パキスタン北西部で栄えたガンダーラの仏教遺跡を巡る旅だった。ペシャワルから北方にカイバー峠を眺めた。あの峠を越えればアフガニスタンに入国できる。そこには憧れのバーミアンの大仏遺跡がある。
バーミヤン渓谷には多くの石窟があり、バクトリア様式の貴重な仏教美術を見ることが出来るだろう。その周辺に住むハザラ人は風貌が日本人とよく似ている。コーカサス系パシュトゥン人と違うモンゴロイド系の顔なのだ。是非とも会ってみたい。失われたジンギスカンの落ち武者の子孫ではないか・・・。
あの頃のアフガニスタンは1989年のソビエット軍の完全撤退後で内戦状態なので入国できなかった。
2021年8月末にアメリカ軍は完全撤退した。まるでサイゴンの陥落のような惨めな脱出劇だった。歴史を振り返ると、1989年にソビエット軍は完全撤退している。さらに1919年にはイギリス軍も完全撤退している。
これをタリバンは「ジハード」(聖戦)による勝利と称している。アフガニスタン人の不屈の独立心は粘り強い。タリバンがどの様に政権を維持していくのか、女性の地位や人権問題などで非常に危惧されるが、それはアフガン人自身で解決する歴史的問題といえるだろう。ただ哀れな難民だけは世界中で速やかに優しく受け入れていこう。
イスラム世界で西欧化を試みた国々はトルコ以外、例えばイラン、シリアそしてアフガニスタンなどで大失敗した。私の友人達は西欧化イスラム国から逃げ出した難民ばかりである。
ガンダーラは仏教徒の平和郷
イスラム以前のアフガニスタンはガンダーラの中心地として栄え た仏教徒の平和郷だった。
サクラメントには多くのイラン人も住んでいるが、彼らはパーレビ国王時代のペルシャ難民の子孫である。狂信的なシーア派の現在のイラン人とは異なる。全米にはシリア出身の人々も活躍している。多くはキリスト教徒(マロン派)やアラウィ教徒もいる。彼らは「ジハード」とは無縁で平和な民なのだ。 サクラメントは世界中の難民を大切にしてくれる進歩的な町である。カリフォルニア大学デービス校でSEとして勤務するペルシャ人の友人「ジャヒーン」、女性事務の「リラ」はシリア出身だった。「リラ」は母国シリアのパルミラ遺跡を誇らしげに語ってくれた。1993年に私がシリアを訪れた時の記録。(写真右 バーミアンの大仏立像 タリバンに破壊される以前)
英雄サラディンの慈愛心
アメリカ合衆国は難民大国でもある。これまでベトナム難民を多数受け入れてきた。今では祖国に帰りベトナム経済の立役者になっている。アフガン難民も多数受け入れて彼らの生活を支援していくだろう。やがて帰還してアフガニスタンの発展に尽力することを祈りたい。イスラム世界の人々よ願わくば、13世紀の英雄「サラディン」のような多様性と異教徒との共存を尊ぶ寛大な心を抱いてほしい。