ゆく年くる年-僕の場合  (39 堀川義夫)

ゆく年ー12月30日に中房温泉に向かう長い雪道(無雪期はバスが通る道で、車止めのゲートから片道約13km、標高差約800m)を勇躍仲間と楽しく歩いていました。ところが中房温泉まであと3km位のところで急に股関節が痛み始め、登りが急になると激痛が走り、耐えながら宿に着いて温泉入り休むと痛みも取れて安心していたのですが…夜中に違和感があり、朝食後もすっきりしません。朝5時の燕山荘の天気状況はー21℃で暴風雪とのこと、中房温泉の説明ではあんに登山をしないように勧めていました。悩みました。そして結果的には途中で痛みが激しくなり下山しなければならない状況になったときに他のメンバーに迷惑をかけるのではと思い、下山を決断しました。

結果論から言えば、下山して正解でした。復路のやはりゲートまであと5km位手前から痛み出し、やっとの思いでタクシーの呼べるゲートに着くことが出来ました。原因はおそらく、往路でスピードを上げるために大股で歩いたためではと思います。暮れの23日に、この山行の為に行った大山へのトレーニングの際も少し違和感があったのですが…油断でした。結局、往復26kmも雪道を歩いて温泉に行ったという、お粗末なお話でした。

来る年ー今年、私は傘寿を迎えます。私の一番好きな山スタイルは、テントを担いで縦走する山旅です。あえて登山とせずに山旅としました。何故なら高校時代にさかのぼって思い起こすと、私は高校生時代に丹沢、八ヶ岳などの夏山程度しか経験がなく、ワンダーフォーゲル部に入部した動機は、言わば、自然豊かな里山歩きや名所旧跡を訪ね観光ができるのではと思って入部したのです。しかし、少し思惑が違っていました。新人養成を受け、1年の夏合宿が終わると山が面白くなってきました。一生懸命、学業をさぼって年間百数十日も山に行きました。でも、社会人になってから2,3年は山にも行っていましたが、26歳で結婚そして山やスキーに疎遠となりました。46歳で再開し、大病も患いましたが60歳くらいから70歳くらいまでは、コタキナバル山、ヒマラヤのトレッキング(4回)、キリアコンカグア遠征(6700mで断念)、マンジャロ登頂、ヒマラヤのメラピーク登頂、モンブラン遠征(グーテ小屋まで)、そしてマッキンリー(現在はデナリ)登頂などを経験しました。そして、2018年5月に喜寿の記念にとヒマラヤのロブチェ・ピーク(6189m)に挑戦し、5800m付近で高山病の為にリタイアしました。このころは海外の山に行くことを念頭に、日本の山を登っていましたが、この辺で海外の高山は終わりにしようと思っています。従って、これからの山登りの考え方も変わってくるようになります。

今年からは、気力、体力、家庭環境が整えばまだまだ山には行きたいと思っていますが、中心はロングトレイルを念頭にテントを担いで、時に安宿に泊まりながら、放浪の旅をのんびりと行きたいと思っています。季節を楽しみ花を愛で、温泉に地方のグルメと酒を味わいながら・・・即ち、私が大学のワンダーフォーゲル部に入部しようとした高校生の時の感覚でそれを実践しようと考えています。傘寿を機会に自分の山スタイルに少し変化を加えられれば良いな、そうです、一言で言えば年齢相応の活動と言うことでしょうが、自分自身、そのような活動で満足できるか否かはわかりません。でも考え方を方向転換していかなければ体力、近い将来に体力、気力もついていけなくなるのではと思う次第です。一つの私自身に課せた、新年の決意です。