船曳さん、コロナ情報ありがとうございました

船曳先輩のご解説、情報、ありがとうございました。以下、反応のいくつかご紹介します。

(38 川島一郎)ジャイさん、ドテさんのコロナに関するレポート誠にありがとうございます。早速登望会の皆さんに紹介させていただきます。ところで私の住む横浜は今日も気温35度のようです。秋風が恋しい毎日です。

(50 家徳洋一)コロナ騒動も早半年近くになりますが、その影響もあって大変ご無沙汰しています。この間、私はマイルールを設定。行動範囲を東京都内に絞りゴルフ、ジム、月二回程度?のマルでの会食等、最低限のこれまでの生活パターンを維持すべく努めていますが、そろそろ限界?9月には北アルプスにチャレンジすべく準備を始めました。

(編集子注)マルは密にならないの? あんまり広くなかったような記憶があるけど!)
遺憾ながら客が激減しており〜〜。また一定のコロナ対策もこうじています。
いつも奥の一角でやりますので、他の客とは距離があり、参加メンバーに感染者がいない限りは比較的安全だと思っています

(37 加藤清治)

度々のコロナ情報恐れ入ります。神風が吹かず敵前逃亡とは情けない限りです。
(編集子注)これって、安倍さんのことだよね?

(38 岡田恵二郎)ドテ先輩の投稿文拝読しました。大変参考になります。

ありがとうございます。

9月から都立高校生相手のキャリア教育「出前授業」を再開します。取り敢えずは、2日と9日何れも2時間教壇に立ちます。本来ならグループワークで行うものを通常の机の配列で行います。

講師はマスク、フェースシールドを付け、手指消毒用アルコールスプレー及びアルコールウェットシートを持参し、首に携帯スピーカーをぶら下げての授業です。(アメリカではメタノールアルコールを使った手首消毒剤による被害が出始め、FDAが注意を喚起しています。Walmartや Targetも立ち入り検査が入ったそうです。)

(47 内藤茂順)高齢者がコロナ感染を恐れて自宅でじっとしているとフレイル(生活不活発病)になる危険が増します。家事や散歩など日常生活でやれることを続けて元気に暮らせるようにしたいです。
コロナの怖いところは過剰な行動制限によってADL(日常生活動作)が低下することです。デイサービスに行くことを止めたためADLが低下した人がたくさん居ます。ADLの低下は寝たきりに繋がります。病気や怪我によって寝たきりになるよりも過剰な行動制限が原因でなることが多いのです。例えば「尿漏れ」や「歯の手入れ不足」などが原因で寝たきりになるのです。
60歳を過ぎたら二人にひとりは尿漏れの悩みを持っています。他人に会ったときに尿漏れが起きて臭いが漏れたら嫌だとか春先は花粉症でくしゃみをすると尿漏れが起きるから自宅に居ようなどなど行動制限をすることが増え、筋力や気力が衰えていき結果として寝たきりになるのです。寝たきりになってしまうと、大した病気がある訳でも無いのに何が原因だったか全く分からなくなってしまいます。結局、歳のせいとされてしまいますが、本当はひとりで悩み、相談する相手がいなかったからなのです。
尿漏れは、二人にひとりはジャジャ漏れ、クシャミ一回5CC漏れることを知ること。このことを夫婦で共有すること。これができればあとは尿漏れパッドが寝たきり予防をしてくれます尿漏れパッドは30CCから100CC以上のものまであるので生活シーンに合わせて使い分けが出来ます。例えば花粉症でクシャミが出る時は、6クシャミまでなら30CCタイプ、それ以上なら60CCタイプにしておくとか、重い物を持ち上げる時の尿漏れ対策も日常は30CC、大掃除の時は60CC以上にするなど工夫すれば臭いを気にせず動くことが出来ます。因みに生理ナプキンはだいたい吸収量は約10CCで材質材料が尿漏れパッドとは違うので代用は出来ません。代用出来ると思って使ってみたらクシャミ2回で臭うようになったので、もう使わないなどとならないようにしたいです。
(編集子注)ネスケくんは介護専門企業に勤務、経験豊富。

エーガ愛好会 (6) 新・若草物語見てきました  (34 真木弓子)

同期アサ会一の文武両道で優しい小泉さんがミーハーの私にお声をお掛け下さったお蔭で、映画に精通していらっしゃって、他のあらゆる分野にも造詣が深い皆様のブログを何時も感心しつつ楽しく拝読させて頂いております。

皆様のお蔭で家でのお籠り生活も飽きず、教養も増し? TV放映の映画も隈なく再見。殆ど忘れていた場面が多くて我ながら驚きでしたが 返って新鮮に見られたとも思います。その中でオルコット原作「若草物語」もこざいましたが、今「ストーリー.オブ.マイライフ」を上映中で、早速見て参りました。

「若草物語」は10代の個性的な可愛い4人姉妹で童話の様に清らかで画面も明るく懐かしく感じられましたが、今回のLITTLE  WOMENはジョーが大人になってから始まり、回想で子供時代があって、人生の重みが胸に響きました。最後はジョーがベストセラー作家になり大成功のハッピーエンド。オルコットの自叙伝映画で、先の若草物語とは監督の視点が違いますし、主役のジョーは「ジューン.アリスン」に対して「シャーシャ.ロ―ナン」、つい最近TVで見たので つい比べてしまいましたが、主役の違い同様に、当然ですが全く別の作品です。

画面も最初は暗くて ハッピーエンドでパッと明るくなりました。映画批評通りに見応えのある映画でした。内容の違い以外で面白かったのは、女優陣は皆それなりに綺麗で納得ですが、男優主役のローリー(ティモシー.シャラメ)はまるでアニメの美青年で中性的な年下の男の子 の感じ、化粧、髪型ばかりでなく骨格も違っているのかしら?私の知らない俳優ばかりですが、古い顔立ちのマーチ伯母のメリル.ストリーブ は流石!貫禄がありました。

以上、外出自由になってから初めて渋谷に出た序に見ましたので、小泉さんからのお勧めもあり、私も敬服する皆様にもしお役に立つならばと思いまして、アップさせて頂きます。4姉妹の描写はより個性的で意志力が感じられて◎。衣装も素敵で女性向きの映画かな?これからご覧になる方もいらっしゃると思いますので詳細は遠慮致しました。

矢張り映画館の大画面は良いですね~、渋谷東宝シネマズは入場席は半分だけですので、私の両隣は空き、前後も空いていて、安心して見る事が出来ました。
でも映画館は大変ですね。よし!又 映画館の為にも貢献せねば!

“襲われた幌馬車” と 麻生発言

”襲われた幌馬車” は懐かしき西部劇のひとつで一昨日、BS3番での放映があった。まず、小泉幾多郎西部劇論から。

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 6月5日西部劇「襲われた幌馬車」が放映されたことでの感想。
1956年製作。大分昔に観たので殆んど忘れていた。リチャード・ウイドマーク主演。「悪の花園」「ゴーストタウンの決闘」「ワーロック」等、ゲーリ-・クーパー、ロバート・テイラー、ヘンリー・フォンダという名だたる俳優との共演で損な役回りが多かったが、これは「六番目の男(1956)ジョンスタージェス監督作品」と同様、完全なる主演者なので気持ちよさそうに演じていた。 冒頭、ライフル銃を構えたウイドマークが、川越しに狙いをつけ、一人を射殺する。その後3人と打ち合い、二人を殺す。連中の胸にバッチが見える。悪役ウイドマークかと思いきや、後で判るのだが、コマンチ族インディアンの妻と子を殺された
敵を討ったのだった。しかし最後の一人に捕まり、縛られたまま馬で引っ張られる等残虐行為を受けるが、モルモン教徒らしき幌馬車の一団と同行することになる。胸バッチの残虐行為は同行してもやまず、それがコマンチと勘違いしたのか、コマンチと同居してきたからなのか、よくわからなかったが、最近白人警察官が黒人を地面に押さえつけて殺害という事件を彷彿とさせた。
幌馬車を率いるリーダーの先妻がインディアンでその娘と白人の後妻の娘との葛藤とかもあり、人種問題も提起される。監督はあの歴史上はじめてインディアン側から描いた西部劇と言われた「折れた矢」の監督デルマー・デイヴィスである。その後アパッチ族の攻撃をウイドマークの戦略で無事切り抜け、最後は軍事裁判での将軍による大岡裁定で、めでたしめでたし。 ウイドマークのインディアンに似た風貌で、出来る限りセリフの少ない、またストイックな流れるようなアクション等主人公にぴったりと合ったこと、ロケ地が、アリゾナ州セドナのオーククリーク渓谷で、カセドラルロックといわれる聳え立つ赤い絶壁の岩山等がいつも背景に眺めることが出来、楽しむことが出来た
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小泉論評にもあるが、この映画で人種差別の問題が提起された。よくあるテーマなのだが、編集子が特に興味を持ったのは、小泉さんが ”大岡裁き” とかかれている裁判でのウイドマークの発言である。裁判長のもと将軍が、たぶん、経験の浅い将校に率いられた陸軍の小部隊がウイドマークの活躍で救われたことに対して恩義もあったのだろう、殺人の動機について、斟酌したいという気持ちを示したのに対し、ウイドマークはあえて自分ははっきり意識して、冷血に(cold  blooded) 殺人をしたのだから、縛り首で結構だ、と明言する。驚いた将軍との間で展開された議論で、ウイドマークは 将軍は南北戦争で大勢の敵を cold blooded で殺したではないか、と詰問する。将軍はそれは同胞を守るためだったのだ、だから合法だ、と答えるのだが、同胞とは何か、それは南軍、北軍などと言う前に同じアメリカ人のことではないのか。そのアメリカ人にコマンチ族ははいらないのか。法とは何だ。白人に法があるようにコマンチにも法がある。自分たちが勝手に作った法律だけを言うのは間違っているではないか。この展開に将軍も困ってしまい、結果としてウイドマークを彼に好意を持つ女性と彼を慕う少年に預ける、ということでハピーエンドになるのである。
映画の背景としてその将軍が南北戦争に参戦していたということになっているのだから、1867-8年、日本で言えば明治維新のころの話だろう。それから150年以上、4世代くらいまえのことだが、いまなお、米国は人種差別問題で解決を見いだせていないようだ。これはこのまま、単一民族、単一文化の日本ではどうしても理解できない歴史の汚点として残っていくのか。
そこへ今、全米で問題になっている暴力事件である。これのきっかけとなった警官の行為は、たぶん白人相手ならしなかっただろうと思っていたのだが、その後いくつかのニューズ画面で、白人の老人や女性に対して警官が警棒で女性を殴る、デモを利用した商店の略奪が黒人だけの犯行ではない、など、日本では想像もできない行為が報道されるのを見ると、これは単に人種差別だけの問題ではなく、アメリカ人全体の成熟度、一言でいえば民度、の問題なのではないかと思わざるを得ない。
民度、という単語の専門的な定義は知らないが、ここでは生活水準とか、教育程度だけの問題だけではない、個人と社会とのかかわりあいを含んで使っている。つまり、自己の尊厳、ということと同じ次元で、公徳心、公共精神、おもいやり、といったことだ。このことを先日、英会話のレッスンで説明したら、英国人のインストラクタはそれを SOCIAL OBEDIENCE という用語で理解した。その時はなるほど、と思ったのだが、OBEDIENCE には服従とか、何か強制されている、というニュアンスがある。これに加えて彼は、日本社会の根本にある SHAME という感覚、”恥の文化”( “菊と刀” のルース・ベネディクトがこう名づけたように覚えているが定かではない)が機能しているからだ、と言う。
たしかにわれわれは ”人様に迷惑をかけるのは恥” というしつけを、学校教育よりも早くから、家庭のなかでされてきた(少なくとも昭和人には。話が飛ぶが、昨今はこういうことまで学校の責任だとする風潮があるのは誠に残念)。この伏線が、たとえば東日本大震災の時にはいかんなく発揮されて、前回もどこかで触れたと思うが、救援にかけつけてくれた米軍指揮官を感動させたし、なによりもそれが顕著に表れたのが、今回のコロナ騒動での国民全体の行動だったと思うのだ。
例によって”日本モデル” には安倍首相の政治宣伝らしきニオイが漂っているのはたしかであるが、少なくとも今までは日本でのコロナ封じ込めの成功が欧州の人には理解できず、なにか統計上の問題があるのではとか単なる幸運なのだという論議が盛んである。山中博士のいうファクターエックスが特定できるのを僕らは待つしかないが、一つだけ確かなのは今回の騒動が科学的問題であると同時に社会の成熟度の問題でもあるということだ。”マスクをする“ ことが、発生はともかく蔓延を防ぐために有効なのは、懐疑的だったWHOも認めたようだが,”する” ”しない” は科学上の課題ではなく、個人の公共意識の問題である。ロックダウンもせず(もっともできなかったのは憲法上の問題でもあるようだが)、個人の意識と自制に頼った今回の政府対策が効果を上げたのは、何といっても、そういう意味での日本人、日本社会の民度の高さを立証したのだと思ってきた。
”日本モデル” があやしいものなのでは、あるいは単なる幸運なので、政府の対応が功を奏したのではない、もっと(また例によって)欧米のような科学的対応をしなければならない”という論調がある。原因追及のために世界と強調していくのはもちろんんそうあるべきだが、例えば、昨日報道されたフランスの例にあるように、”人混みを避ける“ ”マスクをするのが効果的だ” と公的に認めてもなおかつ、実行しない人間が多すぎるため、外出証明書の携帯とか、高額な罰金とか、そういうものがないと実行がむずかしい、という現実は一体何なんだろうか。”欧州のように” 論者がその文化の中心と崇め奉るフランスはパリの現実はどう考えたらいいのか。いくらワインの銘柄にくわしくともソルボンヌを出ていようとも、”人様に迷惑をかけない” 意識がなければ現実の社会で正義は成立しない。そういう意味で今回のコロナ対応の多くは、 ”恥の文化” であろうと SOCIAL OBEDIENCEだろうとかまわないが、日本の民度の高さ、文化の表れとして評価すべきものだと信じてきた。
そこへ、数日前の読売新聞は麻生副首相の発言として、”外国から日本だけ特別な薬を持ってるんじゃないか” などという問い合わせがある。それに対して日本の民度の高さのためだ、と言ってやったらその後そういう話はなくなった” という報道があった。小生、このおじさんはどうも好感が持てない政治家のひとりなのだが、今回の発言に限っては、タロー,よく言ってくれた、という感じを持った。だからといって現政権がいい、と言ってるわけじゃないんだが。

コロナ感染のこれからについて (HPOB 菅井康二  34 船曳孝彦)

西村大臣が参考にすると会見で発言しており、大阪、東京、神奈川がなども自粛要請解除参考値に使おうとしている「K値」を紹介します。この「K値」という値は感染学者ではなく中野貴志・大阪大学教授(核物理研究センター)と池田陽一・九州大学准教授(理学研究院物理学部門)が考え出した数理的な一種の係数です。大胆に纏めると以下のようになります。

・X=累計感染者数
・Y=1週間前の累計感染者数
とおき、“画期的な”指標である「K値」を
・K=(X-Y)/X=1-Y/Xと定義します。

これはざっくり言うと、過去一週間の累積感染者の増加率(を今日の感染者数を基準として評価したもの)です。本論考は、このK値の動きを通じて極めて簡単かつ正確に感染状況が予測・把握できる可能性を指摘しました。具体的には、Kが経過時間に対して線形(つまり日数×定数)で減少していくという線形モデルを提案し、これが現実のデータと当てはまりが良いことを確認していて、この「K値」を縦軸を「K値」横軸を「日付」にしてプロットすると以下のようになり収束の状況が分かるいうものです。

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これが以下の期間での実際の「K値」と日付の関係です
image.png
グラフの傾きに変化が生じた場合は以下のようになにかの「イヴェント」があったことを意味します。
疑問を呈する(PCR検査数など)感染学者もいるようですが収束時期を予測するんは役に立ちそうな気もします。下降途中のラインが上振れするようであれば都知事が言っているよう「アラート」発令のトリガーにとすることもできます。

 

image.png
(34 船曳孝彦)

分かり易い数値を基にした指数で、一般的に使えるのではないかと考えたのですが、なんと今見ていたTVで、神奈川県ではすでにK値を使っていると(黒岩知事)発言していました。いま下がっている新規感染者数の再増加をいち早く見つけるのに有用と。科学の進み方の早さに驚きます。

一応鎮静化に向かっているようですが、まだまだ安心できません。小池都知事は自ら提唱した東京アラートの基準3項目中2項目引っかかってきたときに、逆に規制緩和方向へ舵をとるというのは、どういう神経なのでしょうね。

家で飲むんだ、仲間の酒蔵を応援しようぜ (37 菅谷国雄)

     

今年は梅も桜もあっという間に過ぎ、目に眩しい若葉の季節も早や過ぎようとしている。3密がモットーのワンダーの集まりも、残念ながら当分見通しが立たない。そして何時ものように暑い夏がやって来る。こんな時は仲間の顔を想いうかべながら、一人静かに旨い酒を飲んでじっと我慢するしかない。それならば!

我がKWV三田会メンバーの何人かが代々、歴史と祖先の匠を守り続けてきた、誇り高き老舗酒蔵を応援しようではないか!付き合いの深い、夫々の同期3名が世話役となり、観光の落込みにより需用が激減している酒蔵を「家飲み」でささやかながら応援しようというご案内、趣旨ご賛同の向きは、下記を参考に晩春の一宵、遠い友との思い出を肴にご協力を頂ければ真に幸甚。 

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*福島・会津 「末廣」 創業:嘉永3年(1850年)

末廣酒造株式会社 福島県会津若松市日新町12―38

TEL0242-27-0002 https://www.suehiro@sake-suehiro.jp/

 

嘉永蔵外観

 

 

*山形・米沢 「東光」 創業:慶長2年(1597年)

株式会社小嶋総本店 山形県米沢市本町2-2-3

TEL 0238-23-4848 https://www.sake-toko.jp/

 

*栃木・日光 「清開・陸の王者」 創業:天保13年(1842年)

渡邊佐平商店 栃木県日光市今市450

TEL0288-21-007 FAX 0288-21-2647

寄付つき商品の写真です。売り上げの一部を、慶應義塾大学の学生支援へお使いいただくものです。詳細は当方ホームページをご覧ください。

http://www.watanabesahei.co.jp/

店舗写真
おすすめNo.1

   

応援団

福島・会津 「末廣」 49年卒:小峯幸子

山形・米沢 「東光」 47年卒:伊川望

栃木・日光 「清開」 37年卒:菅谷国雄

  黒幕 36年卒:横山隆雄

  横山美佐子

 

やはり俺たち ケイオー、陸の王者。エール では 紺碧の空にちと分が悪いようだが、その紺碧の蒼の下で(ソシャルディスタンスなぞくそくらえ)肩たたきあい痛飲できる日の近かからんことを祈ろう!

 

 

 

 

 

福澤諭吉の脱亜思想と脱亜論 (37 菅谷国雄)

戦後70年、改めてその時代背景を検証する 

この10年ほど地元三田会の仲間に誘われて福沢諭吉の著作を輪読する読書会に誘われ、70~80歳の手習いを続けております。

その間、仲間におだてられ50人程の三田会員を集めて講演会をやりましたが、その時の演題が偶々先日NHKで放映された「福澤センセイのすすめ」のテーマに近いものでした。講演時から少し時間が経ちましたが、コロナ禍でご自宅に居られるお時間の暇つぶしに、当時の原稿をお送り致しますので、諸兄妹のご意見ご叱責を賜れば幸甚に存じます。

はじめに 

Ⅰ 初期福澤のアジア認識

文明論之概略から時事小言まで 

Ⅱ 時事新報発刊から「脱亜論」まで 

Ⅲ 脱亜論の要約 

Ⅳ 何が「脱亜論」を有名にしたか 

むすび 

主たる参考文献 

福澤諭吉著作集 慶應義塾大学出版会

福澤諭吉のアジア  青木功一    

福澤諭吉辞典  慶應義塾150年史資料集

福澤諭吉と朝鮮問題 月脚達彦        

福翁自伝      富田正文校訂  

未来を拓く福澤諭吉展(2009年) 

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始めに

20数年前、識者は21世紀はイデオロギーの対立が激化し混沌の時代を迎えると占ったが、その予想は不幸にも的を射たものになってしまった。世界中がウイルスの恐怖と隣り合わせに生きている今日でも、事態は一層深刻となっている。かって民主主義の本家を自任していた英国は自国主義に転じ、不動産屋を大統領に選んでしまった米国の影響力は低下、習近平の野望は世界中に拡がり止まるところを知らない。経済が停滞し、ささくれ立った国内の不満を解消するために、ナショナリズムを呼びさまして、目を外に転じる手法は国内人気からは、やはり効果的だ。世界中至るところで内なる勢力に突き上げられ、グローバリズムとナショナリズムが火花を散らしている。ナショナリズムが全て悪いわけではない。自分の国が誇りを持てるように、頑張ったり他国を凌ごうと競い合ったりすることは健全なものだとも言えよう。

歴史を振り返ってみれば、やはり国家の危機の時にナショナリズムは表に表れてくる。幕末から明治にかけて西欧列強の圧力をしのぎ、日清・日露に向かった時代。それに続く昭和初期の大陸進出へ向かうウルトラ・ナショナリズムに突き進んだ時代。明治維新から一世紀半が過ぎた。

幕末から明治にかけて、我国の文明開化を先導した福澤諭吉には市民的自由主義者と大陸への侵略を肯定した侵略的思想家との二つの福澤像がある。

蔓延するナショナリズムが危うい方向に行きかねない今日、福澤諭吉が自分が生きた激動の時代に何を語りかけようとしていたのか、改めて見つめ直してみる価値があろう。

時事新報紙面

 

Ⅰ初期福澤のアジア認識 

*少年時代、中津で蘭学を学んだ福澤が長崎に出たのが1854年(嘉永7年)、翌年には大阪に行って緒方洪庵の適塾に入門する。そもそも適塾は蘭方医の塾で「支那流は一切打ち払うということが何処となく定まっていた」(福翁自伝)と云う様子で、洋学者福澤がそのスタート時点から支那に対する対抗意識を持っていたことが窺える。

*1858年、江戸に出た福澤はオランダ語が役に立たないことに衝撃を受け英語に転ずる事となった。1860年(安政7年)、咸臨丸に乗ってサンフランシスコへ、1862年(文久2年)には幕府のヨーロッパ派遣使節の随員となり、1867年(慶応3年)には再び渡米して東海岸まで行くという三度の西洋経験をしている。

ヨーロッパ行では、香港とシンガポールに立ち寄り、「亜細亜・西洋の複合経験」をしている。

この複合経験のなかで、福澤が強烈に印象に残ったのは、イギリス人人のアジア人に対する「圧制」であった。後に「時事新報」1882年(明治15年)3月の社説でも当時を振り返り「記者は固より他国の事なれば深く支那人を憐れむに非らず、亦英人を憎むにも非らず、唯慨然として英国人の圧制を羨むの外なし。彼の輩が東洋諸国を横行するは無人の里に在るがごとし」。又、福澤の世界情勢に関する最初の論説(1865年:唐人往来)では香港を奪われた中国に対しては「智恵無し」「理不尽」「不調法」と手厳しい。

このように初期の福澤は支那を強く意識していたが朝鮮については殆んど言及していない。1869年(明治2年)刊行の地理書「世界国尽」の末尾に露西亜の記述があり、「北を守りて南を攻め「支那」の満州も半ば「露西亜」に併せられ朝鮮国の境までの勢い、(中略)この行末の有様は知者の目にも難からん」とロシアの東に位置してその侵略に脅かされる国として描かれているだけだ。

*1875年(明治8年)の「文明論の概略・第十章・自国の独立を論ず」の中で、「今我邦の有様を見れば決して無事の日に非ず。按ずるにこの困難事は近来俄かに生じたる病にて、我が国命貴要の部を犯し、之を除かんとして除く可ならず、到底我が国従来の生力を以て抵抗す可らざるものならん。識者はこの病を指して何と名のるや。余輩は之を外国交際と名のるなり」以下福澤はインド等の例を挙げ「欧人の触る処にて、本国の権議と利益とを全うして真の独立を保つものありや」と深慮慨嘆している。

*更に1878年(明治11年)の「通俗国権論」では「鎖国」も「開国」もそれぞれの「国風」は「一国の権」であり、外国の干渉しえないものである、更に続けて「今の禽獣世界に処して最後に訴える可き道は必死の獣力あるのみ、道二つ、殺すと殺されるのみ」と絶望的な表現をしている。

*(明治14年)に刊行された「時事小言」では一層明らかにされた。

論題「国権のこと」では、我が国兵備の実情をヨーロッパ諸国と比較し「今我が国の陸軍海軍は、我が国権を維持するに足るべきものか、我輩これを信ぜず・・・いやしくも今の世界の大劇場に立ち西洋諸国の人民と鋒を争わんとするには、兵馬の力を後にしてまた何者かに依頼すべきや、武を先にして文は後なりと云わざるを得ず」と強調している。(資料参照)

この時期のこうした福澤の過激な思想を捉え、後世一部の学者が「脱亜論」への助走と結びつけて、論争を呼び起こす火種となった。 

Ⅱ時事新報発刊から「脱亜論」まで 

福澤は、1880年(明治13年)新たに発行される政府広報誌の編集者への就任を強く要請され、その準備を進めていたが、明治14年、参議大隈重信の失脚の政変により立ち消えとなった。翌1882年(明治15年3月)この政府広報誌の発行計画の為に準備していた資材や人材を投入して、時事新報は創刊された。創刊号の社説「本紙発兌の趣旨」では、あらゆる党派や利害から離れ「不羈独立」の立場から発言することを宣言し、以後官民調和を基調とし、平易な文体で記された社説は、福澤後半生の言論の舞台となった。

この間、福澤のアジア観が一変する変乱が朝鮮で相次いで起こっている。従ってこの発刊の年から明治18年の「脱亜論」の論説までの4年間は、朝鮮・支那の動乱事変に関する社説は、長短取り交ぜて90篇近い数に上る。

*1882年(明治15年)連載された論説「兵論」は単行本として纏められたが「通俗国権論」や「時事小言」からの引用も少なからず、兵力・艦船の拡充・充実とそのために必要となる増税を提案した論説である。この中で「時事小言」の西洋列強との国力比較に加え新たに清国の兵力とその規模を明らかにして我国軍備の必要を強調している。

*一方、朝鮮に対してはこの時点では開明派への期待を捨てていない。1883年(明治16年)1月に連載された「牛場卓造君朝鮮に行く」では「武」から一転して「文」への分野に新たな企画が試みられ、「隣国の固陋なる者、之を誘因するに」新聞事業を推進する為に牛場が選ばれた。しかしながら朝鮮政府における守旧派の勢力により、この「文」によるアプローチは受け入れられず、早々に帰国することになった。新聞発行のほかに福澤が勧めたのが留学生の日本派遣であった。16年の半ばには30余名の留学生徒を三田の寄宿舎に受け入れ、「政治学の初歩」を教え「独立自主の意義」を会得させようとした。この年の6月、朝鮮の資金援助・借り入れ交渉に日本にやってきた金玉均をバックアップする為、朝鮮への直接投資や民間貸付をすすめる論説を時事新報に掲載したが、清との摩擦を避けた日本政府の消極策により交渉は成功せず、朝鮮は清国主導の悪貨鋳造とインフレをもたらすことになる。こうして朝鮮は開明を目指す独立党の内政における立場は弱体化し、事大党が勢いを増すこととなる。

*独立党のクーデターが決行されたのは17年12月4日の事であった。所謂甲申事変である。一旦は王と王妃を擁しクーデターは成功したかに見えたが、12月6日には袁世凱率いる清国軍に防戦一方となり、僅かな日本部隊とともに日本領事館に辿りつき、逃げのがれる事となる。

*1886年(明治18年)、この年の初め2ヶ月半のアジア関連の社説20篇は大半が清国との朝鮮に係る、前後処理に関するものである。ところが論調転換の節目がやってくる。即ち2月23日の「朝鮮独立党の処刑」である。

「野蛮の惨状、父母妻子にいたるまで惨殺され、この地獄図の当局者は誰ぞと尋ねるに、事大党の官吏にて、その後見の実力を有する者は即ち支那人なり」とその残酷さを攻撃し、三月に入ると「曲彼にあり直我にあり」「国交際の主義は修身論に異なり」と激しい論説が続き「脱亜論」に至るのである。 

Ⅲ「脱亜論」の要約   別紙 

Ⅳ 何が「脱亜論」を有名にしたか 

*「脱亜論」は1925年(大正14年)「時事新報社・15000号記念として福沢諭吉全集」に初めて掲載された。全ての単行本に加え時事新報社説223編・漫言98編が収録されている。次いで「続福澤全集」が完成したのは1934年(昭和9年)石河幹明が富田正文を助手としてその任に当たり「時事新報」を総点検したと言われている。記事の選別は石河の責において行われ、背後に大陸進出への時代が影を落としていたのか、既に新聞社を引退して75歳の老境にあった石河幹明の意図を知る由もない。ただ戦中・戦後、多くの学者の「福澤研究」はこの全集を基に展開する事となる。

*第2次世界大戦後10年間の「福澤研究」は丸山真男によって提示された。彼の福澤像は精神において、主体的な独立を目差し、社会に対しては多元的な自由を尊重した市民的自由主義者として評価した。その反論として朝鮮の領有と中国分割を積極的に唱えた侵略的思想家としての福澤像を主張した遠山茂樹・服部之総との論争が展開された。遠山は1951年(昭和26年)の「福澤研究・日清戦争と福澤諭吉」のなかで福澤の対朝鮮、対中国感を取り上げ、アジアを脱し、アジアの隣邦を犠牲にすることによって、西洋列強に伍する日本のナショナリズムを広めた侵略的思想家と捉えている。

*しかし「脱亜論」はそのような侵略を賛美する為に書かれたのだろうか。

時事新報の社説として掲載された福澤の思想が、その時代背景とともに、詳細に検証されたであろうか。遠山は、敗戦による一億総懺悔の時代の中で、「脱亜論」が突然現れたものでなく、政府の方針に先んじて、彼のアジア政策論を「日清戦争義戦論」の準備とさえ位置づけたのである。

*一方丸山真男は、それ以降長く「脱亜論」に言及することはなかった。

1990年日本学士院で「福澤諭吉の脱亜論とその周辺」と題する「論文報告」のなかで「脱亜論者の福澤のイメージは戦後に登場したことである。福澤は朝鮮・開化派が天下を取っているときは、非常に積極的な見解を示し、事大党が天下を取っているときは、非常にぺシミスチックになる。「時事新報」への執筆がいつの時代に書かれたのかその時代背景を見ないで、侵略とか侵略でないかとかいうことは、歴史的事実として必ずしも正確じゃなくなると思うのです」と福澤の侵略思想に偏って言及する研究動向を、批判している。 

*21世紀を迎えてもなおこの論争は続いている。

遠山の流れをくむ安川寿之輔などは、某新聞に「一万札から福澤の写真の退出を願う」などとコラムに掲載し、なにかにつけて「アジア蔑視を広めた思想家」の論陣を主張している。無論多くの福澤研究者によって反論も繰り返されているが、生誕180年、没後115年を過ぎて、なお福澤研究への終わりはない。 

 

むすび 

昭和の文明評論家・小林秀雄は「考えるヒント」の中で福沢諭吉の豪さは、啓蒙の困難さを熟知し「世俗と共に文明の境地に到達せんことに本願を置き、平易な文章を心掛けたが、その行文は平易でも内なる思想は平易でない」と喝破している。

今回、少し範囲を拡げて「脱亜論」の脱稿に至るまでの著作を読んできたが、著者の深遠なる思想を読み取ることが出来たのか、浅学菲才のわが身を顧みて忸怩たる思いがある。

本論における私の結論は、以下の様なものである。

江戸から明治へ云う時代を生きた福澤の時代認識、即ち①欧米列強によるアジア進出・野心②支那・朝鮮の固陋と混迷③日本の総体的国力の脆弱さへの危惧、これらを総合して「脱亜論」を記し、国民や政府に警鐘を鳴らしたものと考える。1901年、明治34年に亡くなった福澤は、日露戦争やその後の軍部独走によるネオ・ナショナリズムには関知する余地もなかった。

今また、世界中にナショナリズムが声高に叫ばれる中で、我が国民も周囲やマスコミに流されることなく、福澤が繰り返し説いた、国民の智徳の向上があってはじめて、国の独立が成されるという、「一身独立して一国独立する」の言葉の意味をよくよく「君自身で考えなさい」と云われている様な気がする。

 2015年の講演原稿を2020年5月25日:加筆修正

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脱亜論 要約

〇交通の利器を利用して西洋文明が東漸し、世界中到る所で文明化が始まっている

〇文明は麻疹の様なもので、防ぐ方法はない。 知識人は国民に早くその気風が広がるように努めるべきだ

〇日本では開国を機に文明化が始まり、旧い政府が 倒れ、新政府の下で独立し「脱亜」という新たな機軸を打ち出した

〇不幸なことに近隣の支那・朝鮮は古風旧慣を断ち切れず自省の念もない

〇この二国はとても独立を維持する方法がない。西洋の植民地となり国が分割される

〇隣国は助け合うべきだが西洋人が見れば日支韓は地理が隣接しているため同一視されることは、我が日本の一大不幸である

〇今の日本には隣国の文明開化を待っている猶予はない。 西洋人が接するように、心において悪友を謝絶するしかない

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資料3:我日本と西洋との兵備の比較(明治14年、時事小言より)

兵備の事に就き、我日本と西洋2・3の国とその比例を示さんために、各国の人口、歳入、海陸軍、及びその歳費は左の如し。この数は1880年出版の原書によるものなり。

人口   歳入  陸軍人  陸軍費  軍艦   海軍費

(百万人) (百万円) (万人) (百万円)(艘)  (百万円)

仏蘭西:37  559  50  110 498  42

日耳曼:43  135  42   80  88  60

英吉利:32  416  13   88 236  59

露西亜:86  419  76  129 223  19

伊太里:27  285  20   41  86   9

荷蘭 : 3   48   6    8  85   5

日本: 36   59   7    8  29   3

封建の時代には、四十万人の士族・軍人を養い、その武器を貯え、巨額の軍費を人民が供して之に堪えて来たが、今日はこれを失い、資力に乏しいことが明らかである。兵備を改良するか否かは人民の資力如何を謀るべきもので、国を護る熱意が糺されている。

 

 

 

          

 

 

Double Cross という本の衝撃

 

”史上最大の作戦” タイトル

 

4年前、スコットランド旅行をした時、エディンバラの本屋で何冊か第二次世界大戦関連の本を買った。2冊は早々と読んでしまったがこの1冊だけ何となく手付かずでほうってあった。”自粛” 体制の間に読んだ1冊である。

欧州戦線でヒトラーは欧州を席巻し、最後に英国本土攻略に取り掛かったものの英国空軍戦闘機に阻まれてドーバー海峡を越すことができなかった。歴史に名高いバトル・オブ・ブリテン (映画は 空軍大戦略 となっている)である。この失敗の結果ドイツ側は守勢に立たされ、今度は連合軍が反対側からドーバーを越えて1944年6月6日、南仏ノルマンディに上陸する。反攻必至とみたドイツ側はアフリカ戦線の名将ロンメルのもとで、強固な防御ラインを敷いて 大西洋の壁、と号し、ロンメルはその堅固さを誇って、反抗してくる連合軍はここで一番長い日を迎えるだろう、と断言する。映画 史上最大の作戦(The Longest Day)作戦 はこのノルマンディ上陸作戦を描いたものだが、その初めの部分でジェイムズ・メイスン扮するロンメルがこの有名なせりふを語ることになる。この上陸場所がどこになるか、は連合軍側にとっては最高の機密であり、逆にドイツ側は一刻も早くその場所を特定したかった。ここで英国側は緻密な情報戦をしかけ上陸地点についてありとあらゆる偽情報をばらまく。結果、ヒトラーは連合軍の反攻が北フランスのカレーかあるいはノルウエイであり、ノルマンディ後も英国にはまだ大部隊が残っていて第二波がかならずくる、と信じ込んでしまったため、連合軍は計画通り、ノルマンディに上陸を果たし、以後のヨーロッパ解放戦が始まる。この情報戦の内幕を史実に基づいて書いたのがこの本である。

このアイデア、つまり虚偽情報をばらまいてヒトラーに上陸場所を誤認させ、ノルマンディの防御を手薄にする、という計画は英国情報部 (MI5 とか 6とか、いろいろあったらしい)が思いついた。そのツールとして英国プロパーのスパイではなく、欧州全土に散らばっている各国のスパイを抱き込み、またドイツが英国に送り込んでくる情報部員をとらえて寝返らせて使う、ということが裏切り=ダブルクロス、という標題になっている。このことだけでも、このような大規模の欺瞞作戦は、つまるとことろ欧州だから可能だったのだな、ということがわかる。

著者は本の最終章で、The Double Cross double agents spied for adventure and gain, out of patriotism, greed and personal gain  と、この作戦に加わったスパイの多くが決して愛国心に燃えた快男児でもなければ孤高の英雄でもなく、極端に言えば金と快楽とを引き換えに謀略行為を働いた人間だったと述べている(中には真に忠実だった一人がドイツにとらえられ、ゲシュタポの手にかかるが頑として沈黙を守り、収容所から脱出したという、まさに映画的な話が載っているが、その本人は脱出後、消息不明のまま。ただ、このダブルクロスによって得た巨額の金を各国に預金していたので、たぶん,悠々と余生を生きたのだろうという結論になっている)。ほかにも何人かの例が詳細に記されているが、英独両方から多額の金を受け取り、当時の欧州社会での上流階級の豪奢な生活を約束させ、あるものは国際的プレイボーイとして次々と情婦を取り換えていく。女スパイのひとりはスペインから英国に入国するとき、可愛がっていた子犬を連れてこられなかった(当時英国には犬を入国させないという妙な法律があったらしい)ことを最後まで恨み、土壇場でドイツ情報部に情報を打電*したとき、(これは嘘)というコードを送信してしまう、つまり激情のあまりトリプルスパイになったことも書かれている。このような個人本位のふるまいは英国、ドイツ、フランス、など欧州の先進国が言語こそ違え、物質的生活水準や階級意識は共通のものだったからこそ可能だったのではないか。同じような作戦を日本が中国との軋轢の間でやろうとしても、ましてや欧米との間では到底不可能であっただろう。一定の文化的・歴史的・人種的同一性のもとで戦われた欧州戦線と、三国協定によって中国戦線を対欧米諸国に拡大せざるを得なかった日本の戦争がそのプロセスにおいて、戦後の処理において、大きく違ったのは歴史の必然だったのだろう。このことはドイツの戦後処理(贖罪行為)がなぜ日本と違うのか、という(ここでまた、例の -だから日本はだめなんだー 自虐趣味が出てくるのだが)議論の中核をなすのではないか、と考える。

もう一つ、衝撃的な史実が書かれていて、心底驚いたことがある。

日本を無謀な世界戦争に引きずり込んだのが軍部の一部の人間の策謀であったことは事実であるが、その大きなきっかけがナチスドイツを過信し、日独伊三国協定にふみきったことだったといわれている。その動きを推進したのが当時の外相松岡洋右と駐ドイツ特命全権大使だった大島浩(のち陸軍中将)であるが、大島が滞在中ヒトラーに直接会って情報交換をしていたのは当然で、その内容は秘密電報で外務省に報告されていた。この本が明らかにしたのは、実はこの大島大使の秘密電報はすべて英国情報部に解読されていて、ヒトラーの動きを推測するのに大きな貢献をした、ということだ。日独の協力のため、努力したつもりが実はドイツ崩壊の手助けになっていたとは、これ以上考えられないほどの歴史の皮肉であろうか。

かなり分厚い本で、正直読了まで勇気が要ったが、その価値は大きかった。コロナもまあ、いいこともやるなあ。

*当時はインタネットもファクスもないわけで、スパイはすべて個人で小型送信機を持ち、モールス信号を打っていた。この例では、文面のある部分にダッシュ記号をいれることが偽、という取り決めにしてあったという。つまり英国ではダブルスパイと思っていたが実はもう一皮あったということだろう。

 

野草の名前も大変なもんだ 

きっかけとなった小泉文書

緊急事態宣言中、STAY HOME に反し、近所の散策ならご勘弁をと鶴見川堤を歩きました。いつもは新横浜方面に向かうところ、逆の綱島方面に歩きました。新羽橋で引き返したら、情けないことに5000歩弱。それでも川畔に咲く野草にお目にかかれました。残念ながら、花の名前には疎く、わからずじまい。太尾公園近くでは、花水木を上から眺められ、赤と白を撮りました。

往信1号

オスタ様

この花、わかる?

複信1号

可憐な野の花の写真、お送り頂き、ありがとうございます。高山植物も昔覚えた名前は、ちゃんと思い出せるのですが、残念ながら最近覚えた名前は、すぐに忘れます。ピンクと白のハナミズキの前の黄色い花は、菜の花が成長して、丈が大きくなったものではないでしょうか?最初の白い花は、よく見かけるような花ですが、名前を存じません。2つ目の花は、たぶん、アカバナだと思います。

往信2号

お願いの件あり。添付小泉先輩のメールですが、写真に写ってる花、名前わかりますか?オスタに聞いてみたけど高山植物ならわかりますけど、と言われてしまいました。いかが。

複信2号
植物名をカタカナで表記しますので、以下のネット図鑑などで確認
頂ければと思います。
春>ヘラオオバコ 最初の写真
春>アブラナ   3番目の黄色
2番目の赤紫の花は 花の特徴から クワガタソウ の仲間と仮定し
調査中です。春先に青い花を咲かせるオオイヌノフグリとも 花弁4枚、縦の色筋があり、めしべが突出していて兜の鍬形を連想させる等の共通点があります。しかし、種の付き方がこの赤紫の標本と高山植物の クワガタ達と微妙に違うのがひっかかるのです。
ヘラオオバコ と オオバコ科という分類では仲間となるのですが、植物分類学の専門家(高校の同級生 新潟大学名誉教授)も DNA分類でそうなるのだが、過去の形体からの手がかりからは...、どうしても納得できない…と漏らしていました。帰化植物や園芸品種の種が拡散して河川敷などで繁殖している例も多く、
何とかして オナマエ ? you はどこから 日本へ? と好奇心が
うずうずいたします。 最後の2件はご指摘の通りハナミズキ であろうと思います。(編集子注:紙面の都合で一部、いや大分、省略)
複信3号

最初の写真は、やはりヘラオオバコでしたか。野の花の名前は難しくて、イマイチ自信が持てないんですよね。2番目の写真、ズン六さんのような専門家に私が異を唱えるのは僭越ですが、クワガタソウの仲間とは葉の形状が違いませんか?

私も最初は、オオイヌノフグリの仲間とも思ったのですが、やはり葉の形状が違うように思います。種の付き方が、アカバナの仲間と思ったのですが、違いますかしら?

複信4号

貴重なご教示久々に拝受、本当にありがとうございます!!的確な特徴抽出、さすがは われらがオスタ師匠。確かに、種子の付き方はアカバナ的だなとは思っていたのですが、加齢化思い込みの轍に引き込まれ続けてしまいました。
顔を洗って初心に帰り、ご教示に沿って、アカバナ科雑草を鍵にブラウジングし
アカバナユウゲショウ (ヒルザキツキミソウ)アカバナ科マツヨイグサ属 にたどり着けました。
私自身、さる4月21日に仙川沿いで出会い、調べたいと思っていた矢先、図らずもジャイ先輩のブレイン集団の中核オスタさんのお導きで、目から鱗の感動を味わえました。(編集子注 ちと大げさすぎねえか?)(編集子注 その2 これも一部、いや大分、省略)
締めの小泉文書
小生の珍らしくもない散歩と珍しくもない草花のことで大変なご尽力をいただいてしまったようで有難うございます。それにしても、ただ単純に歩くだけで草花を見ても、その名前やらも関心を持たない者と何らかの関心を持ち、追及しないではいられない人との格差がよく分かりました。お手数をおかけいたしました
往信2号
いえいえ、誤解で、本人は できれば物事追及しないでいる タイプの代表です。ただ、ひまだっただけで。
本大会議参加者
小泉幾多郎(34】、石渡美知江(46)、吉田俊六(44)

北杜市から再度の要請

北杜市新型コロナウイルス感染症対策本部からお知らせします。

現在、全国に発令されている「緊急事態宣言」が5月31日まで、延長されました。 市民の皆様には、引き続き、「うつらない、うつさない」行動に、一人ひとりがしっかり取り組んでいただき、感染拡大防止に努めてください。

また、山梨県から「今はまだ、山梨に来ないで宣言」が発令されています。
 北杜市民は、一日も早く普段の生活を取り戻そうと、頑張っています。
 市外からお越しの皆様も、責任ある行動をお取りください。

多くの皆様の御協力をお願いいたします。

新型コロナウイルス感染症     (34  船曳孝彦)

5月に入った。未曽有のパンデミックが社会問題となってから少なくとも3か月が経つ。日本は感染・蔓延を収束の方向に向かっているだろうか。

昨日までのデータで、世界で感染者325万人、死者23万人(死亡率7.1%)アメリカ、スペイン、イタリー、イギリス、フランスに多い。一方日本では、感染者1万4千人、死亡者415人(死亡率2.9%)。最も多い東京では、感染者4,152人、死亡者120人(死亡率2.9%)となっている。

とにかく日本では少ない。死亡率も低い。新感染者数は頭打ちになりつつあるといってよいと思う。しかし今日の専門家会議でも、安倍首相も緊急事態宣言は今月いっぱい継続という結論を出したようだ。感染拡大が抑制されているか、医療体制が十分対応できているかの2点を判断基準としているようで、感染者数がイマイチと見たようだが、医療体制についての見通しまたは方針についての言及は乏しかった。緊急に財政支援するというお題目はあっても、具体性はなく、おそらく一律10万円と、休業補償に消えて、医療充実にはお涙金となるのではないかと心配している。

日本は感染者数も少なく、死亡率も低いことを喜んでよいのだろうか。海外諸国に比べてPCR検査施行率が低く、これでは比較にならない。海外からは疑問、批判の声が上がっているのは何とも口惜しく残念で仕方がない。

新型コロナ感染症に対して、政府の立てた方針は①法に基づいて対応②疫学的根拠で判断、の二本柱だったようだ。当初水際作戦として、感染者を中心にその人からっ感染がどのように広がってゆくか(再生産数)を追跡し、感染者一人から何人に移しているか、それが2人に移せば倍々ゲームに、1人を割れば収束する。即ち大勢に移す(クラスター)ことを避けて感染爆発を防ごう、という方針であった。無症状病原体保有者(ウィルスは菌ではないので誤用ではあるがここでは以後無症状保菌者と呼ぶ)が世にあふれている。「他人を見れば保菌者と思え』という状態である。それだからこそクラスター感染を避けるための3密回避は意味がある。

しかしPCR検査数という分母がこんなに小さくて緊急事態宣言解除の目安を立てて良いのか。最近の新陽性者が減っていることだけで、もう一歩といっていいのだろうか。私の予想ではある程度下がっても、だらだらと長引くと思う。

最近の東京都のデータでは、PCR陽性者の60%が症状のあるいわゆる患者で、8%が無症状保菌者で、自宅待機かホテル待機とされている。ホテル待機無症状者が2週間たったのでPCR検査なしに自宅へ返された例があったという。独り者の自宅待機者は食事のため食堂へ行くかスーパー又はコンビニに出歩いている。なおこの統計では陽性であった者のそれ以外32%については、症状の有無を調査中(数日たっても)という、情けないデータである。

そもそもすべての診断を帰国者センター、保健所という関門で管理しようとしたことに無理があった。少数例、あるいは当初はこれでよかったかもしれないが、このように多数の保菌者があふれてくれば、変えてゆかねばならない(もっと早期に)。昨日今日の段階でやっと民間の検査を充実させようというような談話が出されていることに憤りを感ずる。したがって公式のデータには民間のデータ(しかもこの多くが医療施設の実費持ち出しで行われている)は反映されていない 民間といっても大学病院なり、地区医師会のもので精度に問題があるとは思えないのだが、一度決めた方針を死守するお役所仕事とはこのようなものだ。

慶応病院で、非コロナ関係入院患者にPCR検査をしたところ6%が陽性だった。別の報告では、一般人に抗体検査をしたところやはり6%が陽性だった。この二つの報告は、非常に重大な警告と受け止めている。勿論学術的にはもっと多数例で対象を絞ったデータが必要だが、保菌者が多数街を闊歩していることは間違いない。東京1000万の人口から見ると60万もしくはもっと多数の保菌者ということだって考えられる。

指定感染症として『指定検査所で検査』と法的に定められたとはいえ、柔軟に応用せねばこのパンデミックに対処できない。

PCR検査も、唾液での検査や、経口法、迅速キットなどの新しい試みが出てきている。抗体もより精度の高いmonoclonalな新検査法も開発されてきているようだ。こういう新しい対処法を直ちに取り入れる(試みでよい)べきであり、治療薬についても、抗ウィルス薬、抗寄生虫薬などが奏功した報告が出ているので、任意に使うということは出来ないが、特例の治験として始めねばなるまい。

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ドテさんと言えども、皆さん同様自粛生活にウンザリしています。晴読雨読を続けており、

今年14冊読みました。トレーニングは庭でゴルフクラブを振ったり、階段昇降500~600段を

続けております。4月だけで28日、合計14,550段上ったので、ゆうに3,000mは登った計算になります。昨日は人通りのまだ多い目白通りを横切っておとめ山公園まで歩いてきました。

すれ違った人を除き2m以内に近づいた人はいません。でも、これで疲れてしまうのでやはり体力は落ちているのでしょう。残念。実はもう大分前になりますが、後ろめたさを感じつつ中津川CCに行ってきました。堀川兄同様レストランではソーシャルディスタンスを十分とった席で、風呂も閉鎖、行き帰りは自車、全く安全です。

  (編集子注)先生、このやり方なら三国山荘あたりまで行ってもOKでしょ  うか?