”あいつ、なにしてる?” - その後の ”新道開発団”

先月OB理事会で田中(透)君から、”新道”が正式に群馬県境稜線トレイル計画に組み込まれた” と報告があった。これすでに正式な報告がOB会ホームページにも記載されているが、とんべ君は小生あてメールで次の通り要約している。

とんべ君はもちろん、”新道”プランに関係してきた各位の喜びの声が聞こえる気がする。まことに嬉しい限りであるが、この話を聞いていて、突然、そういえば、あの時のメンバーはその後どうしてるんだろうか、という気になった。

自分は当初のプラン企画には参加し、その後も何回か活動に加わったものの、途中から体力に自信がもてなくなり、脱落した一人なので大きなことは言えないのだが、三角尾根の道つくりから通称”新道”開発まで、発案者であり終始リーダーであったちびこと妹尾昌次が言ったように、道つくりとあわせて、OB,現役諸君との交流、ということにも大きな成果をあげたこのプログラムは、今年60年を迎える三国山荘の歴史の中でも特筆されるべきものだったのはまちがいない。一連のプログラムそのものについては前記の報告のほか、いろいろな記録が残され、経過については36年度同期会の文集 ”ナンカナイ会・その”ふみあと” に妹尾が述べているが、要点だけをさらってみると下記のとおりである。

1998年、仕事を離れ自由時間をもつようになった36年の仲間が妹尾・田中(新弥)を中心に三国山荘での時間を過ごすことが増え、妹尾の発案に地元福島屋の故佐藤崇さん、34年松本恭俊さん、丸橋さんなどのご協力を得て、OB同志を糾合、小屋裏の通称三角尾根3.4キロの道の整備に着手したのがことのはじまりである。この時は当時まだあった浅貝ゲレンデの入口から国境尾根まで、KWVのプレート(プレート代は賛同したOBの寄付とし、その卒業年次と名前をいれたもの)を取り付けるというのがメインであった。当時湯沢町役場勤務で終始われわれのよき理解者であった高橋貞良さんのご尽力でこの道は三角山登山道と名付けられ、昭文社の地図にも掲載された。完成後、メインテナンスは地元青年会の手にゆだねられたが、プレートはその後の風雨に傷みが激しく、2009年に撤収し、回収できた87枚は持ち主に返還された。その後いろいろと小規模の変更はあったものの、登山道として確固たるものになって今日に至っている。

一方、これにかかわったグループのあいだで稲包山に至る道を開こうという機運が生まれ、2000年から三国スキー場(現在は廃止)を経て三坂峠、稲包山に至る道を開発、湯ノ沢林道コース5.8キロが完成。さらに余勢を駆って三国峠に至る稜線への道づくりを始めた。正式な命名がいつだったのかよくわからないが、これら一連の作業を”新道開発”と呼び、携わったOBたちが”新道開発団”を名乗ることになる。2001年には前記高橋さんのご努力もあり、環境庁仕様の指導標(1本20キロ)17本を当時の現役諸君の応援を得て設置した。田中(透)の手元の記録には、9月8日、13.3キロの全通を祝ってOB19名、現役1人、高橋さんとが記念の稲包登山をしたと記されている。

その後も前記 ”新道開発団” が主催し、各代OBや現役諸君とがたゆまぬメンテ作業を続けてきたが、”17年が経過するロングラン”(妹尾のあいさつ文による)はこの”新道”のほとんど(三国峠―稲包―三坂峠)が、群馬県庁スポーツ部主管の”ぐんま県稜線トレイル”に含まれることとなったのを機会に2017年7月1日ピリオドを打ち、新道開発団は解散。これが本稿文頭のことである。

上記解散にあたって、妹尾があいさつ文に書いたように、”50・60歳からの青春を感じた充実した日々” を送った仲間たちがいた。当時現役であった人たちも当然OBとなり、”若手OB” グループもすでに古希を迎える時代である。この人たち、仲間たちはその後どうしているだろうか。幸い、堅固なKWV三田会の存在があって、その後も変わらぬ付き合いをしているものもあるが、家庭や仕事の理由で歳月、人をわけてしまった仲間も多い。このあたりであの日々を振り返ってみたとき、”そういえば、あいつ、どうしてるかなあ” ということに何らかの形で力になれればいい。そういう気持ちで、1年弱前に老人の手すさびにおそるおそる始めたブログという奴を使ってもらえれば、と思い立った。

今回、そのきっかけとして数人の方を選定し、勝手ながら投稿をいただいた(ありていにいえば強制だが)。この後、何回かに分けて連載するので、記憶を改めていただければ嬉しい。これに引き続き、これから山荘祭までのあいだ、このプログラムに関係した各位の近況や思い出などをこのブログにご投稿いただけないだろうか。現山荘委員会を中心に記念行事が展開されていく中で、山荘史に残る話に花を添えられればこれに勝る喜びはない。投稿は小生あてメールの形で、出来れば近影の写真などがあれば添付いただければありがたい。

(本稿に添えた写真は田中(透)君にご提供いただいたものの一部である)