ジョン・フォード監督の騎兵隊と言うと「アパッチ砦1948」「黄色いリボン1949」「リオ・グランデの砦1950」の騎兵隊3部作が思い浮かぶ。「騎兵隊 1959」は、そのほぼ10年後の作品で、しかも南北戦争を題材にした戦争映画だから、純粋の西部劇とは呼べないかも知れないが、同じ軍隊で、同じ風俗を描いたものとして、西部劇に分類されている。3部作を思い出してみると、モニュメントバレーを背景にした壮大で美しい景観の中での先住民と騎兵隊とのスピード感溢れる戦いもあったが、仲間内での楽しい喧嘩、ユーモアに溢れた会話、ダンスや合唱隊が唄うシーン等が満喫された。このようなアクションの余韻だった情感とユーモアが、この「騎兵隊」ではしばしばアクション自体が表面に押し出された描写が強くなった印象。
冒頭のタイトルシーンから、騎兵隊のマーチI Left My Loveを背景に騎兵隊が進み、撮影ウイリアム・クローシアのカメラが美しく追う。マーチの作詞作曲が、スタン・ジョーンズで、南北戦争たけなわの頃、ミシシッピー流域のビックスバーグが戦局の焦点で、そのスタン・ジョーンズ扮する北軍グラント将軍が、ジョン・ウエイン扮するジョン・マーロウ大佐にビッグスバーグへの補給路を断つため、敵中深く潜入し、鉄道の要所ニュートン駅の機能を破壊する密命を下すことから始まる。軍医として、ハンク・ケンドール少佐(ウイリアム・ホールデン)が配属されるが、後で判ることだが、過去に医師の誤診で妻を亡くしたことのあるマーロウ大佐と軍医ケンドール少佐とは、事ごとに対立する。途中、農園の大邸宅に宿泊することになるが、女主人のハンナ・ハンター(コンスタンス・タワーズ)に、士官一同もてなしを受ける。この主演三人が、頑固で意固地なウエイン、ナイスガイのホールデン、南部女性の誇りを忘れないコンスタンスが夫々の個性を発揮して行く。ハンナが、作戦を盗み聞きし、南軍に密告を計画していることをケンドールに悟られ、ハンナと女中のルーキー(アリシア・ギブスン)は捕えられ、機密保持のため帯同することになる。行進中、ハンナは何度となく脱走を繰り返すも成功しないうちに、戦闘になれば負傷者の介護等の努力、マーロウに対する素っ気ない振舞のうちにも好意を持ち始めながらも、北軍はニュートンの町を制圧し駅を破壊する。しかしマーロウとケンドールの仲はさら
に険悪となり、殴り合いが始まった。丁度その頃南軍の幼年学校の生徒を率いる年老いた校長が依頼に基ずき制服制帽姿の生徒たちを神のご加護を念じながらの進軍となる。すると幼年兵の一人の母親が、息子は父も叔父も兄も戦死し、死なせる訳にはいかないと訴えると、校長は振り向きもせず、その子に隊列を離れるよう命令する。家の中に連れ帰られたが、その少年再び戻るも、北軍に捕まる。マーロウ大佐にこの捕虜どうしますかと聞かれ、マーロウ曰く「尻をぶて!」。退却ラッパが鳴り響き、幼年学校兵の進撃に、北軍は逃げ出す。
現実ならこんな光景はあり得ない情景だが、ジョン・フォードのヒューマニズムが溢れた画面に違いない。マーロウ大佐、脚を撃たれながらも、何とか南軍に対抗しながら、危険な地域を突破し、橋を渡れば北軍の領土となる地点で、迫る南軍に対し、動けない怪我人に付き添って、敢えて南軍側に残る決死をし、お互いを理解するようになったケンドール医師とハンナに別れを告げ、ハンナの首にかかったスカーフを自分の首に巻き、南軍を引き止めるべく導火線に着火し、部隊と共に爆破寸前の橋を渡り、任務を全うするのだった。
(編集子)この ”騎兵隊” が同じフォードの ”騎兵隊” でも三部作にかなわないのは、助演陣の厚さだと思う。ワード・ボンド、ヴィクタ・マクラグレン、ベン・ジョンスン、ハリー・ケリー・ジュニア、ペドロ・アーメンダリス、ティム・ホルトにミルドレッド・ナトウイック。陽気なアンディ・デヴァインに不気味なジョン・キャラダイン。こういう重厚なバックアップがないとフォード映画ではないような気がするから不思議だ。
例によってウイキペディア解説をいれておく。
アメリカ合衆国陸軍の一部。独立戦争に際し大陸軍内に組織されたが,さしたる活躍を見せなかった。1830年代,西部開拓地における対インディアン作戦のため正規の騎兵連隊が編制され,南北戦争では,広大なアメリカ大陸を背景に騎兵隊はその機動性のゆえに南北両軍において重視された。戦後,騎兵10個連隊が残され,もっぱら西部においてインディアン〈討伐〉または治安維持に使用され,1876年G.A.カスター中佐指揮下の第7騎兵隊がモンタナ州で全滅したことは有名。なお,76年現在で陸軍総定員2万7000余名のうち,騎兵8882名となっている。その後,騎兵隊は自動車,戦車の発達で実質的には無用となり,機甲部隊として再編制された。ベトナム戦争ではヘリコプターを主体とする騎兵師団が組織された。騎兵隊は西部劇において英雄的存在とされてきたが,19世紀アメリカの大陸征覇とインディアン抹殺の象徴であり,またその実施機関であった。
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