”エーガ” から ”ジャズ” か?

(安田)
ジャズの聖地といわれる岩手県一関市の「ベイシー」の50周年特別番組、BSで放映されました。店主菅原正二とは長年懇意にしていて、何10回と入り浸ったところです。僕の勤めていた会社の音響製品を使用しています。

(相川) 10月初めに映画館で見ました。(アップリンク渋谷~東京劇場上映はここだけか) これも奇遇と言うのかな。
昭和にはやったジャズ喫茶、ジャズライブを未だにがんばってやっている店主菅原さんが 友人と日本のジャズ評論や演奏の歴史を語る。 由井正一と言う懐かしい名前も登場。カウントベーシーにほれ込んで店名に。店で演奏もしている。 渡辺貞夫、坂田昭の演奏もよかった。小澤征爾もジャズを語る。 ややマニアックですが、ジャズに関心ある人にはお薦めです。

(安田)映画館で観た方がKWVにおられるとは嬉しいことです。僕も渋谷で映画観ました。5年前から始まった映画作成の過程も知っています。監督も知り合いです。業界ではシーラカンスのような粋な天才と努力が合わさったような魅力的な達人です。ジャズが主ですがクラシックの造詣も半端でなくLPの所蔵も数千枚に及びます。クラシックのみ数時間聴いたこともあります。1942年生まれ。相川さんと同年齢かも。ベイシーでのショット写真お送りします。

注: 鈴木京香は仙台出身で遠くない一関市には高校時代から通っていて菅原さんとは長年の友人。


(小田)主人も早大出身者が始め、タモリ等が出入りしていた事を知っているとかで、一緒に観ました。
ずっと知らなかった”JBL”が分かりました!  娘が忘年会でipodを当て、それに小さなJBLと書いてあるスピーカーを付けて私にくれました。今は650曲位入っていて、炊飯器やお塩の入れ物の横で楽しませてくれます。ベイシーの菅原さんは”車の中では音楽は聴かない”とおっしゃいましたが、先日納品された車のCD機器は助手席の下!もうCDの時代でもなくなってきたのですね。又、使った針は、家2軒買える位とは凄いです ね!

HPのチビ太さんは、主人の話では、大学時代軽音楽部でテナーサックスを吹いており、ラジオに出たり、大橋巨泉に誉められたりしたことがあるそうです。彼もちょっと、ジャズな生き方してきたのかも?

(小泉)後藤さぶちゃん、安田さんから懐かしのSPレコード中心のメールをいただき、若き頃が思い出されます。確かにエーガではありませんが、相川さんが観たのも映画ベイシーの筈。最近は、「パバロッティ太陽の歌声」やメトロポリタンオペラの映画やらも。

何といってもレコード解説の元祖である、あらえびすの話が、レコードを論ずるなら、事始めのようなもので、懐かしい感じがいたします。小生の時代は、サブちゃんよりもレコードに目覚めたのが。少々遅れたか?SPレコードはそれほど買わないうちにLPの時代に入り。当時は高価だったこともあり、そのうちカセットテープに録音することを覚え、ラジオから録音しては、聴いておりました。当時は、FMfanとか、週刊FMなんていう音楽番組の曲名から演奏者を全て克明に時間別に記録する週刊誌が発行されていて、その曲名を切り取り、録音したカセットケースに入れて楽しんだ記憶があります。

野口久光氏と菅原正二様との関係やら、喫茶ベイシーへあれだけの有名人が通っておられるとは驚きでした。野口久光氏と菅原正二様との関係やら種々の資料も有難うございます。

(編集子)今度はジャズフリークのためのグループができるかな?相川さん、”ゆい” さんは ”油井” じゃなかったけ? 小生は本格物はあまり知らず、昔のラジオ関東の深夜番組 ”ポートヨコハマ シーサイドイン” だとかかの ”皆様のお相手をいたしますパイロットは” なんてJALの宣伝番組のポピュラーどまり。引退後数年ほど、銀座スイングの会員になったりしましたがそこまで。現在は自作の6代目のアンプ(安田くん、12AT7 のパラプッシュ、というやつをでっちあげて悦に入ってます。。。がCDプレーヤーがいかれてしまって、参っています。もう単独のマシンでは売っていないようですね)でそこそこ、やっているのが現状。