われらが日吉の日々―”日平会” 開催

昭和29年(1954年)に慶應義塾普通部を卒業した仲間は卒業後も各クラスごとの集まりをそれぞれにやってきたが、卒業50周年に日吉の普通部校舎で同期会を開催、その後節目ごとに会合を重ねてきた。この同期のうち、B組にいた日高健郎の行きつけの店だった日平亭の常連が不定期だが同店で会合を持ち続けてきたが、その後は東京三田俱楽部で集まるようになっていた。コロナ騒動でしばらく会う機会もなかったが、久しぶりに集結した。発足以来、残念だがメンバーの中にも鬼籍に入ったものもあり、終息近いとはいえコロナの恐れもあり、今回は11名の参加にとどまった。発足のきっかけになった日平亭とは関係なく、昔懐かしい連中が残り少ない時間を共有するためにこの会を拡大しようという機運もある。参加希望の方のご連絡をお待ちする。

今回の参加者は岡野、船津、高山、飯泉、田中(ゴンべ)、岩瀬、田村(耕一郎)、河野、日高、佐藤(光男)、中司。

 

ウクライナ紛争と ”歴史の終わり” 

昨日、読売新聞の ”地球を読む“ にフランシス・フクヤマが書いている一文に興味を覚えた。フクヤマはかつて ”歴史の終わり“ という本を書いた。ウイキペディアはこの本について次のように解説している。

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「歴史の終わり」とは、国際社会において民主主義自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説である。民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するほどの戦争クーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。そのため、この状況を「歴史の終わり」と呼ぶ。

フクヤマは、ソビエト連邦の崩壊を以って「歴史は終わった」と主張した。しかし、これは、ソビエト連邦が崩壊し直ちに世界中が民主化され、世界中から戦争やテロが廃絶されるという意味の、楽天的な世界平和論や政治安定論ではない。ソビエト連邦の崩壊によって、「最良の政治体制は何か」「全人類に普遍的な政治体制は何か」「恒久的な政治体制は存在するのか」という社会科学的論争やイデオロギー論争に最終的な決着がついたことを意味している。        ************************************

今回の投稿は、現在かまびすしくなった、”世界の民主主義のレベルは低下していて、特に米国とインドでそれが顕著だ“ という指摘にこたえた形になっている。フクヤマは民主主義国はコロナウイルス対策に失敗したことで国家統治の最も基本的責務を果たせなかったが、ロシアや中国などの権威主義国家は民主主義国のような逡巡や議論の対立とは無縁に迅速な意思決定を実行して成果を上げているのがその論拠だ、と認めるが、その風向きは最近起きた ”権威主義大国による二つの破滅的意思決定によって明らかに変わった、と主張する。

その二つとはロシアのウクライナ侵攻と、中国におけるゼロコロナという無意味な政策である、というのだ。フクヤマはこの二つの破滅的な選択は、現時点で我々の多くが考えるような、単に情報の乏しさや指導者の無能によるものではない、と指摘する。その根底にあるのが、両国で起きた、頂点に立つ人物に際限のない権威を与えたことにある。米国で言えばトランプ、フランスではルペン、など多くのポピュリスト政治家はこのプーチンの行動に同調する部分が多くあって、それがおのおのの国における国民の分断を生じさせてきた。したがって、ロシアがウクライナで成功するかどうかは、地球全体の民主主義の在り方に影響を及ぼすだろう、と結んでいる。

現在米国では中間選挙の行方にいろいろな論議が盛んなようだ。もしこの選挙で民主党が衰退し、次回の選挙でトランプが復活する、という事態が起きたら、米国国民の分断には拍車がかかるだろう。民主党共和党間の争点は、いままでのような政策論議の範囲を超えて、国民の分断、ひいては民主主義を体現した大国アメリカの変貌につながるのではないだろうか。暴徒化した大衆による議事堂占拠などという、およそアメリカで起きるなどとは思ってもみなかった現実を思い出してみよう。もともと自己主張の強い国柄に人種問題がからんだ、週刊誌的表現を使えば “病めるアメリカ” の未来まで、今続くウクライナ戦争とかゼロコロナ強制はかかわってくるのだろうか。人道的、といえば大げさだが、戦火の苦しみを知る日本人の間ではともすればロシア軍による蛮行といった情緒的な面に同情しがちだが、地理的文化的距離から、我々に直接影響をもたらすという危機感は多少薄れがちだ。しかしフクヤマのこの指摘は、現在アメリカをむしばんでいる国民の分断、という事実を介してみると決して他人事ではない、という警鐘のように思えてならない。

エーガ愛好会 (144) 私は告白する  (普通部OB 舩津於菟彦)

(船津)ヒッチコックはさすが見せ方が巧み。時間も正味1時間40分ほどなので緊張感が最後まで持続して見ていられる。ヒッチコック光と影のこけおどしは控えて、黒の聖職者の「キャソック姿」が印象的に使われている。ヒッチコックが1951年に「見知らぬ乗客」1953年に私は告白する」1954年に「ダイヤルMを廻せ」1954年「裏窓」1955年「成金泥棒」1955年「ハリーの災難」1955年「知りすぎた男」1956年「間違えられた男」そして「めまい」等ヒット作を連発した時代の作品で一番と言えるのではでは。それは何と言っても「神父は告白を人に漏らすことはできないのだ!」モンゴメリークリフトがあまりにも美しい。彼はずっとキャソック姿なのだけどこれまた身長高いし美しい。
モンゴメリークリフトは1951年「陽の当たる場所1953年「私は告白する」1953年「終着駅」「地上より永遠に」など油に乗りきったときの映画で何とも適役で在り、彼が居たからこそこの映画が作られたという感じがした。
モンティは子役として13歳でブロードウェイで初舞台を踏み、以後10年間は舞台で経験を積み、多くの作品で主演を務めて高い評価を得た。ハリウッドからの誘いを断り続けていた彼だが、1948年、ジョン・ウェイン主演の『赤い河』で映画デビュー。同年の『山河遥かなり』でナチスによって母親と離ればなれにされた事によって、恐怖のあまり人間不信に陥り失語症となった少年を保護した心優しい米兵を演じアカデミー賞にノミネート。その後『陽のあたる場所』、『地上より永遠に』でもノミネートされ、二枚目俳優として活躍する。

映画スタジオとの長期契約を結ばず、大作や話題作への出演も断ることが多かった。『波止場』、『エデンの東』、『サンセット大通り』、『真昼の決闘』などは彼が断った作品の一部である。
1950年頃からアレルギーと大腸炎に悩まされるようになり、その結果、アルコールとドラッグの問題を抱えるようになる。更に1956年に交通事故に遭い顔面を負傷、整形手術をするも顔の筋肉の一部が動かなくなってしまい、以後更に健康上の問題を抱えるようになる。1959年にはテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化『去年の夏 突然に』、1961年にはマリリン・モンロー、クラーク・ゲーブル主演の『荒馬と女』に出演。1961年の『ニュールンベルグ裁判』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされ、その後の活躍も期待されたが、1966年に心臓発作で死去した。

あらすじはカナダ・ケベック市の敬虔な神父マイケル・ローガンは、ある夜、教会で働くオットー・ケラーから強盗殺人を犯したとの告解を聞く。事件を担当するラルー警視は犯行時に犯人が僧衣をまとっていたことを突き止め、マイケルに疑いがかかる。だが、マイケルはケラーの告白を他言することができない。そのうえ、犯行のあった夜にマイケルが国会議員の妻ルースと逢っていたことがわかり、警察からの容疑が深まってしまう。

ルースはマイケルの無実を証明するために良人、検事、警視、マイケルらの前で、マイケルが聖職を志す以前の過去の恋を打ちあける。そして、事件の被害者であるヴィレット弁護士が、この過去の恋を材料にして2人を脅喝し続けていた事実も判明する。ヴィレット弁護士が殺害された晩は、その対策を相談するために逢っていたのである。
マイケルは起訴されたが、確証がないため無罪の判決を受けた。だが民衆は承知せず、マイケルに罵声をあびせかけた。事件の真実を知るケラーの妻が真相を話そうとしたが、ケラーに拳銃で撃たれ殺されてしまう。ケラーはホテルへ逃げ込み、ラルー警視はマイケルらとともにケラーを追った。マイケルはケラーを説得しようとしたが、逆上したケラーは自らの罪をラルー警視の前で暴露し、マイケルに拳銃を撃ってきた。ケラーはラルー警視の命令によって包囲する警官の銃弾に倒れた。告解という言葉ではなく告白とするなら、したのはケラー、ルース、ケラー夫人。ローガンができるのはそれらを評価せず受け入れることのみ。ルースが最後までその場に留まらず、晴々とした顔で夫とともに帰っていくところがちょっとおもしろかった。彼女はあそこで、彼はもう本当に神父そのものであるとわかって未練が断ち切れたのかも。

マイケル・ローガン演- モンゴメリー・クリフト ケベック市のカトリック神父。 ルース・グランドフォート- アン・バクスター国会議員の妻。今も元恋人のローガンを愛している。アン・バクスターもなかなかの好演で告白は泣かせる。

(保屋野)

ヒチコックの「私は告白する」初めて観ました。彼の多くの作品の中で、上位に入る作品だと思います。

「モンゴメリー・クリフト」演ずる神父が、殺人犯から告白を受けるが、次第に神父自身が容疑者となっていく展開も斬新で、サスペンス感も中々でした。ただ、被告になった神父が裁判で無罪となり、更に真犯人(告白者)が分り、あっけなく死んでしまう、という結末は少々単純すぎるのではないか?

そして何といっても、この映画はM・クリフトの存在ですね。私は「赤い河」ですっかりファンになって、彼の映画はまだ2本目ですが、あの「憂いに満ちた風貌」は、他に追随を許さない、不思議な魅力を持った俳優ですね。また、今回の相手役、「アン・バクスター」も、建築家「ライト」の孫だそうですが、少々地味ながら、魅力的な女優だと思います。

三頭山新緑      (44 安田耕太郎)

19〜20日、三頭山1531mに登って来た。麓に泊まり周辺を散策。山頂は東京駅から直線で68キロ、八王子駅から31キロの距離に位置している。
標高900余mの檜原村都民の森まで車で行けるので、都内に位置する1500m峰に登るのには大変便利で気軽。好天にも恵まれ、新緑真っ盛りの絶好のハイキング日和。ゆっくり4時間ほど歩く。皇室も泊まったことのある築60年の風情ある三頭山荘も良し。
(金藤)

ドライブで奥多摩へ行くと大きな看板が目に入ります。
「三頭山荘」みとう山荘? さんとう山荘? みがしら山荘?
通るたびに “何と読むのでしたか?“   迷ってしまいます。
みとう山荘でしたね。
「三頭山荘」に宿泊した事はありませんが、昔々、会社の園芸部の日帰り旅行で盆栽・シクラメン等の生産者 園芸店を訪問した後、安田さんの写真の山菜の小皿料理を戴きに寄りました。 小皿の並べ方は変わっていないようです。
(安田)三頭山(みとうさん)は文字通り3つのピークを持つ山です。それぞれ東峰、中央峰、西峰と呼ばれます。三頭山荘の自家製山菜料理は小皿の盛り付けも昔から変わっていないのですね。フキノトウ、ぜんまい、ワラビ、タラの芽、ウド、こごみ、フキ、しその実、手作りこんにゃく、しめじ、などなど、堪らなく良かったです。僕の好きな山菜の女王といわれる「こしあぶら」はなかったです。ヤッコさんも泊まった三国山荘に春に行き、周辺で山菜を採取して、天麩羅にして舌鼓を打つのが最高の贅沢でした。女王「こしあぶら」の写真です。

錦秋の紅葉を愛でに、三頭山・広徳寺ともども再訪したくなりました。広徳寺の静寂感は味わえないでしょうが。

”海底ケーブル” 今昔物語       (普通部OB 船津於菟彦)

海外との電話やメールはもちろん、インターネット、SNSのやり取りも、今では気軽に行えるようになった。国際通信は飛躍的に便利になったが、その裏には先人たちの挑戦の歴史があった。日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年は150年目の節目となった。国際通信を可能にするには海底ケーブルによる電気通信ネットワークが大西洋や 太平洋といった大洋を越えなくてはならない。1850 年にはすでにドーバー海峡の海底にケ ーブルが敷設され、北米大陸とヨーロッパをつなぐ大西洋ケーブルは 1858 年から 1866 年にかけて結ばれている。

それに対して、アメリカとアジアを結ぶ太平洋ケーブルが結ばれたのは、1902 年になる。1871 年に長崎と上海の間に引かれた日本最初の海底ケーブルを引いたのはデ ンマークの大北電信株式会社(Great Northern Telegraph Company)。さまざまな外交上の不平等条約と同じく、この海底ケーブルについても日本 にとって不利な契約が交わされ、大北電信は日本の国際通信を独占し、1913 年に独占権は 撤廃されたものの、大北電信が関わらない日中間通信でも日本の収入の 64.6%を大北電信 に支払うという不均等分収が第二次世界大戦後まで続いた。

通信用の衛星として最初に実用化されたのは、1962 年 7 月にアメリカが打ち上げたテ ルスターである。さらに、1962 年 12 月 13 日には、リレー1 号衛星も打ち上げられた。こ のリレー1 号は 1963 年 11 月 23 日にジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領の 暗殺事件を日本のテレビ視聴者に伝えた。それは初の日米間テレビ伝送実験中のことであ った。通信衛星リレー1号による日米衛星実験が始まる。太平洋をまたいでアメリカから中継された第1回の実験放送は、ケネディ大統領暗殺という衝撃なニュースだった。

ただこれは現在の静止衛星の衛星放送とは違い、地球を周回する通信衛星で僅かの時間しか日本上空には居ない代物だったが、その後も衛星による映像伝送が暫く続いた。36千㌔上空にある衛星なのでどうしても往復の時間が掛かり時間のずれが生じる一方、国際通信はきわめて割高で、庶民が気軽に使えるものではなか った。業務においても節約しながら使うもので国際電話など商社と言えどもよっぽどのことが無い限り使用できず、テレックスというアナログ通信による伝送通信に頼っていた。大容量の光海底ケーブルが引かれたことで、やがて衛星通信と海底ケーブルの関係が逆転することになる。

通信の自由化と共に日本電電公社(NTT)と国際電信電話株式会社(KDD)に対して民間の通信会社が設立された。小生が設立とそれ以降の営業担当役員として出向させられた日本国際通信株式会社(ITJ)が1986年7月21日 – 大手商社各社や松下電器産業など出資で設立。1989年10月 – 識別番号「0041」で国際電話サービスを開始。 1997年10月1日 – 日本テレコムに吸収され、会社は解散。もう一つ伊藤忠などで国際デジタル通信株式会社(IDC)が 1987年9月に設立された。それまでは日米にアナログ回線しか無く、ツートンの通信と僅かな回線の電話しか出来なかったのだ。

日本ではKDDが1964年(昭和39年)に『TPC-1(第1太平洋横断ケーブル)』を敷設し、初めて太平洋横断といった長距離の国際電話が可能になる。『TPC-1』は当初電話換算で128回線で設計、運用開始後142回線まで拡張された。これは、100人程度が同時に通話でき、更に電信回線が600回線以上設定できるというイメージだった。1975年(昭和50年)に『TPC-2(第2太平洋横断ケーブル)』が登場し、845回線に、そして我が民営化部隊も参加して1989年(平成2年)には、光ファイバを使用した『TPC-3(第3太平洋横断ケーブル)』、1992年(平成5年)に『TPC-4(第4太平洋横断ケーブル)』が登場した。『TPC-3』が7,560回線、『TPC-4』が15,120回線と大幅に容量がアップし、民間会社との競争により電話通信料金は大幅に低下して使い安いモノになってきたわけだ。

1995年(平成8年)、『Microsoft Windows 95』が発売され、インターネットが急激に普及しはじめたこの年に、『TPC-5CN(第5太平洋横断ケーブルネットワーク)』が登場。『TPC-5CN』で画期的だったのは、中継器による光信号の増幅だった。光ファイバといえども、大陸から大陸の数千kmを一気通貫で到達するのは難しい。そこで、光海底ケーブルには数十kmごとに、光信号を増幅させる中継器が設置されている。

1996年に行われたアトランタオリンピックでは、世界で初めて光海底ケーブルを使用したテレビ伝送が行われた。この頃、国際通信の主役は衛星通信から光海底ケーブルに逆転、衛星のパラボラアンテナは無用の長物扱いになり、世は光ケーブル一色の時代となったのだ。
海底ケーブルは日本海溝などの底まで敷設するため、一度切れると、又元の陸揚げ地点から手繰り寄せて、繋ぐという大変な作業になる。敷設もKDDが所有していて特殊な専用船が行ったが、今やGAFA等が巨大ケーブルを敷設して運用開始している。これら巨大IT企業が参画するプロジェクトが年間の世界の海底ケーブルの総延長に占めるの割合を求めたところ、実に5割近くを占めることが判っていいる。日本の国際通信が始まり150年。もはや通信会社のケーブルではなくここでもGAFAが覇権を握る時代に成り、広帯域の高速通信が当たり前の時代になってきたのだ。

(安田)掲題のブログ記事大変興味深く拝読いたしました。知らない事ばかりでした。なかんずく、欧米間のケーブル敷設がそんなに早い時期とは驚きです。人間の発想と技術は思いのほか凄いですね。これから先、何が起きるか想像も出来ません。

 

エーガ愛好会 (143)  星のない男    (34 小泉幾多郎)

題名「星のない男」の意味は、夜道を歩くのに星を頼りに進むべき星を持たない風来坊、延いては、行くべき方向に背を向け、気儘な気質を持ち続ける男という意味か。

名匠キング・ヴィダーが、カーク・ダグラスを主演に据え、西部劇の中に、主人公の過去のトラウマと哀しみを深く掘り下げ、人間の本質を広大な原野に描き出したと言える。ダグラスも過去の個人的な魂の開放をもたらし西部的精神の再生を図る男を好演している。銃の扱い、馬の扱いは一級品だし、陽気な男気でありながらもその裏は暗い過去を持つ男。

冒頭からフランキー・レインが歌う主題歌Who knows who knows man without
star・・・ に乗ってタイトルが流れ終ると蒸気機関車が驀進してくる。駅に停車すると乗ってきたカーク・ダグラスが、失神して轢かれかけた若者ウイリア ム・キャンベルを救い、二人とも女牧場主ジーン・クレインの三角牧場に雇われる。広大な牧草地ではあるが、牛の増大と共に、隣接するライバルの丸C牧場が有刺鉄線を張ることになった。ダグラスにとって、この有刺鉄線こそが過去に殺し合いがあり、そのことで弟を死なしてしまった苦い思い出があり、ある日、仲間の一人が有刺鉄線に傷ついたことから、此処から出る決心をする。しかし三角牧場のカウボーイ頭になった過去因縁のあったやくざのリチャード・ブーンがトラブルの種をまき散らすようになり、しかもダグラスが懇意の酒場女クレア・トレバーに借りた拳銃を返却した後、リンチを受けることになった。このクレア・トレバーの十八番、粋も甘いも噛み分けた演技は巧み。この時ダグラスにバンジョーを投げると弾き語りの熱唱The moon was brighter and brighter 。主役が挿入歌として歌うなんて珍しく異色のこと。ダグラスはライバルの丸C牧場側につき、リチャード・ブーン一派との戦いに進展し復讐することになる。

全般的に放浪者としてのダグラスの心理的描写や若者キャンベルとの友情とか牧場での雰囲気描写や牛の暴走とか西部劇らしき描写に好感を持ったが、ただ一つ牧場の経営者ジーン・クレインの性格だけが、スッキリしないで終わってしまった。女性牧場主という荒くれ男の中で、身体を張って生きている存在をもう少し掘り下げてもらいたかった。しかし67年前の映画ということからすれば、こういう女牧場主を設定したことでも画期的だったのかも知れない。

(飯田)「星のない男」を観終わって、小泉さんの名解説を読み納得しました。

この映画のカーク・ダグラスはガン捌き、ガンベルトの扱い、バンジョーの弾きがかり、馬上の姿など、彼の演技の個性が十分に出た代表作の一つだと改めて思いました。カーク・ダグラスと言えば、古くは「チャンピオン」(1949年)のボクシング試合の迫力ある映像が「ロッキー」シリーズが出るまでは、ボクシング映画のベストだと思っていました。そして、ウイリアム・ワイラー監督の「探偵物語」(1951年)の鬼刑事役と彼の妻(エリノア・パーカー)との愛情の
物語の演技も、あのしゃくれた顎と顎のくぼみで、非常に印象に残った俳優でした。その後もこの映画「星のない男」(1955年)、「炎の人ゴッホ」(1956年)、エーガ愛好会では「荒野の決闘」に比して、評価が低い「OK牧場の決闘」(1957年)、「バイキング」(1957年)、「スパルタカス」(1960年)と
映画のタイトルを聞くと、主役のカーク・ダグラスの個性的な顔が直ぐに浮かぶ役を沢山演じてきました。

彼は俳優として珍しく長寿で103歳で2020年に亡くなっています。アカデミー賞とは縁が薄く、アカデミー名誉賞を受賞していたのですね。

(編集子)小生も飯田兄と同じで、初めて見たダグラスは探偵物語だったと思う。いわゆる歴史スペクタクルものはダグラス主演に限らず一切見たことがないが、西部劇では本作のほか、ロック・ハドソンとの共演作 ガンファイター と飯田君ご指摘の OK牧場の決闘 が代表作だろうか。いずれも小泉さんの御慧眼通り、なにか過去を持つ、表面にあらわれない衝動を画しているような役、つまりジョン・ウエインものなんかには出てこないシチュエーションが設定されていた。特に ガンファイター は日本版のタイトルが全く作品の陰影を覆い隠してしまっていて、一般的にはカツゲキものとみられているようだが、原題の The Last Sunset という含みを現したタイトルにふさわしい、重厚なものだった(もちろん、助演がドロシー・マローンだった、という事も小生の印象に深い理由なののだが)。 OK牧場のほうは確かに飯田兄ののたまう通り、過小評価があるかもしれないが、作品自体が大掛かりなしかけで、同じ史実の脚色の 荒野の決闘 とか 墓石と決闘 なんかにくらべて、言い過ぎかもしれないがけばけばしすぎてその分、損をしているように思える。

もう一つ、小泉解説にある ”星” の意味だ。西部劇でいう ”星” は保安官の星型の記章を意味することが多い。スズで作られた安物のはずだが、この星に正義と真実を見るのか、あるいは現実に多くの保安官がそうだったようだが単なる拳銃使いのはったりだったのか、によって作品の見方も変わってくる。著名な作品で言えばクーパーの 真昼の決闘 はこの星章に誇りと使命感をいた抱いていた男の話だし、もう一つ、あまり評判にはならなかったが、あのアンソニー・パーキンズの 胸に輝く星 は題名からして Tin Star だった。ただ、作品の意図というか主題がこの正義の象徴の星章をどうとらえるか、によって結末は違ってくる。真昼の決闘 でも 誇り高き男 でも主人公が退場するシーンではこのバッジを放り投げていく。OK牧場の主人公ワイアット・アープにしても、荒野の決闘 のフォンダと ワイアット・アープ のケヴィン・コスナーではイメージが全く違う。正義のしるしのはずの星、にもそれぞれの立場があるということか。

 

エーガ愛好会 (142)  見知らぬ乗客    普通部OB 船津於菟彦

怖いですねーぇと淀川長治が言いそうな映画。光の明暗も中々のもの。ミステリーとしてレイモンド・チャンドラーらが脚色しているとかで「ハラハラ」ですね。
眼鏡が色々なシーンで物を言う。根性の悪い妻が殺されるシーンは、サングラスに映るという巧みなショット。そして恋人の妹の眼鏡。あのテニスのシーンとライターを落として溝に手を伸ばして取れそうで中々取れず、フラッシュバックでハラハラ。そして回転木馬の暴走。おじさんが潜り止めに行くシーンもハラハラですね。
『見知らぬ乗客』(Strangers on a Train)は、1951年のアメリカ合衆国のサイコスリラー映画(英語版)。監督はアルフレッド・ヒッチコック、出演はファーリー・グレンジャーとロバート・ウォーカーなど。パトリシア・ハイスミスの同名小説(英語版)をハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーらが脚色して映画化した作品。
アマチュアのテニス選手ガイ・ヘインズは、浮気を繰り返す妻ミリアムと離婚したがっていた。そうすれば上院議員の娘であるアンと再婚できる。ある日、ガイは列車の中でブルーノという男性に出会う。ブルーノはガイがミリアムと別れたがっていることをなぜか知っており、彼の父親を殺してくれるなら自分がミリアムを殺そうと交換殺人を持ちかける。そうすればお互いに動機がないので、捕まる心配もないという訳だ。ガイはブルーノが冗談を言っていると思い、取り合わなかった。しかし、ブルーノは勝手にミリアムを殺してしまう。根性の悪い妻が殺されるシーンは、サングラスに映るという巧みなショットらしい「エーガ」,しかし、活動写真という感じで感動も何も残らないゴラクエーガですね!こう言うエーガってエンタメ快作と言うらしい。アルフレッド・ヒッチコックの作品としては上位に入る作品だと思う。

”保健所所長人材不足” の報道について   (会社時代友人 齋藤博)

2022年05月07日の読売新聞朝刊に、保健所に関連する記事が2つ,ともに、保健所長になる人材の不足について掲載されていました。

”全国の467保健所のうち、1割以上にあたる計62保健所で所長が不足し、他の保健所長が 兼務している状態であることが、読売新聞の全国調査でわかった。新型コロナウイルスの流行で 保健所の重要性が高まる中で兼務が増えた地域もあり、1人で四つの保健所を担当する所長もい る。感染症対策の現場の司令塔となるべき所長の「なり手不足」に拍車がかかる恐れもある”

”保健所長は地域保健法の施行令によって、原則、医師が務めると定めている。新興感染症や テロなどの発生時に医学的知識に基づいて的確に判断する能力が求められるためだ。新型コロナでは、感染者の入院の必要性などを判断する”

という2点です。現在の地域保健法は、平成6(1994)年に制定されました。
それまでの保健所法の下では850ほどの保健所がありましたが、保険業務、サービスの内容が分類整理され、現在の地域保健法では、機能的に2つに分けられ、保健所と保健センターという組織がつくられています。令和4年4月1日現在、保健所数は前出の通り467箇所、保健センターは2,435箇所となっています。
両者を足すと旧法のそれより、数が多くなりますが、保健センターという組織が皆さんの近くであれこれと仕事がやりやすくなったのかと思います。
一方保健所は、許認可指導、立入り権を集中させて、より衛生面の充実を図り、さらに、各種統計をして、保険業務の戦略・戦術の立案を充実させようとしたと解釈できます。都道府県に1カ所程度で良いというわけです。しかしながら、全体的なパンデミックへの対応指針は、貧弱だったのではないかと思っています。唯一、東京の墨田区保健所は、第5波で重症者を一人も出さずにうまく乗り越えられました。区の上層部と保健所長などがうまく協力して迅速に対策をうっていったと聞いています。旧法でも新法でも、保健所長は原則、医師でなければなりませんが、保健センター長は医師である必要はありません。本来は都道府県が保健所を設置するのですが、人口の多い指定都市、中核市、その他政令市、特別区単位では都道府県の業務の一部を代行して、保健センターは、各保健所のもとで設立できます。保健所、保健センターとも名称は様々です。保健所、福祉保険事務所、厚生センター、保健センター、地域保健課、保健福祉センター、健康センター、母子保健センター、農村健診センター、保険相談所、すこやか福祉センター等々です。保健所と保健センターの役割(細部は自治体により異なる)を以下に示します。

◎ 保健所
・こころの相談
・感染症の相談・検査
・飼い犬の登録や狂犬病予防
・野良犬・ねこ・アライグマ・ハクビシンをはじめとした動物の捕獲
・ねずみや害虫の駆除

・食品営業許可の受付
・医療機関の開設許可申請
・医薬品や劇物の販売業の許可
・浴場・理容室・美容院の開設指導許可
・墓地などの設置の開設指導許可

・飲料水の水質調査
・食中毒の予防

・人口動態統計
・栄養改善
・医療監視
・公共医療事業指導
・精神保健
・伝染病の予防

◎ 保健センター
・乳幼児健診
・小児予防接種
・健康相談
・成人病検診
・がん検診
・予防接種
・訪問指導
・機能訓練教室

・母子保健(母子手帳交付)
・老人保健

現況について、実務経験をしたものとしての考察を述べます。保健所長になる医師はどれだけいるか、医師の序列はあるのでしょうか。

かつては、医師はその所属する診療科によってランキングされていました。昭和50年代、私が研究室に通っていた頃は、そのランキングは「まだ」明確でした。
切った張ったの第一外科や、製薬会社から沢山の研究費をもらう第一内科がトップで、産科や婦人科は下位の方でした。クチの悪い先輩には、「股の間から世の中を覗くような奴には何もわからん」と言われたものです。
私の通っていた研究室のランクはもっと下で、数字や文献を読みまくって、いろいろな統計や予測、情報、これからの動向をまとめていたのですが、ランクは、ほぼボトムでした。教授や助教授は医師としてどこでも診察をし、処置もしていたのですが、上位に登ることはありませんでした。

さて、厚労省のデータ「医師・歯科医師・薬剤師統計」の令和2年3月31日現在を見ると、歯科医師、薬剤師は含まない医師総数は339,623名に対して、8,888名(比率では2.6%)が診療をしていない医師で、その業務は医療とは関係ないところに従事(6,000)、行政機関(1,805)、保健衛生業務(1,083)です。
医療とは関係ない所とは、臨床以外の研究機関、製薬会社、法律家などを、行政機関勤務というのは、医系技官のことで、厚労省ばかりでなく、財務省や文部省などの医務室にいる方も含まれています。

この分類で保健衛生業務に勤務とれている1,083名(0.3%)の医師たちが、保健所に勤務されているわけです。大学入学後、10年も勉強してようやく医師免許資格をとって、他の医師たちとは比べ物にならないほど低収入(はっきりとした統計があるわけではないですが)で、医師よりは数段上の激務の保健衛生業務に、どんな方が職を求めて来るのでしょうか。保健所長だけでなく、課長レベルの方でも医師がいます。
私はこのコロナ禍のど真ん中で保健所に勤務していました。感染者・濃厚接触者の健康観察も兼務でやっていましたが、強く感じたことは、パンデミックの対応指針が末端の私達に示されなかったことです。上意下達の強制力で乗り切ろうとしたために、考えることが否定されていました。余計なことは聞いては駄目、相談されても駄目でした。

保健所長の役割は、情報も整理し職員全体に届くようにする責務もあります。誰かが感染症関連機関や海外情報をキャッチアップして情報として整理する業務をこなす人も必要でした。そのためのハイブリッド組織になっていたはずですが、そんな事もできないほど、上司たちは焦っていたのでしょう。ハイブリッド組織は機能していなかったのです。行政職がゴロゴロしている現実の保健所に、希望をいだいた、知識と技術を持った医者がどうして来るでしょうか。私はそのように思います。根本的な改革が必要です。

大船を散歩する      (34 小泉幾多郎)

鎌倉

ゴールデンウイークの5月4日、大船フラワーパークに出掛けました。大船駅から徒歩約20分。入場料400円だが65歳以上は150円。季節を問わず何かしらは咲いていると聞いていましたが、入場した途端に、眼前が蓮池で、噴水と草花で色彩豊かな憩いの雰囲気へ。5月はシャクヤクが見ごろとかで、色とりどりのシャクヤクが今を盛りと咲いてました。

マリアカラス

案内書によれば210種2000株の規模を誇るとか。全て品種の名前が名札に記載されていた。珍しい黄色の鎌倉、マリアカラスとカトリーヌドヌーブを名前に釣られて紹介しますが、花を眺めてイメージが湧くとこところまでは行きませんで
した。帰りはバスが運行されていることを知り駅まで乗車。いつもは電車の中から眺めるだけの大船観音。折角来たので、立ち寄りました。入場料300円老人割引なし。

カトリーヌドヌーブ

眼前で仰ぎ見る観音様は、整った慈愛に満ちた顔で見つめられているように思われ、ちょっとした登りはあったが、立ち寄ってよかったと思った次第。

(編集子)センパイ、お元気ですなあ。その一言であります。

 

閑のあるまま―”三大” 何とかの話 (4)

昨晩テレビで ”三大” を ”四大” に広げられる候補を選ぶ、という番組に遭遇した。やはりこの世の中、洋の東西を問わず、big three というのは人間の心に響くもののようだと改めて思って…….いたら今度は5月1日夕刊に ”三体核力”という原子核物理学上の現象があって、それの解明に成功した東京工業大学の関口教授の話が載っていた。関口さんがこの研究にあたって、老子の教えの一節にある 三は万物を生ず という一節を意識してこられたそうだ。なんにせよ、三、という数というか言葉には神秘性があるようだ。

先回までで、”場所” がテーマになった話題と、その ”場所” から連想される味覚の話題をまとめてみた。一応アルコールからデザートまで来てみると(面白いことに今まで、肝心の食事、についての話題は出てこない)次はエンタテインメントがトピックになる順番だろう。”エーガ愛好会” というメル友グループでは、よくあるように自分の選ぶ映画ベストテン、という企画をやった。しかしグループ名を映画、でなくエーガ、としたのはユーチューブもサブスクもなく、テレビの連ドラと映画、しかなかった、いわば昭和中期に青春を謳歌した年代の話なので、もう一世代若い人たちの話も是非聞いてみたいものだ。 とにかく、この企画が選んだ映画のベスト10は次のようなものだった。         1.ローマの休日   2.カサブランカ     3.第三の男                     4.シェーン     5.風と共に去りぬ    6.アラビアのロレンス    7.ニューシネマパラダイス 8.駅馬車     9.我谷は緑なりき   10.荒野の決闘

1939年公開時のポスター

現在の若い世代にとってはいかにも古臭いものかもしれない。次回はぜひ、次世代の選んだベストテン、をどなたかに企画してもらいたいものだが、時代はエーガ館で見る映画からテレビやSNS 上で展開されるものに移っているはずだ。テレビの上での代表的なエンタテインメントとして大河ドラマをとりあげてみよう。まずは評判の良かったベストスリーは何だろうか。

エーガ評論ではエースの小泉さんは(どうも昔のほうが感激していたようだ)と述懐しながら

1.花の生涯    2.赤穂浪士    3.樅の木は残った

 

を挙げ、”若手(?)” を代表して武鑓君は                1.竜馬伝     2.西郷どん    3. 篤姫

を、安田君は                             1.真田丸     2.軍師官兵衛    3.樅の木は残った

を推している。NHKの大河ドラマはエンタテインメントというよりも歴史回顧みたいな部分が多いので、高評価が見るほうの歴史への関心の違いなのか、ドラマとしての出来栄えなのかは判然としていない。小生の場合は、大河ドラマという形態はとっていないが、特別番組だった 坂の上の雲 に好印象を持っているし新撰組! は同じ司馬原作で愛読書の 燃えよ剣 との関連もあって熱心に見た。出来栄えというよりも内容に関心を持つ立場から言えば、時代劇もので会話が現代語で使われているものには感心しない。小泉さんの場合はもっと立場が明快で、”大河ドラマどは評価しないとしている。その展開で、”大河ドラマ ワーストスリー” はどうか。

武鑓君は早くも 鎌倉殿の13人 をワーストワンとやり玉にあげ、いだてん、平清盛、も評価しない。安田君のワーストは おんな城主直虎、いだてん、花燃ゆだそうだ。

”がっかり” のことについて、岡沢君は別の観点から書いている。なるほど、こういう感覚もあるのだと妙に感心した。

”三大がっかり ”ではありませんが 私としては今でも大がっかりの話は伊藤左千夫の「野菊の如き君なりき」のことです。
中学生頃だったと思うが  小説が映画化され  有田紀子主演で民さん(タミさん)  政夫       本当に大感激したものです。が 、  作者の伊藤左千夫の顔写真をあとで見た時「えツ この作品の作者ってこんな顔なの」で大がっかり        幻滅の悲哀を感じました。小説の内容と作者の顔のイメージがまるで違ったので。今でもはっきりおぼえています。

 

今回のテーマとは関係ないが、各位から引き続きいろんな 三大 話をいただいているので順不同でご紹介しておく。

(菅原)小生、さしたる食通ではありませんが、以下、二つばかり。一つは、「利庵」(トシアン)と言う日本蕎麦や。高輪からはちょっと歩きますが、目黒通りを外苑西通り(通称、プラチナ通り)に折れて、ガソリンスタンドの手前。ただし、予約は出来ません。もう一つは、ご存知「シェラトン都ホテル東京」のシナ飯屋「四川」(陳健一の「四川飯店」とは関係なし)。最近、良く行くのは、こんなところです。

(保屋野 エーガ愛好会の”断崖”のついての議論のついでに)サスペンス感もイマイチで、ハッピーエンンド風のラストもイマニ。(真逆の原作は面白そうですが)K・グラントの容貌で、「ミステリアスな紳士風ダメ男」の役は似合わない。J・フォンテーンはまあまあですが、これでアカデミー主演女優賞?

断崖ついでに、私が選ぶ「日本三大断崖(海)」
①隠岐・西之島 国賀海岸・摩天崖(高さ日本一256m)
②陸中海岸・鵜の巣断崖(高さ200m)
③伊豆諸島・青ケ島の南 ソー婦岩(高さ100m)~写真・映像で判断+

観光地では
①福井、東尋坊
②陸中海岸 北山崎
③和歌山・白浜 三段壁

(斎藤)
■蕎麦屋で名前が出てくるのは2つ。
○水内庵(外苑東通り−南青山一丁目:現存)
社会人になった私の胃袋を満たしてくれたお蕎麦屋さん。お店のお姉さんにも随
分かわいがってもらった。会社で仕出し弁当(嵯峨野)が支給されるのだけど、それじゃ足らなくて、頻繁に通っていました。六本木交差点の角にも水内庵がありますが、兄弟店だそうです。信州蕎麦だったと思います。
近くに青山ツインが出来て、その地下1階に「くろ麦」という手打ち蕎麦屋が出
来て、ざるそばが1,500円と言われ皆でおどろいた。

○国田屋(水戸二十三夜尊近く旧大宮街道沿い:廃業)
ここは、私の蕎麦人生の師匠的な存在。
茨城の地粉を使う、いわゆる田舎のそば屋。そば打ちから、汁作りまで、全てこ
このおばあちゃんに教えてもらった。体育科の教授にそば打ちを習っていて、や
がてここに連れて行かれ、のめり込んでしまって留年の思い出あり

○布恒更科(品川区南大井3:現存)
地元の有名そば店。蕎麦はとても美味しい。大森駅からもそれほど遠くないので、繁盛しているようです。天ぷらはごま油の香りが強く、好き嫌いがありそうだけど、アナゴの天ぷら蕎麦は最高です。

■カレーライス
1軒です。YHPの方々を連れて行ってます。
○アジア会館(港区赤坂8)
ここのカレーライスは、日本の昔ながらのカレー。安かったので、来てくれた営
業さんとよく行きました。宿泊客は、ホテルの名の通り、アジアの方が多かったのですが、昼時はサラリーマンが多かったですね。今はホテルも改装されているようで、もうカレーライスは提供していないかもしれない。

(小田)外国旅行をしていて、困ることが三つあります。

①古い宿の鍵
共通の入り口と、個々の入り口2つの鍵があり、昔風の鍵でコツがなかなかつかめない。
②宿の駐車場:
一台ずつ壁で区切られていて入るのが大変だったり、駐車場の出入口の扉の開閉の方法がいろいろでわかり難い。又、中が空いていたので停めておいたら、2日分チャージされた。(外は只でした)
③レンタカー
教えてもらい発進した時はよいが、次に駐車したあとで操作が分からなくなる。
聖なる数字3にこだわると話題は尽きないようだが、今回はこのあたり。おあとがよろしいようで。