エーガ愛好会 (14) 新・ガンヒルの決闘  

自粛続きの毎日、懐かしいセーブゲキの連発がうれしい。まずは小泉解説から。(小泉)  グレゴリー・ペックと言えば、理知的で紳士的で誠実な風貌の役柄が似合うと思われるが、過去出演の西部劇を見ると11作品ある。「大いなる西部」のようにペックらしく東部からやってきた紳士風の役柄もあったが、どの映画も所謂西部劇とは一線を画した一癖も二癖もある、また巨匠の監督によるものが多く、それだけに、偉大なる大根などと揶揄されたこともあったが、感じる以上に夫々の役柄をこなしてきたと言えると思う。例を挙げれば、「白昼の決闘」「廃墟の群盗」「拳銃王」「無頼の群」「レッドムーン」等。

 ペック55歳の時の作品。監督はヘンリー・ハサウエイ、西部劇はもとより戦争映画、歴史劇、犯罪映画、冒険活劇の様々のジャンルで楽しませて呉れた。ペックが7年間の刑期を終え出所するところから始まるが、後になって、銀行強盗をした相棒に裏切られ、独り占めされた恨みを晴らしたいことが分かる。裏切った方は、出所が分かり、用心棒風の若者に、ペックの動静を探らせる。その若者と仲間計3人が、自称三銃士で傍若無人の振舞い、冒頭の酒場でのペックとの絡み合いから、ペック対三銃士の争いが最後まで続くことになり、ペックの敵まで殺してしまうので、ペックの出る幕がなくなってしまったのでした。勝手な推測だが、当時監督74歳、ヒッピー等既成概念からはみ出た若者の暴走に不快感を持っていたことが、三銃士の暴走に歯止めがかけられなかったのでは?結局は、ペックと三銃士との争いでの勝利で終わり。

 以上では観る価値もないようだがそうでもない。この映画のもう一つの主題、可愛いい7歳の女の子、投獄される前の恋人に預けておいた200ドルを届けてもらうはずが、恋人の死で、女の子が汽車でやって来る。どうやらペックの子供か否か不明だが、恋人がペックに頼るよう言い残したことは、ペックの子?しかも丁度7年経過。女の子とのロードムービーとしても出色の出来ではないか。同監督がジョンウエインにアカデミー賞を取らせた「勇気ある追跡1968」と同系統の映画。汽車でやってきた折、ペックは女の子を受け取るか否かで悩む。汽車が走り去るも水の補給で一時止まる、その際受け取りを決める。車掌とのやり取りで、帽子を代えるような男に碌な男はいないとペックを非難すると女の子がそれに同調し、同行を拒否するところ。ペックが、フライパンを持ち上げ、中のホットケーキが飛んでなくなったように見せかけ、女の子がガックリすると蓋を取ると中にあって大喜び。雨宿りの積りで入った母親と息子の一軒家で世話になった折の、ペックと母親とのやり取り、女の子を引き取る要望に対し母親は同意。引取れば貴方はここへ戻るでしょうから、も意味深で面白い。三銃士が一家を襲い、ウイリアムテルよろしく、母親に対し、林檎を息子と女の子のどちらかへ載せるよう強制された際、息子を避け女の子に載せる。あとでペックに謝るが、ペックも同じ立場なら同じことをした応える。何しろセリフが面白い。ペックと女の子二人、母親と息子の家に入って行くところでめでたしめでたし。

 最後に、邦題「新ガンヒルの決闘」はいただけない。アンソニー・マン監督「ガンヒルの決闘」とは何の関係もないのにあるように見えてしまう。「ラスト・シューティスト」という題名もあるのだから、原名「シュートアウト」やら「勇気ある追跡」の姉妹編なら「勇気ある銃撃」とか?

(菅原)早撃ちペック、参上。グレゴリー・ペックは、新聞記者だけじゃなく、早撃ちでもあったんだ。小生、非常に気に入らないところがありました。これは脚本のせいなのか、70歳を過ぎた老監督のせいなのか、どっちなのかは分かりません。ペックの目指す相手は、チンピラ ヤクザではなく、自分を裏切って銀行強盗の金を独り占めにしたサム・フォーリー(役者:ジェイムズ・グレゴリー)だったんじゃないでしょうか。そうじゃなかったところに、このエーガの致命傷があったと思います。「西部劇の両巨頭」小泉さん、ジャイ大兄、もし、間違っていたら。ご指摘ください。

でも、早撃ちペック、万歳!

(編集子)ペックの西部劇、といえばこれはもう、 大いなる西部 でありますな。高校時代だったかにみた 勇者のみ なんてのもあった。白昼の決闘 は見よう見ようとおもっていたが機会がなかった。廃墟の群盗 は見たはずだがあまり印象なし。小生にとっては 大いなる西部 が圧倒的で、ウエスタンでは印象が薄い。仔鹿物語、ローマの休日 とか、ジミー・スチュアートとな らんで、よきアメリカ人を演じるのがぴったりという俳優、という感じ。ナバロンの要塞 もあったか。

今日の結末については同感。あれえ! という感じだったね。子役がよかったし、もっと典型的なエンディングだとおもっていたんだけど。小泉解説にある題名についての違和感も同感。殺された友人がいうせりふだから間違いはないが、カーク・ダグラス版と全く関係ないのにこの地名が出てくるのはなぜなんだろうと考えてしまう。ダッジシティだとかツームストーンとかはたまたアビリーンだとかいう地名とは格が違うし、第一存在したかどうかもわからないが、とにかく劇中にはっきり出てくるのだから、日本の題名に出てくるのは自然か。先回あげた、あきらかに興行目的でつけた ”続”荒野の七人 とは違うけどね。

薬師岳から室堂への山中3泊4日の縦走登山 (39 堀川義夫)

今回は本文より先に観客席からの !! で始めよう。

(39 岡沢)どんな体力を持ってるんですかね。 そっくり同じコースを 13年前2007年 に66歳の時 同期の 長谷川 三嶋 飯河 小野 津金 岡沢の6人で縦走しています。 その時は小屋どまりで それでもよく行けたと思ってたのに 堀川は一人でテント行 どうなってるんだね。

私は 昨年 堀川に同行してもらい 飯河と三人で行った 裏剣 仙人池 欅平の山行が最後の縦走だと思ってます。実は 私も同期の三嶋のグループに誘われ 3日4日と 湯檜曽どまりで 谷川岳に行ってきました。 もっともロープウェイ経由ですが3時間近くかかってしまいました。平地歩きでは堀川にまけないんだけれどね。
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7月29日(水)の夕方の飛行機で富山へ。着陸直前のサンセットが美しい。明日は晴れてくれよと祈るばかり。富山の駅に近いAPAホテルに宿泊。翌30日(木)、例年だと富山の駅前から登山口の折立まで直通バスがあるのだが、コロナの為運航休止。この為、地鉄で有峰口へ行き、予約した折立行きバス(40人近く乗車)に乗り換えて8時10分折立に到着。いよいよ。3拍4日の縦走の開始である。登山客はバスだけでなく、結構駐車場には車が多く入山者は多いように思う。出発時は青空も見えたが、ずっと曇りで時々雨具が必要な位の雨。ひたすら我慢して太郎平の小屋に12時40分に到着出来た。まずまずのペースである。途中の高山植物は期待したほどでは無かったが、また、花を愛でるなどの余裕もなく歩いた。小屋の宿泊は予約が必要で普段の定員の多分、40%位に制限していると思うが、まだ、かなり余裕がある。小屋ならではの贅沢ではあるが、乾燥室で濡れた衣類、靴など乾かせるのがありがたい。5時からの夕食を取り始めた頃から晴れてきた! そして、第一の目標の薬師岳が全容を見せてくれた。

7月31日(金)

6時50分にガスで何も見えない中をスゴの小屋を目指して出発。結構調子が良く、かえって何も見えない方が登りに専念できる。頂上まで2時間40分で登り切り言うことなし。只、何も見えないし風が強い。多分10m以上が飛騨側から吹いている。登山路が黒部川に入るとホッとして、ついつい、休憩を取ってしまう。薬師岳から北薬師岳の間は飛騨側からの強風で思うように歩けず、又北薬師からの下りは風が強い上に巨岩地帯で歩くのにバランス感覚が不可欠の地帯だが、歳をとるにつれ、このような登山路は、私の一番苦手で嫌いな道である。思わぬ時間を要し、コースタイムの三割増しでやっと間山に到着した。ふっと、後ろを振り返ると・・・北薬師岳が全容を見せて呉れていた。晴れて来たのでゆっくり休憩を取り一気にスゴの小屋へと向かう。スゴの小屋の宿泊は5名、但し、天泊は10張以上の盛況でしだ。

8月1日(土) 今日は晴れだ!!

今日は五色ヶ原まで。まずはスゴノ頭の登りがきつい。3日目で疲れも出て来ている。でも、頑張りました。そして越中沢岳の登りがこれ又きつい! この2つの岩峰は、アミノバイタルで何とか乗り切った。(笑) そして、ほぼコースタイムで五色ヶ原に到着することが出来た。縦走はこうでなくてはいけない。穏やかな天気。心地よい風。適度の登りと適度の下り路。余裕のある時間。これらが、縦走の醍醐味でしょう。私の一番好きな登山スタイルです。ふっと、来年も同じようなことが出来るだろうか? 今回が最後の縦走スタイルの登山になるのではと思うと、おろそかにできないと言う思いがふつふつと沸いてきた。そして、山の神様!来年もよろしくと祈願せずにはいられませんでした。実は出発当日まで山荘のキャンセル待ちをしていたのだが、コロナで定員を大幅減にしている為どうしてもダメで、この為、天泊しなければならないことになってしまいました。そこで、やむを得ず、1泊の為に、テント、シラフ、食料。炊飯道具などを携行しなければならなくなりました。そこで、出来るだけ軽量化するため、テントはツェルトで我慢。寝袋はシラフ用のインナーシーツとカバーだけ、食料はレトルトの素麺とレトルトのビーフシチュウで我慢と徹底して軽量化して臨みました。結果的には天気が良くて助かりましたが、雨だったらどうなったか・・・?? 夜になると物凄く寒くなり、夜中に雨具まで着込んで対応する羽目に!! ご褒美は・・・小屋だと1泊2食で10400円だがテン場は700円で済みました。(笑)

8月2日(日)最終日。

寒かったので睡眠不足気味で、これを補うため出発を遅らせ6時30分まで睡眠した。テンバで仲良くなった人からりんごを貰ったのを齧りながら出発。天気は最高!正に夏山だ! もうこんな気分は味わえないかもしれない、なんて殺生なことを思いながらひたすら、黙々と歩く。気分最高で調子も良い。ザラ峠から獅子岳への登り1時間20分、そして最後の龍王岳への2時間30分を苦しかったけど、ほぼコースタイム通りにクリアして浄土山に到着。やった〜。登り切った  ちょっと、浄土山からの下りは気が抜けたのかハイカーが多くすれ違いがあったからか時間オーバーで、でも丁度正午室堂ターミナルに到着出来た。残念なのはバッテリー不足で最後方は写真が思うように撮れなかったのが残念ではある。楽しみにしていた、みくりが池温泉の入浴もコロナの影響で日帰り客はお断りで入れず、残念。13時15分の扇沢方面へのバスに乗り、帰宅の途に就いた。

歩いてきた薬師岳、スゴの辺り、五色が原の山荘と全部見渡せた! 最高!!

以上、私の私なりの北アルプス縦走は完結ですが・・・来年も出来るかな??と言う思いでの下山となりました。

(編集子)小生の場合はおととしの夏、西穂から笠を観たのをアルプス歩きの最後と思い定めた。北の代表コース表銀、南の入門鳳凰三山は歩かずに終わり。ひとそれぞれ、思いを残すエンディングがある。ホリにはまだ先の話なのだろうけれども。

 

”白人ナショナリズム - アメリカを揺るがす文化的反動” について 

大統領選挙目前にいろんな情報が入り乱れる昨今だが、米国で起きている社会的な動きから国際関係が変動するかもしれない、ということを考えさせる本書を読んだ。著者渡辺靖氏はアメリカ研究の専門家で、招かれて義塾SFCの教授をしている人である。編集子が曲がりなりにも提出した卒業論文の主要な論点が米国社会の思想潮流でもあったので、興味をもって読了した。中公新書 800円。

2019年4月20日付け本稿で、同氏の ”リバタリアニズム” について書き、カリフォルニア在住の五十嵐恵美から、現地での反応について情報をもらった(5月15日付け本稿)。今回、同じ著者が書いた表記の本を通読したが、正直、リバタリアニズムなる動きよりもはるかに現実的な問題として衝撃を受けた。

リバタリアニズムは個人の自由と経済活動の自由を最重視する考え方で、結果として経済的側面では保守、社会的にはリベラルな性格を持つと定義され、現在の仕組みで言えば共和党と民主党双方に共通する性格を持つ。この真逆に位置するのが、個人的にも経済的にも自由度が低く、個人よりも国家の利益を優先する権威主義ということになり、現存する共和党対民主党、という立ち位置はこの中間にある。権威主義、とは国家主義、宗教主義、共同体主義、人種主義などいろいろな思想が入り乱れるが、結果としていままでの米国において主流となったことはないし、米国人の大半にとって忌むべきもの、不当なものと考えられてきた。それは彼らが常に誇りとしてきた建国の思想であり、FREE COUNTRY という一言が世界中の人々にこの国に対するあこがれを抱かせてきた。日本人の多くも、その理想を追求する国に、模範として敬意を払ってきたように思う。現実に我々が憧れ、尊敬してきたアメリカという国の形は1950-60年後半あたりまでの、ケネディが磨き上げた国のイメージだったし、米国人の多くも同じ感覚を持っているようだ。そこにはに移民によって成り立つこの国が数多くの障害を乗り越えても、”建国の思想” を守り続けていくはずだ、という確信があった。

上記の考え方を整理したノーラン・チャートといわれる図

本書でいう白人ナショナリズム、という動きはこのイメージを完全に破壊してしまうものだし、その動きには現在のトランプ政権の在り方と重なる部分が多いのだ。リバタリアニズムまでは数多くある人間主義のひとつであり、ユートピア思想であって、それが現実の社会になるということは(主張している人を含めて)考えにくかったので、アカデミズムの場での話、と思っていられたのだが本書のフィールドワークが語るものが現実化していくという可能性は誠に不気味だ。

我々は贔屓の引き倒しだと思うのだが、黒人への差別などが我々の尊敬する良き米国に対する挑戦だと決めつけてしまう。ケネディの方針に従ってはじまった、人種差別をなくせ、という国家施策がまず、黒人市民への差別の撤廃を目的とするEQUAL OPPORTUNITY という形で始まり、のちに対象が性差別とかそのほかの障壁をなくす、という目的で DIVERSITY というよりポジティブが名称で推進された。ここまではよかったのだが、その流れの中に POLITICAL CORRECTNESS (PC) という動きが主流を占めるようになった。すなわち、DIVERSITY の主張に反することを言ったりしたりすることが反社会的であり、時には訴訟の対象になったりするようになっていく。たとえば議長、という単語がCHAIRMAN だったのが男女差別になるとして CHAIRPERSON といわなければならない、というようなことで、枚挙にいとまがないほど PC の影響は大きい。もちろん、その結果が非白人、女性などの地位向上に役立ったことは評価されるべきだが、この動きによって、特に人種でいえば非白人の行動はたとえ現存する社会や慣習に逆らうものでも是認されることが増えたのに、白人側がそれに反したり抵抗することは反社会的だとされる風潮が増えてきてしまった。

著者がこの調査をしている間にあった、いくつもある関係団体のうち、代表的なアメリカンルネサンス誌の主宰者ジャレド・テイラーとの会話が記されている。

もし日本に外国人が数百万単位で入ってきたら、日本人は違和感を覚えませんか? それに異議をとなえたとき、”日本人至上主義者” や ”人種差別主義者”というレッテルを張られたらどう思いますか? ”白人は嫌いだ” と公言してもさほど批判されないのに、私たちが”ヒスパニックは嫌いだ”というと ”白人至上主義者”と批判されるのです・・・・黒人の命は大切(Black lives matter) ですが、白人の命は大切 (White lives matter) でもあります。

この団体のように、行き過ぎたPCに反発するがいわば温和路線の団体はいくつもあるとのことだが、彼らをナショナリストと呼ぶのは言い過ぎだろう。ただ、反PCの運動がさらに進むと白人優位を堂々とに主張する動きが出てくるし、かつての反黒人団体クー・クルックス・クランの系列に入るような運動も増加しているようだ。どのような団体がどのような主張をしているのかをここで繰り返すことはしないが、その究極にははっきりとアメリカは白人の国であり、その背後には建国以来の歴史とか、明快に人種間には科学的に立証される優劣の差がある(アジア人種が最も優秀でその次が白人、それからアフリカ系人種となるのだそうだ)などという論議が展開される。上記テイラーは若い頃は熱心なリベラルで平和部隊に参加していたが、コートジボワールへ派遣されたとき、そのあまりにもひどい困窮ぶりに驚いていたら、現地の大学生が当たり前です、コートジボアールは白人がいたからこそ発展したのです、と言ったそうである。

さらに冷厳な事実として、2040年代には米国国民の多数が非白人、特にヒスパニックにとってかわられる、ということ(南西部ではすでに起きている)がこの動きに拍車をかけるのは間違いない。また、先走りすれば今回のコロナ問題によって引き起こされた社会不安がグローバリズムへの批判となり、さらには此の米国経済の中心に当たる部分がユダヤ系に握られているという不満など、我々日本人には理解しがたい社会構造もまた、大規模な変動の素地でもある、と著者は指摘する。

ここまでくると、現在米国で澎湃として起きている社会現象は単なる反PCというレベルではなく、明らかにナショナリズム、と言っていいもののようだ。これら白人ナショナリズムに好意を持つ人の多くが現在のトランプ政治の支持者であることは今秋の選挙にどこまで反映されるのだろうか。今まで我々はいわば自動的にトランプ政治に批判的であり、民主党政権の復権を期待してきたように思い、コロナ騒動にともなう現政権のエラーの数々がその期待を裏書きするように思ってきた。国際政治がらみからの考察ももちろんだが、かの国で起きているこの社会的、文化的変動がどう響くのか、予断を許さない状況であるようだ。

自粛ムードで有り余る時間に、ぜひこの本を読まれることをお勧めしたい。

 

新型コロナウイルス感染症第二波   (34 船曳孝彦)

新規感染者の増加は収まらないようです。これまで、「今一向に減らないのは第2波の襲来ではなく、第1波を抑えきれていないのだ」と、述べてきました。第2波はウィルスの突然変異によって、より感染力が強く、病原性も強い(重症化しやすい)ウィルスになって襲って来るだろうと言ってきました。前にも述べましたが、この新型コロナウィルスはウィルスの中でも変異しやすく、既に何千回もの変異を起こし、大きく分けてアジア西太平洋型、ヨーロッパ型、アメリカ西海岸型、東海岸型の4型に分類されているとも述べてきました。

昨今の日本での感染状態を見ますと、特に大都市以外の感染者数は、4月を中心とした波と7月の急増する波との間に明らかに収まっている時期があり、現在は第2波と見てよいようですので、訂正します。

ではウィルスの変異はどうなっているのかと言いますと、医学的、ウィルス学的根拠を自分で掴んではいませんので、科学者の端くれとしては多少抵抗感があるのですが、東大児玉教授の『東京型に変異し、東京が感染の震源地となっている』という説を支持します。軽症者、無症状感染者の比率が高く、会食、電車だけで感染したのかというような原因不明感染者の増加、欧米と比べて死亡率の極端に低いことを考えると、『東京型』の特徴は感染力が強くなって(罹り易く)、病原性は強くなっていない(むしろ弱くなっている)という印象です。そろそろクラスター重視の大方針の変換(クラスター追跡を否定するものではありません)を検討すべき時と思います。

そもそも、他所の国と比べて桁違いに少ないPCR検査のために、無症状、軽症者が巷に溢れ、そこへGo To Travelなどが加わってきているのが原因と考えます。世田谷区で、“誰でも、何時でも、何回でも“PCR検査が出来るようにという方針を打ち出しました。ニューヨークや韓国で成功した先例があるのです。もろ手を挙げて賛成します。これまでにも山梨大学、新宿区など、その試みが打ち出されては来たのですが、政府は一向に取り上げてきておりません。PCR検査が唾液法や、簡単キット法で素早く、安価で大量に検査できるといわれながら未だに公的には採用されていません。日本で開発されフランスなどで採用され、医師、技師、防護服などの検査用機材も少なくて済むというのに、コロナ禍が始まって半年が過ぎているのです。信じられません。コロナ禍克服に、国は本腰を入れて対処してほしいと念願します。

PCR検査により、陽性者が多数出るでしょう。これが医療崩壊を招くという反論が出ます。しかし検査対象を膨らませての陽性者ですから、必然的に軽症、無症状者が大部分を占めると予想されます。彼らは今閑古鳥の鳴いているホテルや、前からいっている選手村予定施設に1週間~10日収容すれば、回転も早く、医療施設に負担を掛けずに済みます。むしろ医療崩壊の回避に役立ちます。区民、都民、首都圏民が全員受けるような機運に持って行ければ、推計学に詳しくありませんが、新規感染者は急速に減ることが期待できます。陰性の結果であってもすぐ後から感染するかもしれないという危惧は当然あります。だから『何回でも』が必要ですし、医療関係者はそれこそ何回でも必要とします。

医療機関は、コロナ用病床を用意し、コロナ用医療スタッフに人数を割くため、一般のがん治療、成人病治療に手が回らず、赤字が膨らんでいます。これ自体皆さんの健康にとっての大問題なのですが、お気づきになっていない方が多いと思われます。さらに東京女子医大で、ボーナスカット、賃金カットで大量の退職希望者が出たと報じられましたが、8割以上の医療機関が経営困難に陥っており、その何割かは閉院に追い込まれようとしています。医療崩壊です。国は支援するとは言っていますが、とても今程度で支援しきれないことは目に見えています。

第2波『東京型』は幸いにして病原性が弱くて済みそうですが、これを若者たちが本能的に感じ取って、「どうせ罹っても軽症だろう」「調子悪いところなんか全くないから大丈夫」と奔放に動き回っているようにも思えます。政府なり、メディアなりは自覚を促すよう本腰を入れるべきです。

しかし、次の第3波、第4波は、もっと強力かもしれません。それに備えて、十分な体力、気力を蓄えておきましょう。

”とりこにい” 抄 (10) 飯豊の夏

コロナに振り回されているうちに8月になってしまった。今はただ、暑いだけの日々しかないが、夏山を歩いた記憶はやはりこの月に多い。

数えてみればほぼ60年ほどになるある八月のこと。サラリーマン生活が4年もたつと、友人たちも新しい任地に去ったり、休暇があわなかったりで、毎夏出かける旅も現役時代とは違った組み合わせになることが増えていた。なんせ、同期だけで70人を超える仲間がいた時代だから、合宿なんかをのぞいた、いわゆる一般プランでは、卒業するまでいちども一緒になったことがない仲間の方が多かったから、OBになってから妙に新鮮な気持ちで歩いたものだ。

あの夏 - 好天に恵まれた飯豊の縦走は今考えても伸びやかな、のんびりしたものだった。

切り合せにて

 

ひろびろとふきわたる風はみちのくの風。

はろばろと受け止める山はみちのくの山。

そよぎたつ くさはらに 泥靴。

友の眼と俺の眼に むかしの夢。

越後から吹き寄せる風は 八月の風。

みちのくの夏のそのおわりに

チングルマは秋をうたう。