マカロニウエスタンは、監督セルジオ・レオーネ、主演クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒Per Un Pugno Di Dollari 1964」の登場で一大センセーションを巻き起こした。原名は「一握りのドルのために」だが、黒沢明の「用心棒」をリメイクしていたことから、日本公開時に「荒野の用心棒」と名付けられた。この映画も流れ者と敵対する集団との争いという「用心棒」と似た物語ということから、邦題は「続荒野の用心棒」と命名されたが、「荒野の用心棒」とは関係なく、同監督主演の正式な続編は「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」とタイトルが代えられた。
「続荒野の用心棒Django1966」は監督セルジオ・コルブッチ、主演フランコ・ネロで、純粋イタリア産ヒーローとして、ジャンゴ=フランコ・ネロを生み出した。そのジャンゴ役は大当たりとなり、その後国際舞台に飛び出し、「天地創造1966」「キャメロット1967」「怪奇な恋の物語1968」ナバロンの嵐1978」等に出演。しかしフランコ・ネロが扮したジャンゴは後年1987年の「ジャンゴ灼熱の戦場」だけで、トーマス・ミリアン、アンソニー・ステファン、テレンス・ヒルといった他の俳優が次々に勝手にジャンゴを演じてきたのだった。
オープニングは棺桶を引きずりながら、テーマ曲ジャンゴをバックに泥の荒野を歩くシーンから始まる。ジャンゴ―から始まる曲が、耳に心地よい。Luis Enriquez Bacalov作曲、Rocky Roberto唄。メキシコ国境に近い宿場町では、人種的偏見を持つ元南軍のジャクソン少佐(エドワルド・ファヤルト)とメキシコ独立運動の闘士ロドリゲス将軍(ホセ・ポダロ)の一味同志が対立しているが、その部下たちに相次いで危害を加えられようとされる混血娘マリア(ロレダーナ・ヌシアク)を救ったことから、ジャンゴはマリアとナタニエーレ(アンベル・アルバレス)経営の酒場で休むことになる。ナタニエーレに無理難題を押しつけるジャクソン少佐一味と早撃ちのジャンゴと揉めたことから、40人の部下を引き連れたジャクソン少佐とジャンゴが争うことになり、棺桶に隠し持っていたガトリング機関銃で、ジャクソン一味の大部分を殺してしまう。
その後の凄惨なバイオレンス描写も凄い。ロドリゲス将軍がジャクソン少佐の手下の耳を切り落としたりする。一方ロドリゲス将軍とジャンゴはメキシコ政府軍営倉に大量の黄金があることが判明、黄金を折半することで襲撃に成功。しか
しロドリゲスの折半の約束が怪しく、ジャンゴは黄金を棺に詰め、マリアと共に逃げたものの、底なし沼付近で、馬車が傾き、黄金は底なし沼に落ちてしまう。ロドリゲスの軍隊に捕まったジャンゴは、馬の踵でジャンゴの両手は二度と銃を握れぬように、粉々に踏み潰されてしまうが、反乱軍はジャクソンと政府軍に待ち伏せされ皆殺しにされてしまった。ジャクソン少佐とその部下5人は、恨みをこめて、墓場に籠る手が動かないジャンゴを殺しに来るが、動かないと思われたジャンゴの手が、墓標でピストルを支え、撃鉄を利用してのジャンゴの執念の戦いに敗れたのは信じられないことにジャクソン少佐の方だった。ジャンゴ執念の勝利。オープニングと同じジャンゴのテーマが流れ、満身創痍のジャンゴが、十字架に引っ掛けられた赤く血で染まったピストルを振り返りながら去って行くシーンで終わる。
(編集子)ジャンゴが棺桶に入れていた ”機関銃”。当時というか西部開拓時代の末期に登場したガトリング砲は グレゴリーペックの 勇者のみ (だったと思うが)で初めて登場した。しかしこれは大型の ”砲”で、とても棺桶で運べるものではないように思える。その後、この ”砲” は一人で持ち運べる “銃” になり、マキシムとかブローニング製のものに置き換わっていったはずで、このタイプになると、ガトリングのように銃身を回転させるものではない。ジャンゴがぶっ放すのは、一人で持ち運べてしかも銃口が一つではない、というのはやはりこれまたマカロニの発明品のように思えるけどなあ。
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