時は移り現代は平和ボケといわれるほど落ち着いた75年となって
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
時は移り現代は平和ボケといわれるほど落ち着いた75年となって
貴兄のブログ、「麒麟は来なかったか」を拝読。
小生、大河ドラマの熱心な視聴者ではありません。ですから、「麒麟がくる」も見ておりませんし、麒麟が何を意味するのかも知りません。大河ドラマを最後に見たのは、「花の生涯」です(ハッハッハ)。
最も気に入ったのは、最後の段落、「1945年の敗戦以後今日まで、・・・」です。全く異論はなく、諸手を挙げて賛成です。ですから、映画「我らの生涯の最良の年」をもじれば、「我らの生涯は最良の年だった」ってことになるんじゃないかな。でも、これからの日本はどうなって行くのかね。少なくとも、中共に飲み込まれる前に、この世からおさらばしたいな。
9日のブログを拝見しました。「大河ドラマ」は今まで見たり見なかったりでしたが、「麒麟が来る」は従来の単なる軍記物ではなく、登場人物の心理描写など巧みで見応えがありました。
「江戸時代は最良の時代、麒麟が来ていたのではないか」のお考えに賛成です。3世紀に及ぶ安定した平和の時代は、「パクス・トクガワ―ナ」と言われるほど戦乱の時代に終止符を打ち、物質的・精神的な豊かさをもたらしてくれました。日本の文化の素晴らしさ、繊細な美への眼差し、自制のある生活習慣など、江戸の遺伝子は、今なお我々の心底に流れる「日本らしさ」であります。
実は小生、地元の三田会から「蕎麦今昔・江戸の食文化」と言うテーマで講演を依頼され安請け合いしてしまい、慌てて積んでおいた本を読み直しています。最近は、若手歴史学者の磯田道史氏などが持て囃されていますが慶應義塾大学名誉教授で文化勲章を受章された、速水融氏の「歴史の中の江戸時代」徳川宗家18代当主で日本郵船副社長を歴任された、徳川恒孝氏の「江戸の遺伝子」この2冊はお薦めで、江戸時代の豊かさと奥行きを改めて教えて貰いました。
又偶然ながら速水融先生は、私の畏友で早世した川島亮三君のゼミの先生で彼がKWVを辞める時に「ゼミに集中して大学に残るため」と言ったことを60数年ぶりに思い出しながら、感慨一入でした。
大河ドラマ 麒麟が来る 放映終了。始まった時から、どういうエンディングになるのかがずうっと気になっていた。予想外のラストは良く決まっていた。なんというか、筋立てとか技術論よりも、この番組で作られた光秀像にぴったりな感じだったと思う。
僕は吉川英治の太閤記を小学校6年の時に読んだ。父も兄も大の読書家だったが、戦後まもなくでかなりの数、中古の本が多く、日本史に関連する本を拾い読みしても、旧かな使いで、天皇尊重第一のものがほとんどで、そういう風潮の中でどちらかとえいばネガティブな光秀像が僕の中に定着していた。
中学高校と読書の中身に横文字文学ものが多くなったのはやはり当時の若者文化がそうだったからだろうが、社会に出て司馬遼太郎を知り、テレビの新撰組血風碌にはまり、彼の中期くらいまでの本はあらかた読んだ。高校で日本史を真面目に聞いていなかったため、小生の近世日本の歴史に関する知識というか理解はまずすべてが司馬の小説によっている(歴史学者は司馬の歴史観、というものをよく思わないそうだが、彼はあくまで小説家にすぎない、ということはよく承知しているつもりだが)。
司馬の描いている光秀像は今回のように理想の実現を人生のテーマにした人物ではない。むしろ権力のはざまで抜き差しならぬ状況に追い込まれた悲劇的人物、という書かれ方をしている。現実だどうだったか、もちろん知る由もないが、麒麟を連れてくることができなかったという悔恨の情が信長の最後を遠巻きに見ていたシーンによく表れている。このシーン前後の長谷川博己の表情の描写は僕の心に突き刺さった想いで見た。
秀吉が朝鮮征伐なぞという愚挙を起こさなければ、そして最晩年の狼狽がなければ(これが例えば家康などに比べたときのインテリジェンスというか秀吉の人生観の限界をしめしているのだと思うのだが)麒麟になり得たかもしれない。”戦がなく、人々が安心して暮らせる世の中“ は、結局、3世紀続いた徳川時代であったのだろうか。悪しき封建主義だとか身分制度だとか、男尊女卑だとか、はたまた時代劇に必ず登場する悪代官だとか、ネガティブな話はいろいろあるが、世界に誇る江戸文化や京の静寂や人々の間に定着して明治への見事な転換をささえた倫理観とか、そういう現代への遺産を当時戦乱と後進国の収奪に明け暮れていた西欧の歴史と比べてみて、”日本に 麒麟は来ていたのではないか とおもったことだった。
1945年の敗戦以来今日まで、そのプロセスにありとあらゆる議論があるのを承知でなおいえは、この75年間のあいだ、戦争で死んだ日本の若者はひとりもいない。何が何と言おうとこれは事実である。チャーチルやメルケルみたいに国民に訴えた政治家がいなかったとか、拝米主義だとか、偶然だとか、いろんな議論は当然あるだろう。しかし僕は確信しているのだが、数世紀あとの歴史家はこの時代を日本史上最良の時間だった、と解釈すると思う。それが麒麟のせいだというかどうかは別だが。
サム・ペキンパー監督の「荒野のガンマン1961」に次ぐ2作目
マクリーは25万ドルの金を鉱
この二人に、スコットの知人の若者ドナルド・スターと鉱山にいるフィアン
男3人が娘ハートレーを救い、娘の家へ近づくと5人兄弟のう
撃戦で死亡、3人が娘の父親を殺し家の中で待っていた。射ち合い
瀕死のマクリーの頼みを聞き金塊の護送を引き受けたスコットは若
(安田)子供に対する親の無償の愛を描いた映画。イタリアのチャップリ
前半の笑いを誘うコメディー調から後半は一変して、ナチスドイツ
第二次世界大戦中のユダヤ人に対するホロコーストの悲劇を、不条
オッフェンバックの音楽「ホフマンの舟歌」は映画にピッタリで大
(菅原)「ライフ・・・」見ました。ただし、期待が大きかっただけに、失
ひとつ、ギャグが余りにも古めかしい。例えば、しつこい帽子の取
(保屋野)この映画が2月放映の一押しだっただけに、菅原さんの「勇気ある感想」に拍手します。前半は(つまらない)コメディーで、どこが名作なのか・・と我慢して観てたら、いきなり、イタリア駐屯のドイツ軍「ユダヤ人陣強制収容所」での深刻な場面に移り、やがて終戦を迎え、主人公は銃殺されるものの、子供と妻は生き延びる、という(感動的あるいは陳腐な)エンディング・・・ネットでは、「ホロコースト下での親子愛を描いた感動的名作」という評価もありましたが、私の感性が劣化してるのか、私にはあまり伝わりませんでした。
他方、「ボロクソ」の評価も有り、各自の感性によって評価が分かれる作品なのかもしれませんね。ベニーニ監督は「イタリアのチャップリン」だそうですが、(他の映画は知りませんが)、「ライムライト」や「街の灯」等と比較できるレベルではないでしょう。
(久米)「ライフ・イズ・ビューティフル」が封切られてからもう22年も
チビ太殿いわく、
”22年前封切り直後に映画館で観た時に受けた強い印象と昨日テレ
本当に同じ思いが多々あります。あの当時はあんなに感動したのに今見てみると何という詰らない作品なのだろうかと思い、私の感受性が鈍ってしまったの
映画鑑賞はそれで良いのだと思います。それと人の感受性の違いもあるのである人には感動を呼んでもある人の心には響かない場合もあると思います。そこが映画の面白さではないでしょうか。
(小川)コブキさん、まさに同感ですね。
(編集子)思いがいろいろある……..か。この年、小生はサラリーマンにおさらばしたのだが。
知人の山岳カメラマンが厳冬期の上高地撮影の為、2週間小梨平でテント生活をすると聞き、図々しくお邪魔することにしました。
1月21日、早朝、誘った後輩の車に厚木から乗せてもらい一路、中の湯温泉へ。宿に車を置かせてもらい、2泊3日のスノーキャンプに行くには多すぎるくらいのご馳走と酒とスキーを持ち、久しぶりに超20kgの荷物を担いで釜トンネルを歩き始めました。重い!!
釜トンネル、上高地トンネルを抜け200m程行きコーナーを曲がると、見えた!!真っ青の空に真っ白な穂高が大歓迎で迎えてくれました。この景色を見るだけで来たかいがあると言うものです。上高地までのバス道は河岸工事などの為に除雪されていて歩き易い。大正池で出迎えを受け、河童橋まで快適に歩けました。シーズン中は人でごった返す河童橋周辺ですが、大自然の中、静寂そのものです。小梨平到着。他に人はいません。
下の写真は左から奥穂高岳、焼岳。そして一番下に載せたのが夜9時頃にスマホで撮った釣尾根。拡大すると星も綺麗に撮れています。本当に最近のスマホのカメラは素晴らしいですね。
1月22日 あいにくの雨模様。午後に小雨になったので岳沢の登山口辺りまで、スキーでお散歩。今シーズン初めてのスキー(歩行)でした。することがないので早めの夕食。今夜はへしこサバと大根で日本酒を一杯。メインはキムチ鍋、最高! 昨夜はアヒージョとサバなどの自家製燻製と高級和牛のしゃぶしゃぶでした。
1月23日 天気は曇り時々雪と言ったところ。野生の猿が食料を狙ってやって来た(?)のか、結構の数に囲まれました。子ザルが可愛い!朝食後、下山開始だがテント撤収もなく、本当に楽をさせてもらい良い時間を過ごすことが出来たことに感謝、感謝です。下りは梓川沿いに田代池、大正池と山スキーでクロスカントリーです。そして、釜トンネルを一気に下り、中の湯の出迎えで宿へ。早速に温泉に浸かりのんびりできました。
1月24日 朝食後焼岳へ山スキーツアーです。私は、今シーズン初めてで心配でした。案の定、登りもスキー滑降も他の3人に迷惑をかけっぱなしで、ほうほうの体で降りてきましたが、正直もう山スキーは無理なのではないかなと自信を無くす、私にとっては厳しいものでした。
登りは休み休みで迷惑のかけっぱなし。下りも全然滑れてない! 何この恰好は! お恥ずかしい!!
下山後、最後の温泉を楽しみ、帰宅の途に就きました。身体はヘロヘロ、でも、4日間。頑張りました!!持つべきは親切な後輩たち。彼らのサポート無しでは何も出来ない年寄りになってしまったような気がします。
日経新聞で「私の履歴書」を美術史家・辻惟雄氏が書いているが、伊藤若冲と言う奇想の画家は彼と米国人のジョー・プライスによ
今回、何とその伊藤若冲などの江戸絵画のエツコ & ジョー・プライス夫妻コレクションの内190点が出光美術館に売
ジョー氏が人生の師の一人と仰ぐライトは、浮世絵のコレクターと
”それが若冲の《葡萄図》だったわけですが、そのときは絵師の名前
それ以来コレクションを始めた。そして自宅に飾り、障子越しの光
夫妻は自己資金と寄付をもとにロサンゼルス・カウンティ美術館に
エツコ & ジョー・プライス夫妻の在るべき所にこの絵はあるべきと考え、プ
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江戸から東京に移り変わる時代に、多くの日本の絵画の名品が海外
それが今回返還され、自由に観られる機会が出来たことは素晴らし
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エツコ & ジョー・プライス夫妻(ETSUKO & JOE PRICE)
ジョー・D・プライスは1929年アメリカ・オクラホマ州生まれ
(菅原)
久し振りに、大変、面白い冒険小説に出会った。と言っても、1913年の作品だから、今から100年以上も前の話しだ。名前だけは聞いていたが、本物に出くわしたのは今回が初めてだ。英国の作家、サックス・ローマーの「怪人フーマンチュー」だ(漢字では、溥満洲だそうだ。 そこから、てっきり満州人だと思っていたが、出身地から漢人らしい)。一言で言ってしまえば、江戸川乱歩の「怪人二十面相と明智光秀(は、「麒麟がゆく」か)じゃない、明智小五郎」と思っていただければ良い。ここでは、白人世界の支配を目論む怪人フーマンチュー(悪)対、それを防ぐ英国政府高等弁務官のネイランド・スミス(善)の構図となる。とにかく、危機に次ぐ危機が、スミスだけでなくフーにも襲ってくる。そして、いずれもその危機から脱出するお話しだ。従って、物語りにただ身を委ねていれば良い。ところが、偶然が多過ぎるとか、平仄が会わないとか、屁理屈を言って文句を言いだすと、このお話しは成立しなくなる。従って、そう言う人にはお薦めしない。これがフーマンチューの第一作で、最後は1959年の13作目まで続いたとのことだ。日本では、あと第二作目の「悪魔博士フー・マンチュー」(1916年)が私家版で出ているだけだ。
なお、小生が読んだのは、ハヤカワ・ポケット・ミステリー(2004年発行の1757番。翻訳は嵯峨静江)。他にも、ジョン・フィリップス・マーカンドの「サンキュー、ミスター・モト」(1936年)も読んだが、面白さと言う点では、「フーマンチュー」には遥かに及ばない。
(中司)ここのところえらく評判のいい ”カササギ殺人事件”。先ほど読了。宣伝文句にいわく、読み終わったらボーゼンとする、
(菅原)「カササギ・・・」、上巻は明日から借りられるが、下巻はまだ4人が待ちの状態。ここが、図書館の泣き所。
ジョー・ネスボ、全く知らなかった。Wikipediaを見ると、最近の流行りの人らしい。でも、こいつを原書で読んでるんだから、貴兄、大したもんだね。逆に、小生は、マイケル・ギルバートの「スモールボーン氏は不在」(1950年。訳者:浅羽莢子。小学館)を読んだ。70年前の本を、一生懸命、読んでたら、現状には全く疎くなっちゃうね。こいつは面白かったが、犯人がムリ筋でいささかガッカリ。
(岡野)菅チューから紹介された辻真先の本はまだ図書館の順番が来ないので、すぐ借りられた「焼け跡の二十面相」を読みました。
時代設定が戦中から戦後なので、懐かしい風景が思い出される”少年探偵団”でした。もう一冊は陳浩基/訳・玉田基、二段組みで537ページ、読みでがありましたが予約が入っていて延期が出来ないので電車の中でも読みました。
痴漢被害に遭った妹がネットの書き込みで炎上し自殺、姉が”ネット探偵”に依頼して犯人捜し「復讐」というストーリーですが、ネットのハッカーや仕組みがも判るテンポ良く読める本でした。
(中司)4,5年前になるかなあ、”K-20″ 怪人二十面相っていう映画見ました。
(中司―田村)今朝、本を発送しました。