日本における紙幣の歴史を振り返ってみると、約20年ごとに主要な紙幣のデザインが大きく変わっています。現在使われている1万円札、5,000円札、1,000円札が発行されたのは2004年で、その20年前の1984年にも描かれる人物やデザインが変わっています。そんな役割を果たす人物の肖像も、新紙幣では刷新されます。具体的には、以下のように変更されます。
券種 新たな紙幣 現行の紙幣1万円券 渋沢栄一 福沢諭吉
5,000円券 津田梅子 樋口一葉
1,000円券 北里柴三郎 野口英世
財務省によれば、紙幣に描かれる人物は3つの条件をクリアしていることが求められます。なるべく精密な写真や絵が残っていること・品格があること・国民によく知られていることの3条件です。
新紙幣に描かれることになった渋沢栄一と津田梅子、北里柴三郎は、いずれもこれらの条件をクリアしています。財務省はさらに、3氏はある共通点を持っていると説明しています。それは「現代の日本にも通じる、普遍的な問題に取り組んだ人物」という点です。
近代日本経済の父」と呼ばれる実業家、渋沢栄一をデザインした一万円札、日本で最初の女子留学生としてアメリカで学んだ津田梅子をデザインした五千円札それと破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎をデザインした千円札、という具合です。
北里柴三郎は、破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、その治療法を確立するなど、明治から大正にかけて伝染病の予防などに多大な功績を上げた世界的な細菌学者です。
江戸時代の嘉永6年に(1853年)現在の熊本県小国町に生まれ、東京大学医学部の前身となる「東京医学校」で学び、卒業後は、ドイツに留学し、病原微生物学研究の第一人者「コッホ」に師事し、1889年には当時不可能とされていた破傷風菌だけを取り出して培養する「純粋培養」に世界で初めて成功しました。さらに、菌の毒素を少しずつ注射しながら体内で抗体を作ることで病気の治療や予防を可能とする「血清療法」も開発しました。この研究は、第1回ノーベル賞を獲得した大発見でした。ところが、この研究を一緒に行っていたドイツ人のベーリングだけが第 1 回ノーベル賞を受賞し、北里は受賞できませんでした。明治維新になって初めて西洋医学を学んだ日本人がそんな偉大な発見をするわけがないという偏見があったためと言われています。帰国後は、「私立北里研究所」を設立し、インフルエンザや赤痢などの血清開発を続けるとともに、黄熱病の研究で知られる野口英世や赤痢菌を発見した志賀潔など多くの弟子の指導・育成に取り組み、大正6年(1917年)には、慶応義塾大学医学科の創設にも関わりその功績の大きさから、日本における「近代医学の父」とも呼ばれています。
一万円札の肖像は、40年間変わらず「福沢諭吉」が採用されてきました。平成12年(2000年)には二千円札も登場しています。二千円札の表面は、他のお札のように肖像ではなく、同年に九州・沖縄サミットが開催されることになっていたことから、沖縄の建造物である守礼門が採用されています。40年間一万円札は福沢先生の肖像画が使われていたわけです。
北里柴三郎と福沢諭吉と野口英世はどんなつながりがあるのでしょうか。
北里はドイツから帰国後、慶應義塾大学を創設した福沢諭吉の支援で、慶応義塾大学横の三田、芝公園に土地と建物を譲り受け、伝染病研究所を設立しました。 しかし、以前から派閥にパッシングなどがあり、嫌気がさしてこの研究時をを去り、再び福沢諭吉の世話で慶応義塾幼稚舎隣りの港区白金台の土地に移りましたが、前の場所は現東京大学医科学研究所です。
北里が所長を務めていた伝染病研究所は、赤痢菌を発見した志賀潔、黄熱病の研究で知られる細菌学者の野口英世(前千円札の肖像)など、優れた人材を輩出しました。野口英世は、英語が堪能だったので研究所では、研究者というより通訳として北里柴三郎に仕えていました。
野口は、福島県会津の猪苗代町の貧しい農家に生まれ、母と二人で暮らす毎日でした。ある日、母が畑仕事に行っている間に囲炉裏に落ちて、大やけどをしてしまい、指が縮んだまま動かなくなってしまいました。
そんな子を不憫に思った母は、せめて読み書きだけでもさせたいと、毎日、囲炉裏の灰に火鉢で字を書いては消し、書いては消しを繰り返して、読み書きを覚えさせたのです。その努力の甲斐あって学校では最も優秀で、地元の人たちがお金を出し合い、固まった指を五本に切り離す手術を受けさせたことで指が動くようになりました。その後、医師になって恩返しをしようと上京して、北里柴三郎に学ぶことになりましたが医師としても優秀で、アメリカに渡り、黄熱病の研究で一躍世界的に有名になりました。その後黄熱病の研究のためアフリカのガーナに渡り研究に励みましたが、自ら黄熱病にかかり、亡くなりました。
今でも、ガーナには、野口学校などもあり、ガーナの英雄とされています。私は福島県出身なので、よく小学生のころ、 「野口英世先生のような立派な人になりなさい」と学校で教えを受けた記憶があります。
現在は、白金台の東京大学医科学研究所と聖心女子学院の丘の下に、北里大学医学部・薬学部があります。北里柴三郎は、「細菌学の父」であるばかりか、 まさに日本の近代医学の礎を築き上げた偉人なのです。またここに北里柴三郎記念館と北里・コッホ神社があります。めでたい限りですね.
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