直近に読んだ「赤と青のガウン」(オックッスフォード留学記)/彬子女王著は面白かった。女性皇族の著者が、その「帯」で書いているように、≪生まれて初めて一人で街を歩いたのは、日本ではなくオックスフォードだった≫その体験記であり、女性皇子として初の博士号取得までの瑞々しい筆致で綴られた留学の日々が読みやすい文体も加わって、一気に読み終えた。人との出会いが如何に大切か、その出会いを生かすも殺すも本人次第と私は日頃から思っているが、その点でも正に、この著者はその出会いを100%生かして生きて来た感がする。
私の個人的な経験では昭和38年(1963年)から1年間、会社から海外語学研修生として当時の西ドイツに着地し、先ずはゲーテ・インスティテュートの南独のローテンブルグ校でドイツ人夫妻の家に寄宿してドイツ人講師から日常会話が不自由ない程度までの授業を3カ月間受けたとことから始まった、その後の海外事業所勤務の経験と幾分か重なり、外国人との初顔合せ場面の描写などに特に興趣が募った。
学生時代に流行ったアガサ・クリスティやエラリー・クイン、クロフツなどの推理小説を読むには読んだが、映画「オリエント急行殺人事件」などを観ると、2時間で観られる映画の方が手っ取り早くて良いと思ったりしたもんだ。 ただ、母親が大変に書物好きで、自宅には『智恵子抄』、「岡本かの子の記」などが日常的にテレビ横の小さな本立てに差してあって、特に「万葉集」には詳しく、戦前・戦後の激動の時代に生きながら、読書仲間で行く「万葉集の旅」には、毎年、本当に楽しみにして出かけていた。私は自宅の文学全集から「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」など、文学小説を読み始めては止めの繰り返し。でもヘルマン・ヘッセの「車輪の下」などは比較的短編でもあり読み終えていた。
西ドイツでは、当時、ハンブルグに会社の支社はあったのだが、日本からの出張者・旅行者も未だ限られた人数しか来られなかった時代(外貨持出し制限が厳しくUS$500迄)だったが、ハンザ都市ハンブルグからの観光で同じハンザ都市のリューベックへ片道約2時間のドライブで土日の仕事の休暇日に連れて行くことも多かった。リューベックは第2次世界大戦で壊滅的な破壊を受けた街の一つであるが、作家トーマス・マンの生家が復元されて保存されているので、出張者・旅行者には、≪これが「ブッデンブローグ家の人々」などの作家トーマス・マンの生家です≫と説明していた。 この説明は私が最初に西ドイツに行った当時のハンブルグ支社長が、初めてリューベックに案内してくれた時に紹介してくれたセリフを、その後もそのまま使っていた。トーマス・マンは「魔の山」の方が有名だったと思ったが、いずれにせよ「ブッデンブゴーグ家の人々」を読み通した人を、私も含めて未だに一人も出会ったことがない。現地での案内人とは、大体こんなものだと、今でも時々情けなく思い出す。
(保屋野)映画、サックスに続き、文学ですか。その底知れないパワーの源は何でしょうか。前に、私は「美術検定」に関し、船津さんの1%と書きましたが、「読書」に関しては多分菅原さんの0.1%以下ではないでしょうか。たまに行く図書館でも、読むのは、「岳人」「ニュートン」「サイエンス」等の雑誌を拾い読みするぐらいで、超読書家だったというデコちゃんのファンとしては情けないと反省しています。
(金藤)「赤と青のガウン」先週 展覧会に一緒に行った友人が持ち歩いていました。話題になっていたそうですね、