秋の奥武蔵日帰りW ― その2 

OB会が新組織になってから、年中行事として春秋2回の 日帰りワンデルングが定着し、卒業年度ごとの担当が始まってからしばらくは参加人数をひそかに競うようになっていた。”100人越え” が実現したのは、34年(CL 妹尾)担当の筑波山からだと思うが、その後は100人の参加が当たり前のようになってきた。大人数の代が漸減していく中で、今回もまた100人を超える参加者があったのは、若い年代にもこの行事が受け入れられるようになったからだと思われる。ご同慶の至りであり、今後ともこの盛況が続くことが望まれる。

分散Wのあと、BC地でいろんな顔を見られるのはこれとない楽しみである。若い人たちの中には、何度聞いても名前を覚えられない方もおられ、苦労するのも逆に言えば楽しみであるが。

ワンデルングの形として、伝統のBC方式が当初から採用されてきたが、全員が集合できる場所を確保するのがなかなか難しいようだ。今回は飯能河原という好適な場所が選定されたが、毎回のこととは言え、実行委員のご苦労もなかなかのものだったと思われる。特に今度は、CLの水村君が大阪在住でもあり、前日上京して現地に宿泊、翌日に備えてくれた。この前泊にはSLの佐藤君らも合流したようだが、そのほか、BC班のCL金子君や古賀、安藤君ら、担当2学年のご努力には感謝しかない。聞くところでは、当日提供された飯能特産の四里餅を人数分確保するにあたっては大変ご苦労があった由である。会の終了に当たっては今回の担当から来年担当学年へとバトンを渡す儀式?もあり、19年春の再会が待たれる。

当日はパーティ別ワンデルングには参加せずBC地直行の参加もあり、最古参は33年の上田、荒川両先輩だった。いつの日か俺たちが最高齢、てえ日が来るのかなあと思いつつ、終了後は飯能の居酒屋へ強制連行して久しぶりに(俺たちの)四年生! の怪気炎を聞かせていただいた。すっかり出来上がって勘定もすんだあと、はっと気が付いた!ここは新宿じゃなかったのだ、と。

アサ会:忘年登山から紅葉狩へ  (34 小泉幾多郎)

先日の日帰りW.はご苦労様でした。我々3班は、標高195mと271mの低山でしたが、夫々趣きがあり楽しめました。その前の週の10月15~16日 のアサ会で奥日光と東照宮に出掛けたことを取りまとめてみました。

例年11月から12月にかけて、我々34年卒アサ会は、忘年登山と称し、どこかの山に登っていたのですが、80の大台を過ぎ、山登りも億劫になってきたこともあり、今年から、忘年登山から紅葉狩りへと退歩することになりました。
平松君が、日光方面へ下見に出掛けたことから、戦場ヶ原散策と東照宮参拝のプランをたててくれ、総勢16名が、平松リーダーのもと、10月15~16日行ってきました。

戦場ケ原から男体山

日光は紅葉シーズンともなれば、ある程度の人出は予想してましたが、東武
日光駅に下車して驚いたのは、バスを待つ人の波。JR日光駅が始発駅との情報を得て、そちらに並んだお蔭で、次のバスに乗車出来、しかも座席確保

陽明門

外国人の多いのにも驚き、中国人韓国人なら、言葉を発しなければ日本人と変わりないものの、欧米人が多いから余計に外国人が多いように感じたのでしょう。渋滞で有名ないろは坂は、それ程でもなく、中禅寺湖を越え、目的地赤沼で下車。戦場ヶ原を湯川に沿った自然研究路を湯滝までの約5キロを散策。男体山から大真名子山、太郎山、山王帽子山等の日光連山、湯川沿いの紅葉を楽しみながら湯滝へ。紅葉を愛でながらの散策、楽しいことに変わりはないが、昨年までの忘年登山には勿論のこと、山を歩けば先頭を歩かなくては気が済まなかった妹尾君が先頭にいないこと、寂しさを禁じ得ない。

竜頭の滝

湯滝まで宿泊先の小西ホテルの送迎バスが来てくれて助かる。乳白色の温泉に入浴後懇談。 翌朝再び送迎バスで昨日寄れなかった竜頭の滝上部で降ろしてもらい、紅葉の滝を満喫しながら、再び送迎バスで、東照宮へ。平成の大修理で、本来の輝かしさを増した極彩色の陽明門をはじめ本宮から、207段の階段を登る家康公の墓所奥宮等を参詣した。帰り日光駅前では、昼食に日光名物?ゆばラーメンを食し帰宅。うち3名が、37年卒の渡辺佐平商店に立ち寄り、日本酒の試飲を楽しんだとのこと。

昨年まで続いた忘年登山を振り返ると、どうやら我々の殆んどがサラリーマン生活に終止符を打った65歳近くの2000年ごろからアサ会忘年会を兼ねて山に登ってきたようで、記録を辿ってみたくなり調べてみました。どうやら1999年12月の湯河原泊幕山が最初のようで、何人かは登山翌日湯河原CCでゴルフも楽しんでいたようです。翌2000年には熱海の岩戸山に登り、夜は花火大会を見物、翌日は初島で遊んでました。
2001年は足和田山へ、翌2002年から2004年は永野夫妻経営の伊豆下田のラメールでの会合が夏から秋に変更になったこともあり、ラメール宿泊による近辺散策や伊豆下田CCでのゴルフ会に重点が置かれました。2005年からは毎年夫々に世話役が代わり、忘年登山も本格化し、昨年まで続いたのでした。2005年から列挙しますと、浅間嶺、棒の折山、高水山、荒船山、嵩山(たけやま)、三国山荘・大沢山温泉、西沢渓谷、夜叉人峠、石割山、三国山荘・清津峡、乙女峠・丸岳、筑波山、鋸山の山々。毎年よくぞ続いたものでした。

後列左から茂手木夫妻、田中、平松、西島、城田、真木、松本、小泉、西川 前列船曳夫妻、椎名夫妻、矢郷、太田