メキシコから南下してエクアドルのアンデス山中 赤道記念碑を訪れた際、
ナンカナイ会 2019新年会 (36 翠川幹夫)
フェルメール展・リクリエイト版 (34 小泉幾多郎)
前にブログで書いた記憶がありますが、時折美術館に足を運ぶもの
安田君のフェルメール対する蘊蓄の深さには感心するというより驚
安田君
”エーガの日々” 拝見 (青木勝彦)
小泉さんのご友人で、映画評論家として名高い青木勝彦氏から光栄にもご感想をいただくことができ、また嬉しいことにご著書 ”私の追憶の名画” をご恵送いただくことになった。今後も折に触れてご投稿を頂くことが楽しみである。以下、小泉先輩あてメールの一部をご紹介する(身に余るおほめを頂いて嬉しいのであります!)。
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中司恭様の「ああ、エーガの日々よ、帰れ」を拝読しました。脇役
私の手持ち在庫がまだありますので住所、氏名、電話番号をお知ら
本は2年目の方が部数は少ないですが売れているようです。講演依
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この間の記事に書き忘れたことがあった。西部劇に絶対必要な悪役のなかに、かのジャック・パランス(”シェーン”でデビュー)の名前がなかった。ついでにつけくわえればアーネスト・ボーグナインなんてえのもいたっけ。
ネリカンからの手紙―ポピュリズム論議に付け加えて
新しい年になった。昨年末に起きた韓国海軍のお笑い種級の事件も考えてみるとこれから何かの発火点になるかもしれない。戦争もなく、治安も良好だった、というのが平成時代に対する国民の意識だということだが(NHK世論調査)、かつて大正デモクラシーと言われた平和の後に何が起きたかと考えてみると想像もつかないことが起きるかもしれない。しかし核のバランスの上に成り立っている現在の緊張がすぐさま戦火になる、というよりも、イデオロギーの如何を問わず起きているポピュリズム―大衆社会化ー個人の喪失、という流れは断ちがたいものになるのだろう。年の初め、昨年安田君との論議から始まったこのシリーズのまとめをしておきたい。
昨年末、40年の益田君からメールをもらった。彼とはスキー合宿を通じて知り合い(それまでは顔を知っている程度だったが)、お互い、ミステリや冒険小説が好きだとわかり、しばしば、意見や情報を交換するようになった。今回はジェイフリー・ディーバーの作品に登場する人物についてのだが、メールを転載する。
リンカーン ライムが黒人だったとは?(まだ存命だと思いますのでだったとは失言) 先日チャンネルを回してましたら、気が利いたと思われる映画の画面に出くわしました。黒人がベッドに寝てました。その会話で、リンカーンライム云々と聞き、まさかと、目と耳を疑った次第。
我々日本人からしますと、黒人か白人かは、男性についてはそれほど意識しないのではないでしょうか?それに拘った物語は無論別です。しかし白人のつもりで読んでましたので、仮に黒人と知ってましたら、物語の根幹から変わる事はないとは思いますが、会話につきましても、違った、感じ方、味わい方が出来たかもしれません。
彼の興味は、同じ英語であるのに白人と黒人とでは発音や話し方が違うが、それが翻訳された状況ではわからない。もし原語で読んだらその違いがわかるだろうか、ということであった。もちろん僕程度の知識ではわからない、というのが答えなのだが、ここで引用させてもらったのは別の目的だ。
彼が言うように、つまりわれわれからすれば白人も黒人もひとくくりにすれば“ガイジン”であり、常に単一民族である ”日本人“対”非日本人“ という意識しかない。前回でふれた ”民族意識“ といったものは言ってみれば持ちようがない国であり、それは別の言い方をすれば、日本人である限り、その間には以心伝心とか、”わび・さび”とか、”おめえ、それをいっちゃあおしめえよ” というような、前提なしのコミュニケーションが成立していて、それを前提として社会制度や文化が成り立っている、すくなくとも成り立ってきた。フランス啓蒙時代以降、つねに ”理”が先行する西欧社会人には理解不可能な、われわれからすればこの国にのみ存在する”居心地よさ“は、僕が予想する ”大衆社会“ の到来によって変わってしまうのだろうか。
昨年11月26日の読売新聞に、ゴリラ野外研究の世界的権威、京都大学の山極寿一氏の話が対談形式で紹介された。山極教授は大略、次のように述べておられる。
生物の進化というのはネットワークという文脈で議論できる。ゴリラやチンパンジーは身体的な接触によってネットワークを作っている。したがって集団から物理的に離れてしまえば関係性は完全に断絶する。しかし人間は言葉というもの、それによって事物を抽象化する能力を手に入れ、それによってネットワークを発展させることで現代の社会を構築することができた。
しかし現代は距離や時間に関係なく世界規模で情報が伝達される時代であり、情報がどこまで伝達されるのか分からなくなってしまっている。同時にそのため、リアルなものから離れ、個々のものの個別性を意識する機会が減る。つまり現実を脳の中に投影したモデルを現実と思い、幻想を見るようになってしまった。
この対談の目的はべつのところにあるのだが、教授の指摘された問題こそ、“大衆社会”のもたらす根源的な問題なように思われ、今回の報告に付け加えた。
益田君の(引用されるのにご本人は迷惑かもしれないが)メールがきっかけで、日本人が共有する”以心伝心”的な一体感がこの世界的な変化のもとで、そのまま”大衆社会“のネガティブに変わってしまうのか、あるいは逆に(個人価値を至上の価値とする西欧文化には存在しにくい)一体感を持ち続け、将来にわたって”日本文化“を継承し得るのか、という問題を改めて感じた。益田君はまた別のメールで次のように書いてきた。正直なところ、僕の意見でもあるのだが。
ポピュリズムに関しましては、我々日本人に取りましては、主にヨーロッパ史においての紙の上で理解しているだけのように感じます。司馬遼太郎がいろんなところで言っていますが、日本が島国で良かった、鎖国して良かった、単一民族で良かったと。
今年もよろしくお願いいたします。
フェルメール展 (44 安田耕太郎)
大衆社会のはじまり? (44 吉田俊六)
僕はインターネットが本格的に大衆化したと強く思っていて、ネットを基盤に本格的な『大衆の時代』が次の元号には始まると思っています。IT革命と言われた1990年代にネットを使っていたのは主にインテリ層で、『集合知』など人々の創造性をネットが後押しすると言われていました。2011年の震災以後、災害時の連絡手段や政治に対する不満表明のため、多くの人が参入し、ネットは大衆的なものが可視化される空間になりました。大衆の考えがこれほど言語化されイメージ化された時代はかつてなかったんです。歴史の新たな一段階と言えるほどです。

大衆と言うと、じゃあ、お前は大衆ではないのかという批判がありそうなので、これを「庶民」あるいは「世の中」としてもいい。ネット上では議論がかみ合わないとか、ささいなことで誤解されて炎上すると言われますが、実に多様な価値観、情報把握力の異なる人がいるわけですから、話が通じないのは当たり前なんです。
(南アフリカでネルソン・マンデラが解放された30年近く前には考えられなかった、人種差別や弱者敵視の発言を、今は一国の大統領が平然と語る。それも、ネット上の一部の大衆に故意に向けられた政治宣伝ととらえれば、不思議ではない。 ヘイトクライムの増大は人間自体が時代に押され突然悪化したというより、長く陰にいた者、隠されていた悪意が「ネットの大衆化」で単に表に出てきただけだと見る方が納得がいく)
人を刺激しやすい、さまざまなアイデンティティーへの攻撃的発言は、大衆的なものがほぼ全て可視化された結果なんです。もう一つ、現代を語るキーワードはニーチェが使った言葉「ルサンチマン(強者に仕返ししたい鬱屈した弱者の心)」だと思います。
特権に対する批判。なぜ自分ではなくあの人が得をしているのかという怨念(おんねん)です。特権層と自分を常に比べ、それが企業のマーケティングにも使われ、羨み、欲望をあおってインスタ映えのようにすぐに飛びつかせる。でも、消費しながらも個人はその都度、(自分の出自など)人生の条件を自覚させられているのです。あの人は最初から底上げされた条件で生まれ、自分はたまたま不遇に生まれ、損をしている。偶然、頼んでもいないのにこの世に生み出された揚げ句、不遇な状態であり続けるのは耐え難いと。そんな気分は昔からありますが、ネットで可視化されたことで、より意識するようになったのです。
それに加え、ポリティカル・コレクトネス(政治的きれい事)への反発が大きくなっています。そうしたスローガンの必要性はもちろんありますが、近代的な進歩主義は人間を単純化させる方に向いてきたとも言わざるを得ない。善を説くスローガンに不満を持つ人が反発している状況は無視できません。
人間の欲望はもともと否定性と肯定性の両方からできているのです。ところが今の『大衆の時代』には何事もわかりやすさが求められ、何が良くて何が悪いのかという単純な反応で皆けんかをしている。だから、それぞれ個人の中に肯定と否定(善と悪)を抱え込む両義性を復権させなければならないと僕は思っているんです。リベラルはよく知らない他者を弱者とみなして単純化するわけです。LGBTは多種多様なのに、かわいそう、優しい、正しい、愛に生きる人たちみたいに。でもLGBTにも意地悪な人もいますからね。毒舌な皮肉屋も。だから、表面的に人権や共生をうたって、個人の差異にきちんと向き合わないリベラルはネトウヨの映し鏡にほかなりません。
人間の差別性を露悪的に出すのでもなく、単に平和や友好を叫ぶのでもない、肯定性と否定性を併せ持つ人間像です。それをきっちり打ち出していく必要がある。従来型の人間性を果たしてどこまで延長できるのかということです。今のネット状況を見れば、多くの人が人工知能(AI)のようにパターン認識して善か悪かと即答しているようで、人間の方からAIに歩み寄り、劣化したかのように思えます。
グローバル型資本主義の進展が人に内面をなくす生き方を強い、皆がもがいている。そして、内面が衰えたからこそ、『傷ついた、傷ついた』とすぐに言う。。昔なら傷を自分固有の経験としてやりくりし、自分の中の負の面と向き合ってきたけれど、今はそれができなくなりつつある。だからいろんな人が過剰にハラスメントを問題にしているのです。内面の喪失、人間の単純化はある種の全人類的な時代の症状ではないかと思います。人間が心を失っていく過程で、叫んでいるという感じが僕にはします。
■人物略歴
1978年、栃木県生まれ。東京大大学院で博士号。パリ第10大学へ留学後、複数の大学講師などを経て立命館大准教授。主著に「動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」「勉強の哲学」「意味がない無意味」。
おすすめの2本見ました (川名慶彦)

師走に読みたい漢詩 (36 坂野純一)
私が漢詩を読むようになったのは、友人からもらった英文の中国文書に多くの漢詩が載っていて、これの原詩を探し、原文と読み下しに加えて、識者の解説を写すように纏めてみたことからのことです。 今まで2回ほどこのブログに掲載させていただきましたが、今年も押し詰まってきたことから12月にふさわしい漢詩をと思い少し紹介させていただきます。
最初は杜甫の冬至という詩です。杜甫は、中国の生んだ最大の詩人と言わ れ、別名(詩聖)とも言われます。ただ生前は、必ずしもそのような評価は受けず、後年になるに従いその名前が大きくなったと言います。
年年至日長為客 年年 至日 長(つね)に客と為り
忽忽窮愁泥殺人 忽忽たる窮愁 人を泥殺せしむ
江上形容吾独老 江上の形容 吾独り老い
天涯風俗自相親 天涯の風俗 自ら相い親しむ
杖藜雪後臨丹壑 杖藜 雪後 丹壑に臨む
鳴玉朝来散紫宸 鳴玉 朝来 紫宸に散ぜん
心折此時無一寸 心折けて この時 一寸なし
路迷何処是三秦 路は迷う 何れの処か 是れ三秦なる
至日は夏至と冬至のことを言いますが、古来中国では、冬至の日は、ご馳走を作って、新しい着物に着替え、親族集まって祖先を祀る。朝廷では 盛装した官僚が、紫宸殿に集まり、朝賀の儀式が行われる日でもあります。杜甫は、48歳の時に自身の政策が入れられず、家族を連れて放浪の旅に出ます。この詩を作ったのは、56歳の時だとされています。
その間毎年冬至の日を旅人として迎えた。魂を奪い去る厳しい愁いが、此の身をすっかり骨抜きにしてしまった。心とともに肉体も衰える。揚子江のほとりを彷徨うひとりぼっちの私の姿。そして、世界の果てのような此の地方の風俗にも、いつしか親しむようになった。
雪の晴れたあと、あかざの杖をついて赤土のむき出しになった谷間を前にして独り立つ。此の時間は都では、腰の玉佩を鳴らしつつ出かけた高官たちが、三々五々紫宸殿から退出してゆくことだろう。それを思うと私の心は砕け散る。
心は一寸四方の大きさだというが、今は心砕けて一寸の大きさもない。どの方向が、都のある三秦の地方か。心の迷いに、そこへの路ももはやおぼつかない。
本来おめでたい日にもかかわらず誠に悲しい詩であります。二つ目は、同じく唐代の詩人高適の除夜と言う詩です。
旅館寒灯独不眠 旅館の寒灯 独り眠らず
客心何事転凄然 客心 何事ぞ 転(うた)た凄然たり
故郷今夜思千里 故郷 今夜 千里を思わん
霜鬢明朝又一年 霜鬢 明朝 又た一年
宿屋の寒々とした灯火のもと、ひとり眠られぬ夜を過ごせば、どうしたことか、旅の思いはいよいようら悲しさを増すばかり。こよい、千里をへだてて故郷を思いやっている私だが、明日の朝になれば、白髪の増えた鬢は、又一つ歳をとっているのだ。
もう一首加えます。同じく唐の時代の王いん(注)と言う詩人の作です。
今歳今宵尽 今歳 今宵 尽き
明年明日催 明年 明日 催す
寒随一夜去 寒は一夜に従って去り
春逐五更来 春は五更を逐いて来る
気色空中改 気色 空中に 改まり
容顔暗裏回 容顔 暗裏に 回(めぐ)る
風光人不覚 風光 人 覚(さと)らざるに
已著後園梅 已に著く 後園の梅
除夜の作には、悲しみの詩が多い。その中で、此の詩、己の容貌の衰えを自覚しつつも、自然の営みの中に、希望を見ると解説の一海智義氏は述べています。最後に同窓会ともいうべき詩を紹介します。此の詩は、平凡社から出版されている一色智義氏の「漢詩一日一首」(冬)で見つけたものです。
卞仲謀八老会
同榜同僚同里客 同榜 同僚 同里の客
斑毛素髪入華筵 斑毛 素髪 華筵に入る
三盃耳熱歌声発 三盃 耳熱して 歌声発す
猶喜歓情似少年 猶お喜ぶ 歓情の少年に似たるを
作者は、北宋の韓維という詩人で、蘇軾、王安石と同世代の人です。「同榜」の「榜」とは、科挙の試験の合格発表掲示板。従って、同榜とは、同年に進士の試験に合格したものをいう。さらにこの八人は、同僚であり、同郷の集まりでもある。残りの詩の部分は、字面を見れば大方想像がつきます。最後の句は、みんなのはしゃぎようは、まるで若者、まだまだ若さを失っていない。それが嬉しいのだ。ほぼ 一千年前の同窓会の歌だが、今昔の間を忘れさせる。と一色氏は結んでいます。
私も体調の関係から長いこと会への出席を遠慮していますが、この詩を見つけて、大変嬉しく思った詩題です。来る集まりでの 諸兄 諸姉のお元気な様子お想像するだけでも、気持にハリが出てくるようです。新しい歳にも 少しずつ新しい詩を紹介できればと念じています。
(注)”いん”の漢字ですが、漢和辞典や、私が困った時によく使う白川静
12月度 月いち高尾報告 (39 堀川義夫)
今年最後の月いち高尾が20日に開催されました。異常なほど暖かい今年の冬ですが、この日も晴天に恵まれ冬の木漏れ日の中、カキ尽くしのBBQ付とあって29名の参加を得ました。BBQは4年前に小さな鉄板を持ち込みちゃんちゃん焼きをしたところ好評でしたので何となく12月の最後の月いち高尾はBBQで締めにしようという風なことになってきています。昨年もカキ尽くしで好評でしたので、今年もさらに殻付きカキを加え、豪華なBBQとなりました。BBQの開始時間の関係でトレッキングの方はいささか時間不足になってしまいましたことをお詫びします。また、最近の傾向ですが、レベルにあった無理のないトレッキングをするよう心がけていますので、今回はご自身のレベルに合わせてトレッキングは3班に、そして、BBQのセッティング班と合せて4班となりました。以下、各班の報告です。(原文のまま)
三嶋班 高尾山口駅10:02発・・・・・ケーブル前10:10発・・・・・薬王院11:25着・・・・・山頂手前のトイレ11:55・・・・・作業道・・・・・日影キャンプ場12:40着
参加者(敬称略);浅海、鮫島、高橋、中司、翠川、吉牟田、町井、久米夫妻、三嶋 10名
1号路の登りはかなりの急こう配。 ゆっくりと しかし休みを少なくして 展望台は通過。男坂、女坂では迷わず階段の無い方に進み、薬王院着。お賽銭とお線香で ”神頼み”を丁寧に済ませて、鮫島さんご推薦の車椅子でも行けると言う道を進み、山頂前のトイレ横へ。山頂はカットして、巻き道から日影への作業道に入る。
着くころには牡蠣尽くしが出来ているだろう、と歩を進める。少し遅れそうだが、携帯は圏外で連絡できず。久々に時間を気にしながらの 山歩きでしたが、10分遅れながら無事到着。平均年齢78.ウン歳 皆さん大したもんです!
牡蠣をこんなにたくさん 思いっきり食べたのは初めてで大満足。 その後お腹も無事でした。堀川シェフ始め 設営の方々には感謝しかありません。
岡沢班 我が班は、12時30分集合という時間を考え、全部まともに歩いたらとても集合時間に間に合わない、皆様に迷惑をかけられない という殊勝な考えで ケーブルを利用することに賛同した者の集まりです。
参加者 9名 平松 小泉 椎名 船曳夫妻 深谷 中川 浅野 岡沢
10時15分のケーブルカーに乗り、20分に歩き始め、参道はガラガラいつもの人込みはどこへ行ってしまったのか。ゆっくり歩き薬王院に参拝 そして唯一の急登の階段を過ぎ 山頂には 11時12分着。12時半前に出発しようとするとなんと病院道コースの5名が到着。 我々は 4号路からいろはの森コースを行き キャンプ場には12時34分に到着。全員何事もなく無事に予定通りに歩け万々歳でした。
藍原班 人数が多い為 岡澤さん相談し、3班体制を組む。琵琶滝コースを藍原が受け持つ。メンバーは 遠藤さん・後藤さん・西澤さん・川名さん・藍原の5名10時15分出発。琵琶滝から 高尾山の登山路では一番(?)の急登「琵琶滝コース」に入る。今日は好天で風もなく快適。紅葉は見られないが、山の風情を楽しみ、足取りも快調に、数人を追い越して登る。トップは遠藤さん。それにしてもペースが早い、早すぎる。着いて行けそうもないので、リーダー権限でペースを落とすよう再三要請する。45分で一号路との合流点に到着。川名さんを除いて皆ロートルの筈、こんなに元気でいられることに感心するばかりです。薬王院にて皆思い思いに願いを込めてお参りし、山頂へ。11時30分到着。
山頂では薄もやが掛かっていたが、富士山の威容も拝めた。いろはの森コースを下り、日蔭沢キャンプ場に時間通り、12時30分到着。今日は良い空気を吸い、美味しい牡蠣料理を頂き極上の一日でした。
堀川班 BBQ設営班と言うことで若手の伊川、関谷、実方が買って出てくれました。それに会計の仕切り役オチエとあまりの量に不貞腐れ気味の私の5名です。本当はバスで行く予定でしたが私の荷物が30kg超でしたので、タクシーで日影沢キャンプ場へ。実方が提供してくれた軽トラで集合地の登山口駅からコンロやフライパンなど、事前に購入してくれたビールは水等々を運び入れてくれました。大助かりです。感謝感謝です。
10時45分頃から準備開始、さすがワンダーの面々は手慣れたもので1回の説明で理解してくれ、どんどん準備が進んでいきました。12時には火をおこし、12時20分ころには何時でももいらっしゃい! と言う体制ができていました。やがてトレッキング組も順次到着。楽しい宴が始まりました。殻付きカキ62個、むき身のカキ5kgを完食!!素晴らしきかなこの食欲!! 女川のカキに感謝!! GIさんの恒例になりつつあるケーキの差し入れ、ワイン、何よりもカセットコンロや鍋、フライパンなどご協力を感謝します。