エーガ愛好会  (64)  無頼の群

名前だけは知っていたが今まで見ることなく来てしまった作品である。西部劇映画というものはもちろん範囲が実に広い。勧善懲悪、ガンプレイ、大西部の自然、フロンティアスピリット、などといったものを真っ正直に取り上げたいわば正統的作品と、場所と時間をアメリカ西部にもとめた野放図な活劇としてマカロニウエスタンがあり、その間にたとえば先住民族問題とか自然破壊へのプロテストとかいろいろな現代の視点から見たことをテーマにした作品がある。そういう目で見てみると、グレゴリー・ペックの出演作には 大いなる西部 に代表される正統的作品もあるが、ひとひねりしたものが結構ある。例えば 勇者のみ なんていうのは西部劇としてよりも心理劇みたいな要素が多かったし、この 無頼の群 もわかりにくい作品だった。

クレジットタイトルに リー・ヴァン・クリーフ とか ヘンリー・シルヴァ なんて名前が出てくればこれで敵役がだれかはわかってしまうし、導入部のセリフからもペックが復讐のために人探しをしていることは明らかだった。だが見ていくうちにどうも腑に落ちないことが次々に出てきた。まず、4人を脱獄させた男とこの4人とはどういう関係だったのかがわからない。追い詰めていって対決していく3人のペックの質問に対する答えがどうも嘘だとは思いにくいし、最後のどんでん返しで金を盗んだのが隣人だったことがわかるのだが、ペックに4人組のことを教えたのはこの人物しかなさそうだ。もしそうだとしたら、小屋へ彼らが現れたときにお互い、顔はわかるはずなのに全く知らなかったのはなぜだ。ペックの大金を奪ったこの男は大金を手にしたのになぜこの小屋で貧乏暮らしを続けているのかも不思議だ。

この映画の邦題の 無頼 というタイトルから、当然の成り行きとして4人の悪漢と正義の闘いだろうと思い込んでしまうのだが、原題の Bravados という単語には 威張りたがり、とか、向こう見ずとか、空威張り、などという意味はあるが、善悪の分別は入っていないはずだ。4人が悪者であることは当然なのだが、なぜ このようなタイトルがついているのだろうか。もしかすると結局は自分の思い込み(うその情報だったことは確かだが)によって間違った人間を殺してしまった、いわば独りよがりにすぎなかった行為のことを指しているのだろうか。そうならば対象はペックのことになるのだろうが、Bravados と複数形なのはなぜか。プロフェッサー小泉の解説によれば、”実情を知らない町民たちの歓呼の声も聞こえないようにして……苦い顔で去っていく” というあたりが答えなのかもしれない。どうもここのところ、暇に任せてミステリに没頭しているせいか、妙な後味が残った作品だった。例によってウイキペディアによれば、ペックの出演作品56本のうち、この映画は12位にランクされている(第1位は ご存じ ローマの休日、大いなる西部 は6位、拳銃王 が11位 なのでペック西部劇ではトップ3に入る、ということになる)。

(34 小泉)
「地獄への道1939」「拳銃王1950」のヘンリー・キング監督、グレゴリー・ペック主演の西部劇。都会的な知性と明晰なる頭脳を持つスターであるペックだが、出演56作品中11作品が西部劇というのも意外だ。しかも次週からBSチャネルで始まる「拳銃王1950」が早射ちジョン・リンゴに扮し、心の休まらないガンマンの悲哀を演じたり、「新ガンヒルの決闘1971」では幼い女の子とロード・ムービーをしながら、裏切って金を独り占めした相棒を殺したい執念の男を演じているように、「大いなる西部1958」での東部からやって来た紳士役を別として、西部劇では、紳士ならぬ執念に取り付かれた男を演じてきた。この映画でも、4人の無頼漢に妻を殺された男が復讐のために、一人ずつを追い詰め、いつしか残忍な男になった主人公を演じ切っている。

相手をする俳優が夫々名の売れた男女優で、昔馴染みで、妻との子供を通し、愛が復活する大作「ピラミッド1955」のジョーン・コリンズ。4人の無頼漢で、最初に殺されるのが、「真昼の決闘1952」やその後マカロニウエスタンの主役にまで上り詰めた若きリー・ヴァン・クリーフ、手を合わせ命乞いするのを構わず射殺する。2番目は、TVドラマ西部劇作品等で活躍したアルバート・サルミ、ロープで捕まえ木に逆さに吊るす。3人目は、翌年製作のあの「ベン・ハー1959」の敵役スティーブン・ボイドで、メキシコまで追いかけ、酒場で射ち殺す。4人目は、ハードボイルやマカロニウエスタン出演の多かったインディアン役のヘンリー・シルヴァ、メキシコの自宅で妻と子供と再会したところで、ペックがその妻から壺で頭を叩かれた後、真実が明かされ、これはネタバレになってしまうが、事実は、友人だったジーン・エヴァンス扮するバトラーが犯人で、スティーブン・ボイドに殺されていたことが判る。結果的には、復讐したくても出来なかったのだ。

ある町で、4人組が逮捕され処刑されることを知ったペックが、160キロの道程をやって来るところから始まる。4人組のもう一人の仲間が処刑人に成り代わって脱獄に成功、町の人に協力する形で、ペックが追跡することになるのだ。ペックの葛藤がストレートに伝わって来るし、最後のどんでん返し迄が、じわじわと浸み込んで来る。4人の無頼漢を殺すことに執念を燃やしてきた結果、3人までを人違いで殺してしまったことが誤りであったことを知ったペックの心境、相手は法的には死刑に値するとても人違いなのだ。教会で懺悔するものの、実情を知らない町民たちの歓呼の声も聞こえないようにして、ジョーンと子供を連れペックは苦い顔で去って行く。

(44 安田)

小泉さん、いつもながらの名解説とご感想に感心いたしております。観た映画の印象と輪郭がはっきりとして、映画を反芻して楽しませて頂きました。同時代の映画と出演俳優の付帯説明も大変貴重でとても価値ある情報です。

妻が殺され自宅から盗まれた金塊入りの袋が、良い隣人だと思っていたバトラーが所有していたことが判明し、お門違いの犯人探しになってしまう筋書きがこの映画の味噌でした。共演した女優ジョーン・コリンズは英国出身だけあって、ブルーネットの髪で、ジーン・シモンズ、エリザベス・テーラーを少し彷彿とさせました。「ベン・ハー」での戦車競走が忘れがたいチャールトン・ヘストンの適役の俳優スティーブン・ボイド、鋭い眼光に鷲鼻が特徴のリー・ヴァン・クリーフが印象的でした。