久しぶりに真面目に映画を見た。「真面目に」という意味は、その映画に没入し登場人物に感情移入するくらいの真摯な気持ちで見ないと本当に見たということにはならないと思うからだ。家庭の居間というのはTVでの映画鑑賞にはまったく不適で、家の者がしょっちゅう出入りしたり鬼の居ぬ間にと家人の留守中に見はじめると宅配業者に席を立たされたりと落ち着かないことおびただしい。今回は御大のお薦めということで早起きし、早朝まだ皆が眠っている中で集中して見ることができた。
吹き荒れる嵐の中、激しい波に翻弄され今にも沈没しかねない艦のなかで操艦を巡る自己愛の強い艦長とそれまで艦長を支えてきた副官との壮絶な確執。艦長から出される支離滅裂な種々の指示に異常を感じた副官が軍規に基づき指揮権を奪取するが、これが帰投後反乱とみなされ軍法会議にかけられる。圧巻は軍法会議における検察官・精神科医と弁護士との迫真の論戦。精神科医による一般的な診断では極端ではあるが病気とは言えないと判断された艦長。それにもかかわらず艦長の命令に逆らい指揮権を奪った副官は反乱罪が当然だと誇り勝ちの顔を見せる検察官。やがて艦長が尋問の場に立たされ自己弁護を始めるが、艦内で起きた異常と思える事故について弁護士が一つ一つ事実を追求していく。自らの言動の正当性を主張したり不都合なことは記憶にないなどとはぐらかす艦長だが、虚偽の答弁がついに馬脚を現し自ら記憶にないと言っていたことを残らずしゃべってしまう。こうしてめでたく副官は無罪となったわけであるが、打ち上げの飲み会にくだんの弁護士が現れて曰く、「俺たちが平穏なところで勉強したり遊んだりしていたときに、危険に身をさらして前線で戦っていたのは誰なのか。艦長ではなかったのか」と。助けるべき時に助けもせずグルになって上官をさげすんでいたことに対して苦言を述べるのであった。
私見だが、我々はややもすると過去の業績で人を判断しがちになる。確かに能力がなければその業績は達成できず敬意を払うべきだが、その能力が現在もあるとか発揮できるとかにはならない。艦長も活躍していたころからは歳を取ってきているわけで、私は副官の判断を支持したい。
ハンフリー・ボガードが憎まれ役で出ていたことに驚いたが、さすがに演技は抜群で追及され追い詰められていく焦りの表情は何とも言えない。不安と親友に裏切られたという苦悶の表情を浮かべる副官もそうだし、弁護士もその役にふさわしい顔立ちの男だった。久しぶりに面白い映画を見た。
余談1.巨大空母:ゴルフのショートホールにもなりそうな巨大な空母が登場。当時の日本にもこれに匹敵する赤城、加賀、飛竜、蒼龍といった空母群があった。その大半はミッドウエーで失ったが、誰も責任を追及されなかった。
余談2.軍規184条:指揮官が負傷するなど明らかに指揮が取れないなどの場合以外は運用は難しそう。異常な命令や指揮がとられても何をもって異常と判断するのか判断基準が曖昧。他にも敵を攻撃すべきか否か寸刻を争う緊急事態に対して艦長と副艦長との判断が異なり、副艦長が武力で指揮権を奪うという米国の海戦映画があった。密閉空間内での確執であり難しい問題である。