”とりこにい” 抄 (2) 寺家幸一のこと

寺家と初めて会ったのは、大学進学直後、美ヶ原で行われた新人歓迎ワンデルングのときである。7人いた1年生の中にで、ニッカーボッカーをはきこなし、古びた山靴で現れた彼には第一印象から、山歩きのベテランの雰囲気があった。1級上の徳生さん、同期入部となってこのワンデルングで知り合った美濃島孝俊とともに彼が名門両国高校山岳部の卒業と知ったのはしばらく後のことだった。

付き合い始めてすぐに、彼の持つなんとも言えない暖かい雰囲気、それとなつかしい下町訛りで アサシ ヒンブン などと言うおかしさもあって、僕らは親しみを込めて彼を テラヒャン と呼ぶようになった。卒業後間もなく、当時行政の大失点となった、かの川崎市地盤調査実験の惨事に巻き込まれ殉職する悲劇に巻き込まれなかったら、間違いなく 月いち高尾 なんかにはぶらりとあらわれては天狗飯店で皆を笑わせていただろうと思う仲間の一人である。

(美ヶ原W 前列左端後藤三郎、その隣が寺家。5人目から妹尾、金井、中尾各先輩、その隣が美濃島孝俊)

元気と意地っ張りだけは人に負けない自信はあったが、山歩きの技術経験には全く自信が持てなかった僕はいつか、彼の人格も含めて兄事するようになった。その中で3年の5月、北沢での残雪行に付き合ってくれた、ほんわかとした彼との思い出が今でも心によみがえる。彼が絵をたしなむことを初めて知り、またさらなる敬意を払うようになったのもこのテントサイトでのことだった。

その秋、彼がCLとして主宰した涸沢BCでぼくは天上沢コースを担当して参加した。このときは、これも早く旅立ってしまった宮本健がKWVに持ち込んだ、フランク永井の 初恋の山 を、あたかも申し合わせたように沖天に上ってくれた月の下で一緒に歌った記憶が鮮烈である。

 

     ベースキャンプにて

 

     野呂川の水に絵筆をひたして

     友よ

     君は ささやかな草間地から

     夕空のいろを 思案する

     のこり火にあしをぬくめながら

     ぼくは 考える

     君のチューブがうずめてゆく

     そのかなたにあったものを

     君とぼくとが 

     黙ってみつめていたものを

     ぼくは 思い出す  

     夕空は思慮ぶかく

     ぼくたちの 頭上をおおいかくす

     母乳いろした

     あの 山の ほおえみをとかしながら