”クラブハウス” のその後 - ご意見をお寄せください

17日、OB理事会二次会でのほろ酔いのままで書いた ”クラブハウス” についての記事にここ10日間で頂戴した反応をご紹介する。紙面の都合で原文に多少手を加えさせていただいた。諾否に関係なく、実務上のことでお寄せいただいたメールは割愛する。

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(1)ジャイさんのご提案に大賛成です。有り難いです。
少し上品なジジも閉店してしまいましたし、銀座ブリックもギリギリ昔の雰囲気を残していますが、昭和のジジイがたくさん集まって大きな声で喋り、角瓶を飲み倒すのは少し憚れるように思っていました。都内の山荘またはアジトがあると楽しいと思います。ぜひ実現してほしいです。微力ですがお手伝いさせていただきます。
(2)素晴らしい案ですね。懸念するのは管理体制だと思います。願わくは少し料理ができるキッチンがあるといいな~と思います(笑)赤字が出たら誰が補填するのかな・・・?? 100人くらいから一人3~5万円集めて基金にしますかね?利用者は結構あるでしょうね?
(3)ご提案のKWV三田会クラブハウス設営の件、賛成です。
日頃のKWV仲間との山行など(特に海外遠征)で事前準備会をやる場合やチョットした打ち合わせする場所がなく、不便を感じていましたのでクラブハウスは利用価値大です。是非、実現してほしいものです。
KWV三田会の諸行事によく参加している方、各代代表などにジャイさんに声かけて頂き推進委員会を立ち上げたら如何でしょうか。
(4)プログ拝見、趣旨に賛同します。
前から、石田事務所に迷惑を掛け続けていると、気になっていました。
本件を進めるに当たって思いつく事は
●ワン・ルームマンションの賃借は容易なれど
 不特定多数の出入りには種々の制約・条件があり、融通の利く対称があるか
●契約の主体(執行部or発起人代表)、運営・管理の責任者をどうする
●独立したクラブ会計の開示・利用料の管理 等々、課題も多く、実現に向けて
有志で検討委員会を立ち上げては如何でしょう。
この際には現執行部のメンバーも必ず加わる事が必至です。

(5)KWV三田会で気楽にいつでも集まれる場所を持つことは望みであり夢でもあります。適当なところがあれば実現したいですね。否定的なことを言えばいろいろありますが検討してみるのは賛成です。集まれる所が難しければ書類、物品等を保管するトランクルームを借りるのも一案かと思います。

(6)ブログ拝見し、ご提案の件 しっかりと目を通しました。いつも 前向きで意欲的なご提案 有難うございます。
これだけ大きな会ですから、幹事の打合せや各学年ごとの懇親会など 活用の余地は大いにあると思います。
問題は お考えの通り適度に便利な物件・場所が見つかるかどうか?
費用負担をどうするか?でしょうか。
加えて 「10年ごとに 必要性を見直す」 と言うことを決めておけば その時の幹事が決断し易いと愚考します。(物件の契約条件にもよりますが)
10年後は S50年卒の若手(笑)が 後期高齢者で、人数はかなり少なくなりますね。

(7)気楽に集まれる場所があること。面白い企画だと思います。ただ、気になる点もあります。ひとつは、今年75歳になる我々42卒の代の集まりでも、健康問題で参加者が年々減少していることです。数年前までは最低でも10数名がすぐに集まりワイワイガヤガヤとやっていましたが、最近では5~6名しか集まらないことが多々あります。これからはもっと減っていくのではないか、借りた場所が宝の持ち腐れになってしまうのではないかという心配です。ふたつ目は、これまではKWVの各種集まりでも50年卒ぐらいから下の代の新規参加が少なく、数年後を考えますと借りた場所を維持管理していく人がいるのだろうかという懸念です。「使った人の自主管理」が原則ですが、それでも中心になって目を光らせている寮長(或は大家さん)のような存在が必要ではないかと思っております。私たちが元気な間はいいのですが、集まる仲間が減っている現状を考えますと、数年後が心配になります。もう10年若ければこのようなことは考えなくても良かったと思いますが・・・。逆に言うとこのような場所があれば参加者が増えるという期待もあります。S34年~37年卒などの代の方々が私たち以上にお元気にこのような企画をお考えになったり、また夏合宿やスキー合宿を引っ張っておられるのが、後に続く私たちの代の大きな励みになっておりますので。

(8)嬉しいご提案 待ってました~大賛成!今後は家から毎日お部屋に通いましょう。ホステスにして頂ければ、若返るわッ!

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いろいろなご意見をなるべくたくさん頂戴して、酔い覚めなどではない状態で現実に即した提案をしたい。もちろん、否定意見も大歓迎なのでお考えを、できれば5月末ごろまでにお寄せていただきたく思っている。特にOB会実務で苦労されている現執行部メンバーのご意見をいただければありがたい。

 

小泉先輩へ (横河電機OB 舟橋利信)

中司君と横河電機同期入社のものです。

彼のブログの 花隠し、花筏 記載の中に白幡池、菊名池のことが書かれていました。

私のふるさとの池です。菊名池は我が家から100m、今は埋め立てられ昔の1/10になっています。ボートが沢山浮かび、毎日のように給食の残りを橋の欄干から落とし鯉への餌撒きをしました。白幡池は我が家から1km弱釣りをよくしました。高校先輩の岸恵子の家がすぐ側。

両方とも我が幼少の頃の遊び場。懐かしき思い出。胸キュンです。ありがとうございました。

(小泉返信)

舟橋利信様の白幡池、菊名池を懐かしむ投稿をみました。懐かしき思い出、胸キュンとありましたが、こちらも何となく昔を思い出してしまいました。高校先輩の岸恵子ということは、平沼高校出身?小生は男女共学になって2年目の入学でした。折角男女共学の高校に入り、クラスも当然男女一緒だったのに、2年生になったら、どうも勉強に身が入らぬと曲解?する先生がいて、男女を分けてしまいました。ということでOBになってのクラス会は、今でも1年生の時のクラスでやっています。

 妙蓮寺か白楽あたりに住んでいたとしたら、もしかしたら中学校は、浦島丘中学?小生は当時、新子安在住で、歩いたり東神奈川駅まで電車に乗ったりして通ってました。高台で港が良く見えました。当時は漁師町?の学童が多く結構ガラが悪かった?

 ひょんなことで昔を思い出しました。こちらからもありがとうと言いたいです。

たまエンパワーと多摩電力について

地球環境問題や災害支援など、いろいろな形での運動があちこちで、地味だが確実な成果を上げてきているようだ。われわれOB会有志による大震災支援などもその一例だが、編集子の高校時代、会社時代を通じての親友、ヤマこと山川陽一君とご子息勇一郎氏が長きにわたって多摩地域に自然エネルギーの活用を広げようと努力されてきた結果が、雑誌 ビッグイシュー に掲載された。この雑誌はホームレスの人々への支援などを中心に活動している団体の発行のため、一般の目に留まることはあまりないようで、小生も今回はじめて読む機会を与えてもらった。ヤマのOKをもらったわけではないが、掲載ページの一部をご紹介する。

タイトルにした 多摩エンパワー、多摩電力 が山川父子が中心となって起こした、多摩地域に自然電力(ソーラー発電)を供給しようと始めた運動の成果である。彼らがどのような経過でここまできたか、についてはここでは祖述しないが、典型的なサラリーマン生活を卒業してなお、自然問題にみずからかかわり (同君は義塾山岳部OBで日本山岳会で環境問題についての指揮をし、一方では我々にもなじみの深い高尾山の植林活動の創立メンバでもある。36年鮫島君は高尾での活動に加わっていて旧知の間柄)、素志を貫徹した姿勢にはただ敬服するしかない。また勇一郎君は若くして自然保護にかかわる道を選び、豪州でそのための教育を受けてきたプロであり、ヤマの理想の実現に真正面から取り組んでおられる。今後の発展を祈りたい。さらにご興味を持たれた場合は小生あてご連絡いただければ山川君にご紹介する。

なおビッグイシューは一般書店では販売しておらず、山手線や都内JR主要駅、新宿では駅周辺のデパートなどで入手できる。発行元メールは info@bigissue.jp 。

また雑誌の発行元である 有限会社ビッグイシュー日本 の提唱するの運動には企業または個人単位での参画も可能であるらしい。

 

 

KWV三田会 クラブハウス設置の提案

昨晩、恒例の理事会後の二次会で何人かの人と(アルコールの力もあずかってさ、もちろん!)OB会でクラブハウスをもたないか?という話が出た。一晩たって、紹興酒の酔いもさめた時点で、いい案だと思うので提案をしたい。ぜひとその方向に意見がまとまってくれればと思うし、そのためには本稿を使って意思集約ができればなおうれしいと思う。

きっかけは石田君の事務所に置かせてもらっている関係文献などのことであった。彼のご厚意に甘えて場所を使わせていただいているのは感謝に堪えないが、思い切ってしかるべき場所に小さな部屋を借りないか?というのが、簡単に言えば提案である。その時出たことばだが、規模1000人と称してもいい親睦団体がその本部という場所がない、ということ自体が奇異なのではないか、ということが理論的(!)裏付けである。小生のアイデアを書く。

(1)都内のしかるべき場所(帝国ホテルだペニンシュラのスイーツがいいなんてこたあいわねえ)に、今様に言えば中古のワンルームマンションを借りる。テーブルに椅子が10脚ほど、トイレにキチネット、くらい。冷蔵庫にオーブンくらいは誰かが中古品を寄付するだろう。あとは石田事務所に置かせてもらっている創部以来の貴重な資料やら(これも主に寄付―ずいぶん終活を始めている人も多い―もちろん小生も含めて―を期待しよう。山の本を捨てるのは惜しいが家族には厄介扱い、という例はたくさんあるはず)を置くスペース。この世の中だから固定電話はいるまいがPCくらいはほしいか。

(2)借り賃はOB会で負担する。別記する方法で採算は何とかなる気がする。800人もいるOBの中に遊休マンションを持ってる人とか、そのギョーカイに詳しい人が一人くらいいるんじゃねえか?

(3)会費を納入した会員には希望により1000円程度でカードキーを貸与する。

(4)ここではまずOB会公務(各種委員会会合、打ち合わせ、現役とのミーティングなどが〉優先使用する。

(5)キーを貸与された人は、このルームに入り,資料の閲覧、KWV仲間との会合(小人数の学年ならば同期会でもいいだろう)などに自由使用ができる。当然だが公序良俗に反することなき範囲での飲食 (持ち込みもキチンでの料理もOK)は可能だし、近くにしかるべき場所があれば出前を取ることで格安の会合ができるはず。孤独癖のある人の読書や詩作の場所、山行の資料調べ、などなど、コストの削減ができるはずだ。

(6)採算だが、

A.各種委員会の場所を提供することで、従来どこかで場所を借りてきたことによって発生したはずの費用が倹約できる。

B.使用料として毎回ひとり500円程度を支払う。

C.10-20人分程度最小限の食器調味料などを常備しておけば、会合費用などを節減できる。器具備品の設置はもちろん、上記会員の善意を期待して無料で行うことが原則。

D.(小生はこれが主眼) 仲間と落ち合ってバカ話をする気楽な場所として、個人ボトルなどを置かせてもらえば相互に費用節減ができる。つまり、”都内にある山荘出張所” か、はたまた “令和のジジ” というのが、ま、ありていに言えば小生のイメージなのだが。毎回、ホステスやコックを買って出るひとがいればこれまた望外の幸せなり。

如何でしょうか。本稿での意見交換を期待して待つ。

(注)”若手” および 現役・現役並の方へ:”ジジ” とは36年卒の住吉康子が並木通り裏に営業していたスナックで、KWV仲間のみならず塾体育会OB連の巣として親しまれていた場所です。残念ながら2009年3月31日に廃業。詳しくは ”ナンカナイ会そのふみあと”287ページ参照。

 

 

 

”湯沢の高橋さん” とご一緒でした (36 後藤三郎 翠川幹夫)

高橋さんご出展の作品

堀川さんの企画で雪の中を大変貴重な体験をされたようで何よりでした。私共は同じ日に浅貝の青年会新道や稲包山の登山道の開発を含めて長年お世話になっている元湯沢町役場の観光開発課長をされていた高橋貞義様の絵画展に六本木の国立美術館でご一緒させて頂きました。KWVのOBがチビさんを中心に15年以上登山道の開発と維持をやって来たこともありあの山岳路が稜線伝いに谷川岳から新潟・群馬・長野の志賀高原まで繋がると言う壮大な開発計画が実現できるなら我々にとりましても誠に嬉しい話です。参考までに高橋さんの作品と昼食をご一緒したメンバー(ぺた子と私が映っていませんが)の写真を添付します。
(後藤三郎)

(翠川幹夫)上記メールに記載されている「示現会展での高橋貞良様の作品の前での写真」を送ります。

19年4月 月いち高尾  (39 堀川義夫)

 

2019年の4月10日(月)は意識して日程を決めたわけではありませんが、奇しくも天皇陛下のご成婚60周年記念日であり、また、妹尾先輩の一周忌にあたる日となりました。

今回のプランは、平成の代があと20日ほどで令和の代になりますので武蔵陵墓地の参拝をして皇室に敬意を表し、その後、多摩森林科学園の桜見物、最後に「ろくざん亭」でのちょっと贅沢な昼食会とした、珍しく山には行かない企画でした。

日 時 2019年4月10日(月)

参加者 中司、中司(八)、高橋、遠藤、岡、深谷、宮本、平松、小泉、椎名、船曳、船曳(愛)、町井、堀川、岡沢、多田、蔦谷、立川、藍原、相川、柏木、久米、久米行子、保屋野、関谷、川名、 以上26名

参加者は26名と、食べ物が企画に入ると集まりが良いようです。。悪天候で各電車が遅れ、全員集まることができたのは10時20分ころで、大きなボタン雪の降る中を元気に出発しました。

当日は、近来稀なことに高尾周辺はみぞれからボタン雪となり、冬並みの気温(5℃前後)でダウン着用、手袋、マフラーなど防寒に大わらわでしたが・・・これまた珍しい雪景色の武蔵陵は荘厳で大変美しく、ご成婚記念の祈祷が行われたようで、神官が粛々と退場していく列は荘厳さに満ちていました。桜は雪の白さと同化してあたり一面、満開の桜のごとく素晴らしい景色を見せてくれました。なかなか見られない景色です。

昼食は1時間ほど予定を早め、迎えに来てもらったマイクロで以前から一度行ってみたいと思っていた「ろくざん亭」に行きました。「ろくざん亭」は、高尾山の金毘羅台コースの登山口にあります。ご主人は山梨のご出身だそうで、趣のある建物は数件の民家を移築して30年ほど前に開業したそうです。昼には丁度良い春らしい料理に舌鼓を打ち、酒が進みました。

(船曳)早速のreportありがとうございました。写真もきれいです。なんと驚くべきことに、今朝の東京新聞を開くと、 “ほっとなび” というコラムに、『多磨森林科学園』が紹介されています。まだまだ楽しめる桜の副題付きです。さらに別の  “行楽ガイド“  欄には「多磨森林科学園と多摩御陵を訪ねる」というプラン迄載っています。偶然の一致とはいえ、いかに時宜にかなった企画だったかを証明していました。なお新聞では4月11日付の記事であり、天皇家御結婚60周年との関連は触れておりませんでした。素晴らしい企画に感謝しております。

(久米)早速に報告と写真ありがとうございます。写真では雪の中の荘厳な武蔵野陵墓の雰囲気が良く出ていて感心致しました。ちょうど平成天皇ご夫妻のご成婚記念行事と重なり、雰囲気のある場面に遭遇できたのは幸運でした。多摩森林科学園は以前から訪ねてみたいと思っていた所です。各種の桜が雪の中に見ることができて滅多にない景色を見ることができました。吉之助はもう一度ゆっくり訪ねてみたいと申しております。しかしさすがKWVのメンバーです。あの寒さの中しっかりと予定を消化、雰囲気のあるランチも楽しみました。ありがとうございました。

(深谷)昨日は、お疲れ様でした。「平成」を締め括るに相応しい素晴らしい企画を有難うございました。4月には珍しい大雪というおまけまでつき、忘れられない一日となりました。
(保谷野)昨日はお疲れ様でした。またユニークな企画、ありがとうございます。多摩御陵の大雪と満開の桜、そして(一度行きたかった)ろくざん亭の美味しいランチ・・・大勢の皆さんとの楽しく思い出に残るイベントでした。

神代曙のこと

”おめえ、一度くらい花見に行ったらどうだ?” と小泉さんの声が聞こえるような気がしてきて,深大寺植物園へ行ってみた。植物園、であって花見の場所ではないので、”花見” の雰囲気はむしろ入り口へたどり着くまでの道筋のように思えた。新聞ではずっと我々が桜といえばソメイヨシノと思っていたのが世代交代を強いられ、次代の桜はジンダイアケボノという種類になると報じていたので、それをとりあえず探してみた。

ところが説明を見たらなんとこれが品種改良の原木だと知り、感激。アケボノ君がソメイ君とどう違うか、などはすっかり忘れてしまった。花そのものよりもなんとまあ素晴らしい命名をしたものだとおもわれる看板が次々と目を引き、花見でなく看板見で終わった半日だった。先輩、すみません。

そんじゃあおめえ、何しに行ったんだ?という先輩のお叱りはありましょうが、ともかく、”桜とはなんだ” について、出口にあった標識でご勘弁を。

PS  調布に来てはや10年たったが、いまだになぜ 神代 と 深大 とがあるのか、わかっていない。国花の名前としては当然,神代だろうと思うが、咲いている地名は深大。興味深大…….とは言わないよな。

 

アマチュアの楽しみ―シリコンバレースタイル (もとYHP 五十嵐恵美)

小金井市での演奏

(編集子注:恵美さんは筆者YHP在職中の同僚、米国現地での企業へ転職し結婚後、カリフォルニアはメンロパーク住まいを続けている。HP時代の仲間との楽しい交流はずっと継続。今回は数日の滞在であったが親しい友人が集まり旧交をあたためた)

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“シリコンバレーの近況やトランプ下での状況”の投稿をというエディターからのリクエストであったが、初稿は最も書きやすいサブジェクト、”個人の近況” に独断で変更し、自己紹介も兼ねて、下記、題して”アマチュアの楽しみ”。

今春の帰国は友人家族親族との再会の他に A P A (エイパ Amateur Music Player’s Association JAPAN 日本アマチュア演奏家協会)のメンバーと、 A P Aと提携している筆者が所属するACMPのグローバル メンバーとのコラボ。ACMP (Associated Chamber Music Players) は米国の室内楽演奏家のネットワーキングの組織で、ACMPの前身は1940年代後半にNew York で設立されたACMP (Amateur Chamber Music Players) である。今年1月に入ってから、筆者が偶然にも3月帰国の予定であった為、急遽、同時期に開催されるA P A主催の第4回国際室内楽音楽祭に飛び入り参加が決まった。ヨーロッパ、アジア、北米から約30人のアマチュア演奏家が集まり、中央線武蔵小金井駅前宮地楽器小ホ-ルでコラボの成果が3月30日にコンサートという形で発表、演奏された。

今回、東京でコラボした曲は、カリフォルニア州メンロパーク市で筆者が数年前に結成したピアノ トリオ グループ  Monats-Trioが、帰国直前のリサイタルで演奏した、メンデルスゾーン作曲ピアノ トリオ OP49。東京でコラボしたメンバーは、日本人のピアニスト、英国人のチェリスト、筆者がバイオリンで、3月30日の発表会前にたった3回の音合わせという、スケジュールだけはプロ並のスピードで、集中されたリハーサルが3月最終の週に開始された。(ちなみに、日本ではメンデルスゾーンのトリオを演奏家が”メントレ” と呼んでいるのを今回知る)

トリオのメンロパークでの演奏風景

筆者のカリフォルニアの音楽仲間Monats-Trioのメンバーは、上海生まれの中国人のピアニスト、ドイツ人のチェリストという、シリコーン バレーでは日常になっている典型的な国際色の豊かさ。エンジニア、サイエンティスト、等、技術系の人の中には技術的にもまた知識の豊富さからいっても(おそらく日本でも同じことが言えると思うが)クラシック音楽Enthusiastsが多い。よってシリコーン バレーではアマチュア室内楽が盛んに弾かれている。

Monats-Trioの場合、ピアニストはすでに引退しているアナログ関係のエンジニア、チェリストはSLACに勤務する現役の物理学者。今回、東京でトリオを組んだメンバーは全員すでに引退していて、ピアニストは音大を出たピアノ教師、チェリストは(まだお若いとお見受けしたが)元弁護士、筆者はシリコンバレーで約30年広報関係の仕事をして2011年に引退したという全員、文化系。

おそらく個人の性格によるところも大きいのではないかとは思うが、米国のMonats-Trioの場合、大変にリラックスしていてあまり他のプレーヤーの批判はしない。黙々と一回のリハーサルに4-5時間は弾く。反して、今回の東京でのトリオは、批判ではないが曲想に関するコメントが飛び交う。一般論で言えば、技術・理科系の寡黙な性格と、文化系の多弁な性格の違いである所も大きいと思う。

「本来、アマチュアとは “愛する人” のことであり、自分のためだけに物事を究めることができる人のことをいう。」「音楽の世界に置き換えてみた場合、プロは五回に一回しか失敗しないが、アマチュアは五回に一回しか成功しない、という話を聞いたことがある。」(辻栄二、アマチュアの領分)。

”アマチュアの領分”の筆者辻栄二氏に同感するところが多い。「今までは、プロとアマチュアの二つに区分された平版な状況しかなかった。しかし、これからは、非同質社会、高齢化社会、情報化社会、生涯教育社会、クリスタル時代、余暇時代、感性の時代、等々といった言葉の数々に象徴されるように、プロはプロで非凡な人たちの集団でよし、アマチュアはアマチュアで何らの権威におもねることなく、自由に音楽を楽しむことのできる時代 ―多極化、多様化された時代― とみてよいのではないだろうか。」「また、高齢化社会に到達すると、いやでも生涯教育、余暇対応の比重が高まり、これまでの定型化されたメニューによるものではなく、様々なカードを自分自身の判断で選んでその組み合わせのなかに自分の生き方を発見しなければならなくなるし、またそういうことができるようになるであろう。国際化が進むと、外国との文化摩擦を通じて、これまでの同質的、集団的な思考パターンや生活様式に何らかの考察や対応をせまられることとなる。また、情報社会では、ファミコンを枕にして育ちコンピューター・アレルギーのかけらもない世代が自分自身の基準で情報を選択するようになる。」 辻氏の著書が発行された1990年から既に30年経った現在、辻氏の語るアマチュアの世界、多極化多様化された時代、はすでに米国でも、恐らく日本でも、また世界の多くの他の国で現実になっていると思う。

室内楽を弾かれる読者の方々はご存知だと思うが、室内楽を楽しく同じメンバーで長年弾いていくにはメンバーの性格の適合性によるところが大きい。今回の東京でのコラボはアマチュアとしては成功であったと思う。コラボの後、トリオのメンバー全員が来年もまたコラボしようと笑って別れた。令和2年3月30日、再び中央線武蔵小金井駅前宮地楽器小ホ-ルでコラボの成果を披露できるか、あるいは世界のどこかの街での再会、共演ができるか、今から楽しみだ。

 

花見しかすることがない訳じゃないけど (34 小泉幾多郎)

小生卒業の高校は神奈川県立平沼高校。入学(1951年) 2年前までは女子の名門神奈川県立第一女子高等学校だったが、1950年男女共学になり、平沼高校となった。女子高時代の先輩に岸恵子、草笛光子、小園容子といった女優, 最近では、テレビ朝日8時からのニュースキャスター羽鳥慎一(早稲田大)が後輩。この時のクラス仲間と毎年恒例にしているクラス会の花見、今年は湯河原。

万葉公園の桜

83歳ともなると参加者も減り、男5名、女6名計11名。日帰りで計画したのに女性軍は折角湯河原の温泉に行くのだからと前日旅館泊、夜更けまで話し込んだようだ。一人を除き未亡人、文句を言われる人もなく自由気儘な生活だろうが男性は全員日帰り。

湯河原着からバスで美術館前へ行って女性軍と合流、町立湯河原美術館を鑑賞。月刊誌文芸春秋の表紙絵を2000~2010に亘って飾った平松礼二画伯が館長でその絵を中心に常設館には有名日本画家のこの地ゆかりの作品が並ぶ。他に現代作家展として渋谷武美という人の彫刻が展示されていた。昼食は庭園に面したミュージアムカフェで地元豆腐店十二庵の豆乳スープセットの定食。美術館前を流れる藤木川に沿って下り光風荘へ。

われわれ生誕の翌年1936年の2.26事件の東京以外の現場が此処で、吉田茂の岳父に当たる前内大臣牧野伸顕が家族使用人と共に滞在中襲撃されたのだった。牧野伯爵は無事脱出したが、護衛巡査が死亡し、負傷者も出たという。その時の貴重な資料が多数保存されていた。此処から万葉公園へ。藤木川から分かれた千歳川沿いに川のせせらぎを聴きながら散策。入口には万葉の歌碑があり、「足柄の土肥の河内に出つ”る湯の世にもたよらに子ろが言わなくに」万葉集4500種の中に、ただ一首、温泉のこんこんと湧出している様を詠ったものだそそうだ。新しい元号が、万葉集からの「令和」に決まったことから、この地も人気が出ることは間違いない。

千歳川の花

滝が小規模ながら二つあり、其処から大きい規模の独歩の湯に到着。郷土資料展示室を見たりして、千歳川沿いの道を下る。千歳川の北側が湯河原、南側が熱海で熱海側に桜並木が続く。桜並木が消えたところでちょっとだけバスに乗り湯河原駅へ。花見と共に芸術と歴史にも浸ることのできた一日だった。

(編集子 なにか高校時代の甘酸っぱいオモイデなんかも確認されたのでは?)

アサ会今年の花見 (34 小泉幾多郎)

本門寺五重の塔 本稿の写真は矢郷君撮影による

日時 4月4日 参加者:佐成、椎名夫妻、城田、田中、西川。西島、平松、藤野、船曳夫妻、真木、松本圭、矢郷、林田、小泉 計16名

林田君の幹事で、洗足池と池上本門寺の花見を開催。例年夫妻で参加していた妹尾君がいなくなり寂しいことだが、これも夫妻で参加していた永野君、茂手木君が都合で不参加となり、これだけで例年に比べ6人少ないことになった。

池上線の洗足池駅11時集合。洗足池公園は駅前の眼の前で桜と池が見渡せた。

先ずは、勝海舟のお墓へ。勝海舟と民子夫人のお墓が仲良く並んでいた。勝海舟が官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中洗足池畔に憩い、その風景にうたれ此処に別荘を構えたという。此処に勝海舟記念館を本年夏までに完成予定にしているとのこと。池の周りの桜は丁度満開でした。再び洗足池駅に戻り、池上線で池上駅へ。徒歩15分で池上本門寺へ。眼前に仁王門から96段あるという階段が望めたが、我々は向かって右側にある池上会館からエレベータを使い本門寺の前へ。どうしても階段を登りたいという人が3人おりました。上へあがると矢張り五重塔が目立った。桜とのコラボレーションが此処での見ものとなっている。

この五重塔の近くに、明治の文豪幸田露伴のお墓があったが、その墓碑銘は、わが西川加耶子さんの御尊父で昭和の三筆と言われた西川寧(ヤスシ)氏が書かれたものだった。西川さんによれば、五島慶太氏や山本周五郎氏等からも依頼されたそうです。会食は池上会館の2階で、白梅の間を借り切ってゆっくり寛ぎ、今年のアサ会花見は無事終了。