ウクライナ問題とは何か?   (44 安田耕太郎)

人類が地球上に社会を造るようになって以来、野生動物社会生存の鉄則「弱肉強食」が支配してきたのが人間の歴史でもあったとの感を強くする。まさに勝てば官軍、である。そこには「正義」などという形而上の綺麗ごとが通用する現実はない。パワーが支配する世界。北方4島、クリミア半島などが好例である。歴史は戦争に勝つ力を持つ国を 「大国」と定義していたし、勝って領土を収奪(確保)した国の行為ととその結果を是認してきたと言ってよい。

それでは戦争の原因は何だったのか? 大きく言って二つある。ひとつは、自らの力に自信を持ち勝算ありと計算して領土的野心や自己の利益を追求する場合。もう一つは、他からの圧力への恐怖にかられて戦争を起こす場合。両者が混在するのが現実であろううが、中国の台湾併合(尖閣・南沙諸島も含む)の場合は前者、ロシアのウクライナ侵攻は前者の要素も少しあるがNATO・アメリカ側との国境線が事実上隣国ウクライナのなるという後者の怖さの要素がより大きい。イランの核を恐れるイスラエルが先制攻撃をかけるとすれば後者の場合であろう。

ウクライナに絡む領土問題も当事者の米ロ・NATO軍は核保有国なので、ウインウインのない全面戦争に突入するほどいずれの陣営も愚かではないだろう。自国を強大国と見せたいプーチンは、フルシチョフとケネディのキューバ危機と同じように、フルシチョフが核ミサイルをキューバから撤収したと同じように、振りかぶった拳をおろしウクライナ侵攻を実行しないのであろうか? 北朝鮮の軍事強大化に頼る戦狼外交(Wolf warrior diplomacy)と似通った意思決定傾向がロシアにも見られるのは憂慮される点だ。一方、バイデンとNATOはロシアがウクライナ東部へ侵攻した場合、一体何をしてそれを防ぐ積りなのか、或いは一体何が出来るのであろうか?苦戦が伝えられるバイデン民主党政権は、起死回生の一打として内政の苦境を外交で一挙に逆転打を狙う誘惑に駆られ行動を起こすのであろうか?外交は時として内政失敗を挽回する切り札ともなり得た来た歴史がある。両者虚々実々のつばぜり合いは予断を許さない。

近世以降の覇権の推移と覇権に挑戦した国々の歴史を振り返ると、アングロ・サクソン勢(昔イギリス、現在の主力はアメリカ)に対する他国の挑戦であったと観ることが出来る。16世紀後半の中南米植民地から富を得た無敵艦隊のスペイン、続いてオランダ、18世紀末から19世紀初頭のフランス・ナポレオンの挑戦、第一次・二次世界大戦におけるドイツの挑戦、冷戦におけるソ連(ロシア)との拮抗。全てアングロサクソン勢の勝利に帰している。そして現在では中国がアメリカの覇権に挑戦しているかのように映る。アングロサクソン勢はAUKUS (Australia, United Kingdom United States,)の豪・英・米の三国間の軍事同盟などに彼らの遠慮深謀な世界戦略を観ることができる。

戦争は依然存続し続けるであろうが、ハードパワーが衝突する戦争の時代から、軍事力・経済力・先端技術力・文明理念や文化発信力が混合してパワーを産み出すことになる、多極的地域における切磋琢磨と競合の時代になると思う。ハードパワーとソフトパワーの高く洗練されたレベルでの融合こそが将来のパワーの源ではなかろうか。その意味では人権と自由を抑圧する中国の独裁専制的国家運営は世界の標準たり得る資格を持ちえるとは言い難い。ロシアの野心的領土拡大戦略も多とはとてもし難い19世紀帝国主義時代の遺物だと思う。ただし、経済学で云う「悪貨は良貨を駆逐する」や、「暴力は怖い、それには抗うな」や、「長い物には巻かれろ」的な一般大衆のポピュリズム的傾向が強まれば、一瞬先は闇の世界にもなるかも知れない。200以上ある世界の国連加盟国政府の半分以上は中国の一党独裁専制的国家運営に賛成している事実は、一筋縄では行かない人間の欲望、打算、損得勘定を如実に物語っている。ウクライナ問題に限らず、民主主義陣営の強力にして健全な世界覇権の維持力を期待してやまない。

(菅原)本日(8日)の日経夕刊の一面に、プーチン大統領は同月(注:12月)に、東欧諸国を加盟させないというNATOの約束が破られ、「ひどくだまされた」と語った。プーチンは日本人が言いそうなことを言ってるな。

プーチンはKGBにいたんでしょ。そこでは、ダマシダマサレルのは日常茶飯の出来事。東で、日本を「とんでもなく騙したら」、西でNATOに騙されるのは当たり前の話し。それとも得意の二枚舌か。と言っても、「北方四島」は、鈴木宗男が言っているように、「取り戻す」ことは出来ないのか。残念無念。