エーガ愛好会 (15) ゲイリー・クーパーを思い出した

コブキこと久米行子発の何気ないメールから始まったクーパー論議。僕らの年代の代表的俳優のひとりだが、今どきの若いファンの間では誰が匹敵するのだろうか。ジェイムズ・スチュアートと並んで、良きアメリカ人を体現、代表する俳優だった。ウエインやイーストウッドがいわば右寄りのイメージなのに対し、いつも中庸を感じさせ、成熟という表現があてはまる存在だったと思う。

 

(きっかけとなった、安田の記事をフォローした久米のメール)

「眼下の敵」またもや見てしまいました。やはり、ロバートミッチャムが格好よくて満足しました。駆逐艦がUボートを駆逐したのですからこの艦長は勲章物でしょうね。それとクルトユルゲンスのまなざしに時々ゲーリークーパーのまなざしを見つけて驚きました。

(後藤)実は明治36年生まれの亡き母が最も好きな映画俳優がヴァレンチノとゲーリークーパーでしたので私も母のお供で幾つかの映画を中学生の頃観ました。沢山の良い作品の中で特に印象に残っているのはヨーク軍曹””誰がために鐘は鳴る”です。晩年にはフレッドジンネマンの”真昼の決闘”やヘップバーンとの共演ビリーワイルダーの”昼下がりの情事”ありましたが若々しくセリフの歯切れが良かったのは先の2本が特に印象的です。ヴァレンチノに関しては一本だけ”The Son of the Sheik”しか覚えておりません。他に”善人サム”と言う映画も若くてクーパーらしい男前といかにもスカッとした役柄が印象的でした。

しかし真昼の決闘以降の映画はクーパーファンにはあまり面白くありませんでした。ルー・ゲーリックの生涯をテーマの”打撃王”は素晴らしい映画でしたが ”The Pride of Yankees”を何故”打撃王”などと勝手な題名を日本で付けたのか母親はいつもボヤイテおりました。誰が為に鐘は鳴るのイングリッド・バーグマンとのラヴシーンは中学生には刺激が強すぎましたが鼻が邪魔するほど美形の二人のキスシーンは忘れません。

(菅原)小生の一番好きなクーパーのエーガは「真昼の決闘」です。主題歌も良かったし(今でも耳に甦る)、実際の時間とエーガの動きが同期化されていて、ハラハラのしどうしでした。

グレース・ケリー初お目見えの西部劇でもあった

が、それよりも何よりも、孤立無援で悪漢に立ち向かうクーパーが、実にカッコ良かったこと。終わって劇場(日比谷だったか、有楽座だったか、もう思い出せません)を出るに当たって、クーパーの積りで出ました、その恰好良さをを真似て。しかし、誰も気にも留めていませんでしたが。

(小泉)人間の善意が滲み出る人柄、皆さんの適切なるコメントに、こちとらはもうとても出る幕はないものと思っておりましたが、二言だけ言わせてもらいます。KOBUKIさん他の人が言われる通り、自分が歳を取ってみると矢張り勝手ながら、しわ首の目立たなかった若きクーパーが良かったです。西部劇では、平原児、西部の男、北西騎馬警官隊、無宿者、サラトガ本線、征服されざる人々ぐらいまで。打撃王、誰がために鐘は鳴る、ヨーク軍曹も良かった。ヨーク軍曹は、終戦間もなく、中学時代に観て感激した。終戦まで鬼畜米英と教えられてきた者にとって、ヨーク軍曹は戦場では、敵ドイツ人を25名殺害、132名を捕虜にする大功績をあげるが、兵隊に行くまでのクリスチャンとしての人を殺すなという教えに大いに悩み、苦労した挙句に、自由を手にするためには戦いに同意するという、今から思えば、戦意高揚の意識が盛り込まれていたのだが、やみくもに米英をやつけろとけしかけていた日本がアメリカに負けたのも、当たり前だと思ったものだった。

 善意クーパーにも、大いなる危機があった。クーパーファンとしては触れたくないが、魔が差すこともある。1949年48歳の時、摩天楼に主演したとき、25歳年下の共演のパトリシア・ニールと恋に落ち深い関係となってしまった。クーパーは妻ヴェロニカと一人娘マリアのことを考え、家庭を捨てることなく別れたのだった。後日談として、そのニール、ヴェロニカとも再婚したりしたが、クーパー死後20年後、再婚者共に死別、ニールのヴェロニカへの弔意の手紙が発端で、ニールとヴェロニカ、マリアの3人が夕食のテーブルを囲んだという。クーパーの妻と娘は過去のことを忘れ、ニールを許したばかりか。娘のマリアはニールに心当たりの修道院を紹介したとのこと。

(金藤)皆様の素晴らしいコメント、いつも楽しみにさせて頂いております。盛り上がっているのに、すみません、ゲイリー・クーパーについては、アメリカの大スターの他何も書けませんので小さくなっています。「真昼の決闘」「ヨーク軍曹」は観るべき映画に登録させて頂きます。 

***以下、ウィキペディア解説から***

ゲーリー・クーパーGary Cooper、本名: フランク・ジェームズ・クーパー、1901年5月7日 – 1961年5月13日)は、アメリカ合衆国モンタナ州ヘレナ出身の俳優。愛称はクープ

アイオワ州グリネル大学で学ぶが卒業はせず両親の持つ牧場で働きながら商業デザイナーを目指して新聞に漫画を書くようになるが、両親がロサンゼルスに移ったために共に移動、セールスマン等の仕事に就くが長続きしなかった。友人のツテで1924年ごろから西部劇映画のエキストラ出演を始め、俳優を志すようになる。1925年、名前をゲーリー・クーパーと変え1926年『夢想の楽園』で本格的にビュー。この映画を見たパラマウント映画の製作本部長は「この男は、うしろ向きに立っているだけで女性ファンの心をつかむ」と見込んで契約した。

1927年、『アリゾナの天地』で主役を演じてからは、しばらくは主にB級西部劇で活躍した。1929年、『バージニアン』で西部劇スターとしての地位を確立する。そして翌年、マレーネ・ディートリヒと共演した『モロッコ』で世界的な大スターの仲間入りを果たす。また、1936年、『オペラハット』でアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、順調にキャリアを重ねていった。

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出演作品は本稿記載のほかにも多くて記載しきれないが、われわれの射程内に入ってくる作品では何といってもマレーネ・ディートリッヒのラストシーンが名高い モロッコ あたりからだろうか。あまり話題にはならなかったようだが、ボージェスト は小生の愛する作品、悪役ナンバーワンに上がることの多いブライアン・ドンレヴィの強烈な印象もあって、何度も見ている。若き日のスーザンヘイワード、レイ・ミランドが共演(やっこにおすすめ。よければDVDお貸しします)。

西部劇なら 北西騎馬警官隊 とか 遠い太鼓 もちろん ベラクルス なんてのも興奮したね。ヴァージニアン はクーパーものではなく、ほかの題名でたしかランドルフ・スコットだったかジョエル・マクリ―の作品を見ているはずだが、題名思い出せず。小泉さん、ご存じありませんか。