくつかほかにも例のある先住民族対白人、というアメリカ西部特有の禍根がストーリーの主軸になっている作品だ。同じ人種差別と言っても白人対黒人、という場合が黒人が未開地から、初めから奴隷としてつまり劣等人種としてとらえられてきた結果でいわば表面化がしにくかった(つまりつい昨今まで、人種間の現実の戦闘行為はなかった)のに対し、
先住民族の場合は当初は恩恵を受けていながら白人種が一方的に敵視に転じ、”フロンティア開拓” などという一方な政策の結果、血みどろの戦闘を生みそれによる生死の遺恨がある、という歴史がある。その間には有名な ウーンデッド二― の悲劇やかずかずの、白人が引き起こした数々の史実は明らかにジェノサイドであり、今日米国が振りかざす人権意識など、いわば (良く言うよ!)と思えてくる。ここのところ、安倍氏暗殺事件がきっかけとなったのか、また原爆記念日のこともあって、前大の回顧記事が頻繁に報じられる。アメリカがもし相手がドイツだったら決して原爆は投下しなかっただろう、とはよく言われることであるが、そんなことまで思いを馳せてしまった、小生にとってはある意味で後味の悪い映画だった。セーブ劇、としての爽快感もないしガンファイトの場面なども月並みの、小生の眼からは二流の作品だった。もちろん、わが ”エルヴィス“ くんに(それほどの)落ち度があるわけではないのだが。
ウーンデットニーの虐殺
1890年、アメリカの騎兵隊によって約350人のインディアンが虐殺された事件。インディアンの組織的抵抗の最後となった。 1890年12月、アメリカ中西部のサウスダコタ州、ミシシッピ川の支流ホワイトリヴァーの河畔のウーンデットニー Wounded Knee (傷ついた膝)で、アメリカ合衆国騎兵隊によって、スー=インディアンの約300人が虐殺された。1830年のインディアン強制移住法に始まるアメリカ合衆国によるインディアンに対する殲滅作戦はほぼこれで終結し、インディアンはその後、各地の居留地に収容されて生活を続けることとなる。これは、アメリカにおけるフロンティアの消滅を意味している。
(小泉)エルヴィス・プレスリーが、主演した西部劇。先日公開された映画「エルヴィス」で再び歌手としての名声が呼び戻ったが、映画出演も生涯33本にも及んでいる。本人は当初演技派を目指し、映画内の歌には興味がなかったというが、制作する方は、ミュージカル風の明るい青春映画で挿入歌付きのもの「GIブルース1960」「ブルーハワイ1961」「ラスベガス万歳1963」や「エルヴィスオンステージ1970」「エルヴィスオンツアー1972」等といったコンサートのドキュメンタリー的に記録したものが多かった。しかし出演した西部劇3本「やさしく愛して1956」「燃える平原児1960」「殺し屋の烙印1969」は歌よりも演技に力が入っていた。特にこの映画は、あのクリント・イーストウッドを開眼させた「ダーティ・ハリー1971」の監督ドン・シーゲルの作品らしく、硬派な作りで、無駄のない構図と編集で緊張感がみなぎる。
白人の父、カイオワインディアンの母から生まれ、両方の血を受けた次男ベイサー(エルヴィス・プレスリー)の葛藤と覚悟を人情劇というよりも、根深い差別をテーマにしたアイデンティティという視点で描いている。一家の長としての存在感を示す父バートンをジョン・マッキンタイヤ、インディアンの母ネディをメキシコの大女優ドロレス・デル・リオ、白人の前妻との長男クリントをあのダナ・アンドリュースの弟スティーヴ・フォレストとその婚約者ロズリンをバーバラ・イーデンと脇役陣を演技派で固めている。
イントロの長男クリントの華やかな誕生パーティシーンから一転、隣家がインディアンに襲われるシーンは白人の頭をかち割り、火矢で家屋が炎上する。タイトルから流れる主題歌Flaming starとパーティでギター片手に唄うカントリー・ウエスタン調の曲のみがエルヴィスの歌唱で、俳優業に専念したいという意思の表れがその演技の中に表れている。酋長が白人との戦いを決意したバッファロー・ホーン(ロドルフォ・アコスタ)に代ったことから、白人とカイオワ族との和平を探るベくペイサーと母ネディが部落へ出向き折衝するも不調、その帰り、白人に母が撃たれるも、医師の派遣を拒んだ白人たちをペイサーは恨むことになる。また父バートンは一人牛を運ぶ途次、酋長の意に逆らったカイオワ族の戦士たちに撃たれてしまう。母の仇として白人を憎み父の仇としてインディアンを憎んだ男が最後には、白人の兄への希望を託し伝承通り死んで行く。
原名Flaming Star光り輝く星とは、インディアンは死を迎えるときに輝く星を見るという言い伝えから来ており、母親も、ペイサーも輝く星を見たことで死んで行く。白人と結婚したことで同族からも蔑視された母親。ペイサー最後のセリフ、「いつか偏見のない時代が来る筈だ。死の星が迎えるのを見た。丘へ行って死ぬよ。」この映画を観ていて、白人とインディアン両者の立場を公平に描いている点は評価するが、どうにも、善悪どちらの肩を持つのか、出来ないのは辛い。スッキリしないのだ。エルヴィスとしては、人種間の誤解や不寛容さに若者特有の悲しみをたたえた表情で苦悩する青年を渾身の演技で表現していたといえるのではないか。
(小田)歌のシーンが多く、女の子に囲まれてニコニコしているエルヴィスと違い、25歳の若々しく、真剣に演じているエルヴィス……素敵です。お兄さん役の《スティーブ·フォレスト》も知的な感じで良いですね。
荒涼とした西部とエルヴィスのビシッと決まったヘアスタイルはちょっと不自然な気もしますが…。エルヴィスの歌はロックより、映画の挿入歌が好きですので、《Flaming Star》はよく聴いています。
(安田)エルヴィスが34本も映画出演し
たとは知りませんでした。25歳のエルヴィス初々しく溌剌として
、俳優一本でも大成したのでは。ミッキーさんの “西部の荒野と彼のリーゼントスタイルのアンバランス” 言い得て妙です。同感です。
白人と先住民との混血役ピッタリ。考え抜いた末の邦題でしょうが
、彼の歌う主題曲「Flaming Star」は良かった。
関連