昨日、”月いち高尾” の番外編、ということで企画された散策行に参加してきた。ここのところ、人様並みに足元が怪しくなってきているので、安全第一のゆっくり旅だったが、付き合ってくれた堀川君と会話を楽しみながら7月の上高地以来久しぶりの快感を味わってきた。この企画の主目的であった、紅葉は酷暑の影響と予測はしていたもののまったく見当たらなかったが恒例の二次会も小人数ながら楽しい時間だった。
この日は10月31日だった。
小生が38年間のサラリーマン生活にピリオドを打ったのが1999年のこの日だから、ちょうど25年経過した。25年、といえば四半世紀である。”四半世紀” と言ってみると改めて一種の感慨が沸く。歴史を紐解けば一国の運命が定まってしまうに十分な時間である。親しい友人の中には自身の健康はもとより、家族の問題とか経済事情とか、不運に遭遇した仲間も数多いなかで、自分はこの時間、意義ある過ごし方をしてきただろうか。
25年前の11月1日、自分がどんな気持ちで朝を迎えたのだったかという記憶もすでにない。その後数年間は、当時はまだ少数派だった ”外資系会社勤務” で得たものを意義あるものにしたいと、同期で同じことを考えていた後藤三郎と本を出版したり、某米国企業の日本での事業開発の支援にたずさわったり、会社時代の友人がはじめた介護事業をてつだったり、そのためには自分の英語力をもっと確かなものにしようと改めてスクーリングを受けててみたり、いろんなことをやった。その結果がどうなったか、自分で評価する立場にはないし、そういう意味ではもう一つ、物足りなさを感じるのだが、ただ確実にいえることは ”企業人生活” というものを去った後の時間に、よき友を持った、ということのありがたさが改めて感じられたことだった。KWVの仲間や、学生時代にさかのぼる友人たち、”Most admired company” ヒューレット・パッカードの隆盛時代にいあわせたことで得た友情、そういうものがあったからこそ、この ”四半世紀” があった。そんなことをかみしめた日でもあった気がする。
次回の ”月いち” はどんな日になるだろうか。