アントニオ猪木と糖尿病   (会社時代友人 齋藤博)

編集子)ここのところ有名人の訃報が多い気がするが、プロレス界で人気の高かったアントニオ猪木も残念ながら不帰の客となってしまった。新聞紙上でも触れていた彼の糖尿病のことについて、斎藤さんから紹介された医師ドクターシミズのひとりごと(https://promea2014.com/blog/?p=20194から転載させていただく。
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猪木さんは、かなり若いころから糖尿病だったようです。39歳で、血糖値はなんと590!一度の食事で、ラーメン丼で10杯以上のごはん、焼き肉を2キロ平らげるくらいは当たり前、日本酒の一升瓶のラッパ飲みなども時々、接待の席の食事も残してはいけないと途方もない量を律義に食べ続けた、そうです。それでも、1991年からやっと血糖値を下げる薬を飲み始めたそうです。その後インスリン注射をするようになっています。インスリンを注射しながら食事をとり、血糖値を測る。分厚いステーキよりも、炭水化物のおにぎり1個の方が血糖値が上がりやすいことなど、自己管理のコツも少しずつ分かってきた、そうです。「分厚いステーキよりも、炭水化物のおにぎり1個の方が血糖値が上がりやすいこと」は糖質制限では当たり前のことなのですが、今でもこのことを教えてくれる医師や栄養士は少ないでしょうから、当時は誰も教えてくれなかったのでしょうね。

猪木さんは2019年に国の指定難病にもなっている「心アミロイドーシス」を発病しています。アミロイドーシスはアミロイドという異常なタンパクが様々な臓器に沈着し、その臓器の障害を引き起こす疾患です。アルツハイマー病は脳にアミロイドが沈着します。以前はこのアミロイドの沈着がアルツハイマー病の原因ではないかと言われていましたが、最近そのもととなった論文の捏造が発覚しています。おそらくアミロイドの沈着はどの臓器でも根本原因ではなく結果でしょう。

このアミロイドが沈着する原因は実際には完全にわかっていませんが、私は恐らくインスリンだと考えています。それはインスリンを自己注射している人で「インスリンボール」と言われている、アミロイドが沈着した硬い腫瘤ができることがあるからです。インスリンはアミロイドを形成することがわかっています。

2型糖尿病のすい臓でもアミロイドの沈着が認められる場合があります。アミロイド沈着は欧米人では90%以上の患者にみられますが、アジア人では低く、中国人の糖尿病患者ではほぼ40%、日本人では28%で膵島内占有面積も17.5%と軽度でした。アミロイド沈着はBMI高値で頻度が高く、インスリン抵抗性と関連していると考えられます。

2型糖尿病、アルツハイマー病、パーキンソン病などはアミロイド疾患とも言われています。おそらくインスリン分泌が大きく増加したり、インスリン分解酵素の相対的な不足または何らかの要因で分解酵素の障害が起きているのではないかと思います。いずれにしてもインスリンがアミロイドーシスの原因だと思います。しかし、根本原因はインスリンの過剰分泌をもたらす糖質過剰摂取でしょう。糖尿病になり、インスリンの注射を使用しなければならない場合も、そのインスリンによりアミロイドーシスが起きてしまうこともあると思います。アミロイドーシスも糖質過剰症候群である可能性が高いでしょう。

しっくりこない新聞記事について

最近、新聞記事(編集子宅では読売)を読んでいて何となく疑問というか違和感を感じることがいくつかある。

そのひとつがAI という用語の氾濫である。AI、とはなにか、といえば、日本語では人工知能、という用語があてられるがもともとは英語であるから、英語版のウイキペディアなどを見てみると、the theory and development of computer systems able to perform tasks that normally require human intelligence (通常は人間の知性を必要とする仕事を行うコンピュータシステムの理論と開発)あるいは intelligence demonstrated by machines, as opposed to the natural intelligence displayed by animals and humans(動物あるいは人間がおこなう固有の知的行動を機械が代わって行うこと)と定義される。またほかの文脈では discernability (識別能力)という用語も用いられている。

現代はITの時代であると言うときのIは information であり、その意味は情報、ではあるが知性、inteligence ではない。

コンピュータが企業などの実社会で使われ始めた時代には information のもとになる data という用語が用いられていた。現在ではどこの企業や組織であっても、コンピュータを扱う部署は情報処理課、とかIT部、などと呼ばれるだろうが、60年代まではデータ管理部とか、ズバリ電子計算機課、などという呼称がふつうであった。つまり生のデータを集めてあらかじめ定めた方式によって処理をするという人力作業の効率化高速化することから始まって、システムの高速化・大規模化によってその処理結果を高度化し、単なるデータの集積から人的判断処理の補助へと効果が、データではなく情報と呼べるものになってきた。そのプロセスがさらに高度化され、人間とのインターフェイスも数字や文字の羅列からグラフィック処理やシユミレーションなどが手じかになった結果、information technology ITという現実ができた、というのが現在の情勢だろう。しかしコンピュータのもたらす効果が intelligence というレベルになっているのは、言語処理とか翻訳とか医療行為の一部などといった限られた領域のそのまた一部である。コンピュータシステムの能力・効果はまだ information process というレベルであり、新聞記事に気安くAI によって処理をする、などと書かれていることの大半はまだまだ人間の discernabiility を置換するまでのレベルになっているとは思えないものがほとんどだと思われる。

僻目かもしれないが読者に誤った期待を抱かせないためにも AI という用語の使用にはもっと厳格である必要があるように思うのだがどうだろうか。もっともコンピュータの使用が一般化されはじめた段階でも電子頭脳、などという用語がまかり通っていたものではあるのだが。

僻目、という事でもう一つ、しっくりこないのが皇室に関する記事の書き方である。ただこれは小生が知らないだけで、メディア界にあっては何か統一されたノームがあると思うので、ご存じの方からご教示を期待して書いている。

今皇室の方々の一般の呼称は例えば常陸宮さま、とか、愛子さま、というように誰でもわかる尊称がつく。このことは皇室の方々にのみ使われるのであって、ほかの個人には絶対に使用されない。現在の国民の象徴、という立場からしても納得できる慣行である。小生が違和感を覚えるのはそのあとの書き方だ。せっかく宮様、という尊称を使っているのに、たとえば何かの会合に ”出席した” と書くが ”出席された” という敬語はもちいられない。文意が曲げられることはないが、どうもこの二つが違和感をもたらすのだが、これも昭和人の末席につらなる人間だからだろうか。

(船津)敬語は戦前の使い方からかなりかなり変わり、色々議論が有り、毎日、朝日、などと読売、産経とは多少異なる様ですが原則同じ様ですね。適切かどうかこんな論文も有ります。

 

(菅原)首件のブロッグ拝読。昭和13年生、諸手を挙げて賛成。

1.今の段階のAIってのは、正確には、まだまがい物だから、AIマガイ。  2.最近の記者は、敬語の使い方を全く知らないんじゃないの。それを咎めないデスクもどうしようもない。こうやって日本語が乱れて行くんだ。

(斎藤)そこいらへんで言われているAIと言う言葉は、殆どの場合流行語にすぎないと思っています。中身がどうであれ、AIを使ったと書くのが、かっこよいのでしょう。広告業界とマスゴミの何でもござれパターンだと思います。DXに真剣に取り組んでこそ、きっとAIを使わざるを得なくなるはずです。

実は、コロナ前まで、データマイニング仲間が集まって、手弁当でAI研究会をやっていました。メンバーには、今林広樹と言う天才的知識と能力を持ったAIのリーダーが参加していました。最後に会合を持てたのが2019年の秋だったと思います。それぞれ、独自に動き出して、皆さん活躍しているようです。
今は、データを機械学習させIntelligenceに昇華させるツール群があります。ですから、何百万、何千万、いや、何億と言う現実の事例を読み取ってマイニングして、もうInformationと呼ぶには適当でない思考”回路”がシステム内に構築できてしまう世の中になってしまいました。そんな事があるので、AIと呼んで然るべきもの、すでに実在していますね。何でもかんでもAIと呼んで欲しくないと言うのはGiさんと同じ意見です。

 

 

エーガ愛好会 (171) 追跡  (34 小泉幾多郎)

この「追跡1947」の監督ラオール・ウオルシュは、西部劇からギャング映画、戦争映画といった男性的な骨っぽい秀作が多いが、これは時代感覚が鋭い、所謂サイコウエスタンの先駆的作品で、ニーヴェン・ブッシュの脚本に、大いに助けられてもいる。主演のロバート・ミッチャムが、あの何を考えているのかわからないような個性が、この作品に合致していた。

冒頭ニューメキシコの岩峰がそそり立つ一角を女性一人馬を走らせ辿り着いた場所が、住んでいた形跡のある牧場跡。エイガは此処で始まり、此処で終わる。この地がそもそも主演者ミッチャムが何故追われる身となったのか、何故彼を悩まさせるのか、随所にインサートされる走り回る銀の拍車とブーツの足元のイメージは何故なのか、謎めいた導入部が興味を駆り立てる。

主演ロバート・ミッチャムが若き頃から、その個性を発揮、テレサ・ライトは、流石のアカデミー受賞女優で有名作品出演の貫録を示し、もう一人の主演者ジュディス・アンダースンは「レベッカ」のダンヴァース夫人の如く不穏の空気を醸し出すのに将に適任。名脇役アラン・ヘイルの賭博場のオーナー、やさしい男ハリー・ケリー・jr等々俳優にも恵まれた。スタッフ面も音楽マックス・スイナーが既成曲を効果的に使っていた。一家団欒のシーンで歌われた「ロンドンデリーの歌」、ミッチャムが唄うシーンもある。家族に亀裂が入るようになると危険なメロディで流れる。賭博場で演奏された「ラレドの通り」はジェブが馬上で口ずさんでいた。ジェームズ・ウオン・ハウの撮影も素晴らしい。冒頭から、馬と共に歩くソーの背景に切り立った岩山の高さ。同じく馬上のジェブの遥か彼方の山の手に人影が見えるといった大地の地形が効果的に取り入れられている場面、其処から撃ち合いが始まる等々。復讐と執念の重苦しさの溢れた西部劇だったが、最後ジェブとソーの命がけの戦いの末ハッピーエンドに到達し、気分は悪くない。

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”ラレドの通り” 「TheDyingCowboy」としても知られる「StreetsofLaredo」は、死にゆくレンジャーが別のカウボーイに物語を語る有名なアメリカのカウボーイバラード、アメリカ西部作家連盟のメンバーは、これを史上最高の西洋の歌のトップ100の1つとして選んでいる。

As I walked out in the streets of Laredo
As I walked out in Laredo one day
I spied a young cowboy all wrapped in white linen
Wrapped in white linen as cold as the clay

I see by your outfit that you are a cowboy
These words he did say as I boldly walked by
Come sit down beside me and hear my sad story
I’m shot in the breast and I know I must die

It was once in the saddle I used to go dashing
Once in the saddle I used to go gay
First down to Rosie’s and then to the card house
Got shot in the breast and I’m dying today

Streets Of Laredo
ジョニー・キャッシュ · 1965年
Cowboy’s Lament
バール・アイヴス · 1944年
The Streets of Laredo
ジェームス・リーヴス · 1961年

大リーグ懐旧談

(菅原)70年以上も前の話しですが、拙宅は「朝日新聞」に加え、何故か「日刊スポーツ」を購読していました。「日刊スポーツ」は、結構、米国大リーグの情報を掲載していました。それとは別に、レフティ・オドゥール率いるサンフランシスコ・シールズの訪日(1949年)。これって3Aだったけど、日本は一回も勝てませんでした。確か、6戦やった筈です。そう言えば、巨人の別所もやってましたね。

その「日刊・・・」で覚えているのが、ボブ・フェラー、テッド・ウィリアムス、ラルフ・カイナー、スタン・ミュージアル、ウォーレン・スパーン、ジャッキー・ロビンソン、後にマリリン・モンローの旦那となったジョー・ディマジオ(両親はシチリア島出身の移民だそうです)。他にもいたけど、全く思い出せない。でも、苗字だけでなく名前まで出て来るほど影響されてたわけです。

ボブ・フェラー

(小川) 大昔の話、懐かしいね~。シールズの試合名古屋で観戦しました。あの時飲んだ薬臭いコーラ、コカかペプシかは覚えてないが、日本初上陸だったようでプログラムの全面広告を覚えています。ヤンキーはこんな臭い物を飲んでるのかと思いました。羅列してある当時の米国名選手は小生もよく覚えています。日本では別所も川上も大下も藤村、若林・・・。懐かしい!

(飯田)懐かしい、ミッキー・マントルとロジャー・マリスのポスター写真を見て思い出したのは、数年前にニュー

テッド・ウイリアムズ

ヨークのセントラルパークのジョン・レノンの墓(イマジン・メモリアル)を観に行った時に、ランチの場所を探して付近を歩いていたらミッキー・マントル・カフェが見つかりランチをしました。あまりの偶然見つけた店だったので、嬉しくなり店にお願いしてメニューを貰って帰り自宅の小さなバー・キャビネトの上に飾っています。

福留孝介が引退しました。ジャイアンツ・ファンの圧倒的に多い「エーガ愛好会」ですから関係ない話ですが彼がシカゴ・カブスで活躍していた年にシカゴでシカゴ・カブスVSシンシナティ・レッツの試合を観戦しました。カブスの球場はチューインガムで日本でも戦後有名だったリグレー社が所有しているとても歴史的な球場で雰囲気のある球場です。福留は中日ドラゴンズに入団しましたが、PL学園から巨人に行きたかったのに中日ドラゴンズに入団したかと記憶してますが。

ジョー・ディマジオ

(安田)> カブスは「ヤギの呪い」から108年振りに解かれて優勝して一安心したのか、> 鈴木誠也が入団してもチームの沈滞から脱せませんね。ダルビッシュも3年間在> 籍して貢献しましたが駄目でした。同じ地区ではカージナルスが強いので勝ち抜> くのは大変です。サミー・ソーサ全盛期もカブスは優勝できなかったですね。> ドーピング・トリオのソーサ、マクガイア、ボンズは何故か全員ナショナル・> リーグ所属でした。特別な理由でもあったのでしょうか?

(保屋野)先日、大リーグのレジェンド達が話題になりましたね。遅ればせながら一言。ボブ・フェラー、テッド・ウイリアムス、スタン・ミュージアル、ジョー・ディマジオ等々懐かしい名前がありました。

記録からは、ホームラン762本の「バリー・ボンズ」とヒット4256本の「ピート・ローズ」が真っ先に名前が挙がるべきなのでしょうが・・方や「筋肉増強剤」方や「野球賭博~永久追放」で、とりあえずは対象外。では誰か・・戦後に限って言えば・・・・

スラッガーは「ハンク・アーロン」(ホームラン755本、ヒット3771本))次点「ウイリー・メイズ」(ホームラン660本、ヒット3283本)リードオフマンは「リッキー・ヘンダーソン」(ヒット3055本、盗塁1406回)次点「イチロー」(ヒット3089本)ではないでしょうか。さて、プーホールズがあと3本でホームラン700本達成です。ヒットも3400本近く打ってます。メイズを超える?。そして、大谷が後10年活躍できれば、総合第一位になるかも、期待しましょう。

まあいろいろご意見はあるでしょうが、この人がやはり一番なのではありますまいか

(編集子)小生目下のコンサーンは桑田がピッチングコーチを首になること、だけであります。読売の最新情報ではどうやらそうなるらしいけど。本日現在わがG はCS進出ならず。昨晩の一戦、8回の無死満塁をなんと三者三振できりぬけた若武者大勢の奮闘むなしく、最後は実に岡本の3ゴロでダブルプレーとは、まさに今年のGの実力そのものでしたな。かの歴史に残る9回裏、江藤のグランドスラムで同点とし、二岡の右翼スタンドへの逆転ホーマー、ああいうドラマがあるものと信じていたのでありますが。

22年9月 月いち高尾報告  (47 関谷誠)

真夏の間、KWV三田会夏合宿と猛暑・熱中症を考慮して中断していた「月いち高尾」を再開しました。コロナ第7波の先が見えはじめ、台風襲来の合間をぬっての爽やかな秋空の下、小仏城山(670.3m)コースと、定番のケーブルカー~高尾山(599.3m)コースに分かれて実施。

メインの城山コースは、この夏の猛暑の名残とその締めを付けるべく、「城山茶屋」名物のかき氷を堪能することをうたい文句とした。平均年齢76歳の老健脚10名が参加(S36吉牟田、S37菅谷、S40武鑓、S43猪俣、S45安田、S46村上、S48佐藤充、S51斎藤、羽田野、S47関谷)。

10:30 日影バス停から行動開始。トップ関谷が小仏城山北東尾根の日影林道からのアプローチ口を見過ごし、キャンプ場まで行ってしまい、数百メータをバックするも、林道から登山道への適当な渡渉点が、水量が多かったこともあり、見付からず。そんな中、さすが老練な菅谷さん、最適なポイントを探していただいた。数年前、某先輩が渡渉中に岩から滑ってしまった(仮称)H落っこちを無事渡り、木漏れ日差す尾根筋を500m弱登り、小仏城山に約2時間で到着。

目的の一つであった「城山」茶屋のかき氷を堪能して、暑かったこの夏にお別れ。小仏峠経由、小仏バス停14:40発でJR高尾駅に戻り、ケーブル組(S36中司、遠藤、高橋、S38町井、S39蔦谷、S46猪俣、S47平井、伊川)が待つ「テング飯店」での懇親会に合流。

ケーブル組も、秋空の下、遠足の小学生で賑わう高尾山登頂、下りはケーブルと1号路経由に分かれ、初秋の高尾を楽しんだ。マスクを外して、自然の空気を一杯に吸い込み、気心が知れたワンダー仲間との楽しい一日だった。

(48 佐藤)
入会資格の厳しい「月いち高尾」に入れていただきありがとうございました。またジャイさんから入会金支払いの指示もありましたが何とか切り抜けてしまいました。
吉牟田先輩はじめ平均年齢76歳とはとても思えない健脚に感服です。菅谷さんのルートファインディング、恐れ入りました。諸先輩方及び後輩と楽しい山行、懇親会に参加させていただき感謝です。

(43 下村) 写真を拝見、後期高齢者とはいえこれだけ揃うと壮観ですね。皆さんすばらしい笑顔!!
今回は参加できませんでしたが、来月の秋ワンは参加の予定です。

(43 猪俣)素晴らしいお天気のもと、山歩きを楽しみました。
企画、実施ありがとうございました。
城山は初めての経験でした。初心者程度のコースだと思いますが、結構
タフでした。やはり、歳とってきたのかなと感じています。

今日は老人会の体操の集まりのあと、松井田に来ました。明日はゴルフ。
明後日はワインの搾汁で勝沼に歳とったなど弱音を吐いている暇は
ないぞと自分を追い立てています。

次の機会も参加したいと考えています。また、よろしくお願いいたします。