(ブログ記事にあったオマハビーチを訪ねたときの記録から抜粋した写真を送ります)
私達が訪れたのは1944年6月6日の上陸作戦が行われてから70周年で、戦闘に関わった6ヶ國の記念式典の直後でした。記念碑には各國の国旗が掲げられていました。式典関係の米軍の兵士と一緒に写真を撮りました。崖の上には子供達が教師に引率されて見学に来ていまました。
塹壕の中には手榴弾が壁に掛かっていました。オマハビーチは海岸線が10km近く続き砂浜のすぐ奥はかなりの断崖になっています。断崖の上にはドイツ軍の塹壕やトーチカがそっくり残っていました。断崖を攀じ登った連合軍兵士が狙い撃ちにされた事だと思われます。ドイツはまさかここから上陸するとは予想もしてなかったようです。ここを訪れた10年前と比べても何か怪しい世の中になって来ました。この先、怖い事が起こらないことを祈るばかりです。
(編集子)同感です。ウクライナもそうですけど、宗教と人種差別にからむ怨念が重なるガザのほうはさらに複雑で、鎮静化するのは容易ではないでしょうね。地政学的にいえば海で防御されている我が国はあらゆる面で有利だし、安全度は高いとは思いますが。
(映画に出てきたオマハビーチです)
(安田)”三つ子の魂百まで” というが、歴史的な出来事の史実・記憶・怨念の感情は人間の心の中にどのくらいの期間残存し、民族の運動或いは記念式典の形で存続するのであろうか?ノルマンディー上陸作戦から80年経った。記念式典はいつまで行われ続けるのか?英国の対フランス(ナポレオン)との戦いワーテルロー(ウォータール―)やトラファルガー勝利を祝う記念式典は流石に200年以上たった今日行われているとは思わない。人間の寿命を勘案すると100年くらいは記念式典なる“感情の発露”の“政治的行事”は続くのだろうと思っている。歴史の一例として、日本の韓国併合(1910年)に起因して韓国内で起きた民族運動を三・一独立運動(3月1日に起きたことからこう呼ばれる)と云うが、勃発したのが1919年。以来、100年以上経ったが、まだ彼の国では3月1日が来ると、何らかの式典なり運動が行われていると聞く。早くワーテルローの類の軽い空気感をもつ存在にならないものかと願っている。
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