京王線仙川駅。区画整理のため伐採されるはずだった桜が市民の運動でそのまま残り、毎年、みごとに咲く。
2019春季 OB会ゴルフ大会

3月29日、春のゴルフ大会が先回に引き続き37年菅谷君のホームコース、府中カントリクラブで開催された。天候は予想よりも穏やかだったが、名物桜の花にはほんの数日、早かった。
参加者は32年卒荻原さんから52年卒の諸君まで、年齢差20年に及ぶダイナミックレンジとなった。また、今回から80歳以上はゴールドティも使用可能になった(編集子もそのひとりだが同様、意地になって使わなかった人も多数)。府中CCは数年前からゴルフカート使用が義務付けられており、”歩く” ことに関してのハンディはなかった。
結果、トップは昨年に引き続き佐藤充良君だったが、”連覇禁止”条項(自民党にも教えてやったらどうだ)のため、2位の斎藤邦彦君(48・44)が優勝。ベストグロスは猛打にいささかの衰えも見せない藍原瑞明君(42・42)が獲得。余談だが”連覇禁止”のほか、”表彰時本人不在” のため、繰り上げが2件発生するという椿事の多い大会となった。
次回幹事は今回のスコアにより、斎藤邦彦、藍原瑞明、それと地主菅谷国雄の諸君と発表されている。
PS 帰途はほとんどの人が倶楽部バスで多摩センター駅へでて二次会へ繰り出したようだが、駅のアプローチに入る直前に渡る乞田川沿いの桜が当日、まさに満開であった。土地勘が多少ある編集子はこのあたりを散策し、飲み会には出遅れてそのまま帰宅して驚かれた。
イチローのこと、映画のこと (44 安田耕太郎)
イチローについて、もとより今回の東京開幕戦が引退セレモニーとして設定されていた のは理解していたが、 世界の安打製造機がここまで落ち込むとは予想していなかった。 オープン戦での盗塁を見たとき、 こんなピッチの上がらない走りなのかと驚いたし、 またバッティングのスウィングスピードがまるでスローモーション のようで、三振も多過ぎたし動体視力の衰えは隠すべくもなく、 潮時を実感した。 メジャーに行った時現地の悲観論にバカじゃあないかと、彼の成功を確信していたし、実際途方もない成績を残してくれた。 レーザービームの強肩、韋駄天の盗塁、幾度と観た5打数5安打。 新人でメジャーに行っていればピート・ ローズの最多安打数を抜いていたに違いない。但し、 華奢で非力な10代後半の少年が入団させてもらえたかは分からな い。 生で一度は観てみたい選手がいるものだ。サッカーのマラドーナ、メッシ、ボクシングのモハメド・アリ、短距離走のウサイン・ ボルト、バスケットボールのマイケル・ジョーダンなどだ。 全盛期のイチローもこのエリート集団に入る。なので、 彼はずうっと我らがヒーローである。 映画の話。ボヘミアン・ラプソディーの話題がブログ紙面を賑わせていたが、 アカデミー賞授賞式の生中継をテレビで観た。 今年2019年のアカデミー賞作品賞を獲得したグリーンブックG reen Bookを観た。 似たようなテーマ、白人と黒人の友情を描いた1967年制作の映画「夜の捜査線」( In the heat of the Night) が印象 に 残っている。南部の白人警察署長ロッド・スタイガーが、 東部から来たフィラデルフィア市警警部シドニー・ ポアチエを間違って殺人犯として逮捕、 黒人に対する偏見と差別意識で侮辱する。 やがてポアテュエの身体を張って事件解決にぶつかる姿勢と人柄に 敬意を抱く、格調高い映画であった。 時代を特徴付けた社会的テーマを両スター俳優が見事に演じた。 わずかな仕草でそれが繊細に示されていた。 当時は人種偏見葛藤問題を抱えながら、白人と黒人の絆、協調、 友情を描いた知的な大人の映画だった。作品賞とロッド・ スタイガーはアカデミー賞主演男優賞を獲得。 アメリカ映画界の理性を感じた映画であった。 グリーンブックは黒人ピアニストと、雇われた白人イタリア系の運転手が、 車で南部地域への演奏旅行に出かける。 色々な都市が垣間見えて良かった。時は1962年、 人種差別が色濃く残る南部を舞台に二人の葛藤、対立、 友情を描く。白人目線で描いて、 人種差別問題を爽やかに映画チックに取り扱っているのがやや物足 りない。現実はこんなもんじゃあなかったのでは。 50年前の夜の捜査線に軍配をあげる。次はボヘミアン・ラプソディーを観に行きます。
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グラフトンのこと (35 徳生勇二)
近況です (51 斎藤邦彦)
「黄金の10年」の1年目の昨年は18回、山に行きました。バケットリスト目標の「100名山制覇」は8座を消化し累計81座まで進捗しました。何とか数年のうちに到達できればと思います。
今年は春ワンの調査行2月「景信山」、3月「石老山」に行きましたが、石老山では頂上で鉄板焼きバーベキューを家徳さんと丸満さんにも参加頂き大勢で楽しんできました。
昨日(3/23)は栃木県佐野市の三毳山(みかもやま229m)に同期とカタクリの群生を見に行きました。アズマイチゲやミズバショウも咲いており、男体山や燧ケ岳の眺めも素晴らしかったです。写真を添付します。
29日(金)の府中CCでのゴルフコンペでお会いするのを楽しみにしています。
また、4月7日(日)には秋ワンで担当することになっている東丹沢の「シダンゴ山」を調査に行きます。
秋ワンは10月26日(土)とまだまだ先ですが、シダンゴ山は日本一の馬酔木(アセビ)の山と言われているので(せっかくなら)花の季節に行こうと企画しているものです。
よろしければ一緒に行きませんか?秋ワンでは初級★★☆☆☆で計画しているコースです。
(中司―斎藤)
G is for Grafton
アメリカの女性ハードボイルド(HB)ライター、スー・グラフトンが惜しまれつつ他界したことについてはすでに書いた。女性のミステリ作家といえばもちろん大御所アガサ・クリスティーだが、HBの分野にもたとえばサラ・パレッキーなどが翻訳も出ていて女性ファンも数多いようだ(わがワイフもそのひとり)。
前にも書いたがグラフトンは ”アルファベットシリーズ” と称して、タイトルがアルファベットで始まる(第一作は A is for alibi)26本の小説を書くと宣言していたのだが、残念至極なことに25本目の Y is for Yesterday が遺作になってしまった。ライフワーク完了目前のことで、さぞ本人も口惜しかっただろうとしみじみ同情を禁じ得ない。最終作になるはずだった Z のタイトルは Zero であったと言われているが、こればかりは今となっては確認のしようがない。生前,彼女は ”自分の作品がクリスティのように愛されるものであってほしい” と願っていたという。クリスティには自分の最期を予測し、代表作 アクロイド殺人事件 に初めて登場させたエルキュール・ポアロを退場させるために、最期の作 カーテン を書く余裕があったのだが病魔はスーにその時間を与えなかったことになる。
このようなシリーズ作品には、愛読者の間に一種の連帯感みたいなものが生まれ、全作品を読み込んでその中からいろいろなトリビアを拾い出したり、それからいろんなことを自分で推理したり研究したりする仲間ができることがある。有名なものはシャーロック・ホームズ愛好者の集まりで、世界規模で協会まで設立されている。日本でも高名な作家やアマチュアにもシャーロッキアン、ワトソニアンを自称して、いろいろな研究を発表している人が数多い。たとえばワトソン博士が戦争で負傷したというがその部位がどこかとか、ホームズが東洋にいたというがそれはどこかとか(題名を思い出せないが、これを事実として書かれた日本を舞台にしたミステリがあった)、ホームズはアイリ―ン・アドラー( ”ボヘミアの醜聞” に登場し、ホームズが生涯ただひとつの敗北を喫する美女)を本気で愛していたのかとか、ありとあらゆることを作品の記述の中から推理するのである。小生横河HP在職中の先輩堀江幸夫氏も関連した論文を投稿されたように伺った記憶がある。
僕はまち中のひとりのHB読者であるにすぎないが、ロス・マクドナルドやスティーヴ・ハミルトンあるいは原尞など、同一人物が主人公のシリーズ物は結構読んできた。 ただ、グラフトンはその作品の舞台が僕のサラリーマン生活を通じてなじみのあるカリフォルニアであること、25作すべてが80年代という時代背景であって、スマホだとかグーグルだとかいうおよそロマンのない無機的な夾雑物もなく、すべて主人公キンジー・ミルホーンが数少ない手がかりをひとつひとつひろっていく過程、マクドナルドのクオーターパウンダーが好物という彼女の生活態度などが僕の見知っている限りではまさにカリフォルニアウーマン(それも僕のいたころの、という但し書きがつくが)のスタイルであること、などたいへん気にいって第一作から読み始めた。
訃報に接して、それなら自分の読破計画に沿って全巻読破しようとアマゾンから何回かにわたって25冊、1年かかって取り揃えた。そのうち遺作になった ”Y is for Yesterday” は(なぜだか伺ったが忘れてしまった)1冊余分に持っているから、とKWV35年卒の徳生さんから頂戴した。現時点で T is for Trespas まで素読が終わって一息ついているところである。付け加えると徳生さんからはつい先日、また同じものを買っちゃったから、と今度はバルダッチの新作をもらった。先輩、この調子で行ってください!。
ここまでくると、自分もキンジーアンかミルホーニアンになるつもりでトリビア研究でも始めて見るかと思案していたら、なんのことはない、すでにその集大成みたいな本があることを偶然知った。それが G is for Grafton である。まだ目次をみただけだが、その内容は、キンジーがどんな性格であるかとか、男運が悪いとか、食べ物の趣味はなんだとか、住んでいる部屋はどんなものだとか、まあ面白そうなものだが、これは25冊読了してからの楽しみにしておく。
さて、このシリーズの舞台はサンタ・テレサという架空の街になっていて、熱心な読者の一致するところ、太平洋に面した美しい街サンタ・バーバラがモデルなのだということがほぼ結論づけられている。今まで読んだ中にも、たとえば ”ロスアンジェルスから何マイル” とか、”サンフランシスコは北に何マイル” だとか、頻繁に出てくるハイウエイがUS101(ベイショアフリーウエイ)という著名なものであったり、それを裏付ける記述はたくさんある。さらに面白いのはこの町の名前が HBの大立者ロス・マクドナルドの後期4作品にでてくることであり(代表作 ”動く標的” もそのひとつであることは早速確認した)、ミルホーンが生前、マクドナルドに心酔していたということなどがわかってきて、サンタ・テレサがどんな街か?という興味がわいてきた。25作読むことがまず当面の目的だが、その中から、街の描写とか、通りや施設の名前とか、そういうものをまとめると ”サンタ・テレサ市街図” ができやしないか? というのが今の僕の思惑で、1冊終わるごとに関連項目をエクセルにためこんでいる(全作でキンジー自身は情報管理にはインデックスカードを用いている)。G is for Grafton までたどり着けるかどうか、が当面の心配なのだけれど。
恩師からの贈り物
1月13日、本稿で、小生小学校時代の恩師から頂いた便りを紹介した。40数年前の滞米中、母親に送ったグレープフルーツ(当時まだ珍しかった)のいくつかを母が先生にお送りしたらしい。その種を庭に蒔いておいたところ、実に40数年後,実がなった、という驚くような話であった。
今日、彼岸にあわせて、そのうちの1個をわざわざお送りいただいた。驚くと同時になんとも嬉しく、当日関西出張中で最期にも立ち会えなかった母のことを改めて思い出した。私事ではあるが、ほのぼのとした体験をわかっていただけばと思い写真をとった。同封されていたメモ、先生にお断りはしていないが小生の、いわば時空を超えた、感激を味わっていただけるように転載させていただく。
“皇帝” を聴いてきた
先週の映画館行に続いて久しぶりに紀尾井ホールへでかけた。小泉先輩やら後藤三郎なんか筋金入りのクラシックファンには及びもつかないド素人だから、曲そのものよりもそれにまつわることのほうが先に出てくる。
小生の兄は8歳半年上だったから僕が中学生になったときはすでにサラリーマン、およそ正反対の性格の真面目一方。フルブライト留学生試験にも合格したが体に問題あり(入学前に肋膜炎で1年寝込んでいた)ということでハワイ大学へ推薦されたり、銀時計ももらいかけたくらいの勉学一筋、当時のインテリの典型ともいえる性格で、その教養の一部としてクラシック音楽はいわば ”マスト” であると信じ込んでいた男だった。ちょうどLPレコードというのが出てきて、1枚買うと月給の四分の一がなくなる、という時代だったが、生真面目に買い揃え、日曜日などは僕を捕まえて、”お前もこのくらいは聞いておかねばならん”と畳に座らされたものだった。彼が買った最初の曲がベートーベンの”第七”で、その次がこのピアノ協奏曲5番、通称 ”皇帝” であった。
そんなことで、好きとか嫌いとか、ましてや鑑賞の仕方も知らず、耳だけで覚えている名曲もいくつかあって、折に触れて気が向けばCDを買ってくる、という程度のリスナーにすぎないが、亡兄の想い出でもあるこの ”皇帝” だけは特別な存在である。だいぶ以前、同期でヒマラヤトレッキングの時、”エベレストを観ながらこれを聴こう”と決め、まだCDなんかなかったからカセットを持参していった。無残なことに極度の高山病にとりつかれてどうしようかと心配する状況だったが、かろうじて窓ごしに山を観ながら朦朧としながら聞いたことだった。
そんなわけで今回のコンサートに出かけたのだが、もう一つ興味があったのは指揮者がピアノの演奏者でもあるという”弾き振り”とやらであった。有名な渡辺暁雄の長男であるご本人が最初に登場して演奏項目の解説をしてくれたが、古い表現でいえば六尺豊かの大男であることがわかり、始まってみると体格の大きい人でなければピアノ越しにタクト(もちろんこの場合は手指だが)が演奏者には見えないのではないか、ということに気が付いた。曲の流れは全部おぼえているので、聴くというよりそういうビジブルなものに興味がわく。自製、自慢の真空管アンプでは当然とはいえ再現できない実物の圧倒的なボリュームや広がりもそうだが、(あ、次はオーボエだがどの人かな)とか、CDだけでは気が回らないのだが、バイオリンが丁寧にピッキングをしているのを観たり、などと、本格的なリスナーには呆れられてしまうような聴衆であった。
帰り、50年前に二人で良く通った “清水谷茶房” がまだあるかなと淡い希望をもって夫婦でオータニから赤プリへと散歩したが、当然のごとくすでになく、第一赤坂プリンスホテル、という個体が存在しなくなっているのを初めて知った。四谷駅までもどり、”アントニオ”というオヤエ推薦の店で食事。最中になんと妹尾(ちび)からスマホに着電。持ってはいるがほとんどオンにしていない小生にはこれまた椿事というべきか。
一足早く桜を (34 小泉幾多郎)
19年3月 月いち高尾 (39 堀川義夫)

2019年の3月の月いち高尾はこの季節にありがちな2つ玉低気圧、俗にいう爆弾低気圧の襲来で、開催が危ぶまれましたが、ぎりぎりの判断で決行することにしました。幸いにして予想通りの天気となり、当日、キャンセルも出ましたが参加者17名予定通りの景信山とこの下沢のワンデェリングを楽しみました。特筆すべきは新たに相川さん、柏木さん、保屋野さんが初参加してくれました。また、梅も満開で今年も迎えてくれました。昨年は少し味気なかったので、今年は甘酒を用意してみました。結構、好評でした。てんぐ飯店は18名の参加でした。
日 時 2019年3月11日(月)
参加者 楽々コース 中司、鮫島、遠藤、平松、町井、堀川 6名
定番コース 後藤、翠川、河合、藍原、武鑓、相川、柏木、久米行子、保屋野、川名、岡沢 11名

全員時間までに高尾北口に集合して小仏下までのバスに乗車。下車後、全員で歩き始める。約15分で小仏峠への道と景信山直登の分岐で楽々コースと定番コースに分かれる。
楽々コース 6名でゆっくり登り始めたが結構の急登で始まった。一歩き始めて40分、一息ついて順調に頂上を目指す。ほぼ、コースタイム通りの時間で12時5分ごろに景信山頂上。結構展望も予想以上に良く、雲があるものの遠望が楽しめました。直ぐに定番組も小仏経由で到着。集合写真撮影後、一箸先に12時35分に出発。昨夜来の雨で道が滑りやすく、慎重に木下沢の作業小屋へ下山。その後、

定番コースと同じ。
定番コース 当日は午前中雨の予想もあり、実施が危ぶまれたが、堀川さんの予想によると10時には雨も上がり、次第に晴れるとのことで、決行することになった。予想はドンピシャリ当たり、家を出るころは雨が降っていたが、電車の中では雨上がりの綺麗な虹も見え、高尾駅に着いたら晴れ間も出た。
小仏までバスで行き、景信山を目指した。バス停から約900mほど先で「らくらくコース」と「定番コース」の2班に別れた。定番コースのメンバーは岡沢さんをリーダーに11名。雨上がりの澄んだ空気の中快適に登り、小仏峠で一本、次の一本で景信山の山頂(727m)に12時少し過ぎに着いた。36年卒組が先頭を歩いたが、相変わらずペースが早い。若干遅れ気味の人もいたが、ほぼ揃って無事到着出来、何よりでした。
先に着いていた楽々コース組と合流し一緒に昼食。茶店は2軒あったが、人が居ず、ビールが飲めなかったのはちょっと寂しい。頂上の展望は素晴らしい。空気が澄み、都心からスカイツリー・東京湾・館山の鋸山まで見渡せた。下りは小下沢コースを登山口まで一気に降り、さらに2km林道を歩いて梅林に到着。

堀川さん持参の甘酒を温めて賞味、コーヒー紅茶を飲み、かぼさん・コブキさん持参のお菓子を頂きながら、満開の梅を鑑賞。最後に天狗で打ち上げ会。終始極上の気分で一日が終わりました (藍原記)。
初参加した相川です。 雨支度をしていたのが、暖かい春日和となり、久しぶりの山靴歩き
腰痛を忘れました。 甘酒もいただき、お世話になりました。
「ボヘミアン・ラプソディー」の話がでましたが、始まったばかり
クリント・イーストウッドが、90歳(実年齢89歳)の気骨ある
今回初めて「月いち高尾会」に参加させていただきありがとうござ
久しぶりの景信山と素晴らしい梅林そして美味しい中華等十分楽し
4月以降もなるべく参加したいと思いますので、よろしくお願いい