病み上がりの月いち顛末 (36 吉牟田正稔)
2011年1月の同期ナンカナイ会の新年会の席でGIから月に1
本年 山荘祭頃より右膝が痛くなり日常の生活も多少不便になり 整形外科医のMRI検査を受けたところ 右膝半月板が損傷しており 暫く登山中止し 週1回のヒアルロン酸 注射と別の整骨院にてのマッサージ治療を約2ケ月行い ほぼ痛みも無くなり 先日は同期の第4回目の街歩きに参加し15000歩歩いても大丈夫だったので 今回 月一高尾にもチャレンジした次第でした。
小生の膝の治療してくれている 下北沢の整形外科医は慶応高校から阪大卒の医
者で ワンゲル仲間で毎月継続している…今回も14人も集まったな
今回の参加は当初 どこで膝が痛くなり途中リタイア―するかもしれず 個人参
加として1号路を登り 疲れ具合で ケーブルでの下山を考えてましたがGIが同期の面倒を見てやる… と同行してくれるとの温かい提案を受ける考えでした。当日 高尾山口駅集合地で コンクリート道の1号路を登るより バスで標高差を稼ぐ大垂水コースのほうが楽かもしれないと本隊に合流させて貰いまし
登山から2日ですが膝の痛みは全く無く 加齢による筋肉痛はありますが大丈夫
です。
11月月いち高尾報告 (39 堀川義夫)
久々の月いち高尾でした!! 月いち高尾としては久しぶりの晴天に恵まれ紅葉の高尾を楽しみました。何せ、今年は毎月企画するも呪われたがごとく、実施日と言えば雨、雨、雨でやっと11月が実施できて5割アップとなりました。
参加者 順不同敬称略
中司 吉牟田 遠藤 深谷 岡 高橋 椎名 後藤 町井 蔦谷 三嶋 伊川 岡沢 堀川
日 時 2018年11月14日(水) 高尾山口駅集合 10時
久しぶりの月いち高尾ということで全員入れ込み気味。バスで大垂水まで行きゆっくりと一丁平らを目指しました。高尾登山口あたりは紅葉シーズンということで込み合っていたが、ほとんど人に会うことのない静かな山を楽しむことができました。一丁平からもみじ台、そして久しぶりの細田小屋でこれまた定番のなめこ汁を楽しみ、GIさんの提案で日陰方面への下山は作業用の道を利用し、わずか40分ほどで林道に下山しました。細田小屋のご主人はたしか郵便屋道と言っていました(新聞やみちだったかな)。
この道は今後一般の方々に知られない登山道として月いち高尾の秘密の登山道になることでしょう。
日陰の林道からバス道に出て、今日は、バスに乗らずに摺差(するさし)の豆腐屋さんに一直線。寄せ豆腐に、岡沢の用意したたっぷりの薬味のねぎとポン酢、そして堀川がずっと担いできた冷えたビールでしばし豆腐ブレイクタイムを楽しみました。
ここで一時解散、バスで、また、小仏川沿いの散策路を高尾へ。これまた久しぶりの天狗で全員参加の打ち上げ。酒が旨い!!
帰りがけ、さぶちゃんが財布がないと大騒ぎになるも、なんと自宅の電話の前に置き忘れた事実判明。天才サブローもまた、人の子なりと同期生一同、安堵。
私の不注意からお財布紛失騒ぎを起こしてしまい大変失礼いたしま
素晴らしいコースアレンジで、高尾の良さをしみじみと味わいました。何よりも豆腐パーティが楽しいひと時でした。年末の牡蠣山行が楽しみです。昨日親睦委員会で実方さんを誘いました。久しぶりに参加すると意気込んでいらっしゃいました。生牡蠣は苦手なようですが、焼・蒸・煮は大丈夫です。 伊川望
秋の奥武蔵日帰り - その4
36年卒の中でFEMAと呼ぶグループがある。深谷、遠藤、翠川、浅海の4人で、これに後藤を加えた5人はしつこく強い。過去の合宿や日帰りでもそれぞれのコースを選んでいて、なかなか集まることがなかった。それが今回の奥武蔵ではナンカナイ会参加メンバーの全員が日和田山コースに集まった。案内文がとてもやさしく楽に思えたからか、佐藤・久松というリーダーの人柄だったのかは定かではないが、いずれにせよ珍しい現象だった。
指示通り、武蔵横手なる辺境?駅に最年長の荒川先輩を筆頭に集合。少しばかり危ぶまれる天候であったが歩くにつれ安定した空模様になった。コースは途中で一度一般道にもどるという多少変則的ではあったが、
日和田頂上では地元児童たちの遠足に合流、眺めもなかなか。高尾山からほぼ毎月見ている眺望が30度くらいずれた感じであった。下り道の一部が岩場とまではいわないが多少荒れていて、年寄りには多少応えた。夏合宿では西穂の独標の登りで足元が危ぶまれ、自分は登れるかもしれないが落石を引き起こす面倒を考えて引き返したことなど考えると、そろそろ考える時期に来たのかもしれない。
BC地にはともかく無事到着、今回は32年の上田さん、35年の手塚さんをはじめ、しばらくぶりにお会いでき、楽しい時間だった。この交歓にとりまぎれて、後で知ったのだが折角BC班が用意してくれた飯能名物を食べそこなったのだけが残念だった。解散後は飯能の居酒屋を浅野三郎君らのご努力で席を確保、大いに盛り上がった。佐藤、久松両君はじめ、”若手”各位のご助力に感謝。以下、参加者雑感。
下見を繰り返し、
心配した天気も秋のワンデリングには最適の一日となり、楽しい山行を楽しむことができました。大パーティーを見事にまとめられた、佐藤L 久松SLの事前準備から始まるご苦労に、深謝申し上げます。年を感じさせない諸先輩に元気をいただきました。また、皆様とご一緒できることを楽しみにしています。(42 井上徹)
日一日と秋も深まる中天気予報を気にしながらの日帰りワンデリングも予想を裏切る天気に恵まれ楽しい一日をご一緒させて戴き有難うございました。何時もながらKWV行事では旧知の方々との再会を楽しみにもしています。又の行事でお会いご一緒出来る事を楽しみにしています。(45大江)
昨日は楽しい一日のワンデルングを過ごさせていただき有難うござ
日和田山コースにご参加の皆様
4班参加の諸先輩の皆様、お疲れ様でした。朝雨模様でしたが、何とか天候も回復し、
何とか天候も持ち直し、秋の山歩きを楽しんでいただけたことと思います。最多パーティでしたが皆様のご協力により、ほぼ事前想定コースタイム通りに歩くことができました。ありがとうございました。
33年の荒川先輩はじめ山を愛する先輩方の姿、心から敬意を表します。またご一緒させていただけることを楽しみにしております。森田先輩 今回は残念でしたが次の春ワンに参加できますよう。(48 佐藤充)
第四回 タウンウオーク - 巣鴨界隈 (36 横山美佐子)
2月の柴又以来のタウンウォーク、巣鴨駅に集まったのは世話役のミドリ夫妻をはじめとする総勢13名のお馴染みの面々だが、前夜突然の風邪でダウンした首謀者、ジャイの顔が見えないのがチョッと淋しい。
『おばあさんの竹下通り』の異名で名高い地蔵通り商店街は、やけに目立つ赤パンツを売る店の陰でひっそりと商いを続けている駄菓子屋やお惣菜屋に江戸の下町の風情を感じ嬉しくなる。庚申塚から都電の唯一残っている路線で『鬼子母神』へ。
都電というと銀座や青山の大通りの真ん中を威風堂々と走っていた嘗ての姿をイメージするが、ここでは裏通りを遠慮がちに走る姿以上に存在感のある文字通りの庶民の足。とはいっても乗客の大半はわれわれと同類の『不要・不急のやから』のようでした。
飛鳥山の澁澤栄一記念館を見学したのち再び(三度か)都電で巣鴨に戻り、うな重の昼食。腹ごなしに六義園を散策して解散。
都内にもまだまだ知らない、いいところがいっぱいありますね!
安東はテニスの試合があるとかで午前のみの参加、六義園へ足を延ばしたのは翠川夫妻、前田、深谷、遠藤、吉牟田、高橋、オヤエ。途次、遠藤君ご愛用の山靴屋 GORO へ立ち寄り。12月はなにかあったかい、ほんのりしたコースを考えたい。門仲あたりでぬる燗、てえのはどうかなあ、と考慮中なり。
秋の奥武蔵日帰りW ー その3 (H30 川上友輔)
OB1年目、H30年卒の川上友輔です。先日の秋の日帰りワンデリングについて書かせていただきます。私はワンゲルは卒業したもののまだ学生をやっており、時間があるため今年度の三田会行事には全て参加しようと決めていました。秋ワンについても参加するつもりでいましたが、締切直前までどの班に参加しようか迷っていたところ、丸満Lの10班にメンバーがいないと、親睦委員会から直々に参加要請が来たため、春ワンに続き丸満班に参加することに決めました。同期のイベント好きな稲毛、高田、渡邊の3人と、内定先の先輩でもあるS61年卒新山さんをお誘いし、S60年高橋さんも加わり無事8人パーティとなったわけです。
山域は伊豆ヶ岳東尾根というバリエーションルートで、いかにも丸満さんらしいルートで、山行中は、5,60代のOBと一緒に登っているとは思えないほどハードだった。SLの50年卒岡田さんがトップを務めたが、ペースの早いこと。どんな急登でもスイスイ駆け抜けていく。我々若手4人は為す術もなく、息を切らしながら必死についていった。出発から2時間半足らずで伊豆ヶ岳に到着。山頂では丸満さんのお馴染みの爆弾お手製牡蠣の燻製を始め、チーズケーキ、果物、お菓子など差し入れ祭りとなり、疲れた体に染み渡った。下りも一瞬で駆け下り、13時前には正丸駅に到着した。もはや皆走っていた。休憩を除くと3時間半程で全ての行程を終えてしまった。素晴らしい疾走感と達成感であった。後から岡田さんに聞いた話だと、事前に丸満さんに、今回は若手がいるからペースを上げてみようと言われていたらしい。それにしても、あのスピードを出せるのは素直にすごいと思った。体力と歩行技術が磨かれていないとできないため、我々はまだまだだと痛感したと同時に、自分が60歳近くなったときの目標にもなった。久しぶりに1年生に戻ったような感覚で、学びが多く刺激的なプランだった。ありがとうございました。
そしてお楽しみのBC地では、今回も100人を超えるOBが元気に飲み騒いでおり、これもまた刺激的でした。春ワン、夏合宿でも感じたことですが、これだけの数のOBが集まり、高齢にも関わらず元気に山に登り酒を飲むKWV三田会という団体は大変魅力的です。私はここで会えるおじいちゃんおばあちゃん達が大好きであります。近年三田会活動には若手はあまり参加してこなかったが、H28年卒の金さん水上さんが壁を崩してくれたおかげで私も参加できるようになりました。今後も若手が気安く参加できるような環境を作っていきたいし、それが私の使命だと思っています。これからもよろしくお願いいたします。
<H30年卒高田蒔子>
「お手柔らかに…」と自己紹介をされたはずの先輩方の歩くスピードの早いこと。渋い秋山を、息をきらして登り、牡蠣をはじめとするおいしい爆弾を分け合い、下山後には盛大な飲み会、とワンゲルらしさのぎゅっと詰まったプランでした。いつまでも山に登りたい、この人たちと、登り続けて行きたいと、強く思いました。
秋の奥武蔵日帰りW ― その2
OB会が新組織になってから、年中行事として春秋2回の 日帰りワンデルングが定着し、卒業年度ごとの担当が始まってからしばらくは参加人数をひそかに競うようになっていた。”100人越え” が実現したのは、34年(CL 妹尾)担当の筑波山からだと思うが、その後は100人の参加が当たり前のようになってきた。大人数の代が漸減していく中で、今回もまた100人を超える参加者があったのは、若い年代にもこの行事が受け入れられるようになったからだと思われる。ご同慶の至りであり、今後ともこの盛況が続くことが望まれる。
分散Wのあと、BC地でいろんな顔を見られるのはこれとない楽しみである。若い人たちの中には、何度聞いても名前を覚えられない方もおられ、苦労するのも逆に言えば楽しみであるが。
ワンデルングの形として、伝統のBC方式が当初から採用されてきたが、全員が集合できる場所を確保するのがなかなか難しいようだ。今回は飯能河原という好適な場所が選定されたが、毎回のこととは言え、実行委員のご苦労もなかなかのものだったと思われる。特に今度は、CLの水村君が大阪在住でもあり、前日上京して現地に宿泊、翌日に備えてくれた。この前泊にはSLの佐藤君らも合流したようだが、そのほか、BC班のCL金子君や古賀、安藤君ら、担当2学年のご努力には感謝しかない。聞くところでは、当日提供された飯能特産の四里餅を人数分確保するにあたっては大変ご苦労があった由である。会の終了に当たっては今回の担当から来年担当学年へとバトンを渡す儀式?もあり、19年春の再会が待たれる。
当日はパーティ別ワンデルングには参加せずBC地直行の参加もあり、最古参は33年の上田、荒川両先輩だった。いつの日か俺たちが最高齢、てえ日が来るのかなあと思いつつ、終了後は飯能の居酒屋へ強制連行して久しぶりに(俺たちの)四年生! の怪気炎を聞かせていただいた。すっかり出来上がって勘定もすんだあと、はっと気が付いた!ここは新宿じゃなかったのだ、と。
アサ会:忘年登山から紅葉狩へ (34 小泉幾多郎)
先日の日帰りW.はご苦労様でした。我々3班は、標高195mと
例年11月から12月にかけて、我々34年卒アサ会は、忘年登山
平松君が、日光方面へ下見に出掛けたことから、戦場ヶ原散策と東
日光は紅葉シーズンともなれば、ある程度の人出は予想し
日光駅に下車して驚いたのは、バスを待つ人の波。JR日光駅が始
外国人の多いのにも驚き、中国人韓国人なら、言葉を発しなければ日本人と変わり
湯滝まで宿泊先の小西ホテルの送迎バスが来てくれて助かる。乳白
昨年まで続いた忘年登山を振り返ると、どうやら我々の殆んどがサ
2001年は足和田山へ、翌2002年から2004年は永野夫妻
秋の奥武蔵日帰りWーその1 (51 斎藤邦彦)
10月27日(土)◆第5班◆高山不動尊から関八州見晴台コース◆コースタイム3時間40分◆
「雨男の51年卒」が4回目の企画(今回は新規山域の開拓)として挑んだ「2018年の秋ワン」でしたが、今回も天気予報が芳しくなく随分と気を揉みました。結果的には歩き始めてから天候が回復するというひやひやの「ヒットエンドラン」でしたが幸運にも雨に降られたパーティはなく、無事に『時の当番』の役割を果たし次の年代に襷を渡すことができそうです。
予定通り殆どのメンバーが8:25西吾野駅着の西武線快速急行利用。8:30集合:西吾野駅8:40⇒(パノラマコース1時間20分)⇒10:00石地蔵⇒(40分)⇒10:40高山不動尊10:50⇒(40分)⇒11:30関八州見晴台(昼食)11:45⇒(30分)⇒12:15子育て銀杏⇒(常楽院、三社峠経由1時間05分)⇒13:20休暇村奥武蔵「こもれびの湯」入浴14:00⇒(送迎マイクロバス5分)⇒14:05吾野駅14:10⇒(西武秩父線21分)⇒14:31飯能駅14:40⇒(20分)⇒15:00飯能河原BC地集合。
準備体操と自己紹介の後、サブリーダ五十嵐君を先頭に意気揚々と出発。天候は雨が上がり次第に快方へと向かっている。国道299号に出て北川沿いに進み、西武線の高架をくぐった後、橋を渡って山道に取付く。高山不動に行くルートはいくつかあるが、今回はパノラマコースを辿り石地蔵を経て山頂へ向かう。
軽快な足取りで旧黒門跡を過ぎ順調に高山不動尊の石段下に出る。石段は約100段あり、とても急な勾配を足が張るのを堪えて登ったが、下りは危険なので迂回するように先輩方から助言を受ける。石段を登りきると本日の第一目標地点である高山不動尊の前に出る。不動尊は西暦654年の創建と伝えられ、「日野の高幡不動」「千葉の成田不動」の関東三大不動尊のなかでも最も歴史のある寺院である。「不動明王」や国の重要文化財「軍荼利明王」が安置されている堂宇は巨大で霧の中で荘厳な雰囲気を醸し出している。今年9月に修復が終わったばかりで大屋根はきれいになっているが、霧に煙る伽藍はあまりに巨大すぎで写真を撮ろうとしてもはみ出してしまう。
不動尊で一本のあと「奥の院」である関八州見晴台に向かう。頂上に到着する頃には薄日も差し始め暖かい日差しの下で頂上登頂、地名の通り晴天に恵まれれば都心から房総半島まで見渡せるそうだが残念ながらこの日は霧で真っ白、目の前の山も見えない。頂上の標識を中心に記念撮影ののち手短に昼食を摂る。下りは高山不動尊の急な石段は避け巻道を旧高山小学校横に降りる。そこには樹齢1200年と言われる大銀杏があり、乳房に似た大きな気根がたくさん垂れ下がっている。「子育て銀杏」と言われる所以であるが、ここで「大きい」とか「垂れてる」とか我が班のメンバーはこの日一番の盛り上がりを見せた。
本堂の常楽院から自動車道に出て三社峠を越えほぼ予定通りの時間で「休暇村奥武蔵」に到着(先輩方はさすが健脚揃い)、入浴や冷たい飲み物を楽しみ、休暇村のマイクロバスで吾野駅まで送ってもらった。
<後日談(翌日)>
当日悪天候を示唆する天気予報に慎重になられ欠席だった34年の林田新一郎先輩から翌日に暖かいメールを頂いたので以下原文を掲載。
斎藤さん 34年の林田です。天気予報にだまされて皆さんとご一緒出来ず残念でした。しかし貴君のコースガイドがあったので今日一人で高山不動も見晴台も行ってきました。晴天で良かったです。でも君のプランより3割増くらい時間がかかり、皆さんと一緒だったら迷惑をおかけしたと思うので丁度良かったかもしれません。
<参加された方からのメッセージ>
(多田さん)昨日はお世話になりました。写真を早速お送りくださり有難うございました。BCまで行けなくて残念でしたが写真で実感しました。またの機会によろしくお願いいたします。
(長谷川さん)写真見ました。ありがとうございました。ジジババ登山の中、可憐な花の写真がさりげなく挿入され、高校生のハイキングの時のようです。L,SL皆様ご苦労様でした。
(三嶋さん)昨日はお世話になり有難うございました。シニアには適当なコースですね。新緑の頃も良さそうです。
(安藤さん)写真を送って頂き有難うございました。ちょっと幻想的なショットもありましたが全体的にはよく撮れていると思います。皆様とも久しぶりにお会いできて楽しくちょっと厳しい山行だったと思います。
(久米吉之助さん)早速写真をありがとうございました。久しぶりに歩き、今日は少々筋肉痛で体力の衰えを痛感しています。病み上がりであまり自信がありませんでしたが、皆さんのご配慮もあり何とか最後までついて行くことができました。これを機に年内に1~2度ほど近場の山を歩きたいと思っています。
(久米行子さん)昨日の山行決定は親睦委員会の暴走かと思いましたが家を出る時の土砂降りから一転歩き始めから全く雨具の心配もなくBC地は見事に晴れ上がっていて感激でした。お蔭様でL,SLの気配りの行き届いた山行で楽しい一日を過ごすことができました。当番年の方たちはさぞお疲れだったことでしょう。大変お世話になりました。
(猪俣さん)昨日は、大変お世話になりました。色々と多忙で暫く運動から遠ざかっていた我が身には「適当」どころではなくきつかったです。思い切って出かけていき秋の楽しい一日となりリフレッシュ出来ました。
秋になりました ー 漢詩をひとつ紹介します (36 坂野純一)
やっと秋らしい青空も見え始めてきました。
遠藤兄、後藤兄の紀行文も拝見していますが、みなさんお元気そうでうらやましい限りです。先般ミドリから 「下町タウンウオーク」のメールももらったのですが、今の体調で
芭蕉の最晩年の句に「この道や 行く人なしに 秋の暮」があります。この句は、唐の詩人 耿湋の「秋日」と題する五言絶句から想を得たものと言われています。
返照入閭巷 返照 閭巷に入る
憂來誰共語 憂い来たって 誰と共に語らん
古道少人行 古道 人に行くこと少(まれ)に
秋風動禾黍 秋風 禾黍を動かす
夕日の照り返しが冷たく村里に差し込んでいる。 この静かな光景に憂が沸き起こってきたが、共に語る人もいない 。荒れた古道は、通る人もほとんどなくてただ秋風がさわさわと稲や黍を騒がせるばかりである。
元大蔵官僚で、池田隼人蔵相の時、事務次官を勤めた長沼弘毅という人がいます。旧制静岡高校から 東大法学部。講道館柔道七段 退官後は実業界ヘ転じ、博識で知られ、文芸評論家としても活躍。次官時代のエピソードとして、役所の仕事は午前中に終え、午後は労働法の研究、夜は宴会に付き合うこともなくシャーロックホームズの研究に没頭したと言います。アガサ クリスティーの翻訳でも知られます。
彼はこの詩では、「返照 閭巷に入る」〜夕日が赤々と村里を照らす、〜と叙景に、やや、具体性を持たせ、結句では「秋風」に配するに「禾黍」をもってしている。これでも淡々たる筆致で「ことば少なし」といえるであろうが、芭蕉は、あらゆる点景物を一切、切り捨てて「行く人」までも抹殺してしまっている。こういう句には、なにものかを登場させなければ、さびしくて堪らないものであるが、芭蕉は、思い切ったつっぱなし方で、寂寥の光景を力強く歌い上げている。「この道や」の初五などは、珠玉のごとく光っている。さりげない奔放さというのであろうか。あるいは、凝りに凝った遂行の跡というべ きであろう。 何れにしても脱帽。と評しています。
新潟出身で、早稲田大学を出た歌人に会津八一という人がいます。彼の歌集の中に「印象」としてまとめられた漢詩に想を得たものがあります。
かって唐人の絶句を誦しその意をもって和歌二十餘首を作りしことありちか頃古き抽斗よりその舊稿を見出し聊か手入れなどするうちにここに九首を録して世に問うこととなせり。或はこれを見て翻訳 というべからずとする人あるべしまた創作というべからずとする人あるべし。 これを思うてしばらく題して「印象」という。されど翻訳にあらず創作にもあらざるところ果たしてなにものぞこれ予が問わんと欲するところなり
そして前述の耿湋の「秋日」を次のように歌っています。
いりひ さす きび の うら は を ひるがへ し かぜ こそ わた れ ゆく ひと も なし
亡父の残した八ヶ岳山麓の小屋に 三本のヤマモミジの大木があります。時期になると真っ赤に紅葉し、タイミングによっては赤、オレンジ、緑のグラデーションを見せてくれます。十年ほど前には これを楽しみに出かけていましたが、最近では、出かけるのが億劫になって、寒いことも重なりすっかりごぶさたです。