エーガ愛好会 (16)  ”ガス灯” をめぐって

(44 安田)820日放映NHK BSPの「ガス燈」を観ました。二度目です。初回に比べて細部にも注意を払い、より面白く楽しめました。 

品の良いフランスの美男スター、シャルル・ボアイエ(当時45)と、1942年の「カサブランカ」、1943年の「誰が為に鐘は鳴る」の成功でこの時期 “理想の女性像” として絶大な人気を博したイングリッド・バーグマン(当時28)の美男美女の競演が最大の見どころ、舞台は1870年代のロンドン。心理サスペンス映画。ロンドン名物の霧やゆらゆらと揺れるガス燈などを効果的に使った光と陰の映像美も秀逸なモノクロ映画です。 

未解決の殺人事件の被害者の姪(バーグマン)に良からぬ目的で近づき結婚するボアイエ。彼女をノイローゼになるようにじわじわと追い詰めていく悪人であることは、誰の目にも明らか。宝石目当てで叔母を殺し、彼女の宝石を狙って跡継ぎの姪(バーグマン)まで破滅させ病院に送り込もうと画策したボアイエの策謀の数々と彼の演技。バーグマンの恐怖と混乱を表した演技は共に見事と言うしかありません。 

叔母の名歌手(被害者)が遺した宝石の所在を探し屋根裏部屋にまで侵入。そこはバーグマン寝室の真上。不気味な足跡(実はボアイエの)が聞こえてくるが、ボアイエはバーグマンの幻聴だと言い張り、不思議な足跡の音を否定する。さらに、ボアイエ自らが仕組んで、首飾り、絵画、時計、ブローチなどの紛失事件を次から次へと起こし、バーグマンの過失として問い詰め、精神的に攻め立て異常を来たしたように思いこませていきます。外部の人間には妻は体調がよくないなどと言って他人との接触を断たせ、孤独の淵に追いやる。このねちねちとした粘着質の、ボアイエのいたぶり方が秀逸。親切づらをして穏やかに微笑む紳士から、ひとつひとつ計画を実行するたびに、妻を冷ややかな目で睥睨するボアイエの視線のバリエーションは、いくら見ても見飽きない。少し眉を上げてバーグマンを見下ろす高慢な視線は、この男の悪人振りを如実に物語っている。

映画のクライマックスは、少年の頃有名な歌手だった叔母に憧れていて、スコットランド・ヤードの警部になっていたジョセフ・コットンが同じ館に居を構えたボアイエ・バーグマン宅を訪れたことから急展開を見せます。

この映画で出色だと思ったのは、ひとつには招かれたコンサートのシーン。最初はベートーベンのピアノソナタ「悲愴」が弾かれ、次にショパンのバラード一番。演奏の途中で夫は時計が無いと騒ぎだし、探すと妻のハンドバッグから見つかる。夫が仕組んだ謀略だが、妻は混乱で取り乱す。この彼女の動転振りと恐怖をこの「バラード一番」の緊張感ある旋律が伝える。格調高く、けれど緊迫した場面。自分が狂気に陥っていると恐れるバーグマン、迫真の演技。バラードは美しいだけの曲でなく、こんな場面にもピッタリでした。

もうひとつのみどころは、屋根裏部屋でコットン警部がボアイエを捕らえ、ボアイエとバーグマンが二人だけで対峙する場面。バーグマンが見せる強く射るような視線で激しくののしる口調と、ボアイエの何かに憑かれたような、別次元をみているかのような歪んだ欲望に満ちた、しかし観念し諦めた視線は物語を締めくくるのに最もふさわしい見せ場だったと思います。 

ハンガリー系ユダヤ人ジョージ・キューカー監督の映画はこれまで、「素晴らしき休日」1938(ケーリー・グラント、キャサリーン・ヘプバーン)、「フィラデルフィア物語」1940年(ジェームス・ステュアート、ケーリー・グラント、ヘプバーン)、「スタア誕生」1954年(ジュディー・ガーランド、ジェームス・メイソン)、「マイフェアレディ」1964年(オードリー・ヘプバーン)を観ていた。キャサリーン・ヘップバーンをブロードウエイからハリウッドに呼び寄せ、成功に導いたのも彼であるし、俳優の魅力を遺憾なく引き出す能力に長けているとの評あり。ヘップバーン映画10本ものメガホンを執っている。特に女優を輝かせることにかけてはピカイチ。本作のバーグマンも彼女の魅力が見事なまでに美しく引き出されていたと思います。 

舞台でキャリアを積んだ実力の持ち主ボアイエと、若き実力派バーグマンの静かな火花が散る演技合戦、とりわけ彼らの視線の演技は。密室劇であり心理戦が主題である本映画にふさわしく見応え充分でした。紳士然としたボアイエの異常性をはらんだ人物像と、好対照に美しきバーグマンが身も心も閉塞感と孤独感にさいなまれて、現実と虚構の間を行き来する虚ろな心情の息詰まる感じ。伏し目がちになり、時に怯えてすがるように悲痛な視線を他人に向けるも、無力さを痛感して嗚咽する。そんな彼女が最も怯えるのが、タイトルにもなっている寝室のガス燈がある時間になると不安定にゆらめき、燈が小さくなって暗くなる瞬間だ。恐怖の色が顔に浮かび、狼狽しながら「聞こえるはずのない」不気味な音に耳を傾けます。そこに爽快なアクセントとなっているジョセフ・コットン、更には独特の存在感を醸し出して良いスパイスになっているメイド役の、後年テレビドラマシリーズ「ジェシカおばさんの事件簿」で大ブレークした、アンジェラ・ランズベリーが見事な脇役を果たしていました。存分に楽しめた2時間でした。

(HPOB 金藤)

安田さま  「ガス燈」の写真と素晴らしい解説文、ありがとうございました。
保屋野さま 「ガス燈」は名画だと聞いてはいましたが、私も観るのは初めて、サスペンスだとは思っていませんでした!
モノクロ画面で、霧に包まれるロンドンのl家、ガス燈、豪奢な家の中、調度品等、光の当たる部分と影になる部分が効果的に美しく映し出されていました。
ボワイエは初めから、いかにも悪そうに見える夫役をこれでもかと言うほど
しれっと演じていたのは見事でした。への字眉もこの役作りでしょうか?
揺らめくガス燈に揺らめく心
バーグマンが精神的に追い詰められていく様子がよく描かれていました。
バーグマンは美しい上に、恐怖の表情、演技力はさすがアカデミー賞受賞をしただけの事がありますね。 ウエストの細さにも驚きました・・・
耳の遠い家政婦さんはジェシカおばさんになっていたのですか!!観て良かった映画です!
(安田)ご感想のメールありがとうございます。ひとつだけ訂正させて下さい。

「ジェシカおばさん」で1980年代人気を博したのは若いメードの方で、当時19歳のアンジェラ・ランズベリー。この映画のメイド役でアカデミー助演女優賞候補にノミネートされました。シャルル・ボアイエも主演男優賞候補にノミネート。バーグマンとのトリプルオスカー受賞とはいきませんでしたが、二人とも見事な演技だったと思います。
(金藤)あの若いメードさんがジェシカおばさんになったのですか!!

ずいぶん変わったのですね!ご指摘頂きましてありがとうございました。
とんだ勘違いをしていました。ありがとうございました。
(編集子)まずはウエストの細さがでてくるあたり、さすが昔から冷静さが頼りだった我がセクレタリ、でありますな。