人口問題を考える     (普通部OB 船津於菟彦)

5月5日はこどもの日。こどもの日が法律で定められた祝日であるのに対し、端午の節句は伝統行事であることが、大きな違いです。
端午の節句の起源は、2300年前の中国です。もともと5月5日は陰謀により国から追放された屈源という人物を供養する祭りの日でしたが、徐々に病気や災厄を祓う行事へ移り変わります。そして、奈良時代に無病息災を願う行事として中国から日本に端午の節句が伝わりました。端午の節句が男の子の成長を祝う日となるのは、江戸時代に入ってからです。端午の節句に関わる「菖蒲」と、武を重んじることを意味する「尚武」をかけて、端午の節句は武家の跡取りとなる男の子の成長を祈る行事となりました。
鯉のぼりは、江戸時代の武士が玄関に飾っていた幟や旗指物が由来です。その後、滝を上った鯉は竜になるという中国の登竜門伝説にちなみ、「川の流れに逆らって上昇する鯉のようにたくましい子に育ってほしい」という願いを込めて、武士以外の町人も鯉のぼりを揚げるようになったという言い伝えがあります。

世界では11月20日の「世界子どもの日」は、1954年、世界の子どもたちの相互理解と福祉の向上を目的として、国連によって制定されました。子どもの権利条約は、子ども(18歳未満の人)が守られる対象であるだけでなく、権利をもつ主体であることを明確にしました。子どもがおとなと同じように、ひとりの人間としてもつ様々な権利を認めるとともに、成長の過程にあって保護や配慮が必要な、子どもならではの権利も定めています。
生きる権利や成長する権利、暴力から守られる権利、教育を受ける権利、遊ぶ権利、参加する権利など、世界のどこで生まれても子どもたちがもっている様々な権利が定められた、この条約が採択されてから、世界中で、多くの子どもたちの状況の改善につながってきました。

児童憲章
児童は、 人として尊ばれる。
児童は 社会の一員として重んぜられる。 児童は よい環境のなかで育てられる。
しかし、児童の生活権や学習権の保障、児童の心身の保護などについて定めているが、法的拘束力はない。 

ユニセフ協会によると推定4,500万人の5歳未満児が消耗症(最も命を落とす危険性が高い栄養不良の形態)に陥っており、子どもの死亡リスクを最大12倍まで高めている。さらに、1億4,900万人の5歳未満児が、食事に含まれる必須栄養素が慢性的に不足していることが原因で、発育阻害に陥っている。一方で、3,900万人が過体重であることもわかっている。戦乱・貧困は先ず子供の悲劇に。

しかし、日本の家庭では以前は子供が4人から6人程度居るのが当たり前でしたが今や一人っ子が多くなり、人口が低下している。これは中国とか他の国のように國が政策で決めたわけでも無く、出生率が大幅に減少している。

婚姻件数は、第 1 次ベビーブーム世代が 25 歳前後の年齢を迎えた 1970 年から 1974 年にかけて年間100 万組を超え、婚姻率(人口千人当たりの婚姻件数)も概ね 10.0 以上であった。その後は、婚姻件数、 婚姻率ともに低下傾向となり、1978 年以降 2010 年まで、婚姻件数はおおよそ年間 70 万組台で増減を 繰り返しながら推移してきたが、2011 年以降、年間 60 万組台で低下を続け、2018 年に初めて 60 万組 台を割り込んだ。2021 年は 50 万 1,138 組と過去最低を更新した。婚姻率も 4.1 で過去最低となり、1970 年代前半と比べると半分程度の水準となっている。

我が国の年間の出生数は、第 1 次ベビーブーム期には約 270 万人、第 2 次ベビーブーム期の 1973 年には約 210 万人であったが、1975 年に 200 万人を割り込み、それ以降、毎年減少し続けた。1984 年に は 150 万人を割り込み、1991 年以降は増加と減少を繰り返しながら、緩やかな減少傾向となっている。 2021 年の出生数は、81 万 1,622 人となった。

合計特殊出生率は、第 1 次ベビーブーム期には 4.3 を超えていたが、1950 年以降急激に低下した。 その後、第 2 次ベビーブーム期を含め、ほぼ 2.1 台で推移していたが、1975 年に 2.0 を下回ってから再 び低下傾向となった。1989 年にはそれまで最低であった 1966 年(丙午:ひのえうま)の 1.58 を下回 る 1.57 を記録し、さらに、2005 年には過去最低である 1.26 まで落ち込んだ。その後、2015 年には 1.45 まで上昇したものの、2021 年は 1.30 となった。2023年の合計特殊出生率は、1.20程度になる見通し。

我が国の人口は、江戸時代末期には3,400万人程度であったと推定されているが、明治7年(1874年)に3,500万人に達し、明治45年(1912年)には、5,000万人を超えた。昭和11年(1936年)には7,000万人を超えたが、その後戦争による死亡や軍人・軍属等の海外流出とそれに伴う出生率の低下によって、人口増加率は大幅に低下し、昭和20年(1945年)には、人口減少を記録した。
戦後は、海外からの引揚げとそれに伴う第1次ベビーブームによる出生率の上昇によって、昭和20年(1945年)から昭和24年(1949年)までの間に人口は年平均3.2%で急激に増加し、昭和25年(1950年)には8,400万人に達した。その後、昭和42年(1967年)に1億人を突破したが、この間の増加率は年率1%程度で安定的に推移し、昭和46年(1971年)から49年(1974年)の第2次ベビーブーム期において、年率1.4%程度の高い増加を見せた。その後、増加率は低下を続け、近年は年率0.2%程度にまで低下している。

平成14年(2002年)の総務省の人口推計では、我が国の人口は、1億2,740万人。世界の総人口は約78億7500万人とされるが、正確な統計がない国もあるので、本当はもっと多いのではないかとも言われている。日本の人口は2021年では世界で第11位だが、これから日本の人口は減っていくのに対してアジアやアフリカの国々の人口が増えていく(現在は中国が世界で1番人口の多い国だがインドが中国を抜いて第1位になると予想されている)。

https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001093650.pdf

日本全体の将来推計人口が国立社会保障・人口問題研究所から2023年4月に発表された。それによると、日本では今後人口減少が加速し、2070年までに東京圏以上の大規模な人口が失われる。
さらに、今後の人口動向が超長期に続くなら、100年後の日本の人口は5,000万人を切り、アジア・アフリカの新興国だけでなく英国のような先進国も下回る。人口大国で経済大国という、現在の日本の国際社会での立ち位置は大きく揺さぶられよう。この人口減少の主因は、生産年齢人口が2070年までに4割減少することにある。つまり、生産年齢人口の大幅減少こそ、人口減少が本格化する日本の今後の大きな課題である。

婚姻率の低下と出生率の低下はだだ経済的な理由だけでは無いと思うが、やはり核家族になり子供を育て難くなっているがそればかりでは無く出生率は何故か低下している。結果、このまま進と日本は僅かの時間で労働力が大場に減少して高齢者ばかりの世になっていく。

テレビ「ポッンと一軒」は興味深い。以前は沢山の集落だったのが今は一軒。老人が頑張って人生を謳歌しながら生活している。自給自足でも心豊かな生活化できるという感じのする番組だが、日本全体がそうなるのかなぁ。

子供の日にふと考える。人口減少問題はエネルギー問題・食糧不足問題等は自然解消するのかなぁ。そしてAIとかロボットが人に変わって仕事をしてくれるのかなぁ。未来に夢ありかなぁ。