ハッキリ会 健在なり

1961年4月、横河電機は創立以来となる大量採用に踏み切った。高度成長の初期、日本の石油化学・製鐵など重工業の急速な発展を支えたのがいわゆるオートメーション技術であり、そのトップを切ってきた会社は創立以来技術最優先の社是に従って堅実な人的投資をしてきて優秀な技術系学生の確保には熱心であったが、合計18人という事務系学生の採用には当然議論があったと聞いている。この会社に事務系の学生などは不要だ、と広言する役員がいる、などという話もあり、採用された18人の間には、技術屋なにするものぞ、という対抗心が生まれたのは無理もなく、その故とは言わないが堅い、いわば体育会的結束を誇って団結していた。その会をなづけて ハッキリ会という。

それぞれの職場で ”事務系” の存在感発揮に奮闘した仲間も、いままでに鬼籍に入ったもの3名、病床にあるもの5名、などであるが、舟橋利信という絶対的世話役を得て年2回、旧交を温めてきた。今回は出席7名、昔に帰っての歓談を楽しんだ。