河瀬さんのAIの回答をめぐって」に関してAIそのものについ
チッポケな存在 相模湾の海原と茅ケ崎の海岸は一体となり雄大な光景が広がった。遥か彼方に富士山が見える。箱根と伊豆の山並みは丹沢まで続いている。親子は砂浜に並んでたたずむ。大自然の中ではチッポケな存在である。
存在論 ふと存在から「存在論」をつぶやく。カメの専門はオントロジーという名前の「存在論」だった。オントロジーはAIと密接に関係する。
オントロジー 何事も何物も名前が無ければ存在できない。名前は人間の知恵の産物である。SNS世界で氾濫する諸々のデータ、流行りのコトバ、発見と発明、そこには必ず名前を付ける。名前を持つことにより存在できる。意味は「ある」のか「ない」のか、意味の存在論である。
「存在、意味、定義」はオントロジー(Ontology)における研究テーマでもある。iPSという名前を与えられると、その存在はもっともらしくなる。AIという名前を与えられると、その概念や考え方など思想はなんとなく分かったような気分になる。
存在論は名前付け(ネーミング)や意味と定義に関する情報技術とされ「AIオントロジー」になった。AIはオントロジーなくして存在できない。人は、何事にも何物にもまず名前をつけて存在を確認する。AIは諸々の名前あるデータをかき集めることにより新たな知識を生成する。ただし、その知識にAIは名前を付けてくれない。
これは「概念化」ということで, AI技術では「メタデータ」と呼ぶ。簡単な例を挙げてみよう。
「ニワトリ、雀、カラス、燕」など名前が与えられた鳥類というグループで、これらは実際に飛び回っている。「実体」である。ところが「ニワトリ、雀、カラス、燕、鳥」とし「鳥」を加えてみると、鳥という実体は存在しない。鳥は「概念」であり鳥類も同じく概念、実体も無く名前だけの存在です。つまり「メタデータ」。
このような概念化はAIは非常に苦手で、実体の属性までは明らかにできても分類まで思考できない。実体の属性を分類して、つまり抽象化することによりグループを造り出す。なんとかそこまでは可能だが、「鳥や鳥類」という集合、分類カテゴリーに与える名前(メタデータ)は何とすべきか。分類は知の体系化、すなわち概念の抽象化の産物である。
AIの苦手とする分野は、「抽象化」つまり「概念化」で、かたや人間は、概念化は得意である。AIオントロジーでは「概念化」とは「メタデータ」、データのデータ」つまりデータを定義するデータ(メタ超える)のことである。例えばカメのホームページ(Website)は、HTMLやSGMLなどメタデータを使い表現(プログラミング)されているのだ。
(河瀬)カメさんが指摘
(編集子)“カメ” とは筆者斎藤君のKWV時代の通称である。