海外との電話やメールはもちろん、インターネット、SNSのやり取りも、今では気軽に行えるようになった。国際通信は飛躍的に便利になったが、その裏には先人たちの挑戦の歴史があった。日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年は150年目の節目となった。国際通信を可能にするには海底ケーブルによる電気通信ネットワークが大西洋や 太平洋といった大洋を越えなくてはならない。1850 年にはすでにドーバー海峡の海底にケ ーブルが敷設され、北米大陸とヨーロッパをつなぐ大西洋ケーブルは 1858 年から 1866 年にかけて結ばれている。
それに対して、アメリカとアジアを結ぶ太平洋ケーブルが結ばれたのは、1902 年になる。1871 年に長崎と上海の間に引かれた日本最初の海底ケーブルを引いたのはデ ンマークの大北電信株式会社(Great Northern Telegraph Company)。さまざまな外交上の不平等条約と同じく、この海底ケーブルについても日本 にとって不利な契約が交わされ、大北電信は日本の国際通信を独占し、1913 年に独占権は 撤廃されたものの、大北電信が関わらない日中間通信でも日本の収入の 64.6%を大北電信 に支払うという不均等分収が第二次世界大戦後まで続いた。
通信用の衛星として最初に実用化されたのは、1962 年 7 月にアメリカが打ち上げたテ ルスターである。さらに、1962 年 12 月 13 日には、リレー1 号衛星も打ち上げられた。こ のリレー1 号は 1963 年 11 月 23 日にジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領の 暗殺事件を日本のテレビ視聴者に伝えた。それは初の日米間テレビ伝送実験中のことであ った。通信衛星リレー1号による日米衛星実験が始まる。太平洋をまたいでアメリカから中継された第1回の実験放送は、ケネディ大統領暗殺という衝撃なニュースだった。
ただこれは現在の静止衛星の衛星放送とは違い、地球を周回する通信衛星で僅かの時間しか日本上空には居ない代物だったが、その後も衛星による映像伝送が暫く続いた。36千㌔上空にある衛星なのでどうしても往復の時間が掛かり時間のずれが生じる一方、国際通信はきわめて割高で、庶民が気軽に使えるものではなか った。業務においても節約しながら使うもので国際電話など商社と言えどもよっぽどのことが無い限り使用できず、テレックスというアナログ通信による伝送通信に頼っていた。大容量の光海底ケーブルが引かれたことで、やがて衛星通信と海底ケーブルの関係が逆転することになる。
通信の自由化と共に日本電電公社(NTT)と国際電信電話株式会社(KDD)に対して民間の通信会社が設立された。小生が設立とそれ以降の営業担当役員として出向させられた日本国際通信株式会社(ITJ)が1986年7月21日 – 大手商社各社や松下電器産業など出資で設立。1989年10月 – 識別番号「0041」で国際電話サービスを開始。 1997年10月1日 – 日本テレコムに吸収され、会社は解散。もう一つ伊藤忠などで国際デジタル通信株式会社(IDC)が 1987年9月に設立された。それまでは日米にアナログ回線しか無く、ツートンの通信と僅かな回線の電話しか出来なかったのだ。
日本ではKDDが1964年(昭和39年)に『TPC-1(第1太平洋横断ケーブル)』を敷設し、初めて太平洋横断といった長距離の国際電話が可能になる。『TPC-1』は当初電話換算で128回線で設計、運用開始後142回線まで拡張された。これは、100人程度が同時に通話でき、更に電信回線が600回線以上設定できるというイメージだった。1975年(昭和50年)に『TPC-2(第2太平洋横断ケーブル)』が登場し、845回線に、そして我が民営化部隊も参加して1989年(平成2年)には、光ファイバを使用した『TPC-3(第3太平洋横断ケーブル)』、1992年(平成5年)に『TPC-4(第4太平洋横断ケーブル)』が登場した。『TPC-3』が7,560回線、『TPC-4』が15,120回線と大幅に容量がアップし、民間会社との競争により電話通信料金は大幅に低下して使い安いモノになってきたわけだ。
1995年(平成8年)、『Microsoft Windows 95』が発売され、インターネットが急激に普及しはじめたこの年に、『TPC-5CN(第5太平洋横断ケーブルネットワーク)』が登場。『TPC-5CN』で画期的だったのは、中継器による光信号の増幅だった。光ファイバといえども、大陸から大陸の数千kmを一気通貫で到達するのは難しい。そこで、光海底ケーブルには数十kmごとに、光信号を増幅させる中継器が設置されている。
1996年に行われたアトランタオリンピックでは、世界で初めて光海底ケーブルを使用したテレビ伝送が行われた。この頃、国際通信の主役は衛星通信から光海底ケーブルに逆転、衛星のパラボラアンテナは無用の長物扱いになり、世は光ケーブル一色の時代となったのだ。
海底ケーブルは日本海溝などの底まで敷設するため、一度切れると、又元の陸揚げ地点から手繰り寄せて、繋ぐという大変な作業になる。敷設もKDDが所有していて特殊な専用船が行ったが、今やGAFA等が巨大ケーブルを敷設して運用開始している。これら巨大IT企業が参画するプロジェクトが年間の世界の海底ケーブルの総延長に占めるの割合を求めたところ、実に5割近くを占めることが判っていいる。日本の国際通信が始まり150年。もはや通信会社のケーブルではなくここでもGAFAが覇権を握る時代に成り、広帯域の高速通信が当たり前の時代になってきたのだ。
(安田)掲題のブログ記事大変興味深く拝読いたしました。知らない事ばかりでした。なかんずく、欧米間のケーブル敷設がそんなに早い時期とは驚きです。人間の発想と技術は思いのほか凄いですね。これから先、何が起きるか想像も出来ません。
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