エーガ愛好会(24) シヤーリー・マクレーンとモリコーネ (34 小泉幾多郎)

”真昼の死闘” を観た。 原題名シスターサラのための二頭の騾馬。ハイヌーンの「真昼の決闘」にあやかって、「真昼の死闘」と邦題にしたようだが、内容は死闘らしきものは最後だけ、それも真昼でなく夜。内容に全然そぐわない。シスターサラは、シャーリー・マクレーンが扮し、いつも騾馬に乗っているが、もう一頭は、muleには片意地者とか頑固者という意味もあり、一緒に冒険旅行を楽しむクリント・イーストウッドのことを指すらしい。

 冒頭、朝日の輝く峰をイーストウッドが馬に乗り歩いていると聞き覚えのメロディが奏でられる、エンニオ・モリコーネの音楽だ。舞台はフランス占領下のメキシコだからマカロニウエスタンと見間違ってしまってもおかしくない。クレジットが始まると先ずはシャーリー・マクレーンから。当時イーストウッドはマカロニウエスタン三部作で、名を上げ、凱旋して2作目、演技の実績も名声もマクレーンのキャリアに遠く及ばなかった。キャリアを経てからメリル・ストリープと共演したりしたが、この頃に大女優になりつつあったマクレーンと共演して、何かを得ようとした気持ちは認めてやっても良いのでは?流石にマクレーンは、キュートなところもあり、売笑婦ながらも修道女に化け、しかもメキシコ革命軍に裏で協力する役柄を楽しくこなしており、革命軍と協力し金儲けを狙う風来坊のイーストウッド、格好は良いが、食われてしまったようだ。

 最初に、悪玉3人に襲われていたマクレーンをイーストウッドが救ったことから二人のバディ&ロードムービーが始まり、協力しての弓矢の取り除き騒動、鉄橋爆破による列車転覆や要塞の攻略によるダイナマイト爆破等の見せ場はあるのだが、何となく、活劇のハラハラ感がない。どうやら悪逆非道なフランス軍に対するメキシコ革命の必然性の説明が皆無だからではないからでは?

 この映画の監督ドン・シーゲルとイーストウッドの係わりも忘れてはならない。当時まで、B級アクション監督としてかたずけられてきたドン・シーゲルとマカロニ・ウエスタンの荒くれスターとしてのみ固定されていたイーストウッドの出会いは「マンハッタン無宿1968」で、西部劇では、この映画で。B級アクションから二人は「白い肌の異常な夜1971」「ダーティハリー1971」の野心作へ発展、さらに二人の友情は、イーストウッドの第1回監督作品「恐怖のメロディ1971」に付き合うまでに至り、その後のイーストウッドの偉大なる監督作品に多大なる影響を与えた。

(安田)映画が公開された1970年当時は確かに三役のシャーリー・マクレーンに対して新入幕を果たしたクリント・イーストウッドが共演しているという風でした。マクレーンは流石に演技上手の大御所然としたオーラが感じられ、イーストウッドも横綱から“金星をあげてやるぞ” の勢いを感じました。今では、映画界(監督も含めて)においては両者とも大関・横綱級の格付けでしょうか。50年前の階段を一歩一歩上がっていく過程の俳優を観るのは愉しいものです。

マクレーンの映画はこの「真昼の死闘」に加えて、1955年21歳の時の初々しく可愛い「ハリーの災難」(BSPで今春鑑賞、26歳の時の彼女の地位を不動にした「アパートの鍵貸します」、円熟の49歳の時のオスカー主演女優賞受賞「愛と追憶の日々」、つい最近2012年出演の英国テレビドラマ「ダウントン・アビー」(78歳時)を観ましたが、65年の歳月の長さを感じます。

(保屋野)今日、毎週観ている「題名のない音楽会」を観たら、偶々、「モリコーネ」特集でした。先日、安田君から紹介された「ニューシネマパラダイス・メドレー」「マカロニウエスタン・メドレー」「ガブリエリのオーボエ」を聴きました。改めて、モリコーネ音楽の素晴らしさを知りました。

今夜、丁度「荒野の用心棒」が放映されるので、映像と共に楽しみたいと思います。ちなみに、明日は「OK牧場の決闘」もありますね。貴君のお陰で、モリコーネの外、モーリス・ジャール、ニーノ・ロッサ等を良く知ることができました。また新しい情報お願いいたします。

(菅原)本日の日経朝刊12頁は映画音楽のモリコーネ(正確には、追悼)17頁はクラシックのブルックナー(実際には、それを指揮したF.コンヴィチュニー礼賛)と言っ具合に極めて好対照な作曲家が取り上げられていました。一見すると、クラシックのブルックナーの方が偉そうに見えますが、さにあらず。小生、勝手に、音楽とは、字句通りに、音を楽しむものと理解しており、両者は全くの同列です。その上で結論付けると、モリコーネの方が遥かに楽しい音楽です。いや、ブルックナーは深遠だから、もっと意味が深い、と言う人があるかも知れませんが、楽しくないものは楽しくないの一言です。ただ、モリコーネが、「P.ブーレーズのような現代音楽をやりたかった」と言ったのには、いささか失望しました。やっぱり、本人自身が、映画音楽はクラシックの下だという劣等感を持っていたんでしょう。しかし、そうならなかったのは幸いです。現代音楽なんてのは、雑音の塊で、楽しさなんて一欠片もありませんから。それとも、モリコーネなら、現代音楽に革命を起こしたかもしれません、「荒野の用心棒」を引っ提げて。これを機会に、「モリコーネ・プレイズ・モリコーネ」でも聴いてみるか。

 

 

孫娘に贈った本

ついこの間、受験に奮闘していた末の孫娘が大学院進学を決めた、と報告してきた。まさに時間の経過、恐るべし、その間こっちは何をしていたか、と落ち込んでしまうが、なにより、我が一族にとって初めての理系が誕生したことに感動し、うれしくなった。

彼女の門出に何か、と思うのは当然だが、とりあえず、本を一冊、贈ることにした。小生、父親の影響もあって、子供のころから本好き人間である。中学時代、世界文学全集、なんかにあこがれ、高校時代はヘッセとヘミングウエイをよく読んでいたが、ある出来事を境にすっかり読書傾向が変わってしまい、当時の高校生の必読書、といわれた “魅せられたる魂” も ”チボー家の人々"も ”ジャンクリストフ” にもそっぽを向いて過ごした。それでも読んだ本の数だけはだいぶあった。ま、乱読、というのだろうか。

その中で、一冊、何かを挙げてみろ、といわれたら躊躇なく上げたいのが大佛次郎の 帰郷 だ。終戦直後の日本の混乱、特に文化の変質を憂えた本で、当時のことがそれでもうっすらと記憶にある世代のひとりとして、共感もし、主人公守屋恭吾の生き方に一種のあこがれも持った。孫娘の世代はいやおうなしに、特に彼女が専攻しようとしている環境にまつわる問題などは日本だけでなく、世界を規模に展開されるべきことがらだし、そうではなくとも現在社会のボーダーレス傾向はますます強まっていくのは必至である。そういう中で、”日本人” のアイデンティティーを持ち続けるのは逆に今よりも重要なことになっていくだろう。

サラリーマン時代の末期、めぐり合わせでいわゆる グローバリゼーション なる妖怪とどう向き合うべきか、特に当時担当していた人事・組織・労働組合などといった分野を統括する立場にあって、アジア諸国の担当者たちとのあいだには目に見えない,厚い壁があるのを感じた。むしろ西欧諸国の連中のほうが話は通じやすかった経験がある。今考えてみると、後者には長い間の歴史と闘争の間に培われた、確固たるアイデンティティがあったのに対し、彼らの侵略と植民地化に耐えてきた諸国には強烈な愛国心はあるが、なにが国のアイデンティティなのか、まだ模索している期間であったのかもしれない。こういう問題はこれから、多くの場面でおきてくることだろう。その時に、やれグローバルだ世界だという前に、”日本人”として持つべきものは何か、を考えておくことが必要なのではないか、と思う。いろんな本があり、多くの傾聴すべき議論があるから、これからは彼女が自分で判断していくことになるのは当然だが、自分があらためてこの問題を考えてみたとき、あらためて 帰郷 という本を思い出したのである。

大佛の作品が改めて新版が出る可能性はすくないし、全集となると焦点がぼけてしまうのではとアマゾンを検索してみたら、なんと2018年に新装版が出ていた。うれしくなって早速注文した・・・・のはいいのだが、何を間違えたか2冊、贈られてきた。思い出すと注文の過程で何だったか覚えていないがメールを打ち直した気がするので、先方のミスではあるまい。ちょうどいい、手元に大事に保管してある昭和25年版と読み比べてみよう。僕の趣味としては、

丘の斜面の芝原で柄の長い鎌をふるって草を刈ってゐたマレー人が・・手を休めて突っ立って見てゐた。

という出だしのほうが

丘の斜面の芝原で柄の長い鎌をふるって草を刈っていたマレー人が・・手を休めて突っ立って見ていた。

よりもなんとなく好ましいのだが、新仮名遣い、という国策のあたりも日本文化の変質、であるのかもしれない。

 

秋深まる涸沢から穂高へ  (39 堀川義夫)

最近は、何をするにも、何処に行くのもこれが最後になるかもしれないということが何時も頭の片隅にあるような気がする。今回もそうだ。10月1日の夜行バスで新宿から上高地に向かった。目的は涸沢の紅葉の最後の見納めと奥穂高の久しぶりの登頂。そしてテント泊での単独行の最後になるかもしれない・・・と思いながら・・・来年のことはわからない! 10月2日(金)朝5時過ぎにバスは上高地に着いた。3列乗車のバスはゆったりしていてしっかりと寝ることが出来、直ぐに涸沢に向けて出発できるのは、本当にありがたいことである。

10月2日 (金) 晴れ

目標は11時30分前に涸沢に着くこと。天気は雲一つ無いドピーカンで言うことなし、でもザックは重い!フル装備で55Lのザックが目いっぱいである。16kgある。これだけ背負うのもこれが最後になるかもしれないと思いながら涸沢を目指す。何度この道を歩いただろうか? 歩きながら走馬灯のように様々なシーンが思い出される。明神、徳沢、横尾と景色を楽しみながら快調に歩を進める。でも、若い人たちにどんどん追い抜かれる。悔しい!!言訳ではないが、良い景色を見て写真を撮っているから時間がかかっているんだと自分に言い聞かせながら焦らず、マイペースで、ゆっくり且つ迅速に。

横尾で少し長めの休憩を取り、本谷出会いに向け出発。懐かしい景色が次から次へと楽しませてくれる。なんと言ってもここの見所は屏風岩だ!! ここも無事に本谷へ予定時間内で到着出来た。

 

10月3日(土) 晴れ

今日は、5年ぶりに奥穂高の登頂を目指します。奇しくも5年前に船曳先輩の傘寿の記念山行に同行させて頂いた同じ傘寿を私も迎えています。晴天の中、見事に奥様とご一緒の登頂に成功されたことを当時、非常に羨ましく思い、自分も5年後に登頂することが出来るだろうかと思っていましたが、今日、それが実現しました。登り始めて、涸沢小屋を過ぎたあたりから、正に涸沢の紅葉にふさわしい見事な景色が展開し始めました。

若い人たちに抜かれながら、ゆっくり目ではあるがザイテングラードをこなし、約3時間で奥穂山荘到着。山荘に勤める、マッキンリー登頂の際の山仲間に久しぶりで再会、しばし、楽しい歓談を楽しんで頂上へ。途中振り返ると槍から、今夏縦走した薬師から立山の遠望、笠ヶ岳、乗鞍、富士山まで360°の眺望を十分にみることが出来た。頂上では記念撮影に列が出来ていて、バカくさいとは思いながらもこれが最後の奥穂高山頂かと思うとやむを得ず並んで撮ってもらった。どこでとっても良い面白くない写真である。奥穂山荘で昼飯をゴチになり、一気に頑張って1時間20分で下山できました。

下山後は、今日、登ってきた山仲間と会って、ビールを飲み、持参したジャックダニエルをしこたま飲み、涸沢最後の夜をしみじみと楽しむことが出来ました。蛇足ながら、持参した真鯛とホウボウのこぶ〆は大好評でした。

大満足の写真です。

出来たら来年も再来年も同じように涸沢のような場所に来れたら良いなあ~と思っています。何時までも山には行き続けたい、でも、自分の意志に関係なく身体の不具合や体力の衰えを感じざるを得ない歳になって来ました。これからは、年齢相応の、だけどちょっぴり頑張ったら何とかなりそうな山をマイペースで楽しんでいきたいと思います。

 

学術会議騒動について  (普通部旧友 菅原勲)

ジャイ 大兄

貴兄のブログを拝読しました。全面的に賛成です。

付け加えるとすれば、この問題に対する対応で、ニセモノであることがはっきりした人たちが分かって来たことです。何故、6人が任用されなかったかをしつこく問い続けている人たちです。差し支えるので、名指しはしません。なかでも、我が母校の名誉教授M氏は、もともと、その言説には100%同意しかねましたが、この問題を契機に、それに加え品性下劣であることが明らかとなりました。もし、卒業生に塾の教授の任命権があるならば、真っ先にこの不名誉教授を罷免します。こう言うのが亡国の輩なんだろうな。

既得権をぶっ潰すのは並大抵のことではないが、塾に籍をおいたことのある太郎君、頑張れ!

では、また。

学術会議騒動について

新政権にさっそくいちゃもんが付いた。学術会議メンバーの選考問題である。例によって政府側の答弁も歯切れが悪いが、なんといってもいわゆる知識人とやらの反応にはつくづくあきれてしまう。会社組織で言えば上司の部長がだれになるのか、からはじまって人事なんてものは基本的に理屈通りにはいかないし、部下から見れば英雄であっても社長の胸三寸にきちんと落ちなければその通りにはならないのはいわばジョーシキである。そうなったときに、今度の人選はわが社の命運にかかわる、社長辞めろ、なんてことは起きえない。気に入らなければやめてしまえばいいだけの話である。

まして10億円もの公費が使われているのであれば、めくら判を押してきたいままでのやり方を見直すのは、前例絶対を排するという総理の方針からすれば至極当然だろう。その理由が政府の大方針にそぐわないのであれば、それが理由だ、と言えばいいのではないか。なぜって、彼らは公務員なんでしょ。小生、別に菅ファンでもないし自民党絶対論者でもないが、公約をきっちり実施する、という姿勢はその結果はともかく、支持に値すると思っている。

何より馬鹿げているのは今回の措置が学問の自由を侵害する、という議論である。大学で個人が行う研究活動やその成果の発表や社会への働きかけについて、今回の措置はそれこそ憲法でも改悪しないかぎり、なんらの影響も持ちえない。学術会議のメンバーでなくても政府への意見具申をする方法はいくらでもある。テレビ報道で多くの人が指摘したように、他国ではこの種の団体は民間団体であり、政府から経済的支援を受けない。だからこそ自由に発言し行動できる。行政への諮問、ということからすればこのほうが正しい。曲がりなりにも(100%そうだなどというほど当方もうぶではない)国民の支持によって成り立っている行政機関から金をもらっている立場であればそうはいくまい。例によって偏った見方しかできない連中が自由の侵害だなんだとデモで騒ぎ立てるのはコロナウイルスを拡大するくらいの意味しか持ちえない、と思うのだが。いかが。

 

トランプ騒動に関する情報

HP時代の同僚から、下記のホームページを紹介された。数件、記事があり、おのおのに広告が入っていたりするが、わかりやすい文面でもあるので一読をおすすめする。アメリカ版週刊文春かもしれないのでどこまで信用できるかはご判断にお任せする。ただアメリカよ、どこへ行く? という気持ちは深まりこそすれなくならないのだが。

https://theweek.com/speedreads/941345/conspiracy-theorizing-about-trumps-diagnosis-already-begun

エーガ愛好会 (22) The Big Country

予想もしなかっためぐりあわせから米国企業で働くことになった僕は、シリコンバレーには相当回数足を運んだが、東部や中部を訪れる機会は少なかった。その少ない旅の途上、ジェット機の上からその国土の果てしないうねりを見て、”でっけえ国だなあ” という印象はもちろん持っていたが、実感としてそれをあらためて実感させたのちょっとしたドライブだった。

コロラド・スプリングスは米国空軍士官学校の所在地として、陸軍士官学校のウエストポイント、海軍兵学校のアナポリスとともに知られているし、NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)の所在地でもある、いわば軍都、とでもいうべき街で、幾度か訪れることがあった。1970年2月の訪問のとき、デンバーから通常のルートを避け、地図を頼りに回り道をしてみたことがある。つたない詩もどきを書き留めている とりこにい にその時の感情が書いてある。

 

 アクセルをぐうんと踏んで フォードLTDは小さな峠を越えた

 視野の果てまで きつね色のコロラド溶岩台地の遠く

 早春の平野の第三象限を限るロッキーの稜線があった

 インターステートハイウエイが越えるこの峠

 百年の昔 人は馬で越えた      

 この峠に立って 幾人の旅人が      

 かぐわしい夏の夕風 暮れていくロッキーに問いかけたか

 幾人の騎兵隊兵士が 幾人のファー・トレイダーが 吹きすさぶ雪に吠えたか

 ・・・・おれはなぜ、ここにいるのか、と。

 彼らが帰り着いた土 この峠に立って

 ひとりの異邦人はつぶやくのだ

 この広い天と この ただ果てしなくひろい地のはざまに

・・・・ おれは いま 生きている! と。

 

 

思わせぶりな前説が長くなった。ウイリアム・ワイラー、大いなる西部。

(写真提供 安田耕太郎君)

(小泉) 監督ウイリアム・ワイラーで「西部の男1940」以来18年ぶりの西部劇、主演グレゴリー・ペックとは「ローマの休日1953」以来5年ぶり。最近BSPで放映されたペックの西部劇「続ガンヒルの決闘」「拳銃王」とは異なり、その人柄が醸し出されるような東部の紳士で、インテリ風でありながらも船乗りから船長に登り詰めた強靭な肉体も持ち合わせる主人公を颯爽と演じている。

開巻から東部と西部の対立の様相を見せつける。婚約者のキャロル・ベイカーとその父チャールズ・ビックフォード経営の牧場へ向かう途次、対立するチャック・コナーズの仲間に、手荒い西部的歓迎を受ける。父ビックフォードは、そのことを娘から聞き、やられた仕返しに、コナーズの父パール・アイヴィスの牧場を襲う… 両牧場対立の根源でもある水源地を所有するジーン・シモンズに会ったりしているうちに、ファザコンであまりにも古い西部的な女性ベイカーとの気持がズレて行くことから、シモンズへ心が移っていく。最後は、ビックフォード家とアイヴィス家との峡谷での戦いで幕を閉じることになる。脇役とは言え、アイヴィスとビックフォード二人の爺様の演技が光る。アイヴィスは歌手出身ながら、貫禄ある振舞の中に進歩的考え方の持ち主でもあり、筋の通った男ぶりから、卑劣な息子を射殺し抱き締めざるを得ない父親を演じ、アカデミー助演賞に輝いた。

 駅馬車の遠景で始まった大いなる西部、構図が古い西部から新しい西部へ移り変わり、広大な平原を見渡す展望が、すべての場面で、ロングショットが活用され、大いなる西部の景観が浮かび上がってくるのだった。広大な大自然に、ぴったりした優雅でダイナミックなジェローム・モロスの音楽も懐かしく聴かれた。各場面夫々に、登場人物夫々に、適切に合致した音楽、昔はサウンドトラックのレコードで、画面を振り返りながら、音だけで聴いたものだった。終演は重なった二人の古き西部の鳥瞰のロングショットから谷間へ去るペックとシモンズの若者の後ろ姿に大西部の景観が浮かび上がる。新しい西部の幕開けか。

(菅原)映画館で見ているから、これが、二度目です。それにしても、覚えていないもんですね。ペックは、終始、あまりにも恰好良すぎました。ヘストンと殴り合いをやり互角に見えましたが、最後に、ヘストンの「別れの挨拶が長すぎる」でヘストンの判定勝ち。チャールトン・ヘストンは、眼光鋭く、苦み走った良い男。全米ライフル協会の会長だった時は、その眼光の鋭さで、銃規制派もすくみ上ったんじゃないかな。

小生のお気に入りのC.コナーズ、ちょっとどころが、だいぶ可哀そう。せめて一度ぐらい見せ場を作ってから、B.アイヴスに殺されても良かったんじゃないか。それだけの値打ちもなかったか!ジーン・シモンズは、イギリス人で、東部の女であり、西部の女ではありませんが、キャロル・ベイカーは、正にピッタンコ。1931年生まれで存命中だから89歳か。どんなお婆さんになっているのか。

C.ビックフォードは、あれだけ豪華なお屋敷があり、しかも、ごまんといる牛を飼っているところを見ると、アイヴスが言っていたように、相当な悪さをして来て、ここまで伸し上がって来ている筈です。ですから、最後は、勧善懲悪で、ビックフォードがアイヴスに殺されると思いきや、相撃ちでチョン。余りにも長いので、生理現象がおきましたが、最後まで見たので面白かった。

(安田) 「アラビアのロレンス」 の冒頭に近い場面で、ピーター・オトゥ―ルのロレンスがエジプトカイロのイギリス司令部からアラビアの砂漠の地に赴任して迎えた最初の日の朝、荘重な輝ける 日の出 が悠久な砂漠を黄金色に染めて、その後の波乱含みの映画の流れを予感させるかのような見事なシーンで強烈に印象に残っています。似通ったシーンが 「大いになる西部」 にもありました。グレゴリー・ペックが東部からテキサスの地に着いて、宿泊する家のベランダから眺める光景は、地平線の彼方まで広がる荒野の雄大な景色。正に The Big Country そのもので、映画のスケール感を期待させるに充分な冒頭シーンでした。

 イギリス女優 ジーン・シモンズ 。同じイギリス人の ヴィヴィアン・リー、エリザベス・テーラー にやや似ていて、彼女の黒髪 (或いは濃いブルーネットだったか ) は, 金髪のキャロル・ベイカーとの容姿の対比のみならず、役柄の人物像対比をもより際立たせていて映画の筋に沿っていてとても良かった。最後には、グレゴリー・ペックは許嫁の未熟でわがままなキャロル・ベイカーから離れてシモンズへと気持ちが移って、二人で未来を共に歩むことを示唆して映画は終わります。ペックとシモンズの間では直接的なラブ・シーンは一切なく、それでも気持ちを通わせお互いが敬意と愛情を抱いていることを分からせる演出は、流石ウイリアム・ワイラーです。 

グレゴリー・ペック が荒馬を乗りこなすのに悪戦苦闘するシーンはとても印象的。東部の都会男が西部男になっていく忍耐と勇気の決意が描かれていて、映画のテーマと彼の人となりを側面から見事に描いたシーンだと思います。それにしても、あの荒馬も見事に演技(?)したものです。それだけプロの調教師によって手名付けられたのでしょう。あの場面以外、ペックの乗り物用の馬としては登場しませんでしたから、あの調教のシーンだけの為に準備されたのだと思います。これとて見事な映画作りの一端を垣間見る思いがします。

また、ペックが船乗りの経験を活かして荒野を探訪するのに磁石と地図を駆使して、荒野を迷わず歩くことが信じられない陸の荒くれ男達を驚かすシーンなども斬新で、それまでの西部劇にはなかった面白い発想を網羅した演出になっていました。さらに、腕力に物を言わせて争いの決着を血を見ることでつける旧来のやり方に代わり、近代的な和と平等な仲裁方法を導入しようとするなど従来の西部劇にはない一歩前進したストーリー展開と演出になっていました。190cmの大男 二人、ペックとチャールトン・ヘストンの決闘場面は、語り尽くされているとは思いますがやはり見応えがありました。 

グレゴリー・ペック は ゲーリー・クーパー、ジェ-ムス・ステュアート などと並びアメリカの良心を代表する俳優だと評されていますが「小鹿物語」、「ローマの休日」、「アラバマ物語」 などでもそうでしたが、この映画でも彼の持ち味と特徴が如何なく発揮される役柄を演じています。ラッキーな俳優だと思います。特筆すべきは、アカデミー助演男優賞獲得 は当然だと思わしめた、 争う両陣営の片方の親分、相撲取りのような体躯の バール・アイヴス の迫真の演技でした。ウィキで調べると元々はアメリカで数多くのヒット曲をもつ歌手とのこと。彼が息子役の チャック・コナーズ   (テレビ「ライフルマン」で馴染み) に対しても公正さを貫き、背いた息子を自らの手にかけて殺し、腕の中で息絶えていく息子への父性愛を示す場面での彼の演技は、この映画の白眉のひとつだと思います 最後に、何回聴いても映画のスケール感に相応しい雄大なーマ音楽は素晴らしい。

(保屋野)大作、「大いなる西部」は、劇場で1回、テレビで5回ぐらい観た、ジャイさん同様私のNo1西部劇です。感想等はプロの皆さんのおっしゃる通りで、アマの私が付け加えることはありません。

ちなみに、西部劇に「大作」は少ないと思いますが、昔見た「西部開拓史」ジャイアンツ」も面白かった記憶があります。ただ、誰かが云っていた、少々「グレゴリー・ペックに都合が良すぎる」という安易な点はありましたが、気になるほどではありません。

①   決闘シーンで弾がそれたこと。②   水利権付牧場が簡単に手に入り、しかも買う金があったこと。③   対立する2人が相打ちで死んでしまうこと。④   キャロルベーカーより魅力的な?ジーン・シモンズに上手く乗り代えられたこと。

大西部の雄大な風景、特に水争いの河の風景が圧巻。テーマ曲も絶品。ただ最後に、キャロル・ベーカーとチャック・コナーズがちょっと可哀相。

(編集子)エーガ館、テレビ、DVDなどあわせてたぶん5度目くらいだと思いますが、結局最後までまたみてしまいました。やはり小生の西部劇ベストワン、です。この作品の背景になっている牧場主の間の水の取り合いはよくテーマになりますね。ウエインものでいえば、“チザム” もそうだったし、“”エルドラド もそうでした。

今回改めて思ったのは、”間(ま)” の取り方、せりふのないシークエンスとロングショットが効果的だなあということでした。菅原兄も触れているペックとヘストンの殴り合いですが、ロングショットにひいて、殴り合いの音だけが聞こえるシーンなんか、まさに Big Country の中でわめいている人間の矮小さを表現しているのだと思います。之がこの映画のテーマなんだと改めて感じました。
バール・アイヴスのレコード(!)があったはずですがどっかへ行ってしまいました。正統的な ”ウエスタン” の歌い手だったという記憶があります。またか、と保屋野君なんかに怒られそうですけど、セーブゲキ、万歳(ついでに ジャイアンツ をセーブゲキというのはちょっとジェームズ・ディーンにそれこそ可哀そうかもしれませんね)。

 

 

アメリカの若者の都市離れーシリコンバレーの再形成 (HPOB 五十嵐恵美)

カリフォルニア州でCOVID-19による自宅待機命令が3月中旬に出てから約半年が経過した.米国各州がそれぞれに各種ビジネスを段階的にオープンし始めた結果、経済に活気が徐々に戻ってきているように見える.その状況下でシリコンバレー、マウンテンビュー市に本社を置くグーグル社(グーグルの親会社はアルファベット社でアップルと共にシリコンバレーではよく知られたオフィス志向企業)はCOVID-19の長期化に備えて従業員の在宅勤務(リモート ワークあるいはテレワーク)を少なくとも2021年6月末まで継続する方針を7月末に発表した.COVID-19パンデミック以前からリモート ワークがグーグル、フェイスブック、アップル、等のシリコンバレーのIT産業の巨人たちによって徐々に一般化されていった中で、今回のCOVID-19の影響による長期にわたる在宅勤務が若者の働く環境、および彼らの居住地の選択の見直しを加速している.

世論調査機関のハリス・ポール社は、平均して米国の4割の都市部居住者が、コロナ禍を契機に郊外への引っ越しを検討していると答えており、この傾向は18歳から34歳までの若者世代になるとさらに高くなると伝えている.最近購入または賃貸のために不動産のサイトを訪れた人は、郊外の住民では21%であるのに比べ、都市部の住民ではその倍の43%にのぼっている.通勤渋滞を嫌う若者世代は、ここ20年程、一貫して都心、それもダウンタウンでの便利な賃貸生活を好む傾向にあった.しかしながらCOVID-19収束後もテレワークが続くのであれば、なにも狭くて、高くて、環境、治安が悪い都市部に住む必要性はなく、個人のライフ スタイルにあった、より安価な土地、より広いスペースを選ぶという若者の割り切りが目立つという. 

シリコンバレーで働くことの短所、長所

よく言われているシリコンバレーで働くことの「短所」は、

  • まず、住居を筆頭に生活費が高い
  • 長時間労働が一般的であり、期待もされている
  • 仕事の質、スピードに対する要求が高い、にもかかわらず
  • 雇用保障はないに等しい(競争が激しいと同時に景気、業績に応じてレイオフも頻繁)

シリコンバレー一帯、ベイエリアの一年を通して温暖な気候は世界にも例がない.それに加えて、シリコンバレーで働く「長所」としてあげられる点は、

  • 世界中から集まった非常に優秀な人材と仕事ができる
  • トップ レベルの会社で仕事ができる
  • 給与、ボーナス、その他のベネフィットが良い
  • 無料の食事サービス、ジム、等の多数の特典がある

シリコンバレーの1ベッドルーム アパート家賃の中央値

ライフ スタイル 

Zoomで会議をし、Zoomでヨガのクラスに出て、各種稽古ごとにもZoomで参加する.Zoomの使用は2020年3月に急増し、翌月、全世界での使用者は3億人に上昇した.ちなみに2019年12月のZoom 使用者は1000万人.グーグルも、いままでは法人ユーザー専用だったZoomと同種の会議アプリをGoogle Meetと改称して、一般ユーザー向けにも無料サービスを開始し、SkypeやLINEを含め、ビデオ会議の普及はテレワークの必要性に迫られ大躍進をとげた.

恒久的テレワーク体制に入った企業の中には、従業員の都市部からのUターンのトレンドを若者のライフ スタイルとして捉え、COVID-19以前から テレワークに対応.この若者の都会離れは、米国の古いライフ スタイルを好むという特にミレニアル世代 (1990年半ばから2000年初期に生まれた世代) の価値観でもある.国勢調査によれば、100万人以上の都市は成長率が鈍化、もしくはマイナスに転じている.

実際、共働きが一般的なアメリカでは、テレワークによって(限られたスペースの中で家族全員が家にいる事によって生じる「弊害」も多々あることながら)子供と過ごす時間が増えたことを喜ぶ声は無視できない.一般的に、子供の学校や稽古事への送り迎えなどの負担の分担はいつも夫婦間の問題であり、多くの世帯が、テレワークへの望みを持ちながら、それを公式に上司に打診することは、なにかと憚られていたのが現実だった.

企業の再形成

COVID-19はイノベーションのシリコンバレーを今後どれだけ変えていくのか.アルファベット(グーグル)、フェイスブック、ツイッター、を含むシリコンバレーの巨人達はオフィスが再開した後も、従業員のかなりの数がリモート ワークに留まる計画を発表した.実際、サンフランシスコとサンノゼの家賃は3月の初めから7%以上下がり、サクラメント、リノ、ボイジー、その他の「サテライト コミュニティ」では家賃、不動産価格が着実に上昇している.

フェイスブックのCEOザッカーバーグは(SFGATE)「フェイスブック社の約半分の従業員を今後5-10年の間に永久にテレワークに切り替えていく可能性は大きく、より分散した労働力への移行は会社、従業員両者にとって有益な移行であると思う.フェイスブックの仕事を全米中のより多くの応募者に開放すれば、多くのフェイスブック従業員がメンロパーク本社への長い通勤から解放されるし、それは環境にプラスの影響を与える可能性も高いのではないか」と述べた.

リモート ワーカーが個人のライフ スタイルに合った環境を選び、安価な郊外に移動するに伴い、一部のシリコンバレー企業はリモート ワーカーの給与を既に地元の生活費に合わせて調整している.ブルーンバーグ紙によるとパロアルトのVMWare(デルが親会社)は、テレワークを選択した人のために新たにローカリゼーション ポリシーを作成したと報じている.

例えば、デンバーに移ると、18%の賃金カット、ロサンゼルスとサンディエゴでは8%の賃金カット.ただし、ホームオフィスのアップグレードの資金として$400支給し、2週間の追加休暇を与えるという内容だ.

リモート ワークにより事務所のスペースが以前ほど必要なくなり事務所を統合し始めた企業も少なくない.事務所の統合により、リース料、諸々の経費も軽減でき、今後、本社にいなくてはならない人材のみ本社勤務にする検討も既に進んでいる.

COVID-19以前、シリコンバレーは産業クラスタリングの主要なモデルであり、同様の知識セットを持つ人材が集まって創造性、革新、生産を繁栄させるというパラダイムであった.ベイエリアは、優秀なエンジニア、デザイナー、科学者、投資家の宝庫で、2015年には米国の全特許のほぼ20%を生み出した(ちなみに1970年は全米の4%). 2017年のGDPは$8,380億に達し(世界で18位)、テクノロジー業界の極端なクラスタリングは、生産性の向上にも貢献している.グーグル、フェイスブック、アップル、を含む主要なプレーヤーが、従業員をできるだけ長く会社に留めておくために(あるいは従業員を就業中、社外に出さないために)、キャンパス内での朝食、昼食、夕食、スナック、運動場の提供の他、種々のアメニティが豊富なキャンパスを設計したのも不思議ではない.

(米国労働統計局)

COVID-19後たった半年で、全国平均で10%上がった失業率は、2020年8月時点で8.4%まで下がり、景気も少しずつ平常に戻る道を踏み出したアメリカではあるが、コロナ禍が短期間で経済、国民生活に残した影響は大きい.今後COVID-19収束へはまだ時間がかかるであろうという予想と現実の中で、人々、特に若者は、これまでとは違う価値観を持ち、仕事や住居の取捨選択をしている.アフターコロナに向けて、都会離れとテレワークは、今後増々定着していくようにみえる.

 

コロナ第三波の危険性について   (34 船曳孝彦)

ご質問がありましたので、ウィルス学の専門医ではありませんが、今回はVirusの遺伝子変異と第3波流行の危険性を中心に私見を述べます。

日本をリードしている感染症専門臨床医、感染症疫学の専門家が、最近そろって新感染者増加、爆発的増加の危惧を訴えています。

実際、スペイン、フランス、イギリス、イタリーなどヨーロッパでは可成りの再上昇が報じられ、悪性度もやや高い可能性もあります。早くからCOVID-19のVirusは変異しやすい(RNAが変異しやすい)ことは指摘されてきましたが、現在では細かく見ればおそらく数千に及ぶような多種多様な亜系に分かれているものと思われます。ヨーロッパの新しい感染の波が、どのような種類なのか。それが問題です。各国別々のVirusかもしれません。

今の流行を第3波と呼ぶのか、2波か4波か、スペイン風邪のようにはっきりと命名出来ないのではないかと考えます。コロナ型Virusなので、短期間で次々と変異しすぎし過ぎるので、今や世界中に別々のVirusが蔓延しており、Virusが変異して第何波と名付けることは無理なのではないかと考えます。日本でも世界各地でも、流行し、いったん収まりかけ(あるいは収束した)た後に再流行する傾向が見えますので、これが第2波。次に再流行すれば第3波として扱わざるを得ません。

そうすると、日本にとっては、どのようなVirus株が第3波を起こすのかで、大袈裟に言えば運命が分かれます。伝播力は強いが病原性はそれほど強くない今の日本での流行株ならまだよいのですが、病原性の強い(悪性な)株が大流行となれば大ごとです。武漢のVirus、日本の5月のVirus、9月のVirus、フランスの3月のVirus、9月のVirus、ニューヨークの8月のVirus、韓国のVirus、 それぞれがどう違うのか、ウィルス学的研究が追い付いていません。

全世界がワクチンに期待をかけています。感染症学会ではこの過剰期待に懸念を示しています。ワクチン投与による抗体依存性感染増強という恐ろしい副作用の可能性はともかく、もともとワクチンには一生涯有効なVirusから数か月の有効期間しか得られないVirusまで、さまざまなものがあり、新型コロナVirusはどれなのか、まだ分かっていません。

ワクチンの有効幅を超えるほどの変異は起きていないだろうとは思いますが、Virus株が異なれば、ワクチンは有効か?通用しないという場合も考えられないではありません。とくにこれから海外との人の往来が本格的となります。日本の患者からのVirusをもとに開発せねばならないということもありうることです。杞憂に過ぎなければ結構です。

新首相は検査体制を整備すると明言しました。しかし、おそらく鼻咽頭ぬぐい検体で数時間かけてのPCR検査を行うことに固執するような気がします。そして無症状者への対応は相変わらず厳しいでしょう。Go-To-政策で1兆円を上回る巨額の国費をつぎ込むより、検査体制(無症状者への検査料減免等)にお金をかけるべきではないでしょうか。高級ホテルに1万円で泊まれ、ビジネスホテルに予約が入らないというのはおかしくないですか。保健所に任せられている多種の仕事の分散も未だはっきり出てきません。

第3波の大流行は明日にも始まりかねないのです。罹らない、罹らさない対策を自分で強化、護ってゆくよりほかありません。

エーガ愛好会 (21) ホギー・カーマイケルのこと  (HPOB 金藤泰子)

Giさん

スターダストを作曲したホーギー・カーマイケルは俳優としてピアニスト役、脇役として色々な作品に出演していたのですね。半世紀以上前のTV番組「シャボン玉ホリデー」でザ・ピーナッツが毎週エンディングでスターダストを歌っていたのを思い出しました。 久しぶりでネットを検索しましたら、本当の話かどうかは分かりませんが下記のような文章が出てきました。
“ホーギー” カーマイケルが来日した時 滞在先ホテルの部屋のTVで、ザ・ピーナッツが自分の曲を歌っているのを聴き、嬉しくなって録画スタジオを訪れ、自らピアノ伴奏をした。日本でホーギー・カーマイケルの伴奏でスターダストを歌ったのはシャンソン歌手石井好子とザ・ピーナッツくらい”  だそうです。
また、「ララミー牧場 1959〜」のウイリーおじさんが、ホーギー・カーマイケルだったという記載もありました!
映画「脱出」は観ていませんので、こちらもネット検索しました。
脱出』(だっしゅつ、To Have and Have Not)は、アーネスト・ヘミングウェイの小説『持つと持たぬと』(1937年、原題:To Have and Have Not)を映画化した1944年ハワード・ホークス監督によるアメリカ映画
ヘミングウェイにホークスが、文学に対する映画の優位性を説いていて、「君の作品で最も駄作と思われる小説を原作にしても傑作映画にしてみせる」と挑発した。そうして出来上がったのが本作である、とWikipediaにありました。
Giさんが一番好ましいと仰るハンフリー・ボガートとローレン・バコール出演の「脱出」をYouTubeで見てみました。ローレン・バコールの低い声は、見た目と違い意外でした。以下 ネットからです。
  ”ホーギー・カーマイケルの俳優として(クリケットはスリムに恋をしている)も魅力的だし、作曲家として見たとき、1939年の歌「香港ブルース」はとても30年代のものに聞こえないぐらい、ぶっ飛んで既にロックである。この映画を魅力的なものにしているのは、カーマイケルとバコールの歌声だろう。発声がアルトであるバコールを当時16歳のアンディ・ウィリアムスの吹替と置き換えるか録音を聞いて議論されたが、結局バコールの低い地声を使うことになった。“ ホーギー・カーマイケルの歌とピアノ演奏もYouTubeにありました。

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我がボギーの映画はいろいろ見ました。勿論、若き日は何といっても カサブランカ がいいと思い込んでいましたが、多少長じてからは

裸足の伯爵夫人 の控えめの演技がいいと思うようになりました。今では(つまり見る方も変わってくるんですな、人生観とともに)あまり評判にはならなかったようですが 脱出 のボギーとローレン・バコールが一番好もしいと思っています。ヘミングウエイの To Have and Have Not の映画化ですが、わき役としてかの ホギー・カーマイケル が実名で登場、聞かせるのも素敵です。ケイン号の反乱 のクイ―グ艦長もはまり役だったと思います。”脱出” はビデオテープ(!)でよければお貸しできます。
                                

(安田)

脱出を観たくともビデオテープを再生する機器がないのでお借り出来ず、アマゾン・プライムでテレビ画面で観ました。

仰る通り、ボギー+バコールは、僕は「三つ数えろより好ましいと思いました。バコール、とても20歳とは思えません。独特のハスキーな声と妖艶な容姿には驚きました。有名なジャズのスタンダード人気曲「スターダスト」、「我が心のジョージア(Georgia on My Mind)」の作曲家ホギー・カーマイケルが実名で出演していてビックリしました。彼のピアノ演奏も聴けて儲け物の感じでした。バコールも彼のピアノ演奏で歌いますが、実際彼女が歌っていたのでしょうか?歌っていたとすれば彼女の多才振りには魂消てしまいます。
映画制作は第二次世界大戦中の1944年。舞台はドイツの影響下にあったカリブ海のフランス領マルティニク島。親ドイツのフランス・ヴィシー政権下にある島では自由フランスの反政府運動(ドゴール擁立派)が盛ん。第二次世界大戦の影響の影が色濃く見える映画。そういえば、1942年制作の映画「カサブランカ」も舞台は親独のヴィシー政府の管理下にあるフランス領モロッコ・カサブランカ。両映画とも主役のボガートは、反独の立場から自由フランスのレジスタンスを手助けするという役柄。テーマの芯の部分では似通っていると思います。
(保谷野)

「黄金」、ボガードが主演というので観ました。ただ、あの「カサブランカ」や「サブリナ」の(カッコ良い)ボガード期待したのですが・・・もちろん、新境地として悪役も良いと思うけど、ダブスのような「救いようの無いチンピラ悪役」は勘弁してほしい。

せめて、「赤い河」のジョン・ウエイン程度の(魅力ある)悪役に設定してほしかった。ジャイさんが好きだという「裸足の伯爵夫人」を何時か観たい。

(シャボン玉ホリデーのこととは、やっこ、よく思い出してくれました。同じころの番組でラストが夜の公園になって、植木等がギターでエンディングだすの、あったよね? 光子の窓 だっけ? ああ、白黒テレビの,まったりした時間よ、帰れ!)